テレビで虐待のニュースを見た夫
家でテレビを見ていた時。母親がわが子を虐待して逮捕されたというニュースがやっていた。
逮捕された母親が連行される映像も流れた。
その女性は終始うつむいていた。
どのような理由があって手をかけてしまったのだろうか。
やむにやまれぬ事情があったのだろうか。
それでも子どもは親とは違う一個人なのだから切り離して考えて欲しかった。
踏みとどまることができれば良かったのに、などと考えていた。
すぐそばで夫もこのニュースを見ていたのだが、概要を知るなり
「こんな奴母親失格だ!」
と憤った。
「最悪だよな。よくこんなことできるよ、まったく」
とも言っていたのだが、この発言に正直なところ驚いてしまった。
だって、夫も人のことを言えないような仕打ちを子どもにしていたのだから。
いくら言っても止めてはくれず、
「コイツには、これぐらいしないと分かんねーよ」
と怒り狂った目を子どもに向けた。
しかも、『これは虐待なんかじゃない』と否定もしていた。
あれが虐待じゃなかったら、どんなのが虐待なんだよ。
ふつふつとした怒りがこみあげて、この時ばかりは夫を睨みつけてしまった。
子どもがやられるのは自分がやられるよりも辛い。
それなら自分が倍の仕打ちを受けても良いから子どもには何もしないで欲しい。
そう思って、あえて矛先を自分に向けることもあった。
大切な大切なわが子が少しでも嫌な目にあったら私までズーンと心が重くなってしまうから。
でも、夫はそうではないようだった。
子どもが産まれた日。
『一生この子を守る』と誓ったのは私だけだったのか。
それもそうか。
夫はその時居なかったんだから。
自覚が無ければ治らない
夫が虐待をしている自覚を持たなければ永遠に収まることはないと思った。
モラハラに関しても同じだ。
モラハラをしている自覚が無いのだから、反省するはずがない。
この無自覚な攻撃に対し、ただただ無防備だった私たち。
逃げることしか考えられず、その日を夢見た。
でも逃げようとして失敗したら、それこそ大変なことになる。
失敗を恐れて動けない時間も長くあった。
その間、子どもと私は希望を持ったり絶望したりを繰り返し、夫からの仕打ちに耐えた。
だけど、繰り返していると段々と人は臆病になる。
逃げ出さずに嵐が過ぎるのを待った方が安全なのではないか。
そんな風に後ろ向きな選択をするようになる。
私も同じだった。
ここでとどまれば、今以上に悪いことは起こらないかもしれない。
夫が変わってくれるのではないかという期待も捨てきれずにいた。
それで、自分が変われば夫も変わると考えてなるべくポジティブな言葉をかけた。
でも、夫はことごとくそれを打ち消した。
『ばかじゃねーの』という言葉と共に舌打ちをしたりため息をつく。
こんな時間を過ごすために結婚したんじゃない!
もう我慢ができないという状態になった時、私は携帯を手に取った。
実家に電話しよう。
電話して今の状況を伝えよう。
もしかしたら『帰ってきなさい』と言われるかもしれない。
夫のことを否定的な目で見るようになるかもしれない。
それでも、ここで我慢するより穏やかに過ごせる。
そう思って電話をしようと決心した時、夫が近づいてきて
「今年のクリスマスはどういう感じにする?」
と聞いてきた。
あれっ?さっきまで怒ってたんじゃないの?
拍子抜けした私はそのまま実家に電話をかけることもなく夫の待つリビングに戻った。
勘の鋭い夫
夫は恐ろしく勘が鋭かった。
だから、実家に電話をかけようとしていることに気づいたのかもしれない。
何を話そうとしているのかが分かってしまったのかもしれない。
阻止しようとして、あえてあのタイミングで話しかけてきたのではないかと疑っている。
当時は分からなかったけど、今思えば全部夫の思い通りになるように緻密にコントロールされていた。
コントロールされることに慣れてしまうと、新たな問題も発生する。
全てにおいて指示通りにするだけの生活だから自分で決められなくなる。
決断することへの不安も生じる。
誰かが決めてくれないかな、なんて考えてしまうようになる。
私がまさにそんな状態で、離れたばかりの頃は不安だらけだった。
まるで細い棒の上をバランスを取りながら歩いているような感じ。
心細くて何かに縋りたくなった。
でも、夫のような人と一緒に過ごすよりは遥かに良いのだと今なら分かる。
人の気持ちが分からない人と暮らすのは辛い。
たとえ家族が揃っていても孤独を感じていた。
それでは一緒に居る意味がないのだと、離れてから初めて分かった。
子どもと二人の生活は周りから見たらピースが足りないように見えるかもしれない。
でも、心は満たされていて毎日幸せを感じている。