もう帰らない
一度目の家出の時には子どもはまだ2歳くらいだった。小さな手を引いて、不安な気持ちで歩いた道。
同じ道をもう一度歩いていた。
あれから数年が経ち、子どもはもう5歳になっていて、いつもとは違うことにすぐに気づいたようだった。
「ママ、どこに行くの?」
眉毛をㇵの字にしながら私の顔を覗き込む子ども。
先程から『どこに行くのか』と何回も聞いてくる。
お出かけは大好きなはずなのに、きっと不穏な空気を感じ取ったのだろう。
まさか馬鹿正直に『家出するんだよ』なんて言えないから。
「今日はお出かけしようね」
とだけ伝えた。
「楽しみだねぇ~。お昼は何を食べようか」
とあえて高めのテンションで話しているうちに、子どももすっかりその気になったようだった。
そう、それで良い。
いつもと同じように過ごしてくれた方が私も気が楽だ。
本当は常にこれからのことが気になっているのに、子どもを不安にさせたくなくて無理やりはしゃいで笑顔を作った。
実は、お財布の中も心許なかった。
お給料日前ということもあったのだが、その月は余計な出費が重なって安心とは言えない状況だった。
お昼は少し節約しなくちゃなぁ。
そろそろ義父と夫は帰ってきたかな?
家に私たちが居ないことに気づいただろうか。
そんなことをつらつらと考えていたら駅が見えてきた。
うちの子は電車が大好き!
電車を見た途端、テンションはマックスになって、
「あっちに行こう!」
と私の手を引っ張った。
何をしたいのかは分かっている。
車掌室が見える場所まで移動したいのだ。
お出かけの時はいつもそうなので、この時も同じように端の車両に乗った。
間もなく電車が到着して乗り込み、子どもは背伸びをしながら車掌室をのぞきこもうとしていた。
でも、子どもの身長では見えない。
だから、わきの下を持って持ち上げたら、
「わぁ~!!!」
歓喜の声をあげ、飛び切りの笑顔を見せてくれた。
この笑顔を見るために私は毎日頑張っている。
どんなに辛いことがあっても子どもが幸せなら私も幸せだ。
初めて携帯の電源をオフにした私
いつも夫の顔色を伺って怒らせないようにしてきた。
連絡がつかないことをとても嫌がったので、携帯の電源を切るなんて論外だ。
それまでの私だったら決してそんな選択はしなかった。
でも、二回目の家出の時、とうとう電源をオフにした。
私にとっては初めてのことで、それがどのような結果をもたらすのかは分からない。
少なくとも何事もなく無事に済むとは思えなかった。
それでも連絡を取る手段を無くしてしまいたくて、恐る恐る切った。
その時はもう、手が震えて持っていた携帯を落としそうになったほどだ。
呼吸も浅く、緊張の極限といったところだろうか。
でも、切った後はこれまでにない開放感を感じた。
とにかく今は安全なのだから楽しまなくちゃ損だよね。
そう思って可愛い雑貨屋さんに入ったり、食品店で小さなお菓子を買ったりした。
まだ午前11時ごろで、お昼には早い。
少し駅の中をブラブラと歩いて、その後は外のお店まで足をのばした。
こんな風になるべく家のことを考えないようにしていたら、段々と周りの風景が目に入るようになっていた。
笑顔で行き交う人々を眺め、今日は私たちもみんなの仲間入りだ!と思ったら嬉しくなった。
私が嬉しそうにすると、子どももより元気になるから不思議だ。
お昼の候補になりそうなお店も見てまわって、子どもが
「パスタが食べたい」
と言うのでイタリアンのお店に入ることに決めた。
いつも顔中オレンジ色になるから避けようとするんだけど、子どもはトマト系が好きなんだよね。
洋服を汚すと怒られちゃうし・・・といつもの思考に陥りそうになってハタと気づいた。
そうだ。今日はそんなこと気にしないで良いんだ。
子どもの食べたいものを食べさせよう。
たったそれだけのことなのに、この上ない幸せを感じた。