2025年3月11日火曜日

胃痛で苦しむ私にイライラする夫

夕食時に異変は起きた

平日だったかな。

それとも休日のことだったのかな。

とにかくあまりにも痛みが強くて、その印象しか残っていない。

ある日、夕飯を食べていたら胃の辺りに強烈な痛みを感じた。

その前から少しおかしかったんだけど、そのうち治ると思って気にしていなかった。

でも、ご飯を食べ始めたらどんどん痛みが増していった。

しまいには脂汗まで出る始末。

呼吸をするのもしんどくなって、箸を置いた。

「ちょっとゴメン、胃の辺りが痛くて」

とことわり、うずくまった私。

夫はその時点でとてもイライラしていた。

そのイライラを感じ取ってしまい焦ったけど一向に良くならない。

それどころか痛みはどんどん増していき、何回か意識が飛びそうになった。

多分、その間に夫から何か言われたと思うのだが答えられなかった。

それで更に怒った夫が、

「飯食ってんだろーが!」

と訳の分からないキレ方をした。

せめて無視して勝手に食べてくれていたら良いのに。

その場に居るのもダメなのだろうか。

悲しくなったけど他に居る場所も無くて、うずくまったまま

「ごめん。もうちょっと待って」

と再度謝った。

我が家にはもう一つ部屋があるが、そこは夫がいつでも横になれるように布団を敷いたままだった。

子どもや私が使わせてもらうことはできないし、物を置くことも嫌がられた。

ただでさえ狭い我が家で実質的に使えるスペースは一部屋だけという状況。

だから、あの時も隣で横になるということができなかった。

残るはキッチンだが、キッチンは人一人が立つのがやっとのスペース。

うずくまる位ならできるだろうが。

それはそれで、夫が冷蔵庫に何か取りに来た時などに邪魔にされそうだった。


体調を崩すことも許されない

結局、その日はご飯を食べられなかった。

少し経ったら胃痛自体は良くなった。

でも、夕食に並んだものたちはほぼ完食されていたのでご飯しか食べる物が無かった。

まあ、あれだけの痛みがあったんだから食べない方が良いか・・・。

少しだけご飯を口に運び、お終いにしようとしたら夫から

「いつまでそうしているつもり?」

と言われ、ギロリと睨まれた。

それで慌てて立ち上がり、食器をシンクに運んだ。

鬱陶しいと思われていたことは間違いない。

調子が悪そうにしているのが目障りだったのだろう。

子どもが残りの食器を運んできてくれて、

「ママ、大丈夫?」

と夫に聞こえないくらいの声で聞いてきたが、それにも聞き耳を立てていた夫。

『大げさだ』と馬鹿にしたように言って、早くいつも通りに振舞うように要求してきた。

体調が悪くても休むこともできない。

辛そうにしているだけでイライラされる。

それが当たり前だったので、私はとても我慢強くなった。

それと同時に周りにSOSを出すことができなくなった。

胃痛は何度も私を苦しめたが、夫からの影響が大きかったようだ。

離れたら嘘のようにスーッと無くなり、それ以来一度も起きていない。

2025年3月10日月曜日

二人目の子どもを欲しがり始めた夫

恐怖!夜な夜なにじり寄る夫

子どもが寝た後、電気を消してテレビを見ていたら夫がにじり寄ってきた。

『嫌だなぁ』と思いつつも、あからさまに拒絶することもできなかった。

少しでも離れようと体を浮かせたら、夫が耳元で

「そろそろ二人目欲しいね」

と言った。

ゾワッと全身の毛が逆立つような感覚。

あの恐怖を表すとしたら、そんな言葉になるだろうか。

その頃にはもう、うっすらと離婚を考え始めていたから余計に驚いた。

今後を不安に思っているのは私だけなんだな・・・。

夫が『二人目が欲しい』と言い始めたら、それは絶対だ。

私の気持ちなんてどうでも良いのだろうし、興味も無かったと思う。

だけど、私の心情とはあまりにもかけ離れた提案だったので、非常に驚いてしまった。

取り繕おうにも、気持ちが追いつかない。

それでドン引きしてしまい、反射的に体を反らした。

だが、そんなことはお構いなしに夫は既にその気になっていた。

耳元に息を吹きかけてきて、更ににじり寄る夫。

このままではまずい!

焦って、とりあえずこの場を逃げ切らなくちゃと思った。

だけど、夫の力が強くて抵抗することもままならなかった。

子どもが起きれば中断せざるを得ないだろうから大声を出そうか?とも考えた。

でも、何となく子どもを利用することに抵抗感があった。

「ダメだよ、今はダメ」

それだけ言うのが精いっぱい。

懸命に両手で夫の体を遠ざけようとしているのに、薄ら笑いを浮かべる夫。

嫌だと言っているのに笑うなんて。

本当に何を考えているのかが分からなくて不気味だった。

「とにかく無理!」

そう言いながら必死に抵抗し続けた。

結局その日は事なきを得た。

私の粘り勝ちだったが、あまりにも嫌がる私に夫は気分を害したようだ。

小さな声で嫌味を言い、ため息をつきながら離れて行った。

『あ~助かった・・・』という安堵と共にわき上がる不安。

これからのことを考えると暗澹たる気持ちになった。

夫は言い出したら諦めることはしないだろう。

うかうかしていたら本当に二人目を妊娠して身動きが取れなくなってしまう。

そうなる前に策を講じなければと思った。


周りから固め始めた夫

嫌がられていることは分かっていたのだと思う。

だけど、言いくるめれば何とかなると考えていたようだ。

義両親が来た時に

「うちもそろそろ二人目を考えてるんだ」

と言っていて、周りから固めようとしているんだなとピンときた。

二人は大喜びでテンションも爆上がり。

「それじゃあ、お前ももっとしっかりしないとな」

などと上機嫌になり、

「この部屋じゃ手狭になるな」

とわざわざ私に言ってきた。

いや、そういう問題じゃない。

まず、夫がコンスタントにきちんと働いてくれないと家計もままならない状態なんだよ。

だけど仕事のことを言うと夫が不機嫌になるから、ずっと言えなかった。

それを義両親も分かっていたはずなのに・・・。

どうせ何を言っても否定されるだろうと思って『今はまだそういうタイミングじゃない』とだけ繰り返した。

それで分かってもらえるような相手ではないんだけど。

そう言うしかなかった。

案の定、理解してもらえなくて

「そんなこと言ったら、いつが良いタイミングなの?」

と責められた。

仕事のことは、時々義両親から『負担をかけて悪いね』と言われていた。

でも、それってただのポーズだ。

その後ろには、『だけど許してやってね』という言葉がついて回る。

それに、口では気遣うようなことを言っていても、こういう時に夫の援護に回ってしまうから当てにならない。

私が渋っているのが分かると、お義父さんは

「私たちのことをもっと頼って良いんだよ」

と言った。

もう何から突っ込みを入れたら良いのか分からなかった。

そもそも夫は常に不機嫌で、私たちは顔色を伺いながら過ごしていた。

自分の意にそわないと私たちに罰を与えるから、いつも怖かった。

虐待をされている子どもは日々怯えていた。

義両親はそれを目の当たりにしても何もできなかった。

その状況でもなお子どもを欲しがるという神経が分からなくて。

この人たちは自分たちの欲求を満たすことしか考えてないんだな、と改めて思った。

それから私はピルを服用することを考え始めた。

緊急避妊薬のことなんかも調べ始め、何とか身を守ろうと必死だった。

2025年3月9日日曜日

我慢も限界に達し、離婚の相談を開始

モラハラにもずっと耐えてきたが・・・

何をされても耐えてきた。

来週までは頑張ろう。

明日までは頑張ろう。

そう自分に言い聞かせてきたが、もう限界だった。

だけど、気づいたら周りは誰も居なくて相談できる人ももちろん居なかった。

それで困って会社の同僚に話を聞いてもらうことにした。

ただし、この時は自分のことではなく友人の話としてなんだけど・・・。

こういう場合の友人の話って、十中八九自分の話だ(笑)。

だけど内容的に自分の事だとは言えなくて、『友人の話なんだけどね~』と言った。

同僚は親身になって聞いてくれた。

家でされていることとか子どもへの虐待とか。

今になって考えると当事者しか知り得ないのではないかと思う情報も出してしまった。

だから同僚は気づいていたかもしれない。

それでも気づかないフリをして相談に乗ってくれた。

途中、聞きながら涙ぐんだりして。

本当に良い人なんだなぁと思った。

話をして、やはり私たちの受けている仕打ちは普通じゃないということが分かった。

この頃の私はもう自分に自信が持てなくて。

私に悪い所があるから夫を怒らせるんだと思っていた。

でも、同僚は『違うよ。悪い所なんて無いんだよ』と言ってくれた。

この言葉を私は待っていたのかもしれない。

夫のモラハラや虐待に『どうして?』とばかり考えていたけれど。

きっと誰かにそう言ってもらいたかったんだ。

その言葉が嬉しくて涙が出そうになり、慌てて横を向いた。

「そうだよね~。何でそう思っちゃうんだろうね」

と合わせたつもりだが、全部分かっていたのかも。

あの時、同僚はこうも言ってくれた。

『離れることは見捨てることじゃないんだよ』と。

この言葉は、後に私を何度も助けてくれた。


ネットでも相談したが・・・

ほんの少し前向きになった私はネットでも相談することにした。

最後の後押しをして欲しいというか、この決断が間違いではないことを確信したかった。

だけど、この方法は明らかに失敗だった。

あんな風に攻撃されるなんて想像もしていなかった。

でも、今考えると仕方がないことなのかもしれないと思う。

だって、相手はネット上の知らない人たちなんだから。

いくら現状を事細かに伝えたところで共感など得られないのかもしれない。

あの日、同僚に話したのと同じような内容で現状を書き込んで返信を待った。

何か有益な情報なども得られれば良いなと思っていた。

すぐに返信が来たのだが、その内容は目を伏せたくなるようなものばかりだった。

もちろんエールを送ってくれるものもあったのだが。

厳しい意見というのは、たとえ少数であっても強く印象に残る。

私は心が凍るような思いでその書き込みを読んだ。

その人たちは、きっとそれが正しいと思って書きこんだに違いない。

だけど、元々追い込まれているところにあのような厳しい言葉はとても堪えた。

『旦那さんがそれほどまでにコントロールしたがるのは愛情が深いから』

『日頃から旦那さんを大切にしてあげてないのでは』

『あなたに原因があるのを隠してませんか?』

こんなメッセージたちが並んでいた。

一番ショックを受けたのは『旦那さんを大事にしていないご家庭では虐待が起こりやすい』という言葉だった。

まさか虐待が私のせいだなんて・・・。

そんな風に言われるとは想像もしておらず大きな衝撃を受けたのだが、その後のメッセージで私の心は完全に折れた。

『旦那さんと別れるのではなく、最後まで責任を持つべき』

やっぱり離れるのは無責任なのかな。

自分の決断に自信が持てなくなり、何が本当なのか分からなくなった。

混乱して一歩踏み出す勇気も失った。

そして、また我慢の日々を過ごすことになった。

2025年3月8日土曜日

耐えられなくなって母に電話した日

モラハラに耐える日々

夫から日々嫌がらせをされても我慢し続けた。

結婚したからには相手の人生にも責任があると思っていた。

それに一度は添い遂げることを誓ったのに、そう簡単に放り出すことはできなかった。

これは責任感のような物なのだろうか。

その時はまだ夫に愛情が残っているから放り出せないのだと考えていたのだけれど。

もしかしたら違ったのかもしれない。

夫がショックを受けるであろうことを想像すると罪悪感に耐えられるかも自信が無かった。

だけど、毎日のように小さな諍いはあって。

諍いと言うよりも一方的に怒鳴られて傷つけられるだけなんだけど。

夫は『これは夫婦のコミュニケーションの一つだ』と言った。

私の中にはそういうコミュニケーションの取り方は存在していなかったから、いつも戸惑った。

本当は止めて欲しいのに言えなかった。

言ったら『じゃあどうやって解決するの?』と詰め寄られてしまう。

解決といっても向き合わなければならない問題が起きていたわけでもない。

ただ単に夫が色んなことをわざわざ問題にして難癖をつけてきただけだ。

それで『お前はどうするんだ』と結論を迫られるのだが、いつも夫の中で答えは既に決まっていた。

話し合ったところで、その答えに誘導されるだけ。

何があっても私の意見や気持ちが反映されることは無い。

人間我慢し続けていると段々と感覚がマヒしてくるみたい。

そのうち自分が悲しいのか辛いのかさえ分からなくなってしまった。

その状態がデフォルトになり、心は痛みに鈍感になった。


心配はかけたくないけど・・・

耐え続けたけれど、『もう限界だ』と感じる瞬間があった。

咄嗟に携帯を手に取り、家の外に出て母に電話した。

ただ、そんな時でも夫には

「買い忘れた物があるから行ってくる」

と伝えてしまう自分がとても悲しかった。

コール音が何度か鳴り、電話に出た母。

その声はいつも通りだった。

しばらくかけてなかったから、出る前は少し緊張していたのだけれど。

話し始めたら何だかほっとしてしまった。

「どうしたの?珍しいじゃない」

と言う母に対し、

「今ちょっと時間が空いたからさ。元気?」

と取り繕う私。

本当はこんなことを言いたいわけじゃないのに、普段通りの私を演じてしまった。

多分、いつものように振舞えていたと思う。

精一杯元気なふりをしたつもりだ。

だが、突然母が

「どうしたの?何かあった?」

と言った。

涙が出そうになった。

優しい言葉なんてかけてもらったのはいつぶりだっただろうか。

嬉しくて、だけど辛くて。

よく分からないぐちゃぐちゃの気持ちで母の言葉をかみしめた。

大丈夫だよ、と言いたいのに声が出なかった。

声を発したら泣き出してしまいそうで。

だからひたすら咳をして誤魔化した。

でも耐えきれなくなって、その場に座り込んだ。

嗚咽が聞こえないように電話を離し、過呼吸気味になりながらも何とか整えようとしたけど上手くいかない。

どうしよう。

このままでは母に気づかれてしまう。

焦って電話を持ち直した時、

「何でも聞くから」

と言う母の声が聞こえた。

もしかしたら、もうとっくに気づいていたのかもしれない。

だけど、私がいつも『大丈夫、何もないよ』と言うから。

きっと私から話すのを待っていたんだろうな。

結局そのまましばらく話すことができなかったのだが、深呼吸をして何とか整えた後、

「大丈夫だよ。もう少しがんばる」

と伝えた。

2025年3月7日金曜日

ちょっと具合が悪くなると大げさにアピールする夫

夫は自分の体調に対して敏感だった

少しでも体調を崩すと夫は大げさに騒いだ。

そのアピールが凄くて、げんなりすることもあった。

朝から何度も熱を計り、

「あー、やっぱりちょっと熱出てきたわ」

と言うので見てみたら37度。

普段体温の低い人だったら確かに微熱かもしれない。

でも、あなたは普段から36度台後半ではないか。

ほんの2~3分なんて状況次第でいつでも変わるだろうに。

そう思ったけど、夫にとっては一大事だったようで大げさに騒いでいた。

何度も同じことが起きると私だって親身にはなれなくなる。

半ば呆れた気持ちで聞いてしまうようになる。

それで、ついつい反応も薄くなった。

そうすると、夫は『心配もしてくれないなんて冷たすぎる!』と不満を爆発させた。

そもそも、いつも騒ぐ割にはどうってことなくてすぐに治る。

気のせいだったということも多々ある。

そんな状況なので真面目に対応するのが馬鹿らしいと思ってしまった。

大抵は具合が悪いと言いつつもお昼ごろになると全快して元気に動き回るんだよね。

何ていうか・・・。

自分の体調に敏感過ぎるのよ。

それだけ気を付けてる証拠なのかもしれないけれど。

私からしたら非常に迷惑な話だった。

これが何か体に不安なことがあって、というのならまだ分かる。

そうすると他のことにまで目が行ってしまうから。

でも、夫の場合は多少の自律神経の不調は抱えていても家では元気だった。

少なくとも私たちに怒鳴り散らすくらいの元気はあった。

だから、心の中では『あー、はいはい。いつものね』と聞いていた。

ただ、それを本人に悟られると面倒なので口では

「大丈夫?ゆっくりしてた方が良いよ」

と声を掛けた。


家族の体調不良には不機嫌に

自分の体調が悪くなると騒ぐくせに、家族が風邪を引いたりすると途端に不機嫌になった。

子どもが熱を出した時などは、

「いつまでグズグズしてるつもりだ!」

と信じられないような暴言を吐いた。

まだ熱もあったのに信じられない。

自分なんてほんの少し熱が出ても大騒ぎするくせに。

私が高熱を出した時もとても大変だった。

病院に行ってインフルエンザではないことは確認されていた。

ただ、そうは言っても39度を超えるほどの高熱。

歩くのもしんどかったので、

「保育園のお迎えをお願いできないかな」

と言ってみたら、物凄く面倒くさそうにされて、

「えー、行けないの?」

と言われ、

「いつも結構な熱が出ても動けてるじゃん」

と良い返事は貰えなかった。

これは何としてでも自分で行けということだ。

仕方がないので、マスクをして完全防備でお迎えに向かった。

道中足元はフラつくし、熱が更に上がっているのか寒気はするしで散々だった。

やっとの思いでお迎えを済ませ、帰宅した後。

もう体がしんどくてすぐに横になりたかった。

「申し訳ないんだけど、ご飯作って子どもにも食べさせてもらえる?」

とお願いしたのだが、この時も却下された。

お迎えに行けたんだからご飯くらい作れるだろう、と。

こんな風に優しさの欠片も持ち合わせていない夫なのに、私は見捨てることができなかった。

見捨ててしまったら生きていけないのではないかと思ったからだ。

だけど一方で、私たちにも優しくしてくれるようになれば良いなと願った。

その願いは結局叶わなかったのだけれど。

2025年3月6日木曜日

酷い虐待の後には決まっておもちゃを買い与えた夫

罪悪感から?それとも子どもをコントロールするため?

普段からちょっとしたことで怒られていた子ども。

その怒鳴り声は異様に大きくて、大人の私でも縮み上がるほどだった。

子どもの小さな体にはさぞかし堪えただろうと思う。

それでも怒鳴られるだけならまだマシだ。

叩かれたり首ねっこを掴んで持ち上げられたり、蹴られることもあった。

「そんなことをしたら怪我しちゃうよ!」

何度そう伝えたか分からない。

もう後のことなんて考えられなくて必死で止めようとした。

それくらい切羽詰まった状況だった。

けれど夫にそんな訴えが届くことは無く、

「大げさなことばっかり言いやがって」

と余計に怒らせてしまうことがほとんどだった。

こういう場面でもっとも恐れたのは、私が口を出すことで更に状況を悪化させることだ。

人から指図されることを極端に嫌う夫が私の言うことなど聞くはずがない。

それが分かっていても言わずにはいられなかった。

そして案の定、夫を怒らせてしまい二人まとめて罰を受けることに・・・。

モラハラや虐待というものが日常生活の中で当たり前のこととして存在していた我が家。

夫の機嫌を意識しながら生活することに疑問も抱かなかった。

酷い虐待の後、夫は決まって子どもに優しくなった。

普段はかけないような優しい言葉をかけ、おもちゃを買い与えた。

そういう時はまるで子どもを溺愛しているかのように振舞い、

「どんなおもちゃが欲しいんだ?」

などと聞いていた。

こういうのが飴と鞭って言うのかな。

さっきまで意味不明なことで怒られていた子どもの目には薄っすらと涙が浮かんでいて。

でも、にじり寄ってくる父親を無視もできないので、

「えっとね~、今欲しいのはね~」

と一生懸命答えようとしていた。

こんなのって絶対におかしい。

いつもそう思っていたのに強く言えなかった私も同罪だ。


積み上げられていくおもちゃ

我が家は狭かった。

だから収納場所も少なくて、狭い部屋におもちゃがどんどん積み上げられていった。

そんなにたくさんのおもちゃがあるということは、それだけ虐待されたということ。

本当はおもちゃなんて要らないから子どもを虐めないで欲しかった。

その一つ一つを見ると蘇ってくる嫌な思い出の数々。

私はあまり見たくなかったのだが、子どもも多分同じ。

自分から率先して遊ぶことは少なかったように思う。

ハッキリ言って、あんなのは夫の自己満足以外の何物でも無い。

「あのおもちゃで遊ばないのか?」

と言われても困ってしまうよね。

それなのに、おもちゃさえ与えていれば自分は良い父親なのだと勘違いしているふしがあった。

義両親が我が家に来た時、子どもに向かって

「パパに買ってもらったのか。良かったな~」

と言った。

何とも複雑な気持ちでそのやり取りを眺めていたのだが、次に出てきた

「パパは(子ども)のことが大好きなんだな」

という発言はどうしても納得できなかった。

本当は義両親だって知っているはずなのに。

二人の目の前で子どもが虐待されることもあるのに。

そして、そのおもちゃたちがどういう風に与えられたのかも知っているのに。

それなのに、なぜ『おもちゃを買ってあげる息子はエライ』と思えるの?

ここには私たちの味方は居なくて、一人で子どもを守るしかなかった。

だけど私はあまりにも無力で。

どうやって自分たちの身を守れば良いのかが分からなかった。

2025年3月5日水曜日

パパをやっつける!

幼い頃の子どもの口癖

子どもが幼児期~小学校低学年の頃、よく『パパをやっつける!』と言っていた。

もちろん私がそう言うように仕向けたわけではない。

物心つくかつかないかのうちから自然と言い始めた。

最初耳にした時には驚いた。

こんな小さな子の言うような言葉ではないと思ったからだ。

でも、よくよく考えてみたらテレビの影響なのかな?とも思った。

ヒーローものなどを見て真似する子が居るが、恐らくその類だろうと。

実際にはそんな微笑ましいものとは違っていた。

それは父親へのネガティブな感情から出た言葉だった。

私が気づいた時には子どもは既に夫のことを強く拒絶していて、その感情を消し去るのは難しい感じだった。

この子の中で夫は敵になっているのだ、と悟った瞬間がある。

ある朝、保育園の準備をしていたら前日にお箸を洗っていなかったことに気づいた。

「しまった!昨日出してなかったんだ!」

と言いながらいそいそと洗い始めた私。

それを見た夫が、子どもに

「お前は何で出さねーんだよ!!!」

と怒鳴り、お箸とかコップを入れておく小さな巾着袋を投げつけた。

まさかそんなことをするとは思わなくて一瞬動きが遅れてしまった。

すぐに洗っていた箸を放り出すように置き、慌てて夫の元に駆け寄って

「私が忘れたのに何で子どもに怒るの?しかも投げつけるなんて酷い」

と訴えたら、夫は

「コイツのものは全部コイツにやらせろ」

と言った。

そして、威嚇しながらジェスチャーで子どもに『洗ってこい』と命令した。

例えばこれが6歳の子なら『なるべく自分のことは自分でやろうね』っていうのもあるかもしれない。

でも、まだ2歳だった。

2歳って家の中でもいたずらをしたり予期せぬ行動をしたりして大変な時期だ。

外に出たら無鉄砲に走って行ってしまうこともあり気が抜けない。

そんな年頃の子に保育園から持ち帰った箸は忘れずに出して洗えって???

もう話にならないと思って、それ以上何も言わずただ黙って箸を洗って保育園の準備をした。

別に洗い忘れに気づいたからといって、夫が何か大変になるわけじゃない。

出勤前の慌ただしい時間に私が洗うことになるだけ。

夫からしたらどっちでも良いだろうに、なぜそんなことで怒るのかが分からなかった。

その後、保育園へと向かいながら子どもと話をしていた時に子どもが

「早く大きくなりたいな。そしたらパパをやっつけられるのに」

と言った。

この言葉は、もうすぐ3歳という年齢よりだいぶ大人びていると感じた。

その後も何度も

「パパをやっつける!」

と繰り返した。

きっと子どもの目から見ても理不尽に映ったのだろう。

まだたどたどしい口調の我が子からそんな言葉を聞いた時の衝撃は今でも忘れられない。


早く大きくなりたいな

子どもが『パパをやっつける!』と言うたびに私は戸惑った。

情けないことに、本当に何て返したら良いのかが分からなかった。

本来なら『そんなことを言うもんじゃない』と窘めるところだろう。

でも、子どもの気持ちが良く分かるし、窘めるどころか共感してしまった。

もしかしたら、私のそういう気持ちを感じ取って出た発言かもしれない。

そうすると私のせいだよなぁと思って何も言えなかった。

元はと言えば夫がモラハラや虐待を繰り返すのが悪い。

2歳といえども自我が芽生え始めているのだから色んなことを感じ取っていたはずだ。

それなのに、まるで自分の言うことを聞かなければうちから追い出すようなことばかり言って。

子どもに嫌がられるのも当然だ。

ただ、威勢の良いこと言っていてもまだ小さな小さな2歳児。

たとえ直接夫に『パパをやっつける!』と言ったとしても鼻で笑われたと思う。

それを子ども自身が分かっていたかどうかは定かではないが、よく

「早く大きくなりたいな」

と言っていた。

うちの子は小柄で周りから『ちっちゃくて可愛い』と言われることが多かった。

これは子どもからしたら誉め言葉ではなかったようで、

「早く大きくなりたいのにっ」

と怒っていた(笑)

こんなエピソード一つ取っても、夫が子どもから嫌われていたことは明らかだ。

それに気づいてないのは本人だけ。

未だにその事実に気づいていなくて、将来面倒を見てもらおうとしているのも図々しい。

2025年3月4日火曜日

保育園の行事で感じた寂しさ

周りの家庭が羨ましくて仕方がなかった

私は保育園の行事が苦手だった。

いつもよりも子どもたちも張り切っていて賑やかな雰囲気なのに。

ポツンと取り残されているような気持ちなることが多かった。

そう感じてしまう理由は明確だ。

周りのお家ではパパとママが仲良く参加していて、どうしてもそれを目の当たりにしてしまうからだ。

仲睦まじい姿を見たりすると、やはり思うところがある。

お子さんも心の底から楽しんでいるように見えて、つい自分たちと比べてしまった。

ああ、良いなぁ。

あんな風に何の心配もせず楽しみたかったな。

そんなことを考えながら参加していた。

周りのママ友たちはとても良い人ばかりで、何か嫌味を言われるようなことも無かった。

だから環境的には恵まれていたのだけど、ついつい感じてしまう寂しさ・・・。

夫も、いつも不参加だったわけではない。

ごく稀に『今回は行こうかな』と言うことがあり、一緒に参加したこともある。

ただ、これはこれで問題だった。

夫が参加するからと言って『今日はパパ来れるんだって。良かったね!』という感じにはならない。

来たら来たで面倒なことがあり、例えば周りに人が居ようが些細なことで容赦なく子どもを怒鳴りつけた。

だけど、要所要所で使い分けるというか狡さもある人だった。

怒っていたかと思えば急に物凄く可愛がるような時もあり、周りはすっかり騙されていた。

「きちんと躾までできるなんて良いパパだね」

なんて言われたりして。

本当は違うんだよ、と言いたいけど言えなかった。

この人たちが本当の夫を知ったらどんな反応をするだろうか。

私は一緒に居る時でもそんなことばかり考えていた。


保育園では他の子の面倒まで見る夫

たまにお迎えに行ってくれることもあった。

私のことを労わって代わってくれたというわけではない。

その時々の気分で気まぐれに提案された。

仕事が忙しい時などは確かに助かる。

だから、夫から『迎えに行くよ』と言われた時にはほぼお願いしていた。

園に着くとその日の汚れ物などを集めて帰り支度をする。

帰る用意をしているといつの間にか子どもたちが集まってくることもあるのだが、夫は率先して子どもたちの面倒を見ていた。

みんなが集まって来ても、笑顔で相手をして優しく話しかける。

いつもそんな感じだったので、他のお家の子やそのママたちからは割と人気があった。

優しそうな笑顔を見せながら大勢の子と接する夫。

ただそれだけなんだけど、私の心はどうしようもないくらいに虚しさを感じた。

どうして我が子にも同じようにできないの?

あなたの愛情を一番に欲してるのは我が子なんだよ。

怒りを通り越して悲しさがこみ上げ、子どもが不憫になった。

お友達たちがキャーキャー言いながら夫と遊ぶ間、子どもはポツンと遠くから見つめていた。

まだ幼児なのだから深いことを考えていたわけではないのかもしれない。

でも、私にはとても寂しそうに見えた。

みんなに懐かれて終始ご満悦だった夫。

帰り道もご機嫌で、いつもは一人でスタスタ行ってしまうのに子どもと手をつなごうとした。

少し後ろに居る子どもの方に手を伸ばしたのだが、その瞬間子どもはパッと手を引っ込めた。

更に後ろに居た私は『あっ・・・』と思ったのだけれど、気づかないフリをしてやり過ごした。

あれは子どもなりの意思表示だったに違いない。

我が子を大切にできない人が周りには『優しいパパ』を演じていることに吐き気がした。

2025年3月3日月曜日

子どもの頬に叩かれた跡

夫はなぜ子供を愛せないのか

仕事から帰り、『ただいま~』と家のドアを開けると子どもが端の方でうずくまっているのが目に入ってきた。

夫を見るととても不機嫌で、表情は険しかった。

『これは何かあったな』とすぐに分かった。

一気に緊張感が高まったが、下手に動いたら余計に状況を悪化させてしまう。

だから、鈍い頭を懸命に働かせてどうすべきかを考えていた。

その間、子どもは微動だにせずうつむいたまま息を殺しているのが分かった。

その頬は、遠くから見ても分かるくらいに赤くなっていた。

普段でも私たちは気を使いながら生活していた。

それがデフォルトになっていたのだが、気を遣うくらいならお安い御用だった。

酷い時には暴れて物を壊したり子どもが叩かれたりするから。

その日はそんな我が家でも非常事態と言えるようなことが起きているのだと感じた。

とりあえず事情を聞かなければならないと思い、

「あれっ?どうしたの?」

と聞いてみたのだが二人からは何の返事もかえってこなかった。

子どもはこういう時発言することを許されていなので、黙っているしかなかったのだと思う。

そうすると答えられるのは夫だけということになるが、機嫌が悪すぎて返事をしたくないようだった。

どうしよう。

事情が分からないことにはどう動けば良いのかも見当がつかない。

夫の機嫌も簡単には治らなそうで、打つ手が無いように見えた。

こういう日は長い長い夜が待っている。

何をしていてもきっと夫が難癖をつけてきて空気を悪くするし、下手したら夜中まで説教されるかもしれない。

そんな想像をしたら思わずため息が出てしまった。

夫はそれを見逃さなかった。

「何だよ!言いたいことがあるなら言えよ!」

と突然怒鳴り、大きな足音を立てながらこちらに向かってきた。

私は思わず顔の前で手を交差させて、

「ごめんなさい」

と謝った。


夜中まで続く説教に絶望

叩かれる!と思って身構えたのだが、夫はポーズを取っただけで殴ることは無かった。

その代わりに【早く入れ】と促されて夫の目の前に座らされた。

小さなテーブルを挟んで向き合いながら座る私たち。

目の前に居ると、夫の目が血走っているのがよく分かった。

きっと相当怒ったんだろうなという感じで、子どもはまだ同じ姿勢を崩さずにいた。

こんな状態では何を言っても怒りが収まることは無いだろう。

それでも、事情だけは知りたいと思って

「何かあったの?」

と聞いてみた。

極力いつも通りのトーンで落ち着いて話したつもりだ。

怖がっていることを悟られると余計に面倒なことになるから。

そうしたら、夫が乱暴な口調で

「こいつ、マジで最低なんだよ!っとにクソがっ!」

と話し始めた。

よくよく聞いてみると、その日に持って行くべき宿題を家に忘れたようだった。

それで連絡帳に書かれていたのだが、子どもに確認したら

「だいじょうぶ、忘れてないよ」

と言ってしまった。

たぶん怖かったのだと思う。

本当のことを言ったらどれだけ怒られるのか分かっているから。

それで慌てて嘘をついてしまったんだろうけど、夫は

「こんな嘘つきな奴、家に置いておけねーよ!」

と怒って、じっとしていた子どもの襟首あたりを掴んで体を持ち上げた。

まだ軽かった子どもの体は宙に浮き、玄関まで乱暴に押しやられた。

「ごめんなさい」

と何度も言いながら許しを請う子ども。

私も子どもがケガをしないように必死に体を割り込ませた。

もう揉みくちゃになって、どんな風になったのか覚えていない。

気付いたら子どもも私も玄関に手と膝をついていて、咄嗟に目の前の子どもを抱きしめた。

それを仁王立ちで見下ろす夫。

怖くて声が出なかった。

その日、私たちは夜中まで説教された。

いかにクズでどうしようもない人間なのかという話を延々とされた。

至近距離から怒鳴られてもただじっと耐えたのだが、それだけでは済まされなかった。

無視をされ、存在がまるで無かったかのように扱われ。

私たちが何かすると聞こえるように舌打ちされた。

それがまた怖くて、息を殺して生活した。

恐ろしいことに、そんな生活が2週間も続いた。

2025年3月2日日曜日

家出-目的地に到着して今後のことを考えた

シーズンオフの観光地に到着

目指していた観光地に到着した。

着くまで気づかなかったんだけど、ちょうどシーズンオフで人もまばらだった。

人が多ければその分賑やかになって気持ちも華やぐが、人の少ない観光地もそれはそれで趣がある。

本当に来ることになった時もシーズンオフなら良いな。

そうしたら宿泊費も安く済むんだけどな、などと考えていた。

本当は前もって予約を入れた方が安くなるのだが。

いつ【その日】がやってくるか分からない。

だから、全て家を出てから動かなければならないというのがまず一つ目の問題だと分かった。

電車を降りて少し歩いてみると、気持ちの良い景色が広がっていた。

私はそれを見ただけでとても癒されて、やや興奮気味に子どもに声をかけた。

「見て!すごいね~。綺麗だね~」

と言いながら遠くを指さすと、子どももその方向を見て

「きれいね~」

と目を輝かせた。

この時どこまで理解していたのかは分からないが、私の言ったことに共感してくれる存在がただただ嬉しかった。

小さな子どもでも、こんな風に共感してくれるのだ。

夫なんて常に上から目線で否定してきて、私の意見はほぼ無視。

肯定的にとらえられることはなく、自分の言うことを聞いていれば良いんだという考えだった。

いつも寂しかった。

怖いだけでなく寂しいなんて、一緒に居る意味なんて全く無いよね。

時折すれ違う人たちはパートナーや家族ととても仲良く見えて、そんな場面にも心が痛んだ。


お昼を食べて、宿の下見

しばらく歩いて、近辺を散歩した。

幼い子どもを連れているからそう遠くへは行けないのだが、それでもかなり楽しめた。

歩いているうちにお腹が空き、子どもと一緒に

「何を食べようか」

と言いながらまたウロウロ。

偶然見つけたお店が値段も手ごろで子どもが食べられそうなメニューもあったので、休憩がてら入ることにした。

こういうのも本当に久しぶりで【生きてる】という実感がわいてきた。

普段も時々は出かけるけど、夫がすぐ傍にいるような錯覚をしてしまい息苦しかった。

でも、遠く離れたその場所ならそういう気持ちにならなかった。

お昼を食べた後は宿の下見へ。

徒歩圏内に数軒の宿があり、お値段が分からないのでネットでポチポチ検索をした。

あー、ここは評判が良いとか、ちょっと高めだから連泊が難しいとか。

色んなことを考えながら実際に利用することになった時のことを想像した。

その日が一日でも早くくれば良いな。

そう思いつつ、時間も迫ってきたので引き上げることにした。

帰りの電車の中で、手持ちのお金で何泊できるだろうと考えたら意外と泊まれることも分かった。

交通費だって各駅を使えば節約できるし、探せばもっと安く泊まれる方法があるかもしれない。

そんな希望を見出しつつ、実は後回しにしていた問題に頭を悩ませていた。

それは、家を出てからしばらくの間の仕事はどうするのかということ。

私は日頃から会社を休むことがほとんどない。

だから有給は余っているけど、一気に使っても大丈夫なのかという不安もあった。

それで、会社の人に一度相談した方が良いのだろうか、と考え始めていた。

2025年3月1日土曜日

家を出る予行演習をした私たち

その時が来たら迷わず動けるように

日ごろ夫から酷いモラハラにあっていた。

だから、通常よりも思考能力が低下しているという自覚があった。

もし家を出るチャンスが訪れても自分の頭で考えて動けるだろうか?

そんな不安があった。

それで予行演習をすることにした(笑)

実は家出は初めてではない。

ただ、いつもとは違って計画を立てるためのお試しみたいなものだった。

その日は夫が朝から病院で、実行するにはもってこいの日。

「有給を消化しなくちゃならないんだ~」

と休みを取ることを伝えた。

そうしたら病院に着いてきて欲しそうにしていたんだけど。

気づかないフリをしてスルー。

そんな目的のためにわざわざ休んだわけではない。

夫は不満そうにブツブツ言いながら出かけて行った。

その後の予定もだいたい分かっていた。

病院の後は二駅先まで足を伸ばして買い物して、そのままお昼だろうな。

お昼を食べたら駅をブラブラして、義両親と落ち合うかもしれない。

いつも義両親と出かけることが多かったので、この日もそうだろうと思っていた。

そうしたら案の定、出かける直前に

「今日は親父と会うんだわ」

と言っていた。

やっぱりね。

ここまでは読み通り。

夫を見送るまでは内心ドキドキ。

そして見送った後、急いで出かける用意をした。

保育園をお休みした子どもはお出かけだと思い込んでいて、嬉しそうに靴を履いた。


家を出た瞬間から感じた開放感

一歩外に踏み出した途端、体中を縛り付けていた鎖から解放されたような気持ちになった。

あー、自由ってこんな感じだっけ。

いやいや、これはまだ予行演習なんだから。

久々に感じた解放感に浸りつつも、こんなんで喜んでてはいけないと自分を戒めた。

まずは今日どんな風にすべきかを考えながら行動してみよう。

それで当日パニックになっても落ち着いて動けるはず。

家を出て最初に向かったのは駅だった。

どこに行くにしても電車を使わなければ遠くには行けない。

子どもを抱っこしたまま、PASMOを通してホームに向かった。

その間、

「ねえ、どこ行くの?」

と何度も聞かれたんだけど、まだ行き先は決まっていなかったので

「良いところだよ」

とだけ答えた。

ホームで電車を待つ間、私は考えていた。

家を出る日、夫がそのことに気づいたらどんな行動に出るだろうか、と。

追いかけてくるだろうか。

でも、どこに行ったかも分からないのに、闇雲に動くようなことはしないかもしれない。

安全策として私ができるのは、予想もできない場所に移動することだった。

実家はすぐに足がつく。

同じ県内にある姉の家も同じだ。

親兄弟や親せき関連は簡単に予想できてしまうから、全く関係のない場所が良いだろうと考えた。

それで思いついたのが、なぜか観光地の旅館に泊まる方法だった。

ちょっと驚くよね。

自分でも驚いた。

電車に乗れば以外と早く着く観光地があり、そこなら泊まれるのではないかと思った。

夫から逃げているのに観光???

いやいや、決して遊びに行きたいわけではない。

そんな所にいるなんて想像もつかないだろうから安心して過ごせると思って選んだ。

他にも理由があり、やはり当日は解放感たっぷりでも落ち込むと思うので少しでも気持ちが浮上する場所に居たかった。

ただそれだけなんだけど、ビジネスホテルと比べたら高いんだよね。

金銭的に余裕は無かったので、各駅の電車で向かうことにした。

万が一、私たちが戻るまでに見つかってしまったらそれまでだ。

計画を立てていることを勘づかれてしまい、更に自由に動けなくなる。

そんなこと、絶対にあってはならない。

想像するだけで恐ろしくて体が震えた。

胃痛で苦しむ私にイライラする夫

夕食時に異変は起きた 平日だったかな。 それとも休日のことだったのかな。 とにかくあまりにも痛みが強くて、その印象しか残っていない。 ある日、夕飯を食べていたら胃の辺りに強烈な痛みを感じた。 その前から少しおかしかったんだけど、そのうち治ると思って気にしていなかった。 でも、ご飯...