2025年11月3日月曜日

子どもの進路-理系以外は認めない!と言うモラハラ夫

文系を見下し、全否定

子どもが元気で楽しく過ごしている姿を見ると、しみじみと幸せだな~と思う。

親だから色々と欲は出てくるが。

結局は元気で居てくれるだけで良い、という所に落ち着く。

それが夫には理解できないようだった。

親なら子どもを『もっと高い所に』と思うのは当たり前だろう?と。

私だって欲が無いわけじゃない。

ただ、その欲は私の理想を押し付けたいのではなくて、ただただ子どもの将来を想ってのことだ。

幸せに過ごして欲しい。

その一心で良い所を伸ばしてあげたいと思った。

それを、よく夫に馬鹿にされた。

「お前は甘いんだよ」

と鼻で笑われ、

「世間の厳しさを分かってない」

と非難された。

夫がヤキモキしていたのは、私の将来への展望に具体性が無いからだそうだ。

ふんわりと『こんな感じになって欲しい』じゃダメなんだそうだ。

親の役目を放棄しているとまで言われ、

「俺は理系しか認めない!」

と断言された。

何故だか夫は理系信奉者だった。

学生時代のハードさが全然違うとかで、よく私にも

「お前は学生時代暇だっただろ?」

と言っていた。

うちは大学時代が夫と被ってないんだけど。

もし同じ時期で偶然すれ違うことがあったとしても、きっと友達にはなれなかった。

それくらい、合わない二人だと思う。


保育園時代から算数ばかり

理系に進んで欲しい夫にとって、日々の勉強は大事だった。

「幼い頃から数字に触れさせて数学的センスを伸ばしたい」

とよく言っていた。

それが無理のない範囲で行われているのなら私も何も言うつもりは無かったのに。

夫の指導はどんどんエスカレートしていった。

スパルタ教育によって疲弊していく子ども。

できないと怒鳴られて叩かれて、ご飯抜きを宣告される。

これが虐待でないと言うのなら一体何なのか。

最悪なことに、子どもを正座させてその横で自分はご飯を食べていた。

「お前も食事しろ」

と言われたって、そんな状況では喉を通らない。

食べなければ食べないで今度は夫から怒られるから少量を口に運んでずっと噛んでいた。

心の中で子どもに謝りながら。

夫が寝静まった後、子どもにこっそりご飯をあげようとするんだけど。

大抵は幼い子どもの方が先に寝てしまう。

つまり、その日は夕飯無しで就寝したということだ。

最初はポツリポツリとそういう日があり。

大きくなるにつれて段々と増えていった。

小学生になると、休日は1食しか食べられないことも。

そういう偏狭な考え方によって子どもが受けた影響は計り知れない。

算数が出来なければ、まるで『出来損ないの無価値な人間』のように扱われ・・・。

段々と自信を失くした子どもは夫の顔色ばかり窺うようになった。

算数以外は成績が悪くても許されていたのか?と言うと、そうでも無い。

他の教科も成績が悪ければ罰を与えられた。

小学生の子どもに理系か文系かだなんて言われても、まだどちらに進むかも分からない。

それを夫は認めず、子どもに選択する自由は一切与えられなかった。

2025年11月1日土曜日

別居して初めて夫の収入を知った私

被害者意識の強い夫

身バレが怖くて色々とボカしているが夫は専門職だ。

本気で仕事をすれば、それなりに稼げる。

だけど働いていない期間が長かったし、これからもあまり働く気はなさそうだった。

だから、

「お前の経済力では子どもを任せられない」

と言われた時には反論した。

「これからもずっと働き続けて一生懸命養っていくつもりだよ」

そう伝えたら夫の顔色がみるみる変わり、声を荒げながら

「お前がどんなに一生懸命働いたって俺と同じレベルで稼げねーだろ!」

と言ってきた。

確かに同じレベルというのは不可能かもしれない。

でも、夫の無職期間を考えたらトータルではそれほど変わらないのではないかと思った。

ただ、そんなことを言えば更に怒らせるだけなので黙っていた。

その時、私は『そー言えば夫のお給料の額を知らないな』なんて考えていた。

結婚してからも財布を任されたことはない。

明細を見せてもらったこともない。

本人の口からざっくりとでも額を教えてもらったこともない。

だから『たくさんもらっている』と言われてもピンと来なかった。

私たちの場合、こういう普通の会話でも怒らせてしまうことがある。

夫の被害者意識が驚くほど強いからだ。

話し合いの中で貶めるようなことは一切言っていないのだが、私の『働き続ける』という言葉に反応し、

「それは俺への嫌味なのか!」

と怒っていた。

暗に無職であることを非難されていると感じたようだ。

そのつもりがなくても、こうやって勝手に『傷ついた!』と騒ぐことが多くて非常に気を使った。

これじゃあ意見を言うことも躊躇ってしまう。

一緒に暮らしていた頃は毎日が夫の機嫌との闘いだったので多少の慣れがあった。

でも、離れてそういった煩わしさから解放されている間に察知する勘のようなものが薄れてしまったようだ。


夫から見せつけられた給与明細

その日、何と夫は給与明細を持参していた。

もちろん私が求めたものではない。

見せつけるために持ってきたのだろう。

あるいは、私との差を分からせるために用意したのか。

どちらにしても、『俺の方が有利だ』というのを示したいんだなと思った。

『見ろ!』と言わんばかりにテーブルの上に無造作に置かれた夫の明細。

思わず二度見してしまった。

上の段の総支給額に目がいったのだが、その額は私の倍以上だった。

あんなにブランクがあり、久々の就職だったのに。

私なんて産休+育休の1か月くらいしか休んでいない。

もう少し自宅で子どもを見たかったけど、夫から

「復帰が遅くなると働くのが嫌になるぞ」

と釘を刺されて、早々に復帰した。

もう既に辞めてしまったとは言え、やっぱり夫の方が稼ぐのだということが明確になった。

思わず、

「凄い・・・」

とポツリと呟いたら、自慢げに

「その前は、もっと貰ってたよ」

と言い、

「これを見たら自分がどれほど無謀なことを言っているのか分かるだろ」

と呆れているようだった。

夫と話していると酷く落ち込むことがある。

『何もできない無能な人間が自分の要望ばかり語るなよ』と言われているようで、途端に自信を失くした。

2025年10月31日金曜日

離婚交渉中に【養育できる根拠の提示】を求められた話

遅々として進まない離婚交渉

最初は良いペースで進んでいると思っていた離婚話だが・・・。

途中、色んなことがあって非常に動きにくくなった。

メンタルが壊れかけているらしい夫に催促するわけにもいかず。

義両親も孫のことを諦めきれない様子。

お義母さんと話すと、よく

「(私)さんのご両親は良いわね。孫がたくさん居て」

と言われた。

姉の所には複数の子どもが居る。

だから、確かに孫が多いと言えば多い。

ただ、その裏に隠された意味に気づいてからは素直に相槌を打つことができなくなった。

『そちらには他にも孫が居るんだから一人ぐらい良いでしょ』

そんな気持ちが透けて見え、何だかとても嫌な気持ちになった。

これは私の妄想などでなく、

「うちの孫は(子ども)ちゃん一人だけなんだから」

とよく言われていた。

これをさめざめと泣きながら言うこともあれば、ヒステリック気味に叫ぶこともあり。

言われるたびに責められているのだと感じて苦しくなった。

そんな状況だから夫も諦めきれなかったのもしれない。

それ以外にも困ったことがあり、私の粗探しばかりしてきて心が重くなることも・・・。

話し合いを有利に進めたいのは分かるけど、卑怯だなと感じた。

『母親失格』の烙印を押したかったに違いない。

彼らの思い通りにするために。

それに気付いていたので、慎重に慎重に行動した。


「子どもを育てられる根拠を示せ」と言われ・・・

子どもの養育にはお金が掛かる。

でも、私が薄給なのを知っていたからか、いきなり

「本当に育てていけると思ってるの?」

と言われ、その根拠を示すように要求された。

夫も子どもの親権を求めているのなら、同じようにしなければならないはずなのに、

「俺は何とでもなる」

と言い、私にだけ求めてきた。

理不尽な話だが、夫が言い出したことなら従うしかない。

ただ、根拠と言われても非常に困ってしまい、それからしばらくはどうやって説得しようかということばかり考えた。

お給料を見せて、生活費の内訳を示せば良い?

いざという時に姉を頼れることを伝えれば印象が良くなるかな。

『これなら絶対に大丈夫』という案も思い浮かばなくて・・・。

結局、月々の収入と使い道を記すことに決めた。

「出来上がったら説明しに来い」と言われたんだけど、それは拒否。

忙しくて時間が取れないなどと言いながらメールで送信した。

これはいわば、夫に対するプレゼン。

しかも職場の上司よりも厳しい厳しい相手だ。

どんな資料を出してもどうせ納得することは無い。

それでも出さなければならなくて、難しい宿題を課せられているような気分だった。

送信した後、案の定色んな指摘が入った。

まあ子どもの生活が懸かってるから、支出の内容や子どもの積み立て等に関することを言われるのはまだ分かる。

驚いたのは、

「(給与が)前に聞いた額と違う」

と言われたことだった。

実は離れた後に少し昇給があり、ちょっとだけ自由に使えるお金ができた。

お迎えで時短にはなっていたけれど、その分を夜間にテレワークしてカットもなし。

収入が多少上がったことは有利に働くかと思っていた。

それなのに夫から、

「嘘ついてたのか!」

と非難され、よくよく聞いてみたら私が給与の額を偽って自分に使っていたと思い込んだようだった。

誠心誠意全ての内容を開示していたのに、まさか疑われるなんて。

普通なら腹を立るところだろうが、私は必死に弁明した。

とにかく夫に怒られるのが怖くて分かってもらおうとした。

2025年10月30日木曜日

子どもの誕生日―後日談

少し過ぎてから呼び出しが・・・

子どもの誕生日を少し過ぎた頃。

夫から急に呼び出されて自宅近くのファミレスに向かった。

本当は断りたかったのだけれど、『協力してくれなかったんだから、これくらい良いよな』という雰囲気で・・・。

仕方なく仕事を早退して会いに行くことにした。

夫はその頃無職で、時間が有り余っていたはず。

だから何時でも良かったんだろうけど、私の方が平日の日中でなければならなかった。

理由はいくつかある。

まず一つ目は、夫からの要望で『誕生日プレゼントのリクエスト』を聞いてから、子どもが酷く警戒していた。

土日に一人で出かけるようなことがあれば、きっと不安になるだろうと思った。

二つ目は、子どものお迎え。

平日の夕方はお迎えに行くから都合が悪くて。

他にも、土日や夕方となると夫の友人が参戦してきそうで怖かった。

それで平日の日中しか無かった。

自宅近くの駅前という場所も実は抵抗があったんだけど言えなかった。

誰に会うか分からないし、目撃されて噂になっても困る。

子どもはまだその付近の小学校に通っていたから、影響が出るのを恐れた。

もしかしたら『お母さんと二人で家を出て遠方から通ってるらしい』という話は既に知れ渡っているかもしれない。

そこに駅前での話し合い(深刻な雰囲気)が目撃されれば、瞬く間に尾ひれがついて広まっていくだろう。

何より『子どもが嫌な思いをしないように』ということを考えた。

だから、どこか遠くの知り合いの居ない場所で話し合いたかった。


夫の怒り

顔を合わせた瞬間から夫は怒っていた。

何なら家を出る前から怒っていたんじゃないかという位、その日は荒れていた。

あーだこーだと言っていたけれど、結局はポイント稼ぎができなかったのが原因。

『お前のせいでプレゼントを渡しそびれた』という不満が見て取れた。

虐待していた子どもに対して何故そんなにもプレゼントしたいのか。

最初はそれが疑問だったのだが、親権を考えてのことのようだった。

離婚話が進んできたら嫌でも子どもの件にも決着をつけなければならない。

その日に備えて少しでも自分の印象を回復しておきたかったのだ。

そんなことは絶対に不可能なのに。

日ごろから自分都合で解釈するクセがあり、その時も挽回できると考えていた節がある。

現状は劣勢でも、一発逆転で自分のところに来てくれる可能性があると思ったのかも。

あるいは義両親に入れ知恵されたか。

おおよそ、そんなところだと思う。

実に夫らしいエピソードだ。

そりゃー子どもは欲しがっていたものを買ってもらえたら、その瞬間は『やったー!』と喜ぶ。

もしかしたら、ほんの少しだけイメージも改善されるのかもしれない。

でも所詮それだけだ。

子どもの尊厳を傷つけ続けたパパを許すはずがないし、恐怖は消えない。

それが理解できないのか、夫はやけに自信を持っていた。

「お前には難し過ぎて分かんないか」

というマウントも謎。

難しいも何も単純明快な話だ。

二人とも今後二度と夫とは一緒に住めない。

ただ、それだけ。

この日、私から新たに提案できることもなく話していても埒が明かないと思ったのか早々にお開きになった。

去り際に、

「そろそろ俺も動くから」

と言われ、『えっ?』と顔を上げると憎々しげに私を見下ろしていた。

夫に対する恐怖は別居後も消えることはなく、話し始めから終始身構えていたのだが。

この時は異様な雰囲気を感じて全身がビクッとなった。

何だか夫が良からぬことを考えているような気がしてならなかった。

2025年10月29日水曜日

パパからの誕生日プレゼントを拒否

『欲しい物を聞いといて』と言われたけれど

子どもの誕生日の一か月くらい前に夫から連絡があった。

珍しく機嫌が良さそうで、

「(子ども)に何が欲しいか聞いといて」

と頼まれた。

こういう頼まれごとが一番困る。

パパのことが大好きだったら問題ないのだけれど。

うちの場合は『嫌い』を超えて『拒絶』のレベルだから。

きっとパパの話題を耳にするのも嫌だろうな、と思ってなかなか聞けなかった。

そんなこちらの事情なんて考えもしない夫は、『早く回答を』と急かしてきた。

急かされても、せっかくのお祝いムードを壊したくなくてその話題を切り出すことすらできず・・・。

次第に夫はイライラし始めた。

2週間後に迫ったある日、とうとう痺れを切らして、

「直接話をさせろ!」

と言ってきたのには参った。

その可能性もチラッとは考えたけど、何も言ってこない方にかけた。

でも、残念なことに夫の執着は凄まじく、何が何でも聞き出そうとした。

この執着が愛情だったら良かったのにね、なんて呑気なことを言っている場合ではない。

その勢いで子どもに無理やりコンタクトを取ろうとする恐れもあったので、何とかしてその場を収めようとした。

欲を言えばパパから連絡が来ていることを子どもに知られたくない。

私と夫とのやり取りだけで諦めてもらいたかった。

でも、一度言い出したらきかない人だから。

考えに考えて、

「今は欲しい物が何も無いんだって。少ししたら出てくるかもしれないから。今回は無しで良いんじゃない?」

と提案してみた。

そうしたら、

「俺は自分の子どもに誕生日プレゼントもあげられないのか?!」

と叫び始め、

「・・・ごめん」

と言ったらプツリと切られた。

正直なところ、切ってくれて助かった。

いつもは切られた後に色んなことを考えてしまって嫌な気持ちになることが多いのだけれど。

その時はこれ以上取り繕わなくて済むことにホッとした。


今度は泣き落とし

ああいう時の夫は非常にしつこい。

諦めるということを知らない。

電話を切った後『もうこれで大丈夫だ』と安心していたら、またすぐに掛かってきた。

用件が分かっているだけに出るのがためらわれた。

でも、出なければ何回も掛けてくるだろう。

それで仕方なく応じることにしたのだが、怒鳴られたら嫌だから少し耳から離して

「もしもし・・・」

と出てみたら、先ほどの勢いはどこへやら。

非常にか細い声で、

「何度もゴメン」

と謝られた。

謝るくらいなら掛けて来なければ良いのに。

私が黙っていると、消え入るような小さな声で

「(子ども)に会いたいよ・・・」

と言った。

夫の声を聞きながら、あの家で叩かれ怒鳴られていた子どもの姿を思い出していた。

いつも耳がキーンとなる位の声で怒鳴るくせに、時々弱々しく謝っていた。

涙を流しながら謝る姿に困惑したものだ。

一体どちらが本当の姿なの?と。

あんな酷いことをしておいて、泣いて謝れば許されるとでも思っていたのだろうか。

子どもの気持ちは分からないが、少なくとも私はより警戒した。

泣いて謝った後に更に激しい虐待やモラハラが行われる気がして・・・。

その予想は当たっていた。

夫の虐待は年々酷くなり、モラハラも本が一冊書けそうなくらいの状況になっていた。

逃げ出せたのは本当に幸運だったと思う。

結局夫は諦めることなく恐ろしいほどの回数の連絡をしてきて、とうとう私は根負けした。

仕方なく子どもに、

「パパが誕生日プレゼントあげたいんだって。欲しい物ある?」

と聞いてみたのだが、

「要らない!要らないって言っといてね!」

と案の定拒否された。

当たり前か。

自分の都合の良い時だけ家族ごっこしたいだけなんだから。

当然の結果とはいえ、それを伝えるのもまた億劫だった。

きっと夫は腹を立てるだろう。

子どもとのやり取りは当然の権利で、それを妨害されたと考えるはずだから。

2025年10月28日火曜日

子どもの誕生日に大きな大きなぬいぐるみ

ネットで見て一目ぼれしたものをお迎え

子どもとネットを見ていた時、ある物に目が釘付けになった。

それは大きな大きなぬいぐるみだった。

人と一緒に映っていたので、それがどれほどの大きさなのか一目で分かった。

『これすごい!可愛い!』と思ったのは私だけでは無かったみたい。

子どももジーっと見て、

「良いな」

とポツリと呟いた。

その表情から『欲しいんだな』と感じたけどお値段が・・・。

後から一人でこっそり見返してみて、まずは大きさをチェックした。

クーポンなどが無いかも確認。

残念ながらクーポンは見当たらなかった。

その値段で買うしかなかったのだが、如何せん高い!

ぬいぐるみといっても非常に大きな物なので、お値段も驚くほどお高かった。

こっそり夜遅くにチェックして、『買ってあげたいけど、どうしよう』と迷いながらサイトを閉じた翌日。

私は再びそのサイトを眺めていた。

断っておくが、普段は子どもが欲しがったからと言って買ってあげることはほとんどない。

我が家の家計状況を考えれば仕方のないことで、今後のためにも無駄遣いは出来なかった。

それでも何とかして買ってあげられないだろうかと考えたのには理由があった。

誕生日が近かったからだ。

欲しいものをリクエストしてもらおうと考えていた矢先のことだった。

それまでずっと我慢させてきたから何とかしてあげたいが。

ちょうど色んな出費がかさんで残金も心許ない状態で・・・。

積み立てていたものを使うのも、やはり躊躇してしまった。

今は本当に欲しがってるけど、数か月先には見向きもしなくなるんじゃないの?

置き場所はどうするの?

私は買えない理由を探した。

今までもそうやって自分たちを納得させて来たのだ。

一方ではせっかく夫と離れたのだから買ってあげたいなとも思った。


モラハラ虐待の後遺症

子どもも私も自分たちのために何かすることを極端に嫌った。

楽しいことがあった後には悪いことが起こる気がして。

誕生日という特別なイベントでも、私が子どものために精一杯お祝いしようと計画を立てても子どもの気が乗らなかった。

逆も同じだ。

子どもが私のために何かをしてくれると妙な罪悪感が残り、モヤモヤした。

あの誕生日の頃も例のごとくウダウダしながら結局何もせずに過ごすんだろうなと思っていた。

それくらい諦める癖がついてしまっていた私たち。

そんな状況を変えてくれたのは、またしても先輩だった。

ぬいぐるみも

「半分ずつ出そうよ」

と言ってくれて、置き場所の問題も

「万が一ここから引っ越しても、置く所が無ければ預かっておくよ」

と言ってくれた。

今度こそ理想通りの誕生日になるのではないかと期待が膨らんだ。

それまでは、こっそり期待しては裏切られる日々だったから。

何事も無くその日を迎えられるのだろうかという不安もあった。

でも、ちゃんと計画した通りになった。

子どもにとっては忘れられない誕生日になったことだろう。

大きなぬいぐるみにすっぽりと抱えられるように座った子どもは本当に幸せそうで、頬を赤くしながらはしゃいでいた。

就寝の時間になり「一緒に寝る」と言いながらそのまま抱えて寝室へ。

並んで寝ている姿を見たらぬいぐるみの方が大きかった!

しかも布団が浮いてしまって、風邪を引くのではないかと冷や冷やした。

夜中に何度か布団をかけ直してあげた時、ふと『幸せだなぁ』と思いながら子どもの頭を撫でた。

ピッタリとくっついて眠る子どもを見ているだけで心が満たされた。

2025年10月27日月曜日

「病院選びに失敗したのはお前のせい」と言う夫

何でも私のせい

はっきり言って夫の病院選びは上手くいっていない。

素人目に見ても選び方が悪いんじゃないかと感じる。

最初に体調不良がなかなか治らなくて『これは体というよりもメンタルなのでは?』と考え始めた頃は手探り状態だった。

どこの病院が良いかも分からず、ただひたすらリサーチする日々。

本来なら本人が探した方が納得の行く選択ができると思うのだが。

その頃の夫は具合が悪くて探すどころではなかった。

だから、私が代わりに探した。

普段から口コミを調べて候補を絞ることが多い。

その時も評判を調べ、4つまで候補を絞った。

最終的にその中から選んだ。

それを夫に伝えたところ、

「どういう病院?本当に腕は確かなの?」

などと質問され、

「評判は良いみたいだよ」

と答えたら、

「じゃあ予約取っといて」

と言われた。

また丸投げなんかい。

嫌だけど、断ると暴れるので仕方なく引き受けた。

ただ、その日は日曜日で予約を受け付けていなかったので、希望日時をメモして翌日かけることにした。

翌日は平日で仕事だ。

本当に会社の人たちには申し訳ないのだが、ほんの少し席を外して電話を掛けた。

そうしたら、新規の患者さんが予約できる日はだいぶ先だった。

あー、これを聞いたら夫がまた暴れるだろうな。

そう思ったけど言わないわけにもいかず、帰宅早々

「予約しばらく取れないみたい。〇月〇日あたりはどうかな」

と聞いたら、案の定激怒した。

これって私が怒られることではないと思う。

多分こうなるだろうと思ったから、一応電話で交渉したのだ。

でも、例外は認められないらしく、取り合えず後日かけ直すことを伝えて切った。

すぐに受け入れてくれなかったことにすっかりへそを曲げた夫。

結局その病院は、

「感じ悪い!もうそこは無しだ!」

ということになり、新たに探し始めた。


新たな候補を探すも、なかなか見つからず・・・

もう一度、病院探しをすることになった。

次に選んだのは、最初の所よりも少し遠い場所にあった。

でも評判も良いし、新規の患者さんを受け入れてくれそうな感じだった。

それで夫に、

「ここも評判良いよ。場所は(駅名)なんだけど」

と伝えたら、ふっと鼻で笑い、

「お前、馬鹿じゃねーの?そんな所行けねーわ!」

と怒鳴られた。

文句を言う時などは非常に声が大きく、元気に見える。

だから、本当に具合が悪いのだろうかと戸惑うことも多かった。

そんなに元気なら行く必要は無いんじゃないかと。

でも、勝手に止めてしまうと更に怒るので、ご機嫌を伺いながらあーでもない、こーでもないと行ってくれる病院を探した。

結局2つ目に提案した所は即却下され、3つ目を探すことに。

3つ目は最寄り駅の近くだが、情報が少ないので不安だった。

情報が少ないということは、通っている患者さんも少ないということだ。

それだと親身になって診てくれるか分からないから。

情報だけ伝えて、あとは夫の判断に任せようと思った。

それで、

「駅の近くにある病院なんだけど・・・」

と提案したら、あっさりそこに決まった。

多分近いというだけでOKしたんじゃないかとにらんでいる。

というのも、その病院の話しが出た時には間髪入れず、

「もうそこにするしか無いか」

と言ったからだ。

その後、予約を入れて最初の時だけ私も同行した。

そうしたら、珍しくお礼を言われた。

まあ、会社も休んでいるしね。

その次からはお義父さんやお義母さんが付き添い、しばらく通った。

順調だと思っていたのだが、夫はどうやら不満をためていたらしい。

ある日突然、お義父さんから

「もうちょっと合う病院を探せないの?」

と言われ、よくよく聞いてみると夫が医師に対して不信感を募らせているようだった。

ほどなくして通うことを止め、その時に言われたのが、

「お前のせいで時間を無駄にした」

ということだった。

結局、病院選びに失敗したのも全て私のせいになっていた。

2025年10月25日土曜日

「冬のコートが欲しい」と言ったら怒られた話

ぜいたくは敵だ?!

夫と一緒に暮らしている頃、

「冬用の暖かいコートが欲しい」

と言ってみたら、

「そんなの要らないでしょ」

と却下された。

その時に着ていたのは大学時代に購入した物。

だいぶくたびれていて、お世辞にも綺麗とは言えなかった。

しかも経年劣化で薄くなってしまっていたので非常に寒い。

あまりの寒さに耐えきれなくなって言ってみたのだが、案の定OKはもらえなかった。

「工夫すればいくらでもやり方があるだろ」

とか言うけれど、中に着るものを買うのだって反対するくせに。

手持ちの服を重ね着するにしても限界があった。

たった一枚、厚手のコートがあれば解決できるのに。

私が恨みがましく収納に並んだ夫のコートを眺めていたら、

「俺が自分で稼いだ金で買った」

とけん制してきた。

このけん制の仕方も意味が分からない。

私だって何も家計費から買わせて欲しいと言っているわけではない。

自分のお金から出すと言っているのに、それさえ許されなかった。

夫は普段あまり外に出ないくせに服をたくさん持っている。

コートも着きれないほどあり、様々な素材やカラー、形のものが揃っていた。

何で同じ家に居ながら私だけこんなにも我慢しなくちゃならないんだろう。

そんな風に感じて虚しくなっていたところに、

「稼ぎが違うだろ」

と言われてようやく理解した。

ああ、そうか。

稼ぎが悪いから買う資格が無いと言われているんだ。

日ごろから私の仕事をバカにしていたから、そういう意味も込められていたんだと思う。

でも、一生懸命働いてお金を稼いで、それでもコート一つ買ってはいけないなんて。

そんな生活のどこに幸せがあるのだろう。


寒さで頻繁に風邪を引き、そして怒られる

結局買わずに我慢して過ごしていたのだが。

寒さで免疫が低下したのか、よく風邪を引いた。

『風邪を引くと夫の機嫌が悪くなる』という話は巷でもよく聞く。

我が家も例外では無かった。

頻繁に風邪を引くようになり、具合の悪い時間が増えた。

こういう時、優しい言葉の一つでもかけてくれれば全く違った未来があったのかもしれない。

でも、うちではそれが怒られる原因になった。

鼻をかんでいると渋い顔でこちらを見てくるし、咳をすれば舌打ちされた。

私もできるだけ咳が出ないように我慢していたんだけど。

それでもふいに出てしまうことがある。

そうすると夫は舌打ちをしながら、

「何とかしろよ!」

と無茶なことを言った。

その時、『あぁ、私って道具なんだな』と実感した。

子どもが風邪を引いた時も同じだった。

狭い空間に体調不良の人がいるのが嫌なのか邪魔にされた。

そうやっていつも虐げられて、子どもと二人縮こまりながら生きてきた。

それが当たり前になっていたから、別居後の生活は新鮮で・・・。

だけど自由にし過ぎたら罰が当たるんじゃないかと不安になった。

2025年10月24日金曜日

ずっと疑問に思っていたこと

自己愛性パーソナリティ障害は治るのか

予約を取って、通院に付き添う。

それは『妻』である私の仕事であり、快く引き受けるべき。

そう思われていた節がある。

用事があり断った時などは全方位から非難された。

私だって自分の生活がかかっているのに・・・。

誰にも頼らずに子どもを育てていかなくちゃならないんだから仕事を優先したい時だってあった。

でも、何とか折り合いをつけながら付き添っていたのに、いつも病院に着いた途端に

「そこらへんで時間潰してて」

と言われ、追いやられた。

お役御免と言わんばかりに。

本当に自分勝手な人だ。

せめて待っている間に自分の用事を済ませてしまおうと買い物などをしていたのだが。

時間に少しでも遅れると酷く怒るので気が気ではなかった。

時計を気につつ忙しなく買い物を済ませて予定より早く病院へ。

そんな感じだったので、受診時の様子などは一切分からない。

終わった後、いつも夫は

「こんな所に来ても全然意味ねー」

とぼやいていたので満足してないんだろうな、とは感じていた。

それなら別の病院を探すなりすれば良いのに、文句を言いながらも通い続けた。

一度、他の病院を探した方が良いのではないかと言ってみた時には、

「だったらお前が探せよ!どうせろくな情報も無いくせに!」

と何故か怒鳴られた。

良かれと思ってやっても、こんなことを言われてしまうんだから。

誰だってやる気を無くすだろう。

結構長く受診していたので、そのうち治るんだろうと思っていた。

元々キツイ人だけど、病的に相手を責めるのが無くなれば大分マシだな、と。

でも全然変わらなくて。

ふと、自己愛性パーソナリティ障害って治せるの?と考えてしまった。

それで自分なりに調べてみた。

サイトなどを見てみたら治らないという見解が多く、良くて症状を緩和させる程度だとか。

それじゃあ、あの感じでずっと行くのか・・・。


彼らは周りの人たちを破壊する

夫のような人たちは自分のことばかり考えている。

周りを気遣うことなんて無いし、何かあればすぐに被害者面。

それに攻撃的で一度敵認定すればとことん追い詰めてくるから、それを避けるだけで一苦労。

更に自分を特別な存在だと思っているのか常に相手を見下している所もある。

基本的に他人を利用することもいとわないような人たちだ。

そんな彼らと一緒に居たら本当に疲れるし、自分という物が無くなる。

そして段々と合わせることばかり考えるようになる。

そんな生活が続いたある日、自分の判断力や思考力が恐ろしく低下していることに気づいた。

そして逃げられなくなってしまった。

まだ考える力が残されていても、心の方が壊れてしまう人も少なくないと思う。

ターゲットは従順な人が多いらしいが・・・。

自分が従順だったかどうかは分からない。

ただ、単純だったことだけは確かだ。

夫の言うことを100%信じていた。

少し年上だからというのもあったけど、私は自分をバカだと思っているので、そういう所も影響したのかも。

元々自信がないタイプは自分を取り戻すのがとても困難になる。

私もそうだった。

離れても夫の言うことが正解だったんじゃないかと迷うことが多かった。

訳の分からない心細さも抱えていた。

あんな人、近くに居ない方が幸せなのに。

世間から見捨てられたような気持ちになったことも・・・。

家族にも相談できなくて、もうどうしようもなくて。

先輩がいなかったら、きっとどちらにも進めなかった。

今も自信を取り戻すことはできていないが、『幸せだな』と感じる心を取り戻すことはできた。

もう、それだけで十分。

2025年10月23日木曜日

夫の病院に付き添うことに

義両親からの依頼

義両親が忙しくなり、友人たちにもそれぞれ自分の生活があった。

みんな夫ばかりに構っては居られないのだが・・・。

病院に一人で行こうとしないので困っていた。

表面上は『精一杯協力するつもりだよ』というスタンスでも、実際は違う。

誰かがやってくれるだろうと考え、率先して動く人も居ない。

まあ、それも仕方のないことだ。

あんな状態になった夫は本当に手がかかった。

時折友人にも我が儘を言っていた。

私たちはその何百倍もの仕打ちを受けてきたんだけど。

もうこの際そんなのはどうだって良いから誰か何とかしてくれ!と思った。

誰かが動かなければ、その役目は絶対に私にまわってきてしまう。

サポートなんてしたくなくて、できるだけ距離を取った。

でも、放っておいてはくれないのよね・・・。

義両親からこまめに連絡が来て、そのたびに

「本当に申し訳ないんだけど(夫)のことお願いね」

と言われた。

しらばっくれて、

「具体的には何をすれば・・・?」

と聞いてみたら、案の定

「一番困っているのは通院みたいだから、とりあえず病院のことはお願い」

と頼まれた。

やっぱりそう来たか。

私だって鬼ではないから、本人が暴言も吐かず『申し訳ないね』という態度ならやってあげても良いと思っていた。

でも、夫は私には非常に手厳しいので、ちょっとのミスも許さない。

ボランティアのように尽くしているのに、それに対して文句を言うなんて。

そんな態度に嫌気がさして何もしたく無くなったのだが、義両親からは

「大目に見てあげて」

と言われてしまい、仕方なく承諾した。


予約の丸投げも当たり前の夫

その頃、私の仕事も忙しかった。

子どもの送り迎えもあるし、家のこともある。

お世話になっている先輩に少しでも楽をしてもらおうと、家事も率先してやっていた。

その時思ったのが、相手が違うとこんなにも感じ方が違うのか!ということだった。

先輩のためにせっせと家のことをするのは全然苦じゃなかった。

むしろ、反応が返ってくるのが嬉しかった。

夫は何をしても『当たり前』で無反応だったから。

何か言ってくるのは失敗やミスを指摘する時だけ。

そういう仕打ちをしておきながら、頼み事をする時だけこちらに来ることに憤りを覚えた。

でも、渋々とは言え義両親に『分かりました』と言ってしまった手前、やらないわけにもいかない。

それで夫に連絡を入れたら、診察券番号と予約希望日時が送られてきた。

・・・えっ?

私が取るの?

とりあえず聞いてみようと思ったが、当たり前のことを聞くと怒る人なので躊躇した。

その情報が来たら予約に決まってるだろ!とか切れそうな気がして。

それで、『分かりました。その日時で予約を取ってみます』と送ったらスルー。

この場合のスルーは合っているということだ。

間違っていたらすぐに指摘を受けるはずだから。

結局このやり取りも数か月ほど続いた。

もちろん夫から感謝なんてされない。

周りも『当然』という雰囲気で、サポートを期待されていることは明らかだった。

その頃は離婚の交渉もほぼできなかった。

2025年10月22日水曜日

夫が働いていた頃の児童手当の行方

元々は共働きだった我が家

子どもが産まれてから数年は夫も働いていた。

その頃の印象は、ちょっとキツイ所もあるけど優秀で頼れる人。

ただ、家庭内でも非常に厳しかった。

まるで上司と部下のように・・・。

何かあればすぐに厳しく叱責され、涙をこぼしたことも一度や二度ではない。

それでも一緒に居たのは『私のことを思って言ってくれているのだ』と考えたから。

子どもが産まれても、そういう夫の姿勢は変わらなかった。

まだ赤ちゃんの子どもの前で私をなじり、物を投げつけられたことも。

段々と感覚がマヒしていったので、それに対してどうこう思うことも無かった。

問題だったのは、私に対する暴言や脅しではない。

自分だけなら我慢できたのだが、子どもへの虐待は許すことができなかった。

しかも、周りにはイクメンぶって『良いパパ』を演じていて・・・。

そういう狡さのある人だった。

その頃、夫は高給取りで手取りは私の3倍弱。

そのくせ家計負担はきっちり折半で、大分余裕があったと思う。

でも、それ以上を負担してくれることはなく、たまに私がスタバのドリンクを買ったりすると、

「お前だけ良いな~」

なんて言われたりした。

あんなに貰ってるんだから自分で買いなよ、と思ったけど言うと怒るから、

「今○○の味のが出てるよ」

なんて話を逸らしたりした。

生活費を出した後でもかなり余ってたはずの給与は、恐らく夫の貯蓄に回されていた。

それは構わないのだが、児童手当の行方がとても気になっていた。

私は将来のために積み立てて欲しいとお願いしたのだが、

「使い道なんて受け取った側の自由だろ」

と言われてしまい、何も言えなかった。


夫の言い分

児童手当を積み立てず自分で使ってしまっていた夫の言い分はこうだ。

「俺は(子ども)の生活費を出してる。それでチャラだ」

こういう所一つとっても、根本的に合わないのだと実感する。

生活費なんて出すのは当たり前だ。

相手は赤ちゃんなんだから。

自分で稼げるはずもなければ、お金があったとしても使うこともできない。

そもそも、将来のために貯めておいてあげたいとは微塵も考えないのだろうか、と内心憤った。

当時、日々の生活に困っていたということも無い。

余裕があって自分の好きなものを頻繁に買っていた。

だから、児童手当を全部使ってしまうのは納得がいかなかった。

それとなく夫に、

「児童手当は子どもへのものだから残しておいた方が良いんじゃないの?」

と伝えたら、

「じゃあ、その分お前が生活費を出せ!」

と怒鳴られた。

毎月のように買っている服や靴を少し控えれば問題無いはずなのに、常に自分優先だった夫。

更に言えば、『子どもの貯金も俺のもの』と思っていた節があり・・・。

しばしばそれを匂わせる発言をしていた。

子どもの貯金は出産時や誕生日などに親や親せきから頂いたものだ。

お祝い事のたびに頂くので、有難く貯金しておいた。

その大事なお金まで夫のものにされてしまったら堪らない!と思い、その通帳は私が管理することにした。

まあ、それも結構ごねられたんだけど。

折れずに言い続けて、やっと管理させてもらえることになった。

その時の言い草も酷いものだった。

「子どものお金を使いこむんじゃないぞ」

そんなこと言われなくても分かっている。

あなたに散財されないように引き取ったんだから。

夫は自分のお金は大事にするが、人のお金はどんどん使うジャイアンのような人だった。

2025年10月21日火曜日

店員さんの機転で無事脱出!

夫が先に帰るのを待つべきか・・・

店員さんのお陰で連れて行かれずに済んだ。

だけど、この後どうしようか。

私は少しの間、夫の出方を窺がった。

恐らくだが、少しでも警戒されていると感じ取っていれば大人しく引き下がるはずだ。

周りの目を気にする人だもの、極端なことは起こらないはず。

そう思って待ってみたが、夫はなかなか動かなかった。

向こうは向こうで私の出方を窺がっていたのかもしれない。

このままでは埒が明かないと思い、

「少し体調が回復してから出るから(夫)は先に帰ったら」

と言ってみたのだが、

「う~ん、まあ」

と言ったきり、黙り込んでしまった。

うーん、困ったぞ。

まさか先に出るわけにもいかないし、と悩んでいたら、先ほどの店員さんが再度声を掛けてくれた。

「もう上がるので、近くの病院にご案内しましょうか?」

そう言われ、思わず夫の顔色を確認した。

こういう時、何かに気づいていたら顔に出る人だから。

でも、この時は表情からは読み取れなかった。

私に残された選択肢はそう多くは無い。

提案に乗ってお店の外に出るか、それとも夫が出るのを待つか、だけだ。

夫のことを待つ場合、半ば心理戦のような状態になって身動きが取れなくなるだろう。

一瞬迷ったが、既に精神的にも大分消耗してしまっていたため、これ以上は無理だと判断した。

それで、大人しく店員さんの提案に乗ることにした。

「すいません。お願いします」

と言いながら立ち上がり、夫に『じゃあね』と手で挨拶すると、夫は軽く頷いて携帯に目を落とした。

それにしても長かった。

この時は30分ほどしか話してなかったのだが、恐ろしく長く感じた。


無事に帰宅

あの時、店員さんが自分と同じくらい大柄な人だったから大人しかったのかも。

もし気弱そうな人だったら同じ結果にはならなかっただろうし、そもそもあの修羅場で声なんて掛けてくれないだろうな。

そう考えたら、本当にギリギリの状況だったのだと実感した。

お店を出た後、私は店員さんに、

「ありがとうございました。本当に助かりました」

とお礼を伝えたのだが、

「ご事情は分かりませんが、一対一で会うのは危険なのでは?」

と言われてしまった。

確かにそうだ。

周りに人が居るから大丈夫だなんて、私の勝手な思い込みだ。

運良く助けてもらえたから良かったけど。

あのまま延々と帰れなかったら、と考えたらゾッとした。

夫が追ってこないとも限らないので、駅までの道のりは走った。

後ろを気にしながら走り、あっという間に到着した。

ちょうど電車が到着したので、それに乗り込み無事に帰宅。

それにしても、スイッチの入った夫はやはり恐ろしかった。

だけど、交渉を止めてしまったら離婚も遠ざかってしまうから。

私も必死だった。

これが普通の人だったら弁護士にでも依頼して何とでもなる。

夫の場合は『恨みを買わずに離婚する』というのがマストだったので・・・。

地道に説得するしか無かった。

2025年10月20日月曜日

「子どもに会いたい」と言われても・・・

夫の要望

あの日、夫は「子どもに会いたい」と繰り返し言った。

これまでのことがあるから、どうしても穿った見方しかできなくて。

『分かった』と言えなかった。

自分が苦しい時だけ子どもに縋ろうとするなんて。

そんなの虫が良すぎる。

だけど徹底的に突き放すこともできなくて、

「ごめん」

と謝った。

正直、私には理解できない。

あれほどまでに苛め抜いた子どもに会いたいだなんて。

大事に思っているのなら、なぜもっと優しくしてあげなかったの?

また都合良く私たちを使おうとしているのだと感じてしまい、

「(夫)は(子ども)ちゃんに愛情なんて無いでしょう」

と言ってしまった。

弱っている相手にそんなことを言うのは酷だろうか。

でも、言わずにはいられなかった。

あの辛い日々の中で、子どもがどれほど苦しんだか。

人の気持ちが分からない夫にも想像して欲しかった。

実はあの日、夫から

「(子ども)を連れて来て」

と頼まれたのだが、断っていた。

「風邪をひいてるから」

と伝えたのだが、なかなか納得してくれず。

「一昨日までは熱があったんだよ」

と言ってみても、

「もう下がってるんでしょ?」

と言われてしまった。

それで、ため息をつきながら

「もうちょっと気遣ってくれても良いんじゃないの?」

と非難したら、夫の雰囲気が瞬時に変わったのが分かった。

それまでの弱々しい表情から一変し、まるで鬼の形相。

マズい!と思ったけど、もう遅かった。


豹変した夫

「お前、覚えとけよ!」

と低い声でつぶやいた夫は、先ほどまでとはまるで別人だった。

スイッチが入ってしまったのだ。

注意深く見ていれば、その瞬間に目つきが変わるのですぐに分かる。

その時も察知して何とか状況を変えようとしたが、すでに手遅れだった。

私を睨むその目は据わり、今にも怒鳴り出しそうな様子。

楽しそうに話す人々の中でポツンと私たちだけ別の空間に居るみたいに感じた。

そこには見えない壁があって、助けを求めても誰の耳にも届かない。

大勢の人が居るからと、私も気が大きくなっていたところはある。

ここでなら多少言いたいことを言っても大丈夫だろう、と。

確かに周りの目を気にする人だから、その場では大きな騒ぎは起こさなかった。

その代わり・・・。

『外に出ろ』という仕草で促され、一気に緊張感が走った。

どうしよう・・・。

このままでは、きっと人目のつかない場所に連れて行かれてしまう・・・。

身の危険を感じた私は、咄嗟に誰かに電話しなければと携帯を取り出した。

でも、焦っているから上手く押せない。

その間も夫がプレッシャーをかけてきて、余計に手が震えた。

異変を察知したのは店員さんだった。

震える手で電話を掛けようとしていたら落としてしまい、拾おうとしている所に声を掛けられた。

「お客様、大丈夫ですか?」

と言われ、顔を上げると夫と同じくらいの大柄な男性店員が立っていた。

だけど『夫に連れ去られそうで怖い』などと言えるはずもなく、黙り込んでいると

「体調が優れないご様子ですが」

と言ってくれたので、

「そうなんです。この辺りに病院はありますか?」

と返事をすることができた。

その方のお陰で、外に連れ出されるのは何とか回避できた。

あとは、どうやってこの場から逃げるか、ということだけだった。

2025年10月18日土曜日

久々の夫は少し痩せて無口だった

夕方のカフェで待ち合わせ

あの日、仕事帰りに夫と待ち合わせをした。

子どもが軽い風邪で休んでいてお迎えの必要が無かったから。

あまり時間を気にすることなく話せた。

待ち合わせ場所に到着すると、外側から見える位置に座って居た夫。

遠目から見ても痩せているのが分かった。

改めて弱っていることを実感し、言葉が無かった。

やっぱり精神的に参っているんだ・・・。

私にもその責任の一端がある。

離れてからずっと寂しがっていた。

でも気づかないフリをして、『自分の責任でしょう?』という態度を貫いた。

その方が罪悪感も無いし、迷いが生じることも無い。

でも、あの姿を目の当たりにしたら、もう『私には関係ない』とは言えなかった。

まだ話す前から心がズシンと重くなってしまった私は、目を伏せながら向かい側に座った。

いつもなら嫌味の一つでも飛んでくる所だが、夫も無言。

気まずいというのもあったが。

それ以上に、お互いに距離を感じていたんだと思う。

まだ婚姻関係にあるとは言え、何だか遠い存在のように思えた。

精神的にも開放されたいと願い、それに向かって突き進んできたけど。

でも、いざそういう状況になってみたら自分でも驚くほどの喪失感があった。

独りぼっちで取り残されてしまうような。

これまでの生活が全て無くなってしまうような。

そんな不思議な感覚。

それでも私には子どもが居るけど夫には居ないから。

より寂しい思いをしているのだと考えたら、かける言葉が無かった。

こういう時、もっと強く出られたら良かったのに。

どうしても『可哀そう』という気持ちが消えなくて、夫の今後を心配した。


友人に嘘をついて会いに来ていた

あの頃、夫の友人たちは私を目の敵にしていた。

何かあれば怒鳴りこんできそうな勢いだった。

と言っても、私の所在地を把握していなかったので実際に来ることは無かったのだが・・・。

そんな状況だから、夫も気を使って『買い物に行く』と言って出かけてきたようだった。

でないと、きっと誰かが着いてきてしまう。

それより前は、義両親から時々連絡が入っていた。

近況を聞き、こちらからも少しだけ子どものことを話したりして。

お義父さんが再就職してからはそういうことも無くなり、お義母さんからも避けられている感じで連絡手段を失った。

だから、その日は久々の会話で少し緊張した。

「体は大丈夫なの?」

と聞いてみたのだが、しばらく無言。

その後ポツリと、

「いや~、間違えちゃってさ」

とだけ言った。

間違えるって何を?

そんなわけないよね?

薬を大量に飲んでおいて、『間違えました』なんて言われても信じられるはずがない。

だけど夫はそれを強調するように、

「寝ぼけてたんだよ」

と言った。

話しながら、私はあの日のことを想像した。

少し前まで家族と過ごした部屋に一人きり。

家族は出て行って、『もう戻らない』と言っている。

内心、仕事のことも不安だっただろう。

それで何もかもが嫌になってしまったのではないだろうか。

将来を悲観して薬を飲んでしまったが、一方で『生きたい』とも思った。

そのほんの少しの違いに、夫は生かされているのだと気づいた。

少しでも前を向いて進んで欲しい。

そんな思いで、

「体は大事にしなくちゃダメだよ」

と伝えた。

そうしたら、夫は黙って涙を流した。

この人は強くて怖いけれど、本当は誰よりも弱いのかもしれない。

2025年10月17日金曜日

義兄の抵抗

動きそうにない義兄

夫があんなことをしたのは自分を憐れんだからだと思う。

理想とはあまりにもかけ離れていて・・・。

それでもまだ義両親がそばに居る間は落ち着いていた。

それが、お義父さんも再び家族を養うために働かなければならなくなって。

部屋に一人取り残された夫は寂しさを募らせていった。

元々は自分で蒔いた種なんだけど、やっぱりお義父さんたちは心配するよね。

だって自分の子どもだもん。

それで、何とか義実家に戻せないかと考えたようだが無理だった。

お義兄さんの強い抵抗にあったためだ。

不憫な弟に同情して何らかの譲歩をするかと思われたが、お義兄さんも頑なだった。

不要な物を片付けてスペースを作るとか。

援助を受けながら近くのアパートに住むとか。

色々方法はあっただろうに、検討することさえしなかった。

それどころか、敵対心むき出しで聞く耳を持たなかった。

困ったお義父さんは私たちに、

「一時的で良いから戻ってきてくれないか」

と言ってきたんだけど。

そんなに簡単に戻れるくらいなら、初めから家を出るなどという選択はしない。

戻ったらどんなことが待っているか十分分かっているはずなのに、

「今度は上手くいくから」

と自信たっぷりに言った。

全く根拠の無い自信だ。

その頃、お義兄さんが仕事をしていたのかどうか思い出せない。

休職中だった気もするし、辞めていた気もする。

とにかく元気いっぱいという感じでもなくて、それも悩みの種だった。

元気だったら、『こういう時くらい協力してよ』と言えるのに。

そのタイミングでは酷なような気がして。

誰も強く言うことができず、身動きが取れなくなった。


『義実家に帰れない問』がこちらにも飛び火

嫌な予感はしていたのだ。

皆はっきりとは言わないけど、『元々は離婚問題からこうなったんでしょ?』みたいな空気が流れていたから。

直接的な原因になったとは思わないが、多少なりとも影響したことは否めない。

だから私も強くは言えなくて、

「何とか方法を見つけるしかありませんね」

と言うのが精一杯だった。

協力します、なんて口が裂けても言えない。

全くその気がないのだから。

困っていたら、夫の友人たちが見るに見かねてせっせと世話をし始めた。

結果的に一人時間はほとんど無かったように思う。

それで安心していたのだが、問題もあった。

元々私のことを快く思っていなかった人たちの間で更に印象が悪くなってしまった。

そして、離婚問題にも口を出し始めた。

たびたび話し合いに同席していたNが何か言ってくれるかと期待したが・・・。

あの強い面々の中では空気だった(笑)

いつしか彼らの中での私は『ヤバい奴』になり、モンスターのような扱いに。

一方的に子どもを奪われた体の夫は『可哀そうな俺』ポジションをゲットした。


2025年10月16日木曜日

将来の年金を心配する夫

子どもの世話になる気満々

一緒に居た頃、夫はよく年金の話をしていた。

高齢化が進み子どもも減っているから、自分たちの頃はろくにもらえないんじゃないか、と。

その時、夫は既に無職だった。

第三号として私の扶養に入り、自分では特に納めているわけでもなく。

懐は痛めていないのに、損をするような気持ちになるようだった。

確かに年金問題は気になる。

せっせと納めていても将来どうなるかなんて分からない。

だからそれぞれで貯金したり個人年金をかけたりするんだろうけど。

我が家には余裕が無かったので、そういった準備もできなかった。

そのことを、

「もっと上手くやらねーと大変なことになるぞ」

と夫に脅されて、暗い気持ちになった。

なんで偉そうにそんなことを言うのかな。

こっちだって必死なんだよ、と思ったけど言えるはずもなく・・・。

「ホントだねー。ちょっと考えなきゃだねー」

などと曖昧な返事をした。

そうしたら、

「ふんわりと考えているだけじゃダメだ。今具体的にどうするのか案を出せ!」

と迫ってきて、特に何も考えていなかった私は黙り込んだ。

実際問題、できることは限られている。

私だって本当はもっと色んな準備をしたいけれど、状況がそれを許さなかった。

こんな不毛は話はやめようと思い、

「そんなのすぐには決められないよ」

とこの話を終えようとしたら、

「まあ、うちには(子ども)が居るからな。安泰だな」

と言い始め、嫌がる子どもの手を握りしめて

「将来よろしくな」

としつこい位に言っていた。

実はその直前、夫が子どもを叩いてひと悶着あったばかり。

それなのにまた都合良く子どもを頼って・・・。

夫が離れたすきに子どもに

「さっきの気にしなくて良いんだからね」

と伝えたが、まだ保育園児だったので、そもそもその内容が分かっていたのか居なかったのか・・・。

とにかくそういう人だったので全て自分の都合だけで物事を進めようとしていた。

今思えば私たちは道具でしか無かったのだ。

自分が安心して暮らしていくための道具。

だから意思を持たない方が都合が良かったのだろう。


夫が気持ち悪い

このブログでも再三にわたり夫の異常さを訴えてきたが・・・。

勝手に脳内で作り上げられていくストーリーは本当に驚愕ものだ。

それらには常に一貫してところがあり、『自分のために周りは働け』と考えている節がある。

もちろん私にもそれを求め、子どもにも要求してくる。

そんなバカな話あるか!と思うが、本人は至って大真面目だ。

驚いたのは、年金を分割請求するつもりだということ。

結婚していたのは10年くらいだったのだが、そんな短い期間でもできるのだろうか。

その間、夫が働いていたのが3年くらいかな。

それ以外は私の扶養に入っていたとすると7年くらいになる。

ただでさえ多いとは言えない年金が更に減らされてしまうなんて。

そんなの辛すぎる。

逆に私は夫の扶養に入ったことは無い。

また一方的なご奉仕だよ。

図々し過ぎて言葉も無いが、時々

「お前には苦労をかけたな」

なんて言ってくるのも気持ち悪い。

労うフリをして自分の思い通りにしようとしているのが見え見えだ。

もし今、モラハラな側面に気づいて結婚を迷っている人が居たら・・・。

もう一度立ち止まってよく考えて欲しい。

彼らは他人の人生を狂わせ、とことんまで追いつめてくるのだから。

そこに幸せな結末はない。

2025年10月15日水曜日

モラハラ夫と一緒に居ることで狂った私の感覚

物を投げられるのも暴力だったなんて・・・

『しつけ』とかざし、殴られたり蹴られたりしていた子ども。

まだ体も小さくて抵抗できないのをいいことに、夫のやりたい放題だった。

こういう話が出てくると『お母さんは何してたの?』と言われるが。

ただ黙って手をこまねいていたわけではない。

大事な子どもがやられているのを見たら居ても経っても居られなくなり、後先考えず止めに入った。

振り上げられた拳を自ら受け止めるべく、子どもに覆いかぶさったことも。

何故かその瞬間夫の動きは止まり、私が本格的に殴られることは無かった。

あまりにも勢いがつきすぎて当たってしまったことならある。

何というか、本格的に殴られたわけじゃないのでもらい事故みたいな気持ちだった。

止めようとしたけど当たっちゃった、みたいな感じ?

それで、私はいつも誰かに聞かれると、

「暴力を受けてたのは子どもだけ。私は受けたこと無いんだ」

と言っていた。

自分の中では、それは暴力には当たらないと思ったのだ。

でも間違いだった。

私に対するアレコレもアウトな事案なのだと知った。

壁に強く押し付けられたり、肩や手首を握られて自由を奪われたり。

物を投げつけられたりもした。

それらは全部暴力に当たるのだそうだ。

それを考えたら、我が家は色んなものが飛び交っていた。

いつだったか、コップが飛んできた時には慌てた。

陶器の重いコップだったから、当たったら大変だと思って伏せた。

それが気に入らなかったのか、夫は舌打ちをしながら拾った後に高く振り上げた。

そのまま打ち付けられて粉々になった思い出のマグカップ。

それを見た時、私の心も粉々に砕け散った。

この人は、私が悲しくなるようなことをわざとしているのではないかと思った。

すぐ傍には怯え切った表情で固まっている子どもがいて。

このままでは危険だと判断した私は、小さな肩を抱えながら外に出た。


今でも大きな音や声が苦手

あの暴力は『私たちに分からせる』という目的で行われていた。

密室での出来事であり、それを証明する術はない。

頭のキレる夫がへまをするようなことは無いので、全て計算の内なのだと思う。

逃げ場のない家というプライベートなスペースがもっとも危険だなんて。

そんなこと、誰が想像できるだろうか。

私だって、自分がこんな目に合わなければそういう人の存在を想像することすらできなかった。

でも、実際に経験してみて『あれは簡単には逃げられない』ということがはっきり分かった。

相手は逃げられないように用意周到に準備をしているんだから。

成す術もなく追い詰められてしまう人がほとんどだと思う。

時間が経てば体の傷は治るけど、心の傷は長い間癒えることはない。

今でも大きな音や大声がとても苦手だ。

ふいに耳に入ってくると体がビクンとして身構えてしまう。

関係のないことでも同じ。

反射的に怯え、心臓がドクンドクンと音を立る。

今この場に夫は居ないのに。

それを頭では理解していても、あの恐怖が骨の髄までしみ込んでいるみたい。

過去の恐ろしいシーンを思い出すきっかけは色々あって。

外で旦那さんに怒られている人を見たり、子どもが怒鳴られている所に出くわしたり。

誰かに叫んでいる人を見るだけでも平静では居られなくなる。

駅のホームの向こう側で小学生くらいの男の子がお父さんらしき人から怒鳴られているのを見た時は心臓がギュッとなった。

その光景が過去の自分たちと重なって見えた。

2025年10月14日火曜日

無職癖がついてしまった夫の言い分

自分を正当化し、何かあれば全部周りのせい

長いブランクを経てようやく就職した夫が職を手放したのは体調が悪化したからではない。

周囲のせいで辞めざるを得なくなったのだそうだ。

「周りに足を引っ張られる」

なんて言っていたけど、実際のところはどうだったのか。

この時も自分に非はないことを強調していた。

夫の頭の中では、自分は常に優秀で周りに一目置かれる存在だ。

それに酔っているところがあった。

最初は『そうなんだ~、すごいんだな』なんて思ってたんだけど。

それならば何故仕事が続かないのかと不思議だった。

夫の言い分を信じてしまった私も馬鹿だが、それには理由がある。

友人たちも同じように評価していたからだ。

表現方法は違っても、『能力が高いから人の何倍も仕事をこなす』という点に変わりは無かった。

それを聞いたら、よほど優秀な人なのだと勘違いしてしまった。

別居後、再就職した時にも勘違いが更に加速してしまった。

仕事ができるからブランクがあっても受け入れてもらえたのだと。

頑張って変わろうとしてくれていることは私も内心は嬉しかったし、正直期待した。

段々と雲行きが怪しくなってきたのは仕事にも少し慣れてきた頃だ。

自分で思っているのと周りからの評価があまりにも乖離していて、どうしても受け入れられなかった。

周りは見る目が無い。

正当な評価を受けられないのが許せない、と。

自分よりも年下の人がリーダー的ポジションに居たことも癪に障ったみたい。

俺様が年下に使われるなんて。

そんなことあっていいはずがない。

そう思った夫は、何を勘違いしたのかその人につらく当たった。

そして社内でも問題になり居辛くなってしまった、というのが真相のようだった。


他人に厳しく、自分に甘い

私が仕事を探している時、夫から投げかけられた言葉は

「本気で探してるの?」とか「生活どうするの?」

だった。

何もさぼっていたわけではない。

一日おきにハローワークに通い、ネットの情報も漁った。

少しでも可能性があれば応募し、声がかかればすぐに対応した。

それでも足りなかったみたい。

決まらないということは本気で動いていないということ。

そんな風に厳しく詰め寄られ、再就職が決まるまでは針のむしろだった。

一緒だと嫌味を言われるから家に居るのも苦痛で。

能力がないと責められたってどうしようもなくて。

義両親が来る時だけはほんの少しホッとできたなぁ。

今でいうフキハラというやつなんだと思う。

あまりにも辛くて涙をこぼしたら、更に機嫌が悪くなって

「いい加減にしろよ!こっちの方がストレスだわ!」

と吐き捨てるように言われた。

本当にトラウマになるくらいの日々だったが、決まった途端にコロッと態度が変わり、

「いや~、良かったな。一時はどうなるかと思ったけど、頑張ったもんな」

などとねぎらいの言葉をかけられ、その豹変ぶりにも困惑した。

結局、自分に火の粉が掛かるのが嫌なだけなのだ。

私の仕事が決まらなければ、自分の生活にも影響が出るから。

結婚する時、

「一人の稼ぎじゃ不安だから、絶対に仕事を辞めないように」

という約束をしたのを覚えているのだろうか。

それを守らされたのは私だけで、夫は気にもしていなかった。

それを出したところで、機嫌が悪くなればこちらが窮屈になるだけだから。

私は気づかないフリをして淡々とやり過ごした。

2025年10月12日日曜日

誕生日でさえ楽しくお祝いできない

イベントごとは辛いことが多かった

子どもの誕生日は私にとって特別な日だ。

こんな私のところに生まれてきてくれて色んな思い出をくれた。

それだけで幸せだなぁとしみじみ思う。

でも、夫は違ったみたい。

いつも誕生日の計画はスムーズにはいかなかった。

せっかく計画を立てても必ず水を差すようなことをされるから、常に警戒した。

最初は良いのだ。

「そろそろお誕生日だね。今年はどうしようか」

という話が出ると、乗り気な様子で

「プレゼントを早めに用意した方が良いよな」

などと言ってくるのだから。

そんな姿を見るたびに『今年は大丈夫そう』と安堵したものだ。

だけど、計画が進んできて具体的なことを決める段階になると必ず荒れ始めた。

ちょっとしたことで子どもを𠮟りつけ、しつけとかざして虐待をする。

そして最終的には、

「そんなんじゃもう誕生日なんて祝わなくて良い!」

と言い始めて、家の中には殺伐とした空気が流れた。

どうしていつもこうなっちゃうんだろう。

家の中が荒れるたびに戸惑い、悩んだ。

どうでも良いことで怒り始めた夫の機嫌を回復させる術を私たちは知らなかった。

というよりも、たぶん夫は怒りたかっただけなのだ。

『俺がこんなに怒っているのに浮かれやがって』

そんな態度で私たちを罵倒した。

夫の嫌なところは、最初の頃には機嫌良く計画を立てて希望を持たせることだ。

そんな態度を見たら期待してしまう。

そこから徐々に機嫌が悪くなるのではなくて、ある日ドカーンと大きな爆弾が落とされ、そのたびに私たちは絶望した。

一度期待してしまった後、急に状況が変わるから。

その落差は大きかった。

その分落ち込みも激しくて、子どもはいつも悲しい思いをした。

今考えると、そうやって喜ばせた後に希望を絶つというのを楽しんでいたのかな、と思う。

そんな冷酷な一面を持つ人物を父親に持ってしまった子どもは、離れるまでイベントごとが大嫌いだった。


ケーキもキャンセルさせられた誕生日

ある年の子どもの誕生日では、せっかく予約したケーキをキャンセルさせられた。

雰囲気からしてプレゼントは無理だろうと思っていたのだが・・・。

いつも直前におかしなことになるからとケーキの予約は早めに済ませた。

いくら何でも予約してしまえば認めざるを得ないかと思って。

でも、一週間前くらいに急に大爆発して、

「もうケーキなんて用意しなくて良い!!!!!」

と言われてしまい、

「キャンセルしろ」

と命令された。

「もうキャンセルできない」

としらを切り通そうとしたが、夫は5日前までならキャンセルできることを知っていた。

つまり、まだ間に合うことを知っていて、わざわざそのタイミングで言ってきたということだ。

直前まで期待させて、ギリギリで突き落とす。

そういうところに本当にサイコパス味を感じた。

あんなことをされれば子どもがどれほど傷つくか分かっているくせに。

あえてそう言う風に仕向けているとしか思えなかった。

そこからはもう地獄だ。

可哀そうに、子どもは誕生日当日まで、

「お前が悪いからこういうことになった」

とずっとなじられ続けた。

今でも子どもはイベントごとに対して前向きではない。

以前ほどの拒絶感は無いけれど、嫌な思い出が蘇るようだ。

そんな悪夢のような日々の記憶を消したくて、毎回全力で楽しませようと奮闘している。

2025年10月11日土曜日

はた迷惑な夫と愉快な仲間たち

仲間内の結束力が強すぎる

夫と友人たちの間には妙な結束力があった。

誰かが困っている時には総出で動く。

それが何だか怖かった。

夫があんなことになり、きっと黙って居ないだろうと思ったら案の定。

会社で待ち伏せされたり、電話が来たり。

かと思えば、小学校へのお迎え時にばったり出くわしたこともあった。

申し訳ないのだが、私は彼らの全員を記憶しているわけではない。

その時も気づかずに通り過ぎようとしたら、

「えっ、ちょっと?!」

と慌てたように呼び止められた。

実は人の顔を覚えるのが非常に苦手なので、印象の薄い人は数回会ったくらいでは判別がつかない。

その人もどちらかと言えば印象が薄い方だったので、全く気付かなかった。

呼び止められて驚いて振り返ると、

「(私)ちゃん、元気?」

と親し気に話しかけられて、それでようやく気付いた。

話し方と声に特徴のある人だから、話し声を聞いてすぐに分かった。

ただ、小学校のすぐ傍という絶対に通らないであろう場所に出没したことにはビックリした。

『何でこんなところに・・・?』と考えたが、すぐにピンと来てしまった。

きっと夫に頼まれたのだろう。

恐らく私たちが通るのを待っていて、声を掛けて家に連れて行く予定だったのだ。

でも、私があっさり断ったので不満そうな声で、

「ちょっと顔を見せに行くだけなら時間かからないよ」

としつこく言ってきた。

何度も断っているのに強引に連れて行こうとするから、警戒した子どもが

「家に帰る!」

と大きな声でけん制。

そうしたら、言葉尻をとらえて

「家に帰るんだよね?(子ども)ちゃんの家はあそこでしょ?」

と夫の居座る家の方を指さした。

子どもはブンブンと首を横に振り、

「違うよ。電車に乗るんだよ」

と言いながら私の後ろに隠れた。


相手にしなくてもついてくるから厄介

ああいう人たちって、どう対処するのが良いのだろう。

『私たちに構わないで』と言ったって、『はい、分かりました』と引き下がるような相手ではない。

そうすると強行突破するしか無いのだが。

無視して駅の方に向かって歩いていても、後ろからピッタリとついてきた。

本当に厄介だ。

夫からすれば、一を言えば十を理解してくれる頼もしい仲間に違いない。

だけど、私にとっては非常に面倒で厄介だった。

結局、駅についてもまだ居たので、本当に困ってしまって、

「もう止めてください!」

と言ったら、長い長いため息をつきながら、

「アイツの気持ち、考えたことあるの?」

と逆に怒られてしまった。

考えたことがあるというか、家を出るまでずっとそればかりだった。

夫の気持ちをくんで行動しないと間違えしまうから。

間違えたらどんなことが起きるかと考えただけでゾッとした。

でも仲間内では私が悪者にされていたので、ただの我が儘な奥さんだと思われていたみたい。

別に彼らにどう思われようが構わないけど、友だちに頼んで色々してもらうのは卑怯に感じた。

このままでは、また以前のような連れ去りが起こらないとも限らない。

警戒した私は、子どもに絶対に一人で帰らないようにと注意した。

それにしても、まさかテレワークがこんな風に活用されるなんて。

夫の周りはけっこう同じ仕事の人が多くて、比較的自由だった。

『ちょっと近所まで行ってくる』なんてこともよくあり、我が家に頻繁に来られる理由もそこにあった。

仲間が動いている間は夫が静かで、それだけは良かったんだけど。

一人で大勢と闘っているようで物凄く心細かった。

2025年10月10日金曜日

「子どもに会わせる」という言質を取りたい夫の友人

自分たちが正しいと信じて疑わない人たち

仕事帰りに夫の友人の奥さんとその友達につかまった私。

喫茶店で話をすることになった。

仕方なく応じたが、そうそう時間は取れない。

リミットも決まっていたので、時計を気にしながら話した。

彼女たちの言い分では、『子どもに会わせないのが非常識』なのだそうだ。

たとえ過去に何かあっても全て水に流して会いに行かせるのが【普通】だと言われた。

でも、彼女たちの言う【普通】は私にとっての普通ではない。

さすが夫の友人だなぁと思いながら聞いていた。

終始強い口調で話すものだから意見を言えるような雰囲気でもなくて。

ただひたすら責められていた。

冷静に考えてみたら、二人から同時にやいのやいの言われているんだから反論できるはずがない。

何か言おうものなら何倍にもなって返って来そうで身構えてしまった。

あれを『正義』と呼ぶのなら、私はそんな正義は要らないと思う。

結局何が言いたかったのかというと、

・私が妻としての役目をはたしていない

・子どもに会わせないのは卑怯

ということだった。

人格を否定するような発言もあり、決して穏やかな会話では無かった。

それでも途中で席を立つようなことはせず、ただじっと聞いていた。

やっと解放されたのは、約束通り30分後。

それ以上長引いたら自分から席を立とうと思っていたので良かった。

帰り際、自分のオーダー分のお金をテーブルの上に置いた。

そのまま立ち去ろうとしたら、

「お金は要りません。こちらがお誘いしたので」

と返され、

「いえいえ、出しますよ。申し訳ないですし」

と言っても受け取ってもらえなかった。

案外良い人なのかも?と思っていたら、その後の一言で一気に嫌な気持ちに。

「お金の面で色々と大変なんですよね?」

などと言われてしまった。

改めてこうやって書いてみると大した意味は無さそうだが・・・。

言い方が上から目線で、鈍い私でも何をいわんとしているのかが分かった。

あー、この光景はいつも見ていたのと同じだ、と思い出した。

そう、それは夫と一緒に居た頃の日常。

類友とはよく言ったもので、やはり皆似ている所があるみたい。

彼女の言動からは、自分よりも下に見ている人に対する憐みの情のようなものも感じ取れた。


最後まで言わなかった、ある言葉

二人はある言葉を言わせるためにわざわざやって来た。

それは、

「子どもに会わせます」

ということだった。

途中からそれが分かっていたが、あえて気づかないフリをした。

そうしたら単刀直入に、

「お子さんと会わせてあげられますか?!できますよね?!」

と詰め寄られた。

それで、

「無理です」

と答えたら人でなし呼ばわり。

彼女たちは夫から直接話を聞いていたようだ。

「子どもにもちっとも会わせてもらえない」

「厳しくしつけることもあったが、それも愛情あってのこと」

「俺、そんなに悪いことしたのかな」

と涙ながらに訴えたらしい。

それで『このまま黙って見ていることなんてできない!』となり、会いに来てしまった。

まあ、夫の策略にまんまとはまってしまったんだろうなと思う。

こういった話をするたびに、神経がすり減っていくのを感じる。

それで楽な方に流れてしまいたくなるんだけど。

それは未来を放棄するのと同じだから。

決して諦めてはいけないと、離婚が決まるまで何度も自分を奮い立たせた。

2025年10月9日木曜日

仕事帰りの待ち伏せ

早く子どもを迎えに行きたいのに

仕事が終わり、最寄り駅近くの交差点で信号待ちをしていたら、向こう側に夫の友人の奥さんとその友達がいることに気づいた。

気づかないフリをして通り過ぎようとしたのだが、案の定見つかり呼び止められてしまった。

駅にはいくつかの出入り口がある。

そのうち、会社へのルートは一つだけだ。

それ以外だと遠回りになってしまうため使うことはほとんどない。

それを知っていたのか、いつも使う出入口付近で二人は待っていた。

それより少し前のことだが、夫が会社のすぐ傍で待っていたことがある。

あの時は社用で出てきた同僚に助けてもらい、事なきを得た。

見た瞬間、『これは穏やかではないな』と思った。

二人は少し怒ったような表情をしていて、それが私に向けられていることは明らかだった。

『嫌だなぁ』と目を伏せつつ通り過ぎようとしたら、

「ちょっと良い?」

と肩を掴まれてしまい、仕方なく足を止めた。

それにしても、夫の友人ではなくその奥さんが来るなんて。

しかもその友達までついてきた。

私からすると『何であなた達が?』状態なのだが・・・。

実は二人とも夫が遊ぶ時の常連メンバーだった。

よほど仲間意識が強いのだろう。

正義感にかられた二人は怒りの表情で、

「とりあえず近くのお店に行こう」

と言い、喫茶店に引きずられて行った。

いつもなら、このような突発的なことが起きても子どものお迎えを最優先しなければならない。

ただ、この日は偶然学童に行っていたので助かった。

30分程度で済むというので、それなら間に合いそうだと渋々応じたんだけど。

問題はそこではない。

恐らく私への不満があるのだろうが、なぜこの人たちに怒られなければならないのかと思ってしまった。

何だか物凄く嫌な気持ちになりながら店内に入り、席に着いた。


『非常識』を連発され罵倒されて、かえって冷静に

開口一番、夫の友人の奥さんが、

「非常識だよ!」

と言った。

何を言いたいかは大体分かっていたので、とりあえず吐き出して貰おうと黙って聞いていた。

『心配してないの?!』とか『お見舞いにも来ないなんて冷たすぎる!』とか『人としてどうかしてる!』とか色々言われたけど。

全て想定内だった。

多分子どもの話も出るだろうと思っていたらやはり出てきて、

「あんな状況になっても(子ども)ちゃんに会わせないなんて、どういうつもり?!」

と言われたので、

「いえ、あんな状況だから会わせられないんですよ」

と答えた。

そうしたら、

「馬鹿にしてんの?!!!!」

とテーブルをバンッと叩きながら立ち上がった。

今にも殴り掛かって来そうな勢いだったので驚いたが、『夫の友だちも夫に似てるんだなぁ』なんてこともふと考えてしまった。

だいたい何でこの二人がわざわざそんなことを言いに来るのかも分からない。

後でよくよく聞いてみたら飲んだ薬の量だってかなり少なかったみたいだし、すぐに回復したはずだ。

問題は気持ちの方だったのだが。

それも周りのサポートによって徐々に回復していた。

ここで下手に動いて希望を持たせてしまったら、それこそ厄介なことになるのではないかと思った。

一時的に夫の要望通りの環境を作ったとしても離婚することに変わりはない。

少し浮上したところで一気に奈落の底に突き落とす方がよっぽど残酷だ。

それに、たとえ短い時間でも夫と過ごすなんて耐えられそうになかった。

一緒の空間に居るのでさえ苦痛で、言葉を交わすのも正直しんどいのに。

それを伝えたところでこの人たちには通じないのだろうけど。

どうしたら理解してもらえるのかが分からなくて、私は黙り込んだ。

2025年10月8日水曜日

義両親や夫の友人たちに責められる日々

私一人が悪者に・・・

誰かを悪者にすれば、きっと自分の罪悪感が薄れるのだろう。

手っ取り早く悪者にできるのが私だったというだけだ。

あの日、みんな殺気立っていた。

普段冷静な振舞をする人も取り乱していたし、落ち着いて話ができるような雰囲気ではなかった。

不安でイライラしているのか、攻撃的な人も居た。

そんな状況だったから、少しくらい嫌味を言われても気にならなかった。

元々夫との生活で嫌味を言われ慣れていたというのもある。

ちょっとしたことでチクチク言われていたため免疫があったのかもしれない。

夫は扱いが難しく、些細なことで臍を曲げてしまう人だ。

日々ご機嫌をうかがいながら過ごしていた。

それがどれほど大変なことか、経験した人にしか分からないのかもしれない。

一方で、友人たちの間では思いやりがあり、気の良い仲間だったようだ。

だから余計に私のことが許せなかったのだろう。

彼らに責められた時、義両親は分かってくれているのだと思い込んだ。

でもどうやら『勝手に出て行った嫁』というレッテルが貼られていたようで・・・。

結局、夫婦間のゴタゴタがあのような事件を引き起こしたのだと結論付けられた。

もう何も言うまい。

どうせ言ったところで否定されるだけなんだから。

それよりも、あの事で子どもが影響を受けないようにしなければと思った。

幸い子どもは何も気づいておらず、その件で出かける時も仕事を装った。


仕事中も鳴りやまない電話

考え方は人それぞれだから何か言われるのは仕方がない。

それよりも困ったのは頻繁にかかってくる電話だった。

仕事中でもお構いなし。

机の中に入れていても気になるほどだったので、着信音を消した。

電源を切れなかったのは、子ども関連の連絡がいつ来るか分からなかったからで。

それが無ければとっくに電源を切っていた。

本当は着信拒否にしたかったのだけれど、それはそれで角が立ちそうで止めた。

攻撃したくて仕方の無い人たちに格好のエサを与えてしまうようなものだ。

着信音を消す前、あまりにも鳴るので机に入れてしまおうとしたら、同僚から

「どうしたの?トラブル?」

と聞かれた。

「まあ、トラブルって言えばトラブルですね~」

なんて言いながらそそくさと着信音をゼロにし、平静を装いながらそのままバッグにしまった。

中にはわざわざメッセージを残す人もいて困惑。

重要な要件なら分かるけど、内容が、

「お子さんを連れて来てあげてください」

とか、

「顔も出さないなんて無責任ではないですか」

とか。

全てスルーしたくなるようなものだった。

私だって何も考えていなかったわけではない。

夫のことも少しは可哀そうに思っていた。

ただ、それよりも大きかったのは・・・。

これでしばらくは夫から解放される!という思いだった。

義両親からすれば、とんでもない話だと思う。

思い詰めてあんな行動に出てしまった息子を放っておいて、伸び伸びと過ごしているなんて。

でも、これは嘘偽りない私の気持ちだ。

もちろん義両親には悟られないようにしたけれど、それが本心。

彼らからの連絡を懸命に避けていたら、その間に夫も段々と回復していた。

元通りの生活に近づいているのを知り、ホッとした。

夫の友人たちが本格的に私たちの離婚問題に参戦しようとしていたのは想定外だったけど。

2025年10月7日火曜日

気づいてしまった悲しい事実

オーバードーズは想定外だった

あのオーバードーズ事件は衝撃的だった。

まさかあんなことをするなんて想像もしていなかった。

元々危ういところはあった。

でも、いつも狂言ぽい感じなので本気で受け止めることはせず。

『寂しい』と言われても、『そうですか』という反応しかできなかった。

また私たちの気を引きたいのだろうな、という位にしか考えられなかったのは私だけではない。

義両親でさえそんな雰囲気だったのだから。

日ごろからどれだけ周りを振り回していたかが分かってもらえると思う。

本気で相手をしていたら、こちらの精神がもたない。

適当に流しつつ怒らせないように注意するだけ。

それが私たちの通常対応であり、あの時もそうしていた。

それがあんな大事になるなんて・・・。

少しも責任を感じていないと言えば嘘になる。

落ち着いた後、色んなことを考えた。

私たちが家を出たことが決め手になったのだということも痛いほど分かっていた。

引き留めるためにあんなことをしたのかな。

これで戻ってくると思ったのかな。

分からないことだらけだったが、私の心には再び重い重い鎖が巻き付けられた。

逃げようとしても逃げられない。

振り払っても振り払っても気が付いたらがんじがらめになっている。

そんな夫の執着を感じ、息苦しさに気持ちが負けそうになった。


子どもを連れて行かなかったのは間違いなのか

あの日、知らされた人たちは皆慌てふためき、何も分からないまま駆けつけた。

私もその一人だったが、子どもは連れて行かなかった。

到着して真っ先に、

「(子ども)ちゃんは?」

とお義父さんから聞かれたのだが、

「こんな状況では連れて来られませんでした」

と正直に答えたら、途端に機嫌が悪くなった。

「もし何かあったらどうするつもりだったの?会わせないままになっちゃうよ」

と非難され、夫の友人たちからも責められた。

「前から思ってたんだけど、あまりにも一方的すぎるんじゃない?」

とか、

「何でも自分の思い通りにしたい人って聞いてたけど本当だね」

とか、

「こんな時に会わせないなんて(夫)が可哀そう」

とか色んなことを言われた。

その中の一人が非常に感情的になっていて、涙ながらに『夫がいかに努力していたか』を語っていた。

それを聞いても表情を変えない私に腹を立てたようで、

「少しは思いやりを持って!」

と叫ぶように言ってきて、それでも黙っていたら

「こんなことになって、どうするつもりなの?!」

と詰め寄られた。

どうするも何も、私だって驚いてまだ何も考えられない状況だ。

夫が辛かったということだけは分かったけど。

だからといって戻るという気持ちにもなれず。

『これからどうしよう・・・』と呆然としながら考えていたら、何だか無性に泣けてきた。

人前では泣きたくなんかないのに、後から後から涙が出てきて止まらなかった。

それを見た一人が、

「今更反省しても遅いよ。何でもっと気づかってあげられなかったの?!」

と言っていたけど。

その時の思いは反省なんかじゃなかった。

ただ悲しくなっただけ。

『万が一夫に何かあっても私はきっと涙も流さないんだろうな』という事実に気づいてしまったのだ。

2025年10月6日月曜日

一人ぼっちになった夫が子供や私に固執

義実家に帰って欲しい

色んな理由があって義実家に帰れなかったんだろうけど。

ずっと帰って欲しいと思っていた。

その方が夫のためにもなると思ったし、私も安心できるから。

夫には何度もそう伝えたが、聞く耳を持たなかった。

いつか状況が変わるかも、と結論を先延ばしにしたのかもしれない。

そうこうしているうちに一人でいる寂しさに耐えきれなくなったのか荒れ始めた。

心配した友人たちが入れ替わり立ち替わり様子を見に来ていたことは、このブログにも書いた。

まあ、私たちが戻ることは無いんだし。

その代わりをしてくれていると思えば、我が家がたまり場になっていることも許容できるかな。

そんな風に自分を納得させた。

これで終われば良かったんだけど・・・。

義両親と離れた夫は私や子どもに更に固執し、

「戻ってきてくれなかったら俺はもう終わりだ」

などと悲観的なことを言うようになった。

私は『どうせいつもの手だろう』と呆れていたが、友人たちはひどく心配していたようだ。

確かに『本当に何かしでかすのではないか』という不安もあった。

夫は何かあると極端な行動に走る。

これもパーソナリティ障害の特徴なのだと言う。

家具や物を壊すのもそうだし、すぐに『死ぬ』と言うのもそう。

そうした言動の数々が私を悩ませ、『一緒に居られない』という気持ちも加速した。

一番の問題は虐待だったのだけれど、きっとそれもパーソナリティ障害が関係していたのだと思う。

子どもが自分の理想通りにいかなくても普通はあそこまで怒らない。

夫の場合は周りがドン引きして警察を呼ぼうか迷うくらいに怒った。

そんなことをしておいて『子どもに好かれたい』と言うんだから。

おかしいとしか言いようがない。

そんな人が一人になり、真っ先に考えたのは家族を連れ戻すことだった。

今でもあの時の夫が演技だったのか、それとも本気だったのか分からない。


大量の薬を飲んだ夫

友人たちにも自分の生活がある。

だから、いつも夫と一緒に居たわけではない。

義両親だってなかなか来られないし、私たちも戻ってくる気配はない。

ある日、一人になった夫が極端な行動に出た。

大量の薬を飲んだのである。

幸い大事には至らなかったが、これには私も驚いて駆けつけた。

一報を受けたのは、仕事を終えて帰宅している最中だった。

その日、友人の一人が我が家で一緒に過ごす予定だった。

彼は到着後、いつものようにインターフォンを押した。

だけど返答がなく、最初は『トイレかな』くらいに思ったそうだ。

その後も何度かインターフォンを鳴らしたが返事は無く、いぶかしみながら何の気なしにドアに手をかけた。

そうしたら鍵が開いていたので、声を掛けながら入っていった。

狭い部屋だから、すぐに目に入ったはずだ。

うずくまるように転がっている夫の姿が。

その後のことは書きたくもないので端折るが、義実家、友人、関係者みんなが大騒ぎになった。

かくいう私も久々に緊張感が走り、何も考えずに電車に飛び乗った。

でも、電車に揺られながら考えているうちに段々と落ち着いてきて、沸々と怒りがわいた。

こんなの、『間違った』じゃ済まされないんだよ。

どこまで自分勝手な人なんだ、と責めずにはいられなかった。

みんなの目が自分に向かず孤独を感じた時、夫は騒ぎを起こすことが多い。

この時、夫は

「家族と離れて寂しかった」

と、まるで私たちが出て行ったことが原因のような言い方をした。

そういう執着心から来る様々な言動に散々追い詰められてきた。

苦しくて苦しくて。

たとえ愛情があったとしても一気に冷めていたと思う。

まして、私たちの間にはもう愛情なんて無かったんだから。

ただただ自分のしたことに対するペナルティを受けているような気分だった。

2025年10月4日土曜日

携帯の連絡先を逐一チェックされていた件

交友関係が気になる夫

携帯はいつでも自由に見られるようにしていた。

「ロックを解除しろ」

と言われたからロックもかけなかった。

それってセキュリティ面から見てどうなんだろう、とは思ったけど。

別に携帯で決済をしていたわけでもないし。

夫に怒られるよりはマシか、と渋々応じた。

命令されたら従うだけだ。

反論すれば、それ以上の罰が待っているんだから。

それで言う通りにしたら、夫は

「俺のも見て良いよ」

などと言い、わざわざ携帯を私の見えるところに放置した。

この言葉を真に受けてはいけない。

見て良いよ、と言われたって実際には『ご自由にどうぞ』というわけではない。

そもそも見たくも無かったのだが・・・。

一度だけ、あまりにもしつこく言うものだから、仕方なく夫の携帯を手に取った。

そうしたら、至近距離でずっとその様子を見られていてとても怖かった。

「何?何が知りたいの?」

なんて言われたって、知りたいことなんてない。

夫が『見ろ』と言うから仕方なく見ただけで。

今度は見たら見たでそんな風に言われるのなら、私は一体どうすれば良かったのか。

角が立たずに断る術を私は知らなかった。

でも、至近距離から見られる圧も凄かったし確認したいことも無かったので、

「特に知りたいことは無いかな」

なんて言いながらすぐに元の場所に戻したら、それも不満そうだった。

これに関しては、何が正解だったのか今でも分からない。

その後、

「じゃあ俺も」

と私の携帯を手に取り、念入りに何やらチェックしていた夫。

『こっちに近寄るな』という雰囲気だったので、その場から離れた。

というか見ているのも許されそうな雰囲気だったので、気にしていないフリをして別のことをしていた。

言葉にするととても難しいのだが・・・。

夫は『察しろ』という空気を醸し出してくる。

それに気づかないと思わぬ攻撃を受けることになる。

だから常に気が張っていたし、『失敗は許されない』と精神的に追い詰められた。


連絡先を自分の携帯に・・・

夫の携帯チェックは長い。

そして、交友関係を疑っていることを私は知っていた。

夫が疑い深すぎるのか、それとも私の普段の言動がいけなかったのか。

少なくとも、自分では異性関係でやましいことなど一つも無かった。

そもそも夫が嫌がる相手とは何となく連絡を取りづらくて疎遠になっていたし。

あのような状況下では『夫を怒らせないこと』に終始気を使っていて、その他のことなど目に入らなかった。

いずれにしても私たちの間には信頼関係が築かれていなかったということだ。

最初はただチェックしていただけみたいなんだけど・・・。

途中から何やら自分の携帯にメモを取り始めた。

その姿が異様でかなり怖かった。

痛くもない腹を探られるのも嫌だった。

携帯の連絡先には昔からの知り合いも登録されていた。

それを怪しいと言われても、潔白を証明しようがない。

『何事もなく終わって』と祈るような気持ちで、ただ時が過ぎるのを待った。

夫は、自分の考えていることが本当かどうか分からない段階でも相手をかなり責める癖がある。

最悪なことに、最初から既に結論付けていてそれが真実かどうかなんて関係ない。

この時、夫が何をしていたのかと言うと私の連絡先を全て記録していた。

そして、事あるごとにその中にあった人たちの名前を出し、

「何かやましいことがあるんじゃないか?」

と詰め寄られた。

些細なことで怒鳴られるのも辛かったけど。

こういう風に信じてもらえないことが、とても悲しかった。

夫婦という一番近くにいるはずの人に疑われるなんて。

「信じて欲しいなら自分で考えて行動で示せ」

と言われたって、どうしたら良いか分からなかった。

2025年10月3日金曜日

当時は気づけなかった夫の策略

貯蓄用口座を作ろう!という提案

結婚が決まり、新生活の準備に追われていた頃。

夫から、

「貯蓄用口座を作って、そこに入れるようにしよう」

という提案があった。

当時は特に怪しむことも無かった。

賢い夫の言うことだから従っていれば間違いないだろう、と思ったのだ。

いつもはなかなか動かない夫だが、同意をした後の動きは非常に早かった。

その週のうちに夫名義の新たな口座が作られた。

『次回のお給料が出たら入金するように』と言われ、私は承諾した。

毎月お給料が出ると、その都度キャッシュカードを受け取ってATMから入金。

私は何だか嬉しかった。

共通の目標に向かって二人で力を合わせてがんばっているという感じがして。

『これが結婚というものなのか』なんて呑気に思ったりした。

ただ、額に関しては多少の不満もあり、何度か交渉した。

手取り額の差を考えると同額ずつ入れるというのは納得がいかない。

夫は3倍ものお給料をもらっていたのだから。

もう少しこちらの負担を下げて欲しかった。

だけど、

「お前とは何でも対等でいたいんだ」

と言いくるめられ、現状維持となった。

生活費も折半だっただめ、残りの額でやり繰りしなければならず。

美容院に行くのもためらわれるくらいの状況だった。

いつもお財布の中身を気にしていた私にとって、年に2回のボーナスは大事な大事な生命線。

実はボーナスからも貯金しようと言われたのだが、それは断った。

だって、そこから月々の赤字分を補填していたんだもの。

『さすがに無理』だと思って断ったら、それから2週間口をきいてもらえなかった。

あまりにも無視されるので心が折れかけたが、それでも拒否し続けた。

こちらが折れるのを待っているなんてズルい。

いつだって妥協するのは私ばかり。

今思えば、あの頃はまだ夫のおかしさに多少は気づいていたのに。

いつからか疑問も感じなくなってしまった。


待ちに待った昇給

それから数か月後。

会社の年度替わりに昇給があった。

上がった分を自分の用途にまわせる!と喜んだのも束の間。

夫から、

「お給料上がったんでしょ?貯蓄にまわす分、増やせるね」

と言われた。

えっ?!

ちょっと待って?!!!!!

やっと自分のことに使える分が少しだけ増えると思ったのに、この微々たる昇給も持って行かれるの?

私は焦って考え直してくれるように頼んだが駄目だった。

このままではいけないと、月々の収支を作成して再考をお願いしてみてもスルー。

じゃあ、どうしたら認めてもらえるのかと思い悩み、最終的に

「もう共同でお金を貯めるのを止めたい」

と伝えた。

ここまで、わずか数か月の出来事である。

その発言に夫は怒り狂い、直後に放った言葉も衝撃的だった。

「お前が能無しだから、そんな安い給料しかもらえないんだろ!ちょっとは努力しろよ!」

言われた瞬間、頭をガツンと殴られたようなショックを受けた。

でも反論できなかった。

少し経ってから今度は呆れたような口調で、

「もう良いよ。元の額で良いから」

と言ってきたのだが、私の方はもう一緒にお金を貯めようという気持ちになれず・・・。

お給料日が来てATMに行くようにキャッシュカードを渡されても、

「貯金はそれぞれでしよう」

と拒否した。

私にとっては勇気ある行動だったが、1か月以上もろくに口をきいてもらえないのは辛かった。

冷静になって考えてみると、折半の家計費を引いた残りのほとんどが持って行かれている。

しかも、その管理は夫がしていて私は口出しができない。

それって変だよね?

共同貯金を止めた後、私が入れた分の一部を返してくれた。

なぜ一部なのかと言うと、途中で新たな家電などを買ったから。

最後まで腑に落ちなかったが、それ以上夫を怒らせるのも怖いので私から蒸し返すことはしなかった。

2025年10月2日木曜日

運動会で転んだ子どもを大声で叱責する夫

パパが怖くて戻れなくなった子ども

お昼になってもなかなか戻ってこなかった。

どうしちゃったんだろう・・・と心配していたら、お昼時間が2/3ほど過ぎたところでようやく戻ってきた。

そして、何食わぬ顔でシートに座り、

「お弁当は何かな~」

と言いながら食べ始めた。

お手伝いとか何かやることがあったのかと思ったら、お友だちのところに居たようだった。

午前の競技が終わり、お友だちに手を引かれてお友だち家族のシートへ。

そのまま交じって軽く何か食べてきたそうだ。

その行動が理解できなくて、

「えっ、何で?ママ待ってたんだよ?」

と思わず言ってしまった。

そうしたら、周りを警戒した様子で、

「だってパパが居るかもしれないし」

と言った。

とても小さな声で、パパに聞かれたら大変だと思っていることが分かった。

お友だちに、

「パパ来てるんだよ。やだな~」

と言ったら、

「じゃあ、うちで一緒に食べようよ」

と誘われたらしい。

だけど、食べている最中にママのことが気になって、

「やっぱりママのところに行く」

と言い残して戻ってきた。

それを聞いた私は慌ててお友だちのところにお礼を言いに行った。

持参したフルーツをお渡ししたのだが、お口に合ったかどうか・・・。

その日は子どもの好物を用意していた。

それを知っていてもなお戻りたくなくなるくらい、パパのことが嫌いなのだ。

幸い、お昼を食べている最中は夫が顔を出すことは無かった。

来ても、もちろん受け入れることはなかったが。

『来るかもしれない』と思うだけでブルーな気持ちになった。


徒競走で転んでしまった子ども

子どもの徒競走は午後だった。

うちの子は走るのがそれほど得意ではない。

だから徒競走に苦手意識を持っていて、少し前まではネガティブ発言を連発していた。

それでも前日あたりから徐々に前向きなことを言うようになり、朝出かける時には

「がんばって走るよ」

と言っていた。

私はそういう気持ちが大事だと思っているので嬉しかった。

苦手なことがあっても良い。

自分なりに努力してくれれば。

そういう思いで見守った。

スタートラインについた時の表情は真剣そのもので、実際に一生懸命走っていた。

心の中で、『がんばれー!がんばれー!』と応援した。

でも、途中で転んでしまった。

泣き虫な子なので、泣いて走るのを止めてしまうかな?と心配したが。

すぐに立ち上がって最後まで走り続けた。

その姿を見て、何だか感動。

ずい分成長したなぁと。

終わった後は、やっぱり辛かったのか半べそになりながらこちらに近寄ってきたので、頭をヨシヨシしながら

「痛かったね、大丈夫?」

と声をかけていた。

そうしたら、どこからともなく夫が近寄ってきて、突然、

「恥かかせやがって!」

と怒鳴った。

その声があまりにも大きくて。

周りの人々が一斉に振り返った。

まさか怒鳴られるなんて思ってもみなかった。

私の服をギュッとつかみながら固まっていた子どもは、更にパパから見えない位置に移動した。

明らかに周りは好奇の目で見ており、そういうのも苦痛だ。

とりあえずその場を収めようと、

「もうすぐ次の競技が始まるから」

と立ち去ることにし、子どもを座席の方へと促した。

そして私もシートを急いで畳んでいつでも移動できるように準備した。

ああいう時の夫は何をしでかすか分からない。

また子どもに暴言を吐くかもしれない。

だから、競技が終わるまで近くでその様子を見守った。

2025年10月1日水曜日

運動会に夫が突然出没!

二人ぼっちの運動会

学校行事には極力参加するようにしていた。

だけど、平日に行われるものは行きたくても行けないことがある。

ただでさえ時間的な配慮をしてもらっているんだから。

仕事も疎かにしてはいけないと、それまで以上に気を使った。

そのあたりのバランスがとても難しいんだよね。

そんな中でも運動会は絶対に見に行っていた。

二人ぼっちの運動会。

これは保育園時代から変わらない。

夫は働いている頃、

「忙しくて参加できないから、そっちで何とかして」

と言っていた。

その時は、『まぁ仕方ないか』程度に思っていたんだけど。

無職になった後も来なかった。

体調が悪いから、とか。

雨が降りそうだから、とか。

色々と理由を付けて、見に来ることはほとんど無かった。

たまに来たとしても嫌がらせばかり。

かけっこが一等じゃなくても良いじゃないの。

ダンスがずれていても良いじゃないの。

そう言うと、夫は

「結果が出なければ、やらなかったのと同じだ!」

と言い放った。

あの時、こんな人と一緒の職場じゃなくて本当に良かったと思った。

会社でもパワハラをしそうだし、頑張っても認めてもらえなそう。

「努力なんて意味がない」

なんて言う人には見に来て欲しくなかったので、内心は不参加を喜んでいた。

二人で伸び伸びと過ごすには夫が居ない方が良い。

居たら居たで子どもを叱責して委縮させてしまうだけなのだから。

結局、保育園時代には一瞬顔を見せただけのをノーカンにすると来たのは一度きり。

子どもも競技の合間に私を見つけると、あたりを見渡してパパが居ないことにホッとしていた。


夫よ、なぜ来たの?

あんなに面倒くさそうにしていたのに。

別居後、夫がいきなり運動会に現れた。

私は子どもの出番が近づいてきたらそばまで行って見学していた。

時折声をかけたり、子どもがこちらに気づいた時には手を振ったり。

楽しんでいる様子を見ると胸にこみあげてくるものがあった。

色々と大変なことはあるが、それを乗り越えて今があるのだと実感できる瞬間だ。

以前は

「がんばったね」

と声掛けすると、

「でも上手くいかなかったよ」

と言うことの多かった子ども。

パパと離れて暮らし始めてからは、

「楽しかった!」

と言うことが増えた。

私はそれだけで良かったのに、夫がわざわざ見に来て難癖をつけた。

「○○のところはもうちょっと○○した方が良かったんじゃないか」

みたいな謎の助言を連発。

子どもは固まっていた。

「楽しめたのなら良いんじゃないの?」

とかわそうとしたら、

「楽しいだけじゃろくな人間にならないぞ」

と意味不明な持論を展開した。

はっきり言って迷惑だった。

周りもチラチラとこちらを見ていて、子どもは恥ずかしそうに下を向いた。

この人はいつもそうなのだ。

子どもの気持ちなんてお構いなし。

それからいくつかの競技が行われ、お昼になり・・・。

どこで待っているのか知っているはずなのに、子どもはなかなかやって来なかった。

2025年9月30日火曜日

自暴自棄になった夫

何をしでかすか分からなくて怖い

夫は明らかに自暴自棄になっていた。

自分を大事にするところが唯一の取り柄なのに。

まるで、『どうでも良い』と言わんばかりの生活を送っていた。

お義父さんやお義母さんが家に戻るのは仕方の無いことだ。

息子たちが二人揃って働けないんだから。

もしそれが気に入らないのなら夫が率先して働くべきで。

できないのなら、せめてサポートくらいして欲しかった。

でも、自分のことばっかりの人だからそれができない。

いつも中心に居ないと駄目なんだよね。

皆が気にかけてくれないと不貞腐れてしまう人なのだ。

部屋に一人取り残された夫は、ご飯もろくに食べなくなった。

本来なら妻である私が動くべき所だけど。

離婚に向けて動き始めている時だったから、『それは私の役割ではない』と見て見ぬふりをした。

巻き込まれたくないという気持ちもあった。

傍観を貫いていたら、夫は短期間のうちにガリガリに痩せた。

見た目にも『どうかしちゃってる』ことは明らかだった。

それが周りへのアピールだったのか、それとも本気でおかしくなっていたのか。

今でも分からないが、友人たちが放っておけなくなるくらいに弱っていた。

そんな状態の夫が会社で待ち伏せをしていて、急に目の前に現れたんだから。

驚かないはずがない。

ギョッとして言葉も出ない私に笑顔で声をかけてきて、だけどその表情はどこか虚ろだった

狂気をはらんだ目を見た途端、私は身の危険を感じた。


失う物がない人間ほど怖いものはない

あの時の夫を一言で表すなら、『失う物が何もない状態』だ。

いわゆる無敵の人なのかな。

実際にはそうではないんだけど、本人的にはそう思っているようだった。

私は我関せずを貫き通そうとした。

友人たちはせっせとお世話を焼いてくれていたし、義両親も一人残してきてしまったからと気に掛けていたんだから。

それで十分だと思った。

お義父さんなんて、せっかく定年を迎えて悠々自適な生活を送るはずが再び働く羽目になった。

そんな状況でも息子のことを常に気に掛けていた。

こういう所は本当に頭の下がる思いだ。

友人たちが入れ代わり立ち代わり我が家にやってきたのも、そういう事情があったからだろう。

一人にしては危険だと見守ってくれていたのかも。

最初は、そんな彼らのことを非常識だと思ってしまった。

私が居ないから好き勝手に出入りしているのだと。

自分もまだまだ人間が出来ていないなーと反省。

結局、夫は彼らや義両親に見守られながら少しずつ本来の姿を取り戻していった。

本来の姿と言うのは、つまり『モラハラをする夫』だ。

後になって考えると、あの弱っていた時にもっと動けば良かった。

でも、後悔しても後の祭り。

弱っている人間相手に畳みかけるなんて人としてどうなんだ、という葛藤もあった。

だけど、あれが夫に対して怯まずに反撃できる最後のチャンスだったように思う。

そこから私は防戦一方で離婚協議を闘っていくことになる。

復活した夫は相変わらず頭が回り冷酷だった。

2025年9月29日月曜日

夫の友人Nに探りを入れ、新たな事実が判明

不安定な夫が気になり、Nに相談

意味不明な提案をしてきたり待ち伏せされたり。

かと思えば、涙ながらに

「(子ども)に会えなくなって、もう生きる希望がない」

と言ってきたり。

言動があまりにも不安定で、『ちょっとおかしいな』と思うことが増えた。

でも、気になっても本人には聞けないので、こっそりNに聞くことにした。

もちろん『夫には内緒で』という前置き付きだが。

万が一Nが約束を守らずに伝えてしまったら、その時は

「あなたのことを心配したのよ」

とでも言おうと思っていた。

でもNは最後まで言わないでいてくれた。

夫と友人たちは非常に密な付き合いをしている。

家を行き来するなんていうことはしょっちゅうだ。

それで彼らの家族まで親しくなるのがお決まりのパターンであり、うちにも友人たちが来ていた。

泊まったこともある。

といっても雑魚寝だけど。

あんな狭い部屋によく泊まれたものだと感心した。

だから私も彼らと親しくなりそうなものだが、実際にはそうでは無かった。

夫はフレンドリーに接することを求め、一方では必要以上に親しくすることを禁じた。

そんなことを言われたらどうすれば良いの?という感じだが・・・。

与えられた条件の中で役割をこなさなければならなかったので、当たり障りの無い対応に徹した。

そんな感じで表面上は親しくても、実際には電話をかけて相談をするほどでもない。

だから、直接電話をかけるのは気が引けてメッセージを送った。


弁護士に相談していた夫

自分から『弁護士を通さずに直接話し合おう』と言ったくせに、実は相談していた。

この話を聞いた瞬間、『ズルい!』と思ってしまった。

でも、よく考えたら私も相談していたんだから夫を責めることなんてできないんだよね。

それよりも、相談相手の弁護士さんのことがとても気になった。

相手は元々知り合いで、以前から何度か遊びに行ったり飲んだりしている人。

学生時代の仲間内ほどではなくても、ある程度は親しい間柄だ。

以前聞いた話によると、かなり優秀で離婚案件にも強いとか。

そんな人とタッグを組まれたらどうしよう、と一気に不安になった。

それでも、私は私でできることをやっていくしかない。

ため息をつきながら返事をポチポチと打っていたら、Nから『電話にしても良い?』と送られてきた。

それで通話に切り替えた。

どうやらメッセージを打つのが面倒になったらしい。

この時の会話で、いくつか新たに判明したことがあった。

夫は『離婚に強い弁護士』に相談することで勝った気でいたようだ。

何でも自分の思い通りにしなければ気が済まず、私が幸せになるのも許せない人。

だから、やり手と噂される弁護士に相談したのだろうけど。

結果は期待通りでは無かったようだ。

夫の相談相手である弁護士さんは、はっきりと夫に言ったそうだ。

虐待をしていたという事実があるのなら、かなり厳しくなる。

親権を取るのは難しいだろうし、面会も希望通りにはいかない。

義両親との面会も拒絶されれば実現できない。

何より子どもが明確に『No』という意思を示せば無理強いできない。

しかも相手はきちんと働いていて継続した収入がある。

夫が働いて収入を得られるようになったら養育費を支払わなければならない。

財産分与を求めないという時点で大分譲歩してくれているのではないか。

そんなことを言われたそうだ。

痛いところを突かれた夫は意気消沈した。

そして、自暴自棄に陥った。

相変わらず、【先生】と呼ばれる人たちに弱いんだね・・・。

このことは私にとって大きなプラスになった。

今目指している方向が、客観的に見ても間違っていなかったのだと証明されたようなものだ。

『そのまま進んで良いんだ』と思えて嬉しくなった。

2025年9月27日土曜日

仕事帰りの待ち伏せ

時短勤務を把握していた夫

当時、勤務時間を短縮してもらっていた。

子どもを迎えに行くには、少し早く出なければならなかったから。

会社とも何度か話し合い、業務に支障のない範囲で認められた。

皆さんが忙しく働く中、自分だけ早く帰るのは非常に心苦しい。

でも、同僚たちは

「今まで散々頑張ってくれたんだから。こういう時くらい頼ってよ」

と言ってくれた。

嬉しくて涙が出た。

何をしても自信の持てなかった私は、こんな社員は要らないだろうなと勝手に思い込んだ。

申し訳なさ過ぎて『もう退職するしかない』と覚悟を決めたのだが。

周囲の反応は予想とは違っていた。

優しい言葉をかけてくれて、快く早上がりのフォローをしてくれた。

今でも同じ会社に勤めていて、時々ふと『この人たちに何か恩返しをしなければ』と思うことがある。


あの日も、いつも通り早上がりだった。

でも、直前に仕事が入ってしまい、いつもよりも出るのが遅れていた。

焦った私は足早に建物から出て駅へと向かおうとしていたのだが・・・。

一歩踏み出したところでハッと息をのんだ。

すぐ傍のビルの前に見覚えのある人物が居たからだ。

急いでいるのに足が止まり、思わず後ずさりした。

このまま進んでしまったら、間違いなくその人に声を掛けられてしまう。

迷っていたら、その人がこちらを向いて軽く手を挙げた。

その瞬間体中から汗が噴き出して、震えが止まらなくなった。

どうしよう。

早く逃げなくちゃ。

気持ちは焦っているのに、一歩も動けなかった。


終わらない恐怖心との闘い

夫は恐怖の対象だ。

心の準備をしてから会う時でさえ、心臓がバクバクして平常心では居られない。

ましてや、その時は不意打ちで待ち伏せをされたのだから。

動揺しないはずが無かった。

ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる夫。

それを目の端でとらえながらも、真っすぐ前を見ることさえできなかった。

怖すぎて見れなかったのだが、何故か夫は笑顔だった。

目の前まで来た時には過呼吸気味で苦しくて、思わず小声で叫ぶように

「何しにきたの?!」

と言ってしまった。

そんな言い方をすれば夫が怒るかもしれないのに。

『それ以上近づかないで!』と心が叫んでいた。

夫はそんなこと意にも介さない様子で、

「近くまで来たから、ちょっとご飯でも食べて行かないか」

などと言ってきた。

これから子どもを迎えに行かなきゃならないのに。

断るのも怖いけど、はっきりと拒絶の意思を示さなければと思い、

「無理だよ。急に来られても困るよ」

とだけ言って、立ち去ろうとした。

そうしたら、急に夫から肩を掴まれてしまった。

物凄い力で身動きが取れなかった。

この時の恐怖は今でも鮮明に思い出すことができる。

心臓がギュッとなって、最悪の想像をした。

何とかしなければと焦っていたら、偶然社用で出かける同僚がビルから出てきて、

「あれ、どうしたの?」

と声を掛けてくれた。

思考が停止してしまった私は、咄嗟に同僚の方に駆け寄った。

多分、ブルブル震えていたから何かを察したのだと思う。

夫の方に向き直した同僚は、

「すいません。急な仕事が入っちゃって、今からやってもらわないとならないんですよ」

と言い、夫も外面は良いので、

「そうですか~。こっちのことは気にしないでください」

とか何とか言いながら去って行った。

あの時、同僚が来なかったらどうなっていたか分からない。

家を出たばかりの頃は会社から出る時も注意深くあたりを見回したりしていたのに。

時間の経過と共にすっかり気を抜いてしまっていた。

呆然としながらも一度会社のロビーへと戻った私。

何事も無く終わりホッとしていたのだが・・・。

夫の待ち伏せは一度では終わらなかった。

2025年9月26日金曜日

たまり場になっていた我が家に荷物を取りに

新しい服を買うお金が惜しい

離婚に備え、できるだけ節約していた。

時々は外食したりお出かけもしたが、普段はとても質素な生活だった。

仕事中に喉が渇いても決して自販機で飲み物を買わなかったし、総菜も使わなかった。

スーパーで安い食材を購入し、それを利用したメニューを考えるというのが習慣になっていた。

毎日の努力で少しずつ貯まっていく貯金。

このお金が私たちの将来につながっているんだ、という思いがあったから頑張れた。

ただ、子どものことに関しては別だ。

あまり節約節約と言い過ぎて窮屈な思いをさせたくなくて、そういう雰囲気を作らないようにした。

ある時、自分の手持ちの服がだいぶ寂しいことに気づいた。

買えば済む話だけど、数枚まとめて購入したら結構お金がかかる。

そのお金があればアレもできる、コレもできると考え始めたら買うのが惜しくなった。

そして、最終的に買うのが馬鹿らしくなった。

そこでふと思い出したのが、家に置いてきた服の存在だ。

元々ほとんど買い物をしなかったので手持ちのものは多くはない。

それでも家に戻れば季節的にちょうど良いものもあった。

取りに行けば交通費だけの出費で済むではないか。

そう考えたら、どうしても取りに行きたくなった。

夫のことは怖いけど、数分我慢すれば良いだけの話。

たったの数分で何千円も浮くんだもの。

気づいた瞬間、取りに行く以外の選択肢が消えた。

早速夫に連絡を入れ、

「服を取りに行きたいのですが、いつなら都合が良いですか?」

とお伺いを立ててみた。

すぐに反応があり、

「いつでも良いけど」

という返信。

この時、夫は再び無職になっていたのでかなり暇そうだった。


夫の友人が頻繁に出入りしていた我が家

仕事を終えた後、その足で夫の居る家に向かった。

既に夕暮れ時。

少し薄暗かった。

子どもを迎えに行った後だから一緒だったのだが。

夫に会わせたくなくて近くのお店で待っててもらった。

一人で部屋の前まで行き、インターホンを鳴らす。

そんな些細な行動にも緊張していた私に聞こえてきたのは夫の友人の声だった。

この時、私は『助かった!』と思った。

二人きりにならずに済む、という安堵。

やはり密室で二人きりは怖い。

これが義両親だけだと心許ないが、友人なら体裁を取り繕うはずだと思った。

案の定、その日の夫は身内だけの時よりも静かで穏やかに対応してくれた。

ただ・・・。

私が驚いたのは友人たちが頻繁に出入りしているであろう痕跡の数々だった。

日用品なんかも数名分が置かれていて、共同生活のような雰囲気すらあった。

話し合いに参加したNも来ているのだろうか。

この状況にはさすがにゾッとした。

いつの間にかたまり場になっていて、家の中の物も自由に見られる状態で。

私物は全部引き取るべきなんじゃないかと思った。

だけど、一度に全部は無理だったから(物理的にも夫の心情的にも)、

「また取りに来るから」

とだけ伝えてその日は部屋を後にした。

2025年9月25日木曜日

夫に内緒の心療内科通い

絶対に知られてはいけない

心身に不調をきたし、心療内科に通い始めた頃。

もっとも恐れていたのは夫に知られることだった。

離婚の交渉で突っ込まれたら反論できない。

「そんな状態の奴が子どもの面倒なんて見れるの?」

と言われそうで、ひた隠しにした。

ただでさえ立場の弱かった私。

条件的にこちらが有利な時でさえ、なぜか交渉では防戦一方だった。

相手が強すぎるというのもあると思う。

これまでの力関係があまりにもアンバランスだったから、それに慣れてしまっていた。

それに加え、どんな状況に陥ろうとも自分に自信を持っている夫に対し、私は常に自信が無かった。

こんなんで勝てるわけがない。

それでも交渉はしなければならないので、必死で闘った。

自分との闘いでもあったのだが、どれだけ経験してもちっとも強くなんてなれなかった。

よく『お母さんになると強くなる』というけど、あれは嘘だ。

私はずっとヘタレのままだったし、色んなものに怯えていた。

その中でも特に怖いのが夫であり、それは最後まで変わらなかった。

何なら離婚した後も怖い。

ただ、一緒に過ごす時間が無いから耐えられるだけ。

そんな私が誰にも頼らずに離婚の決着をつけようとしていた。

内心はストレス満載で、何かにすがりたくなる時も・・・。

それでも耐えて耐えて耐えた結果がアレだ。

心療内科に通っている間、つくづく自分が情けなくなった。

そうやって自己嫌悪に陥ることで心は更にズーンと沈んでいった。


子どもの前では空元気

ただでさえ色々背負わせてしまっている子どもに心配をかけたく無かった。

気付かれないようにあえてハイテンションに振る舞い、先輩さえも欺いた。

「なんかめっちゃ元気だけど、どうした?!」

と言われても、

「いつも通りですよ~」

なんて答えていた。

そしてその反動で一人になった時に落ち込み、また無理をしてテンションを上げる。

そんなことを繰り返してたら、とうとう本格的に調子を崩してしまった。

今考えたら当たり前の話だが、当時は必死だった。

その異変に真っ先に気づいた先輩は、ストレートには言わないけれど、やんわりと『病院に行ったら?』と促してきた。

でも、その提案をスルーした私。

自分でも分かっていたけど認めなくなかったのだ。

普通ならそこで、『じゃあ好きにすれば』となると思うのだが。

情の厚い先輩は放っておくことができなかったのだろう。

毎日ちょっとずつ、

「一緒に行こうか?」

とか、

「評判の良いところを探してあげるよ?」

とか声を掛けてくれた。

本当にありがたい。

それで段々と自分でも行ってみようかという気になったが、そういう気持ちの変化は悟られないようにした。

結局、先輩にも何も言わずに心療内科に通いはじめ、打ち明けたのは終わりが見えてきた頃だった。

こんなにお世話になっているのに言えなかったのは、診断名でもついてしまったら、それこそ先輩の負担になってしまうと思ったから。

この時、先輩にまで嫌われたくないという心理が働いていたのかもしれない。

2025年9月24日水曜日

モラハラで心が壊れかけた話

初めての心療内科

この事は書くべきか迷ったのだが・・・。

私が闘った記録でもあるので、このブログにも残しておこうと思う。

不調を意識し始めたのは別居から数か月が経過する頃だった。

ただそれもスイッチのオンとオフが切り替わるような明確なものではなくて・・・。

何となくおかしいな。

あれっ?眠れないな、何でかな。

という感じだった。

だけど段々と朝起きるのが辛くなって、気分も優れない時間が増えた。

私は元々朝が弱い。

目覚ましをかけてもなかなか起きることができない。

普段からそんな感じだったので、最初は起きれないこともそれほど気にしていなかった。

もっと早寝しなくちゃなーくらいに考えていた。

それが次第に日中にも異変が現れるようになり・・・。

ふいに涙が出てくることも。

何か特別なことがあったわけではない。

本当に突発的に涙が出てしまい、仕事中などはとても困っていた。

どうにかしなければ。

焦った私は、とりあえず民間療法を試してみることにした。

サプリなんかはお世話になったし、多少は効いていたように思う。

でも、気を抜いたらもっと悪くなってしまいそうな気もして、いつもよりも神経質になった。

そして段々と体調の波に振り回されるようになり、生活にも支障が出始めた。

毎日毎日自分の調子がどうとか考えるのは非常に疲れる。

ただでさえ離婚問題で頭を悩ませているのに。

こんな状態が続いて気持ちの方が参りそうになり、そこで初めて『心療内科の受診』を考え始めた。

この時真っ先に考えたのは、当時お世話になっていた先輩の家や自宅からは遠い場所が良い、ということだった。

切羽詰まっているのに何故そんなことを考えたのかというと、先輩に対しては心配をかけたくなかったからだ。

子どもに見られるリスクも減らしたかった。

自宅近くは、夫や義両親に見られて離婚関連で不利になることを恐れた。

特に親権には非常にナーバスになっており、絶対に隙を見せてはいけないと思っていた。

だから縁もゆかりもない場所にあるクリニックを選び、予約を取った。


優しい言葉に涙

当日は仕事を休んで向かった。

受付を済ませ、待合室で待っている間もソワソワ。

落ち着かなくて変な緊張感もあり、何故かドキドキして逃げたくなった。

だけど、じっと耐えて自分の順番が来るのを待った。

待合室に居る人自体は少ないのだが、一度診察室に入るとなかなか出てこない。

予約時間を過ぎても呼ばれなくて、一度外の空気を吸いに行こうかと立ち上がった瞬間に順番がまわってきた。

話を聞いてくれた医師は、私の想像とは違っていた。

もっと冷たい感じのする医師がビシビシと原因を追究するための質問なんかをしてくるんだと思ってた。

でも、とても優しい雰囲気の医師だった。

だから話しやすいはずなのに、その日の私はなかなか言葉が出なくて固まってしまった。

次の人も居るし、早く何か言わなきゃと焦れば焦るほど言葉が出ない。

医師も困っていたと思うのだが、

「ゆっくりで良いですよ」

と声をかけてくれた。

その声を聞いて少し安心した私は、何度か深呼吸。

その後、ようやく今困っていることを伝えることができた。

ここまでで、実は予約時間のかなりの部分を費やしてしまっている。

それなのに急かすことなく、じっくりと聞いてくれた医師には感謝しかない。

その日は、離婚問題に苦労していることまで話した。

受診を終えて再び待合室に戻り、お会計&次回の予約を済ませて終了。

結局お薬は処方されなかった。

「もう少しお話をしてみて、お薬が必要かを判断しましょう」

と言われた。

子どもの進路-理系以外は認めない!と言うモラハラ夫

文系を見下し、全否定 子どもが元気で楽しく過ごしている姿を見ると、しみじみと幸せだな~と思う。 親だから色々と欲は出てくるが。 結局は元気で居てくれるだけで良い、という所に落ち着く。 それが夫には理解できないようだった。 親なら子どもを『もっと高い所に』と思うのは当たり前だろう?...