気付けば孤立
夫と暮らすことが段々と苦しくなった。本当は周りに助けを求めたいのに、それもできない。
だって、私たちの周りには誰も居ないのだから。
気が付いたら連絡を取れるような人は居なくなっていた。
最初は親戚や両親、姉などにも頻繁に連絡を取っていたし。
子ども関連で知り合った人とも情報交換をしていた。
だけど、それを見た夫が不機嫌になるから・・・。
何だか目の前でやり取りをすることに後ろめたさを感じるようになった。
今連絡するのは止めておこう。
今度にしよう。
そうやって問題から目をそらしているうちに、気が付けば孤立していた。
これを自業自得だという人も居るのだろうか。
本気で連絡を取る気があるのなら取れたはずだ、と。
でも、モラハラをする人と関わったことのある人なら分かるはずだ。
彼らは決して”例外”を許さない。
今回だけは連絡した方が良いよね、と納得することもない。
俺を不機嫌にさせるようなことをするお前らは【悪】だと罵られる未来が待っているだけだ。
それでも、学校の行事なんかで声をかけてくれる方も居た。
「今度、お茶しましょう」
と言われることも。
そんな風に言っていただけると嬉しかったのに・・・。
その瞬間、私は断る理由を探した。
最低だ。
本当に最低で失礼な話だよね。
夫を怒らせるのが怖くて、結局一度も良いお返事が出来なかった。
それで更に孤立していった。
モラハラとの闘いは諦めたらそれで終わり
言いなりになるのは楽だ。
そうしていれば夫は機嫌良く過ごしてくれる。
自分の思い通りに事が進んでいる時だけは家族に優しくしてくれた。
そんな穏やかな時間がずっと続けば良いのに、といつも思った。
だけど、そう思ってしまうと必然的に私たちの取るべき選択は狭まって行く。
夫と子どもと三人の小さな小さなコミュニティの中で生活するだけの日々。
仕事には行っていたが、職場でも必要以上に関わることを禁じられた。
全てが夫の監視下にあり、些細なことでも報告しなければならない。
こんな生活を続けていたら段々と考え方が歪んでくるのも当然なのかもしれない。
そのうち、全てのことを【夫にどう思われるか】という視点で考えるようになった。
これは夫が怒りそうだから止めておこう。
そんな思考回路になって、益々周りとの距離は広がるばかり。
きっと、あの頃の私は話しかけづらい雰囲気だっただろうな。
フレンドリーに接してくれる人に対して、物凄く防御線を張って警戒していたから。
仲良くなってしまったら連絡を取りたくなってしまう。
ふと顔を合わせた時に話したくなってしまう。
それができない私は、距離を置くしかなかった。
そういう生活が数年続き、ふと『このまま諦め続けるのだろうか』と思ってしまった。
きっと、諦めたくない気持ちが残っていたのだ。
でも、諦めないということは夫と闘うということ。
体力でも口でも夫に叶うことはないと分かっているのに、それでも挑まなければならない。
闘うだけならまだ良いが、その後に夫が警戒してより監視の目を強化したら私たちには一体どんな未来が待っているのだろうか。
より苦しい生活になる可能性を考えるとゾッとした。
それなのに・・・。
やっぱり自由を諦められなかった。
諦められなくて、二度目の家出をした。