2025年3月28日金曜日

家を出ることを想定し、上司に相談

やっと離婚を決心

長い長い時間がかかってしまった。

繰り返されるモラハラ虐待により、夫との生活に疲れ切っていた。

『明日なんて来なければ良いのに』

そう思うこともたびたびあった。

それなのに、どこか諦めきれない気持ちもあった。

その気持ちが決心を鈍らせた。

きっと夫に見抜かれていたのだろう。

何があっても見捨てるはずがないと。

実際、どんなに酷いことをされても見捨てることができなかった。

この人には私たちしかいない。

そんな思いが決断の邪魔をした。

長い人生の中には、決断しなければならない時がある。

私にとっては、まさにあの時がそうだった。

我慢することが当たり前になっていたが、ふと思ってしまった。

『もう良いかな』って。

頑張っても頑張っても報われない日々。

むしろ頑張れば頑張るほど、もっと高いレベルを要求されて苦しくなった。

子どもは、ありのままの自分を愛してもらうという経験ができなくて苦しんだ。

私が褒めると、

「甘やかすな!コイツはどうしようもない人間なんだからな!」

と叱られ、常に否定されて育った。

悲しむ子どもを見るたびに『母親の私がしっかりしなければ』と思うのに何もできない。

そんな日々に疲弊し、追い詰められた。

ある時、いつものように夫から暴言を吐かれ子どもが虐待されて自分の中でプツンと何かが切れた。

ようやく決心することができた瞬間だ。

ただ、決心したと言っても簡単ではなかった。

夫は上手く立ち回り離婚を回避しようと試みるだろうし、口でも体力でも叶わない。

闘うためには周到に準備をして不測の事態にも備えなければと思った。

多分、仕事にも影響が出るだろう。

私の職場では仕事が被る人が居ないので、数日抜けただけでも迷惑をかけてしまう。

前もって相談しておかなければ業務に支障が出る可能性が大きい。

その日がいつ来るかはまだ分からなかったが、こちらも備えなければと動いた。

仕事に関しては、やはり上司への相談が必須となる。

どんな反応が返ってくるか怖かったけれど、まずは話を聞いてもらうことにした。


上司の驚き

朝一で、上司に

「ちょっとお時間頂けますか?」

と声をかけた。

一瞬ビクッとなり、それから

「じゃあ会議室を予約して時間教えてね」

と言われた。

後から知ったのだが、私が退職を申し出るのだと思ったらしい。

思い詰めた表情で『お話が・・・』と言われたら誰でもそう思うだろう。

それがまさか家庭内のトラブルの話だなんて想像できなかったと言われた。

だからなのか、話し合いが始まる前に

「何かとても重要な話なのかな」

とソワソワしていた。

そんな勘違いをされているとは露知らず、私は家庭内の問題を話し始めた。

夫が無職というのは上司も知っている。

私の扶養に入っていて、家族手当までもらっている状況だったのだから。

ポツリポツリと家でのことを話し始めると、上司は驚いた表情になった。

私は辛かったり悲しかったりといった気持ちが表情や態度に出ないタイプらしく、皆から

「いつものほほんと幸せそうだね~」

と言われていた。

だから、そんな問題を抱えていたなんて思いもしなかったようだ。

夫の問題を人に話すのは初めてのことなので、私の方はとても緊張していた。

まず、この話を信じてもらえるのか。

信じてもらえたとして、どれほど深刻にとらえてもらえるだろうか。

理解を得るためにはいくつものハードルがあった。

家庭内で起きていることなので目撃者はいない。

私や子どもの証言だけなのだから、話を作ろうとすればいくらでもできる。

また、上司は少し年配の方なのでモラハラに理解があるかも未知数だった。

だから、相談はいわば賭けだった。

話している間、上司は時々相槌を打ちながら聞いてくれた。

「家を出るかもしれない」

と言った時には、

「それが良いかもしれないね。弁護士さんに依頼した方が安心だよ」

と助言してくれた。

現状を話し終えた時点で、何となく『これなら大丈夫そうだ』という感じがした。

午後4時から話し始め、気づいたら既に1時間が経過していた。

定時で上がらないと子どものことが心配なので、その日はお開きに。

一回目の相談では状況説明だけして、肝心の話は翌日以降に持ち越しとなった。

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