2026年3月16日月曜日

怯える子どもと追いつめる夫

段々とヒートアップ

最初はただ、

小言を言っているだけだった。


それが段々とヒートアップしていった。


一緒に暮らしていた頃もよくあったが、

夫は自分の叫び声に反応して

怒りを増幅させることがある。


この時も、

嫌味のような小言は

いつしか怒鳴り声に変わった。


私は咄嗟に間に入り、

視界を遮るような形になった。


そんな私の背中を

ギュッと掴む子ども。

怖かったのだと思う。


お義母さんはただオロオロしていて、

お義父さんも軽い口調でたしなめた。


だけど、そんな調子では

止めているのかいないのか

全く分からない。


「ほら、止めろ~」

なんて言っても、

怒りの動線に火のついた夫の耳には

全く入らなかった。


そんな中、

子どもと私だけが

必死で止めようとしていた。


だけど、必死の抵抗も全く意味をなさず、

事態は悪化するばかりだった。


耐えきれなくなった子どもはうずくまり、

その上から覆いかぶさるように

私も丸くなった。


このままでは物が飛んでくるかもしれない。

子どもが叩かれるかもしれない。


そんな恐怖に、

全身が覆われた。


自己肯定感の低い子ども

ひとしきり叫び、

夫は納得したようだった。


そこまでいかないと止められない、

というのも病的だと思う。


夫がトーンダウンし、

少しだけ静かになると、

義両親は何事もなかったかのように

帰り支度を始めた。


ああ、

子どもが叩かれなくて良かった。


心の底からホッとして、

全身の力が抜けた。


それと同時に、

まだ体の震えが止まらない子どものことが

とても心配になった。


抱きしめると、

その振動が直に伝わってくる。


それはまるで、

獲物に狙われた

小さな小さな動物のようだった。


これまで私たちは、

こうやって生き延びてきたんだなぁと

しみじみ実感した。


まだ目の血走った夫は、

お義父さんに促されて玄関の外に出ると、

「また来るわ」と言った。


いいえ。

もう来なくていい。

一生来てほしくない。


そんな言葉が

喉の奥まで出かかって、

だけど言うことはできなかった。


「塾の事、相談に乗るよ」とも言っていたけれど、

夫が絡むと碌なことにならない。


その時だって、

子どもはすっかりやる気を失くして、

「行ってもついていけないかも」と言い始めた。


「多分無理だと思う」

そう繰り返す子どものことが、

とても不憫で、悲しかった。

2026年3月14日土曜日

義両親と一緒に夫も来訪・・・

予想外のことに困惑

「義両親が子どもの服を買った」


夫からそう連絡があり、

持ってきてくれることになった。


本音を言えば、断りたい。

でも、せっかくのご厚意を

無下にするわけにもいかない。


私は念のため、何度も確認した。


義両親だけ、なのかと。


もし夫が来るとしたら――

それだけで、この先の数日を

沈んだ気持ちで過ごすことになる。


だけど夫は、


「俺は用事があるから」


と言った。


それを聞いて、

私はすっかり安心していた。


約束の日。

朝早く、インターホンが鳴った。


ドアを開けると、

満面の笑みを浮かべた義両親が立っていた。


その時、

子どもの怯えた表情を

私は見逃さなかった。


夫の虐待を見ても、

義両親は軽く咎めるだけで、

止めてくれることはなかった。


子どもは、

そのことをずっと引きずっていた。


嫌な記憶が蘇る。

でも、追い返すこともできない。


複雑な気持ちのまま、

私は玄関のドアを大きく開けた。


その瞬間。


視界の端に、

見覚えのある姿が映った。


少し先の角を曲がる――

夫だった。


上機嫌の義両親と夫

えっ?どうして?


夫の姿を見た瞬間、

私は軽いパニックに陥った。


戸惑っている間にも、

夫はどんどん近づいてくる。


気づけば、もう目の前にいた。


本当なら


「どうぞ」


と中へ促すべきなのだろう。


でも、言葉が出てこない。


やっと絞り出したのは、


「用事は?」


という一言だった。


その日、

彼らは昼過ぎまで滞在した。


昼食まで持参していて、

昼時になると、

いきなり袋から取り出した。


広げられた食事にも、

子どもは箸をつけない。


夫は面白くなさそうな顔をしていた。


でも、

食べられないものは食べられない。


きっと、

喉を通らないのだ。


重苦しい時間が流れた。


ようやく帰る気配を見せたのは

夕方だった。


5時頃、夕飯の話題になる。


何となく、

誘われているような気もした。


でも私は、

気づかないふりをした。


「では、私たちも買い物に行くので」


そう言って、

ようやく終わりそうだと

腰を上げた、その時。


夫が、

塾のパンフレットを手に取った。


そして、

子どもを見ながら言った。


「お前、ここに行きたいの?」


その言い方は、

妙にトゲがあった。


子どもは黙り込む。


慌てて、

私がフォローする。


それで終われば良かった。


けれど夫は、


「こんな所でいいのか」


「普通レベルの学力をつけるなら」


などと、

ネチネチと言葉を続けた。


一見、正論に聞こえる。


でもその言葉は、

確実に子どもの心を抉っていた。


その中で、

何度も繰り返された言葉。


「バカ」


さすがに義両親も、

黙り込んだ。


私は必死で、

別の話題を振る。


おかしな空気の中で、


子どもはただ

俯いたまま固まっていた。

2026年3月13日金曜日

教育虐待を受けた子の塾見学

緊張していた子ども

同じ小学校の子が多数通う塾に、

さっそく見学の予約を入れた。


当日。


私は仕事を終えて急いで帰宅し、

すぐに子どもと一緒に家を出た。


余談だが、この頃から私は

通常勤務に戻っていた。


残業する日もあり、

その分、子どもが一人で過ごす時間も増えてしまった。


それでも、

お金の面では少しずつ安定してきていた。


その日に見学した塾は、

想像していたよりもずっとフレンドリーで、

私は好印象を持った。


けれどなぜか、

子どもはとても緊張していて、

カチコチに固まっていた。


途中でお友達が来て

話しかけてくれたのに、

薄く笑顔を見せるだけ。


家に帰ってから聞いてみると、


「なんか、あんまり好きじゃない」


と、一言だけ。


複雑な感情があったのかもしれない。

言葉では上手く表現できない気持ちが。


ここで夫なら、

きっと無理やり通わせたと思う。


でも、それでは意味がない。


自分で一歩踏み出そうとしている

子どもの気持ちを、

私は尊重したいと思った。


夜は反省会

見学を終えて家に帰り、

その夜は親子で反省会をした。


そして気づいた。


聞かなければならないことを、

半分も聞けていなかった。


自分でも気づかないうちに、

緊張していたのかもしれない。


その夜は子どもと一緒に、

「次はこうしよう」と作戦会議。


たくさん話して、

ゆったりとした時間を過ごしながら


「幸せだな」


と、しみじみ感じていた。


穏やかな時間だった。


けれどそれを遮ったのは、

一通のLINEだった。


一気に、緊張が走る。


どうでもいい内容かもしれない。

それでも、気の重い確認だ。


嫌な気持ちになりながら、

LINEを開いてメッセージを確認した。


内容は――


義両親が買った子どもの服を、

持って行きたいというものだった。


そのメッセージを見た瞬間、

胸がざわついた。


嫌な予感がした。

2026年3月12日木曜日

やる気を出した子に、私ができること

本気度を探った私

子どもがやる気を出したことが嬉しい。


本当に嬉しくて、

「やっぱり家を出て良かったんだ」

と改めて思った。


でも同時に、

にわかには信じられない気持ちもあった。


だって、あの環境をやっと乗り越え、

ほっと一息ついたばかりだったから。


私なら、数か月はボーッとしてしまうだろう。


心の回復には時間がかかると言うけれど、

それを肌でひしひしと感じていた頃だった。


何をしても、夫の影響がついてまわる。

「これはやっちゃだめだよね」

と後ろ向きな考えに支配されてから、

いつもハッと気づく。


ああ、もう夫はいないんだ。


自分がそんな感じだったから、

子どもも同じだろうと思っていた。


でも、私なんかよりはるかに力強く、

回復の兆候を見せていた。


この時は本当に、

「子どもって凄いな!」

とただただ感心するばかりだった。


さて、じっくり話し合った結果、

本当に「塾に行きたい」のだと

はっきり分かった。


そうと決まれば、私はサポートするだけ。


せっかくのやる気を削がないように。

ただ、それだけ。


さっそく塾探し

以前、夫や義両親から

「出来が悪いから塾に入れろ」

と言われたことがあった。


その時に候補として挙がった塾が、

すぐ近所にある。


近いから良いかな?と安易に考えたが、

子どもはすぐに却下した。


「あそこは嫌な思い出があるから」


無理もない。

行きたくない子どもに対して、

大人3人が寄ってたかって

「このままでは最悪の人生になる。

お前の頭では塾に通っても普通以下だ」

と言い続けたのだから。


次に出てきたのが、

同じ小学校の子がたくさん通っている塾で、

入塾テストもあるところだった。


そこで問題が発生。


まず、テストに受かるのか…。


信じていないわけではなかったが、

教育虐待による弊害で、

勉強しようとすると

眠気が襲ってくることがあった。


離れた後は一切机に向かわなくなったので、

心の回復を優先して、

それで構わないと思っていた。


でも、テストがあるとなると、

何とかしないといけない気もした。


二人して「うーん」と考え込んだ。


でも、急におかしくなってしまい、

二人で大笑いしながら、

ついに決めた。


「とりあえず行ってみるか」

2026年3月11日水曜日

「塾に行きたい」と言った子ども

小さな勇気

ある日、子どもが急に


「塾に行きたい」


と言った。


普通なら、


『やっとやる気になったのね』


と喜ぶところだろう。


でも私は、全く違った感情を抱いていた。


真っ先に浮かんだのは


『本心なの?大丈夫?』


という思いだった。


教育虐待を受けていた我が子。

何をしても怒られた。

怒られすぎて、自己肯定感なんて地の底。


テストで良い点を取っても、

褒められることはなく、

細かな所に難癖をつけられた。


だから、よく自分のことを


「バカだから…」


と言っていた。


夫と離れてからは堂々と


「勉強が嫌い」


と宣言するようになった。


一緒に居る頃にそんなことを言ったら、

叩かれたり蹴られたりして、ただでは済まなかった。


安全な環境をやっと手に入れて、

本心が出たのだと、私は思っていた。


だから、


「塾に行っても良い?」


と聞かれた時には、驚きと戸惑いが入り混じった。


少し心配にもなった。


まだ、


『良い子』で居なければならない


という呪縛から、

逃れられないのではないか。


でも、それは杞憂だった。


子どもの変化-戸惑いと喜び

なぜ、私がこれほどまでに心配するのか。


それは、教育虐待の記憶と関係している。


一緒に暮らした最後の方は、

夫の前で鉛筆を持つだけで手が震えていた。


「勉強しろ」と言われ、

目の前に座らされる。


その次の瞬間には、

もう体はガクガクと震えてしまう。


手も震えて、

上手く鉛筆が持てない。


恐怖とは、

これほどまでに人を追いつめるものなのだ。


間違えるたびに叩かれ、

動揺してもそこで立ち止まることは許されない。


言われたことを、

ただひたすら続ける。

まるで人形のように。


何度も叩かれた時、

たまらず泣き出したこともある。


私は駆け寄り、

「もう止めて!」

と小さく叫んだ。


でも夫は薄ら笑いを浮かべ、


「こんなにバカなのに

 サボって良い訳がないだろ」


と言った。


あんな経験をしたのだから、

もう勉強なんてしたくないのだと

私は勝手に決めつけていた。


でも、子どもははっきりと私の目を見て


「塾に行きたい」


と言った。


自分の意思なんだ、と分かった瞬間、

力強く前に進んでいることを感じ、

嬉しさが胸に広がった。


そして、心の底から、やっと安堵した。


でも、この一歩は、まだ小さな始まりに過ぎないのだと

心のどこかで感じていた。

2026年3月10日火曜日

許しを請う夫への嫌悪感

もう愛せない

あの頃の夫は、

とにかく必死だった。


必死に、取り戻そうとしていた。


過去の日常を。

失いかけた家族を。


自分で手放したはずのものが、

惜しくなったのだろう。


一方で、

私たちは『引き戻されないように』

必死だった。


可哀そうに思う気持ちはあった。


けれど、

何度も辛い思いをしてきたからか、

愛情はもう枯渇していた。


その代わりに、


私たちのいない場所で、

幸せに暮らしてほしい。


そんな、

他力本願な願いだけが

強くなっていった。


子どもへのすり寄りも酷くて、

「パパを許してくれる?」

と、何度も言う。


そのたびに、

――都合のいいことを言わないで。

心の中で、そう叫んでいた。


だけど、

怒らせた時の恐怖が

体に染みついている。


だから私は、

表面上は曖昧な対応に徹した。


子どもは、

決して首を縦に振らなかった。


それは本当に、

すごいことだと思う。


そんなある日。


夫がお寿司を片手に、

我が家にやってきた。


「お昼、何にしようか」


そんな会話をしていた

ちょうどその時だった。


子どももお寿司が好きだ。


でも、少し前に

私の誕生日に押しかけられて、

辛い時間を過ごしたばかり。


また、

あの時間を過ごすのか……。


そう思った瞬間、

私は思わず嘘をついた。


「もうお昼は済んだんだ」


そう言うと、

みるみる夫の表情が変わった。


怒気をはらんだ声で、

「そんなはずあるか!」

と言った。


― いつもと違う、夫の反応

ああ、

また暴れるのか。


どこか冷めた目で、

私は夫を見ていた。


この瞬間は強がっていても、

きっと後で後悔する。


「あんなこと言わなければ良かった」

と。


でも、

怒りの表情を見て湧いてきたのは、

恐怖だけではなかった。


憐れみ。


恐怖と同じくらい、

憐れみも込み上げてきて、


――可哀そうな人。

そう思った。


とはいえ、

やはり暴れられると怖い。


私は一歩後ずさって、

「今日は、

 いつもよりお昼が早くてさ。

 ごめんね~」

と取り繕った。


いつもなら、

ここから暴れて

手が付けられなくなる。


至近距離で怒鳴られたり。

物が飛んできたり。


子どもを叩くこともあった。


私は叩かれない。


けれど、

物凄い力で掴まれたり、

家具やコップを

壊されたことはある。


その直後の恐怖を思い出し、

体が硬くなった。


その瞬間。


夫は、

予想外の反応を見せた。


「そうだよな。

 急に押しかけてごめん」


そう言って、

そのまま帰ろうとした。


ただ、

体は帰ろうとしているのに、

どこか

引き止めてほしそうな様子。


私は、

それに気づかないふりをして、

「また今度ね」

と言った。


せっかく持ってきてくれたのに、

冷酷だっただろうか。


帰り際、何度も

「また来るから。

 今度は連絡してから来るよ」

と言う夫。


その姿を見ても、

可哀そうだとは

思えなかった。


ただ、

――早く帰ってくれて良かった。


そう思って、

ほっとしていた。

2026年3月9日月曜日

パパへの嫌悪感、記憶を消したい子ども

「中身が汚れちゃった」

夫がようやく帰り、

やっと拷問のような時間から解放された。


たった2時間。


楽しいことなら、

あっという間に過ぎる時間。


でも、

苦しくて辛いだけの2時間は、

果てしなく長い。


一言答えるだけで、

頭をフル回転させる必要があった。


怒らせないように。

ただ、それだけを考えて。


大人の私でさえ、

これほど消耗しているのだ。


子どもが平気なはずがない。


ましてや、

ずっと虐待されてきた父親との時間だ。


心配して様子を見ていると、

子どもが突然、

「ママ、お風呂いれてもいい?」

と聞いてきた。


さっきまで眠そうだったのに、

目がはっきりしている。


どこか、

切迫したような表情。


そう言われて、

私も気づいた。


今日は、まだお風呂に入っていない。


すっかり抜け落ちていた。


「こんな時間だけど大丈夫?

 眠いでしょう?」


そう聞くと、

「絶対に入りたい」

と強い口調で言った。


結局、

夜の12時にお風呂に入ることになった。


お風呂上がり。


ドライヤーで髪を乾かしていると、

「綺麗になって良かった」

と、ぽつり。


意味が分からず聞き返すと、


パパと過ごすと、

自分の中身が汚れてしまった気がする。


そう教えてくれた。


体ではなく、

中身が。


それほどまでに、

強い嫌悪感を抱いているのだ。


歯磨きも念入りに

その後の歯磨きも、

いつもよりずっと長かった。


いつもなら、

「もう少し丁寧に磨いたら?」

と声をかけたくなることもあるのに。


あの日は違った。


鏡を見つめながら、

黙々と磨いている。


パパと接した後は、

中身が汚れてしまったと感じる子ども。


体を洗い、

歯を磨き、


それでも、

どこか落ち着かない様子だった。


寝る前、

「もう、ピカピカだよ」

と声をかけると、


ほんの少しだけ、

力が抜けた表情になった。


その顔を見て、

胸が締めつけられる。


この話を夫にしたら、

どんな顔をするだろう。


きっとまた、


私の育て方が悪いと

言うのだろうか。

怯える子どもと追いつめる夫

段々とヒートアップ 最初はただ、 小言を言っているだけだった。 それが段々とヒートアップしていった。 一緒に暮らしていた頃もよくあったが、 夫は自分の叫び声に反応して 怒りを増幅させることがある。 この時も、 嫌味のような小言は いつしか怒鳴り声に変わった。 私は咄嗟に間に入り、...