2025年5月23日金曜日

やっと子どもに会える・・・

2週間に1度の話し合い

私たちは2週間に1度のペースで会い、話し合った。

繰り返し繰り返し、もう戻れないことを伝えた。

宇宙人のような夫には何を言っても伝わらないのかもしれない。

そんな不安を感じつつも、伝え続けるしかないと思って根気良く伝えた。

あれは何度目の話し合いだっただろうか。

明らかに前回よりも夫の反応が良いことに気づいた。

これまでは自分が強く言えば私が言うことを聞いたのに。

何を言っても気持ちが変わらないから打つ手が無いと感じたのではないだろうか。

離婚に対して少しだけ前向きに考えるようになっていて、

「もしそうなったら住む所はどうするの?」

と具体的なことにまで言及し始めた。

どちらかと言えば、それまでは逃げ腰だったのに・・・。

実はその直前に部屋の更新を済ませたばかりだった。

その報告もするつもりだったので、ちょうど良いと思い、

「部屋の更新手続きは終わったよ。だからまた2年間はそこに住むよ」

と伝えた。

私がそこに住むということは、夫は出ていかなければならない。

そろそろ引っ越しを考えて欲しくて、

「いつ頃移動できそうかな?」

と聞いた。

キレられるかな、とも一瞬思ったが、その日は大丈夫な気がした。

予想通り、表情をあまり変えることなく、

「いつかなー。色々準備もあるし」

と答え、

「(子ども)の転校のこともあるし」

と子どもの話題にまで及んだ。

やっぱり連れていくつもりなんだ・・・。

予想はしていたけれどショックだった。

考え直して欲しくて、

「(子ども)は納得してるの?まだ親権だって決まってないのに」

と言ったがその話はスルーされた。

『もう小学生なのだから、勝手に決めないで子どもの話も聞いてあげて欲しい』とも伝えた。

自分の意思を持っているのに、何も聞かずに決めてしまうなんて。

そんなの親のエゴだ。

夫はその場では、

「わかった」

と答えたけれど、聞かずに決めてしまうことは明らかだった。

だから、第三者も交えて夫と私のどちらも居る前で気持ちを聞きたいとお願いした。

これには最初難色を示したが、Nが助け舟を出してくれて、

「うん、それが良いよ。きちんと気持ちを聞いてあげなくちゃ」

と言ってくれた。

夫も分かっていたのだと思う。

自分が選ばれないということを。

だから子どもに選択させることを拒んだのだ。

それでもNのフォローによって渋々だが了承してもらい、次回いよいよ子どもに会えることになった。


話し合いを終えた後

その日は、いつもとは違って達成感があった。

話し合いを終えるとどっと疲れが出て寝てしまうことが多いのだが。

とても興奮していて、そのまま遠くまで走っていけそうな位に元気だった。

やっと子どもに会えるのだと思ったら嬉しくて。

じっとしてなど居られなかった。

今度こそプレゼントを渡せるだろうか。

ああいう場でプレゼントなんてしたら点数稼ぎだと非難されるだろうか。

色んな想像をしては、また嬉しさがこみあげてきて、ハイテンションのまま翌日を迎えた。

「久々にめっちゃ元気だね~」

と指摘する先輩も笑顔だった。

多分、ずっと心配してくれていたのだと思う。

そして見守っていてくれた。

本当にありがたくて、この恩を決して忘れてはいけないと思った。

それにしても長かった。

夫に子どもを連れ去られてからだいぶ経ってしまった。

強気で交渉しようとしたが、夫から

「お前だって何の相談も無く連れて出て行ったままだっただろ」

と言われ反論できなかった。

それから思うように進展しないまま、焦って空回りばかりの日々。

それが、とうとう2週間後に子どもに会えるなんて!

そう思ったら色んな欲が出てきてしまった。

人間て欲深いのね。

でも、よくよく考えてみたら私の望んでいることは一つだけだった。

子どもと一緒に暮らしたい。

ただ、それだけ。

今すぐにそれを叶えることはできないから。

ただ『ママ』と呼んでもらえたらそれで良い。

そうしたら、もう少し頑張れるから。

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