2026年11月3日火曜日

楽しかった一日の終わりに

大満足の休日

あの日、私たちは

心の底から楽しんだ。


見るもの全てが新鮮に見え、

些細なことにも感動した。


こんな時間を、

欲していたのだ。


いくら二人で暮らしていると言っても、

いつ夫や義両親が来るか分からない状況で、

常に気が張っていた。


居心地の良い家にしたくても、

実際は、彼らの影に怯える生活。


できることには、

限界がある。


だけど、外に出て

遠くまで足を伸ばしたら、

本当の意味での「自由」を実感できた。


二人とも一日中笑顔で、

頬が痛くなるほど笑い転げた。


帰りが近づいてきても

帰りたくなくて……。


「こっちに

泊まれたら良かったのにね」


なんて言い合った。


だけど、

そういうわけにはいかない。


いや、予算に余裕があれば、

もしかしたら……。


でも、当日に取れる宿も

ないだろう。


日も暮れてきた頃、

名残惜しさを感じつつ、

帰ることにした。


一気に現実に引き戻されて

楽しかった休日は、

間もなく終わりを告げようとしている。


二人とも、

先ほどまでのテンションとは打って変わり、

口数も少なくなった。


疲れていたのもある。


思い切りはしゃいだから、

いつもより体力を使ったはずだ。


ただ、それだけでなく、

やはり楽しい時間というのは

いつまでも続いてほしいと思うものだ。


子どもは、

いつまでも窓の外を

残念そうに眺めていた。


「また、来よう」


と言いながら。


帰りの電車に揺られながら、

私は既に

別のことを考えていた。


もし夫と、

もっと早く離れることができていたら。


きっと子どもにも

たくさんの楽しい思い出を

残してあげられた。


勇気を出すのが遅すぎて、

そんな時間を奪ってしまった。


無邪気に楽しむ子どもを見ながら、

何だか申し訳なくて、

胸の奥がギュッとなった。


失ってしまった時間は、

もう戻らないのだ。


事の重大さを実感した時、

いつも思う。


『もっと早く出ていれば』


過ぎ去ってしまったことは、

もう、どうしようもない。


分かっていても、

消化しきれない思いが残った。


間もなく乗り換えの駅に到着する。


うつらうつらしている子どもに

「降りるよ」と声を掛けた。


私も荷物を確認し、

何の気なしに

バッグの中を見た。


その時、目に入ったのが、

携帯だった。


一日中、電源を切っていた携帯。


夜になるまで、

そのままにしてしまった。


気づいた瞬間、

心臓がドクンとなった。

2026年11月2日月曜日

キラキラして見えた、いつもの風景

お出かけの準備

翌朝、早起きして、

おにぎりを握った。


家で食べて行けたら

良かったのだけれど。


時間的に早すぎて、

二人とも食べられそうになかった。


それで、

「おにぎりを握って持って行こう」

ということになった。


用意していたふりかけを混ぜて、

アツアツのご飯を手のひらに乗せる。


まだ湯気がたっぷりと出ていて、

大人の私でも

放り出しそうになるくらいだった。


少しだけ冷ました後、

海苔を巻いてアルミホイルで包み、完成。


水筒のお茶には

氷をザクザク入れた。


準備ができたところで、

子どもが起きてきた。


うちの子の朝の準備は、

とてもスピーディーだ。


私が持ち物の確認をしている間の

ほんの数分で終わった。


さあ、行こう。


清々しい気持ちで、

玄関のドアを開けた。


日常がキラキラ

夏と言っても、

早朝は案外涼しかった。


電車に乗り、

ぼんやりしながら

外の風景を眺めた。


何だか全てが

キラキラして見える。


何も心配事がないと、

日常の風景が

こんなにも

キラキラして見えるのか……。


私は感動しながら、

その風景に見入った。


子どもは私よりも朝に弱いので、

半分寝ているような状態で

眺めていたのかもしれない。


ただ、時折、

目に入った風景に感嘆の声をあげた。


目的地に近づくにつれ、

段々と景色が変わっていく。


行ったことのない場所。

触れたことのない空気。


ワクワクしないはずがなかった。


電車を乗り継ぎ、

しばらくすると

目的地に到着した。


一日楽しむために、

やらなければならないことがある。


それは、

携帯の電源を切ること。


夫はお義母さんのふるさとに

一緒に行っていないから、

気まぐれに

連絡をしてくる恐れがある。


もし、そうなれば、

楽しい気持ちも

一気に吹き飛んでしまう。


そんなことはさせない。


後から何を言われるか、

恐怖もあった。


それでも、

子どもとの時間を楽しむために

電源をオフにした。

2026年11月1日日曜日

やっと訪れた、穏やかな夏

取り戻した日常

断って、断って、

断り続けて。


ようやく義両親は諦め、

二人でお義母さんの

ふるさとへと旅立った。


やっと平穏な日常を取り戻し、

私も子どもも安堵した。


実質的な被害はなかったのだけれど、

やり取りそのものがストレスで……。


その間、

夫が何か言ってくるかもしれない

ということにも冷や冷やしていた。


最後の一押し?というタイミングで

夫が静かだったのは、

趣味関連で忙しかったから。


当時は、そんなことも

全く知らなかった。


言葉にするとそれほどでもないように感じるが、

じわじわと小さな波のような

恐怖に支配される日々だった。


モラハラや虐待の被害に遭うと、

物事を悪い方へと考えてしまう。


まだ起きてもいないことを心配し、

恐怖と闘う。


何とか気持ちを立て直しても、

また新たな問題が起きて

勇気をくじかれてしまう。


そんなことの繰り返しで、

なかなか縁を切れずにいた。


だけど、

中学一年生の夏休みは

もう二度とやって来ないのだから。


楽しまなければもったいない。


私たちは、

ふんわりと考えていたお休みの計画を

全て実行しようと話し合った。


楽しい思い出

あの夏、

私たちは、とある観光地に出かけた。


元々ずっと行きたかった場所。


それほど遠くはないのに、

なかなか行けなくて。


このまま行けないのかも……。

なんて思っていた。


だけど、

やっと離れられたのだから。


誰に気を遣うこともなければ、

帰りの時間を気にすることもない。


私たちは、

自由だった。


そこへは、日帰りで行ける。

朝早く出て、たっぷり遊んでも

夜には戻ってくることができる。


前の日は、

いつもよりずいぶん早く横になった。


実はワクワクして

眠れなかったのだけれど。


何とか心を落ち着かせて、

数十分ほどで眠りについた。


現地で体調不良になんてなったら

もったいなさ過ぎる。


子どもも同じだったようで、

何度も寝返りを打っていた。


こんな風に、

ワクワクして眠れないなんて

いつぶりだろうか。


久々に幸せな眠りにつき、

気づけば朝になっていた。


よく晴れて、

気持ちの良い朝だった。

2026年10月31日土曜日

一緒になんて出かけない!

飛行機代は出すから

元々、飛行機代については

疑いもしなかった。


当然、義両親が

出すつもりなのだと。


ずっと断っているのに、

なかなか諦めない。


それどころか、

泣き落としのようなことまでして

精神的に追い詰めてくる。


それほどまでに

一緒に行きたいのなら、

費用を出す前提で話しているのだと

勘違いしてしまった。


ところが……、

急にこんなことを言われた。


「飛行機代は折半で良いから」


折半だなんて。

どう考えてもおかしいではないか。


まさか、この期に及んで

お金まで払わせようと

しているのか。


そう思ったら、

何だか無性に腹が立ってきた。


思わず、


「お金なんて、ありませんよ」


と返した。


そうしたら、


「じゃあ、飛行機の分は出す」


と言われたけれど。


行くには、飛行機だけでは済まない。

電車だって、結構な時間

乗ることになる。


つまり、

飛行機代以外は、こちら持ちになる。


中学生はもう大人料金で、

電車代だってばかにならないのに……。


私はこれを逆手に取り、

「金銭的な面からも行けない」

と告げた。


元々、

行かせるつもりはなかったから、

結果的に良かったのかもしれない。


勝手に進められる話

「みんな、楽しみにしてるって」


嬉しそうに話すお義母さんは、

明らかにテンションが上がっていた。


これは、おかしな状況になった。


知らないうちに、

勝手に行くことにされて、

こちらの言い分を聞こうともしない。


しかも、ふるさとの人たちにも

既に「連れて行く」と報告されている。


焦った私は、


「何度もお断りしたじゃないですか」


と、やや強い口調になった。


だけど、


「まだ間に合うから。

もう一度考えて」


と懇願してくるお義母さん。


ちょうどその時、

子どもが塾から帰ってきた。


「ただいま~」


とドアを開けた瞬間、

二人の姿に気づき、硬直した。


ぎょっとして立ち尽くし、

私の方を見つめる目は、

まるで助けを求めているようだった。


再度、二人に伝えた。


「本当に無理なんです」


でも、私の言葉には反応せず、


「(子ども)ちゃん、

おばあちゃん達と飛行機に乗りましょう」


と言った。


その時だった。


子どもが、はっきりとした口調で、


「一緒になんて出かけない!」


と言った。


それを聞いた瞬間、

二人の表情は硬くなり、


「……そう」


とだけ答えて、立ち上がった。


やっと分かってもらえた。


そう感じて、私は安堵した。

2026年10月30日金曜日

何度断っても、諦めない

諦めないお義母さん

お義母さんの故郷で

孫をお披露目することが、

よほど大事らしい。


いつも何かを押し付けてくるのは

お義父さんの方だけど。


この時は、

珍しくお義母さんから

何度も要請があった。


以前にも書いたが、

お義兄さんは色々あって

離婚している。


お子さんはいなかったので、

義両親にとって、うちの子は

唯一の孫になる。


思い入れが強くなるのも

仕方のないことだと思う。


ただ、

それとこれとは話が別。

何でも許せるわけではない。


2時間後、子どもが

塾から帰ってきた。


はっきりと断ったんだから。

何も伝える必要はない。


そう思い、

話題に出さなかった。


この件は、

これで片付いたかに見えた。


でも、違った。


予定の日まで時間がなかったからか、

1日に何度も連絡が来た。


既読スルーを決め込み、

着信にも反応しない。


それでも連絡をしてきて、

ついには直談判にも来た。


手にはお土産を持ち、

まるで『顔を見に来ただけ』のように

装うのだけれど。


結局、最後は帰省の話になる。


こちらの気持ちを伝えても、

まったく受け入れる気配がなく、

ほとほと疲れていた。


対応の仕方を変える

それまで、言葉で伝えようとしていたが、

無駄だったのだと悟った。


伝わらないのなら、

こちらの戦法を変えればいい。


私は、何を言われても

『その件は済んだこと』

として通すことに決めた。


いちいち取り合わず、

のらり、くらりとかわす。


「ああ、例の話ね」

という感じで流す。


言われるたびに、いちいち

「それは、この間も申し上げましたが……」

なんて反応するから、

余計に諦めきれなくなるのだ。


もう済んだこととして扱い、

議論にもならなければ、

さすがに諦めるだろう。


消極的なやり方だけど、

これが一番効くだろうと思った。


ところが、

お義母さんが急にはっきりと、


「もう一度、考えてみてちょうだい!

お願いします!」


と言い始めた。


「自分も年だから、

次があるか分からない」


と、泣き落としまでしてくる。


でも、

子どもが泣いていた時、

義両親は助けてくれなかった。


自分の中で消化できない出来事が

あまりにも多すぎて。


情に訴えかけるお義母さんの姿を、

冷たい目で見ていた。

2026年10月29日木曜日

理解できない言い分

義両親が望むこと

ふるさとに、

うちの子を連れて帰り、

お義母さんがしたかったこと。


それは、

『孫のお披露目』だ。


そう言えば、

産まれた瞬間からずっと

「うちの孫」と言っていた。


最初は、もう少し

遠慮がちだった気もする。


それが気づいたら、

当然のことのように

なっていた。


そういうくせに、

守ってはくれない。


夫から虐待されていても、

「ほら、そんなにするな」

と言うだけ。


軽い調子で言われたくらいでは、

止めるような人ではないのに。


育てた人たちが、

一番よく分かっているはずなのに。


怒鳴られていても、

叩かれていても、

口で注意するだけだった。


ひどくやられた子どもや、

止めに入ってなじられた私が

涙を流していても、同じ。


「ほら、泣いてるぞ」


ただ、それだけ。


ショックは受けなかった。

期待もしていなかった。


でも、

無性に虚しくなった。


そんな人たちが

「うちの孫」と言う。


何だか滑稽だ。


呆れた言い分

「子どもは

あんたの所有物じゃない」


そう言われた時、

思わず笑ってしまった。


もちろん、表情には出さなかった。


そんなのは分かっているし、

できる限り意思を尊重しようと

心がけている。


むしろ、

所有物のように振る舞っているのは

夫や義両親なのに。


まるで

「私のエゴで自由を与えていない」

かのように言われた。


何が何でも我を通したい夫の性分は、

このあたりから来ているのだろう。


責められている間、

意外と冷静に

そんなことを思っていた。


過去に言われたことも、

また蒸し返された。


私のエゴで、

「子どもと夫が会えない」のだと。


どんなに嫌な目にあっても、

親子は通じ合っている。

離れても情はなくならず、

会いたいに決まっている。


お義父さんの理論では、

子どもは夫を慕っているのだそうだ。


そんなはずがないのに……。


結局、

いくら話してもらちが明かないので、


「お夕飯の準備を

しなければならないので」


と、お引き取りいただいた。


「また、来るから」


その言葉に、

返事はしなかった。

2026年10月28日水曜日

嫌われても良いから

「うちの孫」という言葉への嫌悪感

お義母さんからの提案は、

到底受け入れられるものではなかった。


私が渋っていると、

今度はお義父さんが

口を挟んできた。


「もう中学生なんだから、

自由にさせてやれ」


本当は子どもも

行きたがるはずなのに、

私が邪魔をしている。


そういう意味だった。


この人たちには、

分からないのだろう。


私が子どもを必死に

守ろうとしていることが。


予想外の非難を浴びて、

ほんの少し動揺しつつも、

必死に言葉を続けた。


「お友だちとの先約を

優先させるべきでは?」


実際には予定はなかった。

でも、こう言うしかなかった。


これで納得してくれれば

まだ楽だったのだが、

あの人たちが、そう簡単に

引き下がるはずがない。


「友達となんて、

いつでも遊べるでしょ」


「どちらが大事な用事なのか

分かるでしょ」


などと言い、

いかに帰省が大事なのかを

力説してきた。


「うちの孫として、

一度は絶対に連れていきたい」


そう繰り返すお義父さん。

隣で聞きながら、

力強く頷くお義母さん。


「うちの孫」という言葉を聞いた時、

先ほどとは比べ物にならないほどの

嫌悪感を覚えた。


その言葉は使わないで。


嫌でも、夫とのつながりを

感じてしまうから。


子どもは、

自分のパパを嫌っている。

心の底から憎んでいる。


義両親には、

それが分からない。


何を言っても、私のせい

強い気持ちで拒み続けていたら、

二人のトーンが少しだけ

変わった気がした。


「ママがそんな頑なだと、

子どもは大変だな」


気落ちしている様子でも、

私への非難は忘れない。


そんな言葉も気にすることなく、

話を続けた。


もう一押しで、

完全に諦めてくれるはず。


そう思った私は、

さらに言葉を重ねた。


「子どもには

子どもの世界がありますから」


「塾と部活がどちらもないのは

珍しいんですよ。

貴重なお休みなので」


こちらも焦っていたので、

もしかしたら途中、

きつい言葉になっていたかもしれない。


気づくと、

二人がじっと

こちらを見ていた。


弱々しい声で、


「そんな風に言われちゃうと……、

もう何も言えないわね」


と言うお義母さん。


その声はまるで、

泣いているようだった。


でも、実際は

泣いてなどいない。


至近距離で見ていたが、

一滴の涙も浮かんでいなかった。


そんな弱々しい様子を見て、

なぜか怒り出すお義父さん。


「あんたが頑なだから」


と、また言われた。


実はこのセリフ、

夫との話し合いの時にも言われていて、

まるで「お前のせいだ」と

言われているようだった。


夫との離婚問題も、

孫と同居できないことも。


義両親にとっては、

私のせいなんだろうな。


敵だと思われるのは構わない。


むしろ、

「仲良くしていたのに~」

と言われる方が辛い。


いっそのこと、

徹底的に嫌って

遠ざかってくれれば良いのに。

楽しかった一日の終わりに

大満足の休日 あの日、私たちは 心の底から楽しんだ。 見るもの全てが新鮮に見え、 些細なことにも感動した。 こんな時間を、 欲していたのだ。 いくら二人で暮らしていると言っても、 いつ夫や義両親が来るか分からない状況で、 常に気が張っていた。 居心地の良い家にしたくても、 実際は...