2026年6月10日水曜日

不安と回復のあいだで

不安の中にいた頃

家を出たばかりの頃、

私はとても不安だった。


夫と上手くいかなかったような

不出来な人間だもの。

育児だって、きっと上手くいかない。


そんなふうに思い込んでいた。


結婚生活で思い出すのは、

怒られた時のことばかり。


私が至らないせいで夫を怒らせ、

夫婦関係もおかしくなった。


そう思っていたのに、

最終的には、

夫から逃げる形になった。


そんな私に育てられたら、

子どもはどうなってしまうんだろう。


当初は思い悩み、

夜な夜な将来を憂いた。


だけど、

それを打ち明けられる相手もいない。


お世話になった先輩にさえ、

本心はうまく話せなかった。


夫の意向で、

周囲とは距離ができていた。


連絡先も消した。

番号ももう覚えていない。


家事を終え、

少しだけ自由な時間ができても、

テレビの内容は頭に入ってこなかった。


そして夜、

電気を消して横になると、

ふと、思う。


二人ぼっちだなぁ。


カーテンの向こうには

家々の灯りがあった。


それでも、

その光が遠く感じられた。


家にいた頃よりも

温かな環境のはずなのに、

心は沈んでいた。


少しずつ戻ってきた日常

いつ頃からだっただろうか。


気づけば私は、

子どもの話を聞いたり、

お笑い番組を見て

笑うようになっていた。


安心できる場所があるというのは、

それだけで大きいことだ。


「ごめんなさい」と

無意識に口にすることも減り、

「ありがとう」と言う回数の方が増えていった。


そんな時間を過ごしたあと、

再び家に戻った。


今度は本当に二人きり。


でも、

あの時間があったから、

私は少しずつ立て直せていた。


夫の要求にも流されない。

情にも引きずられない。

義両親の話を出されても、

嫌なことは「No」と言えるようになっていた。


当たり前のことなのに、

以前の私にはそれができなかった。


少しだけ強くなった私と、

成長した子ども。


その変化は、

周囲にも伝わっていたのかもしれない。


ある日、

義両親が突然訪ねてきた。


休日の午後だった。


玄関を開けると、

お義父さんが頭を下げていた。


深くではないが、

明らかに何かを伝えようとする姿勢だった。


お義母さんも横で

言葉を探すように立っていた。


私は少し驚いたが、

すぐに玄関先で話を聞いた。

2026年6月9日火曜日

5千円のためじゃない

私なりのケジメ

うちの会社では、

配偶者が扶養内の場合に

扶養手当が支給される。


額にすると5千円。

決して小さい額ではない。


そのお金があれば、

毎月のやりくりも少しは楽になる。


だけど、

家を出た時点で

私は会社に伝えた。


「一緒に暮らしていないので、

 支給から外してください」


これは、

私なりのケジメだった。


こんなことからでも、

「夫と離れた」という実感が欲しかった。

そんな気持ちもあった。


だけど、

会社の担当者や上司は言った。


「扶養には入っている状態だから」


確かに、

夫の生活費は私が負担していた。


他に必要な物があれば、

その費用を求められることもあった。


夫が自分で出していたのは、

趣味のアーティスト関連の出費や、

人との付き合いくらいだったと思う。


家賃も光熱費も払い続け、

生活は厳しかった。


それでも、

形式上は扶養の状態が続いていた。


その後、

夫はほどなくして働き始めた。


離れて一人になった途端、

働けるなんて。


本当はもう元気だったんじゃないの?


そう思っていた頃、

夫から言われたのが――


「お前のせいで治らなかった」


その言葉を聞いた瞬間、

どっと疲れが押し寄せた。


この人はいつもそうだった。


悪いことがあれば私のせい。

良いことがあれば自分のおかげ。


そんな考え方に、

私は何度も振り回されてきた。


後悔していると思いたい

夫から電話が来た時、

嫌々ながらも応じた。


話の流れで、

扶養の話になった。


私は

「扶養から外す手続きをしている」

と伝えた。


すると夫は、

毎月の扶養手当の額を確認した。


「5千円だったよな?」


そうだと答えると、

夫は言った。


「だから、別居なんてしなければ良かったんだよ」


冗談じゃない。


5千円のために、

全てを我慢して生きる生活なんて

私たちは望んでいない。


夫には、

私たちが何を失ってきたのか

伝わっていなかった。


たとえこれから先ずっと

5千円少なくなったとしても、


あの抑圧された生活から

解放されるのなら、

安いものだと思っていた。


私は、

「会社の規定だから仕方ないよね」

とだけ答えた。


そして、

何か言いたそうにしていた夫の言葉を遮り、

別の話題へ変えた。


本当は夫は、

「後悔してるんだろ?」

と言いたかったのだと思う。


私の選択は間違いだった。

そう証明したかったのだろう。


逆に私は、

夫に後悔して欲しかった。


自分がしてきたことを振り返り、

傷付けた相手がいたことを

理解して欲しかった。


そのことは何度も伝えた。


だけど、

少なくとも夫は

自分の行動を顧みることがなかった。


一度も本気で後悔しているようには

見えなかった。


むしろ夫は、

「間違ったことをした私が、

 いつか後悔する」

と本気で信じているようだった。

2026年6月8日月曜日

知らない間に退去が決まっていたら

もしもの日のために

知らない間に、

部屋の解約をされそうになった。


この一件は、

私にとって大きな衝撃だった。


ただでさえ不安定な毎日。


普通に暮らすだけでも

精一杯だったのに、

さらに気を抜けなくなった。


夫が居座っていた頃のことを思い出す。


私が部屋を解約しようとした時、

夫は激しく抵抗した。


結局、

解約はできなかった。


その後、

夫がようやく出て行き、

私たちが部屋へ戻った。


それなのに今度は、

私たちに黙って

解約の話を進めていた。


自分は住んでいないのに。


偶然、

管理会社から電話が来なければ、

私は何も知らなかった。


私に知られないように、

退去の話だけが進んでいた。


その先にあるものも、

想像はついた。


義実家での同居だ。


退去日の直前に知らされても、

私たちには為すすべがない。


行く場所も、

すぐには見つからない。


気付いた時には、

もう後戻りできない。


全てが決まった後で、

私は知らされる。


"決定事項"として。


そう考えるだけで、

恐ろしくなった。


この件以来、

私は常に警戒するようになった。


夫がまた何かしてくるのではないか。


そんなことばかり考えていた。


疑い続ける生活は、

想像以上に疲れる。


それでも、

何も準備しないわけにはいかなかった。


もしもの時に備えて、

すぐ持ち出せる荷物をまとめた。


本当は全部大切だ。


けれど、

そんなことを言っていられる状況ではない。


最低限必要なものだけを選び、

一つにまとめた。


不動産屋にも足を運んだ。


急に部屋を探すことになった場合、

すぐ入居できる物件があるのか。


そんな相談までしていた。


不測の事態を前提に

動かなければならない生活。


それが、

あの頃の日常だった。


子どもの願い

荷物を整理していると、

子どもが不思議そうに聞いてきた。


「引っ越すの?」


眉はハの字になり、

声にも不安がにじんでいた。


その表情を見た瞬間、

胸が苦しくなった。


本当のことは言えなかった。


「引っ越さないよ」

「何でもないんだよ」


そう言いながら、

私は嘘をついた。


大人だって、

こんな生活は苦しい。


先の見えない不安の中で暮らせば、

心は少しずつ削られていく。


それを、

小学生の子どもにまで背負わせてしまった。


子どもにまで、

こんな顔をさせてしまった。


しばらくすると、

子どもはそれ以上何も聞かず、

自分の荷物を整理し始めた。


言葉にはしなくても、

何かを感じ取っていたのかもしれない。


空気で伝わるものはある。


数分後、

子どもが突然こちらを振り返った。


そして、

笑顔で言った。


「次のお部屋は

 お日様がいっぱい入る所がいい」


明るい口調だった。


だからこそ、

胸が締め付けられた。


ごめん。

ごめんね。


夫から逃げ回る生活は、

思っていたよりずっと長く続いていた。


心は疲れ切り、

上手く笑えなくなっていた。


いったい、

いつまで逃げればいいのだろう。


いつになったら、

安心して暮らせるのだろう。


荷物を整理しながら、

私は子どもの言葉を思い出していた。


「お日様がいっぱい入る所がいい」


その願いさえ、

あの頃の私には遠く感じられた。

2026年6月6日土曜日

知らないところで話が進んでいた

身に覚えのない『退去の話

あれは八月のことだった。


仕事をしていると、

突然、

借りている部屋の管理会社から

電話がかかってきた。


入居してから数年、

管理会社から直接電話が来たことなど

一度もない。


何か伝えることがある時は、

いつもポストに手紙が入っていた。


だからこそ、

重要な用事なのだろうと思い、

すぐに折り返した。


コール音の後、

女性スタッフが電話に出る。


私は担当者の名前を告げ、

取り次ぎをお願いした。


だが、

あいにく席を外しているという。


仕方なく、


「お昼頃にもう一度かけます」


と伝えて電話を切った。


昼休みになり、

改めて電話をかける。


今度は担当者本人が出た。


「すみません。

 何度かお電話を頂いていたのに

 出られなくて……」


担当者は、

とても丁寧な人だった。


少しのことでも

必ず手紙を入れてくれる。


ただ、

電話がかかってきたことはない。


『そんなに重要な話なのだろうか』


そう思いながら、

私は用件を尋ねた。


すると、

担当者の口から

思いもよらない言葉が出た。


「先日お話をうかがった

 退去の件なんですが……」


聞いた瞬間、


「えっ?」


思わず声が出た。


ゾッとした言葉

私たちに退去の予定はない。


もちろん、

そんな連絡をした覚えもない。


それなのに担当者は、

まるで決まった話であるかのように

説明を続けていた。


誰かと勘違いしているのだろうか。


私は慌てて、


「退去する予定はありません。

 別の方と間違えていませんか?」


と伝えた。


すると担当者は、

驚いたような声で言った。


「あれ?

 でも先日、ご主人からお話がありまして……」


その言葉を聞いた瞬間、

私は状況を理解した。


夫だ。


夫が勝手に

解約の話を進めていたのだ。


一体何のために。


そんなもの、

考えるまでもなかった。


義実家へ引っ越しをさせるためだ。


担当者も、

かなり困惑している様子だった。


当然だと思う。


夫婦で言っていることが

まるで違うのだから。


そして話の途中、

担当者はこんなことも口にした。


「ああ、そういえば

 この件はご主人に連絡するよう

 言われていたのを忘れていました」


その瞬間、

背筋が冷たくなった。


夫は私に知られないよう、

解約を進めようとしていた。


契約しているのは私なのに。


もし担当者が

その言葉を忘れていなかったら。


もし私に電話が来ていなかったら。


気付かないまま

話が進んでいたかもしれない。


そう考えると恐ろしくなった。


私はすぐに、

今後の連絡は全て私にしてほしいと

担当者にお願いした。


電話を切った後も、

しばらく動けなかった。


別居してもなお、

夫は私の人生に入り込もうとしてくる。


距離を取ったはずなのに、

全然終わらない。


次は何をしてくるのだろう。


そんなことばかり考えていた。


夫が怖かった。

2026年6月5日金曜日

離れても終わらなかった

金曜日が怖かった

せっかく別居したのだから、

本当は夫と距離を置きたい。


願わくば、

ほとんど連絡も取りたくない。


そう考えていたのだが、

現実は理想とは違った。


鬼のような連絡が続いていた。

特に嫌だったのが金曜日。


本来なら、

休みを前にして気持ちが軽くなる日だ。


けれど私たちは、

金曜日が近づくたびに

気持ちが沈んでいった。


なぜなら、

断っても断っても懲りずに

毎週お誘いの連絡が来ていたから。


どんなに冷めた対応をしても、

何事も無かったかのように誘ってくる。


時には義両親も交えて

皆で遊びに行こうと言ってくる。


それが嫌で、

「あー金曜日か」


どちらからともなく、

ため息交じりにそんな言葉が出た。


その言葉には、

明日が来てほしくない気持ちが

詰まっていたと思う。


休日前なのに、

全然嬉しくなかった。


一緒に暮らしている頃、

体調不良のことが多かった夫は

ほとんど一緒に出掛けなかった。


どこかへ行く時は、

子どもと二人。

あるいは義両親を含めた四人。


ごく稀に来た時でも、

最初から最後まで文句ばかりで

全然楽しめなかった。


威嚇して怖がらせたり、

気に入らないことがあると怒ったり。


子どもも嫌な思いをしたと思う。


外に居ようがお構いなしで、

気に入らなければ怒鳴るのだから。

子どもだって、

一緒に出掛けたくなかったはずだ。


私は周囲の視線も辛かった。

好奇の目で見られるたびに、

居たたまれない気持ちになった。


頭の中では色々なことを考える。

けれど結局できるのは、

その場を収める努力だけだった。


ただ、それさえも難しい。


言葉選びを間違えれば、

夫はすぐにへそを曲げる。


その後はお決まりのモラハラだった。


家庭内で起きることだから、

逃げ場もない。


無視をされたり、

ため息をつかれたり、

大きな物音で威嚇されたり。


その程度ならまだマシな方で、

物に当たって壊すこともあった。


家具が壊れた時の光景は、

今でも忘れられない。


何度思い返しても恐ろしくて、

背筋が冷たくなる。


この時間が永遠に続くのではないか。


そんな錯覚を覚えるほど、

苦しい毎日だった。


そんな風に私たちを怯えさせてきた夫が、

『休みの日には家族で過ごしたい』

と言う。


その言葉を聞くたびに、

私は混乱した。


怖かったのは、

私たちのはずなのに。


私が悪いの?

金曜日はどうしても身構えてしまう。


いつ連絡が来るのだろう。

そればかりを気にしている

自分に気づいた。


時計を何度も確認しながら、

『今日はもう来ないかな』

と少しだけ安堵する。


すると次の瞬間、

携帯が鳴る。


画面に表示された夫の名前を見て、

思わず手に力が入った。


絶対にいつもの話だ。


「明日、どこかに出掛けよう」

そう言われるのが分かっていた。


だから出られなかった。


このまま諦めてくれればいい。

そんな気持ちもあった。


しばらくして携帯は静かになる。


けれど数分後、

また電話が鳴る。


それを何度繰り返しただろう。


恐らく七〜八回。


その後、

留守電が入った。


残されたメッセージを聞いて、

私は酷く動揺した。


夫は泣きながら、

「電話に出てください」

と何度も繰り返していた。


「お願いだから」


その言葉を聞いた瞬間、

罪悪感が押し寄せる。


夫をこんなに泣かせるほど、

私は悪いことをしているのだろうか。


私が悪いの?


本当に悪いの?


別居を選んだ私が、

家族を壊しているの?


頭の中で同じ問いが

何度も繰り返された。


何が何だか分からなくなり、

ただ震える手で

留守電を消去した。


あの頃の私は、

『夫を見捨てることなど到底許されない』

と思い込んでいた。


そんな大罪を背負って、

これからも生きていく。


そう考えるだけで怖かった。


その恐怖に、

なかなか打ち勝てなかった。


だから電話が鳴るたびに、

心臓が縮み上がる。


金曜日が来るのが、

怖かった。

2026年6月4日木曜日

刷り込まれた言葉

繰り返し使われたフレーズ

『お前はバカだ』


初めてそう言われたのは、

付き合い始めの頃だった。


いきなり言われれば、

怒る人もいると思う。


でも私は、

自分に自信がなかった。


だから、

『え?どうしよう…』

と戸惑ってしまった。


自分はダメだ。

何をやっても中途半端だ。


そんな思いが、

もともとどこかにあった。


だからこそ、

『やっぱり見抜かれたのかもしれない』

とすら思ってしまった。


嫌われたくなくて、

彼の前ではいつも取り繕ってばかり。


けれど、

良く見せようとすればするほど、

うまくいかない。


ちょっとした失敗が、

ひどく怖くなっていった。


またバカだと思われる。


その恐怖で、

言葉も行動もどんどん不自由になっていった。


それでも嫌われたくなくて、

必死に“普通”を演じる毎日。


気づけば、

彼の言葉がすべてになっていた。


結婚してからも、

その構図は変わらなかった。


少しでも逆らえば怒られ、

そのたびに自己嫌悪に陥る。


もっと頑張らなきゃ。


そう思うほど、

少しずつ夫の言いなりになっていった。


抜けない思考の癖

夫からは、

ずっと否定され続けてきた。


だから別居をしても、

すぐに自分を変えることはできなかった。


いざ向き合うと、

意見を言うことすらできない。


お前はバカだ。

何をやってもダメなんだから自覚しろ。


そんな言葉を浴びてきた私が、

子どもを一人で育てていいのだろうか。


そう自問自答しながら、

答えを探す日々が続いた。


その間も夫からは、

言葉が途切れることはなかった。


お前は間違っている

いつか後悔する

お前のためを思って言っている

今ならまだ戻れる


そんな言葉に、

何度も揺さぶられた。


言われれば言われるほど混乱して、

何が正しいのか分からなくなる。


ただ一つ確かなのは、

夫と離れてから、

ようやく子どもの笑顔が

見られるようになったことだった。


それだけは、

はっきりしていた。


それでも、

揺さぶりが続くたびに心は乱れた。


「お前の思い込みが、

子どもを不幸にしている」


その言葉を、

一週間以上、引きずることもあった。


そういう状態だったから、

別居が長引いても、

夫には余裕があったのだと思う。


一方で私は、

あることを夜の習慣にした。


寝る前に自分の気持ちを確認し、

子どもと未来の話をする。


その時間だけが、

かろうじて自分を保つ支えになっていた。

2026年6月3日水曜日

誰もいない部屋

そこにいた痕跡

ドアノブに手を掛け、

恐る恐る回した。


わずかな音にさえ、

過敏に反応してしまう。


この音を聞きつけて、

彼らが飛んでくるのではないか。


そんな想像をしながら、

震える手でドアを開けた。


でも――


誰も居なかった。


以前にも書いたが、

我が家は狭い。


玄関に入れば、

部屋のほとんどが見えてしまう。


だから、

誰も居ないことは

すぐに分かった。


それでも安心できず、

警戒しながら靴を脱いだ。


子どもには、

「そこで待ってて」

と伝えて。


万が一の時には、

子どもを先に逃がし、

自分も後から追いかけよう。


うっすらと、

そんなことまで考えていた。


けれど、

部屋には本当に誰も居なかった。


おかしいな。

確かに、気配があったのに。


後から思い返してみると、

私は彼らが居たという

"痕跡"を感じ取っていたのだと思う。


そこに人が居なくなった後でも、

残された空気や気配を

感じてしまったのだ。


ようやく肩の力が抜けた。


顔を合わせずに済んだ。


それだけで、

十分だった。


テーブルの上のメモ

安心した途端、

どっと疲れが押し寄せた。


体が重くなり、

その場に立っているのも

つらく感じる。


そんな中、

気になったのは

テーブルの上に置かれた一枚のメモだった。


何が書かれているのだろう。


不安を感じながら手に取ると、

お義父さんの字で

私への非難が書かれていた。


せっかく来たのに会えなかった。


こんな遅い時間まで

子どもを連れ回して、

一体どういうつもりなのか。


母親の自覚を持ちなさい。


そんな内容だった。


私が夜遊びをしている

悪い母親だと、

思わせたかったのだろうか。


最後には、

その時の時刻と思われる時間まで

書き添えられていた。


それが余計に、

責められているように感じた。


よく見ると、

彼らはついさっきまで

ここに居たらしい。


もう少し帰宅が早ければ、

鉢合わせしていたかもしれない。


顔を合わせずに済んで良かった。


そう思う一方で、

別の不安が頭をもたげた。


親権のことだ。


この出来事が、

何か不利に働くことはないだろうか。


あの人たちは、

どんなことでも利用する。


もし利用されたら、

印象は良くないのではないか。


あの頃の私は、

何一つ自信を持てなかった。


だから、

些細なことでも

不安でたまらなかった。


『夫に屈しない』


その気持ちを保つだけで、

精一杯だった。

不安と回復のあいだで

不安の中にいた頃 家を出たばかりの頃、 私はとても不安だった。 夫と上手くいかなかったような 不出来な人間だもの。 育児だって、きっと上手くいかない。 そんなふうに思い込んでいた。 結婚生活で思い出すのは、 怒られた時のことばかり。 私が至らないせいで夫を怒らせ、 夫婦関係もおか...