ショックを引きずる中、夫からの連絡
子どもに会えると期待して行ったのに。その期待は見事に裏切られた。
それなのに夫からは、
「久しぶりに(子ども)に会えて良かったね」
という恩着せがましいメッセージを受け取った。
あれを『会った』とは言わない。
遠くから『見た』だけだ。
夫に対して腹立たしい気持ちでいっぱいになり、
「会えると期待して行ったのに残念です」
と返した。
義両親が全てを知らされていたかは分からない。
でも万が一知らされていたのだとしたら、私と子どもが話せるように動いて欲しかった。
次にそんな機会がいつ巡ってくるか分からないから、とても貴重なチャンスだった。
だけど、お義母さんも私に気づく様子もなく歩いて行った。
もしかしたら、その前の時に
「私たちから孫を奪わないで」
というようなことを言われていたので、私に対して思うところがあったのかもしれない。
それで気づかないフリをしたのかも・・・。
色んなことを考えていたら頭がぐるぐるしてしまって、余計に何が何だか分からなくなった。
ただ一つはっきりとしていることは、子どもが交渉の道具にされているということだった。
そんな夫が許せなかった。
これを機に、『早く子どもを取り戻さなければ』という気持ちがより強くなった。
財産分与から攻めていくことに
別に夫のお金を当てにしていたわけではない。
でも、どこから切り崩していけば良いのか分からなくて、手っ取り早く夫が隠したがっている財産について協議することにした。
実は配偶者の財産は調べることができるらしく、弁護士さんに依頼することもできる。
いざという時にはそれを活用しようと考えた。
銀行と支店をはっきりさせておく必要があったが。
これは問題無かった。
夫は自分の実家の方で口座を揃えていて、取引している銀行も把握していた。
中身は見せてくれないが、通帳を見せびらかされたこともある。
その時は冷めた目で夫を見ていた。
この記憶が意外な所で役に立った。
私は早速夫に連絡を入れて、
「次に会う日を決めましょう」
と送ったらすぐに返事が来た。
「今週の土曜日で良いかな」
と、まるで離婚を話し合っている夫婦には思えないようなやり取りだ。
その後の交渉では、もう『子どもを連れて来て欲しい』というお願いはしなかった。
お願いしたところで聞いてくれることは無いのだから。
それよりも、この状況を打開したくて藻掻いた。
それが子どもを取り戻すことにつながると信じて。
モラハラや虐待に関する記録も、推敲に推敲を重ねた。
できるだけ自分の感情を入れず、ただ淡々と事実を記した。
まとめてみると結構なボリュームになり、ああ、こんなにも色んなことがあったんだな、と思った。
ずっと我慢するしか無いと思い込んでいたのに、その結果がこれだ。
自分が滑稽で憐れで、思わず笑ってしまった。
我慢し続けることには何の意味も無かった。
ただ単に私が弱かっただけ。
子どもまで巻き込んでその弱さを正当化しようとした私はとても罪深い人間だ。
あの頃必死に前を向き続けることができたのは、そういった懺悔の気持ちもあったから。
勝手だけど、ただ赦されたいと思った。