2026年2月3日火曜日

震える手でサインさせられた書類

新たな提案

私も、粘った。

最後まで、首を縦に振ることはなかった。


当たり前だ。

あんな要求、受け入れられるはずがない。


貝のように口を閉ざしたまま、

逃げることもできず、

ただ、その場をやり過ごしていた。


ふと窓の外を見ると、

空は、もう暗くなり始めていた。


帰りたい。

でも、帰してもらえない。


まだ説得は続きそうだと感じ、

胸の奥が、少しだけ沈んだ。


しばらくして、

友人Sと友人Yが口を開いた。


「俺、そろそろ帰ろうかな」


その言葉に、

私は思わず反応した。


もしかしたら、

解放されるかもしれない。


そんな淡い期待を抱いて、

彼らの様子を見守った。


一方で、

別の友人と、いつものNは、

最後まで残りそうな気配だった。


「この人たちも、帰ってくれたらいいのに」


そう思った、その時。


例の彼女が、

夫に、さっと目配せをした。


何かを伝えようとしていることは、

誰の目にも明らかだった。


そして、その直後。

夫は、もう一枚の紙を差し出してきた。


条件が一つ削られた提案

そこに書かれていたのは、

新たな条件だった。


私が、

どうしても受け入れられなかった

「子どもと会わせる」という項目が、

削られていた。


それを見て、

胸の奥で、ほっと息をついた。


夫は、

勝ち誇ったように言った。


「お前の考えてることは分かるよ」


その言葉に、

なぜか周囲の人たちは笑った。


どう考えても、

笑う場面ではなかった。


内心、憤りながらも、

私は必死で考えていた。


これ以上の譲歩は、

引き出せない。


ここが、限界だ。


そう感じた私は、

短く、「分かった」と答えた。


それから、

震える手でサインをした。


一通を受け取り、

バッグにしまう。


たったそれだけのことなのに、

手が震えて、

思うように動かない。


自分でも可笑しくなるほど、

時間がかかった。


ようやく解放された頃には、

外は、すっかり夜だった。


建物が見えなくなる場所まで歩き、

立ち止まって、

大きく伸びをした。


その時、

やっと、

「生きている」

という実感が戻ってきた。

2026年2月2日月曜日

一方的な要求 ― サインを拒んだ私

一筋縄ではいかない交渉

呼び出された時点で、

簡単にはいかないだろうことは、分かっていた。


それでも、

断るという選択肢はなかった。


どうせ拒んだところで、

最後は夫の思い通りになる。


そう学んできた。


だから、

引っ越しの手伝いも、

この場に来ることも、

仕方なく受け入れた。


でも——


これは、話が違う。


引っ越しを手伝うことと、

こんな取り決めをのむことは、

全く別だ。


私は、

その紙にサインしなかった。


周囲から見れば、

多勢に無勢。


防戦一方だったと思う。


実際、

言葉の圧は強く、

逃げ場はなかった。


それでも。


守るべきものがあった。


威圧されても、

責め立てられても、

「分かりました」とは言わなかった。


頑なな私を見て、

最初は嘲るような笑いが浮かんだ。


そんな中で、

諭すように口を開いたのが、

例の彼女だった。


正論という暴力

彼女は、

子どもをなだめるような声で言った。


「なんでも、自分の思い通りにはならないの」


なぜ、

そんなことを言われなければならないのか。


理解できなかった。


「普通に考えたらね……」


穏やかな口調で、

でも、逃げ道を塞ぐ言葉が続く。


「体調を崩して、

 思うように生活できない人を、

 見捨てて出ていくなんて、

 絶対にできないよ」


その言葉を投げたあと、

彼女は私の返事を待っていた。


私は、何も言えなかった。


罪悪感が、

喉の奥に引っかかっていた。


言葉を探していると、

別の誰かが言った。


「都合が悪い時は、ダンマリだよね」


そこから先は、

荒い言葉が続いた。


誰が何を言ったのか、

もう覚えていない。


ただ、

耳の奥がじんと痛くなり、

心が遠くなる感覚だけが残った。


私は、

ひたすら心を空っぽにして耐えた。


折れそうになるたび、

子どもの顔を思い浮かべた。


負ける、ということは、

夫の要求をのむ、ということ。


それだけは、

絶対にしてはいけない。


子どもを守るためなら、

あと数時間でも耐えられる。


そう、

自分に言い聞かせていた。


彼女の言葉は、

もう、私を傷つけなかった。


私たちの未来に比べれば、

取るに足らないものだと、

必死で思い込もうとしていた。

2026年1月31日土曜日

夫が求める条件

非常識だと言われても・・・

夫の私物が部屋に残されたまま、

引っ越し作業は終わろうとしていた。


えっ?

持っていかないの?


思わず、口をついて出た。


「置いていくものは、要らない物なの?」


たった、それだけの確認だった。

責めるつもりも、追い詰めるつもりもなかった。


それなのに。


彼らは一斉に、私を責め始めた。


そんなことを聞くこと自体が、

非常識なのだと言う。


そもそも勝手に家を出た癖に、

善意で部屋を明け渡す夫に対して、

優しさが足りないのだそうだ。


次々に投げられる言葉に、

胸の奥が、じわりと重くなった。


でも、

そう言われても、私は嫌だった。


夫の私物が、この部屋に残されることが、

吐き気を催すほど、嫌だった。


居なくなったあとも、

まだ見張られているみたいで。


「ずっと見ているぞ」


そう言われている気がして、

背中が、ぞわりとした。


だから、怖かったけれど、お願いした。


「部屋も広くないから、

 必要な物なのであれば、

 一緒に持っていって欲しい」


声が震えないように、

必死で抑えながら。


それが、

そんなにも非常識なことだとは、

思いもしなかった。


その一言で、

場の空気は一気に険悪になった。


夫は、さらに弱々しく振る舞い、

周囲は口々に言った。


「(夫)の気持ちを汲んであげて」


つまり、

夫は出て行くけれど、

荷物は残したまま。


義実家に一時的に戻るだけ、

そんな体で過ごすということらしい。


残された荷物を見ながら、

私は黙り込んだ。


こんな状態で、

本当に離婚できるのだろうか。


答えは出ないまま、

時間だけが過ぎていった。


一方的な取り決め

あと数分。


心の中でそう呟いた、その時。

一枚の紙を差し出された。


「俺は今日、この部屋を出る。

 十分に譲歩したよ。

 お前も少しは誠意を見せろよ」


そう言われ、

後ずさる私の手に、

無理やり紙を握らせた。


逃げ場は、なかった。


長々と文字が並んでいて、

一瞬では内容が頭に入らない。


「サインしろ」


そう言われたけれど、

まずは確認しなければと思い、

その場に座り込んだ。


書いてあったのは、


・夫は自由に家を行き来しても良い

・要望があれば子どもに会わせる

・離婚は十分に協議し、双方が納得した上で決める

・私と子どもは家に戻る


ざっと読んだだけでも、

違和感しかなかった。


読み終えた瞬間、

心の中で叫んだ。


サインしたくない。


夫が自由に出入りするなんて、

とても安心できない。


子どもに会わせることも、

今は絶対に無理だと思った。


離婚だって、

先延ばしにされて、

なぁなぁになってしまう気がした。


不安が、

喉の奥までせり上がってきた。


それでも、

私の周りには人が集まり、

逃げたくても立ち上がることもできない。


「早く」


「サインするだけだろ」


促されるまま、

ペンを握ったまま、

手が動かなくなった。


この紙に、

効力はあるのだろうか。


もし、あるのなら。


私は、

絶対にサインしたくなかった。

2026年1月30日金曜日

完全アウェイな引っ越し作業

言葉の棘

笑顔で迎え入れてくれた、夫の友人たち。


でも、

その内側が穏やかでないことは、

すぐに分かった。


ちょっとしたやり取りの中に、

さりげなく混ぜ込まれる言葉。


冗談のようで、

冗談ではない。


その一つひとつに、

小さな棘が仕込まれていて、

確実に、私の心を刺してきた。


ある程度は覚悟して、

この場に来たつもりだった。


でも、

想像していたより、ずっと殺伐としていた。


ただ厄介なのは、

みんなが表面上は

「良い人」を演じていること。


だから、

もし私が何か言えば、

空気を壊した人、

勝手に悪者になった人、

そういう立場にされてしまう。


分かっていたから、

私は何も言わなかった。


棘に気づいても、

気づかないふりをして、

ひたすらやり過ごした。


夫が病院に運ばれたあの日、

ヒステリックに私を非難してきた人も、


その日は、

柔和な表情で話しかけてきた。


「あの時はごめんね。

 心配で、言い過ぎちゃって」


そんなふうに言われて、

私は、曖昧に笑って頷いた。


この人たちは、

夫の気持ちを代弁しているだけ。


そう思おうとした。


でも、

「ごめんね」のあとに続く言葉は、

必ず同じだった。


「でも、あの状況で……

 放って帰るなんて、信じられない」


結局は、非難だ。


その後も、

事あるごとに、


「(夫)のこと、どうでもいいんでしょ」


そう言われている気がして、

チクチク、チクチク。


言葉は柔らかいのに、

中身は、鋭かった。


一方で夫は、

被害者ぶった態度で、


「俺は大丈夫だよ」


などと、

しおらしく振る舞っていた。


その姿を見るたび、

胸の奥が、静かに冷えていった。


自由への試練

息苦しい時間は、

ようやく終わりに近づいていた。


荷物の整理も、あらかた終わり、

あとは詰め込むだけ。


その時、

私はふと気づいた。


――夫の荷物が、残っている。


一時的に義実家へ戻るだけなら、

それも理解できる。


でも、

これは離婚に向けた引っ越しだ。


全部、

持って行ってもらわなければ困る。


この時も、

私は必死で言葉を選んだ。


考えて、考えて、

ようやく口にしたのは、


「残っているものは、

 不要な物なのかな?」


本当に、

精一杯の言い方だった。


でも、それが引き金だった。


夫の周りの人たちが、

一斉に、私を責め始めた。


優しさが足りない。

一方的に追い出される夫が可哀そう。


そんな言葉が、

次々と飛んでくる。


でも正直、

私はもう、

その作業が終わったあとのことしか

考えられなくなっていた。


早く終わらないかな。


早く、ここから出たい。


その気持ちが、

態度に出てしまっていたのだと思う。


それが、

さらに彼らの怒りに火をつけた。


私はただ、

自由までの残り時間を、

黙って耐えていた。

2026年1月29日木曜日

あっという間に約束の日に

行きたくない病、再発

約束の日が、翌日に迫っていた。


私の気持ちは、

ズーンと、底のほうに沈んでいた。


発熱して、ドタキャンしてから、

まだ一週間しか経っていない。


気持ちが整理できないまま、

その日を迎えようとしていた。


なぜ、

こんなにも早く次の予定を入れたのか。


それは、

嫌なことは、さっさと終わらせたかったからだ。


いつまでもこの件を引きずるのは、

正直、しんどかった。


それに、

どうせ業者に依頼しないのなら、

レンタカーを手配するだけ。


いつでも同じだろうと思っていた。


案の定、翌週を指定しても、

特に文句を言われることもなく、

あっさり予定は決まった。


あとは、当日を待つだけ。


……の、はずだった。


でも、

やっぱり来た。


行きたくない病、発症。


決まってからずっと、

ウダウダ、ウダウダ。


何をしていても、

頭の片隅に、その日のことが張り付いている。


そして、

ブルーなまま前日を迎え、

いよいよ、追い詰められた。


もう、こうなったら行くしかない。


(最初から、そう決まっていたのだけれど)


そう言い聞かせて、

私はようやく、腹をくくった。


曇天が、まるで私の心みたいだった

当日の天気は、あいにくの曇り空。


今にも雨が降り出しそうな、

重たい空だった。


私は折り畳み傘をバッグに入れ、

時刻表も調べないまま、

駅へ向かった。


そんなことをする気力すら、

残っていなかったのだ。


ホームで電車を待ちながら、

ぼんやり立ち尽くす。


気持ちは、

一向に浮上しない。


それでも、

ふと、あることに気づいた。


――あと数時間、我慢すればいい。

――それで、やっと家を明け渡してもらえる。


そう思った途端、

不思議と、少しだけ力が湧いてきた。


さっさと済ませてしまおう。


早く終わらせたい。


我ながら、現金だと思う(笑)。


家に着くと、

すでにみんな集まっていた。


そして、

私の顔を見るなり、


「久しぶり〜」


と、口々に声をかけてくる。


まるで、

何事もなかったかのように。


あの修羅場など、

最初から存在しなかったかのように。


この人たちは、

その笑顔の裏で、

何を考えているのだろう。


そう思った瞬間、

背中が、ひやりとした。


顔は笑っていても、心は、きっと違う。

私のことを、

快く思っているはずがない。


「今日は、長い一日になりそうだ」


そうため息をついた、その時。


視界の端に、

例の彼女の姿が入った。


引っ越し作業だというのに、

まるでデートにでも行くような、

綺麗な服装で。


遠目からでも分かる、

場違いなほどの存在感。


妙なオーラを、

はっきりと放っていた。

2026年1月28日水曜日

引っ越しは延期になっていた

次の日に知った、衝撃の事実

熱が下がった次の日。


私は恐る恐る、

夫からのメッセージを確認した。


どんな暴言が並んでいるのだろう。


そんな覚悟で開いたのだけれど、

そこにあったのは、

罵詈雑言とは程遠い、

あっさりとした日程調整の連絡だけだった。


最初こそ怒っているようだったが、

なぜか、すぐにトーンダウンしている。


それまでには、なかったパターンだ。


夫の場合、

怒りは時間とともにエスカレートしていく。


まるで、自分の怒鳴り声に

反応しているかのように。


そう感じることも、少なくなかった。


それなのに、

引っ越しの件でのやり取りは、

驚くほど静かだった。


不気味なほどに。


『怒ってはいないみたいだ』


そう思えたことに、

私はほっとして、

その日のうちに返信をした。


手伝えなくて申し訳ありません。

無事に終わりましたか。


短い、当たり障りのないメッセージ。


返信が来たのは、夕方だった。


――あとは、

私たちがいつ戻るかだけだな。


そんなことを考えながら、

読み始めた、その瞬間。


頭から、

冷たい水を浴びせられたような

衝撃を受けた。


夫は、

引っ越していなかった。


てっきり、

すべて終わっているものだと

思い込んでいた私は、

言葉を失った。


業者への依頼も無く・・・

よくよく聞いてみると、

業者にも依頼していなかった。


実はあの日、

夫の友人がレンタカーを借りて、

荷物を運ぶ予定だったらしい。


ということは、

そこには、

夫の「好きな人」だけでなく、

友人もいる。


一体、

何人集まるつもりだったのだろう。


夫の仲間内で、

明らかに浮いている私が、

「好きな人」まで揃うその場で、

引っ越しを手伝う。


どう考えても、

カオスだった。


おかしい。

どう考えても、おかしい。


でも、

それを指摘すれば、

また臍を曲げる。


そう思うと、

何も言えなかった。


これさえ我慢すれば、

出て行ってもらえる。


もう少しの辛抱だ。


そう自分に言い聞かせて、

次の日程を決めた。

2026年1月27日火曜日

突然の発熱で、指定された日に行けず・・・

悩み過ぎて眠れない日が続いた

夫から、

「引っ越しの日には家に来て手伝え」


そう言われてから、

私はずっと悩み続けていた。


顔を合わせるのが、怖かった。


情けないけれど、

恐怖に打ち勝つことができなかった。


その日のことを想像するだけで、

動悸がして、手が震える。


こんなにも怯えていることを、

夫は分かっているのだろうか。


一緒に暮らしていた頃、

思い切って言い返したこともあった。


少しでも状況を変えたかったから。


言っても無駄だと分かっていながら、

それでも、諦めきれなかった。


けれど夫は、それを都合よく受け取り、


「お前も言うようになったな。

 もう口だけは対等だな」


そんなふうに言った。


心臓をバクバクさせながら、

必死で絞り出した言葉は、

やはり、届かなかった。


それどころか、

夫の暴走を肯定してしまったようで、

私は本気で後悔した。


それなら、

黙って聞いていた方がよかったの?


言わない方が、マシだった?


そう思っても、もう遅い。


それ以来、私はずっと、


「言い返せるんだから大丈夫だろ」


そう言われ続けた。


あの苦い経験が、

私をより慎重にした。


「失敗してはいけない」

そう思うほど、身動きが取れなくなり、

気づけば、そのことばかり考えていた。


かなりのストレスだったのだと思う。


そして、

夫に来るよう言われていた日の前日。


私は、熱を出した。


夫の不機嫌、私の思惑

発熱に気づいてすぐ、

夫に連絡を入れた。


「明日は無理そう」


案の定、夫は怒っていた。


でも、怒られてもどうしようもない。


三十七度後半。

高熱ではないけれど、

引っ越し作業ができる状態ではなかった。


電話でなかったのは、幸いだった。


メッセージなら、

自分のタイミングで読める。


既読をつけたくなくて、

連絡が来ていると分かっていても、

なかなか開けずにいた。


実はこの時、

私には、ある思惑があった。


たとえ私が行けなくても、

業者は入っているはずだ。


そのまま作業は進み、

私は直接関わることなく、

部屋が明け渡されるのを

待てるかもしれない。


熱が出たのは本当だけれど、

そんな打算が、

一瞬で頭を駆け巡った。


――ラッキーだと、

思ってしまった。


夫に連絡を入れたあと、

私は久しぶりに、深く眠った。


「会わなくて済んだ」


その安堵で全身の力が抜け、

泥のように、眠った。

震える手でサインさせられた書類

新たな提案 私も、粘った。 最後まで、首を縦に振ることはなかった。 当たり前だ。 あんな要求、受け入れられるはずがない。 貝のように口を閉ざしたまま、 逃げることもできず、 ただ、その場をやり過ごしていた。 ふと窓の外を見ると、 空は、もう暗くなり始めていた。 帰りたい。 でも、...