2025年5月28日水曜日

話し合いの後、自宅へ

まるでよその家のよう

話し合いの後、私たちは自宅へと向かった。

家を出てから少し時間が経過していたからなのか・・・。

ちょっと前までそこで暮らしていたはずなのに自分の家という感じがしなかった。

多少の懐かしさはあっても、それ以上の感情がわかず。

むしろ、そこで行われていたことを思い出すと嫌悪感が強くて早く立ち去りたいと思った。

最初は家の外で荷物だけ受け取って帰るつもりだったのに、お義父さんが

「少し上がっていけ」

と言うので中に入ることになってしまった。

まあ、自分で持って行くものを選ぶことができたのだから良かったのかも。

入ってみたらお義母さんまで居たので驚いた。

後で知ったのだが、話し合いの後すぐに夫が連絡を入れたようだった。

『私が子どもを連れて行くことになったから、今から荷物を取りに行く』と。

その一報を受けたお義父さんは慌ててお義母さんに電話をかけ、お義母さんが義実家から飛んできたというわけだ。

「次にいつ会えるか分からないから」

と直接言われた。

会えない辛さは痛いほど分かる。

子どもと離れている間、本当に心が張り裂けそうだった。

なかなか会えず、声を聴くこともできない。

そんな時間が長くなってくると、段々と気持ちも後ろ向きになった。

それでも何とかなると信じて頑張って来れたのは、子どもとの生活を絶対に取り戻したいと思ったから。

一緒に暮らす日を夢見て、目の前のことに取り組んだ。

家の中に入った後、子どもは一度も座らなかった。

お義父さんが、

「こっちに来て座れ」

と言ったけど、聞こえないフリをしていた。

そして、自分のリュックに荷物をせっせと詰めて大事な物をまとめていた。

ランドセルの中にも入りそうなものを詰めて、学用品が揃っているかをチェック。

用意万端の状態になっても、頑なに座ろうとしなかった。

「他に何か持って行きたいものはない?」

と聞いたら、ハッとした顔で棚を開けた。

取り出したのはクマのぬいぐるみだった。

いつも寝る時に傍に置いているので、忘れないで良かった。

それを小脇に抱えて

「もう忘れ物は無いよ」

と言うので、今度こそ出発しようと玄関の方に一歩踏み出した。

その時、ずっと黙って見ていたお義母さんが突然

「少し話しましょう」

と言った。


泣かれると弱い・・・

お義母さんは既に涙ぐんでいた。

「私たちも悪かった・・・」

と目元を押さえながら子どもの手を握った。

一体何に対して謝ってるのか。

子どもを助けられなかったこと?

暴れる息子を抑えられなかったこと?

もしそうなら、その責任の一端は私にもある。

でも、子どもには無いから。

これ以上この過酷な環境で過ごさせるのは酷なことなのだと分かって欲しかった。

お義母さんも辛かったとは思う。

私がお義母さんの立場でも、夫を止めることはできなかっただろう。

まるでモンスターのような夫は、恐ろしいほど周りを上手く操っていた。

相手によって態度を変えるのは当たり前。

虐げられているのは私たちなのに、まるで自分が被害者のように振舞った。

鬼嫁のような扱いを受け、白い目で見られるなんてことは日常茶飯事で。

夫の友人たちは、恐らく私を酷い人間だと思っていた。

Nもその一人だったはずだ。

話し合いに参加して見方が変わったようだが。

この一連のことは内密に、ということになっていたので。

本性が知られることは無かった。

これが口の軽い人だったらすぐに知れ渡っていただろうに、Nは口が堅かった。

目の前で泣いているお義母さんを置いて、

「もう行きますね」

と言うこともできず、ただ背中をさすって謝ることしかできなかった。

私はとても泣き虫なので、思わずもらい泣きをしそうになった。

これじゃあ、まるで悲しい別れみたい。

惜別の思いよりも解放されることへの安堵でいっぱいなのに。

やっと自由な未来が見えてきたのに。

何となく心が晴れなくて、モヤモヤを抱えたまま自宅を後にした。

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