個人面談で言われたこと
低学年の頃、うちの子の担任は若い女性の先生だった。物腰が柔らかくて静かに話す人で、子どもたちからも慕われていた。
その先生と初めてゆっくり話したのが個人面談の時。
私の方は勝手が分からずとても緊張してたのだが、時折微笑みながら丁寧に話をしてくれた。
普段目にすることのない学校での様子を聞けるのはとても新鮮で、先生の話してくれるエピソードに聞き入った。
授業参観にも出られていなかったから、初めて知ることばかり。
聞きながら思わず想像してしまった。
楽しそうにお友達と遊ぶ姿を。
内容としては、『概ね心配は要らないよ』ということだったが・・・。
ただ一つだけ。
面談の終わりかけに、授業中にぼんやりとしてることが多くてあまり集中できていないという指摘を受けた。
実は思い当たる節があり、家でもそういう姿を目撃することがあった。
でも、『小さいうちはそういうこともあるよね』と安易に考えてしまった。
落ち着きがないとかお友達に乱暴してしまうとかそういうことではなく、ただボーっとしてしまうだけ。
周りの進行を妨げなければそれほど大きな問題にはならないのではないか。
単純な私は微笑ましいエピソードとして聞いていたのだが・・・。
先生が急に、
「本当に素直で優しいお子さんですよ。きちんと説明すれば何でも分かってくれます」
と言うので、私はその発言の意図が分からなくて戸惑いつつも、
「そうですか・・・。ありがとうござます」
とお礼を述べた。
後から考えるとこれはけん制だった。
その後も同じようなフレーズが繰り返され、さすがの私も(?)となり、
「あのー、何か問題でも・・・?」
と聞いたら、はっきりとした口調で
「十分に良い子なんです。だからあまり怒らないであげてください」
と言われた。
それでもピンと来なくて、曖昧な笑みを浮かべながらその意味を考えていた。
そうしたら最後に、
「育児で悩んでいることなどがあれば相談できる窓口もありますよ」
と案内された。
それで、ようやく理解した。
どうやら私が虐待していると思われているようだった。
小さな体で虐待と闘っていた子ども
面談の最中、ふと外を眺めたら校庭を走り回る子どもたちの姿が見えた。
窓際の席だったうちの子も、こんな風に眺めていたのかもしれない。
元気に駆けていく子どもたちの様子を目で追いながら、ふと物思いにふける我が子の姿を想像した。
入学当初から酷い虐待があった。
保育園時代にもあったけど、小学生になってからエスカレートした。
自我を持つようになった子どもの言動を許せない夫が力でねじ伏せようとしたのだ。
これは私の見解であり、夫は違うと言う。
全て教育だったと。
そんな話納得できるはずもなく、今でもただの虐待だったと思っている。
そこに愛情は無く、ただ思い通りにしたかっただけ。
子どもは学校が終わっても家に帰りたがらなかった。
寄り道をしたら怒られるのに、それでもまっすぐに帰らずに時間を潰した。
夫は分単位で人の時間を管理するような人だから、その遅れを見逃さなかった。
帰宅すると案の定怒られ、子どもはそのたびに必死で自分の身を守った。
それでも帰らざるを得なかったことを考えると、本当に酷いことをしてしまったと申し訳ない気持ちになる。
夫から逃げられるはずがないとか。
体調不良の人を見捨ててはいけないとか。
出られない理由を考えてはいけなかったのだ。
私が臆病だったばかりに子どもの心に深い傷を負わせてしまった。
あの苦しい時間を長引かせてしまった原因は私の弱さだ。
