2025年3月22日土曜日

日常が戻り、モラハラ再開

夫は変わらない、何があっても・・・

私たちがたった一日でも居なくなったことで何かが変わるのではないかと期待したが、結局何も変わらなかった。

夫はそれまで通り横柄に振舞っていたし、子どもは怯えていた。

私は普通に振舞うことが難しくて、そのたびにため息をつかれた。

だって、考えてしまうんだよ。

あのまま家に戻らずにいたらどれだけ自由に過ごせただろうか、とか。

子どもと二人なら笑って暮らせるのに、とか。

ありもしない世界を考えた。

だけど現実には目の前に夫が居て、いつも通り私たちの全てをコントロールしている。

それがどうしても受け入れられなくて、叫び出したい気持ちだった。

夫は私たちがあの日家に帰らなかったことを『裏切り』だと言った。

家族としてあり得ない裏切り行為だと。

でも、あの時『もう戻ってくるな』と言ったのは夫だ。

そう言われて家に入ることもできず、途方に暮れながら夜の街をさまよったのだ。

子どもも不安だったに違いない。

途中で私が泣いたり、泊まる所が見つからなくて夜遅くまでファミレスに居たりしたから。

疲れ果ててウトウトしている頃に姉が迎えに来てくれて、そのまま姉の家に連れて行ってくれた。

本当にありがたくて嬉しくて、『優しくされたのなんていつぶりだろう』と考えてしまった。

でも、夫からするとそれも気に入らなかったみたい。

姉夫婦が勝手に私たちを連れて帰ったと解釈した。

『そうじゃないよ。私からお願いしたんだよ』と言っても聞いてくれなかった。

こうなったらもう姉夫婦は夫の中で敵認定されてしまう。

それが嫌で直接会わせないようにしたのに・・・。

結局色んな理由をつけて私の周りから親しい人を排除したいのだな、と思った。


義両親が更に頻繁に来るようになった

あの一件依頼、義両親は更に頻繁に我が家に来るようになった。

せっせと通ってきては『何か困っていることはないか』と聞いてきた。

きっと息子夫婦の家庭が壊れるのではないかと心配したのだろう。

聞かれるたびに私は返事に困った。

決して大丈夫なんかじゃないけど、そんな風に言える訳がない。

多分、義両親はそれも分かっていて聞いていたのだと思う。

私からSOSが出ないことで安心していたのではないか、と。

右往左往する義両親を見るたびに、これって親不孝だよなーなんてことも考えた。

夫は既に30代のいい大人なのに未だに親に心配をかけている。

その上更に私が限界だと言ったら大きなショックを受けてしまうかもしれない。

余計なことまで考えてしまう私は、いつも義両親のメンタル面が気になって身動きが取れなくなった。

こうなると可哀そうなのは子どもだ。

不甲斐ない母親を持ち、父親は虐待することを愛情だと勘違いしている。

義両親の中ではもう一緒に住むことだけが解決策だと思い込んでいたようで、

「何か他に方法があるのなら言ってちょうだい!」

とも言われた。

自分たちが夫と私・子どもの間に立ってストッパーになると張り切っていたが。

普段の様子からして本当にストッパーになるのかという点で疑問が残った。

ある時、夫が近くの病院に行っている隙にお義母さんから聞かれたことがある。

「うちで皆で住む気にはなれないの?」

と。

その時お義父さんは夫に付き添っていたが、たぶん義両親の中ではそういう方向で進めようという話がついていたと思う。

いつもは夫の顔色をうかがってなかなか本音を言えないのだが、この時は居なかったので

「もう限界なんです。いつまで一緒に居られるか分からない状況で引っ越しなんて考えられません」

とハッキリ答えることができた。

私にとっては決死の意思表明だったわけだが、その言葉を聞いたお義母さんの顔色が変わった。

私なら何でも言うことを聞くと思っていたのに当てが外れたのかな。

だけど、あまりにも色んなことがあり過ぎて・・・。

もう夫との生活に何の希望も抱けず、1年後の未来も描けないところまで来ていた。

別居中、義両親からの呼び出し

「直接会いたい」と言ってきたお義父さん お義父さんは家を出てから何度も電話してきた。 ずっと無視し続けていたので、こちらの気持ちは分かっていたはずだ。 それにも関わらず、毎日定期的に電話してきては留守電を残した。 そのうち留守電もいっぱいになるだろう。 一体いつまでかけ続けるつも...