2025年6月18日水曜日

夫の引っ越し直前、お義兄さんが義実家に戻ることに

喜びも束の間・・・

家に戻れば小学校にも職場にも近くなる。

これで体力的にもだいぶ楽になる。

そう思いながら一日一日をかみしめる様に過ごしていた。

それが実現できたのは夫の協力があったからこそ、という考えもあるが。

元はと言えば、あんなに粘っていないで早く義実家に戻っていれば良かったのだ。

その方が義両親だって楽ができるし、私たちもこんなに苦労をすることは無かった。

ただ、もう過去のことはどんなに怒っても悔やんでもどうにもならないので。

ただ淡々とこれからのことを考えながら動いていた。

「あと2週間くらいで明け渡せるかな」

夫もそう話していたのだが・・・。

数日後、事態は急転した。

お義兄さんが義実家に戻ることなってしまったのだ。

お義兄さんとお義姉さんが上手くいっていないらしく、しばらく義実家でお世話になることになった。

え~このタイミングで?!

物凄くガッカリしたけれど、部屋数が足りなくて夫が居候する場所が無くなってしまった。

お義兄さん夫婦はどちらもモラハラで言いたいことを言い合うタイプ。

喧嘩はその分派手だけど、遺恨を残さないのかいつもすぐに仲直りしていた。

だから、あっと言う間に元通りになり出ていくだろうと思った。

少しの間なら待つしか無いか・・・。

もうゴールが目の前に見えているのにお預けを食らったような感じになってしまったが。

仕方がないので、『少しの間ならそこに居て良いよ』と伝えた。

この時ばかりは夫も申し訳なさそうに、

「もう準備もしてたんだろ?悪いな」

と謝っていた。

この兄弟はどちらもモラハラ気質があるように思う。

夫は必要な小物を既に義実家に移動させていた。

それを見たお義兄さんが邪魔に思ったのか、わざわざ我が家に送り返してきた。

しかも着払いだったらしく、夫はかなり怒っていた。

「アイツはいつも勝手なんだよ!」

と言っていたが、多分似た者同士なのだろう。

お互いが傍若無人に振舞うため、衝突することも少なくなかった。

それで周りも巻き込まれて散々嫌な目にあった。

私は遠巻きに見るタイプだったが、お義兄さんの奥さんは結構巻き込まれていた。

そういう争いがあると避けるのではなく突進していくタイプみたい。

私にはとてもじゃないが恐ろしくて真似できないと思うことがたびたびあった。


他の部分の交渉を進めることに

部屋を明け渡してもらうのが先だと考えていた。

その方がお金の面でも体力的にも楽になるから。

それ以外のことは後回しにしていたのだけれど。

お義兄さんのことで予定が狂ってしまった。

部屋のことはもう私たちの意思だけではどうにもならなくなったので、その他の条件を話し合うことにした。

と言っても、財産分与の協議をしないかわりに親権をもらうという部分も決まっていた。

私からするともっとも重要な部分をしっかり押さえた形だ。

夫が財産にこだわるタイプで本当に良かったと今でも思う。

だって、そのお陰で子どもを手放さずに済んだんだから。

夫からは訳の分からない要求をされていて、例えば私への『恋愛禁止』というのもなかなかに強烈だった。

いや、誰かと恋愛するつもりは全然無いんだけど。

わざわざそれを離婚の条件にしてくることが理解できなかった。

連れ子問題がニュースをにぎわすこともあるから、そういう心配をしているのかな?とも考えた。

でも、どう考えたって違う。

そんな人が子どもを虐待するはずがないから。

他にも、『義両親と定期的に会って近況報告をすること』というのは受け入れがたかった。

夫のことは怖いから確かに会いたくない。

だからと言って義両親なら良いかと聞かれると、そういう話でもない。

できれば夫に関係する人たちとは疎遠になりたかった。

子どもだってそれを望んでいた。

だけど、夫が密に連絡を取り合うことを求めるので、妥協点を探らなければならなかった。

それと、忘れてはならないのが養育費のことだった。

再就職したんだから、払えないことはないはずだ。

家賃だってかからず、どうせ食費を少し入れるくらいだろう。

それならば、少しくらい払って欲しいと思って交渉することにした。

居所不明の別居状態が続く・・・

「そろそろ居場所を教えろ」と言われたけれど 家を出て以来、夫とは携帯一つでつながっていた。 連絡手段を絶つと離婚の交渉ができなくなる。 そう思って、完全に関係を絶つことを避けた。 連絡を取り続けていると、相手も望みを持つものだ。 『元に戻れるのではないか』というのが言葉の端々から...