2025年7月30日水曜日

休職状態で在籍し続けたお義兄さん

会社に在籍し続けるという選択

心身の調子を崩したお義兄さん。

すぐに辞めてしまうという選択肢もあった。

でも、将来のことを考えて休職することに決めた。

休職って、所属している会社によって認められる期間が違う。

お義兄さんのところは大手だからなのか、結構長期で取れるようだった。

定期的に産業医との面談はあると言っていたが。

そこで『まだ復帰は不可能』だと判断されれば延長される。

福利厚生のしっかりとした会社に入ると、こんなにも安心感があるものなのかと感心した。

それに比べ、夫は調子を崩してからすぐに居場所を失った。

会社からは、

「○○月までは待てるけど・・・」

と言われ、私ばかりが焦った。

当の本人は考えているのか、いないのか・・・。

少なくとも傍から見たら焦っているようには見えなかったので、それとなく

「〇月までに復帰できなかったらどうする?」

と聞いてみたら、

「あまり先のことは考えたくない。考えても仕方がないだろ」

と言われて終わった。

考えたくなくても考えなきゃならないんだよ。

生活がかかってるんだから。

そんな言葉をのみこんで、ただひたすら黙って支え続けた。

それに対し、返ってきたのがモラハラや虐待だった。

あんな仕打ちを受けつつもどこかで諦めの気持ちがあり、長い間我慢してしまった私にも責任があるのかもしれない。

お義兄さんの場合、その点では恵まれていた。

大きな会社に所属し、手厚いサポートを受けられる環境。

奥さんとも離れて暮らし、モラハラをし合うことも無い。

精神的に落ち込んでいる時には諍いのない穏やかな暮らしをするのが一番なので、結果的には義実家に戻って良かったのだとみんなが思っていた。


夫の戻る場所がない

休職中、お義兄さんは主にお義母さんから面倒を見てもらっていた。

衣食住が揃っており、ご飯は黙っていても出てくる。

そこには言い争う相手も居ないので、すぐに状態は落ち着いてきた。

ただ、休職中というプレッシャーと離婚の話し合い中という状況と。

ストレスが無かったわけではない。

だから、周りは腫れ物に触るような接し方をしていて、かなり気を使われていた。

その結果、非常に居心地の良い空間ができあがり、本人は段々と本来の姿を取り戻した。

元々は気が強く、攻撃的な人物だ。

それが、病気によって少しの間大人しくなっただけ。

それが分かっていても、以前とは別人のようになってしまった姿に戸惑い、何とかしたいと思ったのだろう。

義両親は回復してきてもずっと同じように気を使い続けた。

ストレスたっぷりの職場から離れて数か月。

あれだけ快適な生活を送っていれば戻りたくなくなるのも当然だ。

それでも、お金のために戻る人も多いのだろうが、お義兄さんは休職し続けた。

こんなに長く休み続けられるの?!と驚くくらい長かった。

お義兄さんが義実家に居るということは、夫が戻れないということだ。

それってつまり、私たちの状況の停滞を意味する。

私も最初は『仕方がないなぁ』と思っていたのだが、数か月が経過する頃には焦りを覚え始めた。

そして、無理やりにでも事態を動かさなければ、という方向に意識が変化していった。

2025年7月29日火曜日

「貯金いくらある?」という質問の意図

静観し続ける私に質問の嵐

夫や義両親の策略にはまってはいけないと、あえて静観し続けた。

何か言われても大げさに反応せず、淡々とした受け答えに徹した。

それでも諦めないので、どうしたものかと思っていたら、突然

「今、貯金ていくらあるの?」

と質問された。

最初、その意図が分からず言葉に詰まってしまったのだが、その後の夫の発言でようやく理解。

「兄貴が家を売っても借金が残るらしいんだよ」

という夫の言葉は、状況を理解するのに十分だった。

お義兄さんは元々エリートで、高給取りだった。

辞めてもしばらくは失業給付をもらえるはずだが、未来永劫もらい続けられるものではない。

その上、精神状態が悪くて仕事再開の目途が立たないことから、家は売却しようという話になっていた。

ただ、売却しても負債が残るらしく、それをどうしようという問題が。

というか、あれほど稼いでいたのに貯金も無いのかい。

呆れるやらがっかりするやらで、何と言ったら良いか分からなかった。

もしかしたら、奥さんに慰謝料として払ってしまったのかとも思ったが。

そうではないらしい。

働いていた時にかなり散財していて、貯蓄なんて考えは無かったらしい。

そう言えば、派手な生活を送っていた。

外食に旅行、ペット。

グルメな人たちで、お取り寄せなんかも頻繁に楽しんでいた。

そんな世界もあるのか、と時々羨ましくなったが。

自分には縁のないことだと、こちらはコツコツと生活してきた。

それが急に仕事を辞めることになり困ったからと言って援助を要求してくるなんて。

お義兄さんがそんなことを言うはずがないので、多分夫が良い恰好をしたくて義両親に提案したのだろうと思った。

そもそも、私の貯金は子どものためのものであり、他の用途に使うつもりは一切無い。

だから援助なんてできないが、とりあえず一体いくらの負債が残るのかと聞いてみたら、数百万という大金で・・・。

その額にも衝撃を受けた。

立地は良いので売れるには売れるだろうが、それでも差額が出てしまう。

「困ったねー」

と言いつつ、これ以上長引かせると押し切られそうなので早く話を切り上げようとした。

こんなの、本来ならバサッと切り捨ててしまえば良いだけのこと。

でも、あの人たちと話していると圧の強さに負けそうになることが多かった。


一円も出せません

いくら払えるかなんて聞かれても、そもそもお義兄さんの借金自体が私には関係のないことだ。

一円も出せないという態度で接していたら、

「まだ家族なんだから、少しは助けてくれよ」

などと、都合の良いことを言い始めた。

そこでふと、私にその話を持ってくる前に自分の貯金を使ったらどうなの?と思い、

「(夫)は私なんかよりずっとお金持ってるでしょう。それを貸してあげたら」

と提案してみた。

離婚の話し合いの時だって、それを隠したくて『財産を調査するのは止めにしよう』と言ってきたくらいだ。

まとまった額のお金を持っているのは夫の方なのに、即座に断られた。

実の兄弟のことでも、自分のお金は使いたくないんだね。

それなのに私には払わせようとするなんて。

いつも通りの身勝手な物言いに怒りを感じた私は、

「それじゃ、借金を地道に返していくしかないよ」

と告げた。

夫なら、その額を一括で貸し出せるくらい持っているのを知っていた。

そんなに困っているのなら貸してあげるという選択肢もあるだろうに、なぜか私に負担させようとしてくるので、

「なんで(夫)の貯金から貸してあげないの」

と聞いたら、

「俺たち兄弟は、そんなに仲良くないからさ」

と訳の分からないことを言った。

何を言ってるの。

それなら私なんて赤の他人だよ。

赤の他人に、いつ返ってくるのかも分からないお金を貸せるはずがない。

私たちはもうすぐ離婚して他人になるんだから、お義兄さんなんて他人の兄弟になるんだよ。

怒りに任せてそんなことを言いそうになったが、ふと思い直して

「私からは無理だなぁ。そんなに持ってるなんて(夫)が羨ましい」

という言い方にした。

羨ましいと言われた夫は、喜んで良いのか否定した方が良いのか分からない感じになり、

「まあ、そうだよな」

という曖昧な反応でその話を締めくくった。

私と話してみて、『やっぱりコイツはそんなに持ってないよな』と分かってくれたのか。

あるいは、『さすがに出してはくれないか』と思ったのだろう。

2025年7月28日月曜日

エリートなお義兄さんの転落人生

離婚と引っ越しと家の売却と

お義兄さんが離婚するのは確定らしい。

そんな話をされてから間もなく義実家への引っ越しも済ませたようだった。

もうやり直す可能性が無いのなら早い方が良いのかもしれない。

そんな風に思いつつも、ずい分早い決断に驚いた。

私たちなんて、離婚したいと思っていても交渉は一向に進まず・・・。

夫のペースにはまりそうになっては軌道修正する、というのを繰り返していた。

それに比べて、お義兄さん夫婦の動きの早いことよ・・・。

羨ましいような気持ちでその動きを見ていた。

私が感心していたのはそのスピーディーな決断だけでは無かった。

一度は夫婦として一緒に暮らした人と離れる時、多くの人は戸惑いを覚えるのではないだろうか。

私たちも例外ではなく、あんなに酷いことをされたのに同情心のようなものが消えなかった。

それなのに、二人はどちらも割り切っているように見えた。

スパっと切れる、その潔さも見習いたいところであり、私も続きたいと思った。

引きずると後のことにまで影響を及ぼすから、きちんと気持ちの整理をつけたくて。

私は表面上のことだけを見て勝手にそんな風に感心していたのだけれど、実際は違っていた。

奥さんの方は本当に割り切っていたみたい。

でも、お義兄さんは調子を崩した。

会社でも色々と嫌なことがあり、仕事を続けるかで悩んでいる頃だった。

それがプライベートでも大きな決断を迫られ、精神のバランスを崩してしまった。

そこからは本当に坂を転がり落ちるように色んなことがあった。

仕事にも行けなくなり、奥さんからは離婚届けを送りつけられ、家のローンも滞った。

ローンて本当に怖い。

払えなくなったら、あっという間に手放すことになるんだから。

あれよあれよという間に家を失って、しかも借金が残り・・・。

こんなに辛いことがいっぺんに起きるなんて、気の毒に思った。

お義兄さんにも悪い所があったのかもしれない。

だけど、あんな風に全てを失うことになるなんて、私なら耐えられそうにない。


可哀そうに思う気持ちと同居は別問題

確かにお義兄さんのことは気の毒だった。

でも、それと同居の話は別問題だ。

最終的に義実家では夫しか働き手が居なくなった。

その夫だって、少し前まではずっと無職で家に居たわけで。

いつ仕事を辞めてしまうかも分からなかった。

そんな状態で安心などできるはずがない。

不安に思った彼らは、何とかして私に家に入ってもらおうと色々な提案をしてきた。

「今後は絶対に嫌な思いをさせないから。みんなで暮らそう」

と言われても、正直戸惑うばかり。

断るなんて酷く冷たい人間に見えるかもしれないが、ここで断らなければまた同じことを繰り返してしまうと思った。

子どものことだって守り切れなくなる。

そんな風に葛藤しながら、何とか自分の思いを貫き通すことができた。

私は子どものことが一番大事で、何が何でも守りたいのだという自分の気持ちも再確認した。

弱気になった夫や義両親には他に策が無かったのだろう。

懇願するように何度も話を持ち掛けてきて、そのたびに拒否した私。

彼らも必死だったのだ。

直接的な言葉ではなかったが、

「(お義兄さんのことを)可哀そうに思わないのか」

という感じのことも言われた。

それを言うのなら、目の前で虐待されている子どものことが可哀そうではなかったのか、という気持ちもあった。

いくら同情心を煽ろうとしても私が意見を曲げないからか、段々と苛立ち始めた彼らは、

「もう自分たちはどうなっても良いんだ!」

と自暴自棄になった。

そんな様子を見ても、私は『我関せず』を貫いた。

2025年7月27日日曜日

お義兄さんの離婚により、話が思わぬ方向へ・・・

夫の周辺は問題だらけ

一緒に住んでいる頃からそうだった。

夫の周りはいつも騒がしい。

本人が体調を崩して床に伏せている時でさえそうだった。

だから、静かに過ごそうと思っていてもなかなかできなくて・・・。

トラブルが発生するたびに対応するのもしんどかった。

そして、別居中にまた新たな問題が発生した。

お義兄さんの離婚のことは以前から何となくそうなりそうな気配ではあったが。

その件で奥さんとトラブルになっていた。

条件で揉めて、どちらも譲らなかったのだ。

これは私にも経験が、というか正に直面していることだったので他人事では無かった。

一体どうなるのだろうか、と戦々恐々としながら見守った。

ああいう時、男の人は案外弱いのかもしれない。

散々横暴な態度を取ってきたお義兄さんが段々と弱っていった。

反対に、奥さんの方は長引けば長引くほど強くなり、生き生きとしてきた。

対照的な二人を目の当たりにした夫は、

「俺、ああいう気の強い女って大っ嫌い」

と言った。

いやいや、それまでに散々傷つけられてきたんでしょう。

と思ったけど、よく考えたら逆にお義兄さんがやりこめられていたこともあったわけで。

あの夫婦の場合、どっちもどっちという言葉がまさにピッタリだった。

その似た者夫婦の二人が離婚することになり、両方とも気が強いものだから揉めに揉めた。

そこに義両親が参戦してきて、もう大変なことに。

周りで見ているこちらが引いてしまうほどだった。

実は奥さんの方は自分の実家と疎遠だったので孤立無援の状態。

さぞかし心細かっただろうと思う。

でも、そんなことを感じさせないほど力強く立ち向かい、堂々と自分の要求を突き付けた。

その姿を見て、内心私も勇気づけられた。

あんな風に堂々と交渉できたら良いな。

思いを全てぶつけられるのって凄いことだな。

そんな尊敬にも似た気持ちが芽生えた。


最終的にお義兄さんが負けた

二人の闘いがどうなったのかというと・・・。

最終的にお義兄さんが負けた。

最初は威勢良く反論していたのにどんどん元気が無くなり、最後は奥さんの要望をのむ形で終結した。

義両親は面白く無さそうだったけど。

本人が納得したのなら仕方がない、と諦めたようだった。

しかも、奥さんからは慰謝料まで要求されていた。

その額、数百万円。

これをあまり詳しく書いてしまうと身バレが怖いので書けなくて申し訳ない。

数百万円と言っても500万円以下ではない。

それほど大きな額を要求してきたからと言って、お義兄さんが一方的に悪いということもない。

二人はお互いにモラハラをし合っていたのだから、どちらも同じくらい悪いと思う。

強いて言えば、より酷い度合いのモラハラをしていた方が若干責任が重いかな?という位。

それはどっちなの?と聞かれても、正直なところ分からない。

とにかく、お互いに攻撃し合ってきた二人の闘いは最後まで激しかった。

そして、お義兄さんが負けた。

もちろん最初は、

「そんな額払えるわけないだろ!」

と突っぱねたようだが、

「それなら裁判します」

と言われ、あっけなく白旗をあげた。

何というか・・・、虚しい最後のように感じた。

どのような形であれ、お義兄さんの問題が片付いたことで、義両親の心に余裕が生まれた。

その余裕が悪い方向へと働き、

「これを機に、(私)さんときちんと話し合いをして、みんなで仲良く暮らして行こう」

という、思ってもみない方向へと進もうとしていた。

2025年7月26日土曜日

心機一転、新しい環境で・・・

義兄の離婚の件で夫から連絡あり

離婚することになったお義兄さんの件で夫から連絡があった。

既にその情報は義両親からもらっていたので、私は驚きもせず聞いていた。

いつもよりも落ち着いた反応だったからか、

「あれっ?驚かないの?」

と言われ、既に知っていることを伝えた。

この時ふと、義両親ときちんと会話できているのだろうか、と疑問に思った。

一緒に居る時間が長いのだから、ちょっとしたことでも報告するはずだ。

特に夫はほぼテレワークだったので終始一緒に居るという状況だった。

それなのに、なぜ伝わっていないのかが不思議で、

「何も聞いてないの?お義父さんかお義母さんがそこに居るんだよね?」

と聞いてみたら、

「ちょっと家に戻ってるんだ」

と教えてくれた。

そうか。

お義兄さんの件でまだゴタゴタしているから戻ってるのか・・・。

定年後は二人とものんびり暮らしていた。

それなのに、息子二人のせいで落ち着かない日々を送る羽目になった。

強引で困ることもあったが、その状況は気の毒としか言いようが無かった。

その上、我が家の問題も解決していない。

遅かれ早かれ離婚することになるだろうから、その時は息子二人まとめて面倒を見る羽目になるんだろうなと想像した。

もういっそのこと、四人で暮らしたら良いのに。

結婚前と同じメンツなんだから、暮らせないことはないはずだ。

お義兄さんが就職で家を出てから一部屋空いた。

そこに、お義兄さんの置いて行った荷物や義両親のすぐに使わない物を置き、実質的な荷物置き場となった。

その後、夫も家を出てもう一部屋空いて、お義母さんがそこで寝るようになった。

四人で再び住むには、義両親が一つの部屋を使い、お義兄さんの部屋の荷物を片付けなければならない。

それをしないのは、お互いが一緒に住むことに懸念があるからだと感じた。

私に『家族なんだから』と言ってくるけど。

結局は、義両親だって夫やお義兄さんを持て余していた。

対応に困り、今となっては自分たちよりも扱いに慣れているであろう嫁に託したいのだと思った。

でも、お義兄さんの奥さんや私が受け入れなかった。

私の場合は虐待という重大な問題があったから。

たとえ扱い辛さに目を瞑ったとしても、受け入れることなど到底できなかったんだけど。

義実家でみんなで住むことを頑なに拒む彼らを見ていると、本当にため息が出た。

血のつながった家族でさえ難しいんだから、他人の私たちには無理だよ。

それを、『やってやれないことはない』みたいな根性論で押し通そうとするのは、あまりにも強引だ。


みんなで住む家を建てたい

この時の連絡で、とても驚いたことがあった。

「この際だから兄貴も含め、みんなで住む家を建てようかという話も出てるんだ」

と言われ、

「ふーん、そうなんだ」

と聞いていたら、

「心機一転、俺たちもそこでやり直せないかな」

と驚くべき提案をされた。

私は驚いて絶句した。

もう離婚という決心は揺るがない。

あとは夫をどう説得するかということだけだったのに、また自分勝手な話を持ち掛けられて頭が痛くなった。

しかも、何度も何度も断った同居の話を持ち出すなんて。

この人は本当に何も理解していないのだと絶望した。

「離婚という結論は動かせないから。一緒に住む可能性も無いよ」

と正直な気持ちを伝えても、食い下がる夫。

言い方を変えながら何度も打診してきて、断るのにも一苦労だった。

「俺は就職したばかりだからローンを組めないんだよ」

と言うけれど、だからって私に頼られても困る。

内心は『そんなの知らないよ』と思ったが、恐怖心があったため、ストレートに伝えることもできず返答に困った。

普通はローンを組めないのなら諦めるだけだ。

それを、もうすぐ他人になろうとしている私に依頼してくること自体がおかしい。

そんな状況でも、夫を傷つけたくなくてやんわりと断り続けた。

自分でも甘いと思うのだが、こういう性格って簡単には変えられない。

それまで散々夫に利用されてきたのに、また弱い部分が出てしまった一件だった。

2025年7月25日金曜日

引っ越し資金の準備ができた

早く生活を立て直したい

夫から通帳を返してもらい、急に手持ちのお金が増えた。

これは本当に嬉しかったが、浮かれている場合ではなかった。

その資金を使って生活を立て直すことが急務だった。

と言っても、夫が動いてくれるまでは新しい部屋を借りることもできない。

少し余裕ができたからと言って部屋を二つも借りていたら、それこそすぐに尽きてしまう。

まずはじっくりと計画を練るために貯金を整理することにした。

絶対に動かさない、下ろさない通帳を作り、大半をそこに移動。

もう一つには、突発的な出費に備えて少しだけお金を入れた。

計画を立てながら、何だかワクワクした。

ずっとギリギリの生活だったから。

ほんの少し余裕ができたら、これまでと同じ風景も違って見えた。

さあ、ここからが勝負だ。

また頑張らなくちゃ。

私はやっと一歩踏み出せたことに安堵しつつ、次の出方を考えた。

まだまだ道のりは遠く、夫は『離婚』を受け入れてはくれない。

それでも一筋の光が差し込んできたような気がして清々しさを感じていた。

そんな時、義実家の方では決定的な出来事があった。

お義兄さんの離婚である。

ずっとその問題はくすぶっていて、いつ爆発してもおかしくない状態だったのだが・・・。

とうとう本当に離婚することになった、という報告をもらった。

私たちの方が先に離婚に向けて動き始めたのに。

先を越されちゃったなー、なんて思いながらお義兄さんの奥さんが羨ましくなった。

モラハラから解放されるってどんな気持ちだろう。

綺麗さっぱり忘れられるのかな。

私も早くその仲間入りがしたかったけれど、長くなりそうだなという予感もあった。

実際、その後年単位の戦いを強いられることになり、私の精神はどんどん疲弊していった。


実感がわかない、お義兄さんの離婚

お義母さんから報告を貰った時、『とうとうその日が来たのね』と思った。

だけど、よくよく考えたら何度も『離婚だ!』となっては元に戻るというのを繰り返していたので信じられない気持ちもあった。

また、元に戻ったりして。

お義兄さんの奥さんには申し訳ないが・・・。

内心は元に戻って欲しい気持ちがあったことも事実だ。

お義兄さんが義実家に戻ってしまったら夫が戻るためのスペースが無くなってしまう。

自分で部屋を借りれば良いのに、それもしないだろうから。

義両親がお義兄さんにきっぱり断ってくれないかな、とさえ思った。

『お前はもう立派に自立してるんだから部屋を借りろ』みたいな感じで。

それを言ったら夫も同じかもしれないが、体調不良だったことを考慮すると夫の方の面倒を見て欲しいなんて図々しく考えてしまった。

部外者の私がこんな風にやきもきしていたなんて、誰も想像しないだろう。

それも、『夫の戻る場所が無くなったら困る』という理由なんだから。

私たち夫婦も実質的には既に関係が終わっていたんだと思う。

独りぼっちで放り出すことができなかったのは、夫に対して同情心があったからだ。

それを夫は愛情だと勘違いした。

愛情をもらったら、それに返そうとするのが普通だと思う。

だけど、夫は利用しようとした。

本人にそのつもりは無くても、私の扱いは常に利用価値があるかないかで決まっていた気がする。

こちらにまだ気持ちが残っているうちは、それでも我慢できた。

我慢強い私の意識を変えたのは子どもへの虐待だった。

それを目の当たりにした時、一気に夫のことが許せなくなった。

2025年7月24日木曜日

やっと通帳が手元に戻ってきた

お互い譲らず他の議題は持ち越しに・・・

三人とも疲れていた。

夫と私は当事者だから仕方ない。

でも、Nは夫の友人というだけでその話し合いに同席させられていた。

部外者なのに大変な思いをさせてしまった。

N自身はとても良い人で、

「気にしないで。第三者が必要なら俺が適任だと思うよ」

と言ってくれた。

こういう気遣いのできる人だからこそ、夫に一目置かれていたのだと思う。

私もNにはずいぶんお世話になった。

夫が絡む出会いでなければ友達になれたかもしれない。

その日は『もうこれ以上話しても結論は出ない』ということで三人の意見が一致していた。

だから、自然な流れでお開きになったのだが・・・。

最後に私にとって大きなサプライズがあった。

もう諦めていた通帳が戻ってきたのだ。

こんな風に書くと大袈裟な感じになってしまうが。

いや、何のことは無い。

夫が隠し持っていた私の通帳を持ってきてくれただけの話だ。

それを見た瞬間、万歳したくなるほど嬉しくなった。

そして、夫に向かって

「ありがとう」

とお礼を言った。

ありがとう、もおかしな話だが、本当にお礼を言いたいくらいに嬉しかったのだ。

もう手元には戻ってこないと諦めていたから。

まさか、そのタイミングで戻ってくるなんて夢にも思わなかった。

私は受け取った通帳を大事にバッグの奥にしまいこんだ。

これがあれば、とても助かる。

元々別居に向けて貯めていたものだったのだが・・・。

その時点で、家を出てからだいぶ経っていた。

何となく家計のやりくりのコツとか流れも掴めてきた頃だった。

だから、戻ってきたお金はいざという時のために残しておこうと決めた。


通帳の中身について聞かれ、動揺

渡してくれたは良いが、どうやって貯めたのかを聞かれてしまった。

夫の目をごまかして貯蓄に励んでいたことなど言えやしない。

だから、

「小銭を少しずつ貯めたんだよ」

などと言ってごまかした。

かなり怪しんで見ていたけど、それにも気づかないフリをした。

というか、怪しんでいたから取り上げたんだろうけど。

ここでまたイザコザになったら面倒なので必死に取り繕った。

一体どうしてこんなタイミングで返してくれる気になったんだろう。

それが不思議でそれとなく聞いてみたら、

「俺が持ってても意味ねーから」

と言われピンときた。

確かに夫が持っていてもお金をおろすことはできない。

家族でさえも手続きをするのはハードルが高いということを知ったのだろう。

それで、不要になって渡してきたというところか。

まあ、そうは言っても私に渡すのもしゃくだったと思う。

直前に生活費の負担をお願いしていたのにゼロ回答だったことも関係している気がした。

多少は気にしたのかもしれない。

それで、急に返してくれる気になったのだとしたら、あの交渉自体が大成功だったと言える。

今後のことを考えると、お金は本当に大事だ。

いくらあっても足りないくらい。

日々節約してちょっとずつ今後のために貯めようとしていたところでその通帳を取り戻せたことは大きな収穫だった。

2025年7月23日水曜日

半分の負担も渋る夫

独特の計算方法で自分の払う分を算出した夫

「生活費の半分を負担して欲しい」

と夫にお願いしたら、何やら携帯を取り出して計算し始めた。

画面の角度的に見えなかったのだが、結構長い時間計算していた。

悔しいけど夫は頭のキレる人なので、おおよその額を算出するのはあっという間だと思う。

でも、この時は長々と打っていて、途中ため息なんかつきながらあーでもないこーでもないとやっていた。

最終的に負担する額が出てきたようだが、何だか渋々な感じだった。

『まあ、仕方がないか』という空気を醸し出していて、これまでの私だったら夫に申し訳ないなぁなんて考えてしまったと思う。

結果が出た後、自分の前に携帯を置いて『見ろ』と促してきた夫。

恐る恐る画面をのぞき込んだら、月々の生活費の4分の1にも満たない額だった。

えっ?

どうやったらこんな額が出てくるの?

それじゃあ家賃の半分にもならないよ。

驚いて夫の顔をまじまじと見つめたが、非難されていると気づかないのか、

「もう、それで良いだろ」

と横柄な態度だった。

まるで『譲歩してやった』と言わんばかりの物言いで、納得できなくて

「半分どころか4分の1にもならないんだけど、どういう計算なの?」

と質問した。

夫は明らかにこの話題を早く終わらせたがっていた。

でも、それを許さず、しつこく質問した。

既に怒り気味の夫はとても怖くて、でもこのままではいけないとキレられるのを覚悟の上で勇気を出して質問したのに、

「お前に説明しても分かんねーよ」

と言われてしまい、

「それ以上は無理だから」

と一方的に話を切ろうとした。

それでも諦めずに、

「内訳だけでも教えてよ。でないと納得できないから」

と言ってみたけれど、

「それならもう無しだ」

とヘソを曲げてしまった。

その後、

「食費とかも結構かかってるし」

とか、

「親も来てくれてるから、その分もかかってる」

などと言い、納得しない私を守銭奴扱いしてきた。

この話し合いが終わった後にNから聞いたのだが、夫は恐らく家賃から色々な物を引いていた。

何を引いていたのか分からないが、マックスの額が家賃でそこからどんどん引いていったので、最終的に家賃の3分の1くらいになってしまった。

生活費って家賃だけじゃない。

光熱費やネット代だってばかにならない。

食費を払っていると言うけれど、それはお互い様だ。

私たちだって自分たちの食費を払っているのだから、それを考慮しろというのがそもそもおかしい。

また一緒に暮らしたいと言っている割には、こちらのことなどどうでも良いようだった。


話し合いのできない夫

「お前たちが出て行かなければ、こんな風に生活費が二重にかかることなんて無かっただろ」

と責められた時、思わず

「二重になんてかかってないよ。今いる所は」

と言いかけてハッとした。

危なかった。

先輩の所に居ることはバレてないみたいなのに、わざわざ自分からカミングアウトするところだった。

以前に夫から脅されたこともあったが、あれもカマを掛けたのかもしれない。

本当に二重の生活費が掛かっていたら、すぐに立ち行かなくなっただろう。

それは夫も分かっていたはずだ。

「家に戻らないというのなら、その分金が掛かっても文句は言えないよな」

というトンデモ理論も、夫からすれば正論。

初めから私たちに利するようなことをする気はさらさらなく、家に戻るか夫への費用負担の要求を取り下げるかの二択を迫られた。

比較するまでもなく、より嫌なのは家に戻ることだった。

その二択を出すのも卑怯だと思ったが、ここは諦めるしかないと要求を放棄した。

この時、とてもがっかりしたように見せていたが、実はここまでは想定内だった。

だって夫が私たちのためにお金を出すはずがないから。

それより、この流れで別居を納得させたかった。

お金のことは諦める。

だから、そっちも別居のことは認めて欲しい。

そういう感じで文句を言われない状況を作りたかった。

本来なら離婚まで一気に進めたかったが、相手があの夫では難しい。

それなら第一ステップとして別居という手札を失わない状況にしたかった。

最終的にその目的は達成された。

2025年7月22日火曜日

「筋を通せ!」と言われても怯まなかった

「お前の要求ばかり聞く義理はない」と言う夫

考えてみたら、おかしな話だ。

あの日、夫は私に向かって

「離婚したいのなら、それなりの誠意を示せ」

と言い、

「そっちが離婚の要求を無理やり押し通そうとするのなら、こっちだって譲歩できない」

と強い口調で決断を迫った。

この時、恥ずかしながら何に対して決断を迫られているのか分からず、言葉に詰まった。

そうしたら、Nがまたしても助け舟を出してくれて

「それって離婚をのんで欲しいのなら、一度家に戻って来いってことだよね」

と説明してくれた。

いやはや。

まさかこんな要求を突き付けてくるとは。

呆れるやら困惑するやらで言葉が無かった。

「でもそれって真逆のことだし、現実的じゃないよ」

と抵抗したものの、

「要求を受け入れて欲しいのなら筋を通せ!」

と怒鳴られた。

こうなると絶対にこちらの要望を聞き入れることはない。

だけど、私だって夫の言う通りにはできないから。

この話し合いは何も決まらないのだろうな、と思った。

それに、きっと一度家に戻ったら二度と出ることはできない。

それが分かっているのに、夫の言う通りになどできるはずがなかった。

夫は夫で、この場を上手く乗り切れば復縁できると考えていたようで、

「とにかく一度家に戻れ。話はそれからだ」

と言った。

強引に戻そうという魂胆がみえみえで本当にうんざりした。

何を企んでいるのかが手に取るように分かるのに、夫はまだ上手く騙せると勘違いしていた。

『もう無理なんだよ』と心の中でつぶやき、まるでその場を傍観するように眺めていた私。

一度真実が見えてしまうと、こういう夫の強引なやり方も冷静に見ることができる。

これまでは夫が正しいと思っていたことも違っていたのだと実感した。

こんな不毛な話し合いをしていても無駄だから、この時は私の方から

「戻るつもりはないのに、そういう条件を出されても意味が無いよ」

と一蹴した。

怯えながらでも、こうやって気持ちを言えるようになっていた。

それが、ちゃんと進歩できているんだと自信につながった。


反撃開始

筋を通せと言うのなら、夫だってちゃんとして欲しいと思った。

例えば仕事をしているのに生活費を負担してくれないことも、その一つだった。

以前、まだ家を出たばかりの頃は無職だったので、婚費の請求をされそうになった。

「こっちにはその権利がある」

と言われたのだが、家賃も光熱費も払っていたので、もう余力は無いことを伝えた。

「どうしても払って欲しいのなら部屋を解約するしかない」

と伝えたら、ようやく大人しくなった。

夫は、部屋を引き払ったら自分は義実家に戻るしか選択肢が無く、本格的な別居になってしまうと考えたようだ。

そうでなくても客観的に見れば別居なのに。

謎のこだわりがあった。

その日は夫が既に安定した収入を確保していて、要求できる状況にあった。

というか収入は既に私よりもかなり多くて、折半でも譲歩しているくらいだった。

それをなあなあな状態で払い続けていた私。

交渉しなければと思っていたので、ちょうど良い機会だった。

「まだ家族なのだから、生活費を折半したい」

と要求し、

「収入差を考慮すると(夫)の方が多く負担することになるけど折半で良いよ」

と伝えた。

その少し前に義両親が家賃の半分を負担してくれていたが。

夫に内緒で払ってくれていたので、知られてしまい激怒された。

結局、受け取った額を返済することになった。

今度は私が要求する番だ。

『折半で良いよ』という私の言い方が気に入らなかったのか、夫は独り言のように

「何だ、その言い方」

と文句を言いながら、ポケットから携帯を取り出した。

2025年7月21日月曜日

「復縁するつもりが無いのなら別居も認めない」と言う夫

「元に戻って、今まで通りに暮らそう」

夫はこれまで私のやることなすこと全て否定してきた。

別居のことだって、私の我が儘で家を出たことになっていた。

それを許してあげる俺ってエライ。

お前が改心するなら何も言わずに受け入れるよ。

そんな風に寛大な夫を演じていた。

私は、そんな夫の申し出を即座に断った。

だから、また機嫌が悪くなって

「復縁するつもりは無いの?それなら別居も認めないけど」

と言ってきた。

まさか、別居が許可制だとは思ってもみなかった。

家に居られなくなって必死の思いで出たのに。

また戻れと言われて怖くて仕方がなかった。

でも、怯えていたらきちんと話し合えないから。

体が震えそうになるのを必死で堪えながら向き合った。

話す時には震える手を見られないようにギュッと握りしめた。

何度も言えば私が言う通りになると思っていたのだろう。

繰り返し、

「今ならまだ元に戻れるよ。これまで通りに暮らそう」

と言ってきた夫。

それは提案という感じではなく、諭すような口調だった。

Nはずっと黙ってその会話を聞いていたが、私が頑なに拒絶するものだから、

「戻りたくない理由を伝えた方が良いよ」

と上手く誘導してくれた。

目の前に夫が居て、あんな風に強い口調で言われてしまうと、どうしても自分の意見を言うことができなくなってしまう。

それは多分、これからも変わらないと思う。

『理由』を聞かれたら、何十分も話し続けることができる位にあるのに。

怯えていると自分の考えを上手く整理できなくて、しどろもどろになりながら懸命に伝えた。

夫との生活はとても怖くて息苦しかったこと。

何か失敗して怒られたり、無視されたり、ご飯を捨てられたり。

お金のことで責められるのが辛かったこと。

次は何を言われるのかと怯えて暮らしていたこと。

途切れ途切れの言葉で私なりに伝えたつもりだ。

機嫌が悪い時にはどんなに気を使っても必ずと言っていいほど怒鳴られた。

そういう日々の積み重ねが私たちの心を壊した。

一番嫌だったのは子どもを虐待したことだった。

私は我慢強いので、自分のことだけなら我慢したかもしれない。

だけど、子どもが虐められるのだけは我慢できなかった。

本当にお腹の底から怒りがわき上がって、夫のことがどんどん嫌いになった。

それが私の中で決定打となり、離れることを決心した。


虐待の事実は永遠に残る

虐待の話が出た時に夫の顔色が曇り、

「まだ、そんなこと言ってるの?!」

と言われた。

驚いたことに、もう夫の中では過去の話になっていた。

あれほどのことをしておいて、無かったことにしようとするなんて。

本当に許せないと思った。

「私にとっては(子ども)が一番大事なんだよ。あんなに傷つけられて忘れるわけないでしょう?」

と言うのを薄ら笑いを浮かべながら聞いていた夫は、

「お前さぁ、俺のことばっかり言うけど。お前だって(子ども)のこと怒ってた時あったじゃん」

と私を責めた。

確かに私も子どもに対して強く言ったことがあった。

言葉だけだけど、たぶん傷つけたと思う。

でもそれは、夫から言われたからだ。

「俺が怒るのがダメだって言うのなら、お前が責任持って言えよ」

と。

夫に虐待される位なら私が言葉で注意してそれで済ませたい。

そういう思いで普段は言わない強い言葉で注意した。

それが私の精一杯だったんだけど。

夫からしたら生ぬるかったみたいで最終的には夫から叱られてしまった。

結局、子どもは私のとダブるで怒られる羽目になった。

あの時のことはずっと私の中にしこりとなって残っている。

子どもに申し訳ないことをしてしまったという思いが未だに消えない。

話し合いの時にその件を出された私は、夫にコントロールされて子どもを守り切れなかったことを恥じた。

そして、自分のしてしまったことを悔やんだ。

そう仕向けた夫のことが憎くて、それなのに上手く言葉にできなくて。

もう顔も見たくないほど夫への感情は悪化していた。

あんな状況になってしまったのには私にも責任がある。

全部が全部、夫が悪いとは思っていない。

だけど、一緒に居たらやっぱり子どもを傷つけてしまうから。

『どうか私たちのことは忘れてください』と頭を下げた。

2025年7月18日金曜日

『夫のことが嫌いなんだ』とはっきり自覚した日

夫を想う気持ちはもう残っていない

あの日の話し合いで分かったことがある。

それは『もう夫のことが完全に嫌いなんだ』ということだった。

それまでは、嫌いと言いつつもグダグダと考えていた。

一緒に居た頃の思い出もあるし、子どもに優しくしてくれたこともあった。

働いていた時には頼りになった。

あのまま夫の体調が悪くならなければ、そこそこ幸せに暮らしていけたのではないか。

滅多にない幸せな時を想い出しては、そんな風に惜しんだ。

そうやって過去の色んなことを掘り返すのは意味が無いのだと思う。

良い時があったとしても、現状は苦しめられるばかりなのだから。

それに、幸せだと感じていたことも実はそうでも無かった。

三人で過ごす時間に楽しみや喜びを見出そうと必死だった私は、ごく普通のことでも大げさに感動した。

そうしなければ、やっていられなかったというのもあるが。

それ以上に『大丈夫。私たちはこのままやっていける』と思いたかった。

そう思い込まないと崩れて跡形も無くなってしまいそうで。

必死にしがみついていたのだ。

その結果がこれだ。

夫は私が何でも許してくれると思うようになり、モラハラは更に悪化していった。

虐待も止めることができなくて苦しいことばかり。

そんな日々を思うと、夫と離れられることがこの上ない喜びだと気づいた。

その日、目の前に座る夫に対し、情のようなものも湧かなかった。

『あぁ。この人のこと好きじゃないな』とはっきりと自覚しただけ。

好きじゃないというか嫌い。

こんなに嫌いなのに一緒に暮らせるわけがない、と思った。


自分の気持ちにしか興味がない夫

私は思っていることが顔に出てしまう。

隠そうとしても上手く隠すことができないので、何を考えているのかすぐに悟られてしまうことが多かった。

夫との生活で大分上手く隠せるようになったけれど。

嫌だなとか嫌いだとかの感情はだだ漏れていたと思う。

普通ならそういう雰囲気を察知すれば気になるものだ。

でも、夫の場合は私の気持ちなどどうでも良いようだった。

嫌がる私に対し、

「俺は今の所、復縁の方向しか考えられない」

と言い切った。

「離婚はいつでもできるんだから。まずは復縁の方向で話し合いたい」

と言われたって受け入れることができず困ってしまった。

どうせ本心は見抜かれているのだろうし、こちらも正直に

「私は離婚しか考えられない。もう一緒に暮らすのは無理だと思う」

と伝えてみたが、『まずは俺の話を聞け』という感じでスルーされた。

スタートからこのように対立してしまったので、Nは困って

「えーと。どうしようか」

と私たちの顔を交互に見て、

「とりあえず、両方の可能性を探ってみようか」

と提案してきた。

夫は終始イライラしていて、ずっと貧乏ゆすりをしながらこちらを睨みつけてきた。

話し合おうという態度では無かった。

そんな夫の態度を見て、注意してくれたN。

私が言ったら多分烈火のごとく怒ったと思うのだが、相手がNだったので夫も

「あー、悪い。そうだよな」

と素直に聞いていた。

こういうのを一つとっても強く自覚してしまう。

あー、やっぱり私の扱いって酷いんだな、と。

愛情なんて全くないのだろう。

それなのに、なぜ私たちを手元に置いておきたいのかが不思議で仕方がなかった。

2025年7月17日木曜日

再び夫と話し合うことに

噛み合わない夫との話し合いは辛い

再び、夫と話し合うことに決めた。

と言っても、相手はのらりくらりと交わしてばかり。

ちっとも向き合おうとしなかった。

勇気を出して伝えた言葉もスルーされてしまう始末。

このままではらちが明かないと思い、こちらから積極的に働きかけることにした。

別居期間が長引けば離婚自体は成立する可能性は高い。

ただ、それを待っていたら年単位の話になってしまう。

何年も待っていられるの?

そう考えた時、答えはNoだった。

これから先、子どもを育てていく上で環境は大事だ。

不安定な生活の中、いつ危険が及ぶか分からず怯える毎日だったら心が疲れてしまう。

それに、いつまでも先輩の家でお世話になっているわけにもいかなかった。

なるべく早く決着をつけたくて、私は何度も話し合いを促した。

『もう、これ以上は待てないんだよ』というのを精一杯伝えたつもりだ。

しつこい位に働きかけた結果、夫がようやく重い腰を上げた。

ただ、夫が求めてきたのは『復縁』だった。

あくまでも復縁の方向で話を進めようとするので、最初から噛み合っておらず。

お互いが言いたいことを言い合うような形になった。

それでも、協議を再開できたことは素直に嬉しかった。

ところで、話し合いには相変わらず夫の友人のNが参加してくれたのだが・・・。

しばらく会わなかったら(というか話し合える状況では無かった)、

「音沙汰が無かったから、元に戻ったのかと思ってたよ」

と言われた。

そんな勘違いをするということは、夫とも連絡を取ってなかったということだ。

状況がめまぐるしく変わる中、誰にも相談せずに自分で何とかしようとしていたのかな。

これは非常に珍しいことだった。

夫はいつも友人たちに色んなことを話していた。

特にNは深い所まで知っていて、たびたび助言されていたと思う。

どういう心境の変化なのかは分からないが、もしかしたら離婚について重く受け止め始めたのではないかと感じた。


久々に話し合いの場を設けて会いに行くことに

指定されたのは、以前も使ったことのある飲食店だった。

こういう話し合いも少し前までは頻繁に行われていた。

でも、一時中断してしまったので何だか緊張した。

あれっ?

前ってどんな風に進めてたかな。

どこまで伝えたかな。

細かなことを覚えておらず、ゼロから再スタートするような気持ちになった。

Nが、

「もうとっくに解決してるのかと思った」

と言うので、

「いえいえ、解決なんてしてないです」

と答えたら、夫からギロリと睨まれた。

ああ・・・、今日はそういうモードなのね・・・。

その瞬間、夫の機嫌の悪さを察知した私は思わず身構えた。

機嫌が悪い時、夫は何を言われても悪く捉える。

そして恐ろしいほどに攻撃的になり、これでもかというほど打ちのめしてくる。

それが怖くて話し合う時も心がズシンと重くなっていたのだが。

やはり変わっていなかった。

顔を合わせてから数分後には既に『今日も荒れそうだな』と感じ、絶望していた。

2025年7月16日水曜日

夫から逃げ続ける生活はしんどい

安全な居場所を求めて

先輩と子どもは楽しく過ごしたらしく、ウキウキした様子で買った物を見せてくれた。

「ママ、これ見て!」

とはしゃぐ子どもは本当にいつも通りだった。

その姿を見ていたら、何だかホッとした。

うちの子にはこんな風に楽しめる時間がほとんど無かった。

産まれてからずっと怖い父親が一緒に居て、いつも怒られてばかり。

気が休まらなかったと思う。

離れてからはのんびり穏やかに楽しむことができていたから。

私の決断は間違っていなかったと自信を持つことができた。

問題は、いつまでも夫とつながり続けていることだった。

しかも、居場所を知られたくなくてひた隠しにしているのもストレスになった。

いつかバレるのではないかと冷や冷やしながら会話するのって本当に気を使う。

ちょっと状況は違うけれど、問題を起こして逃げ続けている人も毎日気が気ではないのだろうな、なんて思ったりもした。

私たちの場合には、本来なら何も悪いことをしていないのだから堂々としていれば良いはずなのに。

自分たちの身を守るためには夫の目が届かない場所に行くしかなかった。

カフェで少しの間おしゃべりをした後、みんなで駅をブラブラして過ごした。

何を買うでもなく、ただひたすらウィンドウショッピング。

そういうのも案外楽しくて、あっという間に時間が過ぎた。

もうそろそろ帰らなきゃかな。

ご飯でも買って帰ろうか、と思いつつも何となくまだ帰れずにいた。


結局、夫が来たのか来なかったのか

すぐに家を飛び出してしまったので、夫が本当に来たのかどうかは分からずじまいだった。

もし本当に居場所を知られてしまったら大変なことになる。

もう先輩の家も安全ではなくなるし、迷惑をかけてしまうかもしれない。

その日、先輩の家に戻る時の足取りは重く、これからのことを考えると憂鬱になった。

結局夜ご飯は外で食べることになり、食べている最中に

「オートロックだし、部屋の鍵も掛けるし。よく考えたら家に居ても大丈夫だったかもね」

という話になった。

確かに家の中までは入れない。

他の住人がロック解除した時に一緒に入ってしまう可能性もあるが・・・。

だとしても、部屋の鍵を開けることはできない。

そもそも、本当に居場所を突き止めているのかも怪しい。

そう考えたら安心しそうになった。

でも、もし本当に知られてしまったとしたら、外でバッタリ会ってしまう可能性も・・・。

そういう突発的なのが一番怖かった。

夫を恐れ、いつも夫に怯える生活を送っていた私たち。

そのため、精神的にとても疲れていた。

その時々を楽しむことはできても、根底の部分に大きな不安を抱えていて心の底から楽しめない。

そんな中でも一日一日、感謝しながら過ごした。

抑圧された生活と比べたら雲泥の差で、幸せではあった。

ただ、人間て欲が出てくるものなのかも。

時間が経つにつれて徐々に夫の支配から解放されたいと思い始めた。

怖いけれど、円満に話し合って真の自由を手に入れたい。

いつしかそんな風に考えるようになった。

逃げずに向き合おうという気持ちもわいてきて、だけど恐怖も消えなくて。

その葛藤の狭間で少しずつ決心を固めた。

自由な未来を手に入れるには、やはり地道に話し合うしか無いんだ。

そう思えるようになるまでに、かなり時間が掛かった。

2025年7月15日火曜日

いつか夫に見つかるのでは、という恐怖

夫から脅されて家を飛び出した

ここに居てはいけない。

私は急いで家を出た。

幸い先輩とは連絡がついていたので、どこかで合流しようと思った。

本当は居場所なんて知らないのかもしれない。

ただの脅しかもしれない。

でも、その場に留まることは考えられなかった。

万が一本当に来てしまったら大変なことになる。

それを想像しただけで恐ろしくて体が震えた。

普段は体力が無くて駅までの道のりも結構時間がかかるのに。

その日はあっという間に到着した。

見えない怪物に追われているかのように走り続け、息が切れても辛く無かった。

それよりも、足を止めたらつかまりそうな気がして夢中だった。

途中でバッタリ夫と出くわしてしまうことも考えたけれど。

その場合は全力で逃げようと思った。

人がたくさん居る所なら少しは安心できる。

なるべく人通りの多い場所を選んで駅へと向かった。

到着後はすぐに先輩に電話。

待ち合わせ場所はその時に決めた。

家で相談している余裕なんて無かった。

待ち合わせ場所を決めたら電車に飛び乗り、数駅先まで移動して約束した建物に入った。

そこで二人が来るのを待っている間に考えていた。

もし本当に居場所を知っているのなら、一体どうやって突き止めたのだろうか。

平日は自分だって働いているから暇ではないはずだ。

だとしたら探偵でも雇った?

ただ、夫は無駄を嫌うので、そんなことのためにお金を使うだろうかという疑問も残った。

いずれにせよ、あの勢いのままこちらに向かって来たら私たちの身に危険が及ぶことは確かなのだから。

危険を回避するために逃げるしかなかった。

ほんの少し前まで穏やかに過ごしていた時間が嘘のように、私はとても緊張していた。


合流後はカフェで事情を説明

合流した時、二人は私の顔を見て

「ママ、険しい顔してるね」

「本当だ。眉間にシワが寄ってるよ」

と口々に言った。

そのくらい難しい顔をしていたのだろう。

私たちはすぐに近くのカフェに入り、壁際の席に座った。

オーダーを済ませた後、事情を説明していたら先輩から

「ご両親に相談するというていで釘を刺しておいた方が良いんじゃないの?」

と助言され、確かにその方が安全かもしれないと思い、早速電話した。

お義父さんは、大抵夫と一緒に居る。

時々はお義母さんも居るのだが、お義父さんの方が多少は夫を制御できていた。

この時は、脅されたことと危害を加えられそうで恐怖を感じていることを簡潔に伝えた。

『下手なことをしたら、(夫)さんは一生を棒に振りますよ』という忠告もした。

それを聞いた瞬間、お義父さんは

「大げさだな」

と笑ったが、私は真剣に笑いごとではないことを伝えた。

虐待、暴力全般に関してそうなのだが、とにかく受け止め方が軽いのだ。

私たちが90で受け取っているものを、夫を含めた義実家の面々は10程度で受け取る。

悩んで打ち明けても、それの何が問題なの?という感じだったので、根本的に考え方が違うのは分かっていた。

そういう鈍感な部分が夫の言動を助長している気もしたので、

「(夫)さんやお義父さんが問題とは思っていないようなことでも、実際は大きな問題だったりするんですよ」

と言ってみたら、

「そっちが神経質なんだろ」

とまるで私が小さなことを騒ぎ過ぎているかのように言われた。

話にならない。

でも、それがあの家の基準なんだから仕方ないか。

この反応にはとてもがっかりしたが、それでも言って良かったのだと思う。

「(夫)さんを止められるのはお義父さんだけですよ」

と伝え、『止められなかったらお義父さんの責任だよ』というのを匂わせることができた。

お義父さんは正義感が強いと自負していて、自分の責任になるようなことを嫌がる。

だから、夫を説得してくれるだろうと期待した。

2025年7月14日月曜日

夫の居座り生活は続く

私たちが家を出てから数か月が経過

家を出てから数か月が経過していた。

途中で色んなトラブルがあったにせよ、夫はまだ家に居座り続けていた。

夫が居る限り、解約することも戻ることもできない。

力技で追い出そうとしたこともあったが・・・。

その後の影響を考えて止めた。

夫の怒りに火をつけてしまったら私たちの安全を確保できない。

子どものことを絶対に守りたいと思っていたし、私自身も子どもを育てていくためにリスクを冒すことはできなかった。

それで、やんわりと『出て行ってくれないかな』作戦を続けた。

ただ、夫がそんな軽い催促で動く訳がない。

こちらにしてみたら決死の覚悟で伝えても、『また言ってる』程度で済まされた。

数か月が経ち、分かったことがあった。

夫は何やかやと時間稼ぎをしていた。

そのうち、こちらの気持ちが変わるのではないか?

そんな期待をしていたような気がする。

時々は譲歩するような態度を見せたのも引き延ばすため。

『もう交渉は不可能だ』と思わせないために、あの手この手を使ってきた。

私はまんまとその術中にはまってしまったわけだが。

あの状況下では多くの人がそうなってしまうと思う。

それに気づいてからは、揺さぶりをかけてきても平常心を保つように心がけた。

居座る夫を何とかしたいという気持ちはもちろんあったけれど、極力関わらないようにした。

そうやっているうちに関係が薄れていけば良いなと思っていた。


反応して欲しい夫、疎遠にしたい私

私が反応しなくなってから、夫は更に暴れた。

暴言や脅し、泣き落としもあった。

暴言は、後から考えたら録音しておけば良かったと後悔した。

立派な証拠になるから離婚の交渉で使えたはずだ。

あの時はただただ反応しないことだけに集中していて、泣き落としにもうっかり同情心を見せないように気を付けていた。

ある時、夫はどうしても反応して欲しかったのか、

「今からお前の所に行く!」

とどこまで本気なのか分からない脅しをかけてきた。

そうは言っても、私たちの居場所を知らないでしょう?

そんな言葉には騙されないよ、と思ったのだが。

今すぐ家を飛び出して本当にこちらに向かいそうな気配があったので、『まさか居場所を突き止めたの?』と焦った。

以前から危惧していたのは、探偵でも使って調べられたらどうしようということだった。

流石に探偵に調べられたらバレてしまう。

夫自身が突き止めることはできなくても、プロの手に委ねれば簡単だ。

それを恐れて、外出時にはかなり気を付けて周りを見ていた。

一方的に電話が切られた後、私は携帯を持ったまましばらくその場に立ち尽くした。

あの様子から察するに、ある程度は居場所を突き止めている可能性がある。

もし本当に先輩の家に来てしまったらどうしよう。

子どもはちょうどその時先輩と近所のスーパーと百円ショップに出かけていて不在だった。

おやつの時間までには戻るということだったので、まだ1時間半ほどあった。

本当に夫がすぐにこちらに向かったとして、着くまでに1時間半くらい掛かる。

そうすると、子どもたちの帰宅予定とかぶる。

その瞬間、鉢合わせをしてしまった場面を想像してゾッとした。

このままではマズいと考えた私は、すぐに先輩に電話した。

でも、買い物をしている最中で気づかないのか、周りが賑やかで着信が聞こえないのか。

なかなか通じなかった。

そうこうしているうちにどんどん時間が過ぎていき、あと30分ほどで到着予想時刻となった。

居ても経ってもいられず、外に見に行こうとしたが・・・。

すれ違いになってしまってもいけない。

それに、出た瞬間に夫に見つかって連れて行かれるのではないかという懸念もあった。

焦りながらも、もう一度先輩に電話をすることにした私は、掛けながら出かける準備をした。

コール音よりも自分の心臓の音の方が大きくて、それを意識したら余計に緊張してしまった。

早く出なければ。

ここに居てはいけない。

焦りながら靴を履き、鍵を閉めようとしたところでようやく出た先輩。

「今買い物が終わった所なんだけど、何かあった?」

という声を聞いたらホッとして泣きそうになった。

2025年7月13日日曜日

携帯の契約をしてしまった夫と揉めに揉めて・・・

回線契約も済ませていた夫が納得してくれない

夫を何とか説得しようと試みた。

『まだ虐待の傷も癒えていない子どもに、あの携帯は渡せない』と伝えて。

だけど、そんな正論が通用する相手では無かった。

「お前の一方的な思い込みだろ」

と強く非難された。

子どもに渡さない私が全て悪いような感じになり、話にならなかった。

本当は夫も自分が嫌われていることは分かっていたはず。

それをあえて気づかないフリをして子どもへの橋渡しを依頼してきたのだと思う。

もっとも、気づいていたとしても自分に非があるとは考えないはずだ。

私がそう仕向けたと思い込み、だから携帯を渡して貰えないんだと結論づけたに違いない。

もう一緒に暮らすことは無いのだから何と言われても構わない。

ただ、しつこく蒸し返されるのだけは嫌だった。

それで、

「子どもの様子を見ながら渡すかどうかを判断するけど、それもいつになるか分からないよ」

と伝えた。

これは本当のことだ。

心の傷がいつ癒えるのかなんて誰にも分からない。

きっと本人にも分からない。

何年も何十年もそんな日はやってこない可能性だってある。

そんなことを匂わせつつ、

「今すぐになんて到底不可能だよ」

と言ったら、酷く傷ついた様子でメソメソと泣き始めた。

泣きたいのはこっちだ。

何でそんなことで責められなければならないのだろうか。

元はと言えば自分が蒔いた種なのに。

何でも私のせいにしようとする夫には心底ウンザリした。


お金を払うことで説得を試みた

回線契約を既に結んでしまったとか。

何か月縛りの条件があるとか。

そんなの、どうでも良かった。

私からすれば、勝手に契約した夫が悪い。

そう思ったけど、ここであまり強硬な態度を取るのも得策ではないなと思った。

夫は何に怒るか分からない人だ。

『こんなことで?』というようなことで急に怒り出す。

そして、ひとたび怒り出したら信じられないような執着と攻撃性を見せ、相手が逃げ出したくなるほどの恐怖を与えるのだ。

それが怖くて、いつも怯えながら受け答えを考えていた。

私がもし、もっと強く

「そんなの無理に決まってるでしょ!」

なんて言っていたら、それこそ探偵を使ってでも私たちを見つけ出して制裁を加えたかもしれない。

そんな可能性を考えてしまい、表面上は丁寧に対応せざるを得なかった。

まだ、見つけられては困るのだ。

夫と離婚という決着がついても安全かどうかが分からないのに。

まだ夫婦であり、戸籍上では家族なのだから。

色んなしがらみがあり、自由に動くことができなかった。

かと言って、夫から逃げるための十分な証拠も無いし、状況的にもそれは許されない。

逃げ続けたとして、家族はどうなるの?

代わりに制裁を加えられたらどうするの?

逃げている間の仕事は?

仕事ができなかったらお金はどうすれば良いの?

そんな先の不安を考えない日は無かった。

私たち以外の人に迷惑を掛けずに済むには、そこに留まって交渉し続けると言う選択肢しかない。

根気良く伝え続け、いつか分かってくれる日が来ることを願う毎日だった。

携帯の件は、結局

「掛かった分のお金は払うから解約して欲しい」

とお願いした。

最初は渋ったけど、損をするのが嫌だったのか最後は納得してくれた。

2025年7月12日土曜日

日曜日の憂鬱、夫との交渉は辛いよ

寝不足のまま朝を迎え・・・

結局、眠れないまま朝を迎えた。

夫から子どもへのプレゼントは隠したまま。

何も解決できていなかった。

一番大事なのは子どもに気づかれないようにすることだ。

そして、夫を上手く納得させること。

言葉にすると簡単そうに思えるが、実際にはとても難しかった。

先輩には前日にある程度は報告していた。

報告というか相談したんだけど、事もなげに

「送り返すことはできないの?」

と言われた。

それができるならそうしたい。

でも、そんなことをしたら夫が激怒することは簡単に想像できた。

そうしたら、私たちを匿っている先輩にも影響が及ぶかもしれない。

子どもだって安全では居られない。

小学校は以前と変わらないところに通っていたため、行き帰りの不安もあった。

それを伝えたところ、

「やっぱり難しいんだね。色々と」

という反応だったので、夫のような人が周りに居ない人にはピンと来ないのだということを悟った。

多分、私だって夫と出会っていなかったらそんな酷い人が居るなんて思わずにいただろう。

こんな話を聞いたって、『大袈裟だな』と思ったかもしれない。

でも、当事者になってみて、一つでも選択を間違えると恐ろしい結果が待っているということが痛いほど分かった。

後々のことも考えると、やはり夫に返すのは実質的に不可能だ。

そうすると、あとは子どもが連絡を取り合えない理由を探すしかないのか。

情けないことに私の方も恐怖心の方が勝ってしまって頭が働かなかった。

でも、一生懸命考えて考えて一つの答えを出した。

やはり、虐待のことを出すしかない。

これは、『虐待された子どもが、離れてすぐにその相手を赦すことができますか?』っていう話だ。

私は無理だと思ったので、『後からよくよく考えて渡せないと思った』という体で話すことにした。


「無理やり渡しても逆効果になるよ」と説得

早速夫に

「虐待による心の傷が心配で渡せていない」

と伝えたところ、

「もうだいぶ経ってるのに?」

という反応が返ってきた。

既に夫の中では過去のことになっていることにとても驚いた。

やられた側はずっと忘れられないのに。

やった側は簡単に忘れてしまうんだね。

信じられないような気持ちで夫の言い分を聞いていたのだが、

「お前もそう思うだろ?」

と同意を求められて、咄嗟に

「まだ、たったの数か月だよ。それに、そんな簡単に過去のことにはできないでしょ」

と言ってしまった。

夫のことは怖いけれど、言うべきことは言わなければならない。

これは、離れてみて改めて実感したことの一つだ。

怖いからといって逃げ続けていたら、いつまで経っても本当の気持ちが伝わらない。

そうすると、相手は都合良く解釈するし、期待もしてしまうのだ。

もし目の前に夫が居たとしたら足がすくんで体が震え、言いたいことの10分の1も言えなかっただろう。

だけど、その時は目の前に居るわけではなかったから。

思い切って本心をストレートに伝えた方が良いと思い、『今でも恐怖の対象でしかないのだから無理』だと説得した。

余談だが、私は家の外に出て電話をしていた。

日曜日で子どもが家に居るのに、聞かれてしまったら困ると思ったからだ。

幸い先輩が上手くごまかしてくれて、私はスーパーに買い出しに行くと言って出かけられた。

周りには知らない人だけ。

声のトーンなども気にせず話すことができたのは良かった。

途中、怒ったり泣き言を言ったりしていた夫。

なかなか納得してくれないものだから数十分も話す羽目になった。

2025年7月11日金曜日

夫からの催促を無視し続けた

早速、携帯にはメッセージが・・・

家に着き、こっそり紙袋から携帯を取り出した。

とりあえず電源を入れようとしたら入ったままだった。

しかも、LINEにはメッセージが届いていて。

私は恐る恐るそれを確認した。

読むとしても、既読はつけたくない。

だから、通知から確認することにした。

内容は相変わらず独りよがりなもので、

「連絡してね」

などというメッセージを送ってきていた。

受け取った時には『子どもの方から一言送ってもらえるように伝えてくれ』と言われていたはず。

それを待ちきれなかったのか、早速自分から送ってきていた。

何か物凄く勘違いしているようだが、このプレゼントは決して喜ばれるものではない。

そもそも、あんな父親からの贈り物など全て嫌がられる対象だ。

その中でも携帯は別格。

もっとも拒絶したいものの一つだった。

そんなことも分からずに、勝手に選んで勝手に押し付けて・・・。

どこまでも自己中心的な人だと思った。

子どもは私の動向を逐一気にしていて、帰宅してからずっと

「ママ、どうしたの?」

と何度も聞いてきた。

「何でも無いよ」

と答えつつ、この件をひた隠しにした。

受け取った紙袋は取り合えず見えない場所に隠し、今後の対応を考えることに。

気が重かったけれど放置するわけにもいかなかった。

かと言って、子どもに

「これ、パパからのプレゼントの携帯だよ。連絡取りたいんだって」

と言うわけにもいかず。

本当に困ってしまった。

この件以外にも、夫には終始困らされっ放しだった。

離婚すると言ったり、しないと言ったり。

家を出ると言った直後に『事情が変わって無理だ』と覆されたり。

親権を譲ると言いながら、徹底的に争うと宣言されたり。

よくもこんなにコロコロと言うことが変わるものだと呆れるほどだった。

常に一貫していたのは『俺は何も悪くない』ということだった。

自分は悪くないのに、周りのせいでこんな目に遭っている。

いつもそんな態度だった。


夫からの催促

携帯をどうするのか。

どのような選択をしても何かしらの影響が出そうで決められずにいたら、夫から催促が入った。

早く渡せ、と。

携帯だと分かった時点で、初めから渡すつもりなんて無かった。

私が悩んでいたのは、どうやって夫を納得させるかであって。

子どもには見せないという点はずっと変わらなかった。

だから、急かされた時の気持ちは言い訳を考える時間が足りないことへの焦燥感だけだった。

もう少し待っていてくれれば、納得させられるような理由をじっくりと考えたのに。

急かされたことにより、雑な言い訳を発してしまいそうになった。

夫は自分が何かを求めている時にそれが得られないと、しつこい位に促してくる。

そうやってプレッシャーを掛けたら余計に遅れるよ、ということでも我慢できない。

携帯のことは夫だけでなく義両親の願いでもあったから、いつも以上にうるさかった。

うるさすぎて本当に他のことを何も考えられなくなるくらいに連絡がきた。

逐一チェックしていた私も段々と疲れてしまい、数時間後には放置することに・・・。

それはそれで怖いのだけれど。

あの場合には他に手が無かった。

放置したと言っても頭の片隅には常にあり、ずっと考えていて心は休まらない状態。

どうにかこの事態が収まって欲しいという他力本願なモードになっていた。

そんな私に更なる試練が訪れた。

義両親から、お義兄さんの離婚が正式に決まりそうだとの報告を受けたのだ。

それでは夫が義実家に帰るチャンスが無くなってしまったではないか・・・。

八方ふさがりとは、まさにこのこと。

夜になり、携帯も大分大人しくなったので『今日はもう来ないかな』と少しホッとしたところに来た連絡で。

確認したら義両親だったから、ついつい気を緩めてしまった。

それが、まさかそんな話になっているなんて。

その日は結局眠れないまま翌朝を迎えた。

2025年7月10日木曜日

夫から子どもへの迷惑なプレゼント

クリスマスプレゼントを用意した夫

もうすぐ冬休みという頃。

夫が、

「クリスマスプレゼントを用意した」

と言ってきた。

それまで子どもの喜ぶようなことをしてくれたことは一切なかった。

おもちゃを買い与えるのは、決まって酷い虐待をした後。

だから、何かもらうという行為自体が子どもにとっては避けたいことの一つだった。

夫はそんな子どもの気持ちにも全く気づいておらず、まるで素晴らしいことをしているかのような口ぶりで報告してきた。

子どもにも一応報告したが、想像通りの反応。

やっぱりプレゼントなんて受け取りたくないよね。

「パパからは何も欲しくない」

と嫌悪感をあらわにし、拒絶の意思を示した。

本当は受け取り拒否をしたいところだが、キレられて今後の動きに影響が出るのも困る。

慎重に考えた結果、受け取るだけ受け取って放置しようと決めた。

ただ、洋服なんかだと絶対に『着てるところを見せて』と言ってくるだろう。

義両親と一緒に選んだりしていたら尚更だ。

もらった後に面倒なのは困るので、それとなく中身を聞こうとした。

そうしたら、

「渡すまで教えないよ。その方がワクワクして良いだろ」

と頑なに教えてくれなかった。

サプライズなんて本当に迷惑な話だ。

そういうのは円満な関係があってこそ成り立つものなのに。

我が家の場合は、既に関係が破綻していて子どもは父親を恐れている。

恐怖の対象でしかない相手からサプライズされたって、嬉しいなんて気持ちはわいてこない。

こういうのを想像力の欠如と言うのだろうか。

夫は自分の気持ちには非常に敏感なのに、子どもの気持ちには恐ろしく鈍感だった。


私一人でプレゼントを受け取りに行った

子どもも呼び出されたが、

「絶対に嫌。行きたくない」

と言うのを無理やり連れて行くこともできず、私一人で受け取ることにした。

当日、会ってすぐに小さな紙袋を渡され、それを見て何だか嫌な予感がした。

大きさや重さから察するにもしかして・・・。

「これって・・・」

そう言いかけると、夫は自分から嬉しそうに、

「携帯だよ。(子ども)もそろそろあった方が良いだろ」

と言ってきた。

「もうセッティングはしてあるから」

「LINEも入ってるから、帰ったらすぐに渡して」

「とりあえず、一言送ってくれたら俺の方から返信するよ」

「これで簡単にやり取りできるようになるから良かった」

「うちの親も喜んでたよ。やっと自由に連絡取れるって」

などと、しゃべるしゃべる。

まさか携帯を贈られるとは考えもしなかったので、かなり慌てた。

もし子どもに渡してしまったら、それこそ負担になってしまう。

何とか断れないかと考えたが、もう受け取ってしまっている状況では突き返すこともできなかった。

と言っても、子どもにも渡せないよなぁ・・・。

帰り道、電車に揺られている間中ずっと悶々と考えていた。

連絡を直接取るつもりで携帯を渡してきた夫には、子どもから連絡が来て頻繁にやり取りする未来しか見えていない。

でも、こちらとしては絶対にやり取りさせたくない。

何より子どものことが心配だった。

その頃、精神状態は落ち着いていたが、パパの話になると取り乱すこともあった。

だから、夫を連想させるような話は避けていたし、思い出してしまうような物は極力捨てた。

『あ~どうしよう』と思いながら目をつぶったら子どもの笑顔が浮かんできて。

その笑顔を消してしまうかもしれないプレゼントの携帯を投げ捨てたくなった。

2025年7月9日水曜日

ボーナスを待ってもらい、援助された分を返すことに

全額即時返還を求めてくる夫と交渉

『今すぐに返せ』と言われても、無いものは無い。

少し待ってもらえればボーナスが入るから、そこから返すしかないか、と考えていた。

元々援助をしてもらうつもりは無かった。

だから、返したところで何も変わらない。

そう思おうとしたが、浮いたお金で学用品を購入してしまったのだった。

それで、いつもより多くの出費があった。

すぐに全額返して欲しかった夫は、

「その程度の額も払えないで、本当に一人で育てて行けるのかよ」

と難癖をつけてきた。

それまで頑張って家計を支えてきた私への気遣いなんてものは無く、粗探しばかり。

その態度には本当に嫌気がさした。

ただ、ここでゴネても良いことは無いので、払う意思を示した。

今すぐにというのは無理だから、

「申し訳ないけど、ボーナスが出るまで待ってください」

とお願いもした。

そうしたら、

「普通はすぐに返すもんだろ!」

とキレられたけど、結局待ってくれることになった。

どうしてここまで言われなければならないのか・・・。

そういう所にも嫌悪感を抱いていたが、あの場面では従うしかなかった。

一連の騒動によりお義母さんは責任を感じていたようで、後でコッソリ謝ってくれた。

善意で言ってくれたんだもんね。

しょうがないよ。

申し訳なさそうにするお義母さんを責めることはできなかったが、夫には本当に腹が立った。

元はと言えば、そこに住んでいる夫が払うべきだと思う。

それなのに、契約したのが私だからなのか、家賃に関してはまるで部外者みたいに振舞っていた。

それが本当に信じられなくて。

都合の良い時だけ『家族』であろうとするこの人って一体何なんだろうと思った。


働き始めたばかりの夫にもボーナスが支給されることに

数か月前から働き始めた夫にもボーナスが支給されることになった。

期間も期間だし寸志だろうと思っていたら、意外とガッツリもらっていた。

多分だけど、あの外面で評価されたのだと思う。

だから、『家賃の援助された分を返せ』と言ってきたのだって、決してお金に困っていたわけではない。

義両親から受け取ったことが許せなかったようで、

「人としてどうかしてる」

と言われた。

夫からしてみれば久しぶりのボーナスということもあり、非常に嬉しそうだった。

流石に自分のために全部使うことはないだろう。

子どもにプレゼントでも買ってあげるのかな、なんて想像していたら、

「お前がボーナスを貰ってる時も俺にはずっとそういう楽しみが無かったからさ。

 これからのモチベーションのために何か買おうと思って」

といけしゃーしゃーと言った。

それって、私がボーナスをもらっても夫のために使わなかったことへの嫌味?

私だって気を使って、

「何か欲しい物はある?」

と聞いていた。

でも、夫はいつも少し不貞腐れた感じで

「いや、良いよ。お前のボーナスなんだから」

と断ってきた。

それに、モチベーションのためにと言うけれど、お給料で色々買っているではないか。

あー、この人ってそういう人なのだ。

子どもに何も無いのかな、と思っていたら、

「(子ども)は物欲無いからな」

と勝手に決めつけていた。

それは夫のことが怖いのと、これまでずっと締め付けられてきたから自分の希望を言えなくなっただけだ。

本当は欲しい物もあるし、色んなことに興味津々な子なのだ。

そんなことも分からず思い込みだけで決めつけてくる夫。

家族のことでさえ表面上の事しか見ることのできない可哀そうな人なんだなと思った。

2025年7月8日火曜日

夫から援助された額の報告&返還を求められた

正直に言うように詰め寄られて

夫は怒っていた。

「俺に内緒で金なんて受け取りやがって!」

端的に言うならば、そういう感じだった。

一緒に居るお義父さんやお義母さんに聞けば良いのに。

わざわざこちらに、

「全部でいくら受け取ったのか教えてください」

と送ってきた。

本当に意地が悪い。

私が答えにくいことを分かっていて送ってくるのだから、質が悪いとしか言いようがない。

あちらはあちらで、きっとお義母さんあたりが詰め寄られたはずだ。

それぞれに聞き取って答え合わせでもするつもりだったのではないだろうか。

そんな夫のことが心の底から怖いと思った。

私は怯えながらも腹を立てているという訳の分からない状態でメッセージを読んだ。

援助の件はお義母さんの方から声を掛けてくれたのだが。

それがどのように伝わっているのかも不安だった。

暴れそうな息子を前に、お義母さんが本当のことを言えるだろうか。

それとも、最初から私を悪者にしたい夫がそういう部分をスルーしたかな。

状況がよく分からなくて、対応を考えあぐねていた。

お義母さんに連絡してみようかとも思った。

でも、もしかしたら目の前に夫が居るかもしれない。

裏でこそこそと連絡を取っていることがバレたら、それこそ怒らせてしまう。

そんな想像をしたら義両親に確認することもできず、成す術が無かった。

夫からの質問にもあったが、いくら援助を受けたのかと聞かれたら家賃1か月分だ。

0.5か月分を2回受け取って、1か月分の援助をしてもらった。

それを返還しろと急に言われても困ってしまった。

ほんの少し余裕が出たタイミングで、これまで買えなかった学用品などを買ったから。

夫ならそういう事情も無視して、

「そちらの都合でしょう?自分で何とかしてください」

と言うんだろうなと思った。


1か月分の援助を受けたことを正直に伝えた

しばらく夫はあの部屋に住み続けるつもりなのに、2回援助してもらったところですぐに知られてしまった。

しかも、そのことにより夫が激怒しているという最悪の状況で。

これからの家賃をどうしよう、というのと。

怒りを爆発させている夫への対処はどうしたら良いのか、というのと。

一気に窮地に追い込まれた。

困って困って、だけど何もできずにいた頃、お義母さんから電話が掛かってきた。

お義母さんの近くに夫が居ないことを確認し、

「家賃の半分を助けて頂いていること、知られてしまったみたいです」

と一応報告した。

やはりお義母さんは既に知っていて、そのことで掛けてきたようだった。

「そうなのよ。あの子は『返してもらえ』と言うんだけど、返さなくていいわよ」

と言ってくれた。

大変ありがたいお話だが、それでは夫が納得しない。

そのあたりをどうするつもりなのかと質問してみたら、

「『返した』って話を合わせておけば良いのよ」

と軽い感じで言われた。

この言葉を聞いて、私は考え込んでしまった。

そんなんで夫が納得するわけがない。

恐らく追及の手を緩めないだろうし、嘘をつき続ければいつかボロが出る。

そうなった時に騙し通せる自信が無かった。

もう少し待てばボーナスが入るから、それで返してしまおうか。

でも、そのお金は今後のために残しておきたい。

こんな感じで迷っているうちに、時間だけが過ぎて行った。

1週間が経過した頃、夫からメッセージが届いた。

『この口座に振り込んでください』という内容で。

確認してみると、指定されたのは夫の口座だった。

2025年7月7日月曜日

家賃を援助してもらっていることが夫にバレた

義両親からの申し出は有難かったが・・・

家賃負担が半分になり、非常に楽になった。

年金生活の義両親が払ってくれると言うのは心苦しくもあったが。

既に私の方の経済状況も厳しくなっていたので、有難く受け取ることにした。

この話を持ち掛けてくれたのは義両親。

決してこちらからお願いしたわけではない。

別居してからも全ての家計費を支払っていたので、『厳しいに違いない』と思って助けてくれたのだと思う。

夫はこの時既に再就職していて、私よりもはるかに高い給料をもらっていた。

だったら夫が払えば良いんじゃないの?と普通は考えるが・・・。

そう簡単な話ではない。

夫は私たちが家を出たことを許すことができず、いつまでも執着するような素振りを見せていた。

根気良く話し合った結果、ようやく夫が義実家に戻る方向でまとまりかけたのにお義兄さんの離婚話が浮上。

結局、義実家には戻れず、我が家に居座り続けることになった。

部屋の更新もしてしまったし。

追い出そうとしたら事件が起こりそうだし。

何やかやと夫のペースに巻き込まれて現状を維持することになった私たち。

金銭的な面での苦しさとは反比例するように心は解放された。

夫が再就職した後、ふと思ったことがある。

この人は何故こんなにも自由になるお金があるのに光熱費くらい負担しようと思わないのか、と。

そこに住んでいるのは夫なのだ。

入れ替わりで義両親のどちらかが来たりして、私や子どもは住んでいない。

常識的に考えたら夫が負担すべきなのに、悪びれた様子もなく、

「お前の契約だから、当然お前が全部負担するんでしょ?」

という感じだった。

私だって本当は部屋の契約を夫にして欲しかった。

だけど、当時は働いていなかったので契約者になれなかった。

再就職したのなら少しくらい負担してくれてもバチは当たらないのに、と思ってしまった。

何より義両親に申し訳なくて。

年金生活になってまで子どもの面倒を見ることになるとは夢にも思わなかっただろうな。

それを考えると手放しでは喜べなかった。


心配していたことが現実に

援助を受け始めてから、ずっと不安だった。

いつか夫にバレるのではないかと。

その日は想像以上に早くやってきた。

ある日、突然夫からメッセージが届いた。

「どういうつもりですか?俺への当てつけですか?」

多分、これを読んだだけでは何を言っているのか分からないと思うのだが、その後に連続で、

「コソコソ陰で動いて、人の親にたかって」

とか、

「他人の金を当てにするな」

とか送られてきた。

こういう時、夫は立て続けにメッセージを送ってくる。

文面から分かることは、相変わらずイライラしていて怒っているということだった。

援助を受けていることがバレたのだとすぐに分かり、携帯を持つ手が震えた。

義両親は言わないと約束してくれたから、きっと守ってくれたはずだ。

だとすると、恐らく夫が何かのきっかけで感づいたのだ。

恐ろしいほど勘の良い人なので、そういうことはままあった。

知ってしまったからにはスルーするはずがない。

もちろん、このまま援助を受け続けることもできない。

それだけでなく、夫に内緒で家賃半分を出してもらった私を夫は決して許さないだろうと思った。

今後何が起こるのかを想像したら絶望しかなくて。

こんなことなら援助なんてしてもらうんじゃなかった、と悔やんだ。

だけど、どんなにそう思っても後の祭り。

この時の私は少しでも夫の怒りを和らげるべく、必死で言い訳を考えていた。

2025年7月5日土曜日

夫の仕事が順調であればあるほど不安に

ブランクを感じさせない仕事ぶり

身バレが怖くてあまり詳しく書けないのだが。

夫の仕事はテレワークでもできる。

別居中に再就職先を決めて働き始めた会社では、テレワークを積極的に推進していた。

だから、電車での移動をとても嫌がっていた夫は家で仕事することを選んだ。

ネット回線が繋がっていてパソコンさえあればどこででもできるから。

夫は常々、

「移動する時間があほらしい」

と言っていた。

その話を思い出して、きっと家でやるようになるんだろうな、と思っていたらその通りになった。

ただ、スキルや経験があると言っても長いブランクがある。

ずっと家でダラダラしてたんだから、そんなに簡単にいくわけがない。

そう予想していたのに、見事に裏切られた。

再開してすぐに勘を取り戻したのかスイスイとこなすようになり、自信を深めているように見えた。

こうなると、もう怖いものなしだ。

元々自分の弱点は無職であることだけだと豪語していたのだから。

その弱点が無くなって完璧な自分を取り戻したと考えていても不思議ではなかった。

収入を比較しても夫の方がかなり高かったので、もうその点で闘うのは難しくなった。

もっとも夫は虐待をしていたのだから、その事実だけで親権の面ではアウトだとも思っていた。

私がこのようなことを悶々と考えている間に夫はどんどん仕事の成果をあげた。

やがて周りから頼られるようになった。

こんなに上手く行くならもっと早くから動いてくれれば良かったのに。

そう思っても、決して夫には言わなかった。

以前夫から、

「働けなくなって長引いたのはお前のせい」

と言われてから、病気関連のことに口を出すのが怖くなった。

私が夫に対して適切なフォローをし、症状に見合う病院を探さなかったのがいけないのだそうだ。

言い訳になってしまうが、夫の症状がその時々で違っていたのでネットで探してもサッパリ分からなかった。

調べれば調べるほど自己愛性人格障害というキーワードが出てきてしまって。

でも、そんなことを本人に言えるはずもなく・・・。

結局夫が望むような答えを用意できなかった。


子どもを奪われたらどうしようという恐怖

別居当初は、夫に仕事して欲しいと思っていた。

養育費が欲しかったから。

虐待していた夫は親権を持てないから必然的に私になり、仕事をしていれば養育費を貰えるだろうと思った。

でも、協議離婚というのは難しいもので、相手が納得してくれなければ話がまとまらない。

夫は最初、親権を諦めているように見えたのだけれど。

いざ交渉が始まったら子どもに対する未練たらたらで、義両親をも巻き込んで親権を奪おうとした。

慌てた私は虐待の証拠を出したわけだが、それが果たして公の場で通用するものなのかが分からなかった。

その状況で、今度は夫が再就職した。

経済的には夫の方が有利で、更に仕事中は義両親に面倒を見てもらえる。

私の方は子どもと二人暮らしになるから、仕事に行っている間は留守番だ。

比較してしまうと、やはり自分の状況の方が厳しいように感じた。

だから私は焦っていた。

夫がこれ以上順調に仕事をしてしまったら、益々厳しくなる。

そう思って、『失敗してくれないかな』とさえ思った。

やっと再就職できた夫に対してこんなことを思うなんて酷い人だと思われるかな。

でも、それくらい夫が上手くいくことを恐れていた。

私が望んでいたことは、ただ一つ。

子どもとささやかでも幸せに暮らしたい。

ただそれだけだった。

2025年7月4日金曜日

居所不明の別居状態が続く・・・

「そろそろ居場所を教えろ」と言われたけれど

家を出て以来、夫とは携帯一つでつながっていた。

連絡手段を絶つと離婚の交渉ができなくなる。

そう思って、完全に関係を絶つことを避けた。

連絡を取り続けていると、相手も望みを持つものだ。

『元に戻れるのではないか』というのが言葉の端々から感じられた。

だけど、そんな夫の思いとは裏腹に別居生活は続いた。

待てど暮らせど家にも戻らず、今いる場所さえ分からない。

そんな状況にしびれを切らしたのか、夫はとうとう

「今いる場所を教えろ」

と言い始めた。

もしバレたら連れ戻しに来ることは私でも簡単に想像できた。

だから、絶対に知られてはいけないと思った。

それまでも細心の注意を払っていたけれど、それ以上に気を付けるようになった私たち。

子どもなんて、近所に買い物に行く時でも周りを気にするようになった。

せっかく束の間の憩いの時間を手に入れたのに、離れて暮らす夫の影に怯えて暮らす日々。

本当にバカらしいと思うのだが。

恐怖を消し去ることはできなかった。

そして、この恐怖は完全に関係を断ち切るまでは続くのだろうと思った。

居場所を聞くために子どもを利用しようとしているな、と感じることもあった。

その話になった時、突然思い出したように

「そう言えば、(子ども)にちょっと聞きたいことがあったんだわ。代わって」

と言われ、警戒した。

絶対何か企んでいると思って代わらなかった。

あの流れから察するに、子どもなら居場所を漏らすだろうと思ったのではないだろうか。

確かに小学生の子どもなら、上手く誘導して話を聞き出すこともできる。

本人は言いたくなくても、気づかないうちに言わされてしまう可能性だってある。

あの時、私も何か変だなと思って代わらなかったのは正解だった。


長引く別居生活に心は疲弊

夫と離れて暮らすことはとても幸せだ。

たとえその生活が確約されたものでなくても。

私たちは地獄のような日々を送ってきたから、それだけで満たされていると感じられた。

問題は、この生活を続けられるのかという事と、別居中で様々な制限がある事だった。

一度先輩と、

「住所変更した方が良いんじゃないの?」

という話になったが、思い直して止めた。

住民票から居場所を辿って会いに来るかもしれないから。

変更しなければ安心だが、ずっと表記上の住所地には住めず宙ぶらりんの状態になる。

子どものこともあり、『現状のままいくのは良くないな』とも思っていた。

思ったところで何もできず・・・。

せいぜいできるのは、時々夫に対して交渉を進めるようお願いすることだけだった。

そんな暮らしの中で良いこともあった。

例えば、姉と自由に会えるようになったこともその一つ。

夜ご飯を食べに出かけられるようになった。

夫の目を気にする必要もないんだ。

そう思うだけで、飛び上がりたいくらい嬉しかった。

子どもも自由に出かけることを満喫する心の余裕ができてきたようだった。

出かけた日には必ず先輩にお土産を買って、

「一緒に食べよう」

と渡していた。

何故かいつもお土産は食べ物で、しかも子どもの好物だった(笑)。

それを夜みんなで食べながら、まったりとテレビを見る時間。

穏やかで幸せだったな。

そんな時間を過ごせたのも、ずっと面倒を見てくれた先輩のお陰だ。

今も時々連絡を取り合い、未だに私たちの心配をしてくれる。

そんな先輩は、本当は人じゃなくて神様なんじゃないかと思う時がある。

2025年7月3日木曜日

義両親からの振込を確認

毎月、家賃の半分を振り込んでもらうことに

月々の家賃の半分を義両親が月初に振り込んでくれることになった。

本当に有難くて、冗談じゃなく涙が出た。

初めて振込を確認した時のことは忘れない。

『こんなことをしてもらちゃって良いのだろうか』という罪悪感ももちろんあった。

でも、それ以上に嬉しさや安堵の方が大きくて『心の余裕って大事なんだな~』と改めて思った。

子どもに新しい学用品を買ってあげたり、小さくなった洋服を買い替えることができたのもそのお陰。

とにかく、この援助のお陰で私たちの生活は非常に安定し、もう少し別居を続けられそうな気がした。

それまでにも義両親からは何度か援助の申し出を受けた。

ただ、その時は夫が

「そんなの受け取る位ならうち(義実家)に入れば済む話だろ!」

と言って断っていた。

だから、実現することは無かった。

確かに独立した家族なのだから、自分たちの力でやるべきだとは思う。

だけど、私も転職せざるを得ない状況になったりして苦しい時期があったことも確かだ。

そんな時でも夫が寄り添って助けてくれることは無かった。

むしろ義両親の方が心配して、

「何か必要な物は無い?」

と聞いてくれた。

夫はよく、

「給与が安いのは能力が低いかやる気がないだけだ」

と言っていたから、私のことを見下しているのもあったのだと思う。

夫が無職になりたてのころは色んなことに戸惑いがあり、不安を抱えた状態で。

義両親にとっても不安の種になっていたように思う。

最初は腫れ物に触るような感じだった。

ただ、こうも無職期間が長くなってくると人は慣れてしまうみたいだ。

家に居るのがすっかり当たり前になり、義両親もごく当たり前のこととして受け入れるようになった。

それは良いことでもあり、大きな問題でもあった。

私一人ががんばるのが当然という空気ができあがり、いつしか周りに助けを求めることができなくなった。


夫に内緒で援助を受け続けることへの恐怖

月数万の援助を受けることで、家賃の支払いが滞るリスクは回避された。

夫の望む環境が維持されたということだ。

私も夫を無理やり追い出さずに済んで、実はホッとしていた。

夫のようなタイプと関わったことがある人なら分かってもらえると思うのだが。

こちらの思いだけで相手を動かそうとしても絶対に上手くいかない。

良かれと思ってやったことでも同じだ。

私たちの場合には、離婚という目的のために出て行ってもらおうとしたわけだから。

逆恨みされて何か起こらないとも限らない状況だった。

もしかしたら義両親もそういう不安があって助けてくれたのかもしれない。

援助を受け始めてから1か月、2か月と経過していくうちに、私には新たな悩みも生まれた。

『夫にバレたらどうしよう』という恐怖が頭から離れなくなった。

万が一知られてしまったら、それこそ気が狂ったように攻撃してくるかもしれない。

夫は義両親がうちにお金を使うことを嫌がっていたから、

「援助を受けた分を全部返せ!」

と言ってくるかもしれない。

そう考え始めたら、涙が出るほど有難いことなのにストレスを感じるようになった。

もし知ってしまったら、きっと夫は言うだろう。

「お金が足りないのはお前の能力不足なんだから。人に助けを求めず反省しろ」

と。

親権のことを蒸し返される可能性もあったので、絶対にバレてはいけないと思った。

2025年7月2日水曜日

義両親からの思いがけない提案

夫のプレッシャーがきつい

収支を把握した夫は、協力するどころかプレッシャーを強めてきた。

「支払いを遅れるんじゃねーぞ」

という脅しと共に、問題はないのかをしつこく確認してくるようになった。

そんなに心配なら少しは解決策を考えてくれれば良いのに。

『全ての責任はお前にある』という感じで、ひたすら圧をかけてくるだけだった。

この頃になると『もう駄目だ、この人は』という諦めの境地に達していたから。

そんな夫に対して一喜一憂することは無かった。

夫が無職になってからの数年間。

私なりに精一杯支えてきた。

働いて家事もやって。

夫の虐待から子どもを守るという大事な役割もあった。

それが、この仕打ちか。

普段滅多に腹を立てない私でも、怒りの滲んだメッセージを送ってしまいそうになるくらいには切羽詰まった状況だったと思う。

このままどんどん厳しくなって、身動きが取れない状況にまで陥ったら何か変わるのかな。

そんな風に自暴自棄な思考に陥ることもあった。

見えないプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、懸命に前を向いていたあの頃。

救いの手を差し伸べてくれたのは意外な人物だった。


「家賃の半分を負担させて」という申し出が・・・

お義母さんから珍しく連絡があった。

いつも用事があってもお義父さんが連絡してくるので珍しいな~と思いながら

「もしもし」

と出てみたら、挨拶もそこそこにいきなり家賃の話をされた。

隠していてもしょうがないので、私も正直に

「そうなんですよ。結構ギリギリで、(夫)に相談したかったんですけど・・・」

と言ってみたら、

「あの子に相談してもダメ!頑固なんだから!」

と言われた。

手紙を見た時にはお義父さんも居て、『同居を承諾しなかったお前が悪い』という感じだったのだが。

それをお義母さんは知らないのか、

「お父さんが知っていたら黙って無かったと思うわ」

と、まるで知っていたらどうにかしてくれたような口ぶりだった。

いやいや、買いかぶり過ぎだわ。

その場に居たけど責められただけだったよ。

そう言いたくても言えなかった私。

あんまりにもお義母さんがお義父さんのことを神様のように言うから苦笑いして聞いていたら、

「家賃全部ってわけにはいかないけどね。半分出すわよ」

と突然提案された。

実際には具体的な金額を言われたのだが、その提案を聞いて思わず頭の中で電卓を叩いた。

その額が浮いたら大分楽になる!と嬉しくなった。

だけど、夫が知ったら何て思うかも心配だった。

そこで、お義母さんにそれとなく聞いてみた。

「このことは(夫)さんは納得してるのですか?」

と。

そうしたら、

「言うわけないじゃないの!言ったら絶対払うなって止められるわよ!」

と笑っていた。

こうして家賃の半額を払ってくれるという約束を取り付けたわけだが。

お義母さんの中でのお義父さんて、物凄く情に厚くて頼りになるという人物像なんだなと思った。

長い間、それこそ何十年とモラハラを受けてきただろうに。

全く違和感なく不満も持たずにやってきたのかと不思議に感じた。

2025年7月1日火曜日

通帳のコピーを見た夫の反応

『我関せず』を貫く夫

自宅に送付した通帳のコピーを見た夫は、すぐに連絡してきた。

と言っても、その反応は期待したようなものではなかった。

『こんな物送り付けてきて、一体どういうつもり?』という感じで。

明らかに警戒されていた。

まさかあの通帳を見せても全く伝わらないなんて思いもよらなかった。

これはもうハッキリと言葉にしなければダメだと思い、

「見て頂ければ分かると思いますが、収支がギリギリで家賃を払えなくなる日も近いです」

と送った。

ここまで書けば、いくらあの夫でも理解するはずだ。

確かにこの言葉でようやく意図するところは伝わったのだが・・・。

それに対し

「自業自得ですね」

という訳の分からない返事がかえってきた。

へっ?自業自得???

言っている意味が分からなくて、

「どういう意味ですか?」

と質問したら、

「自分の意思で家を出たのだから、金銭的に厳しくなるのは当然です」

と送ってきた。

この人は一体何を言っているんだろう・・・と思いながらも、

「払えなくなれば、(夫)がそこに住み続けることもできません」

と伝えた。

その言葉でようやく自分にも火の粉が降りかかることに気づいた夫。

これで話し合いをする気になるかと思いきや、その後の反応も非常に腹立たしいものだった。

『それはお前の勝手だろ』と言わんばかりに

「その件はそちらの問題なので。そちらで何とかしてください」

と言ってきた。

現状が危ういことは分かっても、自分は悪くないというスタンスを貫くつもりなのだろう。

私だって、何とかして払い続けたいとは思っていた。

そうしないと次の部屋を借りる時に影響が出てしまうかもしれないから。

でも、現実問題として足りないものは足りないのだ。

それを伝えても『我関せず』で通そうとする夫は、やはり『家族』ではないのだと感じた。

少なくともお互いを思いやるような相手ではない。

窮地に立たされた私に投げかけられた冷たい言葉は、僅かに残っていた同情心をも消し去った。


そうじゃないのよ、お義父さん・・・

「こんな収入で今までよく普通に暮らしてきたな」

「だからうち(義実家)でみんなで住むのが良いって言ったんだ!」

お義父さんの反応はおおむねこのような感じだった。

いや、そういうことじゃないのよ・・・。

夫の反応も許せなかったが、お義父さんの言い分には思わず首を傾げてしまった。

一体何がどうなったら、そういう反応になるの。

結局は、お義父さんの中では同居を受け入れなかった私が悪いということになっているのだと感じた。

そもそも、あんな状況で責められたって余計に心情的に受け付けられなくなるだけなのに。

「あんたが、あの時受け入れていれば全部丸く収まったんだ」

と言うばかりで、全く話にならなかった。

この件に関してはそれまでにも散々言われてきたので、実は私には耐性がついていた。

慣れてしまう位に言われるって相当だよね。

責められてもほとんど何も感じなかったが、やはり何度も蒸し返されるのは心にズシリと来た。

一方で、金銭的な面では『これはヤバいな』と思ってくれたのか、

「このままでは立ち行かなくなるぞ」

と心配もしていた。

夫よりはほんの少しだけ常識的な部分が残っていたということだ。

その心配を夫にも伝えたようだが、夫からは、

「自業自得なんだから助ける必要はない」

と止められたらしい。

私たちを助けるようなことを夫が許すわけがないとは思っていたが。

やはりその通りだった。

これでは本当に支払いが滞る日が近い将来やってくるかもしれない、と覚悟した。

2025年6月30日月曜日

家賃の支払いが難しいことを示すための策

先輩の叱責

突然、私の携帯の通話終了をタップした先輩。

私は驚いて思わず

「えっ?!」

という声を出した。

子どもはホッとしたのか、私から離れてソファに座った。

「何であんな奴の相手をするの?!」

そう言う先輩の表情は明らかに怒っていた。

何でと言われても、夫と交渉しようと思っていたら『元に戻りたい』という意思表示をされ・・・。

あれっ?

それから私はどうしたんだっけ?

この頃の私は衝撃的なことが起きると一時的に物忘れが酷くなっていた。

だから、夫とのやり取りも数分前のことなのに思い出すことができなかった。

スピーカーにしていたので先輩の方が把握していたらしく、

「あれ以上話していたら、また相手の言いなりになってたんじゃないの?!」

と叱られた。

そう言われて初めて夫とのやり取りをぼんやりと思い出すことができ、自分でもゾッとしてしまった。

ああ、危なかった・・・。

また夫のとんでも理論に飲み込まれそうになったんだ・・・。

夫と話をする時、最初はハッキリとした拒絶の意思を表すことができる。

でも、長時間話していると段々と頭がぼんやりとしてきて、上手く気持ちを伝えることができなくなった。

それを分かって居たから短時間で切らずに粘ったのかもしれない。

もしこの時先輩が居なかったら。

あるいは私たちのやり取りに気づかずにあのまま進んでいたら。

もしかしたら今の生活は無かったかもしれない。

それくらい夫との交渉は難しくて、ギリギリの駆け引きが続いていた。


「無期限に居座るつもりじゃないの?」

現状では夫が出て行く気配はない。

それを伝えたところ、

「このまま無期限に居座るつもりなんじゃないの?」

と先輩から指摘された。

確かにのらりくらりと出て行く話を避けている気もするし、お義兄さんのことがあったと言っても一時的に一緒に暮らせば良いだけのこと。

それを、『無理』の一点張りで通そうとするなんておかしいと思い始めた。

いくら私が金銭的に厳しいと言っても本気で受け止めてくれないのは、

「離婚したくて、そういうポーズを取っているだけと思われているのかも」

と言われた。

それなら辻褄が合う。

焦って交渉しても上手くいかないのは当然か。

今のまま正攻法で攻めても解決しない可能性が高いことを理解したので、もっと具体的に厳しい現状をアピールすることにした。

その一つが、銀行口座の動きを見てもらうことだった。

毎月給与が入るまでのやりくりが本当にギリギリで、余裕が無いことはすぐに分かる履歴だった。

更には生活費として別にかかっている状態で。

先輩にも家賃を払うこともできず、本当に申し訳なく思っていた。

居候していることは夫には秘密にしていたから、この事は言えなかったが。

間もなく家賃の支払いもできなくなるよ、というのを示す物として通帳を活用することに決めた。

はっきり言って、それを見せたところですぐに解決するとは思っていなかった。

それでも何もやらないよりはマシ。

私は通帳をコピーした紙を書留で自宅に送付した。

2025年6月29日日曜日

逃げるしかなかった、あの頃

『戻るしかない』というプレッシャーをかけられて

お義兄さんのことがあり、夫が義実家に引っ越す話は立ち消えになった。

元々お義兄さんは一時的に戻るという話だったのだが。

気付いたら、離婚して義実家に住むという話に変わっていた。

それは彼らの都合なのだから私がとやかく言うことではない。

でも、夫がいつまでもあの部屋に居座っていたら解約もできないので困っていた。

交渉したくても、全くこちらの話を聞いてもくれず。

一方的に『この状況なら戻るしか無いよな』という方向に持って行こうとしていた。

こうなると分が悪い。

私のことは軽んじても良いと考えている節があり、有無を言わせず言い聞かせようとしてきた。

優しい口調で話す時も同じ。

結局は自分の思い通りにしたいのが見え見えだった。

それでも私は折れなかった。

拒絶し続けて、根競べの様相を呈していた。

家を出てからというもの、少しも夫の思い通りにならなくて夫はイライラしているようだった。

今までコントロールできていたのに、それができない。

いつものように何度もため息を吐いて無言の圧をかけてきた。

こうやって私が言うことを聞かない時、夫は泣き落としをすることがある。

脅してダメなら泣き落としをして、それが上手く行かなかったらまた脅す。

そうやって上手く使い分けてきたのかもしれない。

泣き落としのフェーズに入った時、私には心構えができていた。

しかも、相手が目の前に居るわけではないので、かなり気持ちは落ち着いていた。

こういう時の夫の電話は本当に長いのだが、その時もやっぱり長かった。

手で持っていると疲れるから、スピーカーにしてテーブルに置いた。

音量は下げてギリギリ聞こえるくらいの音で。

同情するというよりも『いつ終わるのかな?』なんて気持ちで聞いていたのだが。

突然、背後から声を掛けられた。

少し前に寝たはずの子どもだった。


「パパ、泣いてるの?」と心配する子ども

振り返ると、子どもが泣きそうな顔をして立っていた。

「あれ?眠れなかったの?」

と聞いたら、どうやら一度寝たのに私の声で目を覚ましてしまったらしかった。

「ごめんね、起こしちゃって。でも、もう遅いから寝ようね」

と言ったが、首を横に振り寝ようとしなかった。

「パパ、泣いてるの?」

と聞いてきて、気になって仕方がないようだった。

そんな優しい気持ちを向けても利用されてしまうだけだ。

付け入ることしか考えていない人なんだから気をつけなくちゃ。

そう伝えたかったけど、電話口では夫が子どもに気づいている感じがしたので言えなかった。

離れていても子どもの甲高い声というのはよく通るものらしい。

この時夫もしっかりと聞こえていたようで、

「(子ども)が居るのか?代わってくれよ」

と言ってきた。

私はできるだけ子どもと夫を接触させないようにしていた。

長い間の虐待の傷は深く、様々な面に影響を及ぼしていたから。

一日でも早く忘れて回復して欲しくて、夫に関することは全て封印した。

それなのに、こんなことでこれまでの努力が水の泡になってしまうかもしれない。

咄嗟に断ろうとして、だけど念のために確認しようと小声で

「どうする?パパと話す?」

と聞いた。

そうしたら、子どもは慌てて首を横に振り、

「ダメ!無理!」

と言った。

多分夫にも聞こえていたはずだが、きちんと断るために

「やっぱり無理みたい。まだ話せる段階ではないよ」

と改めて伝えた。

そうしたら夫がそれまでとは違って大きな声で泣きだしたのでギョッとした。

その声を聞いた子どもは同情したのか、それとも怯えているのか。

ギュッと私のTシャツの裾を握って抱きついてきた。

ああ、どうしよう。

困ったな。

このまま電話を切るわけにもいかないし、かといって子どもにも聞かせたくない。

迷っていたら、いつの間にか背後に居た先輩が黙って通話終了のボタンを押した。

2025年6月28日土曜日

夫とお義兄さんの諍いに巻き込まれた

兄弟喧嘩、勃発

知らないうちに、また新たな問題が発生していた。

義実家にお義兄さんが戻るという話を聞かされた夫が文句を言い、そこから喧嘩に発展した。

何というか・・・。

どっちもどっちなのよ。

私から見れば夫もお義兄さんも変わらない。

エゴの塊で自分の意見を押し通そうとする人たち。

エゴ VS エゴの闘いになったらどうなる?

そりゃーどちらも引かなくて激しい争いになるに決まってる。

多分義両親もそれが分かっているから夫には言わなかったのだ。

それなのに、けん制する意味もあったのか、お義兄さんがわざわざ夫に直接伝えてきた。

『俺が実家に戻るから、お前は戻って来るなよ』と。

そんなことを言われて、『はい、分かりました』なんていう人ではない。

その後はもう普通の話ができないほどいがみ合った。

そんな中で『離婚の話を進めましょう』というわけにもいかず・・・。

どうしてこうも振り回されてしまうのかな、と落胆した。

この件で、一つ良いこともあった。

お義兄さんに腹を立てた夫が、みるみる元気になった。

煩いほどの怒鳴り声で私たちを威嚇していた夫が戻ってきた感じだ。

そうなってくると、あの弱っていた夫は一体何だったんだろうという気持ちにもなった。

何はともあれ元気になったのは良かった。

これで兄弟同士の争いが収まってこちらの話し合いを再開させてくれれば言うことは無いと思った。


義両親から、考え直すよう説得されたが

兄弟同士の諍いが起きた時、お義母さんは何故かお義兄さんの肩を持った。

常日頃から平等に接してきたと言っていたので、これには本当に驚いた。

二人の意見が対立したら必ずお義兄さんの言い分に加勢するんだもの。

夫としては面白くなかったはずだ。

お義父さんはほんの少し夫びいきで、だけど表立ってどちらか一方に肩入れすることは無かった。

頑固な兄弟の喧嘩は予想以上に長引き、どちらも折れる気配は無く・・・。

私は段々と『この長々とした内輪揉めを待っている意味ってあるの?』と思い始めた。

夫はその頃毎日イライラしていて話し合えるような状況では無かった。

だから、焦った私は義両親に相談した。

でも、その行動が間違いだった。

お義母さんから、

「ねぇ、離婚のこと、本当に何とかならないのかしら」

と泣かれてしまった。

ハンカチで目元を押さえながら、

「あの子も今回ばかりは反省してるのよ。毎日毎日(子ども)ちゃんのことばかり話してるわ」

と言うので、

「戻るつもりは無いんです。同じことの繰り返しになってしまうので」

と答えた。

淡々と話しているつもりだったが、何だか自分がお義母さんを泣かせてしまったようで、それ以上何も相談することができなかった。

お義父さんは黙って聞いていたのだが、お義母さんが泣き始めたのを見たら、

「周りは皆今まで通りに家族三人で暮らしてもらいたいと思ってるんだよ」

と言い始めた。

「私たちだって本当は(夫)が不憫で仕方がないし、(子ども)ちゃんにも会いたいんだ」

と、自分も我慢しているとアピールしてきて、暗に私を責めているようだった。

こんなに気持ちを伝える努力をしてきたのに、結局何も分かってもらえていなかった。

まるで宇宙人と話しているみたい、とその時思った。

夫にそう感じることがあったが、義両親も同じだった。

程度の差はあっても、肝心なところで分かり合えないのだ。

私が相手なら自分たちのエゴを通せるだろう、と考えているのも夫と同じだった。

『お前さえ我慢していれば丸く収まるんだよ』と言われているようで。

とても嫌な気持ちになり、それ以上話すことを止めた。

あの日、一緒に居たら丸め込まれてしまいそうで、逃げるようにその場を後にした。

「また連絡するから」

というお義父さんの呼びかけにも振り返らず、駅へと走った。

2025年6月27日金曜日

身動きの取れなくなった私に更なる追い打ちが・・・

夫の回復を待つ日々

体調不良の夫が回復するのを待つ間、全く動くことができなかった。

まさか無理やり追い出す訳にもいかず・・・。

いたずらに時間だけが過ぎて行った。

下手に動いたら、また非難されるかもしれない。

夫の態度が更に硬化するかも。

そんな不安があったことも確かだ。

夫はよく、

「どうせ俺だけが悪いんだろ!」

と言った。

こんな風に言うこと自体、他責の気持ちがある証拠だ。

『自分は悪くない』と言っているようなものだと常々思っていた。

体調不良の件も、彼の脳内ではきっと私が悪いことになっているんだろう。

それが分かっていたから、ただひたすら嵐が過ぎるのを待った。

それまでも、状況が酷く荒れている時にはそうやってやり過ごしてきた。

だから、いつも通り。

待つだけ。

そう思っていたのだが、2週間が過ぎた頃にお義父さんから連絡があった。

「こんなことになっても、まだ気持ちは変わらないの?」

最初の言葉がそれだった。

唐突にこんなことを言われ、すぐには何を言っているのか理解できなかった。

いや、本当は分かっていたけれど理解したくなかったと言うべきか・・・。

まさか、ここに来てまた振り出しに戻されそうになるなんて夢にも思わなかった。

だから、戸惑い、怒りがわいてきた。

夫のことは可哀そうだとは思うけれど、元はと言えば自分が蒔いた種だ。

体調不良に陥ったからと言って私たちの離婚が覆ることはないし、考え直すこともない。

何度もそう伝えたはずなのに。

「この状況で『離婚』を選択することは人としてどうなのか」

と非難された。


お義父さんの発言の真意

どちらかと言えば、

「こんなことになっちゃって、悪いね~」

と言っていたお義父さん。

それが急に離婚を取りやめるように言うなんて、何か裏があるんじゃないかと思った。

だから、話しながらそれを聞き出そうとした。

始めは頑なに『人として~』と言っていたのだが、段々と口調が変わり・・・。

10分後くらいにはとうとう本音を漏らした。

お義兄さんが義実家に戻ってきているとは聞いていたが。

どうやら本格的に離婚の話が進んでいるらしかった。

そうなったら義実家で暮らしたいと言っているので、夫の方を何とかしなければと考えたようだ。

まだそっちの家庭は何とかなるかもしれないから、と。

それを聞いて『何でそうなるの?!』と耳を疑った。

何とかなるなんていう発想が出てくること自体が驚きだった。

結論はもう決まっていて、それに向けて動いているとばかり思っていたのに。

もしこれに夫が同意しているとしたら、尚更厄介だ。

それで夫の意向を確認しようとお義父さんに聞いてみたのだが、明確な返事はもらえずのらりくらり。

結局最後まではぐらかされたまま、電話を終えた。

まさか先に動いていた私たちよりも早くお義兄さんたちの状況が動くかもしれないなんて。

そんなこと考えもしなかった。

うちは夫の機嫌をうかがいつつ慎重に進めるから時間がかかる。

たけど、お義兄さんのところは奥さんも非常に強い人なので、いざとなったら簡単に話がまとまるのかもしれない。

やはりアンバランスな夫婦って何をしても上手くいかないものだ。

この時はもう焦りというよりも落胆の方が大きくて、一つ一つ積み上げてきたものを一気に崩されたような気がした。

2025年6月26日木曜日

差し入れも拒絶した夫

途轍もない罪悪感が襲ってきた

ストレスの原因が私だと匂わされ、酷い罪悪感に襲われた。

それまでも家を出たことで夫がショックを受けているだろうなと感じていたから。

それに追い打ちをかけられたような感じだった。

『可哀そう』だと思うなんてオカシイ。

あれほど酷いことをしてきた人なのに。

そう思おうと、自分の気持ちに気づかないフリをした。

だけど、弱っていく夫を想像した時、心臓がギューッとなるような感覚に陥った。

あの気持ちは一体何なんだろう。

解放されたいと思いながらも自分から気にかけてしまうなんて・・・。

夫の具合が悪くなり、まだまだ縛り付けられた心が解放されていないことを再認識した私は、こんなモヤモヤを抱えたままでは前に進めないと思った。

何があっても元に戻ることはないけど。

離れた後に不幸になって欲しいわけではない。

私たちとは関係のないところで幸せに暮らして欲しい。

ただ、それだけ。

家族としてやってきて10年近く。

情が完全に無くなったわけではないから厄介だった。

何となく後味が悪くて、今できることをしようと思い立ち、その時に考えたのが差し入れだった。

夫の好みは知っていたので、食べられそうな物を持参して自宅へ向かった。

向かっている間も、ずっと迷っていた。

やっぱり止めようか。

いや、行った方がスッキリするから行ってみよう。

そんな葛藤を繰り返しているうちに、とうとう最寄り駅に到着した。

そこには見慣れた風景があり、少し前までは私たちの日常があった。

見ていたら、ふと過去の光景を思い出したのだが、それはまだ子どもが幼い頃の記憶だった。

駅前でよちよち歩きの子どもを夫が追いかけて、それを笑顔で見つめる私。

そんなシーンが私たちにもあったのだ。

あの頃、確かに相手を思いやる気持ちがあったのに。

いつの間にか消えてしまった。


家族を捨てる。というのはそういうことだ

会いに行ったは良いが。

玄関にさえ出てきてくれなかった。

インターホンを押した後、顔を出したのはお義父さんだった。

事前に連絡を入れていたのだが見ていなかったようで、

「あれっ?来たんだ」

という感じだった。

私がビニール袋を差し出しながら、

「食欲が無いと聞いたので、食べられそうな物を持ってきたんですけど」

と伝えたら、奥に居た夫に

「おい、差入れ持ってきてくれたぞ」

と声をかけた。

狭い家だもの。

一連のやり取りは聞こえていたはずだ。

だけど夫が顔を出すことは無く、部屋はシンと静まり返っていた。

なかなか出てこないので、お義父さんがもう一度、

「おい、差入れだって」

と声を掛けたら、突然奥の方でドンっという音がした。

驚いて音のした方を覗こうとしたが、玄関からは見えない位置に居るようだった。

これは夫からの拒絶なんだというのが分かったので、

「じゃ、私は帰りますね」

と出ようとしたら、部屋の奥で更に大きな音が・・・。

夫が怒っているのだと思った。

これ以上は危険だ。

私は慌てて玄関のドアを開け、

「すいません。失礼します」

と言って外に出た。

閉めながら『ああ、怖かった~』なんて思っていたら、目の前のドアが開いて二人の言い争う声が聞こえた。

多分、お義父さんが暴れる夫を制止していたのだと思う。

驚いていると、少しだけ開いたドアからビニール袋が放り投げられた。

私が差し入れた食べ物だった。

恐らく夫が突き返そうとしてお義父さんが止めていたのだろう。

まだ部屋の中では言い争っている声が聞こえたが、私はそのビニール袋を放置したままその場を離れた。

夫と離婚の話になってからも、こういう気持ちのアップダウンに振り回されてきた。

話し合いも困難な時期があったかと思えば、私たちを思いやるような素振りを見せて前向きに検討してくれる時期もあり。

まるでジェットコースターのように変わる夫の機嫌に対処することができなかった。

その日、再び暴れる夫を目の当たりにした私は、一体何と闘っているんだろうと途方に暮れた。

2025年6月25日水曜日

夫の体調不良の原因はストレス?

受診しても原因を特定できず・・・

朝になり、お義兄さんの運転する車で病院へと向かった夫。

それにはお義父さんも同行した。

夜中に途中まで一人で付き添っていたお義母さんは相当疲れていたのかダウンしてしまったらしい。

病院に着いた後は、何科にかかれば良いのかが分からなかったのでまずは総合案内へ。

そこで指示された所に行き、すぐに受診できた。

ただ、診てもらっても原因が不明で・・・。

後日分かったのだが、血液検査の結果もまあまあ健康だった。

医師も首を傾げながら、

「何か急なストレスがかかったりしませんでしたか?」

などと言っていて、どう見ても体は健康だった。

医師に診てもらっている時には既にほぼ回復していて顔色も良く、

「傍から見ても元気だった」

とお義父さんが言っていた。

『なぜこんなに元気な人が病院に?』と思ってしまうくらいの状態で、所見でも異常が見当ず、

「とりあえず様子を見ましょう」

ということになり(そりゃそーだ)、帰宅した。

義両親やお義兄さんもホッとしたことだろう。

私にその情報が届いたのは、夜遅くになってからだった。

まあ、そのことばかり考えていた訳では無いから良いんだけど。

何だか自分の扱いを再認識してしまった。

お昼前には既に家に居て、みんなでワイワイご飯を食べていた夫たち。

奮発してお寿司を用意したと聞いた。

そんな余裕があるのなら、もう少し早く連絡を入れることはできなかったのかな、と思ってしまった。


『ストレス』の原因探し

病院でストレスについて触れられたことから、急に原因探しが始まった。

そして、残念なことに彼らの中ではその話題が出た瞬間から既に犯人が決まっていた。

そう。

その犯人とは私のことだ。

直接は言ってこないけれど、言葉の端々から『あなたのせいで心身がおかしくなっている』という考えが透けて見えた。

鈍い私でも分かるくらいだから、きっと敏感な人ならかなりのダメージを受けたことだろう。

それくらい何度も何度も言われ、段々と疲弊してしまった。

これはもうスルーするしかない。

そう思って彼らからの連絡は全てシャットアウトした。

そんなことをしたら離婚の話し合いが遅れてしまうとも一瞬考えたが・・・。

自分の心を守るのに必死だった。

メッセージが来ても着信があっても無反応を貫いた私。

1分間隔で10回くらいの着信があっても敢えて反応せず。

このまま収まってくれればと考えた。

でも、そうはならなかった。

この事により『原因はあいつ(私)だ』という思いが強くなり、夫からだけでなく義両親からの当たりも強くなった。

これまでも孫を取られたくないという思いから敵対することはあったが、それ以外の部分では

「色々と迷惑をかけちゃって悪いね」

という姿勢だったのに。

闘う相手が増えてしまうという結果だけが残った。

連絡を無視し続けたある日。

小学校に迎えに行ったら、待ち伏せしていた義両親に会ってしまった。

何時に帰ってくるのかが分からなくて長時間待っていたのか、

「こっちは、いつ帰ってくるかとずっと待ってたんだからな。全然分からないんだから」

と理不尽な怒りをぶつけられた。

急に怒られたので驚いてしまったが、それは私のせいではないではないか。

ムカッとして何も答えずに居たら、

「アンタは今回のこと、どう考えてるの!」

と詰め寄られた。

本心を言えば『ストレスなんて私の方がかかってるよ』という感じだったが、まさかそんなことも言えず。

「この状況ではストレスが溜まるのも無理はないかと・・・」

と『お互い様だよ』というのを匂わせた。

2025年6月24日火曜日

『夫の具合が悪化した』と真夜中の電話

夜中の1時に突然の電話

その日、私は仕事で疲れて早めに就寝していた。

寝始めてから2時間くらいが経った頃だろうか。

急に枕元に置いてあった電話が鳴った。

『こんな時間に誰だろう』と思いながらディスプレイを見るとお義母さんだった。

最初は寝ぼけていてメッセージが届いたのかと思ったが、電話だった。

急いで出てみると、お義母さんが慌てた口調で、

「あのね、ちょっと今(夫)の具合が悪くなっちゃって」

と話し始めた。

真夜中の電話に叩き起こされた感じなので、まだ頭が働いておらず、

「えっ?大丈夫なんですか?」

という少々呑気な返事をしてしまったのだが、そんな私の問いかけも耳に入らないほどお義母さんは慌てていた。

話を聞いていてもどういう状況なのかがちっとも分からなくて、

「具体的にどんな症状なのかを教えてもらえますか」

とお願いしたが、

「どうしよう」

と繰り返すばかり。

そうこうしているうちに私も段々と目が覚めてきて、声を抑えながら立ち上がった。

隣を見ると子どもはスヤスヤと眠っている。

話し声で起こしてしまったら可哀そうだと思い、リビングに移動した。

時計を見ると1時を少し回ったところ。

先輩も寝たらしく家の中はとても静かだった。

ソファに座り、口元に手を当てながら、

「今どのような症状がありますか?何時ごろから具合が悪くなったんですか」

などと色々な質問をした。

医療機関に連絡をする必要があるかを判断したかった。

そこにお義父さんが居ないということも確認でき、

「いくら電話しても出ないのよ。あの人一度寝ると起きないから」

と怒っていた。

お義父さんと連絡が付かないから余計にパニックになったに違いない。

話していたらお義母さんの方の電話に着信があったようで、

「ちょっと待ってて。また後でかけるから」

と言われ、そこから15分ほど待った。


翌朝病院が開くのを待って受診することに

その後、再び電話がかかってきたのは1時半近くになってからだった。

先ほどの着信はお義父さんからだったらしく、

「今から来てくれるって」

とホッとした様子だった。

夫の症状も落ち着いてきたので、とりあえず朝になるのを待つとのこと。

お義父さんがお義兄さんを叩き起こして車を運転してもらい、我が家へと向かった。

お義兄さんもさぞかし驚いたでしょうね。

お義父さんは本当は自分の通院があってお義母さんにバトンタッチしたらしい。

でも、そんなことを言っていられる状況ではなくなった。

真夜中の我が家に夫と義両親、お義兄さんが集まり、雑魚寝をして朝になるのを待った。

お義兄さんが居ないと受診するのも大変だ。

我が家には車が無く、タクシーも自分たちで手配することはない。

面倒なのか、いつも私に「○○時にタクシー呼んでおいて」と言っていた。

その私が居ないのだから、自分たちで呼ぶよりはお義兄さんに頼んでしまおうと思うのが自然だろう。

電話を切った後、私ももう一度眠ろうとしたがなかなか寝付けなかった。

変な時間に起こされてしまったというのももちろんあるが。

いつもどこか演技がかっていて効率の悪いことを嫌う夫が、夜中に誰かを頼りたくなるくらい具合が悪くなるってどういう状況?と色んな想像をしてしまった。

世間体を気にする人なので、わざわざそんな時間に体調不良をアピールすることはない。

となると、翌朝を待てないくらい本当に具合が悪かったということか。

離婚話の件でご飯を食べなくなったりしていたから。

何だか後味が悪くて、眠れなくなった。

悶々と考えていたら、隣で眠る子どもが楽しい夢でも見ていたのか急に『キャハハ』と笑った。

普段なら笑い話だけど、あの日は変な緊張感があったので更に眠れなくなってしまった。

2025年6月23日月曜日

食事をほとんど取らなくなった夫

不気味な沈黙、気づかなかった義両親の変化

思い切って夫にこちらの要求を突き付けた。

そうしたら、あれほど頻繁に来ていた連絡がパタッと途絶えた。

それまでも離婚に関する話し合いには積極的では無かった。

だけど、どうでも良い話は毎日のようにメッセージで送ってきていて。

反応にも困ることも多かった。

それがいきなり不気味なほどの沈黙。

きっと何かあったんだと思った。

ただ、何かあったとしても私たちが直接関与するようなことではないかもしれないと考え、連絡は控えた。

義実家の方ではお義兄さんの件でもゴタゴタしていた。

だから、その件でまた色々と悩ましい問題が発生しているのかもしれない。

そう思って、相手から何か言ってくるまでは静観しようと決めた。

実際に私から動くことは無かったのだが、その間、義両親からちょっとした連絡があった。

質問されたことに答え、いつも通りに接したつもり。

相手もいつも通りだったような気がしたけど。

後から考えると少し雰囲気が違っていた気もする。

どことなくよそよそしいと言うか・・・。

でもそれは、離婚話の真っ最中で私に対して複雑な心情を抱いているからだと思っていた。

それが、まさか夫があんなことになっていたなんて。

その頃の私には知る由もなく、『早く連絡来ないかな~』なんてのほほんと過ごしていた。


私への抗議のつもりなのか・・・

夫がご飯を食べなくなった、と聞かされたのはそれから数日後のことだった。

『困っている』と義両親から連絡があり、初めて夫の状況を知った。

「何日ぐらい食べてないんですか?」

と聞いてみたのだが、その返事は要領を得ないものだった。

恐らく、正確には分からなかったのだと思う。

全く食べていない感じではなくて、リンゴひとかけとかゼリー一個とか。

僅かな量を取っていて、それ以上は食べようとしなかったらしい。

水分はちゃんと取っていると言っていたが。

それだけでは体力が持たないだろう。

本人が嫌がると言っても何かしらの方法で食べさせた方が良いと思い、義両親にそう伝えた。

そうしたら、

「すっかり気落ちしちゃってるから、厳しく言うことができないんだよ」

と強い口調で言われた。

それが何だか非難されているように感じて・・・。

その時初めて『ああ、そうか』と理解した。

私への当てつけなんだ。

『夫の元に戻るつもりはない』と告げた時から少しおかしかった。

急に無口になって、私との対話を避けるようになった。

心当たりのある私は何も言えなくなり、ただ

「すいません」

と謝った。

謝っても夫の気持ちが晴れることはない。

それでも、謝ることしかできなくて、

「私にできることはありますか?」

と声をかけた。

もう離婚する夫のために何かするなんておかしな話かもしれない。

でも、最後くらい元気に笑ってお別れしたくてそんな発言になってしまった。

義両親の返事を待つ間の長い長い沈黙。

なかなか返事をもらえないので、もしかして電波が悪いのかと思って、

「あの・・・」

と言いかけたら、

「あなたにできることは何もない!」

とハッキリとした口調で言われた。

明確な拒絶だった。

私のせいでそうなったのだから関わって欲しくない、という意思表示だった。

義両親からそれほどまでに強い憎しみを向けられた私に、一体何ができると言うのだろう。

最後まで噛み合わない二人だったが、とうとう分かり合える日はやって来なかった。

休職状態で在籍し続けたお義兄さん

会社に在籍し続けるという選択 心身の調子を崩したお義兄さん。 すぐに辞めてしまうという選択肢もあった。 でも、将来のことを考えて休職することに決めた。 休職って、所属している会社によって認められる期間が違う。 お義兄さんのところは大手だからなのか、結構長期で取れるようだった。 定...