2025年6月30日月曜日

家賃の支払いが難しいことを示すための策

先輩の叱責

突然、私の携帯の通話終了をタップした先輩。

私は驚いて思わず

「えっ?!」

という声を出した。

子どもはホッとしたのか、私から離れてソファに座った。

「何であんな奴の相手をするの?!」

そう言う先輩の表情は明らかに怒っていた。

何でと言われても、夫と交渉しようと思っていたら『元に戻りたい』という意思表示をされ・・・。

あれっ?

それから私はどうしたんだっけ?

この頃の私は衝撃的なことが起きると一時的に物忘れが酷くなっていた。

だから、夫とのやり取りも数分前のことなのに思い出すことができなかった。

スピーカーにしていたので先輩の方が把握していたらしく、

「あれ以上話していたら、また相手の言いなりになってたんじゃないの?!」

と叱られた。

そう言われて初めて夫とのやり取りをぼんやりと思い出すことができ、自分でもゾッとしてしまった。

ああ、危なかった・・・。

また夫のとんでも理論に飲み込まれそうになったんだ・・・。

夫と話をする時、最初はハッキリとした拒絶の意思を表すことができる。

でも、長時間話していると段々と頭がぼんやりとしてきて、上手く気持ちを伝えることができなくなった。

それを分かって居たから短時間で切らずに粘ったのかもしれない。

もしこの時先輩が居なかったら。

あるいは私たちのやり取りに気づかずにあのまま進んでいたら。

もしかしたら今の生活は無かったかもしれない。

それくらい夫との交渉は難しくて、ギリギリの駆け引きが続いていた。


「無期限に居座るつもりじゃないの?」

現状では夫が出て行く気配はない。

それを伝えたところ、

「このまま無期限に居座るつもりなんじゃないの?」

と先輩から指摘された。

確かにのらりくらりと出て行く話を避けている気もするし、お義兄さんのことがあったと言っても一時的に一緒に暮らせば良いだけのこと。

それを、『無理』の一点張りで通そうとするなんておかしいと思い始めた。

いくら私が金銭的に厳しいと言っても本気で受け止めてくれないのは、

「離婚したくて、そういうポーズを取っているだけと思われているのかも」

と言われた。

それなら辻褄が合う。

焦って交渉しても上手くいかないのは当然か。

今のまま正攻法で攻めても解決しない可能性が高いことを理解したので、もっと具体的に厳しい現状をアピールすることにした。

その一つが、銀行口座の動きを見てもらうことだった。

毎月給与が入るまでのやりくりが本当にギリギリで、余裕が無いことはすぐに分かる履歴だった。

更には生活費として別にかかっている状態で。

先輩にも家賃を払うこともできず、本当に申し訳なく思っていた。

居候していることは夫には秘密にしていたから、この事は言えなかったが。

間もなく家賃の支払いもできなくなるよ、というのを示す物として通帳を活用することに決めた。

はっきり言って、それを見せたところですぐに解決するとは思っていなかった。

それでも何もやらないよりはマシ。

私は通帳をコピーした紙を書留で自宅に送付した。

2025年6月29日日曜日

逃げるしかなかった、あの頃

『戻るしかない』というプレッシャーをかけられて

お義兄さんのことがあり、夫が義実家に引っ越す話は立ち消えになった。

元々お義兄さんは一時的に戻るという話だったのだが。

気付いたら、離婚して義実家に住むという話に変わっていた。

それは彼らの都合なのだから私がとやかく言うことではない。

でも、夫がいつまでもあの部屋に居座っていたら解約もできないので困っていた。

交渉したくても、全くこちらの話を聞いてもくれず。

一方的に『この状況なら戻るしか無いよな』という方向に持って行こうとしていた。

こうなると分が悪い。

私のことは軽んじても良いと考えている節があり、有無を言わせず言い聞かせようとしてきた。

優しい口調で話す時も同じ。

結局は自分の思い通りにしたいのが見え見えだった。

それでも私は折れなかった。

拒絶し続けて、根競べの様相を呈していた。

家を出てからというもの、少しも夫の思い通りにならなくて夫はイライラしているようだった。

今までコントロールできていたのに、それができない。

いつものように何度もため息を吐いて無言の圧をかけてきた。

こうやって私が言うことを聞かない時、夫は泣き落としをすることがある。

脅してダメなら泣き落としをして、それが上手く行かなかったらまた脅す。

そうやって上手く使い分けてきたのかもしれない。

泣き落としのフェーズに入った時、私には心構えができていた。

しかも、相手が目の前に居るわけではないので、かなり気持ちは落ち着いていた。

こういう時の夫の電話は本当に長いのだが、その時もやっぱり長かった。

手で持っていると疲れるから、スピーカーにしてテーブルに置いた。

音量は下げてギリギリ聞こえるくらいの音で。

同情するというよりも『いつ終わるのかな?』なんて気持ちで聞いていたのだが。

突然、背後から声を掛けられた。

少し前に寝たはずの子どもだった。


「パパ、泣いてるの?」と心配する子ども

振り返ると、子どもが泣きそうな顔をして立っていた。

「あれ?眠れなかったの?」

と聞いたら、どうやら一度寝たのに私の声で目を覚ましてしまったらしかった。

「ごめんね、起こしちゃって。でも、もう遅いから寝ようね」

と言ったが、首を横に振り寝ようとしなかった。

「パパ、泣いてるの?」

と聞いてきて、気になって仕方がないようだった。

そんな優しい気持ちを向けても利用されてしまうだけだ。

付け入ることしか考えていない人なんだから気をつけなくちゃ。

そう伝えたかったけど、電話口では夫が子どもに気づいている感じがしたので言えなかった。

離れていても子どもの甲高い声というのはよく通るものらしい。

この時夫もしっかりと聞こえていたようで、

「(子ども)が居るのか?代わってくれよ」

と言ってきた。

私はできるだけ子どもと夫を接触させないようにしていた。

長い間の虐待の傷は深く、様々な面に影響を及ぼしていたから。

一日でも早く忘れて回復して欲しくて、夫に関することは全て封印した。

それなのに、こんなことでこれまでの努力が水の泡になってしまうかもしれない。

咄嗟に断ろうとして、だけど念のために確認しようと小声で

「どうする?パパと話す?」

と聞いた。

そうしたら、子どもは慌てて首を横に振り、

「ダメ!無理!」

と言った。

多分夫にも聞こえていたはずだが、きちんと断るために

「やっぱり無理みたい。まだ話せる段階ではないよ」

と改めて伝えた。

そうしたら夫がそれまでとは違って大きな声で泣きだしたのでギョッとした。

その声を聞いた子どもは同情したのか、それとも怯えているのか。

ギュッと私のTシャツの裾を握って抱きついてきた。

ああ、どうしよう。

困ったな。

このまま電話を切るわけにもいかないし、かといって子どもにも聞かせたくない。

迷っていたら、いつの間にか背後に居た先輩が黙って通話終了のボタンを押した。

2025年6月28日土曜日

夫とお義兄さんの諍いに巻き込まれた

兄弟喧嘩、勃発

知らないうちに、また新たな問題が発生していた。

義実家にお義兄さんが戻るという話を聞かされた夫が文句を言い、そこから喧嘩に発展した。

何というか・・・。

どっちもどっちなのよ。

私から見れば夫もお義兄さんも変わらない。

エゴの塊で自分の意見を押し通そうとする人たち。

エゴ VS エゴの闘いになったらどうなる?

そりゃーどちらも引かなくて激しい争いになるに決まってる。

多分義両親もそれが分かっているから夫には言わなかったのだ。

それなのに、けん制する意味もあったのか、お義兄さんがわざわざ夫に直接伝えてきた。

『俺が実家に戻るから、お前は戻って来るなよ』と。

そんなことを言われて、『はい、分かりました』なんていう人ではない。

その後はもう普通の話ができないほどいがみ合った。

そんな中で『離婚の話を進めましょう』というわけにもいかず・・・。

どうしてこうも振り回されてしまうのかな、と落胆した。

この件で、一つ良いこともあった。

お義兄さんに腹を立てた夫が、みるみる元気になった。

煩いほどの怒鳴り声で私たちを威嚇していた夫が戻ってきた感じだ。

そうなってくると、あの弱っていた夫は一体何だったんだろうという気持ちにもなった。

何はともあれ元気になったのは良かった。

これで兄弟同士の争いが収まってこちらの話し合いを再開させてくれれば言うことは無いと思った。


義両親から、考え直すよう説得されたが

兄弟同士の諍いが起きた時、お義母さんは何故かお義兄さんの肩を持った。

常日頃から平等に接してきたと言っていたので、これには本当に驚いた。

二人の意見が対立したら必ずお義兄さんの言い分に加勢するんだもの。

夫としては面白くなかったはずだ。

お義父さんはほんの少し夫びいきで、だけど表立ってどちらか一方に肩入れすることは無かった。

頑固な兄弟の喧嘩は予想以上に長引き、どちらも折れる気配は無く・・・。

私は段々と『この長々とした内輪揉めを待っている意味ってあるの?』と思い始めた。

夫はその頃毎日イライラしていて話し合えるような状況では無かった。

だから、焦った私は義両親に相談した。

でも、その行動が間違いだった。

お義母さんから、

「ねぇ、離婚のこと、本当に何とかならないのかしら」

と泣かれてしまった。

ハンカチで目元を押さえながら、

「あの子も今回ばかりは反省してるのよ。毎日毎日(子ども)ちゃんのことばかり話してるわ」

と言うので、

「戻るつもりは無いんです。同じことの繰り返しになってしまうので」

と答えた。

淡々と話しているつもりだったが、何だか自分がお義母さんを泣かせてしまったようで、それ以上何も相談することができなかった。

お義父さんは黙って聞いていたのだが、お義母さんが泣き始めたのを見たら、

「周りは皆今まで通りに家族三人で暮らしてもらいたいと思ってるんだよ」

と言い始めた。

「私たちだって本当は(夫)が不憫で仕方がないし、(子ども)ちゃんにも会いたいんだ」

と、自分も我慢しているとアピールしてきて、暗に私を責めているようだった。

こんなに気持ちを伝える努力をしてきたのに、結局何も分かってもらえていなかった。

まるで宇宙人と話しているみたい、とその時思った。

夫にそう感じることがあったが、義両親も同じだった。

程度の差はあっても、肝心なところで分かり合えないのだ。

私が相手なら自分たちのエゴを通せるだろう、と考えているのも夫と同じだった。

『お前さえ我慢していれば丸く収まるんだよ』と言われているようで。

とても嫌な気持ちになり、それ以上話すことを止めた。

あの日、一緒に居たら丸め込まれてしまいそうで、逃げるようにその場を後にした。

「また連絡するから」

というお義父さんの呼びかけにも振り返らず、駅へと走った。

2025年6月27日金曜日

身動きの取れなくなった私に更なる追い打ちが・・・

夫の回復を待つ日々

体調不良の夫が回復するのを待つ間、全く動くことができなかった。

まさか無理やり追い出す訳にもいかず・・・。

いたずらに時間だけが過ぎて行った。

下手に動いたら、また非難されるかもしれない。

夫の態度が更に硬化するかも。

そんな不安があったことも確かだ。

夫はよく、

「どうせ俺だけが悪いんだろ!」

と言った。

こんな風に言うこと自体、他責の気持ちがある証拠だ。

『自分は悪くない』と言っているようなものだと常々思っていた。

体調不良の件も、彼の脳内ではきっと私が悪いことになっているんだろう。

それが分かっていたから、ただひたすら嵐が過ぎるのを待った。

それまでも、状況が酷く荒れている時にはそうやってやり過ごしてきた。

だから、いつも通り。

待つだけ。

そう思っていたのだが、2週間が過ぎた頃にお義父さんから連絡があった。

「こんなことになっても、まだ気持ちは変わらないの?」

最初の言葉がそれだった。

唐突にこんなことを言われ、すぐには何を言っているのか理解できなかった。

いや、本当は分かっていたけれど理解したくなかったと言うべきか・・・。

まさか、ここに来てまた振り出しに戻されそうになるなんて夢にも思わなかった。

だから、戸惑い、怒りがわいてきた。

夫のことは可哀そうだとは思うけれど、元はと言えば自分が蒔いた種だ。

体調不良に陥ったからと言って私たちの離婚が覆ることはないし、考え直すこともない。

何度もそう伝えたはずなのに。

「この状況で『離婚』を選択することは人としてどうなのか」

と非難された。


お義父さんの発言の真意

どちらかと言えば、

「こんなことになっちゃって、悪いね~」

と言っていたお義父さん。

それが急に離婚を取りやめるように言うなんて、何か裏があるんじゃないかと思った。

だから、話しながらそれを聞き出そうとした。

始めは頑なに『人として~』と言っていたのだが、段々と口調が変わり・・・。

10分後くらいにはとうとう本音を漏らした。

お義兄さんが義実家に戻ってきているとは聞いていたが。

どうやら本格的に離婚の話が進んでいるらしかった。

そうなったら義実家で暮らしたいと言っているので、夫の方を何とかしなければと考えたようだ。

まだそっちの家庭は何とかなるかもしれないから、と。

それを聞いて『何でそうなるの?!』と耳を疑った。

何とかなるなんていう発想が出てくること自体が驚きだった。

結論はもう決まっていて、それに向けて動いているとばかり思っていたのに。

もしこれに夫が同意しているとしたら、尚更厄介だ。

それで夫の意向を確認しようとお義父さんに聞いてみたのだが、明確な返事はもらえずのらりくらり。

結局最後まではぐらかされたまま、電話を終えた。

まさか先に動いていた私たちよりも早くお義兄さんたちの状況が動くかもしれないなんて。

そんなこと考えもしなかった。

うちは夫の機嫌をうかがいつつ慎重に進めるから時間がかかる。

たけど、お義兄さんのところは奥さんも非常に強い人なので、いざとなったら簡単に話がまとまるのかもしれない。

やはりアンバランスな夫婦って何をしても上手くいかないものだ。

この時はもう焦りというよりも落胆の方が大きくて、一つ一つ積み上げてきたものを一気に崩されたような気がした。

2025年6月26日木曜日

差し入れも拒絶した夫

途轍もない罪悪感が襲ってきた

ストレスの原因が私だと匂わされ、酷い罪悪感に襲われた。

それまでも家を出たことで夫がショックを受けているだろうなと感じていたから。

それに追い打ちをかけられたような感じだった。

『可哀そう』だと思うなんてオカシイ。

あれほど酷いことをしてきた人なのに。

そう思おうと、自分の気持ちに気づかないフリをした。

だけど、弱っていく夫を想像した時、心臓がギューッとなるような感覚に陥った。

あの気持ちは一体何なんだろう。

解放されたいと思いながらも自分から気にかけてしまうなんて・・・。

夫の具合が悪くなり、まだまだ縛り付けられた心が解放されていないことを再認識した私は、こんなモヤモヤを抱えたままでは前に進めないと思った。

何があっても元に戻ることはないけど。

離れた後に不幸になって欲しいわけではない。

私たちとは関係のないところで幸せに暮らして欲しい。

ただ、それだけ。

家族としてやってきて10年近く。

情が完全に無くなったわけではないから厄介だった。

何となく後味が悪くて、今できることをしようと思い立ち、その時に考えたのが差し入れだった。

夫の好みは知っていたので、食べられそうな物を持参して自宅へ向かった。

向かっている間も、ずっと迷っていた。

やっぱり止めようか。

いや、行った方がスッキリするから行ってみよう。

そんな葛藤を繰り返しているうちに、とうとう最寄り駅に到着した。

そこには見慣れた風景があり、少し前までは私たちの日常があった。

見ていたら、ふと過去の光景を思い出したのだが、それはまだ子どもが幼い頃の記憶だった。

駅前でよちよち歩きの子どもを夫が追いかけて、それを笑顔で見つめる私。

そんなシーンが私たちにもあったのだ。

あの頃、確かに相手を思いやる気持ちがあったのに。

いつの間にか消えてしまった。


家族を捨てる。というのはそういうことだ

会いに行ったは良いが。

玄関にさえ出てきてくれなかった。

インターホンを押した後、顔を出したのはお義父さんだった。

事前に連絡を入れていたのだが見ていなかったようで、

「あれっ?来たんだ」

という感じだった。

私がビニール袋を差し出しながら、

「食欲が無いと聞いたので、食べられそうな物を持ってきたんですけど」

と伝えたら、奥に居た夫に

「おい、差入れ持ってきてくれたぞ」

と声をかけた。

狭い家だもの。

一連のやり取りは聞こえていたはずだ。

だけど夫が顔を出すことは無く、部屋はシンと静まり返っていた。

なかなか出てこないので、お義父さんがもう一度、

「おい、差入れだって」

と声を掛けたら、突然奥の方でドンっという音がした。

驚いて音のした方を覗こうとしたが、玄関からは見えない位置に居るようだった。

これは夫からの拒絶なんだというのが分かったので、

「じゃ、私は帰りますね」

と出ようとしたら、部屋の奥で更に大きな音が・・・。

夫が怒っているのだと思った。

これ以上は危険だ。

私は慌てて玄関のドアを開け、

「すいません。失礼します」

と言って外に出た。

閉めながら『ああ、怖かった~』なんて思っていたら、目の前のドアが開いて二人の言い争う声が聞こえた。

多分、お義父さんが暴れる夫を制止していたのだと思う。

驚いていると、少しだけ開いたドアからビニール袋が放り投げられた。

私が差し入れた食べ物だった。

恐らく夫が突き返そうとしてお義父さんが止めていたのだろう。

まだ部屋の中では言い争っている声が聞こえたが、私はそのビニール袋を放置したままその場を離れた。

夫と離婚の話になってからも、こういう気持ちのアップダウンに振り回されてきた。

話し合いも困難な時期があったかと思えば、私たちを思いやるような素振りを見せて前向きに検討してくれる時期もあり。

まるでジェットコースターのように変わる夫の機嫌に対処することができなかった。

その日、再び暴れる夫を目の当たりにした私は、一体何と闘っているんだろうと途方に暮れた。

2025年6月25日水曜日

夫の体調不良の原因はストレス?

受診しても原因を特定できず・・・

朝になり、お義兄さんの運転する車で病院へと向かった夫。

それにはお義父さんも同行した。

夜中に途中まで一人で付き添っていたお義母さんは相当疲れていたのかダウンしてしまったらしい。

病院に着いた後は、何科にかかれば良いのかが分からなかったのでまずは総合案内へ。

そこで指示された所に行き、すぐに受診できた。

ただ、診てもらっても原因が不明で・・・。

後日分かったのだが、血液検査の結果もまあまあ健康だった。

医師も首を傾げながら、

「何か急なストレスがかかったりしませんでしたか?」

などと言っていて、どう見ても体は健康だった。

医師に診てもらっている時には既にほぼ回復していて顔色も良く、

「傍から見ても元気だった」

とお義父さんが言っていた。

『なぜこんなに元気な人が病院に?』と思ってしまうくらいの状態で、所見でも異常が見当ず、

「とりあえず様子を見ましょう」

ということになり(そりゃそーだ)、帰宅した。

義両親やお義兄さんもホッとしたことだろう。

私にその情報が届いたのは、夜遅くになってからだった。

まあ、そのことばかり考えていた訳では無いから良いんだけど。

何だか自分の扱いを再認識してしまった。

お昼前には既に家に居て、みんなでワイワイご飯を食べていた夫たち。

奮発してお寿司を用意したと聞いた。

そんな余裕があるのなら、もう少し早く連絡を入れることはできなかったのかな、と思ってしまった。


『ストレス』の原因探し

病院でストレスについて触れられたことから、急に原因探しが始まった。

そして、残念なことに彼らの中ではその話題が出た瞬間から既に犯人が決まっていた。

そう。

その犯人とは私のことだ。

直接は言ってこないけれど、言葉の端々から『あなたのせいで心身がおかしくなっている』という考えが透けて見えた。

鈍い私でも分かるくらいだから、きっと敏感な人ならかなりのダメージを受けたことだろう。

それくらい何度も何度も言われ、段々と疲弊してしまった。

これはもうスルーするしかない。

そう思って彼らからの連絡は全てシャットアウトした。

そんなことをしたら離婚の話し合いが遅れてしまうとも一瞬考えたが・・・。

自分の心を守るのに必死だった。

メッセージが来ても着信があっても無反応を貫いた私。

1分間隔で10回くらいの着信があっても敢えて反応せず。

このまま収まってくれればと考えた。

でも、そうはならなかった。

この事により『原因はあいつ(私)だ』という思いが強くなり、夫からだけでなく義両親からの当たりも強くなった。

これまでも孫を取られたくないという思いから敵対することはあったが、それ以外の部分では

「色々と迷惑をかけちゃって悪いね」

という姿勢だったのに。

闘う相手が増えてしまうという結果だけが残った。

連絡を無視し続けたある日。

小学校に迎えに行ったら、待ち伏せしていた義両親に会ってしまった。

何時に帰ってくるのかが分からなくて長時間待っていたのか、

「こっちは、いつ帰ってくるかとずっと待ってたんだからな。全然分からないんだから」

と理不尽な怒りをぶつけられた。

急に怒られたので驚いてしまったが、それは私のせいではないではないか。

ムカッとして何も答えずに居たら、

「アンタは今回のこと、どう考えてるの!」

と詰め寄られた。

本心を言えば『ストレスなんて私の方がかかってるよ』という感じだったが、まさかそんなことも言えず。

「この状況ではストレスが溜まるのも無理はないかと・・・」

と『お互い様だよ』というのを匂わせた。

2025年6月24日火曜日

『夫の具合が悪化した』と真夜中の電話

夜中の1時に突然の電話

その日、私は仕事で疲れて早めに就寝していた。

寝始めてから2時間くらいが経った頃だろうか。

急に枕元に置いてあった電話が鳴った。

『こんな時間に誰だろう』と思いながらディスプレイを見るとお義母さんだった。

最初は寝ぼけていてメッセージが届いたのかと思ったが、電話だった。

急いで出てみると、お義母さんが慌てた口調で、

「あのね、ちょっと今(夫)の具合が悪くなっちゃって」

と話し始めた。

真夜中の電話に叩き起こされた感じなので、まだ頭が働いておらず、

「えっ?大丈夫なんですか?」

という少々呑気な返事をしてしまったのだが、そんな私の問いかけも耳に入らないほどお義母さんは慌てていた。

話を聞いていてもどういう状況なのかがちっとも分からなくて、

「具体的にどんな症状なのかを教えてもらえますか」

とお願いしたが、

「どうしよう」

と繰り返すばかり。

そうこうしているうちに私も段々と目が覚めてきて、声を抑えながら立ち上がった。

隣を見ると子どもはスヤスヤと眠っている。

話し声で起こしてしまったら可哀そうだと思い、リビングに移動した。

時計を見ると1時を少し回ったところ。

先輩も寝たらしく家の中はとても静かだった。

ソファに座り、口元に手を当てながら、

「今どのような症状がありますか?何時ごろから具合が悪くなったんですか」

などと色々な質問をした。

医療機関に連絡をする必要があるかを判断したかった。

そこにお義父さんが居ないということも確認でき、

「いくら電話しても出ないのよ。あの人一度寝ると起きないから」

と怒っていた。

お義父さんと連絡が付かないから余計にパニックになったに違いない。

話していたらお義母さんの方の電話に着信があったようで、

「ちょっと待ってて。また後でかけるから」

と言われ、そこから15分ほど待った。


翌朝病院が開くのを待って受診することに

その後、再び電話がかかってきたのは1時半近くになってからだった。

先ほどの着信はお義父さんからだったらしく、

「今から来てくれるって」

とホッとした様子だった。

夫の症状も落ち着いてきたので、とりあえず朝になるのを待つとのこと。

お義父さんがお義兄さんを叩き起こして車を運転してもらい、我が家へと向かった。

お義兄さんもさぞかし驚いたでしょうね。

お義父さんは本当は自分の通院があってお義母さんにバトンタッチしたらしい。

でも、そんなことを言っていられる状況ではなくなった。

真夜中の我が家に夫と義両親、お義兄さんが集まり、雑魚寝をして朝になるのを待った。

お義兄さんが居ないと受診するのも大変だ。

我が家には車が無く、タクシーも自分たちで手配することはない。

面倒なのか、いつも私に「○○時にタクシー呼んでおいて」と言っていた。

その私が居ないのだから、自分たちで呼ぶよりはお義兄さんに頼んでしまおうと思うのが自然だろう。

電話を切った後、私ももう一度眠ろうとしたがなかなか寝付けなかった。

変な時間に起こされてしまったというのももちろんあるが。

いつもどこか演技がかっていて効率の悪いことを嫌う夫が、夜中に誰かを頼りたくなるくらい具合が悪くなるってどういう状況?と色んな想像をしてしまった。

世間体を気にする人なので、わざわざそんな時間に体調不良をアピールすることはない。

となると、翌朝を待てないくらい本当に具合が悪かったということか。

離婚話の件でご飯を食べなくなったりしていたから。

何だか後味が悪くて、眠れなくなった。

悶々と考えていたら、隣で眠る子どもが楽しい夢でも見ていたのか急に『キャハハ』と笑った。

普段なら笑い話だけど、あの日は変な緊張感があったので更に眠れなくなってしまった。

2025年6月23日月曜日

食事をほとんど取らなくなった夫

不気味な沈黙、気づかなかった義両親の変化

思い切って夫にこちらの要求を突き付けた。

そうしたら、あれほど頻繁に来ていた連絡がパタッと途絶えた。

それまでも離婚に関する話し合いには積極的では無かった。

だけど、どうでも良い話は毎日のようにメッセージで送ってきていて。

反応にも困ることも多かった。

それがいきなり不気味なほどの沈黙。

きっと何かあったんだと思った。

ただ、何かあったとしても私たちが直接関与するようなことではないかもしれないと考え、連絡は控えた。

義実家の方ではお義兄さんの件でもゴタゴタしていた。

だから、その件でまた色々と悩ましい問題が発生しているのかもしれない。

そう思って、相手から何か言ってくるまでは静観しようと決めた。

実際に私から動くことは無かったのだが、その間、義両親からちょっとした連絡があった。

質問されたことに答え、いつも通りに接したつもり。

相手もいつも通りだったような気がしたけど。

後から考えると少し雰囲気が違っていた気もする。

どことなくよそよそしいと言うか・・・。

でもそれは、離婚話の真っ最中で私に対して複雑な心情を抱いているからだと思っていた。

それが、まさか夫があんなことになっていたなんて。

その頃の私には知る由もなく、『早く連絡来ないかな~』なんてのほほんと過ごしていた。


私への抗議のつもりなのか・・・

夫がご飯を食べなくなった、と聞かされたのはそれから数日後のことだった。

『困っている』と義両親から連絡があり、初めて夫の状況を知った。

「何日ぐらい食べてないんですか?」

と聞いてみたのだが、その返事は要領を得ないものだった。

恐らく、正確には分からなかったのだと思う。

全く食べていない感じではなくて、リンゴひとかけとかゼリー一個とか。

僅かな量を取っていて、それ以上は食べようとしなかったらしい。

水分はちゃんと取っていると言っていたが。

それだけでは体力が持たないだろう。

本人が嫌がると言っても何かしらの方法で食べさせた方が良いと思い、義両親にそう伝えた。

そうしたら、

「すっかり気落ちしちゃってるから、厳しく言うことができないんだよ」

と強い口調で言われた。

それが何だか非難されているように感じて・・・。

その時初めて『ああ、そうか』と理解した。

私への当てつけなんだ。

『夫の元に戻るつもりはない』と告げた時から少しおかしかった。

急に無口になって、私との対話を避けるようになった。

心当たりのある私は何も言えなくなり、ただ

「すいません」

と謝った。

謝っても夫の気持ちが晴れることはない。

それでも、謝ることしかできなくて、

「私にできることはありますか?」

と声をかけた。

もう離婚する夫のために何かするなんておかしな話かもしれない。

でも、最後くらい元気に笑ってお別れしたくてそんな発言になってしまった。

義両親の返事を待つ間の長い長い沈黙。

なかなか返事をもらえないので、もしかして電波が悪いのかと思って、

「あの・・・」

と言いかけたら、

「あなたにできることは何もない!」

とハッキリとした口調で言われた。

明確な拒絶だった。

私のせいでそうなったのだから関わって欲しくない、という意思表示だった。

義両親からそれほどまでに強い憎しみを向けられた私に、一体何ができると言うのだろう。

最後まで噛み合わない二人だったが、とうとう分かり合える日はやって来なかった。

2025年6月22日日曜日

離婚が棚上げされそうで不安に・・・

全く動く気配のない夫

お義兄さんの件があったから『少し待つよ』とは言った。

だけど、『無かったことにして良い』という意味ではない。

それなのに、引っ越しの話が先送りにされてから段々と離婚の話に対して反応が鈍くなった。

条件を決めようとしても、

「それより観たい映画があるんだよ」

とか、

「行きたい所があるから付き合ってくれる?」

とか。

いつの間にか話をすり替えるようになった。

そんな夫を目の当たりにして、一体どういうつもりなのかと困惑した。

あんな状況でも強気に『出て行って欲しい』と言えたら良かったのに。

それができなかった。

突っぱねれば義実家の方で何か策を考えてくれたかもしれない。

でも、私は何故か同情してしまった。

追いつめたくないと思ってしまった。

離婚するというタイミングでお義兄さんの家庭も上手くいかなくなって。

義両親が悲しんでいることとか、夫が本当は戻りたいと思っていることとか。

全部考えていたら可哀そうに思えてしまって・・・。

そういう変な同情心がいつも私たちを苦しめた。

そして、それ以来夫が動く気配が無くなった。

離婚のこともうやむやにされそうになっていた。

これは話をしなければマズイことになると考え、思い切って

「大事な話がある」

と伝えた。

もう条件を決めるための時間も作ってくれなくなっていた。

仕方なく電話で話すことになり、私からそう切り出したら、

「こんな状況で変な話するなよ」

とけん制された。

夫は自分の置かれた状況を逆手に取って、離婚の件を無かったことにしたいのだろうと思った。

私のもっとも恐れていたことが現実になろうとしているのだと感じ、慌てて

「これまでに決めたことは覆らないよ」

と言った。


引っ越し期限を設けることに

お義兄さんの事情も分かる。

もし自分がそんな状況なら、やはり『少し待ってくれ』と思うだろう。

だけどそれは夫側の言い分であって、こちらからすればいつまでも待てる訳ではない。

私は淡々とした口調で、

「期限を設けたい」

と伝えた。

それを聞いた途端、夫は鼻をすすり始め、

「申し訳ないとは思ってるよ・・・でも今は仕方がないんだよ」

と泣いた。

泣かれてしまうと私もどうしたら良いのか分からなくなってしまい、

「状況的に厳しいのは理解してるつもりだよ」

とだけ伝えた。

夫が期待していたのはもっと別の言葉だったと思う。

引っ越しは都合の良い時で良いんだよ、というような。

もっと言えば、離婚の件も覆したかったに違いない。

だけど、私がそうさせなかった。

涙声で話す夫の声を聞いていたら罪悪感が芽生えたが、それでも言いたいことを言わなければと最後まで話し続けた。

いつまでも待てないというこちらの状況も理解して欲しいこと。

期限を決めずにこのままダラダラと時間が過ぎてしまうと、この生活も続けることができないこと。

私には戻る意思はないこと。

条件を決める機会を貰えないのであれば、弁護士に依頼するしかないこと。

途中で止められないように一気に伝えた。

そうしたら、夫が

「なあ、本当に離婚じゃなきゃダメなのか?別居でも同じだろ?」

と言うので、

「気持ち的に別居ではダメなんだよ。一度完全に離れないと」

と答えた。

それでも納得できない様子だったから、

「戸籍上のつながりがある状態では気持ちを整理できない」

と正直な気持ちを伝えた。

この発言は予想外だったのだろう。

夫は深い深いため息を吐いた。

この時、ようやく自分の思い通りにはならないことを悟ったのかもしれない。

2025年6月21日土曜日

お義父さんへの抗議に激怒した夫

私の発言が失礼だと言うが・・・

お義父さんが学校に出向いて子どもを説得しようとした件は、すぐに夫の知るところとなった。

驚いたことに、夫から見ると『間違ったことはしていない』のだと言う。

おじいちゃんが孫に会いに行くことの何が悪いの?という感じだった。

ただ会いに行っただけなら私もここまで反応しない。

もちろん夫が行くのはNGだけど。

問題なのは『パパのことを許してあげて』と圧をかけたことだった。

許すと言ったら、夫のことだから多分元通りの生活を求めると思う。

お義父さんもそれを望んでいることは百も承知だ。

だけど、私たちにそのつもりはない。

こちらの気持ちを無視して一方的に説得しようとするなんて。

これでは以前と何ら変わり無いではないか、と思った。

あの日、お義父さんが子どもににじり寄っているのを見つけて慌てて駆け寄った。

そして、子どもとお義父さんの間に入るような形で事情を聴いた。

最初は言葉を濁していたが、すぐに状況を理解できたので、

「これ以上は止めてください」

と言ってお義父さんの言葉を制止した。

『子どもの気持ちを考えて欲しい』とお願いもしたけれど、あまり響いていないようだった。

そのまま帰宅して今後どうすべきかを考えてはいたが、夫に連絡するつもりは無かった。

きっとお義父さんの肩を持つだろうし、私の言い分なんて聞いてくれないだろうから。

『対策も考えなきゃな―』なんて思っていたところ、急に夫から連絡が来た。

最初からとても怒っていて、

「うちの親に対して何であんな態度を取るんだ!」

と怒鳴られた。

あんな態度と言われても、ただお願いベースで話をしただけだ。

まさか事情も知らず、子どもに会いに来たお義父さんを追い返したと思ってる?

不審に思って確認してみたら、夫は全部聞いて知っていた。

その上で、私の発言が非常識だと憤っているようだった。

「ろくに会わせてもらえない孫に会いに行っただけなのに。それのどこが悪いんだ!」

と話にならなくて。

恐る恐る、

「パパを許してあげて」

という発言に対してはどう思っているのかを確認してみたら、

「別に何もおかしいことはない」

と言い切った。

夫にとってお義父さんは親なのだから、親が子どもを想って発言するのはごくごく普通のことだ、と正当化していた。

あんな人でも自分の親を気遣う心は持ち合わせているらしく、

「心配ばかりかけて申し訳ないと思ってる」

と言うので、思わずため息が出た。


二度と同じようなことが起こらないように・・・

夫があの部屋に居る限り、リスクは無くならないと思った。

小学校に通わせるのも本当は怖かった。

これが一時のことならその間だけお休みすることもできたのだが・・・。

その時点では夫がいつ義実家に引っ越せるかが分からなかった。

それで、放課後に学校で見てもらえるサービスを利用することに決めた。

手続きは意外と簡単で、先生から書類をもらって提出するだけ。

子どもに伝えて用紙を持ってきてもらい、翌週からスタートとなった。

それを利用すれば、私も学校内まで迎えに行くことができる。

引き取りをした後に安全に帰れるから、最初からそうしておけば良かった。

当時は色んなことを考えているようでいて、実際には気が回っていないことも多かった。

だから、後から気づくこともたくさんあったのだけれど。

不思議と上手くまわっていた。

困難な状況の中で子どもの純真さや明るさに救われた部分もある。

夫と離れてから、子どもは本来の姿を取り戻したのか明るくなった。

積極的に色んなことにチャレンジし、お友だちと遊ぶことも増えた。

外出中に異様に時間を気にしたり大きな音にビクッとしてしまう癖はなかなか消えなかったけど。

それでも、自由な環境が少しずつ子どもを変えてくれているのだと思えて嬉しかった。

2025年6月20日金曜日

お義父さんが小学校近くで待ち伏せ

許しを請うお義父さん

何だかんだと揉めていて、まだ先輩の家にお世話になっていた頃。

子どもの小学校でお義父さんが待ち伏せしていたことがあった。

『気を付けるように』と何度も言っていたのだけれど。

まだ小学校低学年だったからね・・・。

一応警戒はしていて『ママが来るまでは門の近くに居よう』とは思っていたみたい。

だから、出てすぐのところ辺りをウロウロしていた。

お友だちもみんな帰り、やることも無いのでその辺に座ったり借りてきた本を開いたり。

本来ならその時間には私も到着しているはずだったのだが。

退勤間際にやることができてしまって、その日は遅れていた。

子どもに連絡もできなくて焦りつつも仕事をこなしていた頃、重大なトラブルが発生していた。

ランドセルを置いて座っていたら、いきなり背後から声を掛けられたのだ。

ビクッとして振り向くと見慣れた顔があった。

「おじいちゃん、どうしたの・・・」

子どもは戸惑いつつも、周りにパパが居ないことを確認した。

『パパが居たら逃げなさい』と教わっていたから。

だけどそこにはおじいちゃんしか居なくて、子どもは訳も分からず『その場を離れなければ』と思った。

ランドセルを背負って立ち上がり、

「バイバイ」

と言って行こうとしたが、お義父さんが

「(子ども)ちゃん、ちょっと待って。おじいちゃんと少しお話しよう」

と言ったらしい。

子どもは、

「もう帰る」

と言いながら歩いて行こうとしたのだが、お義父さんがついてくるので困ってしまった。

私もまだ到着しておらず、そこを離れたら待ち合わせできないという不安もあった。

その場に留まらなければすれ違ってしまうと気づいた子どもは、仕方なく

「何のお話?」

とお義父さんに問いかけた。

ここまで聞いて、『どうせろくな話じゃないだろうな』と思った。

案の定、お義父さんの伝えたいことというのはかなり自分勝手なものだった。

「パパはとても反省しているよ。おじいちゃんも一緒に怒ってあげるから許してあげようよ」

そう言われた子どもは反射的に、

「嫌っ!」

と答えた。

でも、お義父さんもその程度では引き下がらず、何度も

「可哀そうだよ。許してあげようよ」

と言ってきて、子どもは逃げることができなかった。


それは卑怯だよ、お義父さん

子どもの優しい気持ちにつけこんで、そんなことを言うなんて。

あんまりにも卑怯じゃないかと腹が立った。

優しい子なので、こんな風に懇願されたら最後は『分かった』と言ってしまうだろう。

そうならなかったのは、ちょうど私が到着したからで。

もしあれ以上遅くなっていたら、どうなっていたか分からない。

一緒に居た頃、子どもはあんな父親にも優しかった。

叩かれたり蹴られたりした後なのに、夫がメソメソしながら

「ごめんな。パパが悪かった」

と言えば、

「うん、大丈夫だよ」

と答えていた。

そういう子なのだ。

「何で許してあげたの?」

と聞いたら、

「だってパパが泣いてたから」

と言っていた。

子どもはそれ以上に泣かされたはずなのに・・・。

私は子どものそういう部分をとても素敵だと思っている。

ずっとその優しさを持ち続けて欲しい。

だけど、中には人の優しさにつけこんで利用する人もいるんだよ、ということも伝えたかった。

それにしてもお義父さんには腹が立って仕方がなかった。

『あまりにも卑怯だよ』と思いながら、

「子どもの気持ちを一番に考えて行動して欲しいんです」

とお願いするような口調でけん制した。

やんわりと言ったところで真摯に受け止めてくれるかは分からないのだが。

強制的に『パパを許す』と言わせようとしたことを絶対に許すことができなかった。

2025年6月19日木曜日

義兄の奥さんに不満を募らせる義両親

はっきりした性格の義姉

お義兄さんの奥さんは、非常にはっきりとした性格だった。

嫌なものは嫌。

それをスパッと言えるタイプ。

思っててもなかなか表には出せないものなのに。

彼女は躊躇なく言うのでハラハラすることもあった。

周りもそういう人だと分かっていて、それなりの対応をしていた。

私から見ると夫のような人がもう一人増えたような感じだ。

と言っても、彼女が私に強く当たることはない。

もっぱらお義兄さんに対してであり、時には義両親にも強く主張していた。

それを見て、何だか羨ましいような気持ちになった。

私もいつかあんな風に言えるようになるのかな。

羨望の眼差しを向けつつ自分もそうなりたいと思ったが、そんな日はやって来なかった。

ある時、義両親が我が家にやってきてずっと彼女のことを愚痴っていた。

「あの嫁は気が強すぎる」

から始まり、

「思いやりがないから(お義兄さん)も大変だ」

とか

「あの性格でよく周りと上手くやっていけるな」

とか散々な言われようだった。

確かに驚くことはあるけれど、それはお義兄さんだって同じ。

お互い様なのだから、片方だけ責められるのはおかしい。

しかも本人たちがそれを良しとしてるのなら、周りが口を挟むことではない。

そう思って黙っていたら、今度は容姿にまで言及し始めた。

聞いているのも気分が悪いので、そっと立ち上がってその場を離れたのだが・・・。

普段から一度こういう話になると止まらなくなることが多かった。

よほど気に入らなかったみたいだ。

私も裏で何か言われていたのかもしれない。

気づかなかったけど。

実の叔母でさえ私のことを『のろま』と言っていたのだから、その程度のことなら言われていたと思う。

お義兄さんの奥さんは面と向かって指摘されても、涼しい顔で

「そうですか~?」

と流していたから強い!

この強さが夫婦喧嘩に遺憾なく発揮され、別居が長引いてしまった。

結果的に私たちも振り回されることになり、夫の引っ越しの時期がどんどんずれていった。


義両親とお義姉さんの衝突

お義兄さんはいわゆる高給取りと呼ばれる部類だった。

奥さんも正社員として働いていて、経済的にとても安定していた。

パワーカップルって言うんだっけ?

とにかくお金の使い方が豪快で、車のパーツなんかにもこだわっていた。

食事は外食が多く、自炊はほとんどしない。

あんなにお金を使うのならお手伝いさんでも雇えば良いのに、と思っていたが。

それは義両親が許さなそうな雰囲気だった。

働かなくても良い環境なのに、わざわざ働いて家事を疎かにしている。

そんな風に話していた。

家事をきちんとできないのなら、仕事をセーブするか辞めれば良い。

直接お義姉さんにそう伝えたそうだが、本人は全く意に介さない様子で、

「私たちのことは気になさらないでくださいね~」

と流したそうだ。

その時の口調を真似しつつ再現してくれたのだが、確かに彼女なら言いそうだなと思った。

そのまま上手くいってれば良かったんだけど、その少し後に実はお義兄さんが高血圧と糖尿病になってしまった。

常にキレてるから血圧高そうだなーとは思っていた。

それに加えて糖尿病とは・・・。

普段から良いものを食べているというだけじゃなく、バランスが悪かったんだと思う。

何せ夕食はいつも外だし、お昼も外で食べることが多いと言っていた。

この話を聞いた時、思わず頭の中で電卓を叩いてしまった。

彼らの職場のランチ相場とか諸々考えて、いったい食費がいくら掛かっているのだろうと。

まあ、費用面はそれぞれのキャパがあるからいったん置いといて。

そんな生活をしていたら体に影響が出るのも分かる気がする。

このことで更に義両親との関係が悪化し、お互いへの不満を募らせていった。

2025年6月18日水曜日

夫の引っ越し直前、お義兄さんが義実家に戻ることに

喜びも束の間・・・

家に戻れば小学校にも職場にも近くなる。

これで体力的にもだいぶ楽になる。

そう思いながら一日一日をかみしめる様に過ごしていた。

それが実現できたのは夫の協力があったからこそ、という考えもあるが。

元はと言えば、あんなに粘っていないで早く義実家に戻っていれば良かったのだ。

その方が義両親だって楽ができるし、私たちもこんなに苦労をすることは無かった。

ただ、もう過去のことはどんなに怒っても悔やんでもどうにもならないので。

ただ淡々とこれからのことを考えながら動いていた。

「あと2週間くらいで明け渡せるかな」

夫もそう話していたのだが・・・。

数日後、事態は急転した。

お義兄さんが義実家に戻ることなってしまったのだ。

お義兄さんとお義姉さんが上手くいっていないらしく、しばらく義実家でお世話になることになった。

え~このタイミングで?!

物凄くガッカリしたけれど、部屋数が足りなくて夫が居候する場所が無くなってしまった。

お義兄さん夫婦はどちらもモラハラで言いたいことを言い合うタイプ。

喧嘩はその分派手だけど、遺恨を残さないのかいつもすぐに仲直りしていた。

だから、あっと言う間に元通りになり出ていくだろうと思った。

少しの間なら待つしか無いか・・・。

もうゴールが目の前に見えているのにお預けを食らったような感じになってしまったが。

仕方がないので、『少しの間ならそこに居て良いよ』と伝えた。

この時ばかりは夫も申し訳なさそうに、

「もう準備もしてたんだろ?悪いな」

と謝っていた。

この兄弟はどちらもモラハラ気質があるように思う。

夫は必要な小物を既に義実家に移動させていた。

それを見たお義兄さんが邪魔に思ったのか、わざわざ我が家に送り返してきた。

しかも着払いだったらしく、夫はかなり怒っていた。

「アイツはいつも勝手なんだよ!」

と言っていたが、多分似た者同士なのだろう。

お互いが傍若無人に振舞うため、衝突することも少なくなかった。

それで周りも巻き込まれて散々嫌な目にあった。

私は遠巻きに見るタイプだったが、お義兄さんの奥さんは結構巻き込まれていた。

そういう争いがあると避けるのではなく突進していくタイプみたい。

私にはとてもじゃないが恐ろしくて真似できないと思うことがたびたびあった。


他の部分の交渉を進めることに

部屋を明け渡してもらうのが先だと考えていた。

その方がお金の面でも体力的にも楽になるから。

それ以外のことは後回しにしていたのだけれど。

お義兄さんのことで予定が狂ってしまった。

部屋のことはもう私たちの意思だけではどうにもならなくなったので、その他の条件を話し合うことにした。

と言っても、財産分与の協議をしないかわりに親権をもらうという部分も決まっていた。

私からするともっとも重要な部分をしっかり押さえた形だ。

夫が財産にこだわるタイプで本当に良かったと今でも思う。

だって、そのお陰で子どもを手放さずに済んだんだから。

夫からは訳の分からない要求をされていて、例えば私への『恋愛禁止』というのもなかなかに強烈だった。

いや、誰かと恋愛するつもりは全然無いんだけど。

わざわざそれを離婚の条件にしてくることが理解できなかった。

連れ子問題がニュースをにぎわすこともあるから、そういう心配をしているのかな?とも考えた。

でも、どう考えたって違う。

そんな人が子どもを虐待するはずがないから。

他にも、『義両親と定期的に会って近況報告をすること』というのは受け入れがたかった。

夫のことは怖いから確かに会いたくない。

だからと言って義両親なら良いかと聞かれると、そういう話でもない。

できれば夫に関係する人たちとは疎遠になりたかった。

子どもだってそれを望んでいた。

だけど、夫が密に連絡を取り合うことを求めるので、妥協点を探らなければならなかった。

それと、忘れてはならないのが養育費のことだった。

再就職したんだから、払えないことはないはずだ。

家賃だってかからず、どうせ食費を少し入れるくらいだろう。

それならば、少しくらい払って欲しいと思って交渉することにした。

2025年6月17日火曜日

引っ越し資金を捻出できず・・・

家に戻ることを決意

夫が出て行ったら、あの家に戻ろうと決意した。

嫌な思い出ばかりの場所だけど。

やはりお金のことがあって、そうせざるを得なかった。

家族三人で暮らしている頃も決して楽ではなかった。

それが、家を出てからは更にお金がかかるようになってしまった。

自分で決めたことだから仕方がないと言えば仕方がない。

気持ち的にはそれで良いのだが、貯めていた分がずい分減ったのは大きな痛手だった。

こっそり持ち出したへそくりがあったから何とかやってこれた。

でもそれにも限りがあり、これ以上長引いたら続けられないという焦りがあった。

対峙するのは怖かったが、離婚の交渉を積極的に進めることにした。

ただ、これは相手のあることだから私の意思だけで上手くいくものではない。

案の定、思うようには進まなかった。

もしかしたら、夫は見透かしていたのかもしれない。

私が追い詰められて焦っていることに。

時間との闘いになり『これ以上はもう待てない』という所まで追いつめられて心は疲弊した。

そんな時、夫が急に部屋を明け渡してくれることになった。

ようやく普通の暮らしができる。

言葉にできないほどの喜びや安堵を感じ、一気にストレスから解放された。

夫との生活に戻らなくて良いんだ、というだけで私にとっては最高の結末だと思えた。

当初の計画では部屋を引き払って別のところに行こうとしていたけど、それは無理になった。

敷金・礼金・保険・前家賃・手数料。

物凄いお金がかかるもんね。

あの部屋に戻ることだけは億劫で。

夫の痕跡を見つけてはブルーな気持ちになるんだろうな、と想像した。

子どもに、

「パパが出ていくことになったから。二人で前の家に住もう」

と告げたら、子どもも嫌がった。

「あの部屋は怖いから嫌だ」

と言われ、

「もうパパは居ないから」

となだめた。


夫が急に来たらどうする?

部屋に戻ることで話は決着した。

費用もかからないし、当分はこれで仕方がないのだ。

安易にそう考えてしまった私に、先輩は

「旦那さんが急に部屋に来たらどうするの?」

と心配そうに聞いてきた。

そうだった。

そんな問題がまだ残ってたんだ。

鍵をかければ良いと思ってしまったが、よくよく考えたら夫も義両親も持っているではないか。

そうすると、中からチェーンでもかけない限りは安全ではない。

家に帰り、鍵を開けて入ろうとしたら中で夫が待ってた、なんてことになったらどうする?

合鍵を持っているということは、そういうことなのだ。

ましてや、夫の住み慣れた家だ。

勝手知ったる我が家で好き勝手する可能性もある。

私としては、離婚したらもう家に入って欲しく無かった。

というか、入れるつもりは無かった。

だけど、そのままでは確実に夫が来てしまう・・・。

それで考えて、勿体ないけれど鍵の交換をすることにした。

まずは管理会社に連絡を入れて、交換することを打診した。

この時、理由を聞かれたのだが、『安全性の高い鍵に変えたい』という理由で乗り切った。

管理会社の営業さんは、

「最近物騒ですもんね」

と納得した様子だった。

そのまま交換する時期の話になったのだが、それは少し先にしてもらうことで話は終了。

夫が居る間に業者が来てしまったら、それこそ大変なことになる。

またヘソを曲げて離婚届に判を押して貰えなくなるかもしれない。

そんなことが起こらないよう、私は慎重に次にすべきことを考えていた。

2025年6月16日月曜日

着々と進む夫の引っ越し準備

我が家に残った荷物を整理する日々

話が決まってからは、着々と引っ越しの準備が進められていた。

時折夫から連絡があり、

「○○はどうする?置いて行った方が良い?」

と聞かれることがあった。

冷蔵庫やテレビは義実家にあるから要らないとのこと。

だから、そのままにしてもらうことになった。

これらは夫が元気な時に二人で折半して購入した物だ。

どちらか一方が引き取るとなると揉めるのではないかと心配していた。

だけど、それは杞憂に終わった。

夫の貴重品や私物は手で持って行くとして、問題は大きな荷物だった。

コンポとかいくつかのスーツケースとか。

夫が管理していた棚なんかもあった。

それらを手で運ぶことはできないから、引っ越し業者に頼むのかな?と思った。

そうしたら、軽トラックを借りて夫の友人が運んでくれるのだと知らされた。

夫も免許は持っているけれどペーパードライバーだ。

わざわざマニュアルで取ったのに、ずっと乗って居なかったから多分運転できない。

日頃から運転している友人が引っ越しの時に軽トラックを借りて運んでくれるらしく、もう大体の流れは決まっている感じだった。

いよいよ夫があの部屋から居なくなる。

そう思ったら何故か少し緊張した。

それまでは、夫がいつもその場に居て私たちを完全にコントロールしてきた。

気に入らないことがあれば激高し、容赦なく怒鳴りつけられた。

それが急に居なくなることになり、実は戸惑いをおぼえていた。

家を出てからも精神的には夫から管理されているような状態だったから。

実際は心から解放されている状態ではなかった。

それが急に本当の自由を手に入れたのだ。

『そうなったら良いな』と思い描いていた現実が目の前まで迫った時。

私は不安を感じて、その責任をひしひしと感じていた。

これからは自分で何でも決めなければならない。

家に居る大人は私一人。

一人で子どもを守っていかなければならない。

そう思ったら、自分で鎖を切ったのに心細くなってどうしたら良いのか分からなくなった。


自分で決めることが難しい

モラハラ被害の影響なのかな。

私は自由になった後も自分で何かを決めるのがとても難しかった。

何を選んでも間違っているような気がして誰かに確認したくなった。

いっそのこと、他の人が決めてくれたら楽なのにとさえ思った。

それくらい自分に自信が無くて。

常に非難されているような気がしてしまう日々。

ビクビク、オドオドしながら過ごしていると本当に疲れる。

その兆候は夫が家を出ると聞かされた時から既に現れていて、

「あれっ?次はどうすれば良いんだろう?」

と急に不安になった。

周りの人は

「何でも自分で決めれば良いんだよ」

と言うけれど、それが難しいのだ。

そういう時には夫と居た頃の苦しい時間をあえて思い出した。

あれほど辛い時間を過ごしてきたのだから、今の方が数千倍、数万倍マシ。

そう自分に言い聞かせた。

『大丈夫、どうにかなる』と思うことで一つずつ乗り越えてきた。

夫は当初、私がすぐに自分に泣きついてくると考えていたようだ。

『何もできない女だから』

というのが口癖だった。

そう仕向けたのは自分なのに。

まるで最初から私が何も自分で決められなかったかのように周りに吹聴した。

そうやって、妻を守り尽くす夫という印象を作り上げたのだ。

2025年6月15日日曜日

急転直下!夫が家を出ることに

やっと問題が一つ片付いたけど・・・

その日の話し合いは、いつもとは違っていた。

終始夫が静かな口調で話し、時折うっすらと笑みを浮かべていた。

一体何度こうやって話し合っただろうか。

幾度となく揉めて、収拾がつかなくなったこともあった。

だから、話し合いの前にはいつも『期待し過ぎてはいけない』と自分に言い聞かせた。

期待し過ぎると、上手くいかなかった時に落ち込んでしまうから。

そんな気持ちで臨んだ話し合いだったが、開口一番、夫が

「俺、家を出るわ」

と言った。

にわかには信じられず、その言葉を頭の中で反芻した。

騙されているんじゃないかと一瞬考えたが、夫の表情は真剣そのもの。

その言葉が嘘ではないということは顔を見ればすぐに分かった。

『本当なんだ』と思った瞬間、じわじわと嬉しさがこみ上げてきた。

一方ではまだ信じられない気持ちもあった。

『部屋の更新があるから出て行って欲しい』とお願いした時も頑なに拒否していた夫。

それが自分から『出て行く』と言うなんて。

すぐに信じられる人は稀だと思う。

何か裏があるのではないかと探ってみたのだが、

「うちの親も段々と行ったり来たりするのが疲れちゃったみたいだからさ」

とだけ言った。

電車で数十分の距離とは言っても、確かに頻繁に行き来するのは負担になったはずだ。

しかも、義両親のどちらか一方が夫といる時には、もう片方は義実家に居るという生活で。

すれ違いのようなことになっていた。

自分たちのペースで暮らすことができず、孫も居無くなり・・・。

義両親にしてみたら、もうあの部屋で暮らす意味が無くなったのかもしれない。

私が子どもを取り戻してからは義両親が落ち込んでいると夫が言っていた。

離婚というのは、ただ家族がバラバラになるだけではない。

関わった色んな人たちのことも傷つけ、苦しい思いをさせてしまう。

夫の話を聞きながら、ふと義両親が目を細めながら子どもと話している姿を思い出した。

初めての孫で。

本当に楽しそうで。

「何時間見ていても飽きないわ」

と言っていたお義母さん。

子どもが好きそうなものを手土産にやってきては子どもの相手をしてくれたお義父さん。

お世話になったこともたくさんあったのに・・・。

最後にこんな悲しい思いをさせて申し訳なく思った。

気落ちしているだろう姿を想像したら、その様子を淡々と話す夫にもかける言葉が無かった。


「なるべく早く出て行くから」と約束してくれた夫

最初から最後まで揉めることなく、その日の話し合いは終了した。

夫はもうこの現実を受け入れているようで、

「なるべく早く出て行くから」

と約束してくれた。

静かな口調で今後のことを話す夫は、まるで付き合い始めの頃のようだった。

とても私たちを虐げてきた人と同一人物には見えなくて。

もしかしたら私たちの頑張り次第でもう少し違った未来があったのかな、なんて思ったりもした。

最後の方は『苦しい』とか『辛い』と思うばかりで、他のことに目を向ける余裕が無かった。

それで対応を間違ったこともあったのかもしれない。

あの時、咄嗟に家を出たことは正解だったのかな、とか。

居場所を知らせずに義両親ともほとんど会わせなかったのは私のエゴなのかな、とか。

夫の話を聞きながら、過去の自分の間違い探しをしていた。

そんな私を一度も責めることはなく、

「遅くなっちゃってごめん」

と言ってくれた。

私はこういう優しさを待っていたのに、待ち望んでいる時には与えられなかった。

だから、こんな結末になってしまうのは仕方がないのだとも思った。

でも、やっぱり寂しいものなんだな、というのが正直な感想だ。

付き合っている頃に出かけたことや一緒に暮らし始めた頃のことが後から後から思い出されて思わず涙が出た。

これはうれし涙なんだと思おうとしたけれど、『やっぱり寂しいんだ』とより強く自覚しただけだった。

ここまでされて、絶望しかない毎日だったのに。

そこから抜け出して、やっと離婚への一歩を踏み出すことができたはずなのに。

我ながら馬鹿だなぁと思った。

それでも、子どもを守るためには夫と一緒には居られない。

私一人だったら最後まで面倒を見るという選択肢もあったかもしれないが、大切な子どもが居るのだ。

その仮定は存在しない。

これから一人になる夫が、せめて幸せに暮らして欲しいと願った。

2025年6月14日土曜日

子どもの想い出の品もゴミ袋の中に

ゴミ袋の中に思わぬ物を発見

子どもの服を取りに行ったつもりが、思わぬ物を発見した。

それは、子どもの大事にしていたぬいぐるみだった。

以前、うちの両親と一緒に動物園に行った時に買ってもらった物。

子どもはとても大事にしていて、大切な物を入れるケースにしまっていた。

それをわざわざ取り出してゴミ袋に入れたということだろうか。

夫ならやりそう、とも思ったが。

そんな意地悪なことをする意味が分からなくて、発見した時には怒りがわいた。

服と一緒に入れられていただけなので汚れなどは無かった。

ただ、無造作にゴミ袋に放り込まれたことを想像したら子どもが可哀そうで・・・。

こうやって大事にしている物まで躊躇なく捨ててしまうんだな、と更に夫への嫌悪感が強くなった。

『もう好きじゃない』という所で留まっていれば、まだ必要最低限のやり取りはできる。

でも、『嫌い』まで行ってしまうと、普通のやり取りさえ億劫になる。

私の場合は更にその上の『大嫌い』というレベルまで行ってしまったのだから。

関係を修復するのは絶対に不可能だった。

ぬいぐるみ自体はそれほど大きな物では無い。

だから、服を詰めた後一番上に乗せて持ち帰ることができた。

これを見たら驚くだろうな。

まあ、寝ているだろうから発見するのは明日だろうけど。

そんな風に思いながら帰ってみると、なんとまだ子どもが起きていた。

眠い目をこすりこすり、先輩の隣でボーっとテレビを見ていた。

小さめの声で、

「ただいま~」

と入って行ったら数秒後に覚醒したのか、

「ママ!おかえり~」

と嬉しそうな顔で近づいてきた。

上にちょこんと乗せていたぬいぐるみを手渡すと更に嬉しそうな表情になり、

「これっ!持ってきてくれたの?!」

と大事そうに胸に抱えた。


パパを恐れる子ども

「パパ、怒って無かった?」

とぬいぐるみを抱きしめながら子どもが言った。

直接会って話したわけではないんだけど、そういうことにしてあったから話を合わせる必要があった。

「うん、大丈夫だよ」

そう答えたけれど、実際の所は顔も合わせてない。

外に出されていたゴミの中から、こっそり持ち帰ってきただけだ。

子どもは『パパが怒っていない』ということを聞いてホッとしたような表情へと変わった。

子どもの中で夫は恐怖の対象だ。

怖い以外の感情はほとんど無かったかもしれない。

尊敬とか慕うような気持ちもゼロだと思う。

ただ怖いから言う通りにしていただけ。

だから夫と会うと伝えた時には、常に不安そうにしていた。

「ママ、危ないよ」

とも、よく言っていた。

子どもに危ないと言われてしまうほどの人物なのだ。

ゴミに出そうとしている物であっても私が勝手に持ち出したとなれば夫は激高するから。

気づかれない程度の枚数だけ持ち出した。

その後は元通りになるように袋の結び方にも気を付けた。

注意深く見ていなければ開けたことに気づかないだろう。

私が取りに行くとは夢にも思わないだろうから怪しまれる心配は無いと思った。

それにしても、まだ着られる服がずいぶん捨てられていたな・・・。

夫が怒ると本当に手がつけられなくなる。

捨てる時、お義父さんやお義母さんは止めなかったのだろうか。

いや、止めたとしても言うことを聞かなかったのだろうな。

私たちの初冬まで着られるような服は、ほとんど捨てられてしまった。

ああは言ったけど、実際に行動に移すことは無いんじゃないかとうっすら考えていた私が甘かった。

憎しみのあまり、目の前にある物をどんどん捨ててしまったんだろうなというのは容易に想像できた。

そこまで憎んでいるのに、なぜそんなにも執着するのかが分からない。

どうせなら、とことん憎んでもう顔も見たくないくらいになって、私たちと縁を切ってくれれば良いのに、と思った。

2025年6月13日金曜日

予告通り、捨てられていた子どもの服

こっそり自宅を見に行った夜

時刻は8時半、あと30分で子どもが寝る時間だった。

寝付くのを待ってから出かけた方が良いのか迷った。

でも、遅く出たら戻るのが深夜になってしまう。

少しでも早く出た方が良いかと思い、子どもに説明することにした。

不安にさせないように伝え方も考えたつもり。

夜に出かけることなんてほとんど無いから子どもは最初何事かと驚いたようだが、事情を説明したら納得してくれた。

と言っても、まさか

「あなたの服などが捨てられてしまいそうだから、家に戻って確認してくる」

とも言えないので、

「受け取り忘れた物があるので取りに行ってくる」

とだけ伝えた。

何とか信じてくれたけれど、

「ママが帰ってくるまで起きていたい」

と言い始めたのには困ってしまった。

途中で寝てしまう可能性が高いが、それでも心配しながら待っている姿を想像すると胸が痛んだ。

「絶対に寝ない」

と言い張る子どもを無理やり寝かせることもできない。

それで、仕方なく先輩に頼んで出かけることにした。

駅に着くと、ちょうと急行が来ているのが見えたので私はそれに飛び乗った。

家を出た後もかなり走ったので、最短時間で移動できたと思う。

その後、乗り換えを経て最寄り駅に到着。

そこから再び走り、家の近くまで移動して少し離れた場所から様子を窺がった。


こっそり家の前まで行ってみたら・・・

家の灯りがついていた。

夫がまだ起きているということだ。

お義父さんかお義母さんか、あるいは両方が居るはずなのだが。

二人とも早い時間に就寝するため、起きているとしたら夫だろうと思った。

私は警戒しつつ部屋の前まで移動。

そこで、注意深く耳を澄ませた。

時折テレビの音のようなものが聞こえてくるが、それ以外の話し声などは聞こえてこない。

外に出てくる気配も無いことを確認し、玄関脇に出されていた袋を持って物陰に移動した。

こういう時、夫は捨てる物をわざわざ玄関の外に出す。

翌日はまだゴミの日ではないのに、怒った時にはいつもそうしていた。

恐らく、捨てる物を家の中に置いておくのが嫌だったのだろう。

コソコソとゴミ袋を漁っている時、誰にも見られなくて本当に良かった。

暗闇の中そんな人が居たら、絶対に驚かせてしまうから。

不審人物として通報されないように、常に低い姿勢を取って外から見えないようにということも気を付けた。

袋を開けてみると案の定子どもの服が入っていて、更に私の服も・・・。

まさかそれを全部持って行くわけにもいかないので、持ち帰るものを厳選した。

用意しておいた袋へと移動させた後は再びゴミ袋を縛って元の位置へ。

暗闇での作業だったので、結構手間取った。

この間、夫に勘づかれてしまったらどうしようという不安もあり・・・。

緊張で心臓をバクバクさせながら作業していた。

でも、幸い気づかれることなく終えることができた。

ゴミ袋を戻した時に一度だけ扉が開くような音がしたので、ドキッとして思わず息を止めた。

だけど、どうやらトイレに入っただけのようだった。

そのまますぐに駅に戻り、電車に乗って帰ったら到着したのは間もなく11時という頃だった。

2025年6月12日木曜日

「秋物の服を取りに来い」と連絡が・・・

夫からの提案はいつもタイミングが悪い

ショッピングモールで子どもの服を揃えた後、夫から連絡があった。

「秋物が無いと不便だろ。取りに来い」

と言われたのだが、本当にいつもタイミングが悪い。

薄い長袖はあっても本格的な秋物は持ち出せていないことを何度も伝えていた。

それなのに、少し前まで夫が怒っていて取り合ってくれなかった。

「取りに行かせてもらえないかな」

と聞いた時には、

「自分の都合ばかり押し付けるな」

と怒鳴られた。

買い揃えるとなると金銭的な負担が大きくて迷っていたのだが。

そうも言っていられないくらい肌寒くなってしまったので、思い切って買いに出かけた。

夫から『取りに来い』と言われたのは、その直後だった。

あまりのタイミングの悪さに、どこかで私たちの行動を監視していて、わざと意地悪をしているのではないかとさえ思った。

結局購入してしまって、すぐに取りに行く必要も無くなったので、

「今すぐに必要な物は無いから時間のある時に行くよ」

と伝えたら、

「ま、どうでも良いけど。(子ども)のことだってどうでも良いし」

と吐き捨てるように言った。

その言葉がまるで子どもの存在を否定しているように感じて、聞いた瞬間心がズキンと痛んだ。

私に怒るのは構わないけど、子どもを否定するようなことは言わないで欲しかった。

この世でたった一人の父親に愛されないなんて、そんなの悲し過ぎるから。

私がどんなにそう願っても、人を傷つけるようなことを平気で言えてしまう夫には届かなかった。

夫はよく怒った時に私たちのことを『どうでも良い』と言った。

これが義両親や友達のことになると大げさなくらい心配したり世話を焼いたりするくせに。

私たちに対しては冷酷だった。

大事にする意味も価値も無いのだとはっきり言われたこともある。

何度もそう言われているうちに、私の中にほんの少しだけ残っていた夫への気持ちも枯れ果てた。

そんな感じだったから、親権だって争うことはないと思っていた。

それなのに、いざ離婚の話し合いになったら『親権をよこせ』と言い出した。

愛情も無いくせに勝手な話だ。

そんな要求は到底受け入れられないから、

「どうでも良いなら親権は要らないでしょう?」

とけん制したら、

「それは言葉のあやだろうが!」

と耳の痛くなるような声で怒鳴りつけられた。

「お前が連れて行ったからだろ!こっちは辛い気持ちを紛らわそうとしてるんだよ!」

と言われて、私のせいだと言わんばかりの雰囲気だった。

夫はいつも自分が一番で、自分を守るためなら平気で人を傷つける。

たとえそれが自分の子どもであっても同じだ。

義両親は夫の言い分を否定することなく、

「人間なんだから、そういうこともあるだろう」

といつも擁護していたた。

そして、私には大目に見るように促した。


「取りに来ねーなら、もう捨てるわ」

すぐには必要無いから、時間がある時に取りに行きたい。

そう伝えただけなのに、夫は酷く怒っていた。

「取りに来ねーなら、もう捨てとくわ」

と言って、その後ガシャンガシャンと派手な音が聞こえた。

あれは洋服のような柔らかい物の音ではなかった。

恐らくだが、私の言葉に激高して暴れたのだと思う。

今度は一体何が破壊されたのだろうと考えたら暗い気持ちになった。

電話の向こうでは言い合いをしている声が聞こえ、どうやらお義父さんが夫を咎めているようだった。

だけど、頭に血が上っている夫には聞こえない。

その間、電話は放置されたままだったので、そんなやり取りの一部始終を聞く羽目になった。

勝手に切るとまた怒るから、私はただひたすら待っていた。

数分後、ようやく戻ってきた夫はまだ怒りが収まらないのか非常に乱暴な口調で、

「もうアイツの服も要らねーな」

と言い、私が

「えっ、ちょっと待って!!!」

と言いかけたところで切られてしまった。

嫌な予感がした。

以前も怒って子どもの大事なものをゴミ袋に入れて捨ててしまったことがあった。

だから、またやったのではないかと気が気ではなかった。

その日はちょうど土曜日。

捨てられるのをただ待っていることなんてできなくて、私は様子を見に行くことにした。

2025年6月11日水曜日

「弁護士を立てたい」と夫に伝えたが・・・

離婚できないストレス

一日でも早く離婚したいのに、なかなか進展がなかった。

私の人生でこれほどまでに人を嫌いになったことがあっただろうか。

その相手が、まさか結婚した相手だなんて・・・。

段々と夫のことを考えるだけでストレスになり、そのストレスに耐えかねて最初にした約束を撤回できないかと考え始めた。

その約束とは【お互いに弁護士を立てずに直接やり取りすること】というもの。

お金が無かった私には好都合だったけれど。

よくよく考えたら、口下手な私が交渉なんてできるはずがなかった。

ただ、一度約束したことを勝手に反故にはできないので、何とか夫に了承してもらおうとした。

まずは相手の反応を確かめるためにメッセージを送信。

すぐに反論してくるかと思いきやスルーされた。

めげずに再度メッセージを送信したら今度は短く一言、

「嫌です」

とだけ返ってきた。

嫌ですって・・・、子どもじゃないんだから・・・。

検討もしてもらえないなんて、OKしてくれる可能性は無いのかな。

その反応を見て諦めそうになったが、よくよく考えたら他にもう手は無かった。

それでしつこく送り続けたら、

「では、こちらの出す条件をのんでくれるのなら考えます」

という提案をもらった。

その条件次第ではあるが、もし重要でない部分ならそれもアリかな、と思ってその旨を送信したら、

「親権と養育費を要求します」

と言われ、こりゃ駄目だと思って、

「弁護士の件は諦めます」

と返事をした。

この件はこれで終わり。

また意味のないことをしてしまったと思ったが、このやり取りをきっかけに夫との話し合いを復活させられそうな雰囲気になった。

だから、すかさず

「では、直接話し合いましょう。次回は〇月〇日でどうですか?」

と送り、夫からは前回と同じ場所を指定された。


子どもを愛するということ

季節はすっかり秋へと変わっていた。

朝晩ずい分涼しくなり、肌寒いと感じる日も増えた。

困ったことに子どもの服を持ち出せていなくて、夏服に上着を羽織るだけになっていた。

そのままではマズいので週末に買い物へ。

その時、先輩が一緒に行ってくれて

「いつも頑張ってるご褒美だよ」

と一枚買ってくれた。

それを見た子どもは大喜び。

お気に入りの服となり、その後頻繁に着ていた。

着た日に洗って乾くとまた着るというのを繰り返すので、一日おきのペースで。

『服がくたびれちゃうよ』と言ったら、ようやく2日おきになった。

それくらい気に入ったということだ。

それを見た先輩も、

「いや~、可愛いね~」

と目を細めていた。

お世話になっている上に服まで買ってもらうなんてとんでもないと思って、最初は断った。

だけど、

「最近ね、こういう幸せもあるんだなっていうのに気づいたのよ。だから買ってあげたいの」

と言ってくれた。

数か月前に初めて会った子どもに、ここまでしてくれるなんて。

私は感激して思わず泣きそうになった。

思い返してみると、先輩はとても愛情深い人だった。

一緒に働いていた頃も、いつも面倒を見てくれた。

その一万分の一でも夫が愛情を持って接してくれていれば・・・。

そうしたら子どもは悲しい思いをせずに済んだのに。

世の中には、子どもを愛するということが難しい人もいる。

夫もその一人だ。

それは仕方の無いことだけど、傷めつける必要は無かったはずだ。

多分夫は永遠に本当の意味での愛情を注ぐことができない。

そのくせ、親権を欲しいと言ってくる。

ただただ私が望んでいるものを奪いたいだけなのかもしれない。

2025年6月10日火曜日

夫との交渉決裂

お互いが譲らず、関係が悪化

途中までは上手くいっているような気もしたのに。

結論から言うと、あの話し合いは明らかな失敗だった。

何の収穫も得られなかった。

むしろお互いが言いたいことを言ったことにより関係が悪化して、収拾がつかない状態になってしまった。

きっとそれまでも私が自分の主張をしていたら同じようになっていたんだと思う。

そうならなかったのは、何も言わずグッと我慢してきたから。

夫と言い合いになるのは、とても怖かった。

結婚生活の中で軽い言い合いも経験したけれど、何度そんな場面に遭遇しても慣れるものではなかった。

元々言い争うことが苦手というのもあるとは思うのだが。

それを差し引いても、夫の口調や雰囲気は恐怖を感じるのに十分だった。

あの日、別れ際に言われた言葉が今でも忘れられない。

「お前がそんな人間だったなんて」

夫は確かにそう言った。

あれは一体どういう意味だったのだろう、と時々思い出す。

いつも従順だった私が歯向かったから、怒りに任せて言ったのだろうか。

それとも、『そんな本性だったとは』という意味かな。

どちらにしても夫が私に失望していたことは間違いないと思う。

次回の取り決めもしなければならないから、最後は穏やかに別れたかったのに。

夫は乱暴に椅子を引いて伝票をひったくるように持ち、足早に入口へと向かった。

「あっ、待って。自分の分は払うよ」

そう言いながら追いかけたのだが、手でシッシッと追い払うような仕草を見せて近寄れない雰囲気だった。

これはもう払うタイミングはないな。

そう思って夫が出てくるのを待っていた。

出てきたのでお礼を言おうとしたら、こちらを一度も見ることなくNに

「行くか」

と言って、そのまま去って行った。

Nは歩きながらこちらを何度か振り返り、『ごめんね』と口を動かしながら顔の前で手を合わせていた。

あー、Nには最後まで気を使わせちゃったな。

申し訳ないのと、夫への失望と。

色んな感情がぐちゃぐちゃになって、何だか無性に悲しくなった。

強い憎しみは人の心を深く傷つける。

その時の私も言葉では言い表すことができないほど傷ついて、途轍もなく悪いことをしてしまったような錯覚に陥った。


連絡しても出てくれない

交渉がこのままストップしてしまうことだけは避けたかった。

だから、何度も連絡を入れた。

でも全く出てくれなくて、どうすれば良いのかが分からなくなった。

もう、いっそのこと離婚届を送り付けてしまおうか。

そんな考えさえ浮かんできた。

だけど、どうせ送ったところで書いてくれるはずもなく。

やはり交渉を続けるしかないのか、と暗澹たる気持ちになった。

そのまま別居を続けていれば離婚自体は認められるという。

それを待つという方法もあるけれど・・・。

数年間、ずっと先輩のところにお世話になっているわけにもいかない。

別に家を借りるとして、その費用はどうしたら良いの?

2軒分を維持するほどの収入はないし、夫がその間払ってくれる気配もない。

実質的に今の家を引き払わなければ、新たな賃貸契約を結ぶことなど不可能だった。

それならば、夫に出て行ってもらうしかない。

いつも堂々巡りで『これが正解』という答えは出なかったが、それでも夫に出て行って欲しいという部分は一貫していた。

連絡がつかない日が続くと、精神的に疲弊してくる。

ある時、『これ以上待っても意味が無い。それならばこちらから行動を起こそう』と思い立ち、一件のメッセージを送った。

「部屋を解約します。引っ越しの準備をお願いします」

あえて期日を書かなかったのは、その方が焦って動くと思ったから。

案の定、夫からすぐに連絡がきた。

その怒りようは凄まじく、近くに居たら恐ろしい目に遭っていたであろうことは容易に想像できた。

幸い夫は先輩の所に居ることを知らない。

話し合いの時に何度も聞かれたけれど教えなかった。

だから、直接文句を言うこともできず、ひたすら電話口で怒鳴っていた。

私は耳から離してその声を聞いていた。

2025年6月9日月曜日

『離婚したい』と最後まで言い続けた私

言いくるめようとする夫を警戒

強く主張すれば私が言いなりになると思っていることが、言葉の端々から感じられた。

いつも自分の思い通りにしてきたから当然なのかもしれない。

でも、私は絶対に引かないと強く決意して話し合いに臨んでいた。

言いくるめようとしてくる夫に対し最初から警戒していたし、安易に提案に乗らないように注意深く本心を探ろうとした。

だから、何を言われてもいつものようにすぐに受け入れることは無かった。

自分の意図する方向に行かなくて夫は段々とイライラしてきたけど・・・。

その様子に恐怖を覚えても平気なフリをした。

たとえポーズだけでもそうしておかないと、もっと強く出てきて一気に決められてしまうから。

夫との話し合いには途轍もない怖さがあった。

気を抜いたら全て持って行かれてしまう。

たとえ、そこに友人という緩衝材となるような人がいても結果は同じだ。

上手く誘導して相手を自分の思い通りにコントロールしようとする。

それが夫なのだ。

案の定、夫は強引にやり直す方向で話を進めようとした。

でも、私がそれにストップをかけた。

こうやって書いていると冷静そうに見えるかもしれないが・・・。

実際には心臓がバクバクして、途中で思考が停止してしまった。

追いつめられた私は逃げ出したくなり、それを止められて咄嗟に出たのが

「どうしたら離婚を承諾してくれるの?」

という言葉だった。

この言葉には夫も衝撃を受けたようで、

「お前、それ本気で言ってるの?」

と呟くように言った。

その後立て続けに、

「お前さあ、自分が何でも正しいと思ってるの?」

とか

「こっちの話も聞けよ」

と怒りを隠せない様子でまくし立てた。

それでも私が折れずにいると、

「離婚を認めて欲しかったら、まずはきちんと話し合いをしようよ」

と何故かまた振り出しに戻され、自分がいかに譲歩してきたかを語った。

最終的には

「お前がそのつもりなら、俺もやっぱり親権を諦めない」

と言い始め、

「引っ越しも当分しないから」

と宣言されてしまった。

そう言われても、感情を表すことなく、

「そう。分かった」

と答えたのだが、本当は『どうしよう・・・』と途方に暮れた。


どうしたら分かってくれるの・・・

何を言っても分かってくれない。

そもそも最初から離婚するつもりなんてあるのか。

態度を二転三転させる夫に困り果てて、この話し合いは上手くいかないんじゃないかと弱気になった。

『もう離婚さえ応じてくれれば何でも良い』という気持ちになり、それを正直に伝えた。

嘘偽りのない心からの願いだった。

夫から解放されて自由になりたい。

そんな思いから、

「離婚してもらえるのなら、できる限り(夫)の要望を受け入れるから」

と伝えた。

そこまでして別れたいと言い続ける妻に対し夫は何を思っただろうか。

祈るような気持ちで真正面から夫を見つめ、

「別れてください」

と頭を下げた後、二人とも無言になった。

その間、お互いが相手の出方を窺がっているような感じだったんだけど。

その空気に耐えられなくなったのがNだった。

「ちょっと整理させて」

と言い出した。

「(夫)は別れたくないんだよね?もし別れるなら親権を要求し、引っ越しも自分のタイミングでしたい、と」

そう言われた夫は頷いた。

「(私)ちゃんは別れたいんだよね。別れるという選択肢以外はあるの?例えば条件つきで戻る可能性もあるのかな」

と聞かれ、きっぱりと

「どんな条件をつけられても戻れない。別れたい」

と答えた。

それを聞いたNは腕組みをして『う~ん』と言いながら考え込み、

「これだと『別れる』という道しか無いよ」

と夫に言った。

「あとはお前がどういう条件なら納得できるかだよ?」

と返事を促したが、夫は終始無言だった。

この話、実はかなり端折られている。

途中でかなり激しいバトルが繰り広げられた。

と言っても私は防戦一方でひたすら夫が強い口調で責め立てていただけなのだが。

暴言とも言えるような口調で責め立てるものだから一緒に居たNの方が慌ててしまって、

「お前、そんな言い方はダメだろ」

と必死でその場を落ち着かせようとしていた。

これがいつものことなんだということを少し分かってもらえたかな。

この時は割と言いたいことを言えたと思う。

そこは良かったのだが、最後に夫が

「お前の気持ちは分かった。でもこっちは納得できてないから」

と言い放った。

私たちの話し合いは、このように揉めに揉めてかなり大変だった。

夫が暴れないで済んだのは、家の中ではなくお店で話し合ったからだと思う。

周りを気にする夫のような人は、人目のある場所を選んだ方が良いだろうと考えた。

それに加え、Nの存在も大きかった。

居てくれたお陰で、言いたいことを言えたと思えるような場面もたくさんあった。

だから今でもNにはとても感謝している。

2025年6月8日日曜日

!離婚を承諾して欲しい私とやり直したい夫

情に訴えてくる夫

「なあ、もう一度やり直さないか?」

と夫が言った。

まるで懇願するような言い方だったので、出かかった拒絶の言葉を飲み込んだ。

これじゃあ、まるで私が責めているみたい。

これまでずっと酷いことをしてきたのは夫なのに。

弱々しい声で『やり直したい』と頭を下げるから、Nも同情したようだった。

「少しだけでも考えてやってくれないかな」

と言われて、強い言葉で拒絶することができなかった。

だけど、気持ち的には夫を受け入れることなどできないのだから離婚という結論は変わらない。

私の返事を待つ夫を、ただただ冷めた目で見つめた。

本当にやり直したいと思っているのなら、もっと早く改心して欲しかった。

限界が来る前にきちんと話し合いたかった。

でも、私たち夫婦には明確な上下関係があり、私が意見を言うことは許されなかったから。

ただじっと我慢するしかなかった。

それなのに、こうやって問題が表面化したところで『これからは変わるから』と言われたって遅すぎるのだ。

何も言わず頭を下げる夫をじっと見つめていたら、Nが

「案外頑固なんだね」

と苦笑した。

この時、あー他人なんてそんなもんなんだなと思った。

私たちにとってこれはとても大きな問題で、本当に心が殺されるような日々だった。

明日への希望も無く、ただその日を無事に過ごすことだけを考えた。

それが、こんな風に言われてしまうと私が大げさに騒いでいるだけと言われているような気がして辛かった。

違うんだよ。

本当に限界だったんだよ。

こんな思いを誰かに分かってもらうのはきっと不可能なのに、心の中でいつも叫んでいた。

私が頑固だというのなら、夫だって決して離婚を受け入れない雰囲気だったのだからお互い様だ。

急に態度を変えた夫を前に、内心は戸惑っていた。

次にどのように動くのが正解なのか分からなくて。

いたずらにただ時間だけが過ぎていくことに不安を覚えていた。

こうやって何やかやと理由をつけて承諾してもらえないのなら、この話し合いの時間も無駄なのではないか。

本当に夫と離れられる日はやってくるのだろうか、と考えたら絶望にも似た気持ちに襲われた。

考えれば考えるほど不安が大きくなり、

「気持ちは変わらないから」

という言葉が自然と口から出ていた。

少し強い口調になったのは、それだけ夫のことを受け入れられない気持ちが強かったからだ。


「俺は譲歩した」と言うけれど

この時の話し合いはかなり長引いた。

あー言えばこう言うで一向に前進する気配は無かったのだけれど。

話しているうちに、段々と考えが定まらなくなってしまった。

夫と話す時はいつもそう。

恐怖から思考が停止してしまう。

段々と口の重くなってきた私を見て夫はチャンスだと感じたのか、

「俺はずい分譲歩したよ!(子ども)のことだって。引っ越せというお前の要望だって前向きに検討してる。それなのにお前は要求ばかりで何も受け入れてくれないじゃないか!」

と言った。

子どものことは虐待の証拠があったのと夫の財産を調べないという条件で納得してくれたんじゃなかった?

引っ越しだって、普通に考えたら自分が住んでも居ない所の家賃を払い続けるのは不可能なのに。

言いたいことは色々あったけれど、夫の低い声に圧を感じて何も言えなかった。

本当に情けないと思う。

今までのことがフラッシュバックして呼吸が乱れてしまい、慌ててジュースを口に含んだ私を、夫はあざ笑うように見ていた。

逃げ出したい。

本能的に私のつま先が通路の方に向き、立ち上がろうと腰を浮かせたその瞬間、夫から

「お前、離婚したいんだろ。逃げるなよ」

と言われ、体が硬直した。

「こいつ、いつもそうなんだよ~。大事な話し合いの時にいつも逃げるんだよ~」

なんてNに笑いながら言っていたけれど、その目は笑っていなかった。

逃げたくても逃げられない。

話も聞いてもらえない。

どうしたら良いんだろう・・・。

頭の中でグルグル考えて、咄嗟に出たのは

「どうしたら離婚を承諾してくれるの?」

だった。

2025年6月7日土曜日

子どもを取り戻してから初めての話し合い

雨の中、待ち合わせ場所へ

その日は雨が降っていた。

服が体に纏わりついてくるような蒸し暑さだった。

夫との話し合いというだけでも憂鬱なのに。

その上この天気だ。

一日中止むことはないという予報だったので、大きめの傘を選んだ。

子どもは先輩とお留守番。

話し合いに行くことを伝えていたので、少し不安そうだった。

それでも当日は、

「ママ、がんばってね」

と送り出してくれた。

待ち合わせ場所に到着した後、すぐには店内に入らず、遠目から見てNが居ることを確認した。

夫と一対一で話す勇気が無かったのだ。

これは今も変わらない。

離れてもなお夫は恐怖の対象であり、声を聞くだけで嫌な思い出がブワーっと蘇ってくる。

お店に入ると、真っ先に私の姿を見つけたのはNだった。

軽く手を挙げ、にこやかに

「あいにくの雨だね~」

と言った。

夫は無言で、私が席に座るのを待っていた。

ただ、その表情には険しさも無く結構穏やかな感じで始まったので、その後にあんなに荒れるとは思ってもみなかった。

前回、夫がひた隠しにしてきた財産のことに触れたからかもしれない。

実際にはまだ調べるようなこともしておらず、ただ単に『そういう手段もあるよ』というのを示しただけなんだけど。

それでも、夫の譲歩を引き出すのに十分だった。

それからまたしても状況が変わった。

一番大きかったのは夫の再就職。

職を得たことで強気になった夫がどう出てくるか。

それが分からないから、夫の出方次第で対応を考えなければならなかった。


経済面での不利が無くなったことをアピールする夫

仕事に就き、収入を確保できることになった夫。

話し合いでは、それを重点的にアピールしてきた。

確かにそこは私が有利に進める上で重要なポイントだった。

でも、一つ忘れてはいないかい?

もっと気にすべき重大な事案があることを。

前回、私は虐待の証拠を見せた。

不鮮明な画像であっても証拠能力を持つという。

こういう不利な証拠が出てきた時、夫なら勝手に消去しかねないと思った。

だから、画像を印刷した状態で持参した。

あれを見た瞬間顔色が変わり、Nの様子も一変した。

どうせ仲間内では私のことを鬼嫁扱いして、勝手に子どもを連れ去ったとでも言っていたのだろうけど。

真実を雄弁に語るその画像は、一瞬にして不利な状況を変えてくれた。

と言っても、夫は虐待など認めていない。

あれは教育だったと思い込んでいて、友人にもそう話していたようだった。

あの日の話し合いでもそれが分かったので、

「叩いたり蹴ったりが日常茶飯事だったんだよ」

とNに説明した。

でないと、『たった一回のことで、離婚までいってしまうの?』という雰囲気になりそうだった。

上手に嘘をつく夫と闘わなければならない時、どうしても相手のペースに飲まれてしまう。

口が上手すぎる夫と説明の下手な私。

最悪の組み合わせだよね。

それでも弁護士を立てないという約束をしたから、一人で頑張った。

仕事を確保した夫は、それで全て解決できると思い込んでいたようで・・・。

「一番の問題は収入面だったんだから、それが解決した今、見方を変えるべきなんじゃないか?」

と急に言い始めた。

言いたいことはだいたい分かっていても受け入れたくなくて黙っていたら、

「懸念事項が無くなったのだから、離婚自体がどうなの?って話になるよな」

と単刀直入に言ってきた。

やっぱりそう来たか。

この人は何でこんなにも私たちに執着するんだろうかと不思議だった。

虐げて馬鹿にしているのに、離れるのは嫌ってどういうことなの?

私がもっとも困惑していたのはその部分であり、サンドバックのような扱いを受けるあの日々には戻りたくないと強く思った。

2025年6月6日金曜日

義両親からの「子どもを取り上げないで」という訴え

夫の行く末を案じたか

義両親にとって、夫はいくつになっても可愛い子どもなのだ。

辛い未来が予想されれば放っておくことができなかったのだと思う。

離婚に関する動きがいよいよ本格的になり始めた頃、義両親から頻繁に連絡が来るようになった。

いつも最初は当たり障りのない話をしているのだが・・・。

段々と本題に入り始める時には電話口の声が緊張しているのが分かった。

それでこちらも感づいてしまう。

『ああ、また夫の援護をするつもりなのか』と。

電話に出なければ良かったのかもしれない。

でも、目上の人からの連絡を無視しても良いものだろうかと悩んだ。

悩んで、やっぱり最低限の礼儀は必要だと思い、電話がかかってくればできるだけ出るようにした。

お義父さんやお義母さんの言いたいことはだいたい決まっていた。

『(夫)から(子ども)を取り上げないであげて』

もっと前に夫も同じようなことを言っていた。

義両親から孫を取り上げるなと。

お互いのことを考えての発言なのだろうが、そこに私たちへの配慮や思いやりはなかった。

あれほどまでに苛め抜かれたのに、それに対する罪悪感が無いのも信じられなくて。

ますます彼らのことが分からなくなった。

既に無かったことになっているのかな。

それとも、不都合な事実から目を背けているのだろうか。

あまりにも同じことを繰り返し言ってくるので、段々と怒りがわいてきて、

「取り上げるという言い方は違うと思います。これまで(夫)さんがやってきたことをご存じなんですよね?」

と反論したこともある。

だけど、私が少し強い口調になってしまったら相手は更に強く言ってきて険悪な雰囲気になった。

「アンタがそうやって頑なだから、(夫)だって話し合いも何もできないんだろう」

などと言われ、

「こっちには良い弁護士がいるんだから!」

と喧嘩腰になった。

まさかここまで攻撃的になるとは想像もしておらず、私はただただ驚いて言葉を失った。


きちんとした教育を受けさせたいと言われ

ある日、義両親が

「教育のことも、もう少しきちんと考えて欲しい」

と急に言い始めた。

何も考えてなさそうな私に子どもを任せておけないのだそうだ。

そう言われても、できることは精一杯やっていた。

ただ、実質シングルマザーなのだからできることは限られている。

それをダメだしされてもどうしようもない。

『ご心配いただかなくて結構です』とでも言おうかと思ったが。

更に怒りそうなので止めた。

こんなところで喧嘩をしている場合ではなかった。

翌日は、待ちに待った話し合いの日。

やっと再開したばかりで少し緊張していた。

気持ちはそちらの方に行っていて、正直なところ義両親との話には集中できていなかった。

だから、早く切って欲しいのになかなか話が終わらず・・・。

「明日、今後どのようにしていくのか計画を持ってきて」

と指示され、思わずため息が出た。

それを持って行ったところで、どうせ足りないとか文句を言うのだろう。

多分、何をやっても気に入らないのだ。

子どもの親権を私が持つ可能性が高くなったから。

応援してとは言わないが温かく見守って欲しかった。

全てきちんと終われば、また会える日だってあるかもしれないのに。

それを潰しているのは他ならぬ夫や義両親なのだということを、本人たちは気づいてすらいなかった。

自分たちだけが正しいと信じ、延々と攻撃し続けてくるという現実。

もうがっかりすることには慣れた。

でも、子どもを奪われるのではないかという不安には慣れなくて。

この頃は頻繁に夢に見てしまうくらい怯えていた。

2025年6月5日木曜日

夫から「仕事が決まった」との連絡

あっという間に再就職先を決めた夫

私が転職活動をした時には、決まるまでに長い期間を要した。

大袈裟ではなく本当に30社以上に書類を送ったので、応募するだけでへとへとだった。

その中から面接に進むことができたのはごく僅か。

数少ないチャンスをものにしようと、いつも必死だった。

それなのに、夫が活動し始めたら本当にすぐに決まってしまった。

技術職だからかな。

ブランクもあったので、これほどまでにスムーズに決まるとは思ってもみなかった。

もっとも、夫の方は受ければ採用されるという感じで自信満々だったのだが。

結果、その通りになった訳だ。

この成功により、夫の考え方に変化が起きた。

それまでは心のどこかで『仕事してないから親権を取られても仕方がない』という気持ちがあったのだと思う。

それが、急に収入面でも強気になって、

「資金的に余裕のある方が子どもを育てるべきだ」

と言い始めた。

ずっと仕事をしてきた私と、長いブランクを経て再就職した夫と。

どちらの方が収入が多いかって?

・・・夫だったのだ。

世の中ってそういうものだ。

それは仕方がないとしても、収入で攻められる状況になるのは想定外だった。

再就職だって想定外だったんだけど。

養育費をもらうにはその方が良いと思ってしまった私が馬鹿だった。

夫の方が収入が多く、離婚したら実家に戻るから家賃もかからない。

しかも、義両親のサポートも受けられる。

それに対し私は一般職で、習い事をしたいなんて言われたらそれこそ家計簿とにらめっこになってしまう。

その上毎月家賃を支払いながら、残りで生活しなければならない。

お金の面だけを見ると圧倒的に夫の方が有利だった。

だけど、親権てお金のことだけではない。

虐待していた夫に親権なんて渡せるわけがないと思った。


やっと話し合いが再開

仕事を決めた夫は、以前にも増して自信に満ち溢れていた。

普通に働いていた頃は『完璧な俺、すごい』って感じだったんだけど。

それに近い雰囲気を醸し出していた。

それが交渉にどう影響してくるのか。

正直なところ、とても怖かった。

夫は元々弁の立つ人だ。

議論になったら負けない自信がある、といつも言っていた。

通常モードがそれなんだから、少し弱っているくらいの方がちょうど良いのだ。

そうでないと、話し合いの場がただのお説教タイムになってしまう。

そもそも私のことを物凄く下に見ていて、対等な立場での話し合いなんて不可能だった。

でも、不可能なんて言ってはいられない。

離婚の取り決めをする大事な場なのだから負けられないと思った。

警戒しつつ次回の話し合いの日程を決めたその日。

子どもが実家から帰ってきた。

久々におじいちゃんやおばあちゃんと過ごして楽しかったのか、物凄いハイテンションだった。

戻って早々、

「また行きたい!次はいつ?」

と言うくらいだから、よほど充実していたに違いない。

『次はママと一緒に行こうね』と話しながら私も自然と笑顔に・・・。

そういう楽しい計画があれば、これからの夫との対決も乗り切れる気がした。

2025年6月4日水曜日

着々と狭まる包囲網

何とかして元に戻りたい夫

内定が出る少し前、夫からこんなことを聞かれた。

「もし本当に就職先が決まったらどうする?」

ちょっと意図が読めなくて戸惑ったが、普通に考えて夫がそこで良いのなら働くだけだと思い、

「せっかく頂いたご縁だから、そこでお世話になるのが良いかもね」

と答えた。

その時、夫のスイッチが入ったのが分かった。

イラっとした口調に変わり、舌打ちをし始めた。

私は舌打ちがとても苦手だ。

夫以外の人がやっているのを見るだけでも不快な気持ちになる。

その中でも夫のは別格。

本当にその日の気力を全て吸い取られるくらいに強烈だ。

何度も舌打ちをするから私は早く電話を切りたくて、

「ちょっとこれから用事があるんだ。申し訳ないんだけど」

と伝えた。

でも、全く聞いてくれず延々と話し続けた。

こういう時、途中で止めると更に怒りが爆発する人だ。

過去の経験上それが分かっていたので、上手く中断させなければならなかった。

普段なら私ももう少し上手く立ち回れるんだけど。

夫への恐怖心から頭が働かず、しどろもどろになりながら、

「決まったらお祝いしなくちゃね」

と心にもないことを言ってしまった。

言った瞬間、『しまった!』と思った。

ただ単にその場を切り抜けるために発した言葉で、深い意味は無い。

それでも夫を喜ばせるのには十分で、すっかり気を良くしていた。

「お~、何してもらおうかな」

などと言いながら、まるで鼻歌でも歌いそうな雰囲気へと変わった。

不用意な一言で窮地に立たされた私。

自分のせいと言われればそうなんだけど・・・。

夫の前だとどうしてあんなにも頭が働かなくなるんだろうと思うくらい思考が停止してしまう。

また失敗してしまったとこっそりショックを受けていたところに、夫の言葉が更に追い打ちをかけた。

「離婚の話も一時ストップして、一回戻るか」

この発言を聞いた途端、焦りと不安で心臓がバクバクと鳴り始めた。


一歩も引けぬ

何があっても家に戻りたく無かった。

ここで妥協したら終わりだ。

そんな思いが私を奮い立たせた。

いつもなら、『少し考えさせて』と逃げていたところだ。

でも、その時は、

「元に戻るのは無理だよ。もうそんな可能性は1%も無いんだよ」

と伝えた。

こんなことを言ったら、ただでは済まされないだろう。

明日の朝、会社の前で待ち伏せされたらどうしよう。

色んな不安はあったけれど、明確な意思を示さなければならなかった。

怒鳴られるだろうと思っていたのに、夫は意外にも冷静だった。

「そりゃそうか。急には無理だよな」

と引いてくれた。

そういうのにも慣れてなくて、『あれっ?いつもと違う。どうしたんだろう』とまた不安になって。

怒鳴られるのがデフォルトというのも終わっている話よね。

私たちは長い間そういう風に過ごしてきたから。

怒鳴られないことに戸惑いを覚え、その先を勘ぐってしまった。

ちょうどその頃、お義兄さんの転職の話が持ち上がっていて義実家は大変そうだった。

職場の上司からパワハラを受け、何とか耐えていると聞いた。

同僚は既に休職してしまったり退職する人も居たりして。

それまでは分散していたターゲットがお義兄さん一人になってしまった。

それで精神的に辛い状況に追いやられてしまったらしく、そのことで義両親も悩んでいた。

それもあり、もしかしたらそちらの方に気を取られていたのかもしれない。

2025年6月3日火曜日

懸命に就職活動をしているらしい夫にかける言葉がない

将来に不安を感じていた夫

再就職を宣言してからは、本当に就職活動に精を出しているようだった。

聞きたくなくても報告してくれるので、嫌でも近況が耳に入ってきた。

応募書類をたくさん書いたとか、義実家近くに良い職場を見つけたとか。

そんな話が当たり前に報告されるようになった。

以前一緒に暮らしている頃は仕事の話をするのを避けていた。

タブーになっているような雰囲気もあり、かなり気を使った。

私だって夫を傷つけたかったわけじゃない。

働き盛りなのに思うように仕事ができないというのがどんなに辛いことか。

十分に分かっていたつもりだ。

だから急かさず淡々と自分のやるべきことをこなした。

間もなく家族としての役割を終えて別々の道を進もうという段階になって夫が動き始めた。

最初は引き留めるためのポーズなのかと思ったが、違っていた。

本当に就職先を懸命に探していて、少しずつ成果も出ていて・・・。

なぜもっと早く動いてくれなかったのかと悔やんだ。

そうしたら外に目を向けるようになり、私たちのことばかり気にするような生活を送らずに済んだのに。

モラハラだって虐待だってあれほど酷くはならなかったかもしれない。

そんなありもしない未来を想像しては、辛い気持ちになった。

思えば、結婚してからずっと色んなことを抱えてきた。

誰にも言えず、平気なフリをしてきた。

そうすれば夫が目を覚まして状況が改善されると思ったから。

夫は夫で吐き出すことのできない思いを抱えていたのだと思う。

決して同情はできないが、その気持ちは痛いほど分かった。

気付かずにプレッシャーをかけてしまったのかもしれない。

子どもが大きくなるにつれ、お金が足りなくなってきたから。

そういう不安もあっただろうな。

以前よりも生き生きと目標を持って過ごしている夫は、ほんの少しだけ穏やかだった。

だからこそ余計に胸が苦しくなった。

ごめんね。

やっぱり許すことができないよ。

子どもへの虐待が始まった時点で、私たちの未来は決まっていたのだ。


夫が欲している言葉をかけられない

逐一報告してくるということは、私に何か言って欲しいのだ。

それが分かっていても気の利いた言葉をかけることができなかった。

『大変だね』というくらいしかできなくて。

そのたびに夫が傷ついているのが分かった。

これまでの経験から私はとても警戒していて、優しい言葉や寄り添うような態度を示したら元に戻るという希望を受け入れたことになってしまうと思った。

だから当たり障りのない言葉をかけるだけ。

その頃の夫は目まぐるしく変わる状況に一喜一憂していて。

少しでも上手く行けば子どものようにはしゃぎ、思うようにいかない時にはドーンと落ち込んだ。

見ていてこれほどまでに分かりやすい時があっただろうかと驚いた。

感情をむき出しにする方ではあったが、それは怒りの感情だけ。

喜んだり楽しんだりがっかりしているのを見た記憶がほとんどない。

それくらい、久々の就職活動は新鮮なものだったに違いない。

本当はそういう姿を子どもに見せて欲しかったんだよ。

それなのに怒ってばかり。

もう戻れないのかな。

戻れないんだよね。

ほんの少しだけ心が揺れた瞬間、叩かれて泣いている子どもの姿を思い出した。

心がギュッとなって、やっぱり絶対に無理だと悟った。

夫は家族なら何があってもやり直せると思い込んでいたみたい。

元に戻れると信じていたから再就職にも力が入ったのだと思う。

それからしばらく本気の就職活動を続けて、見事内定を勝ち取った。

2025年6月2日月曜日

離婚に向けた話し合いは一時中断

夫の機嫌が直るのを待つしかない

へそを曲げてしまった夫の機嫌を取るのは大変だ。

その最中は永遠にこのままなのではないかと思うくらいに絶望した。

どちらに転ぶか分からない状況で待っているだけというのは辛い。

とてつもなく長い時間が経過しているように感じ、檻に閉じ込められたままポツンと世間から取り残されてしまったような錯覚に陥った。

もちろん何もせずにただ待っていたわけではない。

何度もメッセージを送った。

だけど、怒っている時にはいつもスルーされる。

どうせ返事は来ないんだろうなと思いながら送り続け、いつしかメッセージを送ることが日課になった。

これは私にとって良くないことだった。

夫関連で何か継続的にしなければならないことができると、日々そのことに思考を奪われてしまう。

できれば離れている間は自由に過ごしたかったのに・・・。

こんな感じで気持ち的にも相変わらず縛り付けられていた。

子どもは、先輩の家に戻ってからとても落ち着いていた。

まるで夫と過ごした日々が無かったかのように。

家に居た時のことを聞こうとしても、

「普通だったよ」

としか言わないので、それ以上のことは分からなかった。

ただ、楽しくなかったというのだけは表情や口調から伝わってきた。

「パパが怒った時には、おじいちゃんやおばあちゃんが助けてくれた?」

と聞いたら、

「うん、まあ」

と歯切れの悪い返事。

具体的にどうだったのかが分からないので、その間のことを想像してはやきもきしていた。

取り戻せたのだから良いじゃない。

そう思おうとしても、子どもを傷つけられたかもしれないと考えるだけで沸々とした怒りがわいてしまう。

そんな自分を止めることができなかった。


夏休みの思い出を作りたい

日々めまぐるしく状況が変わる中でも、子どもは着実に成長していた。

春頃よりも少ししっかりして、お手伝いも率先してやるようになった。

先輩の家に居る間は褒めてくれる人が二人も居たからね。

私だけでなく先輩まで『すごい!』と言うので、まんざらでもなさそうな様子でいそいそとお手伝いをしてくれた。

夏休みは時間がたっぷりある。

宿題をやったって、まだまだ余っている。

それで空いた時間を何に使おうか、と二人で考えたが良い案が浮かばなかった。

そんな時、へそを曲げていた夫から連絡があって、

「夏休みだからどこかに連れて行ってやりたい」

と言われた。

やっと連絡が来たと思ったら離婚の話ではないのか。

がっかりしたが、一応子どもの意思を確認しなければと思って聞いてみた。

どうせ嫌だと言うだろうなと思っていたら、案の定『絶対に嫌!』と言われ、夫はすっかりしょげていた。

それにしても急にお出かけの提案なんてしてきて、どういうつもりだったのだろう。

一緒に居た頃は一度だってそんな風に声を掛けたことなんて無かった。

それを急に父親らしいことをしようとしても、もう遅いんだよ、と思った。

分かりやすい点数稼ぎのように思えて、私はまた夫に失望してしまった。

こうやって表面上だけ取り繕うとしても上手くいくわけがない。

その後も子どもと色んな話をして、その夏の過ごし方の計画を立てた。

最後の方の1週間は二人で楽しむとして。

それまでの2週間弱をどう過ごそうか。

悩んでいたら、子どもから

「(私の実家の)おじいちゃん家に行きたい!」

と提案された。

久々におじいちゃんとおばあちゃんに会いに行きたい。

そう言われ、すぐに実家に電話をかけた。

普段連絡なんてほとんど取らないから最初は驚いていたけれど、用件を伝えたら大喜びで『待ってるよ』と言ってくれた。

そんなこんなで、その週末に子どもを実家まで送りに行った。

2025年6月1日日曜日

復縁モードになってしまった夫が怖い

甘く考え過ぎていたのかも・・・

気付いたら、また夫のペースになっていた。

今までもそんなことの繰り返しだったのに。

また、まんまとその策にはまってしまったことを後悔した。

そして、甘い自分が嫌になった。

私にとって夫は仕事ができて友人も多くて完璧な人に見えたから。

尊敬の気持ちを持つことからこの関係がスタートした。

そして時間が経ってもなお、そんな尊敬のような思いが心のどこかに残っていたのかもしれない。

夫はそんな部分を見透かしていたのかな。

もう過去のことは全て捨てなければならないのだと思い知った。

子どもを傷つけた夫が心の底から憎かった。

一緒になんて居たくないと思った。

それが私の中の大半を占めている感情であり、決して消えることはない。

ただ、ほんの少し隅っこの方に寂しさとか同情とか、別の感情があった。

それを見透かされていたのだとしたら、本当に恐ろしいと思った。

夫の『仕事を再開する』宣言以来、すっかり風向きが変わったように感じていた。

表面上は離婚に向けて動き始めているように見えても、言葉の端々からもう一つの可能性があることを示唆していたように思う。

【復縁】という私がもっとも避けたいことが、夫の中では既に既定路線になっているようだった。

ああいうのって洗脳なのかな。

繰り返し何度何度も『そういう道もあるよ』と言ってくるから。

段々とその方が良いような気がしてしまう。

それまでの私なら騙されて元に戻っていた可能性が高い。

でも、家を出て色んな人と話して自分の置かれた状況を嫌というほど理解できたので心がなびくことは無かった。

そうは言っても夫は本気だった。

嫌ならはっきりと言えば良いんじゃないの?

普通の人はそう思うだろう。

だけど、夫が怒って攻撃的になるのは絶対に避けたかったので、返事をするのにも気を使った。

毎日のようにそのようなメッセージが届いて段々と弱気になった私は、このまま強行的に連れ戻されるのではないかと恐れた。

せっかく子どもと二人で新しい生活を始めようと決意したのに・・・。

計画自体がダメになるのではと不安を感じていた。


普通に家族として会おうとする夫

夫が仕事を再開すると言い出す前は、離婚の話し合いのためだけに会っていた。

それが、急に家族として会おうとするように・・・。

「明日暇?買いたい物があるんだけど」

という感じで、どうでも良い理由で呼び出されることが増えた。

本来なら次の話し合いが2週間後と決まっていたから、その前に会いたく無かった。

でも断ると機嫌が悪くなって、

「ずい分譲歩してるのに。お前は自分の要求ばっかりだな」

と言われ、断ることも難しくなっていった。

子どもも連れてくるように、と言われたって連れて行けるわけがない。

このままだと夫が一人になってしまうから寂しいんだと思おうとしたが、それを考慮したところで受け入れられるものでは無かった。

何とか理由をつけて断りつつ、耐えに耐えた2週間。

ようやく翌日が話し合いの日となった。

やっとその日が来たのだとホッとしていたら、土曜日の朝急に夫から連絡があり、

「前から観たかった映画がやってるんだよ。一緒に行こう」

と誘われた。

どうしたら良いのだろうかと悩んだ。

翌日の予定が白紙に戻されてしまったら、また計画が進まなくなってしまう。

あと少し頑張れば夫と完全に離れられるのだから失敗したくない。

そんな思いが強くて、私は最適な答えを探して頭をフル回転させた。

でも無駄だった。

即答しなかった時点で夫の機嫌はかなり悪くなっていて、何度もため息をついた。

ため息をつきながら、

「もう少し思いやりのある人間だと思ってたよ」

と言い、

「もう良いわ。何かこっちの具合が悪くなってきたわ」

と切られてしまった。

その時の声は虐待やモラハラをしている時のようだった。

何度も経験して頭にこびりついているあの声。

もう夫との通話は終わっているのに、携帯を持つ手が震えて呼吸が早くなった。

早く何とかしなければ。

どうしよう。

話し合いはちゃんと来てくれるのかな。

不安になりながら過ごしていたが、夕方になり、

「体調を崩したので明日はキャンセルでお願いします」

というメッセージが入った。

当時は気づけなかった夫の策略

貯蓄用口座を作ろう!という提案 結婚が決まり、新生活の準備に追われていた頃。 夫から、 「貯蓄用口座を作って、そこに入れるようにしよう」 という提案があった。 当時は特に怪しむことも無かった。 賢い夫の言うことだから従っていれば間違いないだろう、と思ったのだ。 いつもはなかなか動...