2026年10月10日土曜日

やっぱり同居の話

俺の母校に

中学校に入学したばかりの頃。


もちろん、まだ

高校受験のことなど

考えてもいない。


それなのに夫は、

「俺の母校を受験しろ」

と繰り返した。


自分の母校に誇りを持つのは

良いことだと思う。


でも、それを

人に押し付けないで欲しい。


子どもには子どもの

意見があるのだから。


私はそのたびに

「まだ早い」

とけん制した。


穏やかに言ったくらいでは、

意にも介さず

しつこく押し付けてくる人だ。


この時も、

『またか』とうんざりするくらい

何度も何度も聞かされた。


子どもはいつも

「まだ、わかんない」

と曖昧な返事をする。


すると夫は、

拒まれたとも思わずに、


「そうだよな。まだ決められないよな」


などと言いながら、

母校の良いところを並べ立てた。


言われたことを

空で言えるほどに

聞かされ続けた私たち。


何度も何度も聞かされるうちに、

最初は何とも思っていなかった母校にまで、

嫌な感情を抱くようになった。


夫のせいで、

好きでも嫌いでもなかったものまで

嫌になっていく。


そんなことにも、

うんざりしていた。


結局、同居の話

「おじいちゃんも、おばあちゃんも、

〇〇高校に行ってくれたら嬉しいって」


そう言われて、ふと気づいた。


その高校へは、

我が家からでは遠すぎる。


通えないことはないだろうが、

毎日早朝に家を出て、

通学だけでも疲れてしまうだろう。


そもそも、受験できるの?


そんなことを考え始めたら、

色々と気になってしまい、

ある時、夫にその疑問をぶつけた。


そのことで、

すっかり忘れていた問題を

思い出した。


小学校卒業が見えてきた時も、

同居して欲しい夫と義両親、

そして私で揉めに揉めた。


何とか回避し、

家から近い中学校に入学して、

すっかり頭から抜け落ちていた。


だけど、その間も

彼らは諦めていなかったようだ。


「高校に入学するタイミングで」


確かに、そう言われていた。


でも私は、

それはあくまで希望であり、

『そうなったら良いな』

程度の話だと思っていた。


夫の発言で、

『あの計画がまだ続いていたんだ』

と気づき、ぞっとした。


もう終わった話だと思っていた。


なのに、

終わってなんかいなかった。


同居は困る、なんていう

ふんわりした話ではない。


万が一同居してしまったら、

私たちの人生は詰む。


子どもは将来、

自由に羽ばたける時が来る。


でも、それまでが地獄だ。


私は永遠に檻の中。


そうなる未来が分かっているのに、

受け入れることはできない。


そんな経緯もあり、

早い段階で、

どのあたりの高校にするかを

子どもとこっそり話し合った。


洗脳がだいぶ解けていたから、

夫の提案を鵜呑みにせず、

自分たちの頭で

考えることができたのだと思う。


考えて、悩んで、考えて。


危険を回避するための

道を探し続けた。

2026年10月9日金曜日

お金のこと―母子家庭の生活

やりくりに頭を悩ませる日々

その頃、籍は入っていたが、

実質は母子家庭。


夫からのサポートも無いし、

公的な支援も受けられない。


離婚届を出せば、

母子扶養手当なども

貰えるんだろうけど。


でも、私にとっては

それ以上に大切なものがあった。


夫との生活に戻らず、

子どもと二人で暮らすこと。


お金はもちろん大事だし、

「もう少しあれば」

と思うことも少なくない。


それでも、経済的に厳しくても

夫との生活に戻るよりは

ずっとマシだった。


そもそも、

夫も無職の期間が多く、

一緒に住んだとしても

経済的に潤う可能性は低い。


だったら、

離れてストレスフリーに暮らした方が

よほど良い。


二人の生活は幸せで、

安心できて、

満たされていた。


だからこそ、

何としてでも守りたかった。


問題は、

やはり日々の生活のことだった。


やりくりに頭を悩ませながら、

試行錯誤を繰り返した。


一番大きいのは家賃で、

その次が食費。


食費も努力次第では

少し削れるけど、

大した差は出ない。


元々かなり倹約してるからね。


水道光熱費は、

一人暮らしの人よりも少ないくらい。


携帯も月々千円台の利用料だし、

塾は必要最低限のコースにした。


削れるところは、

もう十分に削っていた。


それでも、毎月の生活は

決して楽ではなかった。


そんな私たちを見ても、

夫は他人事だった。


他人事で良いから、

本当に他人になってください。


いつも、そう思っていた。


副業を考えたことも

足りない分を補うには、

他からも収入を得るのが

手っ取り早い。


幸い、うちの会社は

副業OKとされている。


実際に、

副業している社員もいる。


だから、私も

副業を考えたことがあった。


でもね、

不在の時に夫が家に

押しかけてくるのが怖かった。


子どもはきっと、

怖いから追い返せない。


ドアを開けなくても、

ずっと外に居座られたら

恐怖で何も考えられなくなる。


夫が副業のことを知ったら、

どんな行動に出るかも

考えてしまった。


「余裕があるんだろ?」

と支払いを回される可能性や、


「心置きなく2つの仕事をするには

同居した方が良い」

と、再び同居の件を蒸し返す可能性。


せっかく離れて暮らしているのに、

また夫に生活を握られる。


そんな未来ばかりが

頭に浮かんだ。


悪い想像ばかりしてしまう。


それで、

行動に移せなかった。


毎月、給料日から10日も過ぎれば

残金が心許なくなり、

支払いが発生するたび不安に。


このままで大丈夫なのかな。


そう思うこともあった。


それでも、

夫のもとに戻ることだけは

考えられなかった。


そんなとき、

いつも『大丈夫』と

自分に言い聞かせた。


大丈夫。

大丈夫。


あれを乗り越えてきたんだから。


私たちは、きっと

大丈夫。


その言葉をお守りのように

何度も心の中でつぶやいた。

2026年10月8日木曜日

癒しの時間まで奪われて

夫を納得させた提案

「俺が家庭教師をする」


そんな恐怖の宣告を受けて、

内心、とても慌てた。


子どもと夫が

二人で過ごすなんて、

絶対にだめだ。


たとえ夫が反省しても、

未来永劫、許してはいけない。


焦った私は、

どうすれば回避できるかを考えた。


そして、ひとつの答えに辿り着いた。


塾に通うこと。


この時の子どもの反応は――


実は、とても喜んだ。


元々、本人が希望していたから。

堂々と通えるようになることが、

よほど嬉しかったようだ。


「これからは、

こそこそ行かずに済むね」


そう言ってくれたので、

私もほっとした。


ただ一つだけ、

気になることがあった。


家計状況を

夫に詳しく開示してしまった。


これは失敗だった。


ちょっとずつ浮かせたお金で、

週末、二人でお出かけをしていたのに。


それもできなくなりそうだった。


束の間の癒しだったし、

その時間があったから

頑張れたというのもある。


それが急に無くなるなんて。


戸惑いと、

残念な気持ちと。


なかなか諦めがつかなかった。


癒しの時間を求めて

「これからは、

遊びに行けないのか……」


子どもがポツリと言った。


こんなことを

言わせてしまうなんて、

本当に最低だ。


責める意図がないことも、

分かっていた。


ただただ「残念」という気持ちが

こちらにも伝わってきて、

思わず、


「どうにかならないかなー」


と呟いた。


それから私たちは、

毎週末を家で過ごした。


たまにできる贅沢は、

せいぜいスーパーで

デザートを買うくらい。


ある時、子どもが言った。


「もっとご飯も少なくて良いから、

時々は出かけようよ」


バカなことを言ってはいけない。


育ち盛りなのだから。

ご飯はモリモリ食べなければ。


そう伝えたが、


「じゃあ、外食しなくても良いから

ぶらぶらしに行こうよ」


と言われた。


私たちには、

癒しの時間が必要だった。


外に出て、

自由な空気を吸い、

心身をリフレッシュする。


そんな時間を求めて、

こっそり家計を見直した。

2026年10月7日水曜日

夫との交渉

塾に通うことを提案

「俺が家庭教師をやる」


そう言って、夫は勝手に

スケジュールを組み始めた。


子どもの予定や気持ちなんて、

どうでも良いのだ。


いつも通りと言えば、

そうなんだけど。


この件に関しては、

絶対に譲れなかった。


私はすぐに代替案を用意した。


それは、塾に通わせること。


元々、子どもは

塾に通いたがっていた。


でも、反対していたのは夫だ。


それを今さら

蒸し返さなければならないことに、

憤りを覚えた。


いつだって、

勝手なことばかり。


振り回されてばかりで、

怒って拒絶しても良いくらいだ。


それなのに、強く言えない自分にも

イライラした。


早速提案し、

夫に家計状況を示す。


大体の収支を知っているはずの夫は、

見た途端、大げさな声をあげた。


「改めて見ると、

よくこんな金額でやってるよな」


まるでバカにしているような、

蔑んでいるような。


決して、

心配しているという

温かい言葉ではなかった。


夫の家計チェック

いつも以上に細かく記された

家計状況をチェックする。


夫は、人の粗探しが大好きだ。


案の定、

すぐに指摘が入った。


外出費だった。


雑費として計上したそれは、

私たちの生きる源。


大げさな話などではなく、

文字通り、

「明日を生きるために」

必要なものだった。


それを、

「無駄だ」

とばっさり切った。


「具体的には?」


と聞かれて、正直に

「二人で週末に出かける時のお金」

と答える。


すると、


「余裕がないのに、

そんなことに金をかけるな」


と一蹴された。


私たちの息抜きなど、

夫にとっては無駄なものらしい。


それもこれも、

夫のせいなのに。


夫からのストレスを

発散しなければ、

やっていられない。


そんな言葉が喉まで出かかり、

その後の荒れ狂う展開を想像して

飲み込んだ。


「まあ、この無駄な雑費とやらを

塾代にすれば良いのか」


そんな言い方をした。


いつだって自分が正しい。


言う通りにしないお前らは

間違っている。


そう言われ続け、

お出かけにお金を使うことも

最初はためらいがあった。


次第に自由の味を覚え、

楽しむことを思い出した私たちにとって、

辛い現実だった。


「金がないなら、

家で楽しむ方法を探せよ」


そう命令されたって、

家に居たら、

あなたが来るではないか。


あなたが来たら、

私たちにとっては

地獄の時間が始まるのだ。


逃げるように外へと向かった

私たちのことを、

夫は想像すらできないらしい。

2026年10月6日火曜日

もう、我慢しなくていい

諦めたくない

長い間、

夫から虐げられてきた。


離れたから、

もう大丈夫でしょう?


普通の人なら、

そう思うかもしれない。


でも、私たちは、

長年の経験によって

「諦める」ことを学んでしまった。


辛かったら、

心に蓋をして

それ以上傷つかないようにする。


「私はまだ大丈夫」

「これを乗り越えれば

楽しいことが待っている」


そう思い込むことで、

やり過ごしてきた。


離れても、

それは変わらなかった。


夫が急に

「俺が家庭教師をやってやるよ」

と言った時もそうだ。


絶対に嫌なはずなのに、

子どもは表情一つ変えずに、


「しょうがないか……」


と言った。


違う。


そんなことを言わせるために、

がんばってきたわけじゃない。


大人のように悟った表情で、

「少しの時間、

我慢するだけだから」


そう言う子どもに、私は伝えた。


「我慢なんてしなくていい。

家庭教師もやらせない。

絶対に」


いつになく強い言葉だったせいか、

子どもは少し驚いた様子だった。


夫を説得する準備

何としてでも、

夫を説得する。


そう決めた。


本来、子どもとは

ほんの少しの時間でも

接触させてはいけないのだ。


それなのに、

虐待したことも認めず、

コンタクトを取ろうとする。


それ自体がもう

受け入れられないことなのだと、

改めて思った。


ただ、

「家庭教師は必要ないよ」

と言うだけでは納得しない。


だから、

「塾に通う」と

告げることにした。


夫の場合、

それでも不十分だ。


「金が無いって言ってただろ」


そう言われるに決まっている。


その時のために、

家計のやり繰りをまとめた。


実は、

別居後もお金のことを

管理されていた。


夫には何も関係ないのに。


不明な部分があれば、

しつこく追及される。


これでは、

へそくりもできない。


お金の面でも、

私たちに自由は無かった。

2026年10月5日月曜日

「それで決まりな」

お金を理由に断り続け……

「子どもを塾に通わせろ」


一度言い始めたら、

それしか言わなくなった。


連絡のたびに

直接言われる。


電話に出なければ、

メッセージで催促される。


はっきり言って、

ノイローゼになりそうだった。


夫の意向を無視すること自体が、

私たちにとっては

恐ろしいことなのだ。


何か言われるのではないか。

何かされるのではないか。


そんな恐怖に怯えながら、

抗う日々。


メッセージを無視しても、

解決にはならない。


なかなか言う通りにしないと、

今度は夫が痺れを切らし、

もっと強引な手に出るかもしれない。


私たちは、

連絡が来るたびに

気持ちがふさいだ。


言葉には出さないけれど、

お互い、分かってしまう。


他のことをしていても、

夫のことが怖くて、

頭の中はそればかり。


私は耐えきれず、

お金のことを言い訳にして

通えないことを告げた。


それでも夫は諦めず、

「そのくらい、何とかなるだろ」

と言う。


その割に、

「自分が出す」とは言わない。


何度もやり取りをして、

そのたびに、


「本当にカツカツで

余裕がないから」


と言い続けた。


俺が家庭教師をやるよ

話が進まないことに苛立ったのか、

夫はある提案をしてきた。


「俺が家庭教師をやってやる」


聞いた瞬間、

思わず言った。


「それは困るよ」


「俺だって父親だ。

父親が教えてやるって言ってるのに、

それの何が困るんだ!」


そう不満げに言うけれど、

虐待をしていた父親に

教わりたい子なんていない。


何度も繰り返し伝えたが、

やはり伝わっていなかったようだ。


この時もまた、

「まだ、あなたのことを怖がっている」

と説明した。


それなのに、理解しない。

理解しようとしない。


俺に悪いところなんてない。


いつだって、

夫はそういうスタンスだった。


だから、

子どもに拒絶されているという事実を

受け入れなかった。


「金が無いって言うなら、

もうそれしか無いだろ」


そう決めつけた夫は、

「それで決まりな」

と言い捨てた。


これは大変なことになった。


子どもと二人で青ざめたが、

何とかしなければと焦っても

良い案が浮かばなかった。

2026年10月4日日曜日

一度断っても、諦めない夫

コントロールを止めない夫

「今日は数学やったか」


「学校の勉強よりも

先取りしなきゃダメだ」


「今やっているのは、

最底辺の子に合わせてる。

その中なら一番じゃなきゃ

意味が無いんだ」


夫は、日々

そんな言葉を投げかけた。


どれほどの

プレッシャーだっただろう。


テストのたびに

しつこく点数を聞かれる。


思わず嘘をつきたくなっても、

実際に見に来られたら

全てバレてしまう。


結局、諦めるような気持ちで

正直に報告した。


正直に言えば、

許されるというものでもない。


夫が満足しなければ、

これでもかというほどの

罵詈雑言を浴びせられる。


それが怖くても、

しつこく来る連絡を

無視できなかった。


最悪なことに、

夫はいつも、こう言い聞かせた。


「お前はばかだ。

ばかでも、やる気になれば

行きたい高校にも行けるんだ」


子どもがどこに行きたいかも

知らないくせに。


勝手に、

地元で優秀な子が通う高校を

第一志望だと決めつけた。


まだ1年生。

どこに行きたいのかも

分からない。


自分の意思でもないのに

その先のレールを敷かれ、

そこから外れないように

常に見張られていた。


ぎちぎちにコントロールされる生活は、

中学生になっても続いた。


塾に行かせろ

子どもの成績が

期待通りでなかったからか、

夫は突然言った。


「塾に行かせろ」


このブログにも書いたが、

小学生の頃、一方的に

「塾をやめろ」と言われた。


だけど、子どもは

「やめたくない」と言った。


私はその意思を尊重したい。

その気持ちに応えたいと思った。


それで、こっそり通うことにした。


でも、そのことを

夫は知らない。


中学生になり、

生活はがらりと変わった。

部活も始まり、忙しい毎日。


余裕がなくなり、

「また、余裕が出てきたら

どこかに通おうか」


そう話して、塾を休んだ後だった。


そんな経緯も知らず、

自分の指示通りにしたと

思い込んでいる夫は言う。


「今時、塾に通ってないなんて

おかしいだろ」


自分の言ったことに

責任を持たない。


子どもを傷つけたことにも

気付かない。


ただ、

思い通りに動かしたいだけ。


自分勝手な振る舞いに、

私は腹が立った。


言いなりになりたくない。

そんな気持ちもあった。


だから、一度目は

「今は時間的にも

余裕が無くて無理」と断った。


それで諦めるような人なら

良かったんだけど。


その後、1週間に一度のペースで

何度も言われることになった。

やっぱり同居の話

俺の母校に 中学校に入学したばかりの頃。 もちろん、まだ 高校受験のことなど 考えてもいない。 それなのに夫は、 「俺の母校を受験しろ」 と繰り返した。 自分の母校に誇りを持つのは 良いことだと思う。 でも、それを 人に押し付けないで欲しい。 子どもには子どもの 意見があるのだか...