離婚と引っ越しと家の売却と
お義兄さんが離婚するのは確定らしい。そんな話をされてから間もなく義実家への引っ越しも済ませたようだった。
もうやり直す可能性が無いのなら早い方が良いのかもしれない。
そんな風に思いつつも、ずい分早い決断に驚いた。
私たちなんて、離婚したいと思っていても交渉は一向に進まず・・・。
夫のペースにはまりそうになっては軌道修正する、というのを繰り返していた。
それに比べて、お義兄さん夫婦の動きの早いことよ・・・。
羨ましいような気持ちでその動きを見ていた。
私が感心していたのはそのスピーディーな決断だけでは無かった。
一度は夫婦として一緒に暮らした人と離れる時、多くの人は戸惑いを覚えるのではないだろうか。
私たちも例外ではなく、あんなに酷いことをされたのに同情心のようなものが消えなかった。
それなのに、二人はどちらも割り切っているように見えた。
スパっと切れる、その潔さも見習いたいところであり、私も続きたいと思った。
引きずると後のことにまで影響を及ぼすから、きちんと気持ちの整理をつけたくて。
私は表面上のことだけを見て勝手にそんな風に感心していたのだけれど、実際は違っていた。
奥さんの方は本当に割り切っていたみたい。
でも、お義兄さんは調子を崩した。
会社でも色々と嫌なことがあり、仕事を続けるかで悩んでいる頃だった。
それがプライベートでも大きな決断を迫られ、精神のバランスを崩してしまった。
そこからは本当に坂を転がり落ちるように色んなことがあった。
仕事にも行けなくなり、奥さんからは離婚届けを送りつけられ、家のローンも滞った。
ローンて本当に怖い。
払えなくなったら、あっという間に手放すことになるんだから。
あれよあれよという間に家を失って、しかも借金が残り・・・。
こんなに辛いことがいっぺんに起きるなんて、気の毒に思った。
お義兄さんにも悪い所があったのかもしれない。
だけど、あんな風に全てを失うことになるなんて、私なら耐えられそうにない。
可哀そうに思う気持ちと同居は別問題
確かにお義兄さんのことは気の毒だった。
でも、それと同居の話は別問題だ。
最終的に義実家では夫しか働き手が居なくなった。
その夫だって、少し前まではずっと無職で家に居たわけで。
いつ仕事を辞めてしまうかも分からなかった。
そんな状態で安心などできるはずがない。
不安に思った彼らは、何とかして私に家に入ってもらおうと色々な提案をしてきた。
「今後は絶対に嫌な思いをさせないから。みんなで暮らそう」
と言われても、正直戸惑うばかり。
断るなんて酷く冷たい人間に見えるかもしれないが、ここで断らなければまた同じことを繰り返してしまうと思った。
子どものことだって守り切れなくなる。
そんな風に葛藤しながら、何とか自分の思いを貫き通すことができた。
私は子どものことが一番大事で、何が何でも守りたいのだという自分の気持ちも再確認した。
弱気になった夫や義両親には他に策が無かったのだろう。
懇願するように何度も話を持ち掛けてきて、そのたびに拒否した私。
彼らも必死だったのだ。
直接的な言葉ではなかったが、
「(お義兄さんのことを)可哀そうに思わないのか」
という感じのことも言われた。
それを言うのなら、目の前で虐待されている子どものことが可哀そうではなかったのか、という気持ちもあった。
いくら同情心を煽ろうとしても私が意見を曲げないからか、段々と苛立ち始めた彼らは、
「もう自分たちはどうなっても良いんだ!」
と自暴自棄になった。
そんな様子を見ても、私は『我関せず』を貫いた。