2025年7月21日月曜日

「復縁するつもりが無いのなら別居も認めない」と言う夫

「元に戻って、今まで通りに暮らそう」

夫はこれまで私のやることなすこと全て否定してきた。

別居のことだって、私の我が儘で家を出たことになっていた。

それを許してあげる俺ってエライ。

お前が改心するなら何も言わずに受け入れるよ。

そんな風に寛大な夫を演じていた。

私は、そんな夫の申し出を即座に断った。

だから、また機嫌が悪くなって

「復縁するつもりは無いの?それなら別居も認めないけど」

と言ってきた。

まさか、別居が許可制だとは思ってもみなかった。

家に居られなくなって必死の思いで出たのに。

また戻れと言われて怖くて仕方がなかった。

でも、怯えていたらきちんと話し合えないから。

体が震えそうになるのを必死で堪えながら向き合った。

話す時には震える手を見られないようにギュッと握りしめた。

何度も言えば私が言う通りになると思っていたのだろう。

繰り返し、

「今ならまだ元に戻れるよ。これまで通りに暮らそう」

と言ってきた夫。

それは提案という感じではなく、諭すような口調だった。

Nはずっと黙ってその会話を聞いていたが、私が頑なに拒絶するものだから、

「戻りたくない理由を伝えた方が良いよ」

と上手く誘導してくれた。

目の前に夫が居て、あんな風に強い口調で言われてしまうと、どうしても自分の意見を言うことができなくなってしまう。

それは多分、これからも変わらないと思う。

『理由』を聞かれたら、何十分も話し続けることができる位にあるのに。

怯えていると自分の考えを上手く整理できなくて、しどろもどろになりながら懸命に伝えた。

夫との生活はとても怖くて息苦しかったこと。

何か失敗して怒られたり、無視されたり、ご飯を捨てられたり。

お金のことで責められるのが辛かったこと。

次は何を言われるのかと怯えて暮らしていたこと。

途切れ途切れの言葉で私なりに伝えたつもりだ。

機嫌が悪い時にはどんなに気を使っても必ずと言っていいほど怒鳴られた。

そういう日々の積み重ねが私たちの心を壊した。

一番嫌だったのは子どもを虐待したことだった。

私は我慢強いので、自分のことだけなら我慢したかもしれない。

だけど、子どもが虐められるのだけは我慢できなかった。

本当にお腹の底から怒りがわき上がって、夫のことがどんどん嫌いになった。

それが私の中で決定打となり、離れることを決心した。


虐待の事実は永遠に残る

虐待の話が出た時に夫の顔色が曇り、

「まだ、そんなこと言ってるの?!」

と言われた。

驚いたことに、もう夫の中では過去の話になっていた。

あれほどのことをしておいて、無かったことにしようとするなんて。

本当に許せないと思った。

「私にとっては(子ども)が一番大事なんだよ。あんなに傷つけられて忘れるわけないでしょう?」

と言うのを薄ら笑いを浮かべながら聞いていた夫は、

「お前さぁ、俺のことばっかり言うけど。お前だって(子ども)のこと怒ってた時あったじゃん」

と私を責めた。

確かに私も子どもに対して強く言ったことがあった。

言葉だけだけど、たぶん傷つけたと思う。

でもそれは、夫から言われたからだ。

「俺が怒るのがダメだって言うのなら、お前が責任持って言えよ」

と。

夫に虐待される位なら私が言葉で注意してそれで済ませたい。

そういう思いで普段は言わない強い言葉で注意した。

それが私の精一杯だったんだけど。

夫からしたら生ぬるかったみたいで最終的には夫から叱られてしまった。

結局、子どもは私のとダブるで怒られる羽目になった。

あの時のことはずっと私の中にしこりとなって残っている。

子どもに申し訳ないことをしてしまったという思いが未だに消えない。

話し合いの時にその件を出された私は、夫にコントロールされて子どもを守り切れなかったことを恥じた。

そして、自分のしてしまったことを悔やんだ。

そう仕向けた夫のことが憎くて、それなのに上手く言葉にできなくて。

もう顔も見たくないほど夫への感情は悪化していた。

あんな状況になってしまったのには私にも責任がある。

全部が全部、夫が悪いとは思っていない。

だけど、一緒に居たらやっぱり子どもを傷つけてしまうから。

『どうか私たちのことは忘れてください』と頭を下げた。

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