年賀状が来ていたらどうしよう
今年もまた、年の初めからあることで怯えている。それは義実家から連絡だ。
連絡といっても電話がかかってくるわけではない。
電話なら出なければ良いし、音を消しておけばスルーできる。
着信拒否をする勇気は無いのだが・・・。
相手から悟られずに避けることができるという点では電話はまだマシな方だ。
もっと困るのが手紙とか年賀状が送られてくること。
もっとも可能性が高いのは年賀状で、もし来ていれば
「いつか会える日を楽しみにしています」
と書かれているだろうと想像できた。
最初にこのメッセージを見た時には本当に心がどんよりした。
あれほど嫌な思いをして離れたのに、まだ関係を絶つことができないのかと。
義両親が会いたいと言って来れば、夫だって黙ってはいない。
二人の希望が叶うように加勢してくるだろうし、私たちが強行的にそれを拒むことは難しい。
ただ、気まぐれな人たちだから全く連絡が来ないこともある。
これはもう賭けに近い。
その時にならないと分からないことだ。
今年はどうなのかな?と毎年気にしているので、心にいつも小さな棘が刺さっているみたいだ。
家に戻り、万が一年賀状や手紙が届いているのを見つけたら・・・。
きっと平常心では居られない。
あー、今年もまだあの人とつながっているのかと落胆すると思う。
これまでに返事は一度も書いておらず、これが私なりの意思表明なんだけど。
これで気づいてよ~というのは勝手なのかな。
本当は気づいていても気づかないフリをして送ってくるのかもしれない。
私はおまけのような存在で、子どもに会いたいんだろうなということも分かっている。
養育費の件はスルーなのに
連絡をしてくるのは子どもに会いたいから。
だけど、子どもを育てるために必要な養育費に関しては完全にスルー。
これってアリなの?
以前、離婚する少し前にいつもより強めに『養育費の取り決めをしたい』と伝えたら、
「そこまで言うなら俺にだって考えがある」
と訳の分からないキレ方をされた。
そして、
「俺が育てるからお前が養育費を払って」
と驚くような提案をされた。
いやいやいや。
虐待をしていた人が親権を取れると思ってるの?
怒りと恐怖で震えながら、
「それは無理だよ。自分のやってきたこと、分かってるんでしょう?」
と言ったら、薄ら笑いを浮かべながら
「だって証拠が無いじゃん」
と言った。
この時はゾッとして本当に親権を奪われるのではないかと不安になった。
夫がこちらを揺さぶってきて、弱気になった瞬間に都合の良いように進められてしまう。
これはいつもの常套手段なのに、分かっているのに動悸が止まらなかった。
怖い。
どうしよう。
子どもを手放すなんてことになったら、もう生きてる意味がないよ。
不安で不安で居ても経っても居られなくなり、急に離婚するのが間違いなのではないかと思えてきた。
あんなに準備をして慎重に進めてきたのに。
夢にまで見た自由な生活がすぐそこにあるのに。
夫を敵に回すことで全てを失うのではないかと怯えた。
あの後冷静になれたのは、二人きりの時に子どもが
「何があってもママと一緒にいるよ」
と言ってくれたからだ。
その言葉でハッとした。
そうだ、夫の虐待から逃れなければ私たちに幸せはないのだ。
やっと冷静になれた私は『一生この子を守っていかなければ』と決意を新たにした。