お説教中も気になるパパの口臭
子どもは5~6歳頃からみっちりとお説教されることが多くなった。その頃から教育虐待も始まっていて一日中色んな叱責を受けていた。
本格的に怒る時には子どもを目の前に座らせて至近距離から怒鳴るんだけど・・・。
その時の口臭が辛くてたまらなかったそうだ。
夫はヒートアップしてくるとどんどん声が大きくなる。
この距離なんだから十分に聞こえてるよ、と思うような位置なのに、まるで何メートルも先の人に話しかけるくらいの音量で怒鳴る。
近くで聞いている方は耳がボワンとしてとても不快だった。
だけど、そんなことを指摘したら更にヒートアップしてしまうのが分かっていたので何も言わずただじっと聞いていた。
怒鳴られることも辛かったけど、手が出ない時はまだ良かったみたい。
よく『叩かれるくらいのことをしたんでしょ』という人もいるが、決してそうではない。
親ばかかもしれないが、うちの子はとても素直で穏やかな良い子だ。
優しくて人を思いやる心を持っている。
ここが夫と決定的に違う部分であり、よくこの人の子なのにこんなに良い子が産まれたなと感心してしまう。
理不尽な理由で怒られて叩かれたり胸倉をつかまれたりした時は必死で止めた。
体の大きな夫には、私と子どもが力を合わせて対抗したところで何の意味も無かったんだけど。
例えば手や頭を叩かれそうになったら、それを両手で止めようとするのだが。
私の両手は夫の片手に負けてしまう。
胸倉をつかんだ時、子どもを支えながら体を割り込ませると二人一緒に壁まで押し込まれた。
無力だった。
必死で抵抗しても全く歯が立たなくて。
当たり前なんだけど、力でどうにかすることはできないのだと痛感した。
こんな恐ろしい目にあっている最中も子どもは夫の口臭を気にしていたようだ。
近くで怒鳴られるとその臭いがはっきりと分かり、気になって気になって仕方がなかったと言っていた。
こういうデリケートな問題は相手に伝えるかどうか迷う。
伝え方も気を付けなければならない。
ただ、我が家の場合にはその前段階に大きな問題があった。
万が一夫にそんなことを言ったら、きっと馬鹿にされたと思って暴れるだろう。
それがどれほどの怒りになるのか想像がつかない。
その時、子どもや自分の身を守れるのか?
怒りっぽいという感じの生易しいレベルではなく、怒り狂って何をするか分からない相手だ。
だから、コミュニケーションを取るのも一苦労で逐一ビクビクしていた。
父親を「あの人」と呼ぶ心情
一緒に居る時には『パパ』と呼んでいた。
だけど、離れてからは『あの人』と呼ぶようになった。
この呼び方の方が心の距離を感じる。
多分、精神的にも一定の距離を保っていたいのだろう。
この気持ちは痛いほど分かった。
ちょっとしたことで過去の辛い思い出がよみがえってくるし、寝れば悪夢にうなされることもある。
影響を受けたくなくてもまだまだ受けてしまうのに、親しみを込めて『パパ』なんて呼べるはずがない。
離れてすぐの頃、何度か夫に面会させた。
その時にはさすがに『パパ』と呼んでいたのだが、その呼びかけはどこかぎこちなかった。
もう父親だと思うこと自体を心が拒絶してるんだと思った。
夫は自分のやったことを忘れて執着してくるけど、あの記憶が消えることはない。
むしろ落ち着いて考えれば考えるほど鮮明に思い出されてくる。
どれほど酷いことをされたのか。
どんなに辛かったのか。
生きているのが嫌になるほどの扱いを受けて、絶望しない日は無かった。
だからこそ、今の小さな幸せを実感できるとも言えるが。
精神的に疲弊するから夫関連の記憶は正直消したい。
子どももきっと同じ思いなのだと思う。
いつの日か、『あの人』とも呼ばなくなる日が来る。
その時はもう子どもの中に父親は居ない。