2024年10月31日木曜日

俺より先に寝るな

夫が寝る前に寝てはいけない

どんなに疲れている日でも、夫より先に寝てはいけないというルールがあった。

直接そう言われたわけではない。

ただ、先に寝てしまった時には明らかに不機嫌になっていた。

だから、眠くても疲れていても夫が寝るのを待った。

朝起きてご飯を作ったりしてから仕事に行き、帰りはスーパーに寄って買い物をして帰る。

帰宅後は急いで夕飯の準備を済ませ、食べ終えたら洗い物をしてお風呂に入る。

お風呂の後は洗濯をすることもあったのだが、これが非常に面倒だった。

別に洗濯自体が嫌だったわけではない。

ただ、私のやり方に対して夫がいちいち文句をつけるから億劫だった。

『お前には任せられねーよ!』と悪態をつきながらやってくれることもあった。

どうせやるのなら黙々とやってくれれば良いものを。

夫の性格上それは期待できなかった。

一言言わなければ気が済まない性質なのだ。

文句を言われて肩身の狭い思いをしながら洗濯をしてもらう。

これだけでも非常に大きなストレスになる。

しかも、やってもらっている間もただ黙って見ていることはできない。

手伝う素振りを見せないと夫は怒った。

手伝おうとしても、私が手を出した部分は文句を言われて直されるんだけどね。

マイルールが多過ぎるためか、他人のやること全てが気に入らないようだった。

生活全般がそんな感じだったので、正直ついていけないなと思うことが度々あった。

合わせられる人がいたら、よほど先を読むのが得意な人なのだと思う。

子どもが小さい時には保育園関連の家事も加わった。

洗い物や連絡帳、翌日の用意なんかが平日の必須事項だった。

起きている間は常に動き回っていて、寝る直前まで一息つく暇もない。

そんな生活なのに、夫よりも早く寝ることが許されないなんて。

当時はこんな状態でも普通のことなんだと思っていた。

皆我慢して暮らしているのだと。


疲れてクタクタの日でも許されない

疲れてクタクタになる日だってある。

仕事が忙しかったり、体調が優れなかったり。

そういう日は家族で労わり合うのが当たり前なんだと思っていた。

でも、我が家では疲れ果ててすぐに横になりたい日でも先に寝ることは許されなかった。

そういう時は我慢ができず、

「今日は疲れたな―。早めに休むかな」

と匂わせてみるのだが・・・。

夫は険しい顔をして、非難がましく

「えっ?!もう寝るの?!」

などと言った。

もうと言っても既に夜の12時を回る頃である。

そのくらいの時間になると大抵は眠くなるのだが、普段は我慢して待っていた。

でも疲れている時にはそれ以上起きていることができず、何とか先に寝ることはできないかと色々と模索した。

だけど、何をやってもダメ。

結局は『自分が先に寝るのが当たり前』という絶対的なルールがあるから、例外は認められないのだ。

流石にインフルエンザで寝込んだ時などは『起きろ』とは言われなかったが。

熱が下がってくると、『いつまで横になってるのか』という圧が凄かった。

妻の方が先に寝るってそんなに悪いことですか?

夫は日中に昼寝もできるのに、少し早く寝たくらいで何故こんなに責められなければならなかったのか。

もし夫にこの件を問いただそうとすれば、きっと『俺はそんなことは一度たりとも言ったことはない』と言うだろう。

確かに直接そう言われたことはない。

でも、言葉からでなくても伝わるものはある。

夫の場合は特にそう。

全身から放たれる不機嫌のオーラには凄まじいものがあった。

誰から見ても分かるくらいに。


好きなだけ眠れる幸せ

夫と離れてから色んなことが自由になった。

毎日好きなものを食べて、好きな時間に寝ている。

もちろん子どもの予定に合わせることもあるけど、それはお互い様。

私が合わせてもらうことだってあるんだから。

子どもとは互いへの思いやりを持ちながら快適に暮らすことができる。

それって一緒に居る上で最低限のルールなんだと思う。

夫とはそれができなかった。

根本的な原因として、たぶん大事にされていなかったのだと思う。

大事にしていないくせに、離婚の話が出たらごねた。

ごねてごねて、納得してもらえないまま時間だけが過ぎていった。

たぶん言いなりになる奴隷を手放すのが嫌だったんだと思う。

2024年10月30日水曜日

リフォームの見積りを手に来訪した義両親

突然の来訪―手土産は見積書?!

ある日の夕方、義両親が突然来訪した。

大抵は前もって連絡をくれるのに。

その日は何の連絡もなく、まるで近所に散歩に行くような雰囲気でフラッと現れた。

何か他の用事があって、そのついでなのかな?とも思ったが。

『話がある』と言う。

最初、手に紙袋を持っていたので、てっきりお土産を渡しに来たのかと勘違いしてしまった。

私がお土産だと思い込んでいたソレは、クリアファイルに挟まれた書類だった。

何だか嫌な予感がした。

変な書類持ってきてないでしょうね。

警戒しながら内容を確認すると、上部には大きめの文字で【御見積書】と書かれていた。

見積りって何の見積り?

この時点で警戒心MAXだったのだが、悟られないようにいつも通りの対応に徹した。

義両親と夫、私が小さなテーブルを囲む。

はじめは全く関係のない話をしていた。

目の前に書類があるのに、誰もその件について話そうとしないので余計に気になった。

だけど、自分から触れてしまったら面倒なことになる気がして触れられなかった。

数分が経ち、最初に持参した書類の話題を出したのは義父だった。

「こういうのを貰ってきたんだけどね」

と言いながら見積書を夫と私の目の前に移動させた。

目の前に置かれてようやく分かった。

それはリフォームの見積りだった。

「リフォームするんですか?」

この時は『そうなんだ~、リフォームするんだ~』という程度の気持ちだったのだが。

この態度が義両親を不機嫌にさせた。

「そんな他人事みたいに」

と言われ、夫からも

「ちょっとは考えながらしゃべれよ!」

と怒られた。


いつの間にか当事者に

義実家をリフォームするのに、なんで私が他人事ではダメなのか。

呑気な私は、その時点でもまだピンときていなかった。

だから、話がイマイチ嚙み合わない時間が続いた。

そのまま終われば良かったのだが、業を煮やした義両親がぼんやりとしている私に向かって、

「ローンを組めるかどうか、一度銀行に行ってみて」

と言ってきた。

予想外の言葉に驚いて思考は完全に停止。

何と答えたら良いか分からず言葉が出てこなかった。

そんな様子に更にイライラした義両親は、

「半日くらいなら仕事も抜けられるだろ」

と言い放った。

普段から、特別な用事でもなければ仕事はなるべく休まないようにしている。

いつ子どもが風邪を引くか分からないし、自分だっていつも元気とは限らない。

有給は本当に必要な時に使えるようにと温存していた。

以前、有給の話題が出た時には『子どもが居たらそういうもんだ』と同調してたはずなのに。

今回は休むのが当然だと思っているようだった。

しかも、『なるべく早く行って欲しい』と言う。

そんなこと言われたって困る。

こちらにも都合ってもんがある。

仕事もちょうど忙しいタイミングだったので、『無理だよ~』と心の中でつぶやきながら上手い断り文句はないかと考えていた。

一方、義両親と夫は断られることは一切考えていないようだった。

自分たちが依頼をすれば引き受けるはずだ、という自信があったのだろう。

ここで『No』と言えば期待を裏切ることになる。

それを分かりつつも、絶対に譲歩してはいけないと思った。

「急に言われても無理です。仕事も休めません」

非難されるのは怖かったけれど、ハッキリと断った。

私の精一杯の抵抗だった。


そもそもローンは無理よ

仕事もあるし休めないからという理由で断ることばかり考えていた。

だけど、よく考えたらそもそも何で私がそんな重い責任を負わなければならないの。

それにローン自体も難しいのではないだろうか。

義両親もだからこそ『銀行に行って確かめてきて』と言ったと思うのだが。

義実家は私の家ではない。

この場合、百歩譲って義両親以外が組むとしても夫が負担すべきだ。

無職だから無理なんだけど。

見積書に書かれていた金額は高額だった。

リフォームってこんなに高いの?!と驚愕した。

しかし、よくよく内容を確認するとどうやら1階から2階まであらゆる所をいじる内容のようだった。

それなら高くなるのも分かる。

しかも、家の土台部分にもガタが来ていて土台からいじらなければならないらしい。

もう私から見たら現実的に無理な話だ。

このまま進んでしまったら大変なことになる。

押しの強い義両親や夫は私なら言いくるめられると考えたのだろうけど、この件は絶対にOKできない。

考えれば考えるほど恐ろしなり、私は警戒した。

2024年10月29日火曜日

一度だけ別れるチャンスがあった

結婚前の心変わり

まだ私たちが結婚する前の話なのだが。

一度だけ、夫が心変わりをしたことがあった。

その時に別れていれば、あんなに苦しむことも無かったのに。

言われた時は、見捨てられたら生きていけないような気持ちになった。

あれは付き合い始めてから1年と少しが経過した頃。

カミングアウトは実にあっさりしたものだった。

「他に気になる人がいる。だからこのまま付き合うことはできない」

突然、そう告げられた。

当然だが、私は酷く動揺した。

自分の何がいけなかったのか。

相手は誰なのか。

もう彼をつなぎとめることはできないのか。

一度離れたとしても、戻ってくる可能性はあるのか。

一瞬で色んなことが頭の中を駆け巡り、パニックになった。

「相手は誰?」

と尋ねても、

「それは言えないよ」

という言葉を繰り返すばかり。

あぁ。もうこの人はその気になる人のことで頭がいっぱいなんだ。

見ていてそんな風に感じた。

だけど、すんなりと『いいよ』と言えるほど大人ではなかった。

駄々をこねる子どものように『受け入れられない』と言い続け、結局決着はつかずに、なあなあの状態で話を終えた。

『もしかしたら別れなきゃならないかも』

そんな現実が目の前に迫ってきたら、途端に怖くなってすがりたくなった。

もし本当に別れることにでもなったら、もう私には何の価値もないように思えた。

今思うと『見捨てられる』という不安だったのかもしれない。


相手が気になって探りを入れる日々

「もう付き合えない」

そうキッパリ宣言した割には、私が納得しなかったからか何となく付き合いは続いていた。

もちろん彼の中で相手の存在が消えたわけではない。

ただ単に納得させるのが面倒くさくなっただけなのだと思う。

その間、よせばいいのに私は相手が誰なのかを知りたくて日々探りを入れた。

最初は貝のように口を閉ざしていたが・・・。

根負けしたのか徐々に相手を匂わせるようになっていった。

それで分かったのだが、相手は私もよく知る人だった。

彼には学生時代からつるんでいるメンバーがいる。

男女複数人のメンバーで、その中でも特によく話に出てくる人がいた。

彼女の話をする時、なぜかとても嬉しそうだった。

テンションが上がってるな、と感じることも多々あった。

だから何となく『お気に入りなんだろうな』とは思っていた。

でもまさか、それ以上の気持ちがあったなんて。

「ずっと友達だったでしょ?急にそんな気持ちになったの?」

動揺しながらも質問したら、歯切れの悪い答えが返ってきた。

「俺にだって分からないよ。いつから気になってたのかなんて」

それがちょっと困ったような様子で、もう何も言えなくなった。

納得したわけではないけど、引き留めるのは難しいのかもしれない。

どこか諦めのような気持ちも出てきた私は、

「分かった。だけど、もし気持ちが変わったら連絡して」

と伝えた。

馬鹿だなあ、自分。

何でその時に彼の手を離さなかったのか。

あれは神様がくれたチャンスだったのかもしれないのに。

ただ、その時に別れていたら可愛い我が子に会えなかったから。

結婚したこと自体は今でも後悔はしていない。


自分の心変わりはOK、でも相手には友情さえ認めない

夫にはジャイアン的思考があった。

俺は良くてもお前はダメ、みたいな。

それは私たちの人間関係においても遺憾なく発揮された。

結婚前の夫の心変わりにより、一度は別れかけた私たち。

その時はまるでこの世の終わりのような気持ちになったけれど。

夫の方はそんな様子を見て大げさだと言わんばかりの態度だった。

いつの間にかその問題も収束し、そろそろ結婚するかという話になった時。

仲の良い友達がお祝いしてくれることになった。

社会に出てから知り合った人で、ずっと定期的に連絡を取り合ってきた相手だ。

異性なのに話しやすくて色んな相談もした。

心を許せる相手で、大事な友達だった。

だから、お祝いしてくれると言われた時にはとても嬉しかった。

それなのに、その報告をしたら夫は怒って、

「非常識だろ!俺が話を付けるから連絡しろ!」

と息巻いた。

本当に訳が分からなかった。

何も心変わりをしたと言っているのではない。

『おめでとう』と言ってくれて、お祝いの食事を提案してくれただけだ。

それを夫は許さなかった。

「もし行くのなら覚悟して行け」

と語気を強めた。

しかも、

「二人で会うのは浮気だから。慰謝料請求するから」

とも言われた。

そんな風に言われたら、もう行くことなんてできない。

それ以来、携帯もチェックされるようになり、連絡も取れなくなった。

というか連絡先を消去させられた。

せめて最後に『今までありがとう』って伝えたかった。

それさえ言えないまま疎遠になり、とても悲しい気持ちになった。

あれから大分経ち、夫とは離れることができたが友人とは会えていない。

連絡する手段を全て失ってしまったことが悔やまれる。

2024年10月28日月曜日

被害者意識の強い夫

常に被害者面して世間を嘆くモラハラ夫

あれだけ好き勝手やっていたのに、夫は何故かいつも被害者意識の塊だった。

頑張ってるのに邪魔される。

世間が悪い。

こんな世の中じゃなかったら、もっと上手くいくはずなのに。

そうやって不遇の時を過ごしているのは全て周りが悪いのだと思い込んでいた。

だから自分を顧みることもなければ改善しようと努力することもない。

ただひたすら周りのせいにして、世の中が変わるのを待っているようだった。

それをずっと間近で見てきて、『この人は永遠に変わらないんだろうな』と思った。

納得できないあらゆることを全部周りのせいにしているだけでは何も変わらない。

そんな簡単なことが夫には分からないようだった。

でも、『あなたの考え方はちょっと違うと思うよ』なんて指摘したらそれこそ大変だから黙って聞いていた。

黙って聞いていると夫は都合の良いように解釈した。

非常に狭いコミュニティの中で過ごしていた夫。

周りには反対してくれる人が誰もいない。

多分、それも良くなかった。

誰も反対しなければ、自分が正しいという自信を更に強めてしまう。

その結果、少しでも自分の考えに合わなければ一切受け付けなくなった。

これ、めちゃくちゃ大変なことなんですよ。

特に一緒に暮らしている身としては。

何でもかんでも夫に合わせなければならないけれど、時には合わせられないこともある。

そうすると、物凄い非常識な人間のように扱われる。

まるで犯罪者のような目で見られ、『そんな考えて今までよく平気で生きてこられたね』と攻撃される。

そして最後には、『家族にも理解してもらえない俺って可哀そう』となる。

こういう時だけ家族の枠に入れられても困るんですけどね・・・。


社会に対して常に攻撃的

社会に対しても常に攻撃的だった。

口を開けば文句ばかり。

あまりにも文句ばかりだから、正直言って気分が悪かった。

家に居る時くらいは心穏やかに過ごしたい。

それなのに家の中が一番気を遣って疲れるなんて。

夫の方は当然の主張をしているだけ、という認識なのでそれが周りの迷惑になっているとは考えていない。

社会への不平不満を言い続け、その間ずっと現実から目を逸らし続けた夫。

客観的に見て、普通の社会生活を送ることは難しいように思えた。

普通の人ならスルーするようなことに対しても猛烈な怒りを持ってしまうんだから。

『えっ、そんなことで怒るの?』と驚くこともしばしばあった。

怒りの沸点が低いこともあるが、マイルールがガチガチ過ぎてあらゆることに怒っているように見えた。

ああいう人がそばに居たら極力関わらない方が良い。

私だって家族でなければそうしていた。

だけど、いつも家に居るんだから。

どう頑張ったって避けようがない。

家の中では訳の分からないことで文句を言われ続け。

外では見ず知らずの人に当たり屋のようないちゃもんをつけるんじゃないかと冷や冷やし。

本当に心の休まる時間などなかった。


夫の元同僚曰く、上司に対してもキレていたらしい

以前、夫の元同僚と話す機会があった。

その人は笑いながら、

「上司にも本気でキレるからハラハラしたよ」

なんて言っていた。

その時は笑っていたけど、全然笑える話じゃない。

正義感あふれる人が間違ったことをする上司に怒りをぶつけるのならまだ分かる。

でも、夫の場合はそうではなかった。

よく分からないことで怒ることが多かったらしい。

同僚から見ても分からないんだから、上司も意味が分からず驚かれたことだろう。

そういう人なのだ。

今思い返してみると、夫は異様にプライドが高かった。

そのプライドが少しでも傷つけられるとこの世の終わりのような被害者面をして攻撃していた。

あと、ないがしろにされることも嫌った。

相手はそういうつもりでなくても、状況的にそう見えてしまうことがある。

後からきちんと説明しても、一度夫が『ないがしろにされた!』と感じたら決して相手を赦さなかった。

本当に面倒くさい人なのだ。

そのくせ、自分が誰かを傷つけることに関しては非常に鈍感。

子どもや私は扱いが難しい夫と長く暮らしてきて、常に人の顔色をうかがうようになってしまった。

少しの変化でも不安になってしまうのは今も変わらない。

2024年10月27日日曜日

自分の認めた人にだけ親切にするモラハラ夫

自分の家族と友人は別枠

人に対して非常に厳しい見方をするモラハラ夫であったが。

自分の家族や友人に対しては違った。

明らかに別枠だった。

この家族というものの中に、もちろん私は含まれていなかった。

夫の両親と義兄だけだ。

根が自分勝手なのでこの人たちに対しても気に障るようなことを言ったりしたりするのだが。

不穏な空気になっても、自分から関係修復を試みていた。

こんな風に下手に出るのは、相手に対してリスペクトする気持ちがあったためだ。

会話の中でことあるごとに褒めるので、よく知らない時は両親や友人たちが素晴らしい人格者なんだと思っていた。

確かに悪い人たちではないけれど・・・。

他の認めてもらえない人たちとの違いが全く分からなかった。

長年ずっとそれが不思議で、私の関係者ばかりがターゲットになることに不満もあった。

だけど、ある瞬間『あぁ、この人は自分の内側の人・外側の人で区別してるだけなんだ』と分かった。

内側の人に義両親や義兄が含まれているのは、まー当然と言えば当然のことだと思う。

でも、そこに私は入れてもらえなかった。

結婚したら一番近くに居るはずなのに。

しかも、滅多に会わない友人でさえ入っていると言うのに。

そのくせ、私や私の両親、姉家族に対しては明らかに否定的な見方をしていた。

つまり、私を含めた親や姉は外側の人だったのだ。

それを考えたら、私の友人に対して辛辣になるのも当然か・・・。

このことを理解して夫の言動を観察してみると、全て納得がいった。


外側の人には全てにおいて否定的

外側認定された人への評価は大変厳しい。

私なんて、いつも一緒に居るのに外側カテゴリーに入れられていたのだから、その生活がどんなに窮屈なものだったかは説明しなくても分かるだろう。

最初からそうだったわけではない。

少なくとも結婚前はまだ内側に居たのだと思う。

夫視点では絶対に許されないようなことをしてしまっても笑って許してもらえている時があった。

だけど、気づいたら許されなくなっていた。

それどころか、生活の全てにおいてルールが設けられていて自由が無くなっていた。

少しでも決められた通りにできなければ罰が待っている。

その罰が怖くて、ひたすら夫の言うことに従う日々。

そんな生活を送っているうちに、夫の言うことが全て正しいような錯覚に陥っていった。

毎日夫の指示通りに完璧に過ごしたいのだけれど、やっぱり時々ミスをしてしまう。

ミスをしたのは自分のせいだから、次からは絶対に同じミスをしてはいけないと気を引き締めた。

怖いのは、前日までOKだったことが翌日にはNGになっていることだった。

それまでは普通にやっていたことが次の日からは禁止されてしまう。

急にルールが変更されることに慣れなくて失敗してしまうことが多々あった。

このルールというのが曲者で、夫の気分一つで変わってしまう。

だから、OKだったことがNGになり、その後にやっぱりOKになるというようにコロコロと変わることもあった。

そのたびに戸惑い、間違えてしまう私。

そういう時、夫は言葉には出さないけれど『お前はバカだな』という感じで冷たい態度を取った。

思い返してみると、夫の言動の裏にはセットで『お前はバカだから』という気持ちが隠れていたように思う。

私はプライドの高いタイプではないのでそう思われること自体は構わないが。

一生懸命やっているのにそんな態度を取られるとやるせなさを感じた。

人間関係においても、夫は気まぐれだった。

少し前までは『良い奴だ』と褒めちぎっていても、ある時急に否定的な言動をし始めることがあった。

そんな時、『あっ、外側の人認定されたんだな』と思った。

一度外側に入れられた人は、二度と内側に戻されることはない。


大切にされなくても良い ただ人として尊重されたかった

どんなに頑張っても夫から認められることはない。

それなのに頑張らなければならない。

この矛盾。

終わりのない迷路に迷い込んだような気分だ。

結婚生活なんてどこもこんなもんだろう、なんて思いつつも周りを見回してみると皆幸せそうに見えた。

辛いことを隠しているだけなの?

それともうちがオカシイの?

社会人になって初めて付き合った相手が夫で。

他の人のことを知らなかったから。

『自分の問題だよね、何とかしなければ』と思ってしまった。

世間知らずだった私は、モラハラを隠した夫にとって格好のターゲットだったに違いない。

大学を出たばかりで仕事を覚えることにも必死で。

だけど色んな希望とか夢もあって。

キラキラした日々を過ごしていたはずなのに。

楽しかったことをほとんど思い出せない。

子どもが産まれてからも同じ。

幸せな時間を過ごしたはずなのに、苦しかったことや辛かったことばかりが思い出される。

もうどうにもならない、とある日動けなくなった。

何をすべきかが分からなくて人生を諦めかけたこともあった。

それでも踏ん張れたのは子どもが居たから。

モラハラ夫から逃げ出した時の私は、間違いなく人生で一番勇気を振り絞ったと思う。

2024年10月26日土曜日

心躍るインテリアライト

素敵なライトで暮らしに彩りを

この時期になると、美しいライトに心惹かれるようになります。

肌寒くなってきて、なんとなく温かみを感じるものを求めるのかな。

そういう商品ばかり見ているから、最近のあなたへのおススメはライトばかり(笑)

今は2DKの賃貸で暮らしていて、ライトも実用的なものを使っています。

現状ではなかなか取り入れられないのですが。

見ているうちに欲しくなってしまい、【いつか買おう!】という商品リストがたまってます。

インテリア関連は本当に見ているだけでも楽しいですよね。

私なんて、庭も無いのにガーデン用ライトなどもよく眺めています。

こんなのを置いたら素敵だなぁと妄想しながら・・・。

カフェに置くようなモダンなタイプが基本は好きですが、家の中で眺める商品も捨てがたいです。


最近見つけたのはコレです。

LEDカラーは7色(赤・緑・青・黄・水色・紫・白)で、自動変換モードも搭載されています。

クラゲって見ているだけで癒されませんか?

水族館でもクラゲは人気がありますが、これなら自宅でいつでも楽しめます。


癒し効果抜群なのが、こちらのヒマラヤ水晶岩塩ランプです。

ヒマラヤ岩塩鉱山から掘り出された天然岩塩が使われていて、現地の職人さんが一つ一つ手作りしています。

都会の喧騒や人間関係のストレスに疲れた時なんかに効果がありそうですね。

マイナスイオン発生させるため安眠効果も得られますし、空気も綺麗にしてくれます。

まだまだ、あります。

最近このような商品ばかり見ているので、おススメに素敵な物がどんどん出てくるんですよ。


卓上に置いておけば色とりどりのくらげがフワフワと目の前でゆらめき、癒しをもたらしてくれます。

LEDライトが6つのパターンで自動的に変化。

お気に入りの色で固定することも可能です。

コンパクトなので置き場所に困りませんし、小さくても圧倒的な存在感で幻想的な癒しを演出してくれます。


こういうのに惹かれてしまうのは、やっぱり素敵なお家への憧れがあるからだと思います。

我が家は現在、実家の問題で家を探さなければならない状況ですが・・・。

資金的な面でなかなか進みません。

本当はできればこんなライトが映えるようなお家に住みたい。

そこで過ごす自分を想像したりしながら商品を眺めています。

私は癒し系を求めることが多いのですが、一般的にはモダンで実用的なものの方が良いというという人が多いのではないでしょうか。


【落ち着いた雰囲気の隠れ家的なレストラン】のような雰囲気のライトです。

シンプルな形ではありますが、部屋に浮かぶシャボン玉のような灯りが暖かな気持ちにしてくれます。

実際に購入した人の写真を見ましたが、一般のお家でもとても素敵に映えます。

こういう商品は購入ページの画像と実際に使った時のイメージがかけ離れていることも多いので注意が必要ですが、こちらのペンダントライトにはその心配は無さそうです。


この北欧風のペンダントライトには、実は一目ぼれでした。

よくありそうでいて、なかなか見かけないライトだと思いませんか?

クリアガラスにはビーチ、ブラウンガラスにはオークを使用していて2色展開になっています。

コードのねじれも可愛いですし、ブラウンガラスには独特の雰囲気があります。実際に取り付けられた写真を確認してみると、まるでカフェのような雰囲気でした。お家カフェを楽しむ人にピッタリの商品ですね。


レトロなステンドグラスが美しいこのペンダントライトは、一面一面はんだ付けして作られたハンドメイドの商品です。

ヨーロッパのヴィンテージ品のような趣があり、独特の陰影が生まれ美しい光の表情を見せてくれます。

オシャレな空間を作りたいのなら、断然多灯で取り入れるのがおススメです。

色々な楽しみ方ができるライトであり、高さを揃えても良いですし、あえてバラバラに吊るすのでも味わいがあります。

点灯・消灯で表情が変わり、点灯時には柔らかい光が心地良い空間を演出してくれて、消灯時にはオブジェのような楽しみ方もできます。


メルヘン映画や童話に出てきそうなすずらん形のライトはいかがですか。

可愛らしいライトで、お部屋をキュートに演出しましょう。

最大3灯式にできて広いリビングにも最適です。

縁部分には高級感のあるレース編みのブレードが使用されており、優しい雰囲気のお部屋になります。


【番外編―パンプキン ペンダントライト】

もうすぐハロウィンですね。

子どもたちが見たら大喜びしそうな商品をご紹介します。

とても個性的で温かな雰囲気のこちらのライトはかぼちゃがモチーフです。

丸いフォルムがキュート!

実は、デザインだけでなく実用面でも優秀なんです。しっかりと明るさも確保でき、様々な環境で使えます。


いかがでしたか?

私はこうやって色んな商品を見ていると、どんどんこだわりが出てきてしまうのですが、どれも甲乙つけがたいくらい素敵です。

灯りを楽しむということは、暮らしを楽しむことでもあります。

お家時間を楽しむために、お気に入りのライトを探してみましょう。

2024年10月25日金曜日

実家に帰りづらい

いつの間にか孤立

夫は私が両親や姉に会うことを嫌った。

もしかして告げ口されるとでも思ってたのかな。

もし告げ口されることを恐れていたのなら、言われるようなことをしなければ良かったのに。

特定の相手には威圧的で横柄な態度を取るくせに、変なところで気の小さい夫だった。

息の詰まるような日々の中で、子どもや私は気持ちを吐き出す場所が無かった。

義両親が毎週頻繁に我が家にやってきては

「自分たちに吐き出して」

と言うのだが、そんなことできやしない。

真に受けてほんのちょっとだけ夫のことを愚痴ったことがある。

どういう助言をくれるんだろうかと期待したが、聞いた途端に怪訝な顔をして、

「家族なんだから言いたいことを言わなきゃダメだ」

と何故か怒られてしまった。

ほらね。

だから言わない方が良かったでしょう?

そう思ったけど、子どもが可愛いのはどこの親も同じだと思うのでそれ以上は言えなかった。

夫に対して言い返せず、義両親にも言えない。

やっぱり両親や姉に聞いてもらうのが一番なのかもしれないが、それはそれで私の中で悪いことをしているような気持ちがあり、できなかった。

もっとも、そういう機会が与えられなかったから言えなかったというのもある。

実際に自由に交流ができていたらどうなっていたかは分からない。

家族にも言えないとなると、普通なら友人たちに聞いてもらうのが良いのだと思う。

だけど、それもできない状況に追いやられていた。

夫と一緒に過ごすようになり、少しずつ少しずつ親しい人との縁が遠のいていった。

仲良くしていても、ある日突然夫がその人の悪口を言い始める。

どれだけ悪影響かを切々と説き、付き合っていたら碌なことにならないと言う。

それを聞いてしまったら目の前で連絡を取ることができなくなり。

家に居る時に連絡が来ても返せなくなった。

万が一目の前でやり取りなんかしてしまうと、機嫌が悪くなって『俺の言うことが聞けないのか!』となるのでそれも怖い。

そうこうしているうちに一人、また一人と疎遠になっていき、とうとう誰も居なくなった。

仲良くなっても、どうせ夫に嫌味を言われて返事もできないから。

それならば最初から誰とも親しくならない方が良い。

私の心も段々と周りと関わることを拒絶するようになった。


「うちの親には感謝しろ」と言う夫

実家に帰りにくいと言っても、年に1回程度は帰省した。

そういう時には前もって入念に準備をして文句を言われないようにした。

直前に難癖をつけてきて阻止しようとすることも珍しくなかったので、特に予定していた日が近くなってくると私の方もピリピリしていたと思う。

攻撃されるような原因を作ってはいけない。

それだけを考えながら過ごしたと言っても決して大げさではない。

『コレが駄目だから行く資格なし』と平気で言う夫である。

もう両親にも『帰るよ』と伝えてあるのに、『お前たちが悪いから行けないんでしょう』といけしゃあしゃあと言う。

そのくせ、義両親がうちに来ると言っていた日に何か用事ができてしまうと物凄く腹を立てて機嫌が悪くなった。

『お前の親はどうでもいいけど、うちの親には感謝しろ』というスタンスの夫だったので、ある意味これは本人の中ではごく自然なことだったのかもしれない。

こんな偏った考え方をしていたにも関わらず、自分を寛大だと勘違いしていた節もある。

年に1度の帰省の時にもそれが表れていて、『帰らせてやる俺って偉い』という感じがにじみ出ていた。

偉くもなんともないと思うし、何なら事前に行かせないように画策することもあったくせに。

一体どんな考え方をしたらこういう結論に至るのかと頭が痛くなった。

おかしな人だと感じつつも、結婚するってこういうことなのかなと思ったりもした。

当時はとにかく怒らせないようにということだけを考えて生きていたので、帰省が決まってからはより一層慎重に行動した。


帰省前にやらなければならないこと

実家に帰省することになったら、やらなければならないことがいくつかあった。

例えば、その間の食事を作り置きしておくことは必須だった。

好物を考慮しつつメニューを考え、作って冷蔵庫や冷凍庫に入れておく。

夫はその時の気分で食べたいものを選び、レンジで温めて食べるだけだ。

最初の頃はどれくらいの量を用意すれば良いのかが分からず、失敗してしまったことがある。

十分に作り置きしたと思っていたのに、足りなくてコンビニなどに買いに行ったようだった。

その時は夫からではなく義父から注意を受けた。

「実家に帰るなとは言わないけど、(夫)のことももう少し気にかけてやって」

と言われ、何だか物凄く悪いことをしてしまったような気がした。

夫は定期的に通院していたのだが、その予約を取るのも私の役目だ。

帰省中に通院の予定がかぶると事前にきちんと予約を入れておかなければならない。

夫の希望を聞きつつ病院に連絡を入れて、直前まで夫の予定に変わりがないかを確認する。

体調が悪い時に急に行けなくなるのは仕方がないけれど、夫の場合は機嫌一つで行かないこともあった。

せっかく取った予約なのに。

先方に謝りつつ次の予約を取るために動いている時には本当にアホらしくなった。

帰省中は義父や義母が泊まりに来ることも多く、その間の用意も私の役目だった。

「必要なものを聞いて用意してやって」

と言われ、その通りにした。

指示されたことを卒なくこなすだけのロボットみたい。

そこまでやって、ようやく渋々帰省を許された。

実家に居る間だって夫のことから完全に解放されたわけではない。

毎日何度か連絡を入れることを求められた。

しかも、夫側からは普段はめったに連絡してこないくせに、帰省中に限って連絡を入れてきた。

それに出られないと信じられないほど怒り狂うので、電話にはいつも気を付けていた。

あまりにも頻繁に電話をチェックしているので、両親には不審がられた。

2024年10月24日木曜日

2度目の家出から戻った後の事

迎えに来た義父母

2回目の家出をした翌日。

戻らなきゃならないことは分かっていたのに、まだ帰りたくないと思ってしまった。

せめてその日だけはもう少し自由に過ごしたかったけど・・・。

義父母から電話があって、『早く戻った方が丸く収まる』と言われ迎えに来られてしまった。

場所を教えなければ良かったとも思うのだが。

その後のことを考えると色々と面倒くさかった。

『せっかく二人のことを思って迎えに行ってあげると言ったのに』と何度も蒸し返される未来が容易に想像できた。

その時、義父母は

「今なら一緒に謝ってあげるから」

とも言った。

謝るって何を?と思ったが言わなかった。

きっと義父母の中では悪いのは私で夫が被害者なんだ。

結局最後は息子の肩を持つのね、と落胆しつつも押しの強さに負けた。

子どもはそのまま遊べると思い込んでいたので、物凄くゴネた。

「まだ遊びたかった~」

と義父母にうったえていたが、無碍なく却下された。

「そんなこと言ってるとパパが怒っちゃうよ」

という言葉と共に。

この発言を聞いたん途端、子どもは黙って駄々をこねるのを止めた。

その後更に

「遅くなったらパパも寂しいし、(子ども)ちゃんだって大きな声で怒られたら嫌でしょう」

と言った。

そりゃー嫌に決まってるよ。

だいたい普段から意味の分からないことでキレ過ぎなんだよ。

子どもが悪くなくても怒りっぱなしじゃないか。

それに、今回の家出の件で子どもには何の非も無いことは義両親だって分かってるはずなのに・・・。

色々と言いたいことはあったが、どうせ何を言っても変わらないのだからと言葉を飲み込んだ。


不気味なモラハラ夫

義父母に連れられて渋々帰宅した私たち。

迎え入れたモラハラ夫は非常に不気味だった。

顔を見た瞬間に怒鳴られると思っていたのに、予想外にニコニコしていた。

何も楽しいことなんて無いのにこんな笑顔を向けられると本当に困惑した。

百歩譲って子どもや私が帰ってきたことを喜んでいるからだとしても。

こういう場合、夫は嫌みの一つでも言わなければ気が済まない質である。

それを、何も言わずただ機嫌良く迎え入れるなんて。

正直言って想定外だった。

だから、入る瞬間には身構えていたものの、その顔を見たら拍子抜けしてしまった。

義父母はと言うと、一見すると円満に見える私たち家族を満足そうに眺めていた。

今回は自分たちのお手柄だと言わんばかりに、

「困った時は私たちを頼ってくれれば良いんだから」

と繰り返し言った。

とりあえずは怒鳴り散らされるよりマシかな。

違和感を感じつつも好意的に受け止めようと思ったのだが・・・。

この時、私の直感は【危険】を感知していた。

このままで終わるはずがない。

一体何を考えているの?

考えれば考えるほど不安が大きくなり、夫に対する不信感も膨らんでいった。


義父母が帰った後に豹変

何となく感じていた不安は、すぐに現実のものとなった。

義両親は私たちを送り届けた後、『問題事は片付いた』という感じですぐに帰って行ったのだが。

二人に「今日はありがとう」と伝えて玄関のドアを閉めた途端、すぐに豹変した。

直前までのにこやかな顔とは打って変わり、鬼のような形相でため息をつく夫。

何度も何度も深いため息をついて、私を見ながら舌打ちした。

あまりの豹変ぶりに理解が追い付かず、ただひたすら『どうしよう』と狼狽えた。

子どもは少し離れた場所に居て、気づかずに遊んでいた。

こんな時、何をしても不正解な気がして身動きがとれない。

既に怒っているこの人を更に怒らせる未来しか想像できない。

だから何もせずに嵐が過ぎ去るのを待つのだが。

黙っていれば許されるというわけでもなく、大抵は更に苦しい状況に追い込まれた。

「どういうことか説明しろよ!」

怒鳴られた瞬間、私はビクッとして夫の顔をまじまじと見つめた。

本当は目を逸らしたかったけど、そうさせない圧を感じた。

実は義父母が我が家に居る間の数分は、これまでのことが嘘のように優しい夫に戻っていた。

穏やかな落ち着いた口調で話していて、時折笑顔で冗談を言ったりしていた。

付き合い始めの頃のイメージのままだ。

あの頃は、よく気が利いてさり気ないフォローをしてくれる人でもあった。

出会った頃のイメージのままの夫を見て、変わってくれたのではないかと錯覚してしまった。

けれど、目の前で凄んでいる夫は私がよく知っている夫だった。

些細なことでキレて怒鳴り、気が済むまで当たり散らす。

子どもにだって容赦しない今の夫そのものだった。

豹変ぶりがあまりにも恐ろしくて頭の中は真っ白になったが、それでも震える声で家を出た理由を懸命に伝えた。

夫がいつもキレることが怖くて安心して暮らせないことや、子どもにまで影響が出ていること。

義両親との同居の件も、納得できないまま進んでいて不安なこと。

思いつくまま色んな話をした。

そして、『このままでは一緒に居ることは難しい』と伝えた。

私にしてみれば長年思っていたことで、夫側も分かっているはずだと思い込んでいた。

それが、言われた途端に驚いたような顔をされて戸惑った。

もしかして無意識に私たちを傷つけてきたの?

同居の件も本当にそれが一番良い選択だと考えて提案していたの?!

てっきり夫が自分に都合の良いように話を進めたがっていると思っていただけに、もしそうだとしたら衝撃の事実だった。

伝え終えた後、夫は『分かった』と言って、そのまましばらく黙り込んだ。

そこからがまた困惑したのだが、急に義両親が居た時みたいに穏やかな夫に戻った。

時間にしたら全てが数十分の間に起こったことだった。

まるでスイッチのオンとオフが切り替わるみたいに変わる夫。

優しく穏やかになってくれるのは嬉しいけど。

その変わりぶりが怖くて怖くて仕方が無かった。

すぐに終わると思ったこの優しいモードはしばらく続いた。

でも、その後はやはり完全なモラハラ夫に戻ってしまった。

豹変してからの夫のモラハラのレベルは以前とは比べ物にならないもので。

それまでも散々悩んできたのだけれど。

前の方がまだ幸せだったと思えるような人に変わってしまった。

2024年10月23日水曜日

給料日まで米無し、麺無し、残金無し

お米が高い

最近、お米が高いですね。

我が家で購入するのは5kgですが、5kgだと安いものでも3千円以上。

前は千円台で買えたこともあったのに。

本当に高くなった!!!

これが適正価格なのよ~なんていう人たちも居るし、コストも上がっているみたいだから確かにそうなのかもしれない。

コストに見合わない価格をつけていたら、そのうちお米農家が居なくなって困るのは私たちだ。

だから、値上げはごく自然なことだとも思う。

分かっているけど、主食が高くなるのは正直堪える。

給料日まであと5日というタイミングで、残りは3合程度だった。

3合って3回分。

我が家は1回あたり1合のお米を食べている。

25日のお給料が出るまで3回しかお米を食べられないなんて。。。

土日には既に怪しかったので、乾麺の素麺とか蕎麦を食べた。

素麺はにゅう麵にしてキャベツと人参、卵を投入。

蕎麦は揚げ玉とネギ、卵を投入した。

見た目はそこそこ美味しそうにできたし、実際に美味しかったんだけど・・・。

すぐお腹が空くんだよね。

なんかお腹が空くと心まですさむ。

しばらくはお米の高騰が続くらしいので、食費を見直さなければ。


食費の残りが千円

食費が残っていれば、お米を買うだけの話だったのに。

月曜日の時点で残りが2千円だった。

そして、水曜日の時点で千円。

我ながら善戦している。

以前買いためておいた食材も上手く活用しながら乗り切れていると思う。

しかし、ここで問題が!

おかず用の食材を買いためていても、お米がないと話にならない。

おかずだけ作ってもねぇ。

かと言ってお弁当を買うお金も無い。

だって千円しか無いんだから。

無い無い尽くしだよ、詰んだ・・・。

そうは言っても何も食べないわけにはいかないので、以前冷凍しておいた肉まんを食べた。

明日はどうしようかな。

ちなみにクレカは持ってません。

クレカの人は今現金を持ってなくても買えるから良いなぁと思うんだけど。

あれは余裕がある人が持つべき物だと思う。

今月の分が払えるかギリギリなのに、現金でのやり取りがないからと買いすぎてしまったら後から大変になってしまうから。

そういう考えで今日まで作らずにきたけど、今回ほど作っておけば良かったと思ったことはない。

今月は本当に給料日までが長かった~。

今週の節約がすご過ぎて、その反動で金曜日に一気に買ってしまいそう。


養育費をください

単刀直入に言うと、そういうことですね。

養育費をください。

日本てほとんどの人がもらえてないんですって?

でも、それっておかしい。

もし、子どもかお金かを選択しなければならないのなら間違いなく子どもだけど。

これってそういう話じゃないよね。

夫にとっても可愛い子どものはず。

それなのに養育費を渋るってどういうことなの?!

うちは、離婚した後の最初の1年は数回ほど5千円を送ってきた。

これが養育費なのかと思ったら、【○○(子ども)のお小遣い】と書かれていた。

つまり、これは子どもへの物であってお前への支援じゃない、ということだ。

貯金があると言ってたし、実際に見せてもらったこともある。

しかも、離婚後は実家に帰って家賃も光熱費もかかっていない。

だから期待してしまった。

あの感じだと一銭も入れてないと思うのに、やっぱり私に渡すのは嫌なのかな。

中には強気で交渉したり弁護士さんに依頼するケースもあるらしい。

でも、我が家の場合には相手がモラハラ虐待夫なので、下手に関わって点火するとその後の自分たちの安全が危ぶまれる。

それならば、当ず触らずでいった方が安心できると思う。

2024年10月22日火曜日

戻っても地獄

家出の続行は不可能だった

明らかに計画不足だった。

言い訳になってしまうが・・・。

働きながら家のこともして更にいつも夫の目が光る状況で準備をするのは非常に難しい。

神経質な夫は些細な変化も見逃さないタイプだから余計に大変で。

準備をしていることを悟られてしまう可能性が高かった。

そういう時って全身から緊張した空気を発してしまうもの。

そんな空気に夫が気づかないはずもなく、よりリスクは大きくなってしまう。

本音を言えば、夫とは関わりのない世界で生きていきたかった。

だけど、この時は失敗に終わった。

子どもにとっては、つかの間の楽しい休日を過ごすだけになった。

それは本当に良かったと思う。

もう一つの良かったことは、久々に自由を満喫して『生きている』と実感できたことだった。

もう長い間夫と一緒に暮らしてきて、それがどんな世界だったのか忘れてしまっていた。


この時は気づいていなかったのだが、最大の弱点が意外と身近なところにあったことに後になってから気づいた。

それは家族に徹底的に隠す、ということだった。

自分たちがこんな生活をしていることは誰にも知られたくない。

ちょっとした知り合いもそうだし、子どもの関係で知り合ったママ友にも悟られたくはない。

それ以上に知られたくなかったのが両親や姉家族だった。

心配をかけてしまうから言えなかった。

こんな年になってまで家族に心配をかけるなんて。

そんなの絶対に嫌だと意固地になっていたのかもしれない。

実家からは少し離れていたから、秘密にすることは容易だった。

安心させたくて、ずっと幸せなフリをし続けた。

追い詰められて元気が出ない日でも、電話口の母に『大丈夫』と言い続けた。

そう言うことで本当に大丈夫になれたら良かったのに。

段々と嘘をつき通せないくらいに追い詰められていき、連絡さえ取れなくなった。


義両親が迎えに来て家出は終了

私たちが宿泊したホテルのすぐ近くにモーニングができる飲食店があった。

オーダーを済ませて待っている間、携帯を見ていたら電話がかかってきた。

義両親からだった。

【夫の泣き落としに負けた】&【早くも資金的に枯渇】という状況。

もう帰ることは確実だったので仕方なく電話に出た。

こちらは疲れ果てているのだが、義両親はやたらとテンションが高い。

「あいつも反省してたでしょ」

と何度も言って同調させようとしてくるところに圧を感じた。

何も言わずに聞いていたら、

「今どこ?迎えに行くから」

と一方的に言うので、慌てて

「もう少しここに居たい」

とお願いしても、

「こういう時は早く戻った方が丸く収まるから」

と却下された。

今日の残りの時間を楽しむことも許されないのね。

しかも、迎えに来るのは義両親なのね。

なーんだ、いつもと同じじゃないか。

この時は落胆もしたが、『やっぱりね』という諦めの気持ちも強かった。

まあ、夫に来られる方が嫌だけど。

こういう時は本人が迎えに来るのが筋ってもんじゃないの?と心の中で悪態をついた。

その後、予告通り義両親はモーニングを食べ終えた私たちの前に現れた。

「さあ、帰ろう!」

と急かすので、子どもは名残惜しそうに『え~』と声をあげた。

「パパ寂しがってるよ」

と言われても納得できないらしく、

「もうちょっと遊ぶ~」

と言って粘っていた。

だけど、義両親もかなり強硬的に進めるタイプなので強制連行のように連れられて帰宅することとなった。


可哀そうと思う気持ちが仇となる

お金の事とか準備不足とか色んな問題があったと思うのだが。

気持ち的な面も離婚の妨げになった。

夫は働いていなかったので、私たちと離れたらどうやって暮らすんだろうと考えてしまった。

子どものことも、可愛がる時間は確かにあった。

その光景が思い出されて可哀そうだと思ってしまった。

家族と離れて暮らすって辛いことだよね。

酷い夫だとしても、そんな思いを味わわせて良いの?

そんな風に同情心が出てしまったのだ。

自分が見捨てたら生きていけないなんて、そんなことはないのに。

私にできることなんて限られているのに。

それなのに、夫を見捨ててはいけないような気がした。

見捨てることへの罪悪感なのかな。

家を出ようと思うたびにその罪悪感が膨らみ、極悪人というレッテルを貼られるような感覚。

可哀そうという気持ちを振り切れれば良かったんだけどね。

それができずにズルズル。

そのうち、『苦しんでいる夫を見捨てるのは人間失格』とまで思うようになった。

そんなことをしたら私はもう終わり。

人として許されないことをしたのだから幸せになってはいけない。

一種の呪縛のようなものが私を締め付け、自分の命と天秤にかけるくらいの重い選択になった。

見捨てるということは、そのくらい私にとってハードルの高いことだった。

2024年10月21日月曜日

結婚後、初めての外泊

子どもと二人でホテルに宿泊

駅前にはいくつかのホテルがある。

観光客の人なんかも結構居たりする町で、宿泊する場所には困らなかった。

ただ、やっぱり高いんだよね。

その日一日泊まったら、翌日にはもう帰らなければならないくらいの金額だった。

あーあ。

こんなにワクワクして楽しむことができたのに。

もうゲームオーバーだなんて・・・。

久々に味わった自由は本当に尊くて、手放したくないと思ってしまった。

それくらい楽しかった。

多分子どもも同じ。

自由なんてほとんど味わったことのない子が、目をキラキラさせながらはしゃいだ。

二人でベッドの端に座ってしばし沈黙。

そこからは美しい夜景が見えた。

その光景を見ながらボーっとしていたら、突如言いようのない憤りや後悔がわき上がってきた。

これはもちろん自分に対してだ。

もっと早くどうにかできなかったのかと言われたら返す言葉もない。

上手く動けば離婚することだってできたはずなのに、というのも本当にその通りだと思う。

私がバカだったから、どんどん身動きが取れなくなって子どもを巻き込んでしまった。

今回のことで、『もしかしたら自由ってすぐ傍にあるのかも』なんて勘違いしてしまったが、そんなの錯覚だと分かった。

戻る場所はあの家しかなかった。

だけど、どこか諦めきれない気持ちもあって。

明日になったら信じられないような奇跡が起きて、そのまま夫の元に戻らなくて済むなんてことにはならないかな、なんて思ったりもした。

そんな都合の良いことを考えながら、その日は眠りについた。


夫からの大量の留守電

宿泊したホテルで目を覚まし、携帯の電源をオンにした。

前日に夫から一方的に電話を切られて、そのまま帰らないことを決めてからは、ずっとオフにしていた。

帰らないと決めていても、強く言われたら私は嫌々戻ってしまうだろう。

それが怖かった。

もしかしたらこんな風に自由に動ける日はもうやってこないかもしれないのに。

電源を入れると留守電が入っていることに気づいたが確認する気になれない。

聞いてしまったら『帰る』ことをハッキリと自覚してしまいそうで憂鬱になってしまった。

しかも、留守電は一件ではなくいくつも入っていて私をゲンナリさせた。

夫はどういう行動に出れば言うことをきかせることができるのかを知っている。

離れていてもコントロールされてしまうなんて馬鹿げてると思うのだけれど、どうしようもない。

でも、帰らなければならないのに聞かないわけにもいかなくて・・・。

気は進まなかったが聞くことにした。

最初の方は大声で怒鳴っているものばかり。

脅して帰らせようとしたのだろう。

耳から携帯を離していても聞こえるくらいの怒鳴り声だったので、少し距離をあけて座っていた子どもがビクッとしたこちらを見た。

「パパから?」

子どもは既に泣きそうな顔をしている。

その顔を見て更に後悔した。

私はなんてことをしてしまったんだろう。

二人で家出したといっても子どもは私に連れてこられただけだ。

しかも、まだ5歳。

何も分からず、ただ手を引かれてお出かけだと思い込んで楽しんだだけ。

前日の義父や夫との電話の後、知りたがっていたので分かりやすく今の状況を説明した。

その時初めて家出だということが分かったのだから、子どもには何の責任もない。

だけど、夫がそう思ってくれるだろうかという不安があった。

戻った後にどんな仕打ちが待っているのかも怖かった。

夫が許すはずがない。

そういう人だということは、私が一番よく分かっている。


電話口の夫は泣いていた

留守電の最初の方は全て怒っていた。

怒り狂っているという表現がピッタリな感じだったのだが・・・。

段々と声のトーンが下がって落ち着いていっていることが分かった。

数時間後の真夜中にかけてきた時には明らかに涙声だった。

弱々しい声で夫は言った。

「俺が悪かった。お前たちに直接謝りたい」

その言葉を聞いて、声が出ないほど驚いた。

だって、それまでに一度も謝られたことなんてなかったのだから。

どんなに自分が悪くても当たり前のように私を責めていた夫が泣きながら謝っている。

聞いた直後はとても混乱して、『これは本当に夫なの?』とにわかには信じられないような気持ちになった。

その後の電話では、

「二人が居なければ生きている意味が無い。帰ってきて」

と消え入るような声で言っていた。

夫が本当に改心したのかを確認する術はない。

もしこれが演技だったら、と思うと警戒してしまう。

だけど、口先だけだとしても謝罪してくれたことは事実だ。

これは大きな一歩なんじゃないの?

まだ信じたい気持ちもあったので、浅はかな私は良い方にとらえてしまった。

結局は帰った後に修羅場が待っていたんだけどね。

余談だが、子どもがこの件でペナルティを受けることは無かった。

それだけが救いだ。

2024年10月20日日曜日

家出に気づいた夫は激怒

恐怖でコントロールする夫

家出に気づいた夫は、荒れ狂う海のごとく激高していた。

義父と電話で話すまでは何か理由があって遅れていると考えていたのだろう。

でも実際には『帰らないつもり』で妻と子どもが出て行ったわけだから。

うろたえない方がおかしいのかもしれない。

ただ、『夫はやっぱり夫なんだな』とこの時強く実感した。

普通に考えたら、夫は窮地に追い込まれているはずだ。

優しい言葉の一つくらいかけたって良い状況なのに・・・

こんな状況でも恐怖で支配しようとしてきた。

第一声は、ドスの利いた声で、

「お前、自分が何してるか分かってんの?どうなるか分かっててやってんの?」

だった。

どうなるかなんて想像もしたくない。

ただ、バレた時の夫の反応から『戻る』という選択ができないことを悟った。

家を出たと言っても、心はあっちにフラフラ、こっちにフラフラ。

実際にどうしたら良いのか迷ってさまよっていた。

だから、夫が気遣う素振りを見せていれば戻る可能性だってあったのに。

夫はそうしなかった。

多分プライドもあったのだろう。

いつも見下している私に対して下手に出ることなんてできない。

馬鹿な妻の言い分を聞いてやるほど俺はお人よしじゃない。

夫の考えそうなことだが、こんな時まで自分のプライドを優先させるなんて、いざという時に本当に信頼できない人だなと思った。

いつも自分のことばかり。

私たちは都合の良い道具で気遣うべき対象ではないのだと痛感した。

本当はここで啖呵を切りたかったのだけれど、やはり夫に対する恐怖心もあって自分の思いを吐き出すことはできなかった。

その代わりに、

「ごめんなさい。でも今は離れて考えたいです」

とだけ伝えた。

いつも怒られている時はなぜか敬語になってしまう。

我が家には明確な上下関係があり、この先も対等になることはないだろう。

このような細々とした部分にそれが表れていた。

私たちが帰ってこないと分かり、夫は更に激高した。

そして、話している最中に電話を切られた。


駅ビルのベンチで固まる私たち

夫から電話を切られたのだから、私からかけ直す必要はない。

分かっているのに、『どうしよう』と泣きそうになった。

夫婦が対等な関係なら、こういう時に相手を怒ることができるのだろうか。

でも我が家は違う。

切られてしまった私が悪い。

なぜ怒らせたのかを考えて反省して、自分から修復のためのアプローチをしなければならない。

それはずっと変わらず私に課されてきた役割であり、放棄することなどできなかった。

何かしなければ。

考えようとしているのに、思考が停止してしまい何もできない。

そのまま電話を握りしめ、固まった私の横で子どももじっと何かを考えていた。

恐らく父親が怒っていることを察知して恐怖で動けなくなったのだろうと思う。

それからしばらくは携帯が鳴ることは無かった。

一気に食欲も失せて何もする気がおきず、ベンチに座り込んで遠くを見つめる私たち。

あれ?さっきまでは楽しかったんだけどな。

不安を打ち消すようにはしゃいだ数時間が嘘のように沈んだ気持ちになった。

もし夫が恐怖で何とかしようと考えているのなら、半分は成功だ。

楽しかった気持ちはすっかり失われ、何もする気が起きなくなってしまった。

でも、半分は失敗だと思う。

家に帰らせることを目的としているはずだけど、『帰らなければ』と思うことは無かった。

それよりも、『帰ったら大変なことになる』という気持ちの方が強かった。


計画が足りなかった

初めての家出の時と違って計画的に家を出たと思い込んでいたけれど・・・。

ふたを開けてみたら全然計画的ではなかった。

突発的ではなく事前に必要なものを準備して家出したという点ではそうなのかもしれないけど・・・。

『このままどこかに行きたいな。帰りたくないな』というフワフワとした気持ちで出たことは否めない。

こんなんじゃ夫のような緻密な人には太刀打ちできない。

この時、絶望感に打ちひしがれながらこの先のことを考えていた。

そして、ふとシェルターのことを思い出した。

そう言えばシェルターって一時的にでも保護してもらえるんだよね?

お休みの日でも話を聞いてもらえるのかな。

以前ネットで公開されている悩み相談を読んでいて、シェルターを勧められている人がいた。

私たちのようなケースでも受け入れてもらえるのかが気になっていた。

いつかどうにもならなくなった時の一つの候補としてずっと頭の片隅にあったことだ。

ただ、相談するにしても大きな問題があった。

それは証拠が無いこと。

証拠を取ろうとするといつも失敗してしまう。

夫は恐ろしく勘の鋭い人で、普段と異なる部分があれば瞬時に見抜かれてしまう。

そんな失敗をしたらそれこそ自分の首を絞めることになるから、なかなか動けなかった。

前に延々と暴言を吐かれた時に携帯で録音しようと試みたこともあった。

でも、『何やってんだよ!』と取り上げられてしまった。

それからは夫が更に警戒するようになり余計に動きにくくなってしまった。

だから、次は絶対に失敗できないと思っていた。

それでこちらも慎重になったわけだが。

慎重になればなるほど何もできなくなり、証拠も取れないまま時間だけが過ぎて行った。

2024年10月19日土曜日

家出は続行したい、でも連絡は入れるべき?

電話するのが怖い

子どもと楽しく過ごしていたら、あっという間に夕方になった。

まだお腹は空いていない。

ご飯前にもう少しブラブラしていようかな。

そう思ったけど、だいぶ足も疲れていることに気づいた。

どこかで休むか。

そう思って、駅ビル内のベンチのある場所まで移動した。

ちょうど一つ空いているのを見つけて、そこに座って荷物も置いて。

いつもの癖で何気なく携帯に手を伸ばしてハッとした。

電源が入ってない!

反射的に『マズイ』と思ってしまったのだが・・・。

よく考えたら自分で消したのだった。

それを一瞬忘れてしまい、酷くうろたえてしまった。

こういうところがダメなんだろうな、と思う。

夫に対してビクビクしているから、余計に強く出てくるのかもしれない。

分かっていても、こればっかりはなかなか直せそうにない。

これまでに何度も何度も怒られてきたから、反射的に身構えてしまう。

それは子どもも同じだった。

5歳になった頃には既に怒られてばかりいたので、『パパはコワイ人』というイメージがすっかり出来上がっていた。

普段はこんな時間まで連絡もなしに外出したことはない。

きっと怒っているだろうなと思うと余計に連絡ができない。

携帯の電源をオンにすることもできず、どうしようかとしばらく考え込んだ。

電源を入れたら留守電が沢山入っているだろうな。

留守電を聞いたら余計に怖くなって連絡しなければと思ってしまうだろうな。

そんな想像をしていたら、更に体がこわばった。

だけど、ずっと消息を絶っているわけにもいかない。

休み明けには仕事にだって行かなければならないし、着替えだってそんなに持ってきていない。

今日明日の分はあるとしても、これが何日も続くとなるとやっぱり問題が出る。

迷った挙句、携帯をオンにした。

起動に少し時間がかかり、その間震える手で握りしめながら画面を見つめていた。


電源オンの直後に着信―相手は・・・

携帯が立ち上がると、すぐに着信があった。

すごいタイミング!

もしかしたら、つながるまでかなり頻繁にかけていたのかもしれない。

相手が夫ではなく義父だったので、少しだけ安堵した。

これが夫だったら、たぶん周りの人が不審な目で見てしまうほど慌てていたことだろう。

私たちが家を出た時には夫は義父と一緒に外出していたので、恐らく一緒に待っていたのではないかと推察した。

ここで出て良いものかと迷うが、出なければ状況も分からない。

夫と直接話すよりはまだ良いかと思って恐る恐る電話に出た。

「もしもし~、どこに居るの?」

声色からは怒っている様子は伝わってこない。

むしろ、『どうしたの?』と心配している感じだった。

答えに詰まって何も言えないでいたら、義父は

「場所を教えてくれたら迎えに行くけど」

と言い始めて、それは困るので

「いえ、それはちょっと・・・」

と止めようとしたら、急に

「何か悩んでるなら言ってよ。みずくさい」

と言われてしまった。

いや、そもそも義両親のことも悩んでいたんだけど。

義実家を建て替えて同居とか、夫が働かない状況で義実家でみんなで暮らすとか。

そういうことも悩みの種になっていたんだけど?

『言わなければ伝わらない』というのはよく聞く話だが、こんな当たり前のことも伝わらないのかと思うと脱力した。


「帰ってくるよね?」と義父に聞かれて

電話口での態度から不信感をおぼえたのか、義父は

「まさか今日帰ってくるよね?」

と言った。

その言葉にギクリとなる私。

「帰って来なかったらアイツ困っちゃうよ」

と責めるように言うので、私も困ってしまって

「離れて少し考えたいんです」

と正直に答えた。

これは嘘偽りない本当の気持ちだ。

夫とこれからも一緒に居られるのかを一度真剣に考えてみなければと思っていた。

その言葉でだいたいの状況を察知した義父が、今度は

「それなら○○ちゃんだけ帰ってきたら良いよ。今から迎えに行くから」

と勝手なことを言い始めた。

そんなの絶対に受け入れられるわけがない。

夫と子どもが二人で過ごすなんて、嫌な予感しかしない。

子どもへの仕打ちを目の当たりにしているのに平気でそんな提案ができることに驚きつつも、

「私と一緒に居たいと言ってるので今日は二人とも帰りません」

とキッパリ断った。

「そんな勝手な」

とか色々言っていたが、それ以降はもう完全にスルー。

しばらく義父とやり取りしていたが、途中で義父と夫が話し始めた。

そして、夫のイラついた声が聞こえてきて、どうやら電話を代ろうとしているようだった。

マズイと思いつつ、切るに切れなくて向こうの様子をうかがった。

2024年10月18日金曜日

夫からの連絡を気にしつつ、自由を満喫した二回目の家出

楽しいランチのはずが・・・

予定通り、二人でパスタを食べた。

子どもは、『おいしいね、おいしいね』と言いながら、フォークでくるくると上手に巻いて口に運んだ。

途中までは何の問題もなかったのだが・・・。

もうすぐ食べ終えるという頃に、

「ママ!デザートたべたい!」

と言いながら手を振り上げた瞬間、それは起きた。

振り上げた手にはフォークが握られていて、そこから何かが飛んだ。

その飛んだ先を見ていたら、間違いなく子どもの服に着地していた。

「あぁ~、ダメよ。暴れちゃ」

そう言いながらふき取ろうとしたが取れない。

それもそのはず。

子どもが食べたのはトマトパスタで、濃いオレンジ色が淡い色の服に付着してとても目立っていた。

汚してしまったことに気づき、シュンとする子ども。

「怒られちゃう」

と言いながらうなだれた。

もし夫がこの場に居たら、間違いなく手が飛んできただろう。

でも今は居ないのだから安心なはずなのに、子どもは酷く落ち込んでいた。

このまま家に帰ったら、絶対に詰問される。

こういう時、夫は子どもを追いつめてしばらくは浮上できないくらいに怒った。

それが我が家の日常で、怒られない日は稀だ。

あまりにも落ち込むので可哀そうになって、

「後でつまみ洗いをしてあげるから大丈夫だよ」

と言った。

「きれいになる?」

と聞くので、

「たぶん大丈夫だよ」

と答えるとやっとホッとしたようだった。

実は以前にも食事中に服を汚してしまい、そのまま帰ったことがあった。

その時、夫は耳が痛くなるくらいの大声で、

「何やってんだよ!もうお前は出かけさせねーぞ!」

と怒鳴った。

それからもチクチクと『お前は何もできなくて手間ばかりかけさせるんだから、どこにも行くなよ。迷惑だから』と言い続け、子どもは反論もせずただじっと聞いていた。

それからしばらくは夫に用事を頼まれて買い物に出る時も、子どもに、

「迷惑だから行くなよ。じっとしてろ!」

と命令して、部屋の隅でただひたすら座らせていた。

そんな時は部屋の中を自由に歩くこともできない。

本などを取りに行こうとするとギロッと睨まれる。

それが怖くて隅っこで膝を抱えて過ごしたようだ。

あんな風にされたら大人だってビビッてしまうと思う。

せっかくの時間を満喫しようとしているのに、色んな場面で夫の影がちらつく。

自由を忘れてしまった私たちは、楽しむことに対してとても不器用だった。


ランチを食べた後は公園へ

ランチではちょっとしたハプニングがあったが。

夫の居ない貴重な時間を無駄にすることなんてできない。

私は落ち込んでいる子どもをくすぐって笑わせた。

最初は困ったような顔をしていたのだけれど次第に笑い始めて、最後は本当に楽しそうな笑顔に戻った。

「次は何をしようか」

そう言いながら手をつないで歩く私たち。

どこから見ても幸せな親子に映っていただろう。

実際にこの時はとても幸せに感じた。

何もおかしなことなんて無いのに、二人で顔を見合わせては笑った。

優しい時間だった。

お腹もいっぱいになって歩いていたら、近くに公園があることを思い出した。

そこは近くにちょっと変わったショップもあり、前々から行ってみたいと思っていた場所だ。

子どもに聞いてみたら『良いよ』と言うので、途中でクレープを買って公園に移動した。

到着後は、座ってクレープを食べた。

その時にまたしてもハプニングが発生!

クリーム部分がボロッと落ちて危うく子どものシャツに落ちるところだった。

間一髪のところで私が素手でキャッチして事なきを得たが、危なかった。

私の方はヒヤッとしたのだが、『キャー』と言いながら手を差し出した私がおかしかったようで、子どもは声をあげて笑った。

家に居る時はいつも小さな声で話しているけど、本当のあなたは違うんだよね。

本当はもっと元気で活発で、コロコロとよく笑う子なんだよね。

無邪気な子どもの様子を見ていたらたまらなくなり涙が出そうになったが、何とかこらえた。

せめて今日だけは楽しい一日を過ごさせてください。

そんな祈るような気持ちだった。

2024年10月17日木曜日

夫が留守の間に家を出た私たち

もう帰らない

一度目の家出の時には子どもはまだ2歳くらいだった。

小さな手を引いて、不安な気持ちで歩いた道。

同じ道をもう一度歩いていた。

あれから数年が経ち、子どもはもう5歳になっていて、いつもとは違うことにすぐに気づいたようだった。

「ママ、どこに行くの?」

眉毛をㇵの字にしながら私の顔を覗き込む子ども。

先程から『どこに行くのか』と何回も聞いてくる。

お出かけは大好きなはずなのに、きっと不穏な空気を感じ取ったのだろう。

まさか馬鹿正直に『家出するんだよ』なんて言えないから。

「今日はお出かけしようね」

とだけ伝えた。

「楽しみだねぇ~。お昼は何を食べようか」

とあえて高めのテンションで話しているうちに、子どももすっかりその気になったようだった。

そう、それで良い。

いつもと同じように過ごしてくれた方が私も気が楽だ。

本当は常にこれからのことが気になっているのに、子どもを不安にさせたくなくて無理やりはしゃいで笑顔を作った。

実は、お財布の中も心許なかった。

お給料日前ということもあったのだが、その月は余計な出費が重なって安心とは言えない状況だった。

お昼は少し節約しなくちゃなぁ。

そろそろ義父と夫は帰ってきたかな?

家に私たちが居ないことに気づいただろうか。

そんなことをつらつらと考えていたら駅が見えてきた。

うちの子は電車が大好き!

電車を見た途端、テンションはマックスになって、

「あっちに行こう!」

と私の手を引っ張った。

何をしたいのかは分かっている。

車掌室が見える場所まで移動したいのだ。

お出かけの時はいつもそうなので、この時も同じように端の車両に乗った。

間もなく電車が到着して乗り込み、子どもは背伸びをしながら車掌室をのぞきこもうとしていた。

でも、子どもの身長では見えない。

だから、わきの下を持って持ち上げたら、

「わぁ~!!!」

歓喜の声をあげ、飛び切りの笑顔を見せてくれた。

この笑顔を見るために私は毎日頑張っている。

どんなに辛いことがあっても子どもが幸せなら私も幸せだ。


初めて携帯の電源をオフにした私

いつも夫の顔色を伺って怒らせないようにしてきた。

連絡がつかないことをとても嫌がったので、携帯の電源を切るなんて論外だ。

それまでの私だったら決してそんな選択はしなかった。

でも、二回目の家出の時、とうとう電源をオフにした。

私にとっては初めてのことで、それがどのような結果をもたらすのかは分からない。

少なくとも何事もなく無事に済むとは思えなかった。

それでも連絡を取る手段を無くしてしまいたくて、恐る恐る切った。

その時はもう、手が震えて持っていた携帯を落としそうになったほどだ。

呼吸も浅く、緊張の極限といったところだろうか。

でも、切った後はこれまでにない開放感を感じた。

とにかく今は安全なのだから楽しまなくちゃ損だよね。

そう思って可愛い雑貨屋さんに入ったり、食品店で小さなお菓子を買ったりした。

まだ午前11時ごろで、お昼には早い。

少し駅の中をブラブラと歩いて、その後は外のお店まで足をのばした。

こんな風になるべく家のことを考えないようにしていたら、段々と周りの風景が目に入るようになっていた。

笑顔で行き交う人々を眺め、今日は私たちもみんなの仲間入りだ!と思ったら嬉しくなった。

私が嬉しそうにすると、子どももより元気になるから不思議だ。

お昼の候補になりそうなお店も見てまわって、子どもが

「パスタが食べたい」

と言うのでイタリアンのお店に入ることに決めた。

いつも顔中オレンジ色になるから避けようとするんだけど、子どもはトマト系が好きなんだよね。

洋服を汚すと怒られちゃうし・・・といつもの思考に陥りそうになってハタと気づいた。

そうだ。今日はそんなこと気にしないで良いんだ。

子どもの食べたいものを食べさせよう。

たったそれだけのことなのに、この上ない幸せを感じた。

2024年10月16日水曜日

計画的だった二回目の家出

日に日に追いつめられていった私たち

子どもにも私にも逃げ場が無かった。

保育園の頃は、迎えに行って途中で買い物をしてから帰るまでが二人の時間。

窮屈で息苦しい日々の中でも大切な時間だった。

赤ちゃんの頃から、まだろくに返事もできない子どもに向かって話をしながら帰っていた。

他に話せる人など居ない。

表面的につながっている人は居たけれど、こんな重い話ができるはずもなく。

私も変に取り繕ってしまって、悟られてはいけないという気持ちが強かった。

きっと悟られたら『可哀そうに』という目で見てくるだろう。

これまでは対等に普通の話ができていた相手でも、途端に哀れみの対象になってしまう。

それがたまらなく嫌だった。

可哀そうに思われたくなくて取り繕っても、所詮中身は空っぽだ。

満たされない心は既に悲鳴を上げていた。

怒鳴られるたびに、もう逃げ出したいと思った。

夜中に説教されるたびに、家を出たいと思った。

幼児なのに一緒に聞かされていた子どもにとって、どんなに苦しい時間だっただろうか。

家の中で夫が絶対的な力を持ち全ての権限を握るという歪な環境は、私たちを存分に苦しめた。

その日、また夫を怒らせて夜中の十二時を回る頃まで詰め寄られていた。

そういう時にはいつも、

「お前はどう考えてるんだ!自分の考えを言え!」

と怒鳴られるのだが、言ったところで受け入れられることはない。

酷い時にはまだ話している最中なのに遮られて、

「そんなこと聞いてねーんだよ!」

と打ち消してくる。

最後まで聞いてくれたとしても結果は同じだ。

「お前の言っていることは全部間違ってる。よくそんなんで口ごたえできたな!」

とせせら笑うのが常だった。

夫と付き合い始めてからはもう自尊心なんていうものは無くなっていたので、笑われることは一向に気にならなかった。

ただ、何を言っても受け入れてもらえないことが辛くてたまらなかった。

あの日、このままではいけないと感じて最後まで夫に抵抗した。

それが良くなかったのだろうか。

急に夫が暴れ出して、

「何でも俺のせいにしやがって!ふざけんな!」

と怒鳴りながら物をなぎ倒した。

恐ろしくてそれ以上言えなくなったが、そこから逃げ出すこともできなかった。

逃げ出したら、余計に暴れそうな気がしたからだ。

目の前で起こる惨状を、まるで遠いどこかで起きている出来事のような気持ちで眺めながら思った。

もう終わりにしよう。

これ以上は頑張れない。

でも今は、とりあえずこの場を収めなければならないから。

恐ろしい力で物に当たる夫に何度も『ごめんなさい』と言った。

私の言葉が耳に入らないのか、夫はそれからしばらく暴れ続けた。

数分ほど経ってからようやく止まり、ジロリとこちらを睨んでから部屋を出て行った。


家に帰りたくない

修羅場がようやく終わったと言っても、夫はキッチンに移動しただけだ。

たったの5歩で、またここに戻ってきてしまう。

全てこの小さな家の中で起きること。

いつも夫の姿が目に入るし、不機嫌にはなってはいないかと気にしながら過ごすので精神的に疲れていた。

こんな生活をずっと続けることはできない。

私は終わらせる方法を考え始めた。

子どもはまだ怒られた時だけしょげているが、少しすると忘れてしまって夫に話しかけている。

これが数年経ったら、もう夫のしていることを全て理解するだろう。

その前に何とかしなければと思った。

夫が暴れた日はちょうど金曜日で、翌日からは連休だった。

前々から買い物に行くと伝えてあったので、とりあえず外出することはできる。

ただ、いつもの外出なら午後の3時くらいになると『早く帰ってこい』という連絡が入る。

家を出るのは大体朝の10時頃だから、用事を済ませてお昼をとっているとあっという間だ。

ゆっくりできたという感じでもなく、慌てて家に帰ることになる。

暗がりの中で子どもの寝顔を見ながら悩んだ。

そのまま家を出てしまおうか。

もう帰らなくて良い、ということになったらどれだけ素晴らしいだろうかと想像した。

夫の顔色を伺うこともなく、怯えることもない。

心から安らげる世界を想像していたら涙が出てきた。

これまで夫に言われたことを守り、注意されたら同じ失敗をしないようにと頑張ってきた。

でも何一つ認めてもらえない。

それどころか、どんどん厳しくなっていって、『どうしようもない馬鹿だ』と言われるたびに心がズンと重くなった。

気づかないうちに傷ついていたのかもしれない。

自分では平気だと思っていたことが平気ではなかったということなのかも。

迷いながらも、私は外出セットに貴重品を潜ませた。

子どもの服もこっそり入れて、銀行通帳も持ち出した。

その時はもう、帰りたくない一心で準備をしていた。

2024年10月15日火曜日

運動会は悲しい思い出ばかり

保育園の運動会は悲惨だった

子どもにとっては生まれて初めての運動会だった。

まだ1歳でほとんどできることは無いのだが。

親子でできる競技が用意されていて、それなりに楽しんだ。

保育園で用意してくれた催しに関して悪い思い出は一つも無い。

しかし、この時も夫が最悪だった。

早朝にお弁当作りをしていた私。

いつもはもっと遅くに起きてくるから気を抜いていたら、音もなく近寄ってきて、いきなり

「ったく、こんなメニューで誰が食うんだよ!」

という意味不明な難癖をつけてきた。

食べるのはもちろん子どもだ。

だって子どものための運動会なのだから。

まだ小さいから、消化が良くて優しいメニューにしたつもりだった。

きちんと好みも考慮して喜びそうなものを選んだつもりだ。

前日に下ごしらえをしたりして、自分なりに頑張った。

それなのに、当日の朝にギリギリに起きてきた夫はそのお弁当を見るなり、

「少しは考えろよ!」

と怒り出した。

意味が分からず、

「子どもと考えたメニューなんだけど?」

と答えたら、

「俺はそんなのは食えねーよ!」

と怒鳴りつけてきた。

別にあなたに食べてもらおうなんて思ってはいない。

ただただ子どもに楽しんで欲しいだけ。

そんな気持ちで、

「今から別のものを用意するから、お昼に温めて食べて」

と伝えたら、今度は

「俺には来るなってことかよ!」

と更にキレ始めた。

こうなるともう手に負えない。

前々から自分で、『運動会とか苦手だから行けねーけどヨロシク』と言っていたではないか。

前日にもちゃんと確認した。

それなのに、自分の発言や私が確認したことはすっかり無かったことにされているのか、

「俺はないがしろかよ!」

と暴れ出した。

もう時間も迫っているので相手をしている暇はない。

急いでお弁当やその他の荷物を詰め込み、バッグを肩に抱えて子どもを抱き上げた。

「ごめん。時間が無いからもう行くね」

と声をかける私を夫は鬼のような形相で睨みつけていた。


家に帰ってからのことが気がかりで楽しめない

せっかく運動会の準備も万端なのに。

家に帰ったらどんな仕打ちが待っているのかと考えるとあまり楽しめなかった。

子どもも夫の形相を見て驚いていたが、すぐに忘れてしまったのか楽しんでいる様子だった。

良かった。

あんなに怒鳴られた後だから影響があったらどうしようかと思っていたけれど。

笑顔で過ごす様子を見て少しだけ安堵した。

いつも上手く立ち回ろうと思うのに、ちっともできない。

何に怒るかが分からなくていつもビクビクしているから、それも良くないのかもしれない。

気を遣い過ぎてる?

でも気を遣わないとヘソを曲げてしまうことが多いし。

むしろ気を遣われて全て自分の思い通りになるのが当たり前になっている。

朝のことを思い出して一人悶々としていたら、門の方から見慣れた人物がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

夫だった。

その姿を見た瞬間、全身が強張って息をするのも忘れてしまった。

あの勢いのまま保育園まで来たのだろうか。

まだ怒っているのだろうか。

どういう風に対応したら良いのかも分からずオロオロしていると、あっという間に夫は私たちのシートに到着した。

その途中で知り合いのご家族に、『こんにちは~』と笑顔で挨拶していて一見すると感じ良く振舞っている。

実際にこんな夫の表の顔を信じ切ってしまっていて、ほとんどの保護者は夫を『優しそうなお父さん』と形容していた。

本当は違うんだけどね。

この時だって目はちっとも笑っていなくて怖かった。

本当の姿を知っている私だけが上手く笑えずにいた。

そのまま隣に腰かけた夫は、私に聞こえるくらいの小さな舌打ちを何度も何度もしていた。

結局最後まで隣に座っている夫のことが気になってしまい、運動会の内容をほとんど覚えてない。

帰宅後は長い長いお説教が待っていて、疲れているのに夜中まで罵倒され続けた。

2024年10月14日月曜日

無職なのに家を買いたい夫

子どもの記憶に働く父親の姿はない

タイトルの字面だけを見るととんでもないですね。

実際に夫は家を欲しがっていました。

でも、無職。

最初から無職だったわけではない。

結婚した時には正社員の技術職として働いていた。

でも、数年後にはもう無職になっていて・・・。

子どもは働いている父親の姿を覚えていないと思う。

まだ赤ちゃんから幼児になる過渡期と言える頃だったから。

スーツを着て仕事に行く父親の記憶はないはずだ。

幼い頃は思ったことを何でも口にしてしまうものなので、夫によく

「パパはおしごと、いかないの?」

と聞いていた。

そう聞かれた夫は悪びれもせず、

「パパはしばらくお休みなんだ」

と言っていた。

一体いつまでお休みするつもりなのよ。

それでも家族に気を遣っているような素振りを見せていたらこちらも可哀そうになったりしたと思うのだが。

夫の場合には一切それが無かった。

私も『肩身の狭い思いをしないように』と気を回し過ぎてしまったのかもしれない。

だから夫ばかりが悪いとは言い切れないけれど。

やはりあんなにも堂々と威張り散らされるとイライラしてしまうことがあった。

イライラを表に出すと機嫌が悪くなって子どもに悪影響だから出さなかっただけ。

それを夫は『現状を受け入れて満足している』と勘違いしていたように思う。


家を欲しがる夫

無職なのだから生活だって節約ばかりになる。

これに関しては夫側からは『お前がもっと収入の良い仕事をすれば良いのに』という意見もあるかもしれないが。

人間、できることは限られている。

私の能力では今の仕事がせいぜいだと思うので、それ以上を望むのなら夫が努力すべきだった。

収入的にも恵まれない中、夫は家を欲しがった。

家ってさ、物凄く高いんだよ?

あなたの貯金を全部出してくれるの?

そう質問したら、恐らく答えは"No"だった。

恐らくと言ったのは、こんなことははなから期待していなかったので聞きもしなかったからだ。

家が欲しいと夫が何度も言っていた時に、

「頭金はどうするの?あなたは幾ら出せるの?」

とカマをかけてみた。

当時既に働いていなかったので、出せるとしたら貯金からになる。

もし夫が全く貯金を持っていなかったら、私だってこんなことは質問しない。

でも、夫は幾度となく私に貯金自慢をしてきたので、少しは出すつもりがあるんでしょう?という気持ちで聞いた。

しかし、夫は

「俺はこれから働けないかもしれないから。今あるものは大事に取っておきたい」

とのたまった。

えっ?!と驚く私。

つまり、頭金もローンも私の担当ということ?

この発言を聞き、頭がクラクラした。

何で自分は一切協力できないのに家なんて高額な物を欲しがるのさ。

納得がいかず、

「それじゃあ、いつまで経っても家は買えないね。頭金を用意するのも一人じゃ大変だし」

と言ったら、目をキッと吊り上げて、

「いつまでも賃貸って訳にはいかねーだろ!」

と乱暴な口調で圧をかけてきた。

腹が立ってうっかり歯向かってしまったのは失敗だった。

いつも緊張の糸が張り詰めた状態なのに、ふとした瞬間に気を抜いてしまうことがある。

そういう時に夫を怒らせるような発言をしてしまい、たびたび後悔した。

家のことを積極的に考えていないと感じた夫は、それから二週間私を無視した。

この時は子どもには無視をしなかったのだが、何度も私の悪口を言っているのが聞こえてきた。

心が折れそうだったけど、まだ子どもが無視されないだけマシ。

そう思って耐えた。


退去のお願いを好機ととらえる夫

大家さんから退去のお願いが届いたことは、夫にとっては好機だったようだ。

この機会に家を買ってしまおう。

終始、そんな雰囲気を出していた。

義両親まで動員して私を説得してくるが、肝心のお金の問題はどう考えているのだろうか。

無理やり話し合いに参加させられた時に、

「どこからお金を出すの?」

と言ってみたら、夫と義両親は口を揃えて

「ローンを組むんだから何とかなるでしょ」

と言った。

それで誰が組むのかを質問したら、当然私だと。

その頃、在籍していた会社がちょっと危うくていつまで仕事があるか分からない状態で。

ローンなんて組める状態ではなかった。

そう伝えても、『何とかなる』の一点張りで話にならなかった。

こんなの受け入れてしまったら大変だという思いで何とか断っていたのだが・・・。

その時に義父が、

「土地代もかからないのに、何をそんなに大変なことがある!」

と少しキレた。

土地代がかからないって・・・。

それってつまり・・・。

鈍い私は、そこでようやく義実家を建て替えさせようとしていることに気づいた。

2024年10月13日日曜日

同居の決断を迫られてピンチ!

着々と狭まる夫&義両親の包囲網

退去&同居問題が勃発してから数か月が経過がする頃。

段々と肩身が狭いと感じることが増えた。

義両親は頻繁に我が家を訪れては子どもにおもちゃをプレゼント。

そうやってプレゼント攻撃をすることで、その気にさせようとしていた。

プレゼントをしても子どもだから効果がすぐに薄れてしまうと思うのだが・・・。

そのあたりは、あの夫の両親ということで抜かりが無い。

毎回毎回子どもに対して『一緒に暮らしたらどんな素晴らしいことが待っているか』を話していた。

良いことばかり言うのだから心が動かされるのは当然だ。

だんだんと義両親が帰った後も子どもが自発的に、

「おじいちゃんとおばあちゃんのお家に行きたい」

と言うようになった。

いよいよ困ったことになったぞ。

そう思いながらも、義両親の話を全て否定するようなことはできない。

孫が可愛い、一緒に暮らしたいという気持ちも分かるし、これがチャンスだと思ってしまうのも仕方のないことかもしれない。

だけど、夫はどうだろう。

この状況を好機とばかりに、こちらの気持ちなど考えずに責め立てて自分の思い通りにしようとしている。

まるで引っ越し先が見つからないのは私のせいだと言わんばかりの口ぶりで、話すのも億劫になった。

本当は口も利きたくない。

それなのに、私が不機嫌そうな素振りを見せるだけで鬼のような形相で怒って攻撃してくるから。

心中穏やかではないその状況でも、私は無理やり笑顔を作って接していた。

本当は、このまま子どもが流されて一対四になってしまったらどうしようという気持ちでいっぱいだったのだけれど。

私とは対照的に夫は上機嫌で過ごすことが増えた。

義実家での同居に対して次第に子どもが前向きな発言をするようになったことで気を良くしたのだ。

家は見つからないし、期限は迫っているしで。

あの頃のことを思い出すと今でも手に汗がじわーっと浮かんでくる。


「ママはどうしておじいちゃん家に行きたくないの?」

ある日、子どもが私の顔を覗き込みながら

「ママはどうしておじいちゃん家に行きたくないの?」

と聞いてきた。

こんな時、なんて答えるのが正解なのだろうか。

今私が懸念していることは子どもにとっては関係ないことなのかもしれない。

だから、今の感情のままに具体的なことを伝えるのは良いことではない気もする。

何より幼い子どもに話したところで理解できるのかが分からなかった。

だから、少し悩んでから

「うーん、ママにとってはちょっと大変なことなんだよ」

と答えた。

すると子どもは不思議そうな顔をして

「どうして?パパが『本当はママも行きたいんだよ』って言ってたよ」

と言うので驚いてしまった。

まさかそんなこと言ってたなんて全然気づかなかった。

「おじいちゃんも、おばあちゃんもそう言ってたよ」

と言うのを聞き、更に愕然とした。

私が強く言えないのを良いことに、都合の良いように話すなんて!

大人たちが寄ってたかって『同居は素晴らしい』と言うものだから、子どももすっかりその気になっていた。

何より一軒家というものに憧れがあったのだろう。

「おじいちゃん家はいっけんやだから」

というのも何度も子どもの口から聞いた。

これは繰り返し吹き込んだ結果だ。

すっかり夫や義両親の言葉を信じてしまっている子ども。

子どもをその気にさせて事を進めてしまおうとしている大人たち。

引っ越し先が決まらず悩んでいる間に、着々と包囲網は狭まっていた。

2024年10月12日土曜日

大家からの退去願いが届いて・・・

半年以内の引っ越し依頼

大家さんから手紙が入っていた。

こんなこと滅多に無いので、何だろうと訝しみながら読んだ。

読んだというか、見出しの部分だけで何の件なのかがすぐに分かってしまった。

引っ越し依頼だ。

期限は半年。

その間に新しい所を探して出て行って欲しいということだった。

これには本当に慌てた。

だって、同じような環境で同程度の家賃のところは早々見つからないのだから。

子どもの環境が変わるのも困るし、家賃が上がるのも困る。

これは全室に配られたようで、どうやら建物を取り壊すらしかった。

そんなに老朽化しているようには見えないけど。

やっぱり隠れている部分が傷んできているのだろうか。

もちろん夫にもすぐに伝えてみたが、予想通りの返事が返ってきた。

「とりあえず親に言うわ。話はそれから」

そうなるだろうな、と想像はしていたが・・・。

はっきり言ってしまうと、義両親に言ったところで事態が好転することはない。

司令塔が増えて、あちらこちらから私に対する指示が飛ぶだけなので。

状況的にはかえって大変になる。

しかも、皆が好き勝手に言うものだから動きづらい。

だけど、義両親だって聞いてしまったらじっとはしていないだろう。

案の定、連絡を受けてすぐに『これは一大事』だと我が家にやってきた。

そして、今後についての話し合いの機会がもたれた。

話し合いって言うか、同居の説得?(笑)

これが嫌だったんだ。

結局そうなるでしょう?

説得にも応じず、私が

「このあたりで同じような条件の物件を探します」

と言ったら、三人からは非難轟轟で、

「子どものことも考えないと!」

と言われた。他にも、

「無理して家賃を払う必要はない」

と非難されたのだが、これに関してはっきりとさせておきたいことがあった。

それは、同居になった場合に家賃がかからないという嘘。

確かに家賃としてはかからないだろうが、住宅ローンを組んで欲しいらしい。

そっちの方が私にとってははるかに肩の荷が重いし、不安だって大きい。

更に言えば、そこで義両親も年を取ってお世話をするようになり、夫も無職で働かず、私一人が働いて家のこともするようになるのが目に見えている。

そんな過酷な環境に喜んで飛び込んでいくような奇特な人はいるまい。


そして家探しが始まった

家探しって本当に大変だ。

条件をいくつもあげると、ほとんど候補が残らない。

贅沢を言うと不動産屋さんにも渋い顔をされるし。

それでも妥協できない部分があるので、粘って粘って不動産屋さん通いを続けた。

そのうちスタッフの人と顔見知りになり、仲良くなり、色んな話をするようになった。

会話の中で直接ではないけどやんわりと指摘を受けたのが、『お宅の旦那さん、大丈夫?』ということだった。

我が家の状況は最初にお願いする時に詳しく書いたので無職であることは知っていた。

だからその事かな?と思ったのだが、どうやら違うらしかった。

どういう事かと思ってよくよく聞いてみると、言葉の端々から横柄さが滲み出ているように感じたらしい。

もちろんこんなストレートな表現ではなかったけれど・・・。

見る人が見れば分かるもんなんだな。

というか、やっぱり接客業をしている人って凄い!

人を見る目が養われているのね、なんて感心しながらも自分の見る目の無さを実感した。

その方は一つの店舗を任されているようなバリバリ働く女性で。

夫がもっとも苦手としているタイプかもしれない。

だから不動産屋さんに行くと言っても着いてくることは無かった。

夫が居ないと自由に色んな話ができる。

羽を伸ばす場所も無かった私は、いつしか不動産屋さんに足を運ぶのが楽しみになった。

肝心の物件はなかなか見つからなかったんだけど。

この時間が終わってしまうことが少し怖くなった。

両親や姉などの近しい人にはなかなか現状を打ち明けられない。

かと言って、友だちと連絡を取ると不機嫌になって子どもにまで危険が及ぶ。

子どもが怖い思いをするのは絶対に避けたかったので、自分からは連絡を取らなくなった。

相手からきてもほとんど返事もしなくなった。

返事をしている時に夫はため息や舌打ちをして、これ見よがしに圧をかけてくる。

その空気感にやられてしまって、返事をするのも億劫になった。

中には親身になってくれる人も居たので本当はつながっていたかったけれど。

そういう人に対して夫は偏った見方をして悪口を並べた。

そんな人じゃないのに。

本当に親切な人なのに。

そう思っても言い返せないし、その人に偶然会った時にあからさまに態度に表すから。

申し訳なくて連絡を取れなくなった。

2024年10月11日金曜日

腹を立てて育児放棄する夫

幼児が相手でも容赦なし

これまでのブログを読んでくれた方ならもうお分かりかと思うが。

夫は幼児相手でも容赦はしない。

腹を立てて怒鳴り散らし、気に入らなければ徹底的に無視をする。

時には罵詈雑言でまくし立てて、子どもが震えあがってるのを見て満足そうにすることもあった。

これがまだ筋の通っていることなら多少は納得できる。

それでも暴力的な威嚇は絶対にダメなんだけどね。

夫の場合はその時々で言っていることがブレていて一貫性が無いから質が悪い。

子どもだってその都度言うことが違えば戸惑ってしまうだろう。

ある時、夫は朝からイライラしていた。

子どもはまだ空気を読むことができなくて、そんな夫の目の前ではしゃいでしまった。

私も『マズイ!』と思ったのだが、もう後の祭り。

気付いた時には夫の目は据わっていて、

「パパは朝から具合が悪いって言ってんだろーが!」

と怒鳴った。

少し離れた場所から聞いていても物凄いボリュームなのに、わざわざ子どもの耳元で叫んでいた。

その様子を見て飛び上がりそうなほど驚き、慌てて子どもの手を引いて、

「ほら、こっちに来てご本を読んでよう」

と声を掛けたのだが、夫はそのままでは気が済まないのか、

「コイツにはちゃんと言って聞かせねーとロクな人間にならねーぞ!」

とドスのきいた声で詰め寄った。

大人の私でもめちゃくちゃ怖かった。

子どもは驚いてしまって私の後ろに隠れようとした。

でも、夫はその腕をつかんで私の前に引きずり出した。

あまりにも乱暴に引っ張るので、

「ちょっと、やめてよ!」

と慌てて止めようとしたけど、怒りマックスの夫は私の力ではビクともしない。

このままではケガをしそうで咄嗟に二人の間に入り、

「大声で怒鳴らないで。○○(子ども)と一緒にあっちで本を読んでるから」

と懇願するように話しかけた。


言うことを聞けないのなら全部自分でやれと言う夫

腹を立てた夫は子どもに対して、

「そんなに言うことを聞けねーのなら、自分のことは全部自分でやれ!」

と言った。

「パパはもう知らねーからな。何があっても知らねーぞ!」

「ママにも何もしてもらうんじゃねーぞ!」

という脅しと共に。

そう言われて心細くなったのか、私の服の裾をギュッと握りしめて、

「ママ・・・」

と小さく呟いた。

本来なら、夫がおかしなことを言っているのだから黙らせて子どものフォローをするのが正解だと思う。

だけど、目の前でフォローしたら火に油を注ぐようなものだということは、これまでの経験上痛いほど分かっていた。

それに、いくら私が一生懸命自分の気持ちを伝えたところで夫が反省することはない。

全て自分のルールで動いているような人なのだから。

その日の夜、ご飯を食べようと配膳していたら夫が無言で子どもの分を片付けてしまった。

『えっ、何やってるの?』と思いながらキッチンまでついていくと、こちらも見ずに

「アイツには何もやらんで良い!」

と吐き捨てるように言った。

そんなことできる訳もないので、

「ご飯を食べさせないなんてダメだよ」

と言いながらまたテーブルに運んだが、再び夫が片づけた。

最後は押し問答のような形になり、何と夫は自分の分をゴミ箱に投げ捨てた。

そして、舌打ちしながらドアをバタンとしめて外に出て行った。

あー。このまま帰ってこなければ良いのに。

教育のためだとか言いながら、結局は自分が気に入らなかっただけ。

いつもそうやって機嫌に振り回されてきたので、正直ウンザリしていた。

可哀そうに、子どもはその様子を黙ってじっと見守っていたみたいで。

気づいたら涙目になっていた。

大丈夫だよ。

ママが絶対に守るんだから。

改めてそう決心しつつも、心の中は不安だらけだった。

2024年10月10日木曜日

無職モラハラ夫のお昼問題

洗濯は夫が唯一やっていた家事

夫は仕事をしていなかった。

毎日家に居て、日中は好きなことをしていた。

いや、夜も好きなことをしていたはずなので、一日中自由時間だ。

別に家の中のことをやってくれたわけではない。

ただひたすら音楽を聴いたり映画を観たり、時にはフラッと散歩に出たりしていた。

辛うじてやってくれたのが洗濯。

確かに有難いけど、家族三人分の洗濯物なんてたかが知れている。

当然一回回せば事足りるので、ほぼほぼ自由時間ということに変わりはない。

ただ、洗濯をやっているということが夫の中では大きな意味を持つようだった。

毎日ただダラダラしているわけではない。

家事だって手伝っている。

そんな俺って偉い、という感じ?

しかも、私がお休みの日などは恩着せがましく大変そうにしながら洗濯を回したりもしていたので・・・。

何だか仕事が休みの日まで任せるのは申し訳なくなって手伝おうとした。

だけど、手伝おうとすると途端に不機嫌になる。

不機嫌になって、『やり方が違う!』と激怒する。

そんなルールがあるなんて知らなかったよ。

次回からは気を付けるよ。

そう思っても、次回になったらまた別のルールができているので意味がない。

多分、夫は自分のテリトリーである洗濯を私に任せるのが嫌だったんだ。

それなら全部自分でやってくれれば良いと思うのだが・・・。

手伝う素振りを見せないと、それはそれで不機嫌になった。

本当に面倒くさいし対応が難しかった。


毎日家に居るモラハラ夫のお昼をどうするか

洗濯以外のことは全てノータッチだった。

掃除はもちろんしないし、ご飯づくりもしない。

平日は私もなかなか時間が取れないので、掃除は週に1回お休みの日にするだけになった。

ここで問題になるのが一日中居る夫。

掃除をしようとするとあからさまに嫌そうなそぶりを見せて舌打ちを始める。

そうは言ってもたまには掃除をしないと子どもだって居るんだからさ・・・。

なだめたり謝ったりしながら掃除をするのも苦痛だった。

毎日家に居るということはご飯の問題もある。

実はこれが長年悩まされたことであり、お昼をどうするかで揉めたこともある。

子どもが小さい頃は作って置いていったりもしていた。

でも、途中から夫が『俺の分は(作らなくて)良い』と言うので作らなくなった。

言われたことをそのまま受け取るのは私の悪い癖なのかもしれない。

その時も裏を読むことなく言われた通りにしてしまった。

だけど本心は違ったようで、義両親から文句を言われた。

「アイツ(夫)のお昼はどうしてるんだ」

と遠回しに聞いてくるので、

「作らなくて良いと言われて作ってないんですよ」

と答えたら、

「体に悪いからちゃんとご飯は食べないとダメだよな」

と言う。

『それは本人に言ってくださいよ』と思いつつ、何度も何度も言われるので困惑。

後からよーく考えてみてハッと気づいた。

そうか、あれは私に作れという意味だったんだ。

だけど義両親がそこまで考えるかな、なんて思ったりもして。

最終的には『思い過ごしかもしれない』とポジティブに考えて気を取り直したのだが・・・。

しばらくしてからハッキリと『お昼も用意してなくて可哀そうだ』と言われた。

それで義両親がせっせと差し入れをしてくれるようになった。

有難いけど、なんかモヤモヤした。

可哀そうってことは、私が酷いことをしてるってことだよね。

確かに至らないところはあるけど、夫にも悪いところがある。

だって、日によっては本当に作っていくことが迷惑だと思われることもあったし。

機嫌が悪い日には手を付けなかった。

残ったものがそのまま捨てられたこともある。

夫の爆発期には勝手に機嫌を損ねてずっと怒っている時もあったのだが。

そういう時には、手をつけずに残しておくのではなく最初からゴミ箱に捨てられた。

そんなことをされても作らない私が責められるなんて。

なんだか理不尽だなーと思ったけど、既に洗脳されていたので『私にも悪いところがある』と思ってしまった。

2024年10月9日水曜日

モラハラ夫と義両親から同居の決断を迫られる

「同居以外の選択肢はあるのか?!」と詰め寄る夫

義実家に同居するのが当たり前だと考えていた義両親。

夫ももちろん同意見だった。

だけど、だいぶ古くなった家で部屋数も足らず・・・。

今よりももっと狭いスペースで生活することになるのは確定事項。

しかも、老朽化が原因なのか家の土台にガタが来ているのか。

ビー玉を置くと転がるくらいの傾きがあった。

私は元来臆病なので、そんなにガタがきている家に住むなんて怖くてたまらない。

夫は子どものころから住んでいた家だから何とも思わないのだろうけど。

昔の綺麗だった頃のイメージがある夫とは根本的に違うのだ。

その頃を知らない者にとっては、リフォームせずに住めるとは到底思えない状態だった。

話し合いの間、ずっと三人から説得をされ続けて、その圧に屈しそうになることもあった。

彼らの考えていることは手に取るように分かる。

私さえ『うん』と言えばみんなで楽しく暮らせるのに・・・。

頑固な嫁のせいで丸く収まる物も収まらない。

一体いつになったら首を縦に振るのか。

そんな風に考えていたんだろうなぁと思う。

それが分かっていても、やはり『同居します』とは言えなかった。

きっとOKをしたら、その後はとんとん拍子に決まるだろう。

立ち止まって考える間もなくどんどん事態は動くに違いない。

同居の説得は毎回という訳ではなかった。

でも、断り続ければ諦めるという感じでもなく、定期的にそのタイミングがやってきていた。

だから、そろそろかな?という頃になると、とても憂鬱だった。


家賃が浮くよ、というアピール

同居をしたら何か良いことがあるのか?

無いとは思うけど、真剣に考えてみたことがある。

夫や義両親が言うには、家賃が浮くことが最大のメリットだと言う。

確かに家賃は掛からないだろうけど、生活費はどうするの。

その分、生活費を多く入れると言い出しそうだな、夫のことだから。

子どもが学校から帰った時に留守番するようなこともないから安心だとも言われた。

これは核家族あるあるだと思うのだが、両親が共働きだと子どもは鍵っ子になる。

でも、夫よ。

あなたは働いてないじゃないか。

もっとも、夫は子どもと二人の時に痛めつけるので全く信頼はしていなかったのだけれど。

二人きりにするのが怖くて怖くて。

毎日定時の鐘が鳴ったらダッシュで家に帰っていた。

運悪く定時直前に仕事を割り振られた時には本気でその相手を嫌いになりそうになった。

だって、遅くなったらその分子どもが虐待される確率が高くなるから。

他にも、お年寄りが居た方が優しい子になるとも言われた。

もうこの辺になると『へーそうですか』という感想しか出てこない。

義両親共にかなりクセの強いタイプだったので、子どもには真似して欲しくないなぁと思うことが多々あった。

しかも、二人とも気が強くてキツいと感じることが少なくなかった。

更に言うと、夫が義両親の発言にイライラした時に怒りの矛先を子どもに向けることがあったので、それも嫌だった。

冗談じゃない。

子どもはサンドバックじゃないんだよ。

そんなことも分からない人が、『親として子どもの環境を~』とか言うのだから。

笑ってしまう。


「建て替え、よろしくね」って言われても・・・

家にガタが来ていることは実はみんな分かっていた。

分かっていて同居を進めようとしたのだ。

OKをしていたら、タイミングが良いからとか何とか言って建て替えをさっさと計画しただろう。

これは私のネガティブな妄想などではない。

現に、まだ決まってもいないうちから「建て替え、よろしく~」と言われた。

正直、驚いた。

拒絶している相手に、そんなことよく言えるなとも思ったが。

きっとごり押しすれば何とかなると考えていたに違いない。

正社員と言ってもバリバリのキャリアウーマンでもなければ専門職でもない。

一般職の私が、家族五人が暮らす家を建て替えるですって?

そもそもローンが組めると思っているのだろうか。

義父は退職して年金暮らし。

義母はずっと専業主婦で年金暮らし。

夫無職。

私だけが働いているという状況。

夫には多少なりとも貯金があったが、それは使うつもりはないみたいだった。

同居の件は考えれば考えるほど恐ろしくて、ずっと逃げ回り続けた。

直接対峙したら押し切られそうで怖かったから。

その気配を察知したらなるべく会わないようにしたりして。

その甲斐あって最後まで逃げ切れたけれど・・・。

万が一受け入れてしまったら、今頃住んでも居ない義実家のローンを払わされ続けていたかもしれない。

それはオカシイ!と思うだろうけど、彼らには常識など通用しないのだ。

2024年10月8日火曜日

諦めるのか、それともモラハラと闘うのか

気付けば孤立

夫と暮らすことが段々と苦しくなった。

本当は周りに助けを求めたいのに、それもできない。

だって、私たちの周りには誰も居ないのだから。

気が付いたら連絡を取れるような人は居なくなっていた。

最初は親戚や両親、姉などにも頻繁に連絡を取っていたし。

子ども関連で知り合った人とも情報交換をしていた。

だけど、それを見た夫が不機嫌になるから・・・。

何だか目の前でやり取りをすることに後ろめたさを感じるようになった。

今連絡するのは止めておこう。

今度にしよう。

そうやって問題から目をそらしているうちに、気が付けば孤立していた。

これを自業自得だという人も居るのだろうか。

本気で連絡を取る気があるのなら取れたはずだ、と。

でも、モラハラをする人と関わったことのある人なら分かるはずだ。

彼らは決して”例外”を許さない。

今回だけは連絡した方が良いよね、と納得することもない。

俺を不機嫌にさせるようなことをするお前らは【悪】だと罵られる未来が待っているだけだ。

それでも、学校の行事なんかで声をかけてくれる方も居た。

「今度、お茶しましょう」

と言われることも。

そんな風に言っていただけると嬉しかったのに・・・。

その瞬間、私は断る理由を探した。

最低だ。

本当に最低で失礼な話だよね。

夫を怒らせるのが怖くて、結局一度も良いお返事が出来なかった。

それで更に孤立していった。


モラハラとの闘いは諦めたらそれで終わり

言いなりになるのは楽だ。

そうしていれば夫は機嫌良く過ごしてくれる。

自分の思い通りに事が進んでいる時だけは家族に優しくしてくれた。

そんな穏やかな時間がずっと続けば良いのに、といつも思った。

だけど、そう思ってしまうと必然的に私たちの取るべき選択は狭まって行く。

夫と子どもと三人の小さな小さなコミュニティの中で生活するだけの日々。

仕事には行っていたが、職場でも必要以上に関わることを禁じられた。

全てが夫の監視下にあり、些細なことでも報告しなければならない。

こんな生活を続けていたら段々と考え方が歪んでくるのも当然なのかもしれない。

そのうち、全てのことを【夫にどう思われるか】という視点で考えるようになった。

これは夫が怒りそうだから止めておこう。

そんな思考回路になって、益々周りとの距離は広がるばかり。

きっと、あの頃の私は話しかけづらい雰囲気だっただろうな。

フレンドリーに接してくれる人に対して、物凄く防御線を張って警戒していたから。

仲良くなってしまったら連絡を取りたくなってしまう。

ふと顔を合わせた時に話したくなってしまう。

それができない私は、距離を置くしかなかった。

そういう生活が数年続き、ふと『このまま諦め続けるのだろうか』と思ってしまった。

きっと、諦めたくない気持ちが残っていたのだ。

でも、諦めないということは夫と闘うということ。

体力でも口でも夫に叶うことはないと分かっているのに、それでも挑まなければならない。

闘うだけならまだ良いが、その後に夫が警戒してより監視の目を強化したら私たちには一体どんな未来が待っているのだろうか。

より苦しい生活になる可能性を考えるとゾッとした。

それなのに・・・。

やっぱり自由を諦められなかった。

諦められなくて、二度目の家出をした。

2024年10月7日月曜日

虐待後の【偽りの優しさ】に子どもが気付いた時

虐待後の猫なで声

虐待後に急に子どもに優しくするのは一体何なんだろうか。

直前までとは打って変わって急に猫なで声を出す。

いつもは絶対にやらないのに、飲み物を淹れてあげたり欲しい物を聞いたりして。

その変わりっぷりには正直なところ引いた。

そんなことするくらいなら、初めから虐待なんてしなければ良いのに。

でも、その一方でまだ優しくしようという気持ちもあるんだと安心もした。

こんな風に感じているうちは、モラハラ夫からは決して逃れられない。

相手は一枚も二枚も上手なのだから、そういうおかしな所を見つけたら徹底的に追及するくらいでないと言いくるめられてしまう。

だけど、当時は両極端な対応を目の当たりにしているのに【変わってくれること】を信じたい気持ちが強かった。

今になってみれば、本当にバカだったなと思う。

虐待は心に深刻な影響を及ぼす。

たとえ抜け出したとしても、精神的に苦しみ続けるケースもある。

それを止められるのは親なのだ。

学校の先生などが気づいて通報してくれるケースもあるにはあるが。

一番一緒にいる時間が長い親が何も動いてくれなければ不信感しか残らないはずだ。

夫は私にも従順で居ることを求めた。

従順な妻でなければ価値が無いと考えていることが言葉の端々から感じ取れた。

普段から夫の要望を察知して動くように仕向けられていたので、それに応えなければと思ってしまった。

あの頃の行動や考え方、全てが間違いだったのだと今なら分かる。

猫なで声の夫を見た時、この人にも人間らしい面が残っていたのかと驚いたし、少しでも懺悔の気持ちを感じているのなら救われると思った。

でも、よくよく考えると救われるはずがない。

あの行為は何があっても許されるものではないからだ。

それを止められなかった私も同罪だ。

子どもは私を責めたりはしないだろうが。

申し訳なかったという気持ちがいつまでも消えない。


叩いたり蹴ったりした後の偽りの優しさ

子どもを叩いたり蹴ったりした後の夫の対応には主に2つのパターンがあった。

機嫌が悪いまま数日間当たり続ける時と優しくする時。

虐待をされた後まで罰ゲームのように当たられ続けるなんて正直地獄だ。

この辛い時間がいつ終わるのだろうかと絶望してしまう。

だから、優しくなるパターンだと分かった時にはホッとした。

怒ってる時は嫌だけれど、優しくしてもらえると嬉しい。

何となくそんな雰囲気になっていた。

夫もそれを感じていたはず。

というか、怒り狂っている時は素の夫だと思うのだけれど、優しい時は演技だったのではないかと疑っている。

確かに声色や態度は優しい。

でも、どこか演技がかっているようにも見えた。

子どもはまだ幼かったから、表面上の優しさをそのまま受け取ってしまったはずだ。

実際に嬉しそうにしていたし、あれほどのことをされたのに懐いていた。

一定の年齢に達するまでは・・・。

子どもだって大きくなってくると、裏に隠されていることにまで機敏に反応するようになる。

夫がいくら隠そうとしたって、虐待後の対応には嘘が含まれていることが分かってしまう。

それに気づいた時、たぶん子どもは父親に期待することを止めたのだと思う。

猫なで声で近寄ってきてもあまりしゃべらなくなり、考え込むようになった。

そういう状況になってようやく夫も気づいたようだった。

子どもが色んなことを分かり始めていることに。

分かったところで向き合うわけもなく、今まで通り無理やり恐怖でコントロールし続けた。

夫は頑固で自分の意見を曲げないので、間違ったことをしていないと確信していることも厄介だった。

間違っていないのだから、自分が変わる必要は無いと考えても不思議ではない。

また、家族は何でも許し合う存在だとも思っていたようので、【家族】という事実が免罪符になると考えていた節もある。

だけどそれって夫の自分勝手な理論。

子どもも私も一切受け入れていない。

だから、離婚してから数年経っても未だに夫は子どもに会えていない。

2024年10月6日日曜日

エスカレートしていく夫の虐待

虐待夫に期待してはいけない

子どもが大きくなるまで夫を切り捨てることができなかったのは私の弱さだと思う。

赤ちゃんの頃はまだ良かった。

時折優しい笑顔を見せて、甲斐甲斐しく世話を焼くこともあった。

だけど、そんな優しい時間も子どもが大きくなるにつれて減って行った。

何が悪かったんだろう、と今でも考えることがある。

あの時は精一杯やっているつもりだったし、今も正解は分からない。

ただ一つ言えるのは、『いつか変わってくれるのではないか』と期待してしまったことが失敗だったのではということだ。

少しでも良い時間があると人はその想い出に縛られてしまう。

うちも子どもが小さい頃は僅かだが幸せな団らんというものがあったので、ついつい夢を見てしまった。

いっそのこと最初から幸せな時間なんてなければ早いうちに諦めもついたのだろう。

それができなかったのは、あの優しい時間の記憶が脳にしっかりと刻み込まれていたからだ。

もっとも赤ちゃんの頃だって理不尽に怒ることはあったのだけれど。

普段があまりにも酷いからその瞬間が良い人に見えてしまった。

ほんの少しだけあった穏やかな時間。

それは、地獄のような結婚生活の中で救いだった。

そんな理由であの生活が長引いたって、子どもにとっては迷惑な話だよね。

よく『子どものために離婚しない』という人がいるが・・・。

それが本当に子どものためになっているのかをよく考えて欲しいと思う。

一歩が踏み出せない言い訳にはしていないだろうか。

現に私がそうだったからよく分かる。

新しい環境に飛び込むのはとても怖くて、自分なんかがやっていけるのだろうかと不安になる。

でも、いたずらに長引かせたって良いことなんて一つもない。

ただ子どもの心の傷が深くなるだけ。


一年生の子どもに夜中の説教

子どもが一年生の頃から教育虐待が始まった。

帰宅後にはすぐに宿題を済ませ、その後夫から出された課題をこなす。

まだ小さいうちは学習習慣さえつけば良いのだから、やりすぎな感があった。

でもそんなことを言うとヘソを曲げるだろうし、かえって状況を悪化させてしまう。

だから子どもが無事に出された課題をこなすことを祈った。

私がその日の学習がどんな感じだったのかを知るのは帰宅後だ。

いつものように仕事を終えて帰り、ドアを開けて

「ただいま~」

と声をかけると中に居る二人が

「おかえり~」

と返事をするのが普通の時。

だけど、問題が起きている時は完全にスルーされる。

そういう日は玄関のドアを開けた瞬間に全てを察した。

子どもは小さなテーブルの前に正座して、一生懸命何かを書いていて。

その前で夫が腕組みをし、鬼のような形相で睨みつけながら、

「違う!」

と声を荒げていた。

大声で怒鳴るので、それに対して子どもが委縮してしまい、余計に捗らないように見えた。

だから咄嗟に間に入ろうとしても、『来るな!』と言わんばかりに手の平を見せて制止する。

どうすることもできず、ハラハラしながらも見守る時間は本当に胃が痛かった。

2時間が経過し、3時間が経過し・・・。

その間、子どもは泣いてしゃくりあげたり、チラチラと時計を確認したりしていた。

恐らく疲れていたのだろう。

そういう時の子どもって、もう集中できていないなというのが見ていてよく分かる。

そうなったら休ませたり、その日は終わりにすればいいだけなのに。

夫は自分が決めたところまで終わらせなければ気が済まなかった。

思い通りにならない子どもに対し、頭や鉛筆を握る手を叩いてその音が鳴り響く。

たまらず、

「もう終わりにしてご飯にしようよ」

と声を掛けると、夫が

「うるせーんだよ!邪魔するんじゃねーよ!」

と怒った。

怒鳴るだけではどうにも納得できないようで、結局説教をし始めることになるのだが。

それが延々と続いた。

普段は『早く寝ろ』という癖に、こういう時だけは例外。

そういうところも自分の都合ばっかりだなと思っていた。

10時を回り11時も過ぎて、とうとう12時になった頃には子どもも限界を迎える。

恐ろしい形相の父親を前にしながらも、コクリコクリと居眠りを始める。

居眠りはいつもというわけではなかったが、2回に1回は途中で寝始めていた。

寝てしまってはどうしようもないのだから、普通は布団に寝せますよね?

でも夫は叩いて起こすことがあった。

痛みで目を覚ます子ども。

いきなり叩かれたのだから泣くのは当たり前だ。

それなのにシクシク泣くことで更に怒られて、最終的には夫が眠くなる頃にようやく解放された。

2024年10月5日土曜日

夫のパンチで家具に穴

『子どもを叩くのは止めて』と懇願

夫は事あるごとに子どもを叩いた。

いつか大きな怪我をさせてしまうのではないかと不安だった。

そういう時はもちろん私も止めに入る。

口で言っても止まらなければ、体を割り込ませて間に入って全力で阻止する。

それでも、勢いが凄い時には止まらないことが多かった。

今考えると児童相談所への通報案件だったと思う。

だけど、あの当時は夫の『しつけ』という言葉を信じて疑わなかった。

『他の家でもこのくらいのことはしている』と言われると『そうなのか・・・』と思ってしまった。

元々私は二人姉妹でおっとりと育った。

男兄弟が居ない分、日常生活で諍いなんかもなくて平和だった。

そんな平和な環境で育った私を【世間知らず】だと言っていた夫。

世間知らずだから、普通のしつけの仕方を知らないのだと。

この件はうちの両親に聞いても無駄だとも言われた。

そういう甘いしつけをしてきた人たちなのだから元々の認識がずれているのだろう、と。

そう言われてしまうと、自分の感覚だけで『虐待だ』と騒ぎ立てるのは間違っているような気がしてきた。

ただ、そうは言っても目の前で子どもが叩かれそうになったら黙っていることはできない。

毎回必死に止めに入り、そのたびに『邪魔するな』と怒鳴られた。

どんなに必死で庇おうとしても、結局は力の強い夫には太刀打ちできない。

これは体力差だけが問題ではなかった。

キレた時、どこからそんなパワーが?と驚くほどの力で暴れた。

ああいう時って、もしかしたら理性のストッパーが外れているのかもしれない。

だから加減ができなくて大ごとになってしまうんだ。

普段とは比べ物にならないくらいの力で夫が子どもを叩こうとした時、間に入って腕に当たったことがある。

その時、本当に本当に飛び上がるくらいの痛みだった。

こんな力で子どもを叩くなんて信じられない。

『加減してる』と言っていた夫の言葉が真っ赤な嘘だったことが分かった。


家具を壊すのも暴力ですか?

夫は物にもよく当たっていた。

ある時、子どもに怒っていて私が止めたら怒りがエスカレートしてしまい、傍にあった家具を殴った。

木製だけど、ドアの部分の内部が空洞になっているタイプだった。

殴った瞬間、『くそっ!』という夫。

多分痛かったのだと思う。

自分が悪いくせにこぶしをさすっていて。

そういう所にもうんざりした。

冷めた目で夫を眺めていたら、棚のドアの凹んだ部分が目に入ってきた。

驚いて声も出なかった。

いくら中が空洞になっているとは言っても表面は結構硬い木で覆われている。

後からこっそり確かめてみたが、普通の力で凹むような物ではなかった。

一体どれほどの力で殴ったのだろうか。

その時は怖くて言えなかったけれど、少し経ってから夫に、

「ドアの部分が壊れてるよ」

と伝えた。

そうしたら、何故か夫は

「はっ?!何が言いたいの?!」

と怒り出して、

「人を殴ったわけじゃないんだよ?!」

と自分を正当化した。

殴ったのは物なのだから、自分としては気を遣ったのだと言いたかったらしい。

本当にそうなのかな。

人を殴らず物を殴ったのならセーフですか?

家具を壊されたことも悲しかったけれど。

暴力に関する認識の違いを改めて実感して、底知れぬ恐怖を感じた。

2024年10月4日金曜日

破壊された思い出のコップ

何にキレるか分からない夫が怖い

何に対してキレるか分からない夫が怖かった。

気を付けていても、ふとした瞬間に地雷を踏んでしまう。

そもそも何が地雷になっているのかも分からない。

だから対策の立てようがない。

でも、夫は自分の意思が尊重されないと怒り出すから厄介だった。

いやぁ~、エスパーでもない限りは無理よ。

夫の頭の中のことなんて知りようがないんだから。

普通に考えたらそんなこと分かるはずなのに、思い通りにならないことを受け入れられないようだった。

そもそも、家族が何でも整えてくれると思うのが大間違いなのだと思う。

気に入らないといちいちキレるのもおかしいし。

何度か義両親に相談して本人に伝えてもらおうとしたが、二人は

「○○(私)さんに気を許してるのよ」

という訳の分からない弁護をした。

気を許してるから何だっていうのだと思ったが、義両親はそれ以上介入しようとはしなかった。

他のことは介入してくるのにね。

結局、実の親でも夫の扱いが難しかったということだ。

『お宅の息子さん、酷いんですよ。少し言い聞かせてくれませんか』

そうお願いしているのに、

『暴言を吐くのは気を許しているからだよ』

と諭されるなんて。

まあ、確かに義両親に対しても暴言を吐くことがあったから。

息子と言えども対応が難しかったのかもしれない。

でも、私と違って敬われたり大事にされている時間もあったはずだけど。


思い出の品も壊されて

目の前をコップが飛んで行った。

夫がコップを投げて、顔の横を通過して行ったのだ。

そして家の柱に当たった。

別に喧嘩をしたわけでもなく、ただ単に私が自分の意見を言っただけ。

その意見が気に入らなかったようだ。

夫の方を向いていたから、一歩間違えば顔に当たっていたかもしれない。

コップは保冷効果のある、いわゆるタンブラーというやつで。

つまり硬かった。

壊そうとしてもなかなか壊れなそうなそのコップが目の前を飛んで行き、べっこりと凹んだ。

これがどれほどの衝撃か分かりますか?

凹んだコップを見て、夫は薄ら笑いを浮かべた。

怖い。

気持ち悪い。

この状況を見て笑えるなんて。

もしかしたら、『お前に当たれば良かったのにな』なんて思ってるんじゃ・・・。

そう想像したら更にゾッとした。

この時、夫のことが本当に分からないと思ったのは破壊されたのが思い出のタンブラーだったからだ。

数年前にお出かけをした時にお揃いで買った物。

咄嗟に自分が飲んでいたタンブラーを投げたから。

夫のが壊れたというわけだ。

もうお揃いじゃなくなったね。

「大事にしようね」

なんて言いながら買った光景を思い出し、私は思わず涙ぐんだ。

こうやって、この人は思い出まで破壊していくんだ。

楽しかった思い出が全部無くなって、最後に何が残るのだろう。

涙をこらえ、

「これ、思い出のやつだったよね」

と言いながら片付けようとしたら、夫が

「くそっ!お前のせいで!」

と舌打ちした。

残った私のタンブラーを見たら、きっとこのことを思い出して夫が不機嫌になるから。

残った私のタンブラーを、気づかれないように棚の一番奥にそっとしまった。

2024年10月3日木曜日

被害者ぶるモラハラ夫

モラハラ加害者の自覚が無い

モラハラをするのはいつも夫で、私は被害者だった。

わざと夫が不快になるようなことをした記憶はなく。

万が一間違った選択をしたとしても、その都度謝ったり改善するように努力してきた。

一方、夫はというといつも上から目線で理不尽な怒りをよくぶつけてきた。

何に対して怒られているのかが分からずに理由を問うと、

「そんなことも分からねぇーのか!頭使えよ、頭を!」

と怒鳴った。

そう言われたって、分からないものは分からない。

全く思い当たることが無いのだから。

それでも、正直に『どんな理由で怒られてるのかが分からない』と言うのは危険だ。

分からないのなら話すのも無駄だと無視されるだけならまだ良い。

教育的指導として何時間も説教されるか、酷い時には強い口調でなじられ続けた。

ネガティブな言葉を言われ続けると、人間ておかしくなりますね。

最初は『そっちの言ってることがおかしい』と分かってるのに段々と分からなくなる。

それで思考が停止した状態で【夫のトンデモ理論】を延々と聞かされ続け・・・。

最後には『私はなんてダメな人間なんだろう』と思ってしまう。

きっと洗脳ってこんな風にするんだろうな。

翌日に仕事がある場合でもお構いなしに説教は続いた。

自分は日中に寝ていられるから良いけど。

私は仕事に行かなければならないから眠いなんて言っていられない。

寝不足の中でのデスクワークは結構しんどかった。

しかも、単純な寝不足ではなくて精神的な疲労も伴っている。

メンタル的にズタボロになりつつ身体的にも限界に近い状況で仕事をこなさなければならないことを、夫は『当たり前』だと言った。

このように、夫は家の中で圧倒的に強い存在だった。

これに疑いの余地はないのに、なぜかいつも被害者のように振舞った。


暗くなっても電気を点けないモラハラ夫

秋が深まるにつれて日が落ちるのも段々と早くなる。

それまで自然光で過ごせていた時間でも、電気をつけなければならなくなる。

暗くなったら電気を点けようね、って。

そんなの子どもでも分かる話なのに。

夫は薄暗い中で電気も点けずに過ごすことが多かった。

仕事が終わり、保育園に子どもを迎えに行って家に帰ると、薄暗い中で夫はじっとしていた。

大抵は置物のように座って音楽を聴いていた。

時にはパソコンを立ち上げて何やら作業していることもあった。

こんな暗い中で過ごすのは不便だろうと思って、

「なんで電気つけないの」

と言いながら点けると、何故か舌打ちされた。

夫のことを思って言っているのに、舌打ちされる謂れはない。

こういう時、いつも激しい物音を立てて不機嫌をアピールしたり舌打ちをする。

だから本当は声を掛けづらい。

それでもやっぱり声を掛けた方が良いよね、と思って伝えているのに。

いつもこんな調子なので、有難迷惑なのかと思っていた。

でも、違っていたみたい。

どうやら夫は私の収入を考えて節約しているらしかった。

私のお給料では余裕が無いから、節約できるところは節約しようと考えての行動みたいだった。

それを言われてしまうと何も言えなくなってしまう。

バリキャリではないから稼げる額にも限界がある。

以前、「もう一つ仕事をしようかな」と言ってみたこともあるのだが・・・。

猛烈な反対にあった。

しかも、「俺に対する嫌味かよ」などと言われた。


いつの間にか被害者ポジションにいる夫

率先して節電してくれていたのかと問われたら、答えは『No』だ。

本当は電気代なんて気にせずに点けたいのに点けられない。

それもこれも妻の収入を考えてのこと。

不自由しているけど、仕方がないから協力しよう。

そういう思考回路のようだった。

それで最終的には『電気も自由に点けられない俺って可哀そう』という結論に達する。

つまり、夫はいつの間にか被害者ポジションにいた。

ちょっと私には理解できない。

これって夫が可哀そうなことになるの?

他のことに関してもそうで、いつも【可哀そうな俺】を演じていたように思う。

時々しか会わない人たちは健気なフリをする夫にコロッとだまされてしまう。

そして、『夫さんのことをもっと大切にしてあげて』という目で見られてしまう。

精一杯やってるのになじられて。

部外者からは気の利かない妻だと思われて。

理不尽だなぁとは思うけど、どうにもならなかった。

外面の良い夫は周りを欺くことに関しても天才的だったから。

シャンプー難民だった我が家

ノンシリコンだからって万能なわけじゃない 最近私は年配の美容師さんのいる美容室に通っている。 煌びやかさは無いが、とても居心地が良い。 お洒落な美容室なんかは美を競うように綺麗な人たちが来店する。 そういう所は人目も気になるし、自分が場違いなような気がしてしまって苦手だ。 まあ、...