できない理由を探していた日々に別れを告げた
私たちはずっと我慢してきた。子どものことが大事だと言いながらも、なかなか決断できなかった。
夫はそんな様子を見て高をくくっていたんだと思う。
どうせ妻は何もできない。
自分で決断することもできないんだから、このままの生活が続くはず。
そう思っていたから強気に出たんだと思う。
確かに私は決断するのが苦手で、いつも夫の答えを待っていた。
最初からそうだったわけではない。
結婚生活の中でいつの間にかそういう風になってしまった。
決めてもらうのは楽だったけど、そこには自由も無くて。
全て夫の言う通りにしなければならない生活は私から気力を奪っていった。
苦しくても苦しいと言えず、辛くても笑顔でいるように強要される毎日。
嘘ばっかりで本当のことなんて一つも無かったのに。
独りぼっちになるだろう夫を見捨てることができなかった。
だけど、このままではダメになるという危機感も常に持っていて状況が変わることを切望した。
少しずつでも変わればきっと未来は良くなるはずだ。
そう思っていたのに、子どもが小学生なっても良い変化は見られず虐待はエスカレートした。
二年生になり焦りは増すばかり。
身動きの取れない状態が続いた。
この地獄が永遠に続くのではないかと心もささくれ立っていた頃だ。
重苦しい閉塞感を打ち破るようなことが起きたのは三年生になってからだった。
予想もしない形で事態は大きく動いた。
やっと私たちに巡ってきたチャンスだった。
家を出るための資金を貯めた
いつチャンスが巡ってくるか分からないからと、少しずつお金を貯めた。
夫にバレないように新しい通帳も作り、会社で保管した。
実はその前にも用意していたのだが、夫に見つかって没収されてしまった。
その時の夫は本当に恐ろしかった。
もう終わりかもしれないと本気で思った。
決して同じ間違いを繰り返してはいけない。
今度は絶対に夫の手の届かない場所に保管しようと会社を選んだ。
この話をすると、知人などに
「ご両親とかお姉さんに借りたら良かったんじゃないの?」
と言われることもある。
でもそれは不可能だった。
夫を怒らせたら何をするか分からない。
家族や親せきを危険な目に遭わせてしまうかもしれない。
そうなったら、それこそ後悔するだろうと思った。
逆恨みされて危害を加えられるという想像は、決して【考えすぎ】などではない。
夫のことをよく知る人たちなら、それが現実に起こり得ることを想像できるはずだ。
それ以外にも理由があって、夫から連絡が来た時に上手く対応できないのではと考えた。
居場所を隠し通すことができないかもしれないし、誘導尋問に引っかかる可能性もある。
もし隠していたことがバレれば、その怒りの矛先は家族にも向くだろう。
そうなったら、よくテレビで見るような事件に発展することだって考えられる。
だから、周りには知られずに実行する必要があった。
姉は意外と強心臓なんだけど、嘘が下手だからやっぱり無理だと思った。
そんなことを考えたら、結局誰にも言えなかった。
安全に事を運ぶために私はこっそり準備を始め、会社にも手回しをすることにした。