虐待後の猫なで声
虐待後に急に子どもに優しくするのは一体何なんだろうか。直前までとは打って変わって急に猫なで声を出す。
いつもは絶対にやらないのに、飲み物を淹れてあげたり欲しい物を聞いたりして。
その変わりっぷりには正直なところ引いた。
そんなことするくらいなら、初めから虐待なんてしなければ良いのに。
でも、その一方でまだ優しくしようという気持ちもあるんだと安心もした。
こんな風に感じているうちは、モラハラ夫からは決して逃れられない。
相手は一枚も二枚も上手なのだから、そういうおかしな所を見つけたら徹底的に追及するくらいでないと言いくるめられてしまう。
だけど、当時は両極端な対応を目の当たりにしているのに【変わってくれること】を信じたい気持ちが強かった。
今になってみれば、本当にバカだったなと思う。
虐待は心に深刻な影響を及ぼす。
たとえ抜け出したとしても、精神的に苦しみ続けるケースもある。
それを止められるのは親なのだ。
学校の先生などが気づいて通報してくれるケースもあるにはあるが。
一番一緒にいる時間が長い親が何も動いてくれなければ不信感しか残らないはずだ。
夫は私にも従順で居ることを求めた。
従順な妻でなければ価値が無いと考えていることが言葉の端々から感じ取れた。
普段から夫の要望を察知して動くように仕向けられていたので、それに応えなければと思ってしまった。
あの頃の行動や考え方、全てが間違いだったのだと今なら分かる。
猫なで声の夫を見た時、この人にも人間らしい面が残っていたのかと驚いたし、少しでも懺悔の気持ちを感じているのなら救われると思った。
でも、よくよく考えると救われるはずがない。
あの行為は何があっても許されるものではないからだ。
それを止められなかった私も同罪だ。
子どもは私を責めたりはしないだろうが。
申し訳なかったという気持ちがいつまでも消えない。
叩いたり蹴ったりした後の偽りの優しさ
子どもを叩いたり蹴ったりした後の夫の対応には主に2つのパターンがあった。
機嫌が悪いまま数日間当たり続ける時と優しくする時。
虐待をされた後まで罰ゲームのように当たられ続けるなんて正直地獄だ。
この辛い時間がいつ終わるのだろうかと絶望してしまう。
だから、優しくなるパターンだと分かった時にはホッとした。
怒ってる時は嫌だけれど、優しくしてもらえると嬉しい。
何となくそんな雰囲気になっていた。
夫もそれを感じていたはず。
というか、怒り狂っている時は素の夫だと思うのだけれど、優しい時は演技だったのではないかと疑っている。
確かに声色や態度は優しい。
でも、どこか演技がかっているようにも見えた。
子どもはまだ幼かったから、表面上の優しさをそのまま受け取ってしまったはずだ。
実際に嬉しそうにしていたし、あれほどのことをされたのに懐いていた。
一定の年齢に達するまでは・・・。
子どもだって大きくなってくると、裏に隠されていることにまで機敏に反応するようになる。
夫がいくら隠そうとしたって、虐待後の対応には嘘が含まれていることが分かってしまう。
それに気づいた時、たぶん子どもは父親に期待することを止めたのだと思う。
猫なで声で近寄ってきてもあまりしゃべらなくなり、考え込むようになった。
そういう状況になってようやく夫も気づいたようだった。
子どもが色んなことを分かり始めていることに。
分かったところで向き合うわけもなく、今まで通り無理やり恐怖でコントロールし続けた。
夫は頑固で自分の意見を曲げないので、間違ったことをしていないと確信していることも厄介だった。
間違っていないのだから、自分が変わる必要は無いと考えても不思議ではない。
また、家族は何でも許し合う存在だとも思っていたようので、【家族】という事実が免罪符になると考えていた節もある。
だけどそれって夫の自分勝手な理論。
子どもも私も一切受け入れていない。
だから、離婚してから数年経っても未だに夫は子どもに会えていない。