『子どもを叩くのは止めて』と懇願
夫は事あるごとに子どもを叩いた。いつか大きな怪我をさせてしまうのではないかと不安だった。
そういう時はもちろん私も止めに入る。
口で言っても止まらなければ、体を割り込ませて間に入って全力で阻止する。
それでも、勢いが凄い時には止まらないことが多かった。
今考えると児童相談所への通報案件だったと思う。
だけど、あの当時は夫の『しつけ』という言葉を信じて疑わなかった。
『他の家でもこのくらいのことはしている』と言われると『そうなのか・・・』と思ってしまった。
元々私は二人姉妹でおっとりと育った。
男兄弟が居ない分、日常生活で諍いなんかもなくて平和だった。
そんな平和な環境で育った私を【世間知らず】だと言っていた夫。
世間知らずだから、普通のしつけの仕方を知らないのだと。
この件はうちの両親に聞いても無駄だとも言われた。
そういう甘いしつけをしてきた人たちなのだから元々の認識がずれているのだろう、と。
そう言われてしまうと、自分の感覚だけで『虐待だ』と騒ぎ立てるのは間違っているような気がしてきた。
ただ、そうは言っても目の前で子どもが叩かれそうになったら黙っていることはできない。
毎回必死に止めに入り、そのたびに『邪魔するな』と怒鳴られた。
どんなに必死で庇おうとしても、結局は力の強い夫には太刀打ちできない。
これは体力差だけが問題ではなかった。
キレた時、どこからそんなパワーが?と驚くほどの力で暴れた。
ああいう時って、もしかしたら理性のストッパーが外れているのかもしれない。
だから加減ができなくて大ごとになってしまうんだ。
普段とは比べ物にならないくらいの力で夫が子どもを叩こうとした時、間に入って腕に当たったことがある。
その時、本当に本当に飛び上がるくらいの痛みだった。
こんな力で子どもを叩くなんて信じられない。
『加減してる』と言っていた夫の言葉が真っ赤な嘘だったことが分かった。
家具を壊すのも暴力ですか?
夫は物にもよく当たっていた。
ある時、子どもに怒っていて私が止めたら怒りがエスカレートしてしまい、傍にあった家具を殴った。
木製だけど、ドアの部分の内部が空洞になっているタイプだった。
殴った瞬間、『くそっ!』という夫。
多分痛かったのだと思う。
自分が悪いくせにこぶしをさすっていて。
そういう所にもうんざりした。
冷めた目で夫を眺めていたら、棚のドアの凹んだ部分が目に入ってきた。
驚いて声も出なかった。
いくら中が空洞になっているとは言っても表面は結構硬い木で覆われている。
後からこっそり確かめてみたが、普通の力で凹むような物ではなかった。
一体どれほどの力で殴ったのだろうか。
その時は怖くて言えなかったけれど、少し経ってから夫に、
「ドアの部分が壊れてるよ」
と伝えた。
そうしたら、何故か夫は
「はっ?!何が言いたいの?!」
と怒り出して、
「人を殴ったわけじゃないんだよ?!」
と自分を正当化した。
殴ったのは物なのだから、自分としては気を遣ったのだと言いたかったらしい。
本当にそうなのかな。
人を殴らず物を殴ったのならセーフですか?
家具を壊されたことも悲しかったけれど。
暴力に関する認識の違いを改めて実感して、底知れぬ恐怖を感じた。