2024年10月22日火曜日

戻っても地獄

家出の続行は不可能だった

明らかに計画不足だった。

言い訳になってしまうが・・・。

働きながら家のこともして更にいつも夫の目が光る状況で準備をするのは非常に難しい。

神経質な夫は些細な変化も見逃さないタイプだから余計に大変で。

準備をしていることを悟られてしまう可能性が高かった。

そういう時って全身から緊張した空気を発してしまうもの。

そんな空気に夫が気づかないはずもなく、よりリスクは大きくなってしまう。

本音を言えば、夫とは関わりのない世界で生きていきたかった。

だけど、この時は失敗に終わった。

子どもにとっては、つかの間の楽しい休日を過ごすだけになった。

それは本当に良かったと思う。

もう一つの良かったことは、久々に自由を満喫して『生きている』と実感できたことだった。

もう長い間夫と一緒に暮らしてきて、それがどんな世界だったのか忘れてしまっていた。


この時は気づいていなかったのだが、最大の弱点が意外と身近なところにあったことに後になってから気づいた。

それは家族に徹底的に隠す、ということだった。

自分たちがこんな生活をしていることは誰にも知られたくない。

ちょっとした知り合いもそうだし、子どもの関係で知り合ったママ友にも悟られたくはない。

それ以上に知られたくなかったのが両親や姉家族だった。

心配をかけてしまうから言えなかった。

こんな年になってまで家族に心配をかけるなんて。

そんなの絶対に嫌だと意固地になっていたのかもしれない。

実家からは少し離れていたから、秘密にすることは容易だった。

安心させたくて、ずっと幸せなフリをし続けた。

追い詰められて元気が出ない日でも、電話口の母に『大丈夫』と言い続けた。

そう言うことで本当に大丈夫になれたら良かったのに。

段々と嘘をつき通せないくらいに追い詰められていき、連絡さえ取れなくなった。


義両親が迎えに来て家出は終了

私たちが宿泊したホテルのすぐ近くにモーニングができる飲食店があった。

オーダーを済ませて待っている間、携帯を見ていたら電話がかかってきた。

義両親からだった。

【夫の泣き落としに負けた】&【早くも資金的に枯渇】という状況。

もう帰ることは確実だったので仕方なく電話に出た。

こちらは疲れ果てているのだが、義両親はやたらとテンションが高い。

「あいつも反省してたでしょ」

と何度も言って同調させようとしてくるところに圧を感じた。

何も言わずに聞いていたら、

「今どこ?迎えに行くから」

と一方的に言うので、慌てて

「もう少しここに居たい」

とお願いしても、

「こういう時は早く戻った方が丸く収まるから」

と却下された。

今日の残りの時間を楽しむことも許されないのね。

しかも、迎えに来るのは義両親なのね。

なーんだ、いつもと同じじゃないか。

この時は落胆もしたが、『やっぱりね』という諦めの気持ちも強かった。

まあ、夫に来られる方が嫌だけど。

こういう時は本人が迎えに来るのが筋ってもんじゃないの?と心の中で悪態をついた。

その後、予告通り義両親はモーニングを食べ終えた私たちの前に現れた。

「さあ、帰ろう!」

と急かすので、子どもは名残惜しそうに『え~』と声をあげた。

「パパ寂しがってるよ」

と言われても納得できないらしく、

「もうちょっと遊ぶ~」

と言って粘っていた。

だけど、義両親もかなり強硬的に進めるタイプなので強制連行のように連れられて帰宅することとなった。


可哀そうと思う気持ちが仇となる

お金の事とか準備不足とか色んな問題があったと思うのだが。

気持ち的な面も離婚の妨げになった。

夫は働いていなかったので、私たちと離れたらどうやって暮らすんだろうと考えてしまった。

子どものことも、可愛がる時間は確かにあった。

その光景が思い出されて可哀そうだと思ってしまった。

家族と離れて暮らすって辛いことだよね。

酷い夫だとしても、そんな思いを味わわせて良いの?

そんな風に同情心が出てしまったのだ。

自分が見捨てたら生きていけないなんて、そんなことはないのに。

私にできることなんて限られているのに。

それなのに、夫を見捨ててはいけないような気がした。

見捨てることへの罪悪感なのかな。

家を出ようと思うたびにその罪悪感が膨らみ、極悪人というレッテルを貼られるような感覚。

可哀そうという気持ちを振り切れれば良かったんだけどね。

それができずにズルズル。

そのうち、『苦しんでいる夫を見捨てるのは人間失格』とまで思うようになった。

そんなことをしたら私はもう終わり。

人として許されないことをしたのだから幸せになってはいけない。

一種の呪縛のようなものが私を締め付け、自分の命と天秤にかけるくらいの重い選択になった。

見捨てるということは、そのくらい私にとってハードルの高いことだった。

義両親からの呼び出し

断れなかった義両親からの頼み 6月某日。 私は再び義両親に会いに行った。 今度は子どもも一緒に。 「(子ども)ちゃんに会いたい!」 と言われ、断ることができなかったのだ。 最初は何だかんだと理由をつけて 「ちょっと難しいです」 とやんわり拒絶していたのだが。 「まだ離婚したわけじ...