2024年11月30日土曜日

久々に見た夫の夢はやっぱり怖かった

夫が子どもを叩く夢を見た

久々に夫の夢を見た。

最近は熟睡していたので、夢を見るのも久しぶりだった。

夢の中の夫は相変わらずで、怖い顔で子どもに詰め寄っていた。

細かな設定は忘れてしまったのだが。

子どもの年齢は6~7歳くらいで、夫は離れた時のままの姿。

「どういうことだよ!えっ!説明してみろよ!」

そう言いながらじりじりと距離を詰める夫はとても怖かった。

目の前まで来た父親を直視できず、俯く子ども。

それに対し、

「こっち見ろよ!」

と更に怒鳴る夫。

やっと顔を上げた子どもの顔には恐怖の色が浮かんでいた。

こわばった表情で父親を見つめる姿は見ていられなかった。

このままではいけない。

子どもを守らなければ。

私はすぐに二人の間に入ろうとしたけれど、体が動かない。

というか足が鉛のように重くて一歩一歩が物凄く大変で。

必死に足を持ち上げて前に進んだ。

こんな狭い家の中なのに、すぐに助けられないなんて。

焦れば焦るほど余計に足が重くなって、その間もどんどん夫が子どもを追い詰めていた。

次の瞬間、パチンという鈍い音が聞こえてきた。

私の目に飛び込んできたのは頭を叩く夫の姿だった。

「やめて!」

たまらず叫んだのだが夫は止めない。

必死で二人の元に行こうともがいている間、子どもは頭や頬を叩かれ続けた。

そのたびに鈍い音が聞こえてきて、私は何度も叫んだ。


それは実際に見たシーンだった

夢って突拍子もない内容だったりする。

そんなばかな・・・という内容の時もある。

でも、私の夢は実際に見た光景だった。

しかも一度ではない。

何度も何度も同じような光景を目の当たりにし、そのたびに夫を止めようと全力で闘った。

『全力で』とは言っても実際に阻止できないこともあったので子どもにとっては不十分だったと思う。

リアルなシーンでは体が動かないなんてこともなく、すぐに間に入って止めた。

声だけでは止められないから体を割り込ませて子どもを守るように抱え込んだ。

そうすることで夫の手が止まるかもしれないと考えた。

夫は何故か私に直接的な暴力をふるったことはほとんどない。

脅しの延長で当たってしまったというのならあるが。

叩いたり蹴ったりというのは子どもに対してだった。

でも、体を割り込ませて阻止しようとした時には結果的に叩かれることになった。

その時、体よりも心が痛かった。

子どもはこんな風に痛い思いをしてるのか、と思ったら泣けてきた。

どうしてそんな酷いことができるんだろうか。

そもそもの話なのだが、そこまで怒るようなことをしているのだろうか。

夫のやることに対して否定的な見方をするようになったのも虐待があったからだ。

もう離れてからしばらく経つのに、未だにあの頃の夢を見る。

頻繁にではないが、突然夫が夢に出てきて嫌な思い出がよみがえってくる。

それが怖くて一時期寝るのが億劫になった。


モラハラ夫は離れた後も恐怖をもたらす

モラハラ夫が居ても離婚してしまえばそれで終わり。

そう思われることも多い。

だけど実際には離れた後でも色んな不安がつきまとう。

よく言われるのが、突然会いに来て危害を加えられるのではないかという心配だ。

相手に執着するタイプが多いので、別れたからといって関係をゼロにはできない。

テレビでそういった事件を見た時、他人事とは思えなかった。

その恐怖や絶望が痛いほど分かった。

たとえ刑務所に入ったとしても、数年したら出てきてしまう可能性が高い。

それって相手が生きている間はずっと恐怖に怯えなければならないということだ。

被害者の自由が脅かされたり選択が狭められてしまうのは理不尽だとは思うが、仕方のない部分もある。

だって話し合いをしても彼らには通じないのだから。

私たちも常に夫の存在に怯えて暮らしていた。

連絡が来たらどうしよう。

会いに来たらどうしよう。

仕事もしていない夫は失うものが無いから無敵の人になる可能性もあった。

それは別れる前から分かっていたから、できるだけ慎重に進めたつもりだ。

それが結果的にあの状況を長引かせた。

それでも無茶なことをしなくて良かったのだと確信している。

あの時、一つでも選択を間違えていたら今の穏やかな生活は無かったように思う。

2024年11月29日金曜日

貸金庫を借りたモラハラ夫

夫が突然、貸金庫を契約

ある日、夫が急に

「明日、貸金庫の契約に行ってくるわ」

と言った。

事前に色々と調べてあって、電話で空き状況も確認済みだと言う。

私にとっては突然のことだったので、驚いて何か裏があるのではないかと思ってしまった。

夫からしたら突然決めたことではなく、前々から利用したかったようだ。

一番小さいものならそれほど費用も高額ではないから借りることにしたと言っていた。

「ランニングコストがかかっても安全には代えられないから」

という夫の言い分も分かる。

賃貸住宅だし、セキュリティも万全とは言えない。

何より大事な物を入れておくような収納場所も無い。

だから、安心して置いておける場所を求めたのだろう。

どこの店舗に預けるのかも教えてくれた。

既に預けるものが整理されてポーチに詰め込まれていて、準備は万端だった。

せっかく借りるのなら入れておきたいものもあるな・・・。

私にも声を掛けてくれないかなと思ったのだが、すぐに考えを改めた。

貸金庫は確かに安全だけど、夫が居なければ自由に取り出すこともできない。

それだと私にとっては全然便利ではない。

それに、何を預けるのかを逐一管理されるのも嫌だ。

だったら家の中にまとめて置いておいた方がまだマシかもしれない。

色々考えて『やっぱり今のままで良いや』という結論に達したのだが、少しして夫が急に

「お前も入れておきたいものある?」

などと優しい言葉をかけてきた。

珍しいこともあるもんだ。

妻には優しさを与えない主義なのに。

声を掛けられるまでは不便だと感じていたはずなのだが・・・。

一緒に入れさせてもらえるとなったら急にそちらの方が良いような気がしてしまい、咄嗟に

「じゃ、入れる物をまとめておくね」

と答えてしまった。


夫が貸金庫に預けた物

預けると言っても、私にはそれほど多くの物はない。

小さなポーチに収まるくらいの量だ。

だが、夫のは割と大きめのポーチがパンパンになる位に色々詰め込まれていた。

チラっと見えたのだが、主に通帳や保険の証書が入っていた。

それを見て、ふと思った。

そんなところを利用したいと思う位に持っているってことだよね。

家が不安だと言うけれど、心配になるほど持っていなければ気にならないはずだし。

夫婦と言えど財産は各自で管理していた私たち。

まさか夫が貸金庫に手を出すほど潤っているとは露知らず。

生活費のほとんどを私が負担していた。

でも、もし余裕があるのなら少しでも良いから負担して欲しい。

家賃や食費は出すから、せめて光熱費だけでも。

こんなことを一度考え始めてしまったらモヤモヤが止まらなくなった。

あー考えなければ良かったよ。

少しだけ後悔していると、夫が満足そうに

「これで安心だな」

と言った。

夫は秘密主義だ。

付き合い始めてからかれこれ10年近くが経過していたのだが。

預金がいくらあるとかも全く知らなかった。

その代わりに私のことも聞いて来なかった。

あっ、聞かなかったのは期待してなかっただけか(笑)

とにかく、こういった情報を共有することのない夫婦だったので、この時もただ『結構持ってるのかな』とふんわりと思った程度だった。


今の貸金庫って凄い!

一緒に預けに行った時、そのハイテクぶりに驚いた。

自分の金庫が自動で届くようになってるんだね。

それを持ってきたキーで開けて必要に応じて中身を取り出したり新たに預けたりして、用が済んだら再び鍵をかける。

その後はまたボタン一つで自動で戻って行く。

これなら面倒ではないし、行員が居なくても操作できるから確かに使い勝手が良い。

利用し始めてから夫はことあるごとに貸金庫に足を運んだ。

そして頻繁に出し入れしていたようだ。

時々は都合がつけば私も同行した。

何度か足を運んだ中で、ちょうど免許の更新で免許証を取り出そうとした時があった。

でもポーチから出すのが何となく面倒で、小さな物だしそのまま持って行くことにした。

無事に免許の更新を終えた後も貸金庫に戻すことなく、そのままに。

『夫とタイミングが合った時に入れにいけば良いや』

いつものグータラな思考でずっと預けそびれていたのだが・・・。

結果的にこれはファインプレーとなった。

離婚の話が出た時に夫は

「全ての話が済むまでは銀行に預けた物は出さないから」

と脅してきた。

そんなことを言われて私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいになった。

銀行に預けてるって何のこと?

それで分かったのだが、夫は私が自分の分を取り出したことに気づいていなかった。

だからそれを脅しに使ってきたようだった。

黙っていた方が都合が良いので私は気づかないフリをした。

2024年11月28日木曜日

モラハラ男は養育費を渋る?!

入籍前から雲行きは怪しく・・・

数年前に知人が離婚した。

我が家でも既に何年も前から話し合いを進めていたが、一向に進展しなくて焦っているという状況の中で。

まだ新婚だった知人があっさりと離婚した。

全くそんな噂も無かったし本人もいつも通りに過ごしていたのに・・・。

最初は聞き間違いかと思い、思わず聞き返してしまった。

それほど寝耳に水の話だったが、本人は色々悩んで吹っ切れたのだと言う。

実は違和感をおぼえたのは入籍する前からだったそうだ。

でもお腹に赤ちゃんも居るし。

一人よりも二人の方が心強いし。

何より相手はお腹の中の子の父親なのだ。

父親が居た方が良いに決まっている。

小さな命を授かったと分かってから、知人は割と早く結婚を決意した。

でも、肝心の男性の方が何やかやと理由を付けて先延ばし。

あまりにものらりくらりと決断しないので、知人は結婚するか別れるかを迫った。

それで渋々承諾したらしい。

その態度にはがっかりしただろうな。

渋々って何よ。

子どもに関して半分は男性側にも責任があるのに。

まるで結婚を強制されたかのように振舞うことに一抹の不安をおぼえたそうだ。

ただ、結婚するとなったらもう前に進まなければならない。

相手の態度が気になっても、これからすり合わせをしていけば良い。

そう考えて話を進めた。

産まれるまでにあまり時間も無かったので、とりあえず入籍だけは済ませて慌ただしく結婚生活をスタートさせた。


旦那さんと闘った知人

入籍したら旦那さんの方もさすがに腹を決めたに違いないと思ったのだが、実際はそうでは無かったらしい。

まだラブラブな時期のはずなのに日々不満を口にしていた。

しかも、生活費を入れてくれなかったり急に不機嫌になったり、暴言を吐いたりした。

それでも何とか耐えて結婚生活を続けようと奮闘した彼女。

しかし、相手の態度は次第にエスカレートしていった。

一緒にご飯を食べない。

常時不機嫌。

大きな物音を立てる。

聞こえるように嫌味を言う。

暴言や舌打ち。

ひたすら無視。

これでもかと言うくらいの態度を取られたそうだ。

最初は気丈に振舞っていても段々と疲れてくるものだ。

最後の方は自分からは話しかけず、悶々としながら過ごしたと言っていた。

その結果、余計に接する機会が減って家族という感覚が失われていった。

お互いの存在を無視しながらの生活は結構シンドイものだ。

期間限定でも精神をやられる。

彼女たちの場合にはそれが次第にエスカレートしていって、些細なやり取りも拒絶されるようになった。

ここまでいったらもうやり直すことは難しいと思う。

結局、2年も経たずに離婚することに。

ただ一つだけ救いなのは、親権争いがないことだ。

親権争いが絡んでくると更に泥沼になることが多い。

このケースでは、相手は離婚したら元の生活に戻るだけ。

「あとは判を押して出すだけだから早くしろよ」

と急かして終わらせようとしていた。

でも、彼女はそれを許さなかった。

子どもの親権を持つことに異論はない。

あんな人に任せられるわけがないから。

一緒に住んでいても子どもの世話をすることなど無かったし、可愛がることも無かった。

きっと元々愛情が無かったのだろうから、子どもと二人で新生活を始めることはもう心の中で決めていた。

ただ一つだけ、納得できない部分があった。

それは養育費だ。

相手は養育費の話し合いでも渋って渋って、

「何で俺が払わなきゃならないの」

とゴネ続けた。

二人での話し合いでは決着がつかず、とうとう調停へ。

調停でも独りよがりな理論を展開し、調停委員も呆れていたそうだ。

ただ、『こういうケースでは妥協できるラインを探らないと話はまとまらない』とも言われた。

何で相手の言い分を飲まなければならないのだろう。

そう思ったけど長引くのも困るし、早くこの件をスッキリさせたい。

色んな思いを抱えながら話し合いを続け、最終的には相場通りの金額で決まった。

この話を聞いた時、彼女のことを本当に強い人だなと思った。

もし自分だったらと考えたら、早々に諦めることになるだろうことは容易に想像できた。

金額が決定された時、不服に思った彼は

「結局は金かよ!」

と言い捨てた。

『そう言うと思ってた』と彼女は笑っていた。

2024年11月27日水曜日

恐妻家を演じるモラハラ夫

妻が強くて肩身が狭いというアピール

家の中で夫は絶対的な存在で、私たちは常に気を遣っていた。

『そうは言っても対等な部分もあったんでしょう?』と聞かれることもあるが。

もしそうであればあんな別れ方をしていない。

離婚するにしても円満離婚という道も残されていたように思う。

それができなかったのは、私たち家族の形があまりにも歪だったからだ。

一方的という言葉でも甘いくらい。

服従という言葉がふさわしい。

それほどまでに虐げられていたのに、外の人たちからの印象は全く違うものだった。

特に夫の友だち達からは私が強いのだと勘違いされていた。

「アイツが煩くってさぁ~」

夫はよくそう言っていた。

例えば遊びに出かけた時、帰りが遅くなると私に怒られるからという理由で早く帰ってくることがあった。

こちらとしては遅くなった方が有難い。

その間、私たちは自由に羽を伸ばすことができるので万々歳なんだけど。

恐妻家を演じる夫は何やかやと理由をつけて自分の都合の良いように動いていた。

しかも、それを私が煩く言うからという理由で。

「お前んところ、厳しいんだな」

と言われている現場を目撃した時には本当に驚いた。

まさかそんな話になっていたなんて・・・。

「それだと遊びに行っても自由にできないね」

「せっかくの外出にも気を遣うなんてかわいそう」

夫の友人(女性たち)は夫に憐みの目を向け、私を軽蔑していた。

言いたい放題言ってくれるよね。

実際のことは何にも知らないくせに。

そう思うのだが、夫の機嫌が悪くのは困るから何も言えなかった。

友人の言葉に対して夫が、

「そうなんだよ~ 俺家の中で弱いからさぁ」

なんて言ってることにも腹が立った。


真実を語っても意味が無い

何故本当のことを言えなかったのか。

それは報復が怖かったからだ。

夫はその状況に満足していた。

恐妻家で窮屈な思いをしているというアピールをすると周りが気の毒がる。

そして私に非難の目が向けられる。

そんな状況が楽しかったに違いない。

『可哀そうな俺』というポジションを手放したくなかった夫は、一緒にいる間ずっと恐妻家を演じ続けた。

私にとっては迷惑な話だ。

夫から虐げられ、夫の友だちからは『もっと自由にしてやって』と非難される。

いつか本当のことをカミングアウトしたいと思っていたが、それが叶うことは無かった。

きっと最後まで私が悪者だったと思う。

でも、それで良い。

離れることができたのだから、どう思われていようが構わない。

そもそも一人だけよそ者だった私は最初から良く思われて居なかった。

特に女性たちからは何故か敵対視されていた。

後から入ってきて大きな顔をするな、というようなことを遠回しに言われたこともある。

決してそんなつもりはなく、集まる時には目立たないようにしていたのに。

隅っこの方で大人しく話を聞いているだけでも気に入らないのなら、もうどうしようもない。

多分何をしても気に入らないのだ。

それなら私が出ない方が良いと考えて夫にもそう告げた。

しかし夫は納得せず、

「俺の友人関係を否定するな!集まりに出ないなんて、どうしてお前はそんな勝手なことが言えるんだ!」

と怒った。

勝手なのはどっちなんだろう。

私はただ心穏やかに過ごしたいだけなのに。

頑張って受け入れてもらおうとしても無理なことが分かった時、これ以上の努力は無駄なのだと悟った。

諦めたことにより精神的な負担も減った。

だけど、そのことでまた双方から『打ち解けようと努力していない』と攻撃されて傷ついた。

2024年11月26日火曜日

忙しい年末は家事も手抜きで良いんだよ

何かと忙しない年の暮れ

毎年毎年この時期になるとどうして忙しくなるのでしょうか。

気持ち的にそう感じるだけ?

いや、違うな。

実際に時間的な余裕がなくて、いつもワタワタしている気がする・・・。

私は完ぺき主義ではないからほどほどに手を抜いているけど。

それでもやっぱり疲れるなぁと感じることの多い時期です。

それでご飯もついつい手抜きに・・・。

よくスーパーで買っていくのは唐揚げで、ちょっと高いけどボリュームもあって助かってます。

でもやっぱり飽きるよね。

数日おきに唐揚げが出てきたら。

それでちょっとだけ体に優しい(?)魚系の総菜にしたら今度は子どもが『肉が無い!』と。

結局どっちでも不満が出るのね。

それもこれも同じようなラインナップが続いたことが原因だと思われ。

このままの生活を続けていたら二人とも飽きて食欲も減退していくのではないかと不安になりました。

まあ、夕方の割引シールは有難いんですけど。

同じような物ばかり食べていると段々と新鮮味が無くなってしまうから、何か目新しいものを食べたいなぁと考えました。

そこで最近検討し始めたのが通販の総菜。

こういうの、実家の母はアンチなんだわ。

食わず嫌いなのか『どうせ美味しくない』と思っている節があって毛嫌いしている。

あと、手抜きもあんまり良しとしないタイプなので。

大手を振って堂々とは利用していると言えない感じかな。

でもコッソリ取り入れれば良いんだから全然問題ない。

早速探してみましたが、本当に色んな物があって凄いですね。

私の知識もバージョンアップせねば。


ボリュームを求めるのなら、手っ取り早いのは中華!


セット内容は、
1.肉団子の甘酢あんかけ(8個×1パック)
2.中華丼(300g×1パック)
3.フカヒレ入り玉子スープ(250g×1パック)
4.麻婆春雨(250g×1パック)
5.若鶏の唐揚げ【調理済】(160g×1パック)
6.ナスの味噌炒め(200g×1パック)
7.芙蓉蟹(かに玉)(270g×1パック)
8.ブロッコリーのカニ身あんかけ(200g×1パック)
9.サンラータン(250g×1パック)
10.鶏つくねの旨煮あんかけ(200g×1パック)

北海道、沖縄以外ですと送料も無料です。

更に2セット購入するとオマケ2品つき。

私は普段ネットショッピングをする時には口コミをチェックするのですが。

こちらの商品は口コミの数が多いので安心かな、と思います。


コスパも大事なので、美味しさだけでは選べません。

これで何食食べられるかな?とか、一食あたりいくらになるかな?というのも考えながらチェックしてます。

お肉大好きな子どもも楽しめそうなセットはこちら。


セット内容は、
1.ゆうぜんハンバーグ   150g×3個
2.お肉屋さんのミンチカツ   60g×4個
3.大釜仕込の牛丼     150g×2個
4.純牛焼肉        100g×2個
5.照り焼きチキン     160g×2個

無添加の食材が使われていることや子ども向けのメニューとしても喜ばれそうなのがポイント高いです。

特におススメなのがハンバーグ!

1個150gって結構満足できる大きさですし、3個も入っているのでお得な感じがします。

牛丼の時はミニサラダをつけたいな。

照り焼きチキンの日は、我が家だったらトマトサラダで決定です。

こちらのショップでは他にも色んなセットがあり、ハンバーグだけの物もあるようです。

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ソース無し・和風ソース・デミグラスソースの3種類です。

うちだったらデミグラスかな。

ご飯にもよく合いますよね。


うちは家の近くに松屋があるのですぐに買いに行けるのですが。

近くに店舗がないと言う方にはこんなのも良いかも。


松屋の前にはよくウーバー配達員がスタンバってるのを見かけます。

私もたまに食べたくなるんですよ。


血圧や血糖値が気になる方は、減塩、低カロリー商品を探してみるのが良いかもしれません。

あんまり無いかな~と思っていたのですが、お弁当があってビックリ!

これなら焼いたり炒めたりしないで良いから楽だな。

タンパク・減塩調整用等、色々なバリエーションがあります。

以下の関連商品で出てくると思うのでチェックしてみてね。

それにしても、こういう画像ってなんでこんなにも美味しそうなのでしょうか。

空腹な時間に見ると危険だな。

飯テロになったらスイマセン(笑)。

2024年11月25日月曜日

「もう嫁にもらったんだから」が口癖だったお義父さん

違和感を感じた言葉

私と義父母では世代が違うのだから考え方も違って当たり前だ。

だから大抵のことは『これもジェネレーションギャップなのね』と流してきた。

いちいち目くじらを立てても仕方がない。

そう思うことで私の精神状態も保たれてきたようなところがある。

そもそも私はあまり怒らないタイプだから。

夫のように相手の言動にカチーンときて切れることはない。

それよりも、『あー、今の嫌な感じだな』という風にふんわりと不快感を感じることが多かった。

その程度の怒りなので少し時間が経てば忘れてしまう。

そんな性格を熟知していた義両親は、私になら何を言っても許されると思っていた節がある。

日々のやり取りの中でもそれはハッキリと現れていた。

最も違和感を感じたのは、

「もう嫁にもらったんだから」

という言葉だった。

この言葉には続きがあり、『だからこちら側(義実家)の言う通りにするのが当たり前だ』という流れになる。

つまり、私の気持ちよりも義実感の意見を尊重しなければならないということだ。

嫁に来たのだからそれが当たり前だろう、と。

この言葉は、お義母さんは言わなかった。

連呼していたのはお義父さんの方で、例えばお義母さんがうちの両親に気を使って何か配慮しようとするとこの言葉を発した。

いつもは弱いお義母さんだけど、そういう時だけは頑張ってくれた。

「今はそういう時代じゃないのよ」

「嫁にやったとかもらったとか、そういう考えは古いのよ」

と言ってくれた。

こんな風に私側の肩を持ってくれるなんて本当にありがたい。

あんまり強気に出たら自分の立場も危ういのに。

孤立無援な私に少し同情したのかもしれない。

ただ、お義父さんがこんな感じだったので、夫の酷い仕打ちを打ち明けたところで改善されることは無かった。

暴言や虐待を目の当たりにした時でさえ、『自分たちは中立の立場だ』という態度を崩さなかった。

それなのに、時々私が朝の支度に手間取ってしまって夫のお昼を作ることができなかった時には

「仕事も良いけど、もう少し(夫)にも気を使ってやってくれ」と叱られた。

結局は中立な立場で見ているなんてことは無かったのだ。


大切にされていると思っている両親に打ち明けられない

大事にされていたとは言い難い環境でも我慢するしかなかった。

もしこのことが両親に知られたら悲しませてしまうから。

離れた土地で家族三人幸せに暮らしている。

そう思い込むことが両親にとって幸せなのだと考え、そう演じた。

電話でも元気なフリをしていたので、終わった後にはどっと疲れが出た。

運悪く夫が居る時ばかりに電話がかかってきてしまい、なかなか出られないこともあった。

「連絡つながらないから心配したよ」

そう言われてコッソリ涙。

でも元気に振舞わなければならないから、

「忙しくてさ~。でも皆元気だよ!」

と答えた。

夫婦仲も良好だと思われていたので夫のこともいつも聞かれたが、それに対しても

「大丈夫だよ。色々やってくれてるから助かるよ」

とまるで円満であるかのように振舞った。

本当は全然違うのに。

もし実際の私たちを知ったらどう思うだろうか。

知られてしまった時のことを想像したら絶望的な気持ちになり、決して悟られてはいけないのだと改めて思った。

ある時、事前に夫から暴言を吐かれて悲しくなり、涙が止まらなくなってしまったタイミングで電話がかかってきた。

当然、すぐに出ることはできない。

だから画面に表示された【お母さん】という文字をただただ眺めていた。

夫がまだ近くにいるから、どうせここでは出られない。

それに今はきっと泣いた後だから気づかれてしまうかもしれない。

そう思ってコール音が鳴り止むのを待った。

本当は母の声を聞きたかったけど、折り返すこともできず・・・。

その後『買い物に行ってくるね』と言って家を出たのだが、その時にまた着信があった。

母だった。

どうしよう。

今出たら勘づかれてしまうかもしれない。

でも急用かもしれないし・・・。

思い切って『もしもし?』と出てみたら、いつも通りの母の声だった。

それを聞いたら安堵してしまい、思わず涙が出てきて止まらなくなってしまい困った。

しばらくはひたすら声を殺して泣き続け、母は電波障害か何かだと思い込んでいるのか、『あれっ?もしもし?もしもし?』と言い続けた。

私の声が聞こえないので不具合だと思い込んだ母が一度切ったのを見計らって、その隙に電源を切った。

かかってきても、いつものように振舞う自信がなかったからだ。

充電が切れたことにしようと思った。

平気なフリをし続けてきたけどもう限界。

連絡を取り続けていたらいつか気づかれてしまう。

そうならないために、しばらく連絡は控えた方が良いのかもしれないと思い始めていた。

2024年11月24日日曜日

義父が入院した時のこと

眩暈から始まった体調不良

お義父さんは年の割に元気だ。

65歳を過ぎてもジョギングをしていたし、アグレッシブに活動していた。

重い物を持つのもへっちゃらで、未だに筋肉が浮き出るタイプ。

だから、体調を崩すなんてことは想像したことも無かった。

むしろお義母さんの方が少し弱い感じがしたのでそういう心配があった。

体格的にも小さく、力も弱い。

とは言っても、身長的には私と2~3cmしか変わらないんだけど。

歩き方も弱々しい。

だから、不安があるとしたらお義母さんの方だった。

ところがある日、いつも元気なお義父さんが急に体調を崩した。

最初に出たのは眩暈。

とにかく目が回って気持ちが悪くて動けないのだと言う。

トイレにも這って行くような状態で深刻そうに見えた。

だけど、本人が病院嫌いということもあって、しばらくは自宅で療養していた。

でもなかなか治らなくて・・・。

そうこうしているうちに状態が悪化。

見るに見かねたお義兄さんが近所の小さなクリニックに連れて行ったら

「うちでは脳のCTを撮れないから近くの○○病院に行ってください」

と言われた。

紹介状を書いてもらい、すぐにその病院に行き入院。

色んな検査をして、心配していた脳の方は問題が無さそうだということで退院となった。

とは言っても症状が治まったわけではない。

入院中は吐き気止めを点滴してもらっていたし、退院後も薬を飲んでいたのだが、眩暈の方がしばらくは取れなかった。

しかも、音や光に敏感になってテレビも見られず、ただじっと過ごしていたようだ。

いつも強気なお義父さんで対応が難しい部分もあったけど、この時ばかりは可哀そうになった。


先々が急に不安になった義家族

頑丈なお義父さんの体調不良に急に不安になったのはお義母さんやお義兄さんだった。

もちろん夫も不安だったと思うが、自分の状況的に力になれることは少ないと思っていたようで大人しかった。

私が仕事に行っている間に時々電話をしていたみたい。

子どもは保育園だし、静かな環境でじっくり話をできたはずだ。

お休みの日には私も様子を見に行った。

歳を取ってから片方の具合が悪くなったら不安で仕方が無くなる気持ちも分かるから。

これまでのように暮らしていけなくなるのではないか。

日常生活もままならなくなるのではないか。

そういった不安に押しつぶされそうだったと思う。

これが逆だったらそこまでではなかった。

お義母さんが具合が悪くて、面倒を見るのがお義父さんの方だったら。

多分、もっと前向きな療養生活になった。

顔を見に行った時、閉めきりの暗い部屋で横になっていたお義父さん。

身動きも取れず、ただじっと寝ているだけの姿を見たら胸が痛んだ。

あんなに元気な人がこんなにも急に弱ってしまうなんて。

夫は知らせを受けた衝撃で参ってしまったのかお見舞いには同行できず。

私からの報告をひたすら待っていた。

普段威張っているけど、こういう時に弱いんだよね。

それで、こんな時ばかり感謝される。

『俺が行けなかったから、お前が見に行ってくれて助かったよ』と。

でも、ここで感動なんかしてはいけない。

この瞬間、本当に感謝してくれているとしても、どうせまたすぐに戻ってしまうのだから。

実際に、1か月後くらいに段々とお義父さんが動けるようになってきたら、夫はまた横柄になった。

そして子どもや私を再び虐げ始めて、この1か月のことなど無かったかのように振舞った。

お義父さんが良くなったことは本当に良かった。

私も不安だったし。

だけど、夫のことはやっぱり信用できないと思った。

これじゃあ都合の良い家政婦じゃないか、と考えたら無性に虚しくなった。


「親父たちのことは任せた」と言われても・・・

お義兄さんたち夫婦は、義実家の近くに住んでいる。

入院騒ぎの時には色々と動いてくれて本当に助かった。

うちは車も持っていないし、子どもを連れて歩くのも大変だから。

すぐに行動してくれたことは本当にありがたいと思った。

この件をきっかけに『やる時はやるんだな』と見直しかけたのだが、すぐに考えを改めた。

二人は事態が収まった後、その後のことを私たちに丸投げしてこようとした。

確かに我が家も同じ県内だし、電車に乗れば一時間足らずで行ける場所にある。

何かあった時にはできる限りのことをしようとも思っていた。

でも、そんな気持ちも一瞬で萎えてしまうような発言があった。

「親父たちのことは任せた」

電話でそう言われた時には夫も固まっていた。

その時に私にも代わるように言われたみたいで、促されて電話に出てみるとお義兄さんから

「親父たちのことヨロシクね。俺らもしんどいんだわ」

と言われた。

ヨロシクってどういうこと?

何を任されたの?

困惑しながら夫の方を見ると苦笑いしていた。

元々お義兄さんは押しが強くて言い出したらきかないタイプだ。

この件も私たちが何か反論したって聞き入れるはずがない。

それが分かっているから夫も曖昧に済ませようとしたのだ。

何故今後のことを全て丸投げしようとしたのかと言うと、その答えは実にシンプルだった。

仕事とか家のことで忙しいから、と。

そうは言っても私だって忙しいんだけど・・・。

しかも夫が働いていないから家計的にも厳しいんだけど・・・。

内心はそう思っていても、この話をしたらまた夫がへそを曲げてしまう。

だから言いたいことも言えず、私も

「はぁ・・・、そうですか」

と答えるのが精いっぱいだった。

この件をきっかけにお義兄さんたちは我が家が全部やってくれるだろうと考えるようになり、義両親の私たちへの執着も更に強まった。

2024年11月23日土曜日

ザ・ブルーハーツの想い出

あのメロディーを聞くと思い出す若かったあの頃

新卒で入った会社で出会ったのが彼だった。

不思議と気が合って、最初から気の許せる相手だった。

私たちは同期として同じ時を過ごし、時々仕事帰りにご飯を食べに行った。

あの頃のことを考えると、とても懐かしい気持ちになる。

同期は四人居たのだが、それぞれが個性を持っていて面白い仲間たちだった。

会社という組織では常に気を張っていたけど、その四人と居る時だけはホッとして安心できた。

その彼がよく聴いていたのがザ・ブルーハーツだ。

もうずいぶん前に解散してたんだけどね。

そんなの関係ないくらいにとても好きだったみたい。

私も何度か聴かせてもらい、あまり詳しくなかったのに今でも耳に残っている。

今でもそのメロディーから連想されるのはあの頃の記憶だ。

新卒でまだ社会にも慣れていなかったから、あっという間の数年だった。

その間、悩んだり行き詰まったり。

また頑張ろうと奮起したりして、気が付いたら時間が経過していた。

何とかやってきたというのが正直なところかも。

このまま続けられるのかな?という不安もあったりして。

そんな私から見ると、彼は凄い人だった。

仕事も早く正確で、その上理解力も優れていた。

いつか追い付きたいと思っていたけど、それは叶わなかった。


モラハラ男を選んだ愚かな私

同期たちとはずっとワイワイ楽しくやってきたから。

気の合う仲間として長く続くのだと思っていた。

でも、彼から『好き』と言われた。

あの時は嬉しかったなー。

そんな風に感じたことが意外でもあり、自分の中でどんな存在なのかを自覚してしまった。

だけど、その時は既に彼氏が居た。

モラハラDV虐待男はその後夫になった。

人生の大事な選択で、私は間違えたのかもしれない。

でも、結婚しなければ子どもに会えなかったのだから、それだけは本当に良かったと思う。

子どもは私にとってかけがえのない存在だ。

あの辛く苦しい日々の中で子どもの存在がなければ生きてこれなかった。

全てを投げ出したくなっても、子どもがいるから頑張れた。

だから、大切な子どもに出会わせてくれたことだけは感謝している。

告白された後、内心悩んだ。

だって断ってしまったら、もう今まで通りに一緒に過ごすことができなくなると思ったから。

かと言って、モラハラ男(当時はそう思っていない)と別れる勇気も無い。

何だか全部間違っている気がして悶々と考えた。

考えて考えて考えているうちに、私たちの関係は普通に戻っていた。

ご飯にも行くし、電話してバカ話もする。

そういう友人のような普通の関係だ。

当時は何をしても自信がない私が普通の生活を送るには夫のような気の強いタイプでなければダメなんだと思い込んでいた。

同僚の彼は優しいタイプだったから。

全てにおいて中途半端な私とは合わない気がして。

愚かな話だが、思い込みで夫と一緒に居る方を選んだ。


会えなくなって気づいた本心

しばらくは絶妙なバランスで私たちは上手くいっていた。

それが崩れたのは、私に転勤の辞令が下りたことからだった。

あまり時間も無い中で引っ越しの準備を進める日々。

慌ただしくて目の前のことしか考えられなかった。

気づいたらもう引っ越しというタイミングになっていて、皆と別れを惜しむ間もなくバタバタと新天地へと向かった。

新しい場所では急に独りぼっちになったようで心細くなった。

彼氏(後のモラハラ夫)は居たのだが、もうその頃既に違和感や息苦しさを感じていたんだよね。

でも今進んでいることに抗うのには抵抗があって、逆らうことなく流された。

その頃、彼に話を聞いて欲しくて何度も電話した。

いつも愚痴を言うのは私で彼は聞き役で。

頼ってばかりだったと思う。

そして今思えばとても無神経だった。

彼氏への不満なんかも打ち明けていて、やってはいけないことをしたと思う。

それなのに、話を聞いてくれて時には諫めてくれた。

だから、その存在に安心し切っていた。

何かあっても話を聞いてもらえれば大丈夫。

気持ちを切り替えて頑張れるから。

そう思っていたけど。

ある時、『これ以上はもう連絡を取らない』と言われてしまった。

急なことで驚いたけど、彼の心情は理解できた。

『私の連絡先も消す』とも言われた。

最後の電話が終わった後、何だか急に実感がわいてきた。

もう二度と連絡を取ることができないんだな。

一連のことを考えるとツッコミどころが満載だけど、当時は若くて鈍感で、目の前の表面のことしか見ることができなかった。

まあそうは言っても自業自得だから、それから何かあっても独りで耐えてきた。

もうあれほど親身になって話を聞いてくれる人は居ない。

これは自分への罰なんだと思う。

離れてからハッキリと分かったことがある。

私は彼が好きだった。

それも、最後の電話を切った瞬間に気づいてしまった。

だけど気づくのが遅すぎた。

2024年11月22日金曜日

幸せマウントを取ってくる知り合い

「私は幸せ」アピールが凄くてタジタジ

皆さんの周りにも居ませんか?

幸せアピールが凄い人。

私の知り合いにもそういう人が居て、なぜかいつもターゲットになるという不思議・・・。

一体何の罰ゲームなんだろうと思う。

無視したら良いんじゃない?と考えたこともあった。

だけど、引き寄せられるようにこちらに来てしまうんだから仕方がない。

ああいうアピールって、人を選んでやっているのではないかと思う。

自分よりも幸せな人にやったって滑稽なだけだ。

選ばれてしまったのは、私が何となく満たされていないように見えたからかも。

そうだとしたらかなり鋭いな、と感心する。

家で何かあったとしても誰かに相談することはなかったし、悩んでいる素振りも見せなかった。

むしろいつも元気に振舞っていたので、我が家の惨状には誰も気づいていなかったはずだ。

なぜそのような振舞いをしていたのかというと・・・。

これにはあるエピソードが関係している。

以前夫が仕事を休み始めた時、深く考えずに

「うちの夫、今仕事休んでるんだよね~」

と話したことがあった。

その場は『ふーん、そうなんだ』くらいで終わったのだが、その後ことあるごとに聞かれるようになった。

「旦那さん、今どうしてる?仕事行けてる?」

と。

何て返事をしようかと悩んだ挙句、『あんまり変わらずだよ』と答えることにした。

その後とうとう夫が仕事を辞めて無職になり、バレるのも時間の問題という状況になった。

隠そうとしてもずっと探られるのなら最初から正直に話してしまった方が楽な気がした。

だから、詳細は省いて軽く報告した。

報告した時、無職になったと聞いた途端、その人が薄っすら笑ったのを見逃さなかった。

すぐに気の毒そうな表情に変わったけど。

最初の反応が彼女の心情をよく物語っていると思った。

そう言えば、ずっと好奇の目で見られていたな。

きっと人の不幸は蜜の味なんだろう。

こちらは悩んでいるというのに。

こんな風に興味津々の様子で探ってくる人がいるのかと思ったら急に怖くなった。

これに懲りて、それからはネタになりそうな話は一切しなくなった。

お口にチャックをして生活している。


流行りのおもちゃ。本当は買ってあげたかったけど

状況をある程度は知っている知人がいる。

普段はとても優しく接してくれる。

でも時々、『あなたの所は、こういうお出かけはできないでしょう』『こんな物買えないでしょう』というマウントを取ってくる。

まあ、それは当たっている。

私一人の力で生活するって大変なことだ。

キャリアウーマンでバリバリ働くタイプだったら良かったんだけどね。

自分に自信が無いし、今の仕事を続けるだけで精一杯。

自慢をされたところで無い袖は振れないから、『ふーん』という感じで薄い反応に徹していた。

こういう時に大きなリアクションを取ってしまうと、彼女は更に勢いづいてエスカレートしてしまう。

だから、嵐を過ぎるのを待つような気持ちでじっと耐えるのが一番だと思った。

私の場合はそれで良いんだけど、子どもはやっぱり反応してしまうんだよね。

特に小さい頃は羨望の眼差しを向けて羨ましがるので非常に困っていた。

何か聞くと『良いな~』となるのは確実なので、自然と距離を取るようになった。

でも、こういう人って避けても避けても近寄ってくるんだわ。

ある年の12月、その人がおもちゃ屋の冊子のチラシのようなものを持って保育園の帰りに見ていた。

そこに数組の親子が集まってきて皆でそれを眺めていた。

その中に子どもたちに大人気のおもちゃがあって大々的に宣伝されていて、そこに大きな手書きの〇が。

うちの今年のクリスマスプレゼントはこれよ、というアピールらしい。

それを見た子どもたちが『良いな~』と口々に言い、他のおうちもねだられていた。

共働きで割と余裕のあるご家庭も多かったから。

子どもがとても欲しそうにしているのを見た数人が『仕方ない・・・』とOKを出していた。

結局6人中4人が同じおもちゃを買う約束をし、うち以外ではもう1人が保留となった。

この保留っていうのも微妙な感じで。

うちが『良いよ』と言わなかったから合わせてくれたような気もして。

それだったら悪いなぁと申し訳なく思った。

そこで話が終われば良かったのに、チラシを持ってきていたママが、

「年に一回のことなんだからさ」

と言った。

どういう意味かが分からなくて返答に詰まっていると、

「こういうのは、それぞれで考えれば良いと思うよ」

と周りがフォローしてくれた。

今考えても明確な答えは分からないのだが。

あれは、年に一回のことなのにケチケチするなとでも言いたかったのだろうか。

この人は卒園まで頻繁にマウントを取ってきてずっと悩まされた。

2024年11月21日木曜日

自己愛性パーソナリティ障害の夫を持つということ

診断がつきかけたのに急に通院を止めた

夫は自己愛性パーソナリティ障害だ。

厳密に言うと、その疑いがある。

なぜ確定されていないのかというと、診断がつきかけた頃に急に通院を止めてしまったからだ。

多分、結果を受け止め切れなかったのだと思う。

自分を過大評価する人だったので認められないのも当然かもしれない。

でも、私から見れば当てはまることばかりで驚いた。

そういう人がいるんだ!と分かっただけでも収穫だ。

このことで、今までの言動も自分の中でストンと腑に落ちた。

理解してあげられないことに対して罪悪感を持たないで良いんだと思えるようにもなった。

できればあのまま診断を受けて欲しかったな。

そうすればもっとスッキリしたのに。

ただ、診断を受けてしまったら夫の精神状態への影響も大きかっただろうと思う。

義両親も納得しないに違いない。

それに、知ったところで解決策が見つからなくて幸せにはなれないのなら。

いっそのこと気づかない方が良いのかも、なんて考えたりもした。

診断を受けた後は自分たち次第というところが大きい。

その上、自覚があっても攻撃性が治まることは稀だという。

特効薬のようなものもないのに診断を受けることに何の意味があるのかとも思ってしまうが。

それも私の逃げなのかな、と思う。

対処法は一応存在していて、どのような対応をすれば良いのかというのがあることにはある。

ただ、それを知ったところで私たちの未来は変わらなかったと思う。


対等ではない夫婦関係

私たちの関係は対等では無かった。

いつも夫が上にいて、自分の優秀さを見せつけるような発言をした。

それなのに周りが評価してくれないという不満もセットになっていた。

時々妄想も入ってくる。

どこまでが本当かが分からなくて疲れるけど、自慢話を聞いているだけならまだマシだ。

一番嫌だったのは攻撃的になることだった。

日々私や子どものあげ足を取り、それを理由にいきなり激怒。

そこにはマイルールが存在している。

でもたくさんあるので、全てを避けるなんて不可能。

普通に生活していたら毎日その地雷を踏んでしまうので怒られない日は無かった。

大人でさえ避けられないんだから子どもは更に苦しむことになる。

夫は『二度目』を決して許さない。

既に一回目でもこの世の終わりのような怒り方をしてるんだけどね。

一度注意したにもかかわらず二回目があった日には、家の中がひっくり返るくらい怒った。

そして、『何月何日にどういう話をしたか』を質問して答えさせようとした。

そんなの私でさえ覚えていない。

それを子どもに要求することに強烈な違和感を感じずにはいられなかった。

しかも、曖昧な答えでは許されなくてほぼ完ぺきに答えることを求められた。

怒る理由にしても危険なこととか他人に迷惑をかけることならまだ分かる。

だが、大抵は取るに足らない些細なこと。

夫でなければ気にしないんだろうなと思うことばかりだった。

こんなちっちゃなことで怒ってばかりいるのはトラブル耐性が無いのかな?と思ったりもしたが。

そうではないらしい。

だって良いことが起きても怒っていたんだから。

私が転職した会社で評価され、昇進することになった時もそうだった。

我が家では滅多にない良いニュースだ。

といっても、平からその一つ上になっただけなんだけど。

嬉しくて(でも気を遣って声のトーンは普通めで)夫に伝えたら、途端に不機嫌になった。

分かりやすくため息をつき、私が話そうとするのを遮って大きな音を立てた。

しまいには、何もしていないのに、

「うるせーんだよ!」

と怒鳴って、せっかく作ったご飯を捨ててしまった。

これから晩御飯という時で、『いただきます』をしようというタイミング。

夫と居るようになってから謝る癖がついてしまっていたので、この時も咄嗟に謝った。

そうしたら夫が更に怒って、

「もうお前しゃべんな!」

と言って、お揃いの茶碗を投げた。

壁に当たり、パリンと音を立てて壊れた茶碗。

真っ二つになった様は、まるで私たち夫婦のように見えた。


共感してもらえない辛さ

夫婦といっても所詮は他人だ。

だからこそ、相手を理解しようと努力しなければならない。

夫にはそれが皆無だった。

これでは、いくら歩み寄ろうとしても心の距離は縮まらない。

付き合い始めから数えるとずい分長い間一緒に居たが、心の底から分かり合えたことがない。

幼いこどもとでさえ、そう思える瞬間があったのに。

一緒に暮らしていたら、ただ話を聞いてもらいたい時もある。

夫にはそれすらも求めることができなかった。

アドバイスなんか要らないから、ただ共感してもらえれば。

そう思って話したことでも、『お前が悪い』と頭ごなしに怒られた。

悩みを相談できないとかそういう次元の話ではない。

普通の会話でさえも通じ合えないのだ。

宇宙人のような夫との生活はいつも孤独だった。

調べたら『共感性に乏しい』というのも自己愛性パーソナリティ障害の特徴のようだった。

そんなことも知らず、話しかけるたびに傷ついていたあの頃。

要らない努力をしてしまったんだね。

夫は夫で私の求めていることが分からず鬱陶しかったに違いない。

2024年11月20日水曜日

帰ってこなければ良いのにな

夫の外出が息抜きの時間に

いつも家に居る夫が時々出かけると、もう心の中はお祭り騒ぎだった。

やったー!めいっぱい息抜きができる!

子どもも大喜びでいそいそと遊び道具を取り出した。

普段は隅っこの方で目立たないように過ごしている二人。

息をひそめるように生活をしていた。

でも、この時ばかりは自由に行動できたので、テンションも爆上がりしていてはたから見たら変な人たちだったと思う。

心が軽くなると自然と笑顔も出てくる。

夫の居ない生活はこんなにも快適なんだとジーンとした。

こんな素敵な時間が長く続けば良い。

どんなにそう願っていても終わりはやってくる。

段々と夫が戻る時間が近づいてきて、私たちの心はブルーになった。

夫の帰りを意識し始めたら、せっかくの自由時間を楽しむ余裕も無くなる。

あと何分かな。

帰ってきた時に機嫌はどうかな。

そんなことばかり考えてしまい、自然とため息が出てしまう。

それを見た子どももつられるように笑顔が無くなり・・・。

夫が帰る頃にはすっかりいつものモードに戻っていた。

私たちがこんなにも夫の居ない時間を待ち望んでいたことを本人は知らないだろう。

いつも自分は我が家の中で絶対的な存在で、敬われるのが当たり前だと考えていたのだから。

好かれていると思っていたかは分からないけど。

尊敬されていると信じて疑わなかったはずだ。

実際には夫の理想とはかけ離れた感情を抱いていて、一緒に居る時は心が牢屋に閉じ込められているようだった。


「帰ってこなければ良いのにな」

久々の二人時間を満喫している時。

本当に何も考えずに口から、

「帰って来なければ良いのにな」

という言葉が出てしまった。

本来子どもの前で言うべき言葉ではない。

それは十分に分かっている。

だけど、本当に何も意識せずただ独り言をつぶやくように出てしまったのだ。

それを聞いた子どもはハッとした表情を見せた。

そして、口元の前に指を立てて「シッ!」と言った。

この時、もちろん夫は近くには居ない。

ただ反射的に夫のことで何か言うのは危険だと反応してしまったのだと思う。

悲しいかな、私たちは常にそういう感じで夫のことを意識していた。

これが【そばに居て欲しい】とか【居なくて寂しいな】とかプラスの感情なら良かったのに。

私たちの場合は間違いなく恐怖の対象だった。

暴言や子どもへの虐待、物の破壊行為。

それらを考えたら少しくらいそう思ってもバチは当たらなそうにも思える。

でも、あの頃は『悪いことを言ってしまった』という気持ちになった。

夫に申し訳ないという罪悪感。

そこから『私が悪い』という考えに至り、もっと頑張らなければという結論になる。

どこからスタートしても結局はこのルートをたどることになり、いつの間にか私は自分を責めることが得意になっていた。


子どもは親を選べない

他のブログでも同じような感じのご家庭があって、思わず記事を読み漁った。

残念ながら最近は更新されていないようだが、参考になる部分もたくさんある。

家族構成がちょっと違ったり、子どもの性別が違ったり。

違う部分もたくさんある。

だが、夫の振る舞いがよく似ていて、無職なのも同じだった(笑)。

無職だからそういう人になるのかとも考えたが。

夫の場合は仕事をしている時からだった。

その方の旦那さんは体調が本当に悪いようで行動も制限があるようだった。

日々の生活の中で一人ではできないことがあると確かに大変だ。

しかし、離れることになったらそれはプラスに働くかもしれない。

うちは比較的自由に動ける(というか趣味関連なら他県にライブにも出かける)。

アグレッシブなモラハラほど怖いものはない。

離れたとしてもどこまでも追ってくる可能性もある。

だから、慎重に行動しなければとそればかり考えた。

地獄のような環境からなかなか抜け出せない状況が続くと苦しむのは子どもだ。

子どもは親を選べないから、他の幸せなご家庭と比較しては『可哀そう』だと嘆いた。

やっと抜け出せた後、すぐに幸せな気持ちになるかと思っていたけど。

しばらくは心が空っぽになって身動きが取れなくなった。

子どもは子どもで、普通の生活に近づくにつれて戸惑いが大きくなった。

苦しい生活から解放された後も、色んな困難がつきまとう。

それを実感してもなお、離れてからの日々を幸せに思う。

2024年11月19日火曜日

年末の攻防-帰省させたくない夫は全力で阻止

年末の攻防はもはや恒例?!

年末が近づいてくると我が家ではいつも帰省問題が勃発した。

そのことをどちらからともなく意識し始めて、いつにも増して空気が殺伐としてくる。

『今年は絶対に帰りたい』と計画を立てる私に対し、何が何でも阻止しようとする夫。

自分の実家に帰るのなら夫も反対はしない。

むしろ気も遣わずに好き勝手できるので、義実家に行くのは大賛成という感じだった。

だけど、うちの実家に帰省する話になると途端にだんまりを決め込んだ。

そして、『体調が悪い』という風に匂わせてきた。

他のことは自分のやりたいようにやっていたので夫のNGが出たらそれで終わり。

でも、うちの実家に対しては少しは遠慮があるのか表立って反対することは少なかった。

その代わりに、まるで察しろと言わんばかりに都合が悪いアピールをしてきた。

夫の手の内は大体分かっている。

遠回しにでも色んな理由を付けて行かせないようにしたいのだ。

最初は夫だけ留守番するのは可哀そうだから義実家に帰れば良いと思ったが。

それは本人が嫌なのだと言う。

それなら一緒に帰省するしかないと誘っても、何やかやと理由をつけて行けないことを匂わせてきた。

もう面倒くさくて、どうしたいのかと聞いてみたら、

「家族なんだから年末年始くらい一緒に過ごすべきだ」

と言われた。

年末年始どころか、1年中365日一緒に居る。

息抜きもできないくらいに常に一緒なのに。

年末年始を一緒に過ごさなければ家族ではないと思っていた夫は頑なだった。

もう家に残って三人で過ごすという選択肢しかないのか。

そう受け止めたが、家で過ごすことにこだわりは無いようだった。

三人で義実家に行くのは賛成するので、結局自分の我を通したいだけ。

たまにしか会えないんだから、年末ぐらいは帰りたいよ。

それは夫も分かっているくせに、そういう時に限って自分の両親に感謝しているような素振りを見せて

「うちの親にはいつも世話になってるから、こういう時に恩返ししなきゃ」

と私にも強制した。

確かに夫の面倒をよく見てくれている。

でも、最低でも週に1回は会ってるんだよ?

年末くらい会えなくても問題は無いんじゃないの?と腹が立った。


仮病を使ったり不機嫌になったり・・・

夫が阻止する時の手段には色んなものがあった。

その代表的なものが仮病だ。

体調を崩してからずっと仕事をしていなかったので、確かに私たちの中で夫は体の弱い人というイメージがあった。

でもよくよく考えてみるとそんなことはない。

むしろ、好き勝手に暮らし始めてからは生き生きとしていて、趣味のことなどには全力を注いでいた。

買い物も大好きで、どこからお金が出ていたのかは分からないがよくネットショッピングもしていた。

そんなにお金を使っているのなら光熱費くらい目くじらを立てなくても良いと思うのだが。

暖房は相変わらず使わせてはもらえず、お風呂もシャワーを強制された。

こういう書き方をしてしまうと夫が光熱費を出してくれていたのだと誤解されるかもしれないが。

生活費全般を出していたのは私だ。

夫は無職になってから自分の保険だけを払っていた。

その保険の受取人は義父(笑)。

そりゃー私に払ってくれとは言えないだろう。

結婚する時に

「受取人をお前に変更しなくちゃな」

なんて言っていたのだが、それが実行されることはなかった。

・・・話が逸れてしまったが、とにかく仮病には散々騙された。

帰省を阻止しようとする時に使えると思ったのか、繰り返しこの方法でこちらの出方をうかがった。

夫はかなりの演技派だ。

だから、本当に具合が悪いように見えてしまう。

それで可哀そうになって『今年はうちで過ごそうか』となるとみるみる元気になる。

思い通りになったからと言って私たちに優しくすることはない。

事あるごとにに不機嫌になって当たり散らし、そのたびに自分の選択を後悔した。


私や子どもが体調を崩すと嬉しそう・・・

攻防の末、めでたく帰省することになった年。

タイミング悪く私や子どもが風邪を引いてしまい、予定をキャンセルしなければならないことがあった。

悔しいけど、こればかりは仕方がない。

納得しようと思ってもなかなか気持ちを切り替えることができず悶々としていた時、夫が嬉々として普段はやらない家のことをやっていた。

よほど嬉しかったんだね。

あれだけ虐げてるのに年末年始を一緒に過ごしたいなんて。

驚きと共に、この人の思考回路はどうなっているんだろうと困惑した。

子どもだって電車に乗ってお出かけするのをかなり前から楽しみにしていた。

それが駄目になってしまい、しょんぼりとして途端に元気が無くなった。

それでも夫はお構いなし。

子どもの思いよりも自分の気持ちを優先するところが実に夫らしい。

1~2日が経過して少し回復したら、夫はすっかり何もやらない人に戻っていた。

多分、帰省が無くなった喜びから動いてくれていただけなんだと思う。

反動なのかその後はいつにもまして私たちへの暴言が酷くなった。

実家でお正月を過ごしていた頃。

母がよく、『一年の計は元旦にあり』と言っていた。

毎回言うものだからみんな『まーた言ってる』という感じだったのだが。

夫と過ごすようになってから、こういう何気ないシーンを思い出すことが増えた。

みんなでお節を囲んで、お酒大好きな父が上機嫌で日本酒を飲む姿。

酔っぱらった姉は饒舌になり些細なことで大笑いする。

それをニコニコしながら見つめている姉の旦那さん。

幸せな記憶がどんどん蘇ってきた。

それに比べて夫と過ごす時間には何の希望も無い。

また一年この人と過ごすことになるんだろうか。

いつまで一緒に居れば良いんだろうか。

そんな気持ちばかりがわき上がってきて、年の初めから悲観的になった。

2024年11月18日月曜日

ピンチ!隠しておいた離婚届が見つかってしまった!

これは私が用意した離婚届なのか?

普段私以外が触れない場所にしまっておいた離婚届。

夫には伝えておらず、こっそり隠し持っていただけだった。

いざという時に出そうとしていたお守りで。

まだ当分表に出すことはないだろうと思っていた。

しかし、意外と早く知られることになった。

自分から出したわけではない。

まだ心の準備ができていないタイミングで見つかってしまったことが悔やまれる。

子ども用のタンスの一番下、その奥深くにしまってあった。

ここは絶対に大丈夫だと思っていたから、帰宅後に机の上に置かれた離婚届を見た時には飛び上がりそうなほど驚いた。

『ヤバイ!どうしよう!』

心臓がバクバクと鳴って、暑くも無いのに体中から汗が噴き出した。

何でバレたの?とかどういう言い訳をしようとか。

そんなことにまで頭が回らない。

ただひたすら狼狽えて、だけどそこでふと思った。

『いや、待てよ。もしかしたら私と別れたくて夫が用意したものかもしれない』と。

もしそうなら私が慌てる必要もないのだから、ドンと構えていれば良い。

半ば賭けのような気持ちで、だけど慎重に一言目を発した。

「これ、どうしたの?」

本当に普通の会話のような感じで聞こうと思ったのだが、やはり声が震えてしまった。

そして聞いた瞬間、私は自分の甘い考えを後悔することになった。

声をかけられた夫は耳の痛くなるような声で、

「こっちが聞きてーよ!どういうことなんだよっ!えっ?!」

と言って、いきなり凄んできた。

あぁ、やっぱり私が用意したものだったのか・・・。

一か八かの賭けに負けた私は、その後のことなど何も考えてはいなかった。

どうせ何を言っても納得することはない。

それならば、早くこの嵐が過ぎ去って欲しいと祈るような気持ちだった。


偶然、義両親が発見した離婚届

なぜこんなにも早く発見されることになったのか。

そのことが不思議で仕方が無かった。

普段目につくところや夫が使うところは少しの移動でも気づかれてしまう。

だからそういう場所は避けたつもりだ。

夫が子供用のタンスを開けるとしたら上の方だけ。

日常的に使用するものが入っていない下の方は引っ越し以来開けていなかった。

ところが、その日に限って運悪く義父母が開けてしまった。

これまでも勝手に開けることはあって、見知らぬ服がしまわれていたこともある。

ただ、何度も見ているから大体の収納場所は把握しているはずで、よりによって一番下を何のために開けたのかが謎だった。

だが、その理由はすぐに判明した。

夫が怒鳴っているのをすぐ傍で聞いていた義母が急に

「ごめんなさいね。勝手なことをしちゃって」

と謝ってきた。

謝られたって私がコッソリと離婚届を用意していてバレたという事実が覆るわけではない。

それで、『謝るくらいならこの場を何とかしてくれ』と思いながら、

「いえ・・・」

と一言だけ返事をした。

聞くと、その日は義母が子どものスタイやミトンなんかを探していたらしい。

お祝いに貰ったのに使わなかったものがいくつかあり、以前勿体ないと話していたことがある。

その時、確かに『誰かが使ってくれたら有難いです』と言った。

そうしたら義父が

「二人目の時に使ったら良い」

と言うので『それは絶対に無い!!!』と心の中で全力で否定しながら、

「いやいや。こういう物は古くなっちゃうとアレですし。すぐ使う人に差し上げたいです!」

と答えた。

最近、夫の親戚に子どもが産まれた。

それでちょうど良いから差し上げようと、ラインナップだけでも確認するつもりで探していたらしい。

一番上から見て行ったけどなかなか見つからなくて、とうとう一番下の引き出しを開けることになり・・・。

奥の方をめくってみたらいきなり離婚届が目に入ってきたのだから、さぞかし驚いたことだろう。

この一件で私の気持ちも皆に知られることとなった。

2024年11月17日日曜日

スーパーでモラハラ現場に遭遇

世の中にはモラハラする人が大勢いるんだな

夕飯の買い出しにスーパーに行った時のことだ。

入口近くで旦那さんらしき人からしつこく何か言われている女性が居た。

普段は気にも留めないのだが、その光景があまりにも異様だったので気になって思わず目で追ってしまった。

私も長い間モラハラを受けてきたので、そういう人を察知してしまう。

あっ、きっとヤバイ人だ。

そう感じる時は大抵当たっている。

最初に違和感を感じたのは、男性の方が険しい顔で女性に詰め寄る時に耳元で囁いていたことだった。

言われた女性の方は固まっていたが、とても悲しそうな表情だった。

売り場の入口近くにはキャベツとか白菜だとかが置いてあった。

ちょうど白菜に手を伸ばそうとしていた時だと思うのだが。

見た瞬間に男性が怒りに満ちた顔で、

「そんなの何に使うんだ!」

と怒った。

その瞬間、ビクッとして手を引っ込める女性。

小声だったけど、ハッキリと聞こえてしまった。

二人の横を通り過ぎる時のことだったから。

女性はその場をごまかすように

「それじゃあ今日は何にしようかな」

と言いながら歩いていき、その後ろをピッタリとくっつくように男性も移動した。

歩きながら、時々『何にしようか』と言うのだが、それが男性に向けてなのか独り言なのかは分からない。

決して後ろを振り返ることなくウロウロと売り場を移動し続けた。

私はその後玉ねぎとか人参とかがある場所に移動して見ていたのだが。

気付いたらすぐ傍に先ほどの二人が立っていた。

嫌でも会話が耳に入ってしまい、どんな状況なのかがよく分かった。

男性は女性が何を手にしても文句を言っている。

言う通りにしていたら何も買えないんじゃないかと思うほど。

それでも女性は反論することなく、ひたすら彷徨うように店内を歩いていた。

もちろんカゴには何も入っていない。

少し時間が経過し、魚やお肉の売り場で再び遭遇してしまったのだが・・・。

男性の方がお肉のところでちょっとだけ離れた女性を呼んでいた。

「おいっ!」

という呼び方も威張っていて何だか嫌な感じがした。

結構大きな声だったんだけどそれに女性が気付かなかったのか、もう一度大きな声で

「おいっ!呼んでんだろーが!」

と言った時の感じが夫に似ていてゾッとした。

すぐに気づけなかったことで臍を曲げたのか、それからずーっと隣で文句を言い続ける男性。

周りの人たちは何事だろうとチラチラ見ていた。


モラハラを受けている時、周囲の視線が痛い

モラハラを受けている時ってその状況を乗り切るのに必死だ。

だから他のことは何にも考えていないと思うでしょう。

でも実はそうでもない。

こんな私たちのことを周りがどう見ているのかが気になってしまう。

『変な人たち』だと思われる程度ならまだ良い。

私は『可哀そう』だと思われることが嫌で仕方が無かった。

多分心の中で『私は可哀そうなんかじゃない』と思っていたからかもしれない。

でも実際は傍から見たら十分気の毒な人なのだと思う。

それを認めたくなくて周りの視線を気にした。

その女性も時折周りに目をやって気まずそうにしていた。

モラハラはだいぶ認知されてきてはいるけど、受け止め方は人それぞれだ。

そんなの言い返せば良いだけじゃない、と言う人もいる。

言いなりだから付け上がらせるんだ、と直接助言してきた人もいる。

だけど、その被害を体験して思った。

言い返したくても言えない状況がいつの間にか作られているのだと。

夫と出会う前の私は自由に発言するタイプだった。

内に溜めることもなく、オープンに接することが多かった。

それなのに夫に出会って変わってしまった。

性格も考え方も変わり、周りに心の内を悟られることが怖くなった。

だから、外出先でモラハラをされても誰にも気づかれたくなかったのだが。

その場の大勢の人が気付いていたと思う。

気付いていても知り合いでも無いのに声なんてかけられないもんね。

それは理解しているから優しい言葉をかけて欲しいとは言わない。

でも、好機の目で見られるだけの状況はやっぱり辛い。


「幸せそう」と言われた時の叫び出したい気持ち

何も知らない人たちは言った。

『あなたはとても幸せそうだね』と。

そう言われるのは悪いことじゃない。

相手も悪気があって言ったわけではない。

それでも、現実とはあまりにもかけ離れた言葉に思わず叫び出したい衝動に駆られた。

毎日本当に辛くて。

誰かに助けて欲しいと願っていた。

でもコッソリ願っているだけでは何も変わらない。

あと何年こんな時を過ごさなければならないのだろうかと絶望しながら暮らした。

私は見た目がのほほんとしているせいか『幸せそう』と言われることが多い。

それも気づいてもらえない理由の一つになったのかもしれない。

待っているだけでは何も変わらないから。

本来なら自分からSOSを発することが良いのだと思う。

しかし、被害を受けている時にはどうしてもそれができない。

SOSは出せないくせに逃げ出したいという気持ちは変わらず持っていて。

自分の中に矛盾を抱えている状態だ。

それで、極端な想像をしては悲嘆にくれた。

その想像は暗く悲しいものだったが、自由になれることだけは救いに思えた。

2024年11月16日土曜日

帰宅時間も分単位でチェックする夫

転職後は慣れるだけでも大変なのに

転職したばかりの頃は新しい仕事に慣れるだけで大変だった。

職種が変わったこともあり、全てが手探り状態。

定時内に終らないことも多く、その都度少しだけ残業して対応した。

残業しても長くならなければお迎えは間に合う。

本来なら、その点だけ気を付ければ何の問題もないはずだった。

それなのに、夫が帰宅時間を細かくチェックするものだから毎日大変だった。

遅くなった日はお迎え時のやり取りもできるだけ急ぎ、買い物も手早く済ませた。

それでいくらかは挽回できるから。

本当はちゃんと見て買い物したいけど、時間が無いから思いついたものを買う。

そうやってほんの少し挽回したところで、夫の怒りは収まらなかった。

そういう時は怒り任せに怒鳴りつけるのではなく、

「今日は遅かったね。何やってたの」

と嫌味っぽく言われた。

何って仕事だけど?

慣れないから大変なんだけど?

そう言いたいけど言えない。

言ったらそれこそ火に油を注ぐようなものだ。

だから、当たり障りのない会話に徹しようと

「今日は忙しくてなかなか終わらなかったんだよ~」

と言うのだが、そうすると夫はバカにしたように

「あんな仕事でも大変なことってあるんだ」

と鼻で笑った。

一生懸命やってるのにこんな風にバカにされて。

悲しいやら悔しいやらで心はぐちゃぐちゃになった。

この人はどうして相手を労わることができないんだろうか。


10分の遅れも許されない

仕事をしていたら予定通りにいかないこともある。

特に不慣れな仕事ではそういうことがしょっちゅうあった。

私からしたら10分程度の遅れなんて些細なことだと思うのだが・・・。

夫はこのくらいの時間でも猛烈な不満を持った。

仕事で疲れてるのに、更に帰宅後に責められるなんて本当に信じられない。

あなたが働けないから必死で頑張ってるんだよ、と言いたい時もあった。

でも、夫自身が引け目を感じていたら可哀そうだから何も言わずにいた。

それも良くなかったのかもしれない。

こちらが何も言わないものだから、夫は言いたいことを言って私を責めた。

しかも同じことを何度も。

「もう十分だよ、一度言われれば分かるよ」

と伝えたことがあったのだが、その時は睨みつけながら

「言っても分からねーから言ってんだろーが!」

と怒鳴っていた。

分かっていないわけではない。

ただ、本当に定時内に終らないこともあるのだ。

私の作業が遅いからという理由だけでなく、ギリギリの時間に突発的に入る作業もある。

それを新入りの私が勝手に『明日やろう』とは決められないから。

周りの人たちのことも気にしつつ、その時々の最適な対応を見つけようとしていた。

『今日中に仕上げちゃおう』という雰囲気だったらもちろん残る。

そういう風に周りを気遣った結果、夫の希望する帰宅時間を超えてしまう日が出てきてしまった。

もっとも、それは慣れるまでの間の少しの期間だった。

段々とそういうこともなくなり、毎日ほぼ定時に上がれるようになった。

私のように、ちょっと遅くなったら怒られる人っているのかな。

もし居るなら、「もっと自分の気持ちを大切にして良いんだよ」と伝えたい。

あの頃の私がそう言って欲しかったから。


絶対服従を求める夫に反旗を翻した日

いつでも私が従うのが当たり前の我が家。

夫の言うことが絶対で、反対意見を持っても認められたことはない。

力関係が歪だとか夫が一方的過ぎるとか。

もうそんなことはどうでも良かった。

最後の方は『離れること』しか頭になかった。

だって離れたら大体のことが解決するんだもの。

でも、夫の元を去るのは最大の裏切り行為だ。

だから、そう決めたのなら私も腹をくくらなければならなかった。

それに、思い立ったからと言ってもすぐに行動すれば良いというわけでもない。

無計画なまま動いても、夫に勘づかれて阻止されてしまう可能性が高い。

だから、水面下で密かに準備を進めて決して悟られてはいけなかった。

行動にうつす時には一気に片を付けなければならなかった。

この時ばかりは周りを巻き込み、実家の両親にもとうとう打ち明けた。

きっと驚いただろう。

幸せに暮らしていると思っていたのに、こんな状況になっていたことを初めて知ったのだから。

でも、私が話している間、黙って聞いてくれた。

そして『帰っておいで』と言った。

帰る場所があると思えるだけで勇気が出た。

あの日の勇気があったから、今の私たちがいる。

2024年11月15日金曜日

夫が仕事を辞めた時のこと

キャリアアップのために転職した夫

夫が仕事を辞めたのは、30代半ば頃だった。

それまでに一度転職を経験しているのだが。

それは給与面に不満を持っての転職だった。

自分の能力を考えればもっと高いお給料をもらえるはず。

評価が低すぎるから正当な評価をしてくれる所に行こう。

そんな考えで転職した。

スキルを求められる仕事だったので、それ自体は珍しくない。

私の周りにも同じような人がたくさん居る。

スキル=待遇が顕著に表れる仕事でもあったので、夫の気持ちは理解できた。

あぁ、この人は上を目指しているんだな。

カメの歩みの私からすると、この行動力が眩しく見えた。

そして、30歳になった頃に無事に転職を成功させた。

この時までは、多少は気が強くて怒り出すと難しい面もあるけど普通の人だと思っていた。

私が上手く立ち回れば問題ない、と。

ちなみに私は20代で転職をしているのだが、それは家事・育児と仕事を両立するため。

夫が忙しいから家のことはどうしても私がメインになってしまう。

それなのに忙しい仕事をしていたら立ち行かなくなる。

そう考えて、時間の融通のつく仕事へと移った。

この時夫から出された条件があって、『毎日定時で帰れる正社員』という点をクリアしていなければならなかった。

元々負荷の低い内容で、しかも定時で帰れる正社員だなんて。

競争率が低いわけがない。

実際に活動を始めてからひしひしと実感したのだが。

物凄い倍率だった。

応募して書類審査に通っても面接で落とされることがほとんどだった。

職種を変えているから、それもマイナスに働いたと思う。

採用する側からすれば経験者の方が良いに決まっている。

なかなか決まらなくて悩んだりしたが、その時夫は『条件を落とすなよ』と圧をかけてきた。

多少は不満に感じていたけどその方が私にとってもプラスになるのだと思い、色々工夫しながら頑張った。

そうして勝ち取った仕事が今の職場だ。

紆余曲折はあったが何とか私も転職を成功させた。

あの頃、私たちの未来は順風満帆に見えた。


30代という働き盛りでの退職

せっかく転職を成功させた夫だったが。

入社して早々に新しい職場にも不満を募らせ始めた。

あの人が悪い、会社がおかしい。

そんな不満を口にするようになり、ストレスを抱えているんだろうなと感じることが増えた。

だけど私も日々のことで精いっぱいで、フォローする余裕が無かった。

仕事をして家のこともやってるんだから、そっちは自分で何とかしてよ。

冷たいようだがそういう気持ちがあったことも確かだ。

最初の数か月はそれでも上手くいっていた。

ため息をつきながらも仕事に行っていたし、休日は楽しんでいるように見えた。

でも、入社から1年が経過する頃に『具合が悪い』と言い始め、仕事を休みがちになった。

幼い子どもが居て、稼ぎ頭の夫が仕事に行けなくなるのは不安だ。

私のお給料では、とてもじゃないが家族を養うことなんてできない。

心の中は不安でいっぱいになった。

だけど、それを表に出すことはしなかった。

いつも通りに明るく接し、気持ちが浮上するように働きかけたつもりだ。

本当は頭の中ではぐるぐると明日への不満が渦巻いている状態で誰かに聞いて欲しいと思うこともあった。

この働きかけが功を奏したのか、しばらくすると元気になって仕事に行き始めた。

しかし、数か月するとまた体調を崩す。

そんな状態を繰り返し、2~3年が経過する頃には本格的な体調不良に陥った。

もう限界なのかもしれない。

この時は既に諦めの気持ちもあり、夫の『仕事を辞めたい』という申し出もスムーズに受け入れた。

生活に不安はあったけどね。

『もう仕方がないじゃないか』という気持ちと『一度しっかりと休めば良くなってまた仕事はできる』という気持ちと。

だって夫はまだ30代前半だったから。

少しくらい人生の休憩をしたって取り戻せると思い込んだ。

まだ本性をつかみ切れていなくて、少し年上の夫に絶対的な信頼を置いていたというのもあるかもしれない。

この人のやることだから間違いはない。

そういう気持ちで夫の決断を尊重した。


数年後も再就職の気配なし

仕事を辞めてからの夫は、朝遅く起きてきて好きな時に食事をし、日中は音楽を聴いたり映画を観たりしていた。

起きる時間が遅いためか寝る時間もどんどん遅くなり、夜型生活になった。

そうなると私たちと生活のリズムが合わない。

夫の都合もあるので合わせて欲しいとは言わないが。

異なる生活リズムで暮らしている私たちに不満を爆発させるのは止めて欲しかった。

例えば、朝起きて子どもの支度をしつつ自分の出社の用意をしていると、まだ眠い夫が『うるせー!』とキレた。

だってしょうがないじゃない。

家が狭いんだもの。

気づかれないように準備をするなんて不可能だ。

夜は夜で私たちが寝ようとする頃に夫が非常にアクティブだったのでうるさかった。

でも私たちは黙って横になった。

子どもは両手で耳を塞ぎ、『羊がいっぴき、羊がにひき』と数えていた。

声を発してると余計に眠れないと思うんだけど(笑)

二人とも我慢しながら暮らしていたわけだが、夫はそれを当たり前だと思っている節があった。

『俺は体調が悪くて辛いんだからお前らが合わせるのが当たり前』という感じだった。

そんな考えだから職場でも上手くいかないんだと思う。

まあ、そんなことはおくびにも出さずに自分にできることを淡々とこなした。

いつか終わりが来るから大丈夫。

それまでの辛抱だと思って何とか乗り切ろう。

そう自分に言い聞かせた。

夫が再就職する日を想像しながらがんばったのだが、その日はやって来なかった。

1年経っても2年経っても状況は変わらず。

いつしか子どもは小学生になり、働かない父親がデフォルトの環境になってしまった。

2024年11月14日木曜日

離れようとすると「死ぬ」と脅す夫

「死ぬ」と言われるのが怖い

何かあると、すぐに切れるくせに。

私たちのことなんてこれっぽっちも大事なんて思っていないくせに。

離れようとすると、すぐに「もう死ぬ!」と騒ぎ立てた。

どうせただの脅しだろうとは思うのだが。

実際に言われてしまうと気が気ではなかった。

万が一のことがあったらどうしよう。

何度言われても慣れなくてオロオロした。

そんな様子を見て『これは効果的だ』と夫は味をしめた。

そして、事あるごとに水戸黄門の印籠よろしく「死んでやる!」と脅してきた。

日々の生活の中でただでさえ気を使っているのに。

こんな風に言われると気持ちはどんどん追いつめられていった。

それでもこのままではいけないと奮い立ち、少しでも穏やかに過ごしたくてなるべく笑顔で過ごしていたのだが。

こちらが穏便に済ませようとしても夫が事を荒立てるので諍いは絶えなかった。

私からすれば、何でもないことを勝手に騒いでいるように見えた。

でも適当に流すこともできないので、いつも本気で向き合った。

家族なのに話し合いもできない私たち。

一緒に居るのに同じ方向を見てはいなくて、いつも孤独だった。

せめて子どものことは守ろうと必死だったな。

『私はきっと最後はこの人を見捨てるんだろう』

そんな気持ちになるたびに泣きそうになった。

上手く言えないけど、ほんの少しだけあった優しい時間まで失ってしまいそうな気がした。

夫は夫で私たちをつなぎとめるのに必死だったんだと思う。


押し寄せる罪悪感

夫と子どものことで意見の相違があった時。

私は丁寧に説明しようと試みた。

どうせ聞いてはくれないだろうけど。

話し合うことを放棄してしまったら何も変わらないから。

夫の言い分も認めつつ、『こういう考え方もあるよ』というのを示したつもりだった。

だが、案の定夫は怒り始め、

「お前の言い分なんか聞いてねーんだよ!」

と怒鳴り始めた。

いつもならそこで折れてしまうのだが、この時だけは折れることができなかった。

だって、子どもに教育と言いつつ虐待をしていることを止めて欲しくて話し合っていたのだから。

夫も私が折れるのを待っていたのだと思う。

恐らくこちらの出方を見つつ態度を変えていたはずだ。

しかし、思うようにいかなかったので、分からせるために暴れた。

怖かった。

恐怖で体が固まり、声を発することができなかった。

本当は逃げ出したかったけど、この件だけは譲れなくて粘った。

真正面から夫を見つめて、

「あれは教育じゃないと思う。虐待だよ」

と言った時の声は震えていた。

でも、相手はそう言われて改心するような人ではない。

更に荒れ狂って傍にあった家具を蹴り上げ、ソファーをなぎ倒した。

小さいソファだとは言っても、そう簡単に持ち上がるものではない。

それがあっという間に持ち上がり、おかしな角度で着地した。

ギリギリまで頑張ったけど、これ以上は危険かもしれない。

そう考えて立ち上がろうとした時、夫が急に自分の体を殴り始めた。

「分かってるよ!俺が全部悪いんだろ!」

そう言いながら夫は泣き叫んだ。

その言葉を聞いて私はなぜか猛烈な罪悪感に襲われた。

とにかく止めなければと焦っていた。


万が一のことがあったら罪悪感に耐えられない

もしも。

万が一夫がその言葉通りに命を絶ってしまったら。

私は一生罪悪感に苛まれながら生きていかなければならないだろう。

止めることはできなかったのか。

そう思わせてしまったのは私ではなかったか。

色んな後悔が押し寄せて耐えられないと思う。

きっと義両親も悲しんで私を責めるに違いない。

そうなったら明るい未来なんて見えない。

最悪の事態を防ぐために、私は全力を注いだ。

いつの日か、自然に夫が自分から離れようと思える日が来るまで。

それまで地道に説得しようと考えた。

時間的な猶予があればそれが一番の策だったのだと今でも思う。

だけど、私たちには時間が無かった。

夫の虐待はどんどん酷くなっていたから、リミットはもうすぐそこだった。

私への仕打ちも酷かったが、子どもさえ無事なら我慢できた。

極限まで追い詰められた私は大きな決断を迫られた。

いつ夫を見捨てて家を出て行くか。

もし出て行けば本当に自殺してしまうかもしれないけれど。

現状を維持しつつ状況が改善するのを待ちたいという希望は叶いそうも無い。

私たちが出て行く日のことを想像した時、やはり夫は泣くのだろうと思った。

2024年11月13日水曜日

なぜモラハラ夫は人を欺くのが上手いのかー運動会編

二人だけの運動会

周りは賑やかに応援しているのに、我が家は私だけ。

お昼も二人。

仕方がないことだけど。

ポツンと取り残されたような気持ちになった。

多分、子どもも同じだったと思う。

だから、お友達に誘われると嬉しそうだった。

「シートをつなげて一緒にお昼を食べようよ」

と言われ、

「ママ、一緒に食べても良い?」

といつも私に聞きに来た。

「良いに決まってるじゃん!」

そう答えると子どもの顔がパアッと輝いた。

普通なら、『今日は○○ちゃんと食べる~』という感じなんだろうな。

でも、うちでは必ずお伺いを立ててから返事をする。

どうして園児がこんなにも気を遣うのかというと・・・。

やはり夫の影響だと思う。

夫は常に自分が一番なので、子どもに対しても『俺に気を使え』という態度を取る。

それに気付かずに何かしてしまうと手が付けられないほど怒るので、二人ともとても神経質になった。

私は大人だからいつも気を張って何とか地雷を回避できる。

だけど、子どもははしゃいだり何かに夢中になった時、ついつい忘れてしまい失敗した。

その失敗した時の記憶が強烈だったのだろう。

いつしか反射的に相手の顔色を伺うようになった。


威張り散らす夫なら運動会に来ない方がマシ

『二人は寂しい』とは言っても夫が来るよりはマシ。

機嫌がすぐに悪くなって威張り散らされると、どうしたら良いかが分からなくなる。

周りに人がたくさんいる時には尚更だ。

皆の手前、夫は外向けには良い顔をするのだが。

内心怒っている時には、私たちにだけ分かるような怒りのシグナルを発する。

そして私たちはすぐに気づいてしまう。

これが恐怖による支配というやつか。

だから、一方で『ちょっと寂しいな』と思いつつも、もう一方では『快適だな』とも感じていた。

あー今日は自由だ。

最初からそんな気持ちで臨んだこともある。

そういう時は貴重な自由時間を目いっぱい満喫しようと考えている。

それなのに、夫がわざわざやってきたのを見つけた時の落胆・・・。

こんな日さえ自由になれないのか、と心底ガッカリした。

夫の方は、『来てやった』という感じで偉そうにしていて、それが尚更腹立たしかった。

来てほしくなんかなかったんだけどね。

心の中で悪態をつきつつ、『来たんだ~』とご機嫌取りのために声をかけていた。

周りの保護者もレアキャラの夫を見つけると、

「(子ども)ちゃん、今日はパパが来てくれて良かったね!」

と声を掛けてくれた。

まぁ、そう言うよね。

だけど、言われた子どもはよく分からない表情で「・・・うん」と答えるだけだった。

これでも子どもなりに気を使っている。

大喜びなんてできないけど、『嬉しくないよ』なんて言えないし。

夫が登場した後は私の気持ちもズーンと沈んで、せっかくの競技も楽しむ余裕がなくなった。


疲れて帰った後も地獄

運動会から帰り、お弁当の残りを処分していると、夫が背後から近づいて来て

「ったく!何で全部食わせねーんだよ!」

と難癖をつけてきた。

そんなこと言われたって、子どもはお友達と遊ぶのに夢中だったんだから。

それに、会場では自分だって『食べたい分だけ食べれば良いよ』なんて言っていたではないか。

それを聞いた周りの保護者が『優しい~』と黄色い声をあげた。

それが帰ってきた途端にこれか・・・。

言うことがコロコロと変わるものだから、子どもも戸惑っているように見えた。

帰宅後に、体力的な面と気を使ったことによる疲労ですぐに動くことができなかった時、少しだけ休憩を取っていたらそれにも難癖をつけられた。

「座ってねーで、やることやっちまえよ!」

と怒鳴られたりしたのだが、疲労困憊の状態で怒られるのは非常に堪えた。

これ以上機嫌が悪くなると厄介だからと、またすぐに立ち上がって洗い物をしたり洗濯機を回したり。

一通りのことが済んでやっと休憩できると思ったら、

「飯は?!」

の声が飛んできた。

何もしない夫に何故ここまで言われなければならないのだろうか。

子どもだって汚れ物を運んだりして手伝ってくれるのに。

夫はこういう時すぐに横になっていた。

私と違って普段会わない人たちに会うから疲れるのだという。

夫が運動会に来た時のパターンは大体こんな感じで、幸せな思い出など一つも無い。

ただひたすら息苦しかった。

運動会という大事なイベントで子どもに幸せな思い出を作ってあげられなかったことが未だに悔やまれる。

2024年11月12日火曜日

小学校入学が見えてきた頃、同居の催促が激しくなり

夫の暴走を止められない義両親

同居の話が出始めてから数か月。

のらりくらりと何とかかわしていた。

夫だけでも大変なのに、そこに義両親がプラスされるなんて冗談じゃない。

子どもは保育園時代から少しずつ教育虐待も受けていた。

たとえ義両親が一緒に居てもその攻撃は収まりそうになかった。

というよりも、義両親が微妙な説教をすると夫がヘソを曲げてしまい、かえって状況が悪化することが多かった。

我が家にやってきて、『そういうのは止めろ』とやや弱腰な注意をして帰っていくのだが・・・。

たとえ親でも、人から何か言われるのが大嫌いな夫。

点火された状態で子どもと二人きりになり、その後攻撃が激しくなるという悪循環だった。

それがあまりにも続いたので、子ども自身が

「もう、おじいちゃんもおばあちゃんも何も言わないで!」

と言った。

そう言われても、義両親からしてみたら孫を守っているつもりなのだ。

だから、

「大丈夫だよ。おじいちゃん達は(こども)ちゃんのことを守るためにちゃんとお父さんに言ってあげるから」

などと頓珍漢なことを言っていた。

上手く伝わらなくて子どももストレスになっていただろう。

事態が悪化すると言っているのに、正義感なのか何なのか一言モノ申さなければ気が済まないようだった。

言われた後、夫が更に爆発することも知っていたのに信じられない。

最悪なのは、荒れ狂っている夫をよそに、そそくさと帰り支度を始めることだった。

そんな状態だったら子どもと二人きりにしてはいけないと思うだろうに。

いつも言いたいことだけ言って二人は帰って行った。

ドアがパタンと閉まり、その後に訪れる恐怖。

状況を理解していても、予定通りの時間に帰ることの方が大事だったんだよね。

だから、私が不在で子どもが居る時には来て欲しくなかった。


「タイミング的には今だ」と言われても・・・

一緒に居たところで良いことなど一つもない。

それを義両親も薄々分かっているはずなのに。

『同居をしたら、いかに素晴らしい環境になるか』を力説した。

より具体的に想像してみても、私から見たら明るい未来など一つ見えない。

むしろ、夫が更に自分の言いたいことを言えるようになってカオスな状況になるのではと危惧した。

でも、何度伝えても『杞憂だ』と言うばかり。

多分、分かっていて言っていたのだろうと思う。

孫と一緒に暮らしたい。

そう考えるおじいちゃん、おばあちゃんは少なくないはず。

気持ちは分かるが、夫のような難しい人が傍に居ると日々をどうやって穏やかに過ごすかに注力しなければならない。

だから、同居にはずっと難色を示してきた。

お互いの主張がかみ合わず、数か月が経過した頃。

小学校への入学を翌年に控えた冬のはじめ。

義両親が我が家にやってきて、

「同居をするなら、今がタイミング的に良い」

というようなことを言い始めた。

断っても断っても通じなくて、あえてこちらの気持ちを無視しているとしか思えなかった。

『もう何を言っても無駄なんだ』と義両親に分かってもらうことは諦めて、無反応を貫くことにした。


夫が乗り気になり、厄介なことに

義両親からの申し出に、『待ってました!』とばかりに喜んだのは夫だった。

これまでも、『俺は賛成なのに、何でお前は反対してるの?』という感じだったのだが。

その時はハッキリと、

「反対する理由を言え」

と詰め寄られた。

私の答えを夫と義両親が待っている状況で、圧が物凄い。

狭い部屋で膝を突き合わせて真剣に話し合っていると言えば聞こえは良いが。

実質は一対三で詰められているだけだった。

反対する理由はたくさんあった。

1.義実家に私たち家族三人が暮らせるスペースはない

2.職場が遠くなる

3.家賃のかからない実家住まいになると、夫が更に働く気力を失う可能性が高い

4.子どもへの虐待が収まる可能性は低い、むしろ悪化する気もする

5.働いているのが私だけ、という環境も恐ろしい

結局、どちらに転んでも幸せな未来なんて見えてこない。

それなのに夫は、

「家賃のかからないうちの実家に引っ越すのを嫌がるなんて、どうかしてる」

と憤っていた。

私がもっとも懸念していたのは、子どもへの仕打ちに耐え切れなくなっても上手くごまかされて離婚できなくなってしまうのではないか、ということだった。

義両親は手放したくなくなるだろうし、夫も結託して阻止するだろう。

この時は特に義父が強く言ってきて、同居を強制的に進めようとしていた。

それなのに私がなかなか首を縦に振らないから、みんなヤキモキしているようだった。

2024年11月11日月曜日

モラハラの証拠が欲しい

確実な証拠があれば闘える

夫と議論で闘うことなど不可能だった。

口の立つ人だもの。

よほど有利な証拠でも無い限りは、あちらのペースで進められてしまう。

それならば、確実な証拠が欲しいと考えた。

音声を録ることも考えた。

たとえ音声でも私たちに罵声を浴びせている様子が分かれば証拠になる。

もし夫が言い逃れをしようとしたら、鑑定にでも何でも出せば良い。

【この声は夫だ】という証明をもらえば良いだけのこと。

そう考えて録音を試そうとしたこともあった。

だけど、携帯で録音しようという試みは失敗に終わった。

何度トライしても、肝心な時にガサゴソと手間取って見つかってしまう。

「何してんだよ!」

とドスのきいた声で言われたら、頭が真っ白になった。

上手い言い訳が出て来ず、固まってる私を見て夫は怪しんだ。

それで勘ぐられてしまい、携帯に触れるだけで鋭い視線が飛んでくるようになった。

このままでは証拠も確保できず、どんどん厳しい状況に追い込まれてしまう・・・。

焦った私は、すぐに他の方法を探し始めた。

次に案として浮上したのは小型カメラだ。

実はその頃、ネットの掲示板で相談することがあった。

そこで、室内の様子を記録できる小型カメラが良いと教えてもらった。

自分一人の案だとなかなか良いものが浮かばないが、周りに助けを求めると色んな情報を知ることができるんだな。

相談して良かったと感動しつつ、カメラ探しを始めた。


小型カメラもピンキリ

動こうにも予算がある。

すぐに出せる金額を考えた時、せいぜい5千円くらいだったのもあり。

選択の幅は一気に狭まった。

できれば10時間くらいは記録できた方が良い。

コンセントに見慣れない物が入っていたら夫が気付かないはずがないので充電式が良い。

タンスの上に置いておき、誰かが動いた時に記録できたらなお嬉しい。

角度も重要で、狭い範囲しか録れないと肝心な時に記録しそびれてしまう。

色んなことを考えた結果、条件をクリアしているものは最低でも8千円以上はすることが分かった。

もう一つ重要なのが大きさだった。

夫は些細な変化も見逃さない。

エスパーか?!と思うくらいに鋭いのだ。

タンスの上に見慣れない物体が置かれていたら確認しないはずがない。

手に取ればカメラだとすぐに分かってしまうし、仕掛ける人物は私しかいない。

だって子どもはまだ幼いんだから。

つまり、バレた時点で私の計画が全て明るみに出てしまうということだ。

バレたらそれこそ一巻の終わりだ。

もう二度と家を出る計画は立てられないだろうし、一切の自由を失うことになるだろう。

だから、カメラを仕掛けるとしたらそれは賭けだった。

賭けだから勝つかもしれないけど負ける場合もある。

負けた時のことを想像したら、シューっと勇気がしぼんでいくのを感じた。

結局悩んで迷って数週間ほど決められずにいた。

夫にバレないようにするには超小型で長時間記録できるものでなければならない。

それでも気づかれない保証が無いというのが辛いところだ。


カメラを設置できなかった訳

カメラを探してたが、予算と機能の折り合いがつかず計画は進まなかった。

そんなある日、夫が『あれっ?』と言いながら立ち上がった。

向かった先にはタンスがあり、上に乗っている小物を訝し気な様子で触っていた。

「なあ、この上触った?」

そう聞かれて一瞬ドキッとしたが、表情には出さず

「ううん、触ってないよ。何で?」

と訊いた。

本当は心臓がバクンバクンと音を立てていて、緊張のあまり呼吸も早くなっていたんだけど。

悟られないように必死に平静を装った。

「いや、なんかさ。位置が変わってるなと思って」

そう言われてまじまじと見たが、私には違いが分からない。

実はその直前、カメラを置くならどの場所が良いかをシミュレーションしていた。

上に置かれた物にも触れたが、位置が変わらないように細心の注意を払ったはず。

夫の異常なまでの記憶力は嫌というほど分かっているので、事前に携帯にも記録した。

最後にきちんと元通りになっていることを確認したつもりだ。

それなのに一体何が変わったと言うのだろう。

とにかく、このまましつこく探られたらこちらの精神が持たない。

だから、この話を早く切り上げようと

「私には前と同じように見えるけど。地震でも来たかな」

と言った。

これで終わってくれれば良かったのに、なぜか夫がしつこかった。

携帯で地震情報を調べて、

「地震なんて来てないよ」

と言って、

「こんなこと今まで無かったのに」

と怪しんでいる様子だった。

最終的には何とか納得させることができたが・・・。

カメラなんて見つかっていたらどうなっていたか分からない。

この件を境に、隠しカメラで証拠を録ろうなどという気持ちも薄れた。

2024年11月10日日曜日

モラハラ被害者のブログで受けた衝撃

夫に立ち向かった時間は無駄だった

やっぱり普通ではない。

夫の言動には納得できないことばかりだった。

でも、他の家庭もそうなのかもしれないし・・・。

まだ世間に目を向ける余裕が無かった頃。

私は自分たちを『普通』だと思い込もうとしていた。

『普通』の枠に収まることで安心感を得ようとしていたのかもしれない。

人と違うというレッテルを貼られるのは怖い。

たとえ満たされない生活でも普通と言われる範囲に収まっていれば、考え方一つでどうにでもなるような気がする。

でもそれが普通の枠を超えてしまったら、自分ではもうどうしようもない所まで来てしまっている証拠。

そんな風に考えていた。

それでも、決して手をこまねいていたわけではない。

何度も夫と対峙した。

対峙しては言いくるめられ、説教をされて終わった。

議論の好きな人だったので、私と議論することは好都合だったのだと思う。

口の立つ夫に敵うわけもないのに、諦めずに立ち向かった。

その姿を子どもに見せることが何かの力になるかと思ったが、それは大間違いだった。

子どもの前で言い合いをするだけでDVになるだと言う。

それなら、私が諦めずに夫に立ち向かったことは、意図せずDVの構図を作り上げてしまったことになるのではないか。

もっとも、夫は私のことなど気にも留めなかった。

何を言われても動じない。

本気で相手をしようとはせず、キレて一喝して終わるか嫌味な笑いを浮かべるだけだった。


似た境遇の人がたくさんいる現実

解決の糸口を見つけたくて、私はネット上の情報を漁った。

探してみると分かるのだが、モラハラを受けている人が本当にたくさん居る。

中には目を覆いたくなるようなケースもあった。

そういう人達に比べたらまだマシなのかな。

そう思い込もうとしたが、読めば読むほど自分たちの境遇に似ていた。

同じようにモラハラを受けていても、その後のパターンは大きく二つに分かれる。

不満を抱えつつ一緒に居るか、離婚するか。

私が読んだものは離婚しているケースが多かったのだが。

それは、一緒に居るとブログを書く自由もないからなのかも、と思った。

以前私が夜寝る前に調べものをしていた時、夫が酷く怒っていた。

「何やってるんだよ!」

と言うので『調べもの』だと答えると

「どうだか!」

と捨て台詞を吐かれた。

なぜそんな言われ方をしなければならなかったのかは今でも分からない。

それからも、私がパソコンやスマホをいじっていると声を掛けてきて、何をしているのかを探ろうとしていた。

普段は興味もないくせに、こういう時だけ。

本当に気持ちが悪いと思ったが。

夫はすぐに浮気を疑う人だったので、浮気だと思い込んだ可能性もある。

自分に自信があるはずなのに、こうやって常に人のことを疑って全てを把握しようとしてきた。

こういった事情もあって、モラハラ関連のことを家で調べることはできなかった。

だから、仕事に行く時とか休み時間などにスマホでこっそり検索した。

検索履歴はもちろん消して。

虐待を否定するくらいの人だもの。

モラハラだって自分は違うと言うだろう。

自覚が無いんだから、反省することもないし一生直らない。

それならもう、離れるしかないのだ。


ブログ主に初めて送ったメッセージ

メッセージをやり取りできるブログがあり、私は初めてメッセージを送った。

聞きたいことは山ほどあった。

でも忙しいだろうから、簡単な応援メッセージを送った。

そうしたら返事を貰えたので、気を良くして自分の近況などを送り始めた。

今考えると物凄く迷惑だったかもしれない。

でも、その時は藁にも縋る思いだった。

何度かやり取りした後、我が家の状況を簡潔に伝えた。

特に今悩んでることや困っていることを絡めてできるだけ短くまとめた。

それで返ってきたのが、

『それは間違いなくモラハラです。頼りになる親や親せきは居ますか?今すぐ逃げてください』

という助言だった。

このメッセージを読んだ途端、鼓動が早くなるのを感じた。

『やっぱり』という気持ちと『どうしよう』という戸惑いと。

知りたくて知りたくて仕方が無かった答えなのに。

知ってしまったら戸惑いの方が大きかった。

その日は半ば放心状態で過ごしたのだが、次の日に『このままではいけない』という気持ちがわき上がってきた。

改めて自分たちの置かれた状況を考えてみると、やっぱり異常だ。

夫の言動は年々酷くなっているし、子どもへの当たりも強くなっている。

まだ幼児だからこの程度で済んでいるのか、それとも幼児だから厳しく躾けているのか。

今後どうなるかが分からないのに一緒に居続けることは一種の賭けだ。

万が一、予想が悪い方に外れた時の影響はどれほどだろうか。

想像したら身震いがしてきた。

色々考えた結果、ブログ主の忠告はもっともで、もうここに居てはいけないのだと強く実感したのだが・・・。

実は夫の機嫌が良くなるタイミングがあって、もしかしたら改善されるかもしれないという気持ちを捨てられなかった。

後で知ったのだが、それを【ハネムーン期】というらしい。

モラハラには周期があり、【蓄積期】にストレスをため続けて【爆発期】に文字通り爆発させ、その後優しくなる【ハネムーン期】が来る。

ハネムーン期に優しくされると勘違いしてしまうが、決して反省しているわけではない。

当時、もしこれを知ってたらもっと早く離れることができたと思う。

2024年11月9日土曜日

離婚届をもらいに役所へ

こっそり用意した離婚届

もうどうにも耐えきれなくなり夫から離れたいという感情が急激に高まっていた頃。

離婚届を貰いに行った。

離婚届なんて用意していることが分かったら夫は間違いなく激怒するだろう。

知られたら、逃げ出す前にケガをさせられるかメンタルがやられてしまうかもしれない。

そうならないように、こっそり動かなければと考えた。

その日はいつも通りに仕事に行った。

そしてお昼休みになり、徒歩圏内にある役所へ。

私のように休憩中に手続きを済ませたいという人が多いのか、結構混雑していた。

初めてのことなのでどこに行けば良いのかが分からずウロウロ。

二階に移動した後にやっぱり確認しようと思い、総合案内へと戻った。

指示された場所に向かうと各種用紙の横に女性職員が立っているのが見えた。

聞いてしまおうかな。

でも探す前に聞いたら迷惑かな。

一瞬迷ったのだが、お昼休憩中に用紙を貰ってその後ご飯も食べなければならないことを考えるとあまり時間もなかった。

それで思い切って用件を告げると

「少々お待ちください、ただいまお持ちしますね」

と言いながらどこかに取りに行ってくれた。

それからすぐに戻ってきて、手にはドラマなんかでよく見るあの緑の紙を持っていた。

「ありがとうございます!」

そう言いながら受け取る私。

ちょっと興奮していたのもあるんだけど、受け取る時にちょっとだけ手が震えてしまった。

とうとう『離婚届』を手に入れた。

これで何かが動くかもしれない。

期待半分、不安半分でその場を後にした。


離婚届の保管場所に困る

受け取った後、離婚届を小さく折った。

慌てて出たからバッグを持って行くのを忘れてしまったのだが、そのまま持ち歩くわけにもいかない。

誰かに見られたら面倒なことになると思い、ポケットに入れた。

会社に戻り自分の席に着いてから周りを確認した後にバッグへ。

こういうのってすぐに噂になるからね。

社内には噂好きの人も居て、こんな話は格好のエサになってしまう。

そのままではなく尾ひれまでついて広まることが容易に想像できた。

会社に居づらくなるのも困るから、この時はとても警戒していたのを覚えている。

幸い誰にも気づかれずにしまうことができた。

問題は帰った後だった。

ずっとバッグに入れておくことはできない。

自宅に保管する必要があるのだが、良い場所がなかなか思いつかなかった。

しかも、夫が見ていない時に素早くしまわなければならない。

普段夫が触らない場所という前提付きで家の中を見渡してじっくりと考えた結果、子ども用のタンスの一番下の引き出しが良いだろうという結論に至った。

あとはしまうタイミングだ。

流石にトイレに行っている時だと間に合わないからシャワーを待つしかないか。

そんなことを考えながらチャンスをうかがった。

夕食後、いつも通り夫がシャワーを浴びに行った。

私は急いで子ども用のタンスへ。

離婚届をしまう時にはとてもドキドキしたが、念には念をということでタンス用シートの下に置いたからバレることはないだろうと思った。

夫は勘が鋭いだけでなく嗅覚も優れている。

何かしらの異変があれば、すぐに嗅ぎつけてくる。

動物並みのその能力には驚かされるばかりだ。

しかも記憶力も異様に良くて、物が少しでも移動していると気づくほどだった。

多分、タンスの服がずれていたり崩れていたら気づかれてしまう。

だから置く前と同じ状態になるように入念に確認した。


秘密を抱えるリスク

私は嘘が付けないタイプだ。

よく顔に出ると言われるのだが。

夫のような人から見れば、一瞬で全てを把握できる簡単な相手だったのではと思う。

そんな私が家庭内で秘密を持つのは至難の業。

些細なことからバレてしまう恐れがある。

自分もそのことを忘れてしまえれば良いのだけど。

それじゃあ事態を動かすことができない。

ちゃんと覚えていて、その上自然に振舞わなければならなかった。

離婚届のことは起きている間中ずっと頭の片隅にあって。

いつ動こうか、いつなら安全か。

そればかり考えていた。

サインをもらうシーンは何度も想像した。

夫の居ない生活はなんて幸せなんだろう。

子どもと二人、笑って過ごせる日がそう遠くないのではと錯覚した。

でも現実は残酷だ。

夫の機嫌が良い時なんて滅多にないから、離婚届を出すタイミングをはかれない。

万が一奇跡的に機嫌が良くて何でも話せそうな時でも、離婚届を目の前に置いた瞬間に機嫌が悪くなるのが怖い。

それだけなら良いが、暴れ出したら子どもと自分を守れるかも不安だ。

ただ、そういうリスクを冒してでも書いてもらわなければ話が進まない。

こういう堂々巡りはそれまでもあったのだが。

離婚は人生の方向性を左右するような選択だから大きなストレスとなった。

お腹が痛くなったり眠れなくなったり・・・。

体調不良に悩まされた。

勘の鋭い夫は、そうした私の異変を敏感に感じ取っていた。

2024年11月8日金曜日

虐待の自覚がない

テレビで虐待のニュースを見た夫

家でテレビを見ていた時。

母親がわが子を虐待して逮捕されたというニュースがやっていた。

逮捕された母親が連行される映像も流れた。

その女性は終始うつむいていた。

どのような理由があって手をかけてしまったのだろうか。

やむにやまれぬ事情があったのだろうか。

それでも子どもは親とは違う一個人なのだから切り離して考えて欲しかった。

踏みとどまることができれば良かったのに、などと考えていた。

すぐそばで夫もこのニュースを見ていたのだが、概要を知るなり

「こんな奴母親失格だ!」

と憤った。

「最悪だよな。よくこんなことできるよ、まったく」

とも言っていたのだが、この発言に正直なところ驚いてしまった。

だって、夫も人のことを言えないような仕打ちを子どもにしていたのだから。

いくら言っても止めてはくれず、

「コイツには、これぐらいしないと分かんねーよ」

と怒り狂った目を子どもに向けた。

しかも、『これは虐待なんかじゃない』と否定もしていた。

あれが虐待じゃなかったら、どんなのが虐待なんだよ。

ふつふつとした怒りがこみあげて、この時ばかりは夫を睨みつけてしまった。

子どもがやられるのは自分がやられるよりも辛い。

それなら自分が倍の仕打ちを受けても良いから子どもには何もしないで欲しい。

そう思って、あえて矛先を自分に向けることもあった。

大切な大切なわが子が少しでも嫌な目にあったら私までズーンと心が重くなってしまうから。

でも、夫はそうではないようだった。

子どもが産まれた日。

『一生この子を守る』と誓ったのは私だけだったのか。

それもそうか。

夫はその時居なかったんだから。


自覚が無ければ治らない

夫が虐待をしている自覚を持たなければ永遠に収まることはないと思った。

モラハラに関しても同じだ。

モラハラをしている自覚が無いのだから、反省するはずがない。

この無自覚な攻撃に対し、ただただ無防備だった私たち。

逃げることしか考えられず、その日を夢見た。

でも逃げようとして失敗したら、それこそ大変なことになる。

失敗を恐れて動けない時間も長くあった。

その間、子どもと私は希望を持ったり絶望したりを繰り返し、夫からの仕打ちに耐えた。

だけど、繰り返していると段々と人は臆病になる。

逃げ出さずに嵐が過ぎるのを待った方が安全なのではないか。

そんな風に後ろ向きな選択をするようになる。

私も同じだった。

ここでとどまれば、今以上に悪いことは起こらないかもしれない。

夫が変わってくれるのではないかという期待も捨てきれずにいた。

それで、自分が変われば夫も変わると考えてなるべくポジティブな言葉をかけた。

でも、夫はことごとくそれを打ち消した。

『ばかじゃねーの』という言葉と共に舌打ちをしたりため息をつく。

こんな時間を過ごすために結婚したんじゃない!

もう我慢ができないという状態になった時、私は携帯を手に取った。

実家に電話しよう。

電話して今の状況を伝えよう。

もしかしたら『帰ってきなさい』と言われるかもしれない。

夫のことを否定的な目で見るようになるかもしれない。

それでも、ここで我慢するより穏やかに過ごせる。

そう思って電話をしようと決心した時、夫が近づいてきて

「今年のクリスマスはどういう感じにする?」

と聞いてきた。

あれっ?さっきまで怒ってたんじゃないの?

拍子抜けした私はそのまま実家に電話をかけることもなく夫の待つリビングに戻った。


勘の鋭い夫

夫は恐ろしく勘が鋭かった。

だから、実家に電話をかけようとしていることに気づいたのかもしれない。

何を話そうとしているのかが分かってしまったのかもしれない。

阻止しようとして、あえてあのタイミングで話しかけてきたのではないかと疑っている。

当時は分からなかったけど、今思えば全部夫の思い通りになるように緻密にコントロールされていた。

コントロールされることに慣れてしまうと、新たな問題も発生する。

全てにおいて指示通りにするだけの生活だから自分で決められなくなる。

決断することへの不安も生じる。

誰かが決めてくれないかな、なんて考えてしまうようになる。

私がまさにそんな状態で、離れたばかりの頃は不安だらけだった。

まるで細い棒の上をバランスを取りながら歩いているような感じ。

心細くて何かに縋りたくなった。

でも、夫のような人と一緒に過ごすよりは遥かに良いのだと今なら分かる。

人の気持ちが分からない人と暮らすのは辛い。

たとえ家族が揃っていても孤独を感じていた。

それでは一緒に居る意味がないのだと、離れてから初めて分かった。

子どもと二人の生活は周りから見たらピースが足りないように見えるかもしれない。

でも、心は満たされていて毎日幸せを感じている。

2024年11月7日木曜日

共感性に乏しい夫

学生時代には「冷たい人」と言われていた夫

学生の頃から夫は変わっていないようだった。

以前何かの話で学生時代の話題になった時のこと。

女の子たちから『冷たい人』と言われていたことを教えてくれた。

これは誉め言葉ではないと思うんだけど。

どういうわけか夫は誉め言葉として受け取ったようだった。

『冷たい人』と女子から言われていたことが『俺はモテていた』という結論につながったらしい。

私には分からない・・・。

冷たいと言われたら、その意味は言葉のままだ。

きっと共感性に乏しくて、人の気持ちが分からなかったのだろうと思う。

一見仲良く見える人たちとも心を通い合わせることができず、遠ざかって行った人も居たに違いない。

そしてそのまま共感性を養うこともできず、大人になったというわけだ。

子どもって鋭い所があるんだよな~と改めて思った。

鈍感な私は大人なのにそれに気づけなかった。

いや、私だけではない。

夫の友だちも、親しくしている女性も。

皆夫の本性に気づけなかった。

だから、ああやって懇意にして気に掛けてくれるのだろう。

共感性に乏しいことが関係しているのかは分からないが。

物事の受け取り方にも偏りがあった。

普通はそう捉えないでしょう?と驚くような捉え方をする。

それが良い方になら問題ないが、大抵は悪い方で。

勝手に相手への憎悪を募らせて悪意を抱くことが多々あった。

『この人嫌い』となった相手には容赦がない。

しかも、頭は回るから何をするつもりなのだろうかと考えるのが恐ろしい。

攻撃されている人を見た時は心臓がえぐられるような気持ちだった。

それと同時に夫のことが怖くて全身が震えた。


机の引き出しにラブレター

夫の実家には古い勉強机が置いてある。

くたびれてはいるが、まだ十分に使える物だ。

机には収納部分がいくつか付いていて、椅子の背もたれ前の位置にある横広の引き出しには色んなものが入っていた。

子どもの頃からちょっとずつ増えていったものだろう。

一つ一つは大したものではない。

ただ、中には思い出の品というのもいくつかあると聞いていた。

その中に、夫の好みには似つかわしくない可愛い手紙もしまってあった。

十分に引き出さないと見えないくらい奥の方。

それを、ある時夫がわざわざめいっぱい引いて見えるような状態にしていた。

恐らくその手紙について触れて欲しいのだろうということは分かった。

でも非常に面倒くさい。

常日頃からモテ自慢をされていたのだが、『そうなんだー』と曖昧な返事をしつつ聞いていた。

その態度に不満があり、『本当なんだぞ』というのを分からせたかったのかもしれない。

スルーすると怒るだろうし、後々絡まれるのも避けたい。

でもどういう風に聞いたら良いのかが分からず、とりあえず

「それ可愛い柄だね~」

と言ってみた。

そうしたら、しゃべるしゃべる。

日ごろは寡黙な男を気取っている夫が、聞いても居ないのにその手紙をもらった時のことを語り始めた。

ついでに関係ない話題にまで及び、延々とモテ話を聞くはめになった。

手紙は同じ学校の子からもらったらしい。

お互いに好きだったが、何となく付き合うところまではいかなかったのだとか。

学生時代にバスを使っていたが、降りたら他校の生徒から手紙をもらうこともあったそうだ。

「全然知らない奴なんだけどな」

と言いながら満足そうだった。

こういう時は攻撃されないから聞き役に徹すれば良いだけなんだけど。

過去にモテていた話を妻にする心情が分からない。

私に何を期待しているのだろうか。

饒舌な夫を前に困惑し、1ミリも焼きもちを焼かない自分にも驚いていた。


夫のことがもう好きではなかった

夫が焼きもちを焼かせようとするたびに私は実感した。

もう、これっぽっちも夫のことが好きではないのだと。

今思うと付き合い始めた頃からそれほどの強い気持ちは無かった。

ただ穏やかな好意を抱いていて、何気ない日常が幸せならそれで良かった。

でも夫は変化を好み、他人から羨ましがられるような存在になりたがった。

根本的に合わない二人だったのだ。

人に尊敬されたい。

特別な存在でいたい。

皆とは違うということを見せつけたい。

常にこのような欲求を抱えていたように思う。

だからこそ、無職になった自分を受け入れられなかったはずだ。

私はそれでも良かった。

自分が頑張って働いて養おうと思っていた。

贅沢はできなくても、小さな幸せがあればそれで良い。

ちょっとだけ美味しいものを食べて、お気に入りのテレビを一緒に観て笑う。

そんな生活がしたかった。

夫と見ている方向が全く違うのだから上手く行くはずがなかった。

ずい分前から気づいていたのに、変化を怖がる私は何とか元の場所に帰ろうとした。

夫は変化に気づいても、それにすがろうとした。

理想としている生活ではないのに。

もし私たちが戻ったら、今度こそ自分の理想に近づけるための努力を強要してきただろう。

夫にとって大事だったのは私たちではなく、私たちがもたらす理想の生活だったのだと確信している。

2024年11月6日水曜日

暖房もダメ、炬燵も買ってはいけない

光熱費を気にする夫

夫は光熱費をとても気にしていた。

光熱費が上がったらその分どこかを削らなければならないから、と。

そりゃー私だって気になる。

気になるけど、寒い中縮こまって修行のような生活を送るのも違うんじゃないかと思っていた。

子どもなんて小さくてしかも細かったので、いつもブルブルしていた。

確かにエアコンの温風は高いけど、炬燵なら良いんじゃない?

そう思って夫に提案したことがある。

炬燵はエコだと実家の母も言っていたので、

「炬燵を買いたいんだけど」

と提案したら、険しい顔で、

「だらしなくなるからダメ」

と即却下された。

だらしなくなるのは、たぶん夫だ。

平日子どもは保育園に行ってるし、私だって仕事。

日ごろ家に居るのは夫だけなのだから、そういう心配をするのなら真っ先に自分を考えてみたらいい。

本当はそう言いたかたけど、やはりこの時も言えなかった。

その代わり、一度の提案で諦めることなく何度も何度もチャレンジした。

そのたびに却下され、この人はなぜここまで炬燵を嫌うのだろうかと不思議に思った。

後から分かったことだが、自分の実家に炬燵が無かったことが理由らしい。

うちの実家にはあった。

夫の中では自分の実家は尊敬すべき存在だけど、うちの実家は違う。

つまり、夫の実家と同じようにするのが正解ということらしい。

実に馬鹿らしい理論だが、夫の中ではこれが正解だったようだ。

こんな馬鹿々々しい理由で寒さに耐えなければならなかったなんて。

今考えてもため息が出てしまう。


「寒い」というのは禁止

人って反射的に『寒い』とか『暑い』とか言ってしまうことがある。

深く考えて発しているわけではなく、そういう気候の時に自然に出てしまうというか。

我が家ではそういうのも禁止されていた。

肌寒くなってきて朝起きた時にヒヤッとした時でも、『寒いね~』ということは許されなかった。

そんなルールになかなか慣れなくて、ついつい出てしまいそうになることがあった。

その瞬間、鋭い視線が突き刺さる。

危ない、危ない。

最後まで言ってしまったら暴言が飛んでくるところだった。

大人ならこうやって危機回避できる。

でも、子どもは当然だができなかった。

「しゃむいね(寒いね)」

と言いながら起きてきたわが子に向かって夫はいきなり怒鳴りつけていた。

「そういう風に言うから余計に寒いんだろうが!」

その瞬間、子どもの中でこの言葉は【言ってはいけない言葉】にカテゴリーされた。

そうは言っても幼児だから忘れてしまい、何度も同じ失敗を繰り返す。

私が間に入ってごまかそうとする時もあったけど、夫は絶対に見逃さなかった。

人の失敗はなじるタイプの人だからね。

ただ『寒い』と発言しただけなのに物凄く悪いことをしたかのように扱われ・・・。

子どもは段々と委縮していった。

普通は怒られないようなことでも怒られてしまう。

それは子どもにとってとても厳しい環境で、もしかしたら家に居る時が一番気を張っていたかもしれない。

安心できるはずの家がもっとも気を抜けない場所だった。

顔色をうかがい続けた私たちは、いつしか自分たちの考えを失った。

夫の機嫌が良くなる答えが正解で、悪くなる答えが不正解。

自分自身の気持ちなんて関係なかった。


義両親が買ってくれたヒートテック

あまりに寒そうにしていたからか、義両親がヒートテックを買ってきてくれた。

これで少し寒さが和らぐ。

嬉しくてすぐに着た。

こういうのって本当に有難いね。

子どもも大喜びで着ていたのだが、夫は何故か怒った。

「勝手にこんなもん買ってきやがって!」

などと暴言まで吐く始末。

元々義両親に対しても酷い言葉を放つ人だったのでそこは通常運転。

だが、有難がるべきところで怒るなんて人としてどうかしてると思った。

夫がなぜ怒ったのか、明確な答えは今も分からない。

これは想像だが、義両親に気を遣わせるのが嫌だったのではないかと考えている。

色々と気を回して差し入れを持ってくることがあったが、その時も怒っていたことがある。

でも毎回ではない。

『ありがとう』と言って受け取ることもある。

同じことをしているのに喜ぶ時とそうでない時とがあった。

夫は義両親が我が家のためにお金を使うことを嫌がったので、それも理由の一つかもしれない。

義両親の大事なお金が私たちに使われるのが納得できなかったのだろう。

そうは言ってもせっかく買ってもらったのだから。

私は冷たい視線を受けつつも着続けた。

直接暴言を吐かれなければ、寒さを我慢するよりマシだった。

パパのお口が臭いと言えない子ども・・・

お説教中も気になるパパの口臭 子どもは5~6歳頃からみっちりとお説教されることが多くなった。 その頃から教育虐待も始まっていて一日中色んな叱責を受けていた。 本格的に怒る時には子どもを目の前に座らせて至近距離から怒鳴るんだけど・・・。 その時の口臭が辛くてたまらなかったそうだ。 ...