2026年5月21日木曜日

ただ、続けたかっただけ

静かな抵抗

退塾を伝えたのは、最初の週だった。

まだ、ほぼ一か月の期間が残っていた。


でも、その後。

子どもは一度も塾へ行かなかった。


それとなく、


「今日、塾だったよね?」


と聞いてみても、


「今日は行ってない」


と答えるだけ。


あれはきっと、

子どもなりの抵抗だったのだと思う。


本当は通い続けたかった。

でも、大人の都合で終わらせられた。


そして子どもも、

パパの言うことは絶対なのだと、

分かっていた。


だから表立って反抗することもなく、

ただ静かに、行かなくなった。


もう支払いも済んでいたから、

正直、勿体ないとも思った。


私にとっては、

決して小さくない金額だった。


他を削って、

なんとか捻出したお金。


それでも、


「残りだけでも行こう」


とは言えなかった。


あまりにも身勝手に思えたからだ。


子どもの気持ちを無視したまま、

大人だけで全部決めてしまった。


本当なら、

夫に抗議すべきだったのだと思う。


でも、それもできない。


そんな私が、

何を言えるのだろう。


子どもの思いだけが伝わってきて、

私は、


「そうなんだ。分かった」


と返すことしかできなかった。


置き去りのバッグ

塾に持って行っていたバッグは、

しばらく部屋の片隅に放置されていた。


あれ以来、一度も開かれず、

まるで忘れ去られたかのようだった。


『もう、中身を整理しなくちゃな』


ふと思い立ち、

子どもがお風呂に入っている間に、

久しぶりに通塾用のバッグを開けた。


最後に持って行った日のまま。


テキストもノートも、

無造作に詰め込まれていて、

何とも言えない思いがこみ上げた。


重たい後悔が、

胸の奥に広がっていく。


だけど、

子どもはもっと苦しかったのだと思う。


ノートを開くと、

そこにはたくさんの書き込みが残っていた。


あれほど勉強嫌いだった子どもが、

自分から「行きたい」と言い、

休まず通った塾。


そこには確かに、

努力の跡が残っていた。


どれだけ頑張っていたのかと思うと、

思わず涙が出た。


通い続けたかっただろうな。


続けさせてあげられたら、

どんなに良かっただろう。


この時、まだ

退塾を伝えてから二週間。


早くも後悔し始めていた。


でも、

もうできることは何も無い気もしていた。


ただでさえ、

夫から提示された二択を無視している状況だった。


塾まで続けるなんて知ったら、

何を言われるか分からない。


塾を続けて、中学受験をする。

塾を辞めて、夫の地元の中学に入る。


どちらも、

子どもや私が望んでいるものではなかった。


いや、

私たちは最初から、

多くを望んでいたわけじゃない。


ただ、

続けさせてあげたかった。


それだけだった。

2026年5月20日水曜日

気づけば決められていた退塾

苦い決断

子どもが塾を辞める日まで、

夫に指定された。


期日を勝手に決めるなんて。


本当は、

腹が立って仕方がなかった。


でも私は、

「分かりました」

とだけ返した。


なぜ言いなりになるのか。


傍から見れば、

不思議に見えるだろう。


私自身も、

モラハラというものを経験するまでは、

理解できなかった。


なぜ逃げないのか。


なぜ従ってしまうのか。


でも今は、

痛いほど分かる。


そこには最初から、

選択肢なんて用意されていない。


相手の出したカードを、

ただ“自分の意思のように”

引かされるだけだ。


正しいかどうかなんて、

関係ない。


選ばなければ、

何が起こるかを

身体が覚えてしまっている。


その言葉は本意ではなくても、

夫の中では

それが「当然の結果」だった。


悔しさを抱えたまま、

それでも私は、

動くしかなかった。


流されるまま、

塾の先生に連絡を入れた。


「少しお話をしたい」


そう伝えて、

時間を作ってもらった。


子どもが初めて塾を休んだ日

約束を取ったその日。


塾へ向かう前に、

子どもと少しだけ話をした。


その前にも、

すでに何度も話していた。


それでも、

本当に後悔しないのかが

ずっと心に引っかかっていた。


とはいえ、

夫の決めたことを

覆す勇気もない。


だから結局は、

「子どもも納得している」と

思いたかっただけなのかもしれない。


自分でも、

ずるいと思う。


子どもは静かに、

「それでいいよ」

と言った。


その一言が、

まるで何かを諦めたように聞こえて、

胸の奥が痛んだ。


私はいったい、

何をしているのだろう。


夫の顔色をうかがいながら、

子どもの気持ちを

ちゃんと見ていない。


そんな自分が、

嫌になった。


時計を見ると、

もう時間が迫っていた。


重い気持ちのまま家を出て、

塾へ向かう途中で、

ふと気づいた。


あれ?

今日、子どもも行く日じゃなかった?


慌てて連絡を入れると、

すぐに電話がつながり、

小さく答えが返ってきた。


「今日は行かない」


自分で通うと決めてから、

初めての欠席だった。


塾に到着した私は、

その空気を感じながら、


「退塾の手続きをしたい」

そう伝えた。

2026年5月19日火曜日

夫に進路を決められていく怖さ

夫の考えていることが分からない

父親って、

何なんだろう。


ふとした瞬間、

そんなことを

考え込んでしまう。


子どもにとって、

夫は間違いなく父親だ。

生物学上は。


でも、

血はつながっていても、

心は一番遠い存在なんじゃないか。


そんなふうに感じていた。


せっかく子どもが

頑張って通った塾も、

夫の一言で、

台無しになろうとしていた。


塾を続けて、

中学受験するか。


それとも、


塾を辞めて、

夫の地元の中学に進学するか。


そんな選択肢を突きつけられて、

私たちは絶望した。


頭の中が真っ白になり、

思考は止まった。


どちらも嫌だ。


そう言えたら、

どれほど楽だっただろう。


でも、

面と向かっては言えなかった。


色んな理由を並べて、

のらりくらりと

かわし続けた。


だけど、

何も解決していない。


少しずつ強まっていく

プレッシャー。


追い詰められていく

子どもと私。


段々と、

続ける気力も失われていった。


そしてある日、

私はとうとう言った。


「(子ども)、

 塾辞めるって」


言った瞬間、

少しだけ、

心が軽くなった。


これでもう、

責められずに済む。


その時、

心の中を占めていたのは、


そんな感情だった。


外堀を埋めていく夫

子どもが塾を辞める。


諦めにも似た気持ちで、

私はそれを伝えた。


これで、

引き下がってくれるかもしれない。


そんな期待を、

どこかで抱いていた。


でも、

甘かった。


夫は待っていましたと言わんばかりに、

「じゃあ、

 俺の行ってた中学に通うんだな」

と当然のように言った。


「それは無理です」

そう伝えても、

「でも塾辞めるんだろ」

話は堂々巡りだった。


どうやら夫の中では、

「塾を続けて中学受験する」


もしくは、


「夫の行っていた中学に通う」


その二択しか

存在していないようだった。


塾を辞めて、

今住んでいる地域の中学に通う。


それが自然な流れで、

子ども自身も望んでいる。


なのに夫は、

最初からその選択肢を除外していた。


しかも、

義両親にまでこの話を伝えていた。


困った…。


嫌な予感がした。


このままでは、

勝手にどんどん進められてしまう。


焦った私は、

何か方法はないかと

必死に調べ始めた。


連日、

似たような事例を探したり、

ネットで相談したりしていた。


どうにかしなければ。


そう思うほど、

焦りだけが募っていった。

2026年5月18日月曜日

「塾なんて贅沢」から始まったこと

塾を「贅沢」と言う夫

自分がお金を出しているわけでもないのに。


夫は、

『塾なんて贅沢だ』

と言った。


子どもから相談された時、

私は、

「行きたい」という気持ちを

大事にしたかった。


できるだけ希望を

叶えてあげたい。


そう思って、

家計費を削れるだけ削り、

費用を捻出した。


それなのに夫は、

『無駄な努力』

と、鼻で笑った。


嫌味を言うだけなら、

口をはさんでほしくない。


そう思っていた。


一言言わないと

気が済まない人なのだ。


内心呆れながらも、

私は聞き流した。


文句だけ言って、

それで満足するのだろう。


そう思い込もうとしていた。


ところが…。


高学年になると突然、

「中学受験しろ」

と言い始めた。


頭が真っ白になった。


もちろん、

そんな費用はない。


準備もしていない。


何より、

子ども自身に

その意思がない。


また子どもの気持ちを無視して、

自分の考えを

押し付けようとする夫。


胸の奥が、

じわじわと苦しくなった。


私は、

徹底的に闘うと決めた。


…と言っても、

真っ向勝負は無理だから。


「家計的に到底無理」

「成績的にも難しい」


という形で、

押し通そうとした。


受け入れがたい選択を迫られ・・・

聞き流すだけでは、

この嵐は収まらなかった。


夫の発言は、

少しずつ

エスカレートしていった。


その空気を、

子どもも感じ取るように。


「パパが怒ってるなら、

 怖いからやめようかな」


その言葉を聞いた瞬間、

胸が締め付けられた。


一体、

何の権利があって

そんなことを言うのか。


怒りを押し込みながら、

私は子どもに伝えた。


「行きたければ、

 行っていいんだよ」


「言いなりにならなくて

 いいんだよ」


でも、

怖いものは怖い。


逆らったら、

どんな仕打ちが待っているのか。


想像するだけで、

胃がぎゅっと縮むようだった。


最初は、

「塾なんて贅沢だ」

という主張だけだった。


それが次第に、


「塾を続けるなら

 中学受験しろ」


「中学受験しないなら、

 夫の地元の公立中に行け」


と変わっていった。


この二択に、

子どもの気持ちはない。


一方的な要求を突きつけられ、


もう塾を辞めるしか

なくなってしまった。

2026年5月16日土曜日

“普通の幸せ”を知らなかった私たち

“普通”の幸せを噛みしめる夜

住んでいる場所は、

夜になっても結構明るい。


人もそこそこ歩いているし、

車もひっきりなしに走っている。


だから、いつも賑やかだ。


そんな街だから、

暗くなった後に散歩するのも

あまり抵抗がない。


夫がいる頃は、

窮屈で薄暗い街だと感じていた。


でも、きっと違った。


私たちの気持ちが、

景色にフィルターを

かけていたのだと思う。


二人で生活を始めてから、

寝る前に散歩することがあった。


昼間は暑くても、

夜になれば少し涼しくなる。


そこに風まで吹いてくると、

とても気持ち良くて、

どこまでも歩ける気がした。


あてもなく歩いて、

途中のスーパーに立ち寄る。


子どもはジュースを買い、

私はコーヒーを買う。


二人合わせても

200円もしない買い物。


それだけで、

私たちの心は満たされた。


日常の、

ごく些細なことかもしれない。


でも、

“普通”って凄いことなんだ。


私たちには、

それが痛いほど分かっている。


私の手を見て、子どもは身を縮めた

歩いている時、

子どもの頭に

葉っぱのようなものが

ついていることに気づいた。


虫嫌いの私は、

恐る恐る近づき、

虫ではないことを確認してから、

それを取ろうとした。


その瞬間だった。


子どもが反射的に、

頭を覆うようにして

身を縮めた。


手のひらを、

こちらに向けながら。


私は咄嗟に、

「ごめん」

と謝った。


どういうことなのか、

すぐに分かった。


夫が叩く時、

子どもはいつも

手でブロックして、

身を守ろうとしていた。


その反射が、

出てしまったのだ。


私の手が近づくのを見て、

思わず身を守ろうとしたのだと、

そう思った。


こういうことがあるたびに、

私は子どもを

思いきり抱き締めた。


痛かったことも、

怖かったことも、

記憶はそう簡単には消えない。


それでも、

少しずつ薄めていくことはできる。


とにかく安心させたくて、

「もう大丈夫だよ」

という気持ちを込めて、

抱き締めた。


子どもは最初の頃、

悲しくても泣けなかった。


でも、

繰り返し抱き締めるうちに、

少しずつ涙をこぼすようになった。

2026年5月15日金曜日

ママの卵焼き、大好き

給食のない夏休みが怖かった

長いお休みを、有意義に過ごしてほしい。

いつも、そう願っていた。


パパと一緒に暮らしていた頃、

子どもは部屋の片隅で、

息を潜めるように過ごしていた。


怒られないように。

機嫌を損ねないように。


それでも、

何がきっかけで爆発するか分からない。


ほんの些細なことで、

突然怒鳴り声が飛んでくる。


家の中なのに、

まるで地雷原を歩いているみたい。


「地獄だった」

そう言うと大げさに聞こえるかもしれない。


でも、本当にそうだった。


だからこそ、

ようやく離れられたのだから、

子どもには思いきり自由を満喫してほしかった。


興味を持ったことには、

できる限り挑戦させてあげたかった。


「やってみたい」

その気持ちを、

もう押し潰されたくなかったから。


だけど、

現実には頭の痛い問題も・・・。


夏休みには、

当たり前だけど給食がない。


毎日のお昼を、

家で用意しなければならない。


だから、仕事へ持っていくお弁当を作る時に、

子どもの分も一緒に作っていた。


1つ作るのも2つ作るのも、

手間だけなら大して変わらない。


問題は、

やっぱり食費だった。


自分ひとりなら、

見た目なんて気にせず、

余りものだけでも済ませられる。


でも、

子どもが図書館でお弁当を開く姿を想像すると、

どうしても少し気を使ってしまった。


彩りを考えて、

なるべく寂しく見えないように詰める。


その時間は嫌いじゃなかったけれど、

正直、家計にはかなり痛かった。


スーパーの特売を回って、

安いお肉を小分けにして冷凍する。


半額シールの商品を見つけるたび、

少しホッとする。


「少しでも安く」


そのことばかり考えていた気がする。


海苔も巻けなかったおにぎり

お給料日直後は、

「今月は何とかいけるかもしれない」

そう思う。


実際、

途中までは順調なことも多かった。


だけど、

お給料日が近づく頃には、

冷蔵庫の中が見事なくらい空っぽになる。


お弁当に入れられるものが、

本当に何もない。


どうしよう。

昨日の残りものもない。

作り置きのおかずもない。


冷凍していたお肉も使い切った。


野菜室には、

使いかけのキャベツが少しだけ。


そんな日、

結局作れたのは、

海苔も巻いていないおにぎりと、

少し甘い卵焼きだけだった。


それをお弁当袋に入れながら、

涙がこぼれそうになった。


なんて情けない母親なんだろう。


育ち盛りなのに。

本当はこんなんじゃ足りないはずなのに。


もっとちゃんとしてあげたいのに。


申し訳ない気持ちで手渡すと、

子どもはいつも笑ってくれた。


「ママの卵焼き、大好き」

「優しい味がするよ」


その言葉に、

何度救われただろう。


苦しくて、

情けなくて、

自分を責めてばかりだった毎日の中で、


たった一言が、

また前を向く力をくれた。


言葉って、不思議だ。


ほんの一言なのに、

人を支える力があるんだなって、

あの頃、何度も思った。

2026年5月14日木曜日

「今のままで大丈夫だよ」

月2千円のお小遣い

うちの子のお小遣いは、

月2千円だった。


小学校高学年の金額として、

多いのか少ないのかは分からない。


でも当時の我が家には、

それが精一杯だった。


毎月、お給料日にお金を下ろして、

そこから2千円を分ける。


「中学生になったら、

さすがに値上げしないとかな……」


そんなことを考えながら、

私はお財布を見ていた。


夏休みに入ると、

お小遣いを使う場面も増える。


友だちと外で遊べば、

喉が渇いてジュースを買う。


みんなが買っている横で、

一人だけ我慢させるのは可哀そうで。


2千円でも渡していて良かった、

そう思った。


図書館へ行く時も、

時々お小遣いを使っていた。


お弁当だけでは足りなくて、

お腹が空いた時におやつを買う。


限られたお金の中で、

自分なりに考えて遣り繰りしていた。


ある日、

お友だちは「1日100円もらっている」と聞いて、

「いいなあ」

と、ぽつりと言った。


その一言に、

私は少し胸が痛くなった。


やっぱり少ないよね。

もっとあげられたら良いのに。


そう思った。


でも子どもは、

すぐにこう続けた。


「でも、今のままで大丈夫だよ」


「欲しいものも、

スーパーなら安く買えるし」


その言葉を聞いて、

苦しくなった。


まだ子どもなのに。


家のお金のことを考えて、

我慢しようとしている。


本当はもっと、

気軽に「欲しい」って言っていい年頃なのに。


それでも、

不満をぶつけることはほとんど無かった。


与えられた中で、

ちゃんとやろうとしてくれる子だった。


私はそんな子どもに、

何度も助けられていた。


「ママ、お仕事おつかれさま」

夕方。

図書館へ迎えに行った時だった。


子どもが駐輪場でリュックを開け、

何かを探している。


忘れ物かな。


そんなふうに思いながら見ていたら、

小さなおまんじゅうを差し出してきた。


以前、私が

「これ、美味しいね」

と言ったことのある物だった。


「え、これどうしたの?」


そう聞くと、

少し照れながら言った。


「ママ、仕事で疲れてるから」


「甘いもの食べたら、

ちょっと元気出るかなって思って」


その瞬間、

涙が込み上げた。


この子は、

ちゃんと見ていたんだ。


仕事から帰る私の顔も。

疲れていることも。

甘いものを食べると、

少しホッとしていることも。


そして、

少ないお小遣いの中から、

自分ではなく私のために買ってくれた。


嬉しくて。


でも同時に、

切なかった。


本当なら、

子どもがお母さんを支えなくてもいいのに。


もったいなくて、

すぐには食べられなかった。


冷蔵庫に入れて、

何日も眺めていた。


賞味期限ぎりぎりになって、

やっと食べたそのおまんじゅうは。


少ししょっぱい気がした。

ただ、続けたかっただけ

静かな抵抗 退塾を伝えたのは、最初の週だった。 まだ、ほぼ一か月の期間が残っていた。 でも、その後。 子どもは一度も塾へ行かなかった。 それとなく、 「今日、塾だったよね?」 と聞いてみても、 「今日は行ってない」 と答えるだけ。 あれはきっと、 子どもなりの抵抗だったのだと思う...