2026年5月29日金曜日

義父からの電話が止まらなかった日

連なる電話メモ

会議から戻ると、

机の上に何枚ものメモが置かれていた。


電話メモだった。


その枚数を見れば分かる。

何度も電話してきたのだ。


私は対応してくれた人たちにお礼を言い、

電話メモを持って

ロビーへ向かった。


正直、迷惑だった。


仕事中に何度も連絡されても、

対応なんてできない。


なのに、

こちらの事情もお構いなしに

何度も電話をかけてくる。


自分たちの要求を押し通すことしか

頭にない。


そういうところが、

実に彼ららしいと思った。


電話をかけると、

待ち構えていたかのように

すぐにお義父さんが出た。


本当は、

お義母さんの方へかけようかとも思った。


でも、やめた。


どうせ途中でお義父さんが電話を取り、

話し始めるに決まっている。


私は用件も聞かずに言った。


「仕事中は、本当に困るんです」


どうせ言いたいことは分かっていた。


『子どもに会わせろ』


それしかない。


だけど、これ以上

子どもの心に負担をかけたくなかった。


でも、

夫や義両親と真正面から対決する勇気もない。


策を持たない私は、

ずっと逃げ続けてきた。


そのツケが回ってきたのだと、

この時思った。


「これからもかける」という宣言

「困ります」

そう伝えたところで、

「分かりました」

と引き下がる相手ではなかった。


お義父さんは、

怒鳴るような声でまくしたてた。


耳の奥がジンジンして、

心臓がバクバクした。


思わず携帯を耳から離した。


でも、お義父さんは気づかない。


いや、気づいていても

お構いなしだったのかもしれない。


その怒鳴り声に重なるように、

後ろでは夫も何か叫んでいた。


頭が痛い。


うずくまりながら、

もう全部投げ出して逃げたくなった。


だけど、

また逃げたら

きっと同じことが繰り返される。


そうなれば、

会社にも迷惑をかける。


ここにも居づらくなる。


どうしたらいいのか分からなくて、

思わず大きなため息が漏れた。


その音がお義父さんにも聞こえたらしく、

また怒鳴られた。


その日は、

5分ほどで戻るつもりだったのに、

結局、15分以上も拘束された。


席へ戻る頃には、

もうぐったり・・・。


それでも、

やり残した仕事を終わらせなければいけない。


そう思ってパソコンに向かったけれど、

全然集中できなかった。


怖かった。


この先どうなるのか、

不安でたまらなかった。


気づけば、

じわっと涙が浮かんでいた。


そんな私の異変に気づき、

声をかけてくれたのは、

ずっと話を聞いてくれていた同僚だった。

2026年5月28日木曜日

義父から会社に電話がかかってきた日

まだ籍は入ったまま

子どもが高学年になっても、

私たちの籍は入ったままだった。


ふとした瞬間に、

このまま一生

離婚できないんじゃないか。


そんな不安に襲われることが

何度もあった。


そもそも夫に、

本当に離婚する気があるのか。


それすら分からなかった。


夫が何を考えているのか、

何を望んでいるのか、

全く見えない。


でも、怖くて聞けなかった。


下手に聞けば、

怒りを買う。

責められる。

攻撃される。


そんな恐怖があったからだ。


だから私は、

意識的にその話題を避け続けた。


そのうち夫の執着も

薄れていくかもしれない。


そんな淡い期待に

すがっていた。


今思えば、

なんて他力本願だったんだろうと思う。


相手は、あの夫だ。

自然に諦めるなんて、

あるはずがないのに。


私は現実から目を背け、

穏便に離婚できる方法ばかり

探していた。


そんな中、

孫に会えない義両親の不満が

爆発することもあった。


会社にまで電話してきたお義父さん

ある日、

義両親から会社に電話が入った。


同僚から、

「旦那さんのお父様からお電話です」

と言われ、

心臓が跳ね上がった。


業務中で、

周りには同僚もいる。


こんな場所で、

家庭の揉め事を

長々と話せるはずがない。


なのに、

お義父さんの話は終わらなかった。


延々と不満をぶつけられ、

相槌を打つ隙すらない。


ようやく少し間が空いた瞬間、

私はすかさず言った。


「業務中なので」


普通なら、

これで十分伝わるはずだ。


でも、

お義父さんには通じなかった。


いや、

聞こえないふりをしていたんだと思う。


電話口で何度も繰り返していたのは、

「不公平」

という言葉だった。


お前たちは自由にやっている。

でも自分たちは

孫に会うことすらできない。


こんなの不公平じゃないか。


話しているうちに、

お義父さんはどんどん興奮していった。


声も、どんどん大きくなる。


こういうところが、

本当に夫とそっくりだった。


自分の怒鳴り声で

さらに自分を興奮させていく。

そんな感じだ。


その時、

後ろから夫の声も聞こえた。


「俺が話をつけてやるよ!」


その声を聞いた瞬間、

本気で会社に来るんじゃないかと思った。


それに対してお義母さんが、

「今、お父さんが話してるから」

となだめていた。


まるで敵に乗り込むヤンキーみたいな

荒っぽい言葉で威圧してくる夫。


一見、言葉遣いは丁寧でも、

ものすごい圧をかけてくるお義父さん。


二人の声を聞きながら、

胃の奥がぎゅっと縮むようだった。


また始まった。

そう思った。


職場なのに、

逃げ場がない。


こんな電話を会社でしていること自体、

もう苦痛だった。


しかも、

もうすぐ会議の時間。


時計を何度も確認しながら、

『もう限界だ』

と思ったタイミングで、


「会議が始まるので」


そう言って、

私は一方的に電話を切った。

2026年5月27日水曜日

家に帰るだけなのに

「パパに見つかってはいけない」

子どもは学校から帰ると、

まず遠目から我が家を確認していた。


パパがいるのが見えたら、

絶対に近寄ってはいけない。


もう自分で考えられる年齢だったので、

自分なりに安全策を練っていたのだと思う。


誰もいないと分かると、

急いで家に入り、

鍵とチェーンをかける。


その間、ほんの数秒。


よその家の壁際に隠れながら、

事前に鍵を用意しておくのも

子どもの“マイルール”だった。


まるで忍者みたいだ、と

一瞬思った。


でも本当は、

そんなことを子どもにさせている状況が異常だった。


周囲を警戒しながらコソコソと家に入る。


帰り道も、

家の前でも、

帰宅してからも。


常に気を張っていなければならない。


傍から見れば、


「そんな可哀想なことある?」


と思うような状況だろう。


だけど、モラハラ虐待を受けた人になら

きっと分かってもらえると思う。


逃げ場がない時は、

警戒するしかないのだ。


『孫に会いたい』という圧

放課後の不安は、

夫だけではなかった。


義両親もまた、


「孫に会いたい」


と、たびたびやって来た。


その中でも忘れられない出来事がある。


ある日、手紙にこう書かれていた。


「うちの親も会いたいと言っているから、

〇月〇日16時頃行くと伝えて」


また一方的だった。


こちらの都合などお構いなし。


子どもの気持ちなんて、

夫にとっては最初から存在していない。


義両親が寂しがっている。

だから会わせる。


優先されるのは、いつだってそちら側の感情だった。


どんなに子どもが怯えていても、


義両親は

「自分たちがいれば大丈夫」


という謎の自信を持っていた。


あれだけ目の前で

虐待が繰り返されていたのに。


そういう身勝手な都合に、

私たちは何度も振り回された。


その時は、急いでLINEを送った。


「お友だちと一緒に

勉強する約束があるんだって」


すると案の定、

怒りのこもった返事が来た。


だから私は続けた。


「塾を辞めちゃったから、

勉強遅れないように頑張ってるんだよ」


辞めさせろと言ったのは、あなたでしょう。


その影響が出たとしても、

文句を言える立場ではないはずだ。


責める気持ちも込めて送った言葉だった。


でも、夫には全く響かなかった。


その次の日から、

また毎日のようにポストに手紙が入るようになった。


確認するたび、

ため息がこぼれた。

2026年5月26日火曜日

モラハラ夫から届き続けた手紙

手紙を届ける“優しい父親”

時々、家のポストに

モラハラ夫から手紙が届いた。


宛名は、子どもだったり、私だったり。


でも、一番ゾッとしたのは、

わざわざ家まで来て

ポストに投函している、という事実だった。


正直、怖かった。


鉢合わせしないよう、

細心の注意を払いながら暮らしていたのに。


それなのに、

こちらの生活圏に平然と入り込んでくる。


頻繁に手紙なんて持って来られたら、

リスクが増えるだけだった。


だけど夫の中では、

この行動は全く違う意味を持っていたらしい。


家族のために手紙を届ける俺。

優しい俺。

家族思いの俺。


夫の中の自分像は、

いつだって立派で、献身的で、

「良い父親」そのものだった。


でも現実は、まるで違う。


手紙を受け取っても、

ほとんど読むことはなかった。


たまに罪悪感に負けて

封を開けてしまうこともある。


でも、毎回後悔する。


内容は酷く独りよがりで、

延々と自分の話ばかり。


最初だけは、

私たちを気遣うような言葉が並ぶ。


だけど途中から、

見事なほど“自分語り”に変わっていく。


読んでいるうちに、

息苦しくなる。


2週間に1度のペースで届く手紙は、

結局、しばらく続いた。


“お返事ください”という呪い

受け取るだけなら、まだいい。

無視していれば済む。


でも、段々と

返事を求めるようになっていった。


しかも質が悪いことに、

私ではなく、子ども宛てに送りつけてきた。


私に言っても返事がもらえないと

分かっていたからだろう。


「お返事ください」


その一文を見た時、

背筋がゾワッとした。


子どもからしたら、

無視なんて簡単にはできない。


無視したら何か恐ろしいことが起きる。


怒鳴られるかもしれない。

責められるかもしれない。


そんな恐怖が、

身体に染み付いているのだ。


だから私は、

先にポストを開ける子どもに伝えた。


「パパからの手紙は開けなくていいからね」


子どもは、

手紙に何が書かれていたのか知らない。


その内容は、かなり気味が悪かった。


私宛てには、

白々しいほど気遣う言葉が並ぶ。


本当は、

1ミリだって思っていないくせに。


子どもには、


「放課後、暇だったら

パパがお迎えに行くからどこか行こう」


そんなことまで書かれていた。


放課後は、本当に怖かった。


子どもはちゃんとチェーンをしてたけど、

それだけでは足りない気がして。


子どものことは信用していても、

それでも、

狡猾な夫に少しずつ

取り込まれてしまうことが怖かった。


優しい言葉で近づいて、

気づかないうちに洗脳していく。


いつか夫の言葉を信じ込み、

あちら側へ引き込まれてしまうんじゃないか。


その不安が、

ずっと頭から離れなかった。

2026年5月25日月曜日

塾を辞めたことにした

コソコソと塾通い

「子どもの意思を尊重する」


夫はいつも、

聞こえのいい言葉を並べた。


でも実際は違う。


塾のこともそうだ。


子どもの気持ちなんて無視して、

一方的に「辞めろ」と言った。


いったい、

なんの権利があって──と

何度思ったことか。


でも、

逆らって怒らせるほうが面倒だから。

私は、従ったふりをした。


本当は、


塾を続けて受験するか。

塾を辞めて、

夫の母校へ進むか。


その二択を、

突きつけられていたのだけれど・・・。


私たちも必死だった。


「塾を辞めるだけでも譲歩した」


そう見せかけて、

これ以上踏み込ませないようにした。


そして裏では、

こっそり塾へ通い続ける日々。


今思えば滑稽だ。


でも、

夫に知られるほうがずっと怖かった。


子どもは、

塾から帰る時になると

まるで遊び帰りみたいに

振る舞った。


家には私しかいないのに。


それでも、

“普通のふり”を続けた。


演じ続けているうちに、

本当に塾を辞めたような

気さえしてくる。


もし問い詰められても、

平然と嘘をつけそうだった。


そうでもしないと、

子どもを守れなかった。


自分たちを守るための嘘

私はずっと思っていた。


子どもと夫を、

直接やり取りさせてはいけない、と。


子どもは純粋だ。

誘導されれば、

簡単に飲み込まれてしまう。


しかも夫は狡猾だった。


素直なうちの子では、

太刀打ちできない。


だから私は、


「本当は辞めたくなかった」

「かなり傷ついている」


そんな芝居まで続けた。


毎日、

いつバレるかと怯えながら。


もし発覚したら、

「私が無理やり続けさせました」

そう言うつもりだったけど。


それで、

守り切れるという確信もない。


幸い、

三か月経ってもバレなかった。


そして子どもは、

少しずつ元気を取り戻していった。


秋になる頃には、


「あれをやってみたい」

「こんなことに興味がある」


そんな未来の話を

するようになった。


それまでは、

ほとんど聞いたことがなかった言葉だ。


目を輝かせながら、

将来を語る子ども。


そんな姿を見て、

ああ、

続けてよかったと思った。


恐怖に負けなくて、

本当によかったと。


でも同時に、


これから先も、

夫は何度でも口を出してくる。


その現実を思うたび、

胸の奥が冷えていった。

2026年5月23日土曜日

夫に内緒で、塾を続けることにした

「もう要らないから」

塾で使っていたノートなどを、

「もう要らないから処分しよう」

と、子ども自ら玄関に置いた。



「もう要らないから」

という言葉が、心にズシンとくる。


そんなことを、

言わせたくはなかった。


でも、

結果的にそうなってしまった。


だけど私は、

この時すでに決めていた。


夫の言いなりにはならず、

塾を続ける方法を探そう、と。


私は何も言わず、

それを手に取り、

部屋の片隅へ移動させた。


まだだ。


まだ塾に、

『やっぱり続けます』

と伝えていない。


伝えたら、

子どもにも話そうと思っていた。


捨てたはずのノートが

部屋に戻されているのを見て、

子どもが言った。


「あれ? 捨てないの」


そして、

少し笑いながら、


「パパとは真逆だね」


我が家では、

少し気に入らないことがあるだけで、

“罰”として物が捨てられていった。


どんなに大切にしている物でも、

夫が捨てると決めたら容赦はない。


私は大人だから、

悔しくても、

じっと耐えた。


でも子どもは、

大事な物が捨てられそうになるたび、

泣き叫びながら止めようとした。


それでも、

夫は止めなかった。


ぐちゃぐちゃにしたり、

壊したりして、

わざわざ生ごみと一緒に捨てる。


最初にそれを見た時、

『この人は頭がおかしいんじゃないか』

と本気で思った。


人の大切な物を、

ここまで踏みにじれるなんて。


普通なら躊躇するようなことを、

平気でする人だった。


「やっぱり辞めた方がいいよ」

この狭い部屋で、

こっそり動くのはなかなか難しい。


捨てたはずのノートが戻っている。


そのことを、

子どもがあまりにも不思議がるので、

私はとうとう伝えてしまった。


「塾は辞めなくていいよ。

 何とかするから」


それを聞いた瞬間、

子どもの顔がぱっと明るくなった。


「えっ、ほんと?」


声まで弾んでいた。


「うん、続けていい。

 でも、パパには内緒ね」


そう伝えた途端、

今度は表情が曇った。


「パパは許してないんだね。

 じゃあ、やっぱり辞めた方がいいよ」


ひどくがっかりした様子で、

手に取ったノートをその場に置く。


「ママが何とかするから」


その言葉だけでは、

足りなかった。


それも仕方のないことだと思う。


夫は、

私の言い分など聞きはしない。


反論すれば、

もっときつい罰が返ってくる。


そんな未来を想像したら、

諦めるしかなかったのだと思う。


私は懸命に説明した。


夫の言っていることがおかしいこと。


頑張っていることを、

止める必要なんてないこと。


もともと不条理なことを

押しつけられているのだから、

内緒で続けることを

後ろめたく思わなくていいこと。


「でも」

「だって」


最初は、

そんな言葉ばかり返ってきた。


それでも最後には、

「うん、分かった」

と頷いてくれた。

2026年5月22日金曜日

頑張った証を捨てられない・・・

捨てられなかったノート

子どもがお風呂に入っている間に、

塾の荷物を整理しようと思い、

バッグを開けた。


しばらく触れていなかったバッグの中には、

子どもの思いが詰まっていた。


こんなことになるまでは、

前向きに頑張っていたんだね。


やっている素振りも見せず、

コツコツ続けていたんだね。


それを、

台無しにしてしまった。


後悔が次から次へと押し寄せてきて、

申し訳なさでいっぱいになった。


元を辿れば、

私と夫の離婚話に

子どもを巻き込んだだけなのだ。


それなのに、

いつも我慢ばかりさせてしまう。


子どもが一生懸命書いたノートを抱きしめ、

私はしばらく動けなかった。


もう必要のないものを処分しようと、

バッグを開けたはずだった。


でも、

そこに入っていたものは、

どれも大切なものに見えた。


とてもじゃないけれど、

捨てられなかった。


捨ててしまったら、

子どもの頑張りまで

無かったことにしてしまう気がして。


そんなふうに固まっていると、

ふいに後ろから声がした。


どうにか続けられないだろうか

「ママ、どうしたの?」


気づくと、

子どもが後ろに立っていた。


「お風呂出たけど、

ママも次入るでしょ」


そう言いながら、

濡れた髪をタオルで押さえ、

私の手元を見る。


「あー、それ。もう要らないか」


少し寂しそうな声だった。


「要らなくなんかないよ」


私はノートを抱きしめたまま、

咄嗟にそう返した。


「頑張ったんだよね。偉かったよ」


そう言うと、

子どもは照れたように笑った。


その笑顔を見た瞬間、

たまらなくなった。


私はノートを抱えたまま、

泣いてしまった。


「え、ちょっと……ママ……」


戸惑いながら、

私の背中をさする子ども。


その手の温もりを感じながら、

私はある決心をした。


夫に内緒で、

塾を続けよう。


絶対に話さなければ、

知られることはないはずだ。


これまで私は、

「隠し事は悪いことだ」と言われ、

何でも報告してきた。


でも、

自分たちを守るための嘘なら、

許されてもいいのではないかと思った。


この時から少しずつ、

私たちの夫への対応は変わっていった。

義父からの電話が止まらなかった日

連なる電話メモ 会議から戻ると、 机の上に何枚ものメモが置かれていた。 電話メモだった。 その枚数を見れば分かる。 何度も電話してきたのだ。 私は対応してくれた人たちにお礼を言い、 電話メモを持って ロビーへ向かった。 正直、迷惑だった。 仕事中に何度も連絡されても、 対応なんて...