家に居場所が無い
保育園時代の最後の冬休みのことを今だに思い出すことがある。本当に最悪の日々だった。
夫から理不尽に怒鳴られたり嫌がらせをされるのはいつものことだけど。
あの冬休みはいつも以上に追いつめられた。
私たちと四六時中一緒に居ることがストレスになったのかもしれないが悲しかった。
居るだけで嫌がらせをされるという現実。
これが家族に対してすることなのだろうかと夫のことがますます分からなくなった。
お休みの日でも、まずは朝起きてご飯の支度をする。
音を立てると夫が怒ることは分かっているから、できるだけ静かに準備した。
だけど、音なんて立てて無いのに夫は誰にともなく『うるせー!』と怒鳴っていた。
その声にビクつきながらも何とか支度を終えてテーブルに並べて、あとは皆がそろうのを待つだけになった。
「朝ごはんできたよ」
そう声を掛けると子どもはすぐに飛んでくる。
夫はのっそりと起き上がり、面倒くさそうに座ることが多かった。
その時の不機嫌オーラが物凄くて、むやみに話しかけてはいけないと思った。
これが一日だけ、たまたま機嫌が悪かったというのならまだ良い。
でも、そうではないから質が悪い。
冬休みの間中、ほぼ毎日こんな感じで心がすり減った。
『そんなに嫌なら食べなければ良いのに』とも思うのだが。
声を掛けないと余計に機嫌が悪くなるので本当に対応が難しかった。
お昼も同じような感じで、子どもの用事とか家のこととかやっていて少しでも遅れるとキレた。
いつでも自分中心だから、他の人のせいで予定通りに行かないことが許せなかったのだろう。
こんな息の詰まるような家で過ごすのは可哀そうだから、子どもを外に連れ出すこともあった。
公園とか買い物とか、時々は駅ビルにも行った。
家族だから顔を合わせるのは当然なのに、それすらも許されない生活を想像できるだろうか。
一番安心できるはずの家で寝るまで気を張って過ごさなければならなくて。
しかも、いつ怒られるかと常にビクビクしているのが当たり前の生活。
気の休まる時なんて一切無い。
いつも朝起きた瞬間から『早く寝る時間にならないかな』なんて考えた。
子どもも同じだったようで『はやく夜になって寝たい』と言っていた。
少しでも夫がそれに気づいてくれれば良いのだが、それも期待できない。
自分に対して他の人が気を遣うのが当たり前だと思っているのだから。
私や子どもが怒られて気落ちしていると『怒らせるお前らが悪い』と嫌味っぽく言うような人だった。
そんな人に起きている間中ずっと見張られていたのだから、心穏やかに過ごせるわけがない。
寝る時間だけが安らぎを感じられた。
布団を敷いて横になって目をつぶってからがやっと安心できる時間だ。
布団の中で子どもと手をつないで寝ることも多かった。
心が傷ついてもう何も考えれないところまで追い詰められている時。
子どもの手が命綱のように思えた。
保育園児に勉強を強要
冬休みはたっぷり時間がある。
朝ごはんを食べたらお昼までにまだ時間があるから、子どもはおもちゃを取り出して遊ぼうとした。
普段は保育園に通っていて土日しか日中に遊べないもんね。
こういうお休みの時くらい自由に遊びたいよね。
そう思いながら子どもの様子を見守っていたのだが、夫が急に
「それ、しまえ!」
と切れた。
その声に驚き、おもちゃを持ったまま固まる子ども。
「ちょっと!なんで急に怒るのよ!」
咄嗟に間に入ろうとしたら、夫が乱暴な感じで手でシッシッと私を追い払うようにしてきて
「お前は邪魔すんな!」
と威嚇した。
そして、
「ここに座れ!」
と子どもに命令して、目の前にドリルを出した。
子どもはまだ勉強になんて興味はない。
保育園のうちはそれで良いと思っていたので、夫が勉強を強制的にやらせることに反対していた。
でも私の言うことなんか一切聞いてくれなかった。
やってもいないうちから『出来損ない』のレッテルを貼って子どもの心を傷つけることも嫌だった。
「ちょっとくらいの努力じゃ使い物にならない」
という言葉の意味は子どもだって理解できる。
どうしてこの人は相手の心を抉るようなことばかり言うのだろうかと腹が立った。
そういう時の夫の顔はいつも以上に冷酷だ。
でも、反抗したら今にも手が出そうな雰囲気だから下手に動けない。
下手に動いて更に怒らせてしまい、手が付けられなくなることは避けたかった。
だから常に頭の中で色んなシミュレーションをして、どうしたら一番被害を少なくできるかを考えた。
正論では太刀打ちできない相手だから被害を減らすための方法を模索するしかなかったのだ。
お昼を食べた後も、夫の機嫌次第でまた勉強になる。
子どもに自由な時間は無いし、私が一緒に見ようとすると『邪魔だ』と言われた。
勉強中は思う存分スパルタするために私が居ない方が都合が良かったのかもしれない。
頻繁に「買い物に行けよ。足りない物あるんじゃないか?」
と出かけさせようともしていた。
でも、私が居なくなったらどんなことが起こるかは大体想像できるから意地でも行かなかった。
「勉強が終わったら子どもと一緒に行く」
と言って、その後夫が何を言ってきても反応せずに家のことをしながら様子を見守った。
虐待は二人きりになるとよりエスカレートする。
それをこの頃に段々分かってきたので、常に子どもの傍にいるようにしていた。