2024年12月31日火曜日

今年一年、ブログを読んでくれてありがとう

御礼

今年一年、こんな拙いブログを読んでくれてありがとう。

少しずつアクセスも伸びていて本当に嬉しいです。

・・・おっと、早速タイトル詐欺だな。

そう言えばブログを始めたのは7月でした。

ということは、5か月以上は続いています。

何でも三日坊主の私にしては大変な快挙です!

このブログには誰にも言えないことなんかも書いていて、心のよりどころになりつつあります。

でも、もし読んでいて不快になる方がいたら御免なさい。

特に虐待やモラハラの描写はぼかしているつもりでも強烈かもしれません。

決断力のない私が離婚に踏み切るくらいですから、やはり過酷だったのです。

でも、書くことで少しずつ昇華できています。

無かったことにはできないけど、過去のこととして前を向くことはできる。

そんな力を蓄えるために、今できることをしていこうと思います。

皆さま、今年も本当にお疲れ様でした。

それでは良いお年を・・・。

2024年12月30日月曜日

パパのお口が臭いと言えない子ども・・・

お説教中も気になるパパの口臭

子どもは5~6歳頃からみっちりとお説教されることが多くなった。

その頃から教育虐待も始まっていて一日中色んな叱責を受けていた。

本格的に怒る時には子どもを目の前に座らせて至近距離から怒鳴るんだけど・・・。

その時の口臭が辛くてたまらなかったそうだ。

夫はヒートアップしてくるとどんどん声が大きくなる。

この距離なんだから十分に聞こえてるよ、と思うような位置なのに、まるで何メートルも先の人に話しかけるくらいの音量で怒鳴る。

近くで聞いている方は耳がボワンとしてとても不快だった。

だけど、そんなことを指摘したら更にヒートアップしてしまうのが分かっていたので何も言わずただじっと聞いていた。

怒鳴られることも辛かったけど、手が出ない時はまだ良かったみたい。

よく『叩かれるくらいのことをしたんでしょ』という人もいるが、決してそうではない。

親ばかかもしれないが、うちの子はとても素直で穏やかな良い子だ。

優しくて人を思いやる心を持っている。

ここが夫と決定的に違う部分であり、よくこの人の子なのにこんなに良い子が産まれたなと感心してしまう。

理不尽な理由で怒られて叩かれたり胸倉をつかまれたりした時は必死で止めた。

体の大きな夫には、私と子どもが力を合わせて対抗したところで何の意味も無かったんだけど。

例えば手や頭を叩かれそうになったら、それを両手で止めようとするのだが。

私の両手は夫の片手に負けてしまう。

胸倉をつかんだ時、子どもを支えながら体を割り込ませると二人一緒に壁まで押し込まれた。

無力だった。

必死で抵抗しても全く歯が立たなくて。

当たり前なんだけど、力でどうにかすることはできないのだと痛感した。

こんな恐ろしい目にあっている最中も子どもは夫の口臭を気にしていたようだ。

近くで怒鳴られるとその臭いがはっきりと分かり、気になって気になって仕方がなかったと言っていた。

こういうデリケートな問題は相手に伝えるかどうか迷う。

伝え方も気を付けなければならない。

ただ、我が家の場合にはその前段階に大きな問題があった。

万が一夫にそんなことを言ったら、きっと馬鹿にされたと思って暴れるだろう。

それがどれほどの怒りになるのか想像がつかない。

その時、子どもや自分の身を守れるのか?

怒りっぽいという感じの生易しいレベルではなく、怒り狂って何をするか分からない相手だ。

だから、コミュニケーションを取るのも一苦労で逐一ビクビクしていた。


父親を「あの人」と呼ぶ心情

一緒に居る時には『パパ』と呼んでいた。

だけど、離れてからは『あの人』と呼ぶようになった。

この呼び方の方が心の距離を感じる。

多分、精神的にも一定の距離を保っていたいのだろう。

この気持ちは痛いほど分かった。

ちょっとしたことで過去の辛い思い出がよみがえってくるし、寝れば悪夢にうなされることもある。

影響を受けたくなくてもまだまだ受けてしまうのに、親しみを込めて『パパ』なんて呼べるはずがない。

離れてすぐの頃、何度か夫に面会させた。

その時にはさすがに『パパ』と呼んでいたのだが、その呼びかけはどこかぎこちなかった。

もう父親だと思うこと自体を心が拒絶してるんだと思った。

夫は自分のやったことを忘れて執着してくるけど、あの記憶が消えることはない。

むしろ落ち着いて考えれば考えるほど鮮明に思い出されてくる。

どれほど酷いことをされたのか。

どんなに辛かったのか。

生きているのが嫌になるほどの扱いを受けて、絶望しない日は無かった。

だからこそ、今の小さな幸せを実感できるとも言えるが。

精神的に疲弊するから夫関連の記憶は正直消したい。

子どももきっと同じ思いなのだと思う。

いつの日か、『あの人』とも呼ばなくなる日が来る。

その時はもう子どもの中に父親は居ない。

2024年12月29日日曜日

小学校入学前の最後の冬休み

夫と義両親から決断を迫られる

保育園時代最後の冬休み。

私は夫と義両親からある決断を迫られていた。

このブログでもたびたび話題に出してきたのだが、彼らの悲願である【義実家での同居】を承諾するように迫られた。

そうは言っても慣れ親しんだ場所から離れるのは嫌だったし、子どももお友達と離れることを拒んだ。

それに義実家に行ってしまったら職場までの距離が長くなり、通勤にも時間がかかってしまう。

色んな理由があって断ってるのに、

「はなから考えても居ない!」

と非難された。

納得してもらえないだろうなとは思ったけど、丁寧に説明したんだよ。

だけど結局は三人の中で結論は決まっているので、それに応じない私に腹が立ったんだと思う。

子どもはもちろん話し合いに参加しないから、3対1で私が一人抗っているような感じで。

きっと頑固な嫁だと憤っていたに違いない。

こちらは普通にしていても、彼らからはイライラが伝わってきた。

話し合いがいつまで経っても平行線なので、

「どうしたら納得してくれるんだ」

と詰め寄られたこともある。

そんなこと聞かれたって、無理なものは無理なのに。

通勤時間が三倍になり、知り合いが誰も居ない場所に喜んでいく人なんて居る?

しかも夫はモラハラで大事にもされておらず、子どもは虐待されているという状況なんだもの。

きっと義実家に行ったところで夫が改心することはない。

それに義両親が居るからといって夫の傍若無人な態度が改められることもない。

現に義両親の目の前で子どもは虐待されていたし、私も無視されたり暴言を吐かれたりしていた。

それなのに、義両親は

「私たちが居れば(夫)も少しは加減するだろう」

と言い切った。

一体どこからそんな自信が出てくるのか。

これまでに一度たりともそんなことは無かったのに・・・。


ランドセル問題勃発

ランドセルをどちらの家が買うかでも揉めた。

うちの両親はなかなか会えない私たちを心配して定期的に色んな物を送ってきてくれた。

段ボールに詰められていたのは食べ物や日用品など。

これをどんな思いで送ってくれたのかと想像したら泣きそうになった。

ちょうど小学校に上がる前の年の秋口に届いた荷物には封筒も入っていた。

手紙かな?と思って開けたらお金で、表面に【ランドセル代】と書かれていた。

そうか・・・。

もうランドセルを用意しなくちゃいけない時期なんだな・・・。

でもうちにはそんな余裕が無かったから本当にありがたかった。

その様子を見た夫は面白く無さそうで、その後早速義両親からクレームが入った。

「ランドセルはうちで買うんだから!」

と最初から喧嘩腰。

「そっちの親からもらったのは、他のこまごまとした学校用品を買って」

と命令された。

義両親がランドセルを買ってあげたいと思ってくれていること自体は嬉しい。

でも、こんな言い方をされたらまるで両親をないがしろにされたような気分になり、その場を取り繕うことができなかった。

それで私が黙り込んでしまったので、お義母さんが

「良いのよ、どっちが買ったって。必要なものが揃うならなんだって良いのよ。」

と助け船を出してくれた。

普段お義父さんにモラハラされていて大変なのに、こういう時お義母さんは優しい。

夫は普段からうちの両親から荷物が届くのを快く思っておらず、口には出さないけど全身から『迷惑だ』というオーラを発していた。

しかも、届いた物をじゃまそうにして、分かりやすく目の前でため息をついていた。

こんな酷い仕打ちを受けるたびに、私の結婚が周りをも不幸にしているなと感じるようになった。

2024年12月28日土曜日

お昼休みにこっそり取りに行った離婚届

夫に内緒で離婚届を準備

仕事から帰ると嫌味を言われたり怒鳴られたり、無視をされることも多かった。

暗い雰囲気の中、何とか状況を変えなければと話しかけると舌打ちされた。

こんなんじゃ一緒に居る意味無いや。

早く離れたいと思っていたけど、それすら言い出せない雰囲気だった。

夫が怖いという気持ちと見捨てたら可哀そうだという両方の気持ちがあった。

見捨てたら夫は生きていけないのではないかという思いも決断の邪魔をした。

大の大人なんだから離婚したって何とかなるとは思うけど・・・。

一歩踏み出そうとすると何故かいつも勘づかれてしまう。

それで脅しのようなことを言われると怖くて動けなくなった。

その頃の子どもがどう思っていたのかというと、

「パパのことは嫌いじゃない」

と言っていた。

当時の私はその言葉を真に受けてしまったのだが、本心ではなかった。

では、なぜそんな言い方をしたのか。

それは言ったことを夫に知られるのを恐れたからだ。

嫌いだなんて言ってしまったら、それまで以上に厳しく接するはずだ。

当時でさえ我慢できないレベルだったのに、それ以上だなんて考えただけでも恐ろしいと思ってしまったそうだ。

これに関しては私にも本心を隠していた。

何だか信用されていなくてショックだったけど。

あの状況下では誰も信用できなかったというのも理解できる。

うちの両親とはなかなか連絡を取れず、義両親は息子の顔色を見ながら対応していた。

真正面から反論できる人など居なかった。

日々苦しくて辛くて、このまま何もせず時間だけが経過していくことに我慢ができなくなって。

こっそり離婚届を用意することにした。

もちろん、スムーズに離婚できるとは思っていなかった。

だけど、とりあえず離婚届だけでも用意しようと決めた。

実は離婚するまでに何度か離婚届をもらいに行っている。

夫に知られたらいけないから、タンスにしまったりバッグに潜ませたり。

その時々で隠し場所を変えた。

見つかったら大変なことになるから、それだけは避けたかった。


職場のお昼休みに役所へ

職場のお昼休憩は1時間。

役所は近いので、歩いて往復しても10分かからないくらいだ。

用紙をもらうだけならすぐに済むから、お昼を早めに切り上げてもらいに行っても十分に間に合うと思った。

実際に時間的には十分に間に合った。

ただ、気持ち的に落ち着かなくて、いつもなら30分位かけて食べるのに10分以内で食べ終えてしまった。

ああいう時って何だかソワソワしてしまう。

とてつもなく重要な任務をこなす時のような・・・。

まあ私にとっては最重要課題だったんだけど。

取ってきた離婚届けは会社に保管した。

会社のデスクには鍵がかかるので、他の人に見られる心配もない。

以前手に入れた時に自宅のタンスにしまったら、ひょんなことからバレてしまった。

あの時の焦りは言葉では言い表すことができない。

本気でもう終わりだ!と思った。

それからは、もう二度と失敗してはいけないのだと肝に銘じた。

自宅に保管するといつ見られてしまうか分からないから会社に置いておくのが一番安全だ。

そう思って厳重に引き出しの奥にしまいながらふと向かいの席を見ると、同僚が楽しそうに家族の話をしていた。

その瞬間、私には持てなかったものを持っている同僚のことが羨ましくなった。

それと同時に自分の置かれた状況を再認識してしまった。

家が辛くて夫と離れるためにコソコソ動く私とはあまりにも対照的に思えた。

2024年12月27日金曜日

本日、仕事納め

今年も1年、よく頑張りました

今日が仕事納めでした。

今年も一年、よく頑張った!

新卒から働き始めて途中産休とほんの少しの育休はあったけど。

それ以外の期間はずっと働いてきました。

自分一人の力で子どもを育てなければというプレッシャーはあっても結構楽しくやってます。

母子家庭になったばかりの頃は迷ってばかりでした。

不安も大きくて、本当に二人ぼっちで大丈夫なの?と戸惑うばかり。

だけど、私が不安そうにしていたら子どもはもっと不安になるから。

できるだけ笑顔でいようと決めました。

今年は冬休みが長いから嬉しいな♪

実家に帰って両親のお手伝いをして、皆で楽しく過ごそうと思います。

会社では先週に忘年会があって、私は総務なので幹事をやりました。

幹事って面倒だけど良いこともあるんですよ。

例えばお店選びでは自分の好みで決められます。

最終的には上司の判断を仰ぐんだけど、その段階で反対されることはない。

私が候補を挙げた時点で『そこにしよう』という感じになるから。

今年はどこにしようかな?と考えるだけでもワクワクします。

選んだお店の評判が良かった時などは更に嬉しさ倍増です。

会社は良い人が多くて、総務として当然のことをやっているだけなのに皆が『ありがとう』とお礼を言ってくれます。

うちは夫がけなしてばかりの人だったので、最初はこういうのに慣れませんでした。

素直に受け取ることができず、居心地が悪いなんて感じていました。

でも、今は『ありがとう』と言われたら『こちらこそ、ありがとう』と返せるようになった。

それだけでも大進歩です!

けなされなくなったから、自己肯定感が少しだけ回復したのかもしれません。


一日一日が愛おしい

私はのんびりしていて、あまり焦ることがありません。

たとえ忙しくしていても、それが周りに伝わらないタイプだと思います。

それでも内心はやることがたくさんあって、いっぱいいっぱいになることもあります。

そんな時、ふと立ち止まって今の幸せを考えてみるのです。

こんなに穏やかで満ち足りた日を過ごせるのは本当に幸せなことだと思いながら。

だって一度はもう全てを諦めたのですから。

何も望んではいけないのだと自分に言い聞かせていました。

それがこんなにも自由で幸せな時間を過ごせているのは奇跡のようなこと。

日々のちょっとしたことが愛おしくて、全てをアルバムに収めたいと思うほどです。

子どものこととか毎日の新鮮な喜びとか。

小さな発見の連続で、幸せのピースが日々埋められていく感じ。

あの頃の私に言ってあげたいなー。

大丈夫だよ。

諦めないで良いんだよって。

今、過去の我が家と同じような状況でギリギリのところで踏ん張っている人もいるかもしれません。

そんな時は周りも見えず、ただ足元に視線を落として絶望していることでしょう。

だけど、足元だけを見ていたら現状を変えるチャンスを逃してしまうから。

辛くてもどうか前を向いて欲しい。

周りに助けを求めたっていい。

そして手を差し伸べてくれる人に出会えたら、その出会いを大事にしてください。

私は心を閉ざしてしまった時期があるのですが、そういう時は誰の言葉も耳に入りませんでした。

でも後になって考えたら、どれも親身になって伝えてくれた言葉ばかり。

それに気づけてたら、もっと早くあの生活から抜け出せていたかもしれません。

それが分かった今は、きちんと周りの声に耳を傾けるようにしています。

来年はもっともっと幸せになって、周りにも幸せのお裾分けができたら良いな。

2024年12月26日木曜日

夜型人間だから寝坊が怖い

朝起きられないので目覚ましは二個使い

私はすこぶる朝が弱い。

目覚ましを二つかけても心許ない。

以前はジリジリと鳴るタイプのものを使っていたが、どうにも起きられなかった。

これが結構な大音量で、起きている時に耳元で鳴ると驚くレベル。

それなのに、寝ている時にはなかなか気づけなかった。

気づいたとしても薄ぼんやりしてるので、無意識のうちに止めてしまう。

何度もそれを繰り返しているうちに、携帯と目覚まし時計の2つを使うようになった。

目覚まし時計は上をポンと押すだけでは解除にならず数分おきに鳴り続けるようになっている。

もちろん寝ぼけ眼の私は解除なんてしないので、延々と押して一時的に止めては鳴るというのを繰り返すことになる。

それでとうとう鳴らなくなる時間まで起きることができず・・・。

ギリギリの時間にハッと起きて慌てて支度をして会社へ。

何でこんなにも起きられないのか自分でも分からない。

目覚ましのスヌーズを止めているつもりはないし、携帯の方も解除した覚えがない。

無意識のうちにやってるんだろうけど。

起床に関してはかなりの確率で冷や汗ものだ。

ちなみに、子どもは私よりも早起きなので目覚ましもバッチリ気づいている。

それでなかなか起きない私に声を掛けてくれる。

「ママ、そろそろ起きないと遅刻しちゃうよ」

という声で飛び起きることも多いので本当にありがたい。

私にはできすぎた子だわね。


夜になると目がらんらんと冴えてくるのは何故

なぜ起きられないのかというと、夜寝る時間が遅いからだと思う。

それが分かってるのなら止めればいいじゃないか、と言われるかもしれないが。

夜になると目が段々と冴えてしまうのだ。

眠くならないからダラダラとテレビやネットを見てしまう。

ここ数年はずっとAmazonPrimeでアメリカのドラマを観たりなんかしていて。

気づいたら1時を回っていたということも少なくない。

あー早く寝なきゃなと思いつつダラダラ。

明日の朝またギリギリになっちゃうよと焦りつつダラダラ。

結局1時半頃に段々と眠気が出てきて、そこからようやく寝る準備をするのがいつものパターンだ。

朝は子どものスケジュールに合わせるので起きる時間が曜日によって異なる。

早い時は6時台で、遅めの時には7時半近くに起きる。

2時に寝たらどう考えたって睡眠不足になってしまうのに、どうしても止められない。

その上、遅くなればなるほど頭もクリアになっていって調子が上がってくる。

この時間に仕事したら効率的だろうな、と思うほど。

事務職に深夜作業は無いからそれが活かされることはないんだけど。

その反動で日中は眠気を我慢しながら作業しているのでミスをしないようにとめちゃくちゃ気を付けている。

こんな完全な夜型人間でも朝型に変わることはできるんでしょうか・・・。

今年もあと少しだけど、来年の目標を立てるとしたら早寝早起にします。

両方を達成するのが大変なら、とりあえず早起きかな。

とりあえず今日から少し早く寝ます。

2024年12月25日水曜日

糖尿病の父のために探したケーキ

ハイカロリー&甘い物は厳禁だけど

うちの父は糖尿病だ。

若い頃から大食漢だったし、お酒も浴びるほど飲んでいた。

だから、このこと自体は不思議ではない。

幸いなことに肝臓なんかは丈夫なのか年を取っても健康に大きな影響は出ていなかった。

それで、若い頃のペースをそれほど落とさずに年だけを重ねてしまったんだと思う。

後期高齢者に突入し、よほど気を付けていても何やかやと出てくるお年頃。

父も今までのツケが回ってきたみたい。

最近になって糖尿病になっていることが分かり、ようやく食生活を改め始めた。

これが良いきっかけになれば良いな。

そもそも、高齢者になったらもっと健康的な食生活にしないとね、なんて思っていた。

実際、傍から見ると今までよりもずっとバランスの良いメニューで健康的。

こんな生活を続けていれば、どんどん良くなるだろうなと安心した。

ただ、本人からしたら物足りないらしい。

そりゃー今までめいっぱい食べてたから物足りないというのも分かる。

お腹いっぱいになるまで食べて、お酒も週に3~4回くらい飲んでいた。

若い頃から比べれば量は多少減っていたけど、それでもよく食べてよく飲んだ。

だから、急に食べるものが減ってお酒もストップになってしまい、内心は辛いだろうなと思う。

でも、ここで我慢しないとどんどん体に影響が出るからね。

そうなだめつつも、アレもダメ、これもダメというのは可哀そうな気がした。

父は甘い物も大好き。

これまでたくさん食べてきたし、夕食後につまむことも多かった。

そういう楽しみも急にゼロになった。

糖尿病になると我慢することが多くて本当に大変だ。

節制ばかりの生活でストレスにならなければ良いな、と心配している。


低糖質のケーキを探してプレゼント

実家のことはずっと気になっていた。

今年はクリスマスケーキも我慢したそうだ。

本当は食べたい気持ちもあるみたいだけど糖尿病だから食べてはいけないと思っているみたい。

確かに我慢するのは良いことだし、これまで食べたい放題だったことを考えるとちゃんと自分の体を考えるようになったんだな、と嬉しい。

だけど、たまにはほんの少しだけ食べても良いんじゃないかなとも思う。

そう思って、これを贈りました。


これは低糖質のロールケーキなんだけど、美味しいという口コミが多かったので選びました。

クリスマスの今日贈っても到着するのは来年。

まだしばらくかかるけど、喜んでくれたみたい。

『一度に食べちゃだめだよ、小さく切り分けて残りは冷凍にして』というのも忘れずに伝えた。

伝えないと二人で一気に食べてしまいそうで(汗)

この年になると親の喜ぶ顔を見るのも良いもんだわ。

大したことはしていないけど、親孝行している気分になれる。

ところで、送料は無料でも4千円は私にとって大金だ。

ポチっとする前には『あ~意外と高いな・・・』なんて思った。

でも、街で探してもこういう商品はあまり見当たらないし。

これは口コミの評判も良いし。

ということで、思い切って購入しました。

ちょうど今日はお給料日だったので気も大きくなっていたかも。

私はいつもお給料日直前に本当に残金が無くなって節約が合言葉みたいな生活になる。

今回もそうだったので反動もあった。

それが人のためになるのなら万事OKだよ。

両親の嬉しそうな声を聞き、私も気持ち良く眠れそうな夜です。

2024年12月24日火曜日

クリスマスイブの奇跡☆彡

クリスマスケーキ、買えました!

予約をミスってしまい、事前にクリスマスケーキを確保できなかった我が家。

本日長い長い列に並び、ようやくゲットすることができました。

勝手にクリスマスイブの奇跡と呼ばせていただきます(笑)

列に並んでいる間も気が気ではなくて・・・。

『まさかコントのネタみたいに、前の人で終わりですなんてことにならないでしょうね』なんて思ったりして。

間もなく順番が回ってくるという段階になり、ようやく安心しました。

実は子どもとも待ち合わせをして二人で並んだんです。

人が集まる場所って活気があって凄いですね。

しかも、当日販売分狙いの人もかなり大勢いて多少は殺気立ってました。

その熱気にあてられたのか、子どもも何だかバーゲンセールに駆けつけた時の私のように殺伐としてました。

ケーキを手にした後は急いで帰り、料理を作ってグラタンが焼きあがるまでの間にお風呂。

少し遅くなりましたがパーティーの始まりです。

私たちは今、失われた時間を取り戻すかのように色んなことを楽しんでいます。

こういうイベントは特に力が入るのですが。

がんばりすぎないようにしています。

急に幸せな時間を持てるようになると人って戸惑うんです。

その分何か良くないことが起こるんじゃないかと不安を感じたりもします。

そんな風に考えてしまうのは、夫からそうすりこまれたからなんですけど。

あの人の言うことは間違ってると分かっていても、心の奥底に根付いた不安を取り除くことができないでいます。

誰か私の中の不安を引っこ抜いてくれないですかね。

それか夫に『あれは完全に嘘です。ごめんなさい』と言わせてくれないですかね。

何かきっかけがないと、なかなか考え方を変えることができなくて。

それが今の悩みです。


幸せな時間を過ごすと人に優しくなれる

自分で言うのもなんですが、最近人に優しくできている気がします。

少しだけ心の余裕が生まれたからかもしれません。

前は周囲に対してネガティブな感情ばかり抱いていました。

だから、誰かに優しくされても優しさを返すことができませんでした。

トゲトゲした人に出くわした時には、それに対して更にトゲトゲしていました。

ただ、ビビリなので表立って何かすることは無いんですけど。

心の中のネガティブが凄かったです。

今、見知らぬ人がイライラしているのを見たりすると『きっと心の余裕が無いんだな』と思えます。

そういう人の気持ちが痛いほど分かってしまう。

共感ではなく理解することで、ほんの少しだけ優しさが生まれるのかもしれないとも思っています。

ところで、元夫が子どもと話したいとメッセージを送ってきました。

クリスマスイブだから自分へのプレゼント?

冗談じゃないわ!

夫には元々優しさが備わっていないように思います。

追いつめられて余裕がないとかではなく、人の気持ちを考えることができない。

しかも、共感もできないから分かり合うのは不可能でしょうね。

話せば自分の要望ばかりで、離れて暮らす子どもの心配をすることも無い。

自己愛が強すぎるとは以前から感じていましたが、ただ単に異様にプライドの高い人という認識が間違っていたようです。

あっ、止めよう止めよう。

こんな素敵な日に元夫の話なんて。

とにかく断らなければと思い、『子どもはあなたと話したくないみたいです』と返事をしました。

あと残り3時間くらいかな。

皆さまも素敵なクリスマスイブを!!!

2024年12月23日月曜日

クリスマスイブイブに大問題発生!!!

クリスマスケーキの予約に手違いが・・・

もうすぐクリスマス。

明日のイブにはホールケーキの1/2を子どもと半分こして食べよう♪

・・・なんて浮かれている場合ではありません!

何と!手違いにより予約が完了していませんでした!

つまり、この直前になってケーキを確保できていないことが判明しました。

よりにもよってこのタイミングで。

いや、もっと早く予約を済ませなかった私が悪いのですが。

もう二人ともすっかりホールケーキを楽しむ気満々だったので、知った時の衝撃といったらもう・・・。

まだお金を払っていなかったので金銭的な痛手はないんです。

でも、これから確保しなければというプレッシャーがすごい。

やっぱり仕事終わりに大きめの駅に直行して当日販売分を狙うしかないかな。

一昨年並んだ時には物凄い列ができてて、お目当ての物は買えませんでした。

それで色んなところを回り、ようやく見つけたのが最後の一個だった5号サイズのケーキ。

本当は4号サイズを購入したかったのですが売り切れでした。

家に帰り、5号サイズのケーキを見せた時には子どもも大喜び。

『いつもより大きいね』とニッコニコでした。

あの笑顔をもう一度・・・ということで明日は定時ダッシュで並びます。

半月前に気づいて予約できていればこんなことにはならなかったのに。

自分の無計画さが悔やまれます。


クリスマスプレゼントは忘れたわけじゃないよ

子どものクリスマスプレゼントもまだ用意できていません。

これは元々資金的な余裕が無かったためで、忘れていたわけではありません。

残金が心許なく、とてもじゃないけどプレゼントまで買う余裕が無かった。

それで、『後からでも良い?』と聞いたら『いつでも良いよ』と言ってくれました。

元夫がごく稀に5千円送ってきてくれることもあるので、実はそれも期待してました。

でも年に1回か2回のことなので、望みは薄いかなとも思ったりして。

案の定来なかったですね。

パソコン買ったりスニーカー買ったりしてるから、『これ、クリスマスに』って送ってくるかもと淡い期待を抱いた私がばかでした。

そういう人では無かったのに。

仕事納めの日にボーナスが出るので、それからじっくり選定して買ってあげようと思います。

思いがけず今年の年末はバタバタしていて慌ただしいです。

こんなんじゃ、ワンオペ回せてないじゃん!と言われても仕方がありません。

その分、惜しみない愛情を注ぎたいと思います(笑)

とりあえず、今日の夜は寒いので二人でホットココアを淹れて飲みました。

甘くて温かくて幸せ~。

こんな風にゆったりとした時間を過ごすのって大切ですね。

もう少し肩の力を抜いても良いのかなと思えます。

いっぱいいっぱいになると周りのことが見えなくなってしまう。

それが私の悪い癖なのですが、こういう時間を持つことで気付ける気がします。

ホットミルクを淹れたら子どもがしまっておいたクッキーを出してきて、

「プチパーティーにしよう」

と言うので、二人で美味しくいただきました。

本日も柔らかで幸せな時間を過ごせたことに感謝です。

2024年12月22日日曜日

今年もあと少し・・・金曜日が仕事納め

いよいよ冬休みが近づいてきた!

今年も残すところ、あとわずかとなりました。

うちの会社は金曜日が仕事納め。

それまでにやり残した仕事を片付けなければと焦っております。

それらをやり終えたらやっと冬休み!

長期休みはやっぱり嬉しいものです。

前は嫌で嫌でお休みなんて無ければ良いのにと思ってたんですけどね。

子どもも同じで、お休みの日が一番嫌いだったみたいです。

理由はもちろん元夫が居たから。

一緒に居る時間が長くなると、その分だけ痛めつけられました。

外に出られる時間があれば危険を回避できるけど、お休みの間はそれができない。

たとえ近くのスーパーに行く時でも行動が制限されていたので自由がありませんでした。

時々は電車に乗ってお出かけもしたけど。

出ている間中ずっと携帯を手放せませんでした。

というのも、夫が気分次第で連絡をしてきて、取れないと物凄く怒るんです。

モラハラの人はそういうタイプが多いらしいのですが、うちの元夫もまさにそう。

一回でも取り損ねると、まるで取り返しのつかないような失敗をしたかのように怒られました。

家に帰ったらどんな仕打ちが待っているかと考えたら帰り道の足取りも重かった・・・。

そうやって恐怖を植え付けられたため、数分おきに携帯をチェックするのが癖になり。

次第に手で持って常に見ていないと不安になりました。

もうここまでくると半ばノイローゼのような感じだと思うのですが。

当時の私にはそんなことどうでも良くて。

ただ夫からの連絡を無事に取れれば安心でした。

今はもうそんな苦しみも無く、私たちを抑圧する人もここには居ません。

だから、仕事納めが待ち遠しくて仕方がない。

ただ、未だにこうやって前のことを書いている時には鼓動が早くなって手が震えます。

それだけ怖かったということなのだけど。

それも時間が解決してくれると信じて前に進んでいきます。


困難があっても、あの頃よりマシと考えられるように

正直な話、普通の母子家庭は結構大変です。

経済的な面もあるし、大人の人手も圧倒的に足りない。

仕事をして家のことをやって、子どもに関しても自分だけで何とかしなければなりません。

世の中にはワンオペで頑張っておられる方も居るんだから。

そう思って何とか回していますが、やはり大変な時はある。

そのしわ寄せで子どもが不自由な思いをしてはいけないという気持ちもあって。

何だかんだで結婚していた頃とはまた別の悩みを抱えております。

でも、やっぱりどう考えてもあの頃よりは幸せなんだよなぁ。

今でもなぜあんなにも傷めつけられなければならなかったのかと考えることがあります。

もう少しで立ち直れない状態まで行ってしまうところでした。

最後の力を振り絞って家を出ました。

自分の心身が悲鳴をあげて限界だったのに。

そんな状況でもまだ夫のことを可哀そうに思い、心配しました。

私たちが居無くなったら生きていけないのではないか、と。

これで万が一のことがあったら、きっと一生消えることのない後悔を背負うことになるだろう。

そんな思いを抱えて生きて行けるのか。

自問自答しながら家を出る準備を進めました。

そんな時、何の気なしに子どものの手をギュッと握り、ハッとしました。

『私は誰を守ろうとしてたんだろう』って。

守るべきなのは子どもではあって夫ではない。

夫から子どもを守れなければ、それこそ後悔する。

苦しかった日々を思うとまだ平静を装うだけで精一杯ですが。

だからこそ、今が幸せだと思うことができます。

あの頃と比べれば今が本当に幸せで、全てのことに感謝したくなります。

もし私たちと同じように苦しんでいる方がいるのなら諦めないで欲しい。

幸せな日々を夢見る時間がいつか力になると信じ、前を向いて行きましょう。

2024年12月21日土曜日

シャンプー難民だった我が家

ノンシリコンだからって万能なわけじゃない

最近私は年配の美容師さんのいる美容室に通っている。

煌びやかさは無いが、とても居心地が良い。

お洒落な美容室なんかは美を競うように綺麗な人たちが来店する。

そういう所は人目も気になるし、自分が場違いなような気がしてしまって苦手だ。

まあ、通っているとは言っても1年に1回か2回しか行かないんだけど。

これからもそこが営業している限りは通い続けると思う。

前回はちょうど一年空いてしまった。

まるで初めてのような顔をして施術を受けていたのだが、突然前に来た時のことが話題に出たのでビックリした。

私よりもうんと年上なのに記憶力が凄いんだな・・・。

しかも髪質や前回のカットの要望なんかも覚えていて感動した。

これがメモで残されているのならまだ分かる。

でもそのお店は記録的な物が何も無いので、本当に記憶だけで話していることが分かった。

これがプロと言うものなんだ。

そこで、私の髪の毛がバリバリになっていると指摘されて、

「シリコンの入っている物はどんどんバリバリになるよ」

と教えてもらった。

確かに年を追うごとに髪が硬くなっていっている気がしていたのだが、ただ単に体調による変化なのだと思い込んでいた。

それがシャンプーのせいだと分かり、さっそく替えることにした。

口コミなんかも調べて成分や匂い、使い心地なども念入りに調査。

これならば、ということで取り入れたのが『ひまわりシャンプー』だった。


広がる髪をまとめる HIMAWARIシャンプー!

まず値段が手頃なのが気に入った。

それに加え、一番の悩みである髪の広がりを抑えられることが決め手となった。

コンディショナーも一緒に購入し、しばらく観察してみると・・・。

私の方は予想通り、良い感じ。

翌朝しっとりとまとまるので、出社前に苦労して整える必要が無くなった。

ただ、子どもの方に問題が・・・。

使い始めてから数日後に『痒い』と言い始め、頭皮を見たら赤い湿疹ができていた。

このタイミングで急に出たということはシャンプーの可能性が濃厚。

それ以上使わせるのが怖くなり、急いで別の物に替えました。

ちなみに、子どもはコンディショナーは使わないので、新たに調達したのはシャンプーだけ。


子どもと一緒に使える優しいシャンプー

最初のノンシリコンシャンプーは私目線で選んでしまった。

だから、子どもに合わないかもしれないなんて考えなかった。

その失敗を踏まえて今度は子どもに優しい『ma&me Latte』を選んだ。

ちなみに、こちらもお手頃価格です。


[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

クラシエ マー&ミー Latte シャンプー ポンプ 490ml
価格:880円(税込、送料別) (2024/12/19時点)


低刺激でお子さんや敏感肌の方でも◎

幸いなことに、Latteに替えてから子どもの皮膚はどんどん良くなった。

段々痒いと言わなくなり、赤みも目立たなくなっていった。

ただ、一度ダメージを受けたので一週間くらいはフケが出ていた。

あれ以上使い続けていたら皮膚がもっとダメージを負っていたかもしれない。

だから、早々に気づけて良かった。

このシャンプーはマイルドで低刺激なアミノ酸シャンプー。

小さな子どもでも安心して使えるというのがウリです。

うちの子のように傷んでしまった頭皮を回復させたい時にも向いている感じ。

ひまわりと違って質感は軽めで、柔らかな仕上がりになるのも特徴の一つ。

保湿成分に牛乳由来成分のラクトフェリンと乳酸桿菌/乳発酵液を配合しているため、牛乳アレルギーの方は注意が必要です。

しばらく使い続けてどのような変化があるのか様子を見たいと思います。

2024年12月20日金曜日

またノートパソコンを買った元夫

新たな買い物をすると報告してくるのは何故

夫から連絡が来て、『ノートパソコンを買った』とのこと。

いつも一方的に連絡してくるが私からは返信していない。

反応すると長くなってしまうから、できるだけスルーしようと決めている。

せっかく買った物自慢をしたのに無反応なので面白くないと思ってるだろうな。

もし反応が欲しいのなら、本当は不満の一つでもぶつけたいところなんだよ。

実際はできないけど。

夫は数年前にもノートパソコンを購入している。

こういう物はどんどんスペックが上がって性能も向上していくから新しく欲しくなるのは分かる。

でもさ。

そんなに頻繁に買うってどうなのさ。

私たちと一緒に居た頃は仕事をしていなかった。

だから、欲しい物ができたら貯金を下ろして購入していた。

秘密主義の夫は自分の財産を明かさなかったから幾ら持っていたかは分からない。

でも少なくはないはずだ。

元々は結構稼いでいて浪費もしなかった。

しかも、最初の頃は共働きで必要経費は折半に近い形だった。

収入は夫の方がだいぶ多かったから家計費も多めに出してもらっていたが。

一人で出すよりはずいぶん負担は軽かったと思う。

その共働きの間にも貯められたと思うし、独身時代にも貯めたはず。

その後は夫が無職になり、私だけの稼ぎで生活しなければならなくなった。

途端に余裕が無くなり、お給料日から半月経った頃にはメニューにも迷うくらいになった。

本当に大変だった。

今夫は義実家で暮らしていて家賃がかからない。

仕事もしていると思うのだが、それも明かしてはくれず。

仕事をしているとしたら家に多少のお金を入れていてもかなり余裕があると思う。


お金も大事だけど・・・やっぱり愛情が欲しかった

ノートパソコンの件をスルーしていたら、また別のメッセージを送ってきた。

今度は【スニーカーを買いました】と画像付きで。

本当にパソコンとかスニーカーとか好きだよね。

どっちも安くはないだろうに。

それで『最近お金がかかる』なんて愚痴られたって何も言えないよ。

こんなのばっかり送ってきて何がしたいのだろうと夫の心情を想像してみたら・・・。

何となくだけど自分の方が余裕のある生活で幸せだとアピールしたいんじゃないかと思った。

元々人にマウントを取る癖がある。

それは外部の人に対してだったが、今は私も外部の人間なのだ。

だから、マウントを取ってお前の方が下だと分からせたい気持ちはあるかもしれない。

それと同時に、子どもの親権を取れなかったことも関係しているのかなと思った。

自分は余裕があるけどお前の方はカツカツだから子どもが可哀そう的な。

離婚時の話し合いで揉めた時、

「お前の稼ぎで子どもを幸せにできるの?」

と言われた。

この時夫は無職である。

働いてない人に言われたくないと思って、

「ちゃんと働いて食べさせていく覚悟はあるよ」

と言ったら、

「その程度の収入で」

と鼻で笑われた。

そんなに憐れむなら養育費をくれたら良いのに。

それは嫌なんだって。

「そういう形は取りたくないけど、別の形でなら支援するつもりはある」

と歯切れの悪い物言いで自分を正当化していた。

約束はしたくない、文書に残すのも嫌と言い続けていたので、結局何の取り決めも無いまま離婚してしまった。

家族3人の枠組みから夫だけが外れたような感じで、私から見ると何の痛手も負っていないように見えるのだが。

夫に言わせると『俺が一番の被害者』なのだと言う。

子どもを育てていくにはお金がかかる。

できればどんな形でも良いから協力してもらいたいと思っている。

ただ、子どもが欲しているのはそんなことではなかったはずだ。

一番欲しくて、望んでも望んでも手に入らなかったもの。

それは父親からの愛情だと思う。

2024年12月19日木曜日

あと約一週間、3千円で乗り切るには

残り3千円(汗)

衝撃的な事実をお知らせしなければなりません。

残り約一週間で、なんと残金3千円です。

テレビで見るような節約生活をしていれば何とかなるんじゃない?という気もしてきますが。

実際はあんなに上手いこと節約できないです。

やり繰りスキルに加えて料理スキルまで必要になるんですから。

今ある食材を最大限活用して、更に満足度も高めなければならないという・・・。

非常に厳しい戦いです。

しかも、来週にはクリスマスも控えてます。

ケーキは何とか確保できました。

一瞬『今年はもうクリスマスケーキは無しになるかな?』とも考えました。

でもそれを伝えたら子どもが物凄くショックを受けていて。

無しにするなんて言えなくなりました。

それでいざという時のお金を出動させたわけです。

ただ、それもいつまでももつわけではありません。

というか、諸々含めて残金3千円です。

この額で乗り切れる方法を今一生懸命考えています。

そもそもクリスマスチキンを買いたいなんてなったら残りは一気に減って約2千円です。

クリスマスをのぞくと1日あたり400円か~。

厳しいな。


レシピを考えた

クリスマスチキンは自分では作れないから購入するとして。

残りのメニューは節約のために総菜ではなく自分で作ることにしました。

何ができるかを考えてみたら、

・グラタン

・大根サラダ

・シーチキンの海苔巻き

という極めて質素な内容になりそうです。

グラタンの素は安売りしていた時に購入済み。

あとは家にある野菜と冷凍してあるチキンを投入すればOK。

大根とおかか、ドレッシングもある。

海苔巻き用の海苔とシーチキンもストックがあるので、このメニューなら新たに買い足すのはキュウリくらいになります。

できればクリスマスチキンとキュウリで千円以内に収めたいな。

うちの子は豪華な食事でなくても楽しめるタイプの子だから、その辺は助かってます。

ただ、そうは言っても楽しい思い出を作ってあげたい。

今できる範囲のことで喜ばせたいんです。

ちなみに、クリスマスプレゼントはボーナス後でも良いか聞いたら『良いよ~』とのお返事。

なので、今月末のボーナスを待って何か買ってあげたいと思います。

遅くなった分、ちょっとだけ奮発しちゃおうかな。

本当は欲しいものがたくさんあるはずなのですが、あまり言わないわが子。

遠慮してるのかもしれません。

子どもに遠慮なんてさせるのも違うと思うので、もっと頑張ります!

2024年12月18日水曜日

年末が来るのが怖かった

一緒に居る時間が長くなると辛い

私は別に仕事大好き人間ではない。

むしろ、暇さえあればゴロゴロしていたいタイプだ。

だから、たまの休みなんかは人から見れば『もったいないな~』と思われてしまうような過ごし方をしている。

確かに有意義に過ごせては居ないけど、こういう時間も意外と幸せなんだよ。

今はこんな感じてまったりと過ごしていて、呑気な人に見えると思う。

でも、前は家に居る時間が一番の地獄だった。

特に年末はとても怖かった。

夫は頻繁にキレる人だったので、一緒に居る時には常に気が張っていた。

怒らせてはいけない。

失敗してはいけない。

不機嫌にならないように注意しなくちゃ。

いつもそんな感じで夫の機嫌優先で過ごしていた。

その影響なのか、あの頃自分がどのような意思を持っていたのかを上手く思い出せない。

ただひたすら夫の怒りを回避することだけを考える生活だった。

短い時間なら気を付ければ無事に過ごすこともできる。

ただ、長い休みになるとどうしても怒らせてしまうことが多かった。

特に機嫌が悪くなるのが年末だった。

周りは年の瀬で忙しなくしながらもどこか活気があって楽しそうなのに。

我が家は正反対だった。

楽しそうにしている人を見ると夫はイライラすることがあったので、それも影響したと思う。

でも、そんなことでイライラされたら一緒に居る私たちはたまったもんじゃない。

いつも意味不明な不機嫌に振り回されるこっちの身にもなって欲しい。

そう言いたくても家の中で夫は王様だったので二人とも言いたいことを飲み込んで従った。


冬休みが始まるとカウントダウン開始

冬休みが始まると、私たちはカウントダウンした。

お正月まで何日とか。

あと何日お休みがあるかとか。

そんな前向きな理由からではない。

この地獄のような日があとどれくらい続くのかを無意識のうちに数えていた。

始まったばかりの時には『あ~まだまだある、長いな~』と気落ちした。

子どもが小さいうちは、頻繁に

「いま、なんにち?」

と聞いてきた。

答えたところで多分あまり分かっては居ないんだけど。

もうすぐ終わるという目標みたいなものが欲しかったのだろう。

私だって『あと○日我慢すれば終わる』と考えなければやっていられなかった。

それくらい辛く苦しい時間だったのに、夫の方は休みに入ると上機嫌だった。

ただ、その上機嫌もすぐに終わる。

いつも日中は誰にも邪魔されずに自由に過ごしているのに冬休みにはそれができない。

自由を奪われたことでストレスを感じたのか、翌日にはイライラし始めた。

夫は自分で自分の機嫌を取ることができない人。

だから日を追うごとにどんどんイライラは悪化していく。

そしてついに我慢ができなくなり、怒鳴ったり物を投げたり子どもを叩いたりした。

物が投げられた時は私や子どもをかすめそうになったこともある。

時には本当に当たってしまうこともあった。

本当は夫も当てるつもりではなく脅そうとしただけなのかもしれない。

もしそうだとしても許されないことだ。

だって、こんなにすれすれの場所に投げてるんだから当たっても良いと思ってたんだよね。

何を言われても何をされても反抗的な態度を取ってはダメで。

指摘されたら謝らなければならなくて。

『同じ間違いを二度とするな』と言われた。

そんなこと言われたって私たちには分からなかったんだよ。

何も悪いことをしてないのに、どうして怒られるのか。

何が間違ってるのか。

本当に分からなくて、そんなことも分からないから怒られるんだと自分を責めた。

2024年12月17日火曜日

夫の具合が悪くなったのは風水のせい?!

何か理由が欲しかった

夫の具合が悪くなったり仕事を辞めてしまった時。

最初はただ単に疲れているだけだと思っていた。

少し経てば大丈夫。

また元通りの生活に戻れる。

そんな風に軽く考えていた。

今思えばずい分楽観的だったと思う。

だけど私の予想に反し、状況が変わらないまま時間だけが過ぎていった。

そして、とうとう無職期間が1年を超えた。

その間、自分の稼ぎだけで生活するのが心細くて仕方が無かったな。

これまでずっと働いてきたし、仕事をすること自体は良いのだけれど。

どう考えても収入が足りない。

だから、副業もしないといけないかな、と覚悟した。

とりあえずすぐにできる事として節約に努めることに。

ただ、節約といっても元々贅沢をしていたわけではない。

余分な出費などはほとんどなかったので、切り詰められるところも少なかった。

頑張って頑張って節約してもギリギリの生活。

段々と焦りは苦悩へと変わっていった。

こういう苦しい時に家族で助け合いながら頑張ることができたのなら、まだ少しは違っていたと思う。

だけど、うちはそういうのが出来なかった。

夫は何を考えているのかが分からなくて、ちょっとしたことですぐにキレるし。

相談してもまるで他人事だった。

もうこのままでは家族が崩壊してしまう。

そう思ってできることはやろうと決めた。

夫はと言うと『お前が頑張れば良いんじゃない?』というスタンスで話にならない。

ちょっとモラハラっぽいところがあるとは思ってたけど、ここまで酷いとは・・・。

こんなに頑張っているのに共感してもらえないなんて。

夫はどこか可笑しいんじゃないかと思った。

それで、何か理由を付けたくて『目に見えない何か』を原因にしようとした。

今思うと本当にバカだったなと思う。

でも、必死でそう考えようとしてしまう位に夫のことを信じたい気持ちが強かった。


風水に凝り過ぎて強迫観念のような感じに・・・

こんな風になってしまったのは風水が悪いんじゃないかと考えたことがあった。

今は簡単に調べることができるし、どんどん情報が集まる。

だから、私も暇さえあれば情報収集に勤しんだ。

こういう時って一度始めたらどんどんハマってしまうものなのかもしれない。

知れば知るほど気になる所が出てきてしまい、色んな所をいじった。

そのうち新しい情報を入手しては我が家をチェックするようになり。

あれが悪いこれが悪いと原因探しをする日々。

こうなると半ば強迫観念のような感じで、直さずにはいられなくなる。

しかも、それで状況が改善されないとまだ悪い所があるのだと考えてしまう始末。

しまいには、あらゆることが風水縛りになった。

風水的にはそれは良くないから止めておこう、みたいな。

何でもそれで決めるものだから、段々と精神的に窮屈になった。

それでも、今やってることは正しいんだからもう少し続けなければと思った。

一度ハマり出したら、もう自ら止めようと思えるようになるまでは底なし沼だ。

薄々はこんなの可笑しいと感じているのに止められない。

すがりたい気持ちがある間は結局止められなかった。

そんなにどっぷりとハマっていたのに何故止められたのかというと・・・。

どん底を経験して絶望したからだ。

普通は絶望したら更に執着しそうに思えるのだが。

私の場合には、ここまでやってるのに効果が無いってことは風水にも見捨てられたんだと思った。

もう誰も助けてくれない。

どうにもならない。

そういう気持ちから多少の自暴自棄の期間を経てスッパリと風水を止めた。

今でもどうしようもなくなった時に何かにすがりたいと思うことがある。

でも、最後は自分次第だということも分かっている。

だから藻掻けるだけ藻掻いて、あとは『どうにでもなれ』と思うようにしている。

2024年12月16日月曜日

いざという時のお金を出動させてケーキを予約

家計のピンチを救う『いざという時のためのお金』

私は自分のやりくりに自信がない。

だから、いざという時のお金を用意している。

ただ、その『いざ』が頻繁に起こるものだから困っている。

普通は滅多にないから『いざという時のお金』なんだろうけど。

私の場合には、あのお金があったなといつも頭の片隅にあるので。

何とかなると考えてしまうのが問題なんだと思う。

今回は、本当にそのお金に助けられた。

子どもがクリスマスケーキの話題を出してきた時、正直焦ってしまった。

ただでさえカツカツで足りなくなる感じだったのに、その上更にクリスマスケーキなんて・・・!

スッカリ忘れていた私が悪いのだが、頭の中はプチパニックだった。

でも、それを表に出してしまうと子どもが遠慮して

「今年はケーキはいいよ」

なんて言い出してしまうから、物凄く普通な感じで

「そうだったねー。そろそろ予約しなくちゃ売り切れちゃうねー。」

なんて答えた。

それで、どういうのが良い?とか色々話してて。

子どもの嬉しそうな顔を見て、こういう時のためのお金なのだと思った。

家計は大変でも、子どもが喜んでいるのを見るのが嬉しい。

美味しい物とかきれいな物、楽しいこと。

そういう経験をした時の子どもの目は輝いている。

シングル家庭は色んな経験をしていないから、それが将来的に影響を及ぼすらしい。

もしそうだとしたら子どもには本当に申し訳ない。

せめて大きなハンデにならないように、できる限りのことをしてあげたいと思う。


夫に「ケーキ代が無い」と訴えたが無関心

ちょうど元夫から連絡があった。

もしかしたら、子どものためなら出してくれるかなと思って

「クリスマスケーキを買いたいけどお金がない」

と伝えた。

そうしたら、全く関心のない感じで

「ふーん」

と受け流された。

子どもに会いたいという割には、これっぽっちも関心を示さない。

愛情があって会いたいんじゃないんだよね。

ただ単に一人ぼっちの自分が可哀そうで会いたがっているんだよね。

予想通りと言えば予想取りだったが、この反応にはがっかりした。

だから、ちょっと意地悪なことを言った。

「子どもに会いたい割には、ケーキも買えないと言ってるのに助けようとは思わないんだね」

と嫌味っぽく言った。

通常の夫なら怒るところだが、この時は何故かちょっとバツが悪そうに

「今金欠なんだよね。年末に色々買っちゃって」

と言い訳をした。

相変わらず色々買ってるんだ・・・。

聞きもしないから分からないけど、その言い方だと働いてるなと感じた。

私たちと一緒の頃はずっと無職だったが、実家に帰った後は仕事をしていた。

最初の仕事は確か辞めてしまい、その後また探していたはずだ。

最初の仕事の時にお給料を結構もらってて、そのお金で買ったものを自慢された。

そんなに余裕があるなら、もしかして養育費をもらえるかな?と期待したけどダメだった。

その話になるとのらりくらりとかわされて、結局約束を取り付けることはできなかった。

どうせ仕事をしたって養育費をもらえないんだから。

それならどっちでも良いやと思って聞くのを止めた。

あの頃より私はずっと強くなった。

話すだけで心臓がドキドキして手が震えていたのが嘘みたいに。

もちろんまだ怖いし緊張感が走って声が震えてしまうこともある。

でも、以前だったらこんな嫌味を言うなんて考えられなかった。

それだけ成長してるってことなのかな。

2024年12月15日日曜日

モラハラ元夫から年末のお伺いがきたーーーーーー!

やっぱり連絡が来るのか・・・

今年は穏やかな年末だ。

このまま何事もなく終わるんだな。

なんて良い年なんだ!

呑気な私はもう夫からの連絡はしばらく無いだろうと思っていた。

だから安心しきっていたのに、急に連絡を寄越してきた。

お呼びでないことは自分でも分かっているだろうに。

どうしてこうも連絡をしてくるのでしょうね。

最初はクリスマスの話題を出してきて、

「(子ども)に欲しい物聞いといて」

と言ってきた。

はっきり言って子どもは父親からのプレゼントなんて欲しいと思っていない。

どんなに高額な物を贈られても、それを見たら父親のことを思い出してしまうから嫌なんだそうだ。

それほどまでに嫌われてるってことなのよ。

それなのに、欲しい物をあげれば好かれると思ってるんだから浅はかだ。

しかも、絶対に無理なのに

「プレゼントは直接渡したい」

と言い出した。

無理なものは無理なんだよ。

何度も説明したよね?

これまで私のことを『理解力が無い』などと散々馬鹿にしてきたくせに。

理解できてないのはどっちなのよ。

ハッキリとそう言いたいけど言えないジレンマ。

怒らせてうちに押しかけてきても大変😱だから、ちょっと言葉を濁しながら

「あなたからのプレゼントはまだ欲しいと思えないみたい」

と言うような感じのことを伝えた。

納得はしていないようだったが、この際それはどうでも良い。

わざわざ買ってきても受け取ってもらえないよ、というのを表せただけで十分だ。

あの人は無駄になるようなことはしないので、きっと買わないだろう。


年末も会えません

クリスマスのことだけで話が済めば良かったんだけど。

その後に年末のことにまで話題が及び、

「今年最後に会えるかな」

「無理なら年明けに会いたい」

「こんなに会えなかったら顔を忘れちゃうよ」

と言い始めた。

いやー、あなたはそんなめでたい時に会う相手では無いのよ。

実は離婚の時も面会のことで散々揉めて、その件で判を押してもらえないかもしれないという状況に陥った。

夫は毎週末に会いたいと言っていたのだが、私は基本的に会わせたくなかった。

虐待をしていたことを認めていないし、会えばきっと子どもを傷つけてしまうから。

そもそも反省していないというのが許せない。

ただ、やっと離婚できるという状況に陥っても夫は恐怖の対象であることに変わりはなかった。

だから、心の中では『子どもはあなたのことが大嫌いなのよ。一生会いたくないくらいに』なんて思っているのにハッキリと言えなかった。

それで上手く伝わらなくて、義両親が

「じゃあ中間を取って隔週というのはどうだろう」

と言った。

なぜ義両親が居たのかと言うと、夫が強く希望したからだ。

議論好きの夫が私の出した条件をのむとは思えなかったけど、何とか頑張ろうと思っていたのに。

まさか義両親まで呼ぶとは想定外だった。

私は両親に負担を掛けたくなくて、一人で話し合いに臨んだ。

つまり、一対三で話し合いをしたわけだ。

この時は本当に大変で、何か言おうとしても三人のうちの誰かが話をかぶせてきてなかなか意見を言うことができなかった。

言いたい放題の夫や義両親に対して、彼らの言い分を聞くばかりの私。

劣勢ではあったけど、最後まで首を縦に振らず。

結局、『子どもが会いたい』と言ったら会えるということになった。

この約束は絶対に守ってもらうつもりなので、今回も会うことはできない。

子どもは『一生会いたくない』と言っているんだから。

2024年12月14日土曜日

義両親からの年賀状

離婚後の義両親との交流は必要なのか

離婚後にどこまで義両親との交流を続けるのか。

これは多くの人が頭を悩ませる問題だと思う。

それまでの関係性によっても変わってくるが、元夫とどのような経緯で離婚に至ったのかも重要だ。

我が家の場合には元夫がモラハラ虐待男だった。

だから、本来なら一切の関わりを絶ちたいところだ。

連絡をされても困るし、復縁を希望されてもこたえられない。

正直なところ、永遠に関わらないので良いのならそうしたいくらい。

でも、元夫とはそうでも義両親のことは別に考えなければならないのかな?と思うこともある。

義両親にとってはうちの子が唯一の孫でお義兄さんに子どもは居ない。

そうすると、私たちとの関係が途絶えたら孫との交流もゼロになってしまう。

そう考えた時、可哀そうだと感じてしまった。

振り返ってみると結婚生活の中でお世話になったなぁ~と思うこともある。

だから、バサッと断ち切れなかった。

多分むこうもそういう気持ちを察していた。

それで、細々とした連絡を入れてきた。

時々は子どもの好きそうなお菓子も届いた。

もらえば子どもは喜ぶし、我が家のお菓子代も節約になる。

だから有難いんだよ、実際。

特に家計がピンチの時にはお菓子を買うのも躊躇してしまうから、もらい物がある時には非常に助かる。

有難いと思う反面、そんな気遣いに対して何だか申し訳なく感じることもあった。

まるで相手の厚意を搾取しているみたい。

『相手がそうしたいというのならやってもらえば良いじゃない』

という人も居る。

だけど、何気ないやり取りを通して義両親は希望を見出してしまう。

この先ずっと孫と交流を続けられる。

もしかしたら家族としての関係も続けられるのではないか。

そんな希望を抱かせてしまうのだとしたら、やはり関係は断ち切らなければならない。

だって、義両親との関係が続いていたら元夫との縁が切れないのだから。


義両親からの年賀状に悩む

お菓子などの細々とした荷物が届くくらいなんだから年賀状が来るのも当然なのかな。

新年の挨拶という意味しかないのかもしれない。

そうだとしても、内心は複雑だ。

文面には必ず【今年もよろしくね】と書かれていて、一向に関係性が薄まる気配がない。

よろしくって、って言われてもそもそも離婚してるからね。

元夫とは徐々にフェードアウトしていきたいのよ。

でも義両親と関わっていたら必然的に元夫との関係も続いてしまう。

それは絶対に嫌だから、年賀状から無くしていこうと考えた。

試しに向こうから来ていてもこちらからは出さないようにしよう。

本当は一言伝えて止めれば良いんだろうけど納得するような人たちではないから。

そう考えて出すのを止めた。

しかし、届いてないと勘違いしたのか時間差で二枚送ってきた。

伝わらないな・・・。

こんな間接的な方法は無意味だと分かったけれど、直接言う勇気もない。

元夫はというと『うちの親の唯一の楽しみだから付き合ってやって』というスタンスだ。

離れたとは言え、こんな風に言われてしまうと反射的に従わなければと思ってしまう。

後から考えて、そんな義理は無いと気づくのだけど。

こんな自分も変えていきたくて、元夫の気配を感じない自由な環境を求めた。

断ち切らないと、いつまで経っても安心できないのよ。

いつ元夫が急に怒って家に押しかけてくるか分からない。

子どもを連れていかれるかもしれない。

テレビでよく耳にするような事件に発展するかもしれない。

そんな不安がとめどなく湧き出てきて、まだ心が解放されていないのだと実感した。


『いつか会えたらいいね』

年賀状にはもう一つ。

気になることが書いてあった。

【いつか会えたらいいですね】という言葉だった。

いえいえ、会うことはできませんよ。

だって会うことになったら絶対に元夫が着いてきちゃうじゃない。

コッソリなんて無理無理。

そういう気配を察知する特殊能力かなんかを持ってるんじゃないかと思うくらい鋭い人なんだから。

これには明確に否定したかったが。

否定された義両親が元夫に泣きついたら大変なことになるので止めた。

自分から事件を起こすようなことはしたくない。

元夫のことを考えると拒絶反応が物凄くて思考がストップしてしまうため、自力で解決するのが難しい。

そこで何人かの人に相談してみたのだが・・・。

ここはのらりくらりと交わしながら疎遠になっていくのが一番なんじゃないかという事になった。

確かに連絡を取り合わなくなれば段々と執着心も消えていくだろう。

問題は一方的に連絡を送り続けてくることだ。

無反応を貫いてもどんどん送ってくる。

相手の反応なんかお構い無しなあたりが、元夫とよく似ていると思う。

特にお義父さんは元夫と似ているなーと感じる部分がたくさんある。

『会いたい』という言葉をスルーしていたら、荷物に入っていた手紙にこう書かれていた。

私たちが言わなければ気づかないから大丈夫。

日時を指定してくれれば二人だけで会いに行きます。

お義母さんも会いたがってますよ。

読んだ瞬間、ゾッとした。

何でそうなるの。

だてにあのモンスターを生み出してないわ。

2024年12月13日金曜日

我が家では時々不思議なことが起こる

キッチンで洗い物をしていたら・・・

我が家では時々不思議なことが起こる。

給湯器からあり得ない音声が聞こえたり、消したはずのテレビがついていたこともあった。

ある時、キッチンで洗い物をしていたらまた不思議なことがあった。

我が家のキッチンの蛍光灯は古いタイプの物で。

電気を点けたり消したりする時の紐は金属のチェーンタイプになっている。

このチェーンがとても長いので、洗い物をするのに邪魔になる。

それで軽く括って短くしておいたのだが・・・。

金属という性質のためか、すぐに解けて元に戻ってしまっていた。

何度も解けるものだから色々工夫してみた。

試行錯誤を繰り返しているうちに、やっと解けない状態にできた。

入居から一か月以内にはその状態になっていて、その後数年間一度も解けていなかった。

あまりにも強固に括ってしまったので退去する時には元に戻せないと思ったほどだ。

これを今すぐ解けと言われたら絶対にできないな、なんて考えていたのに。

洗い物をしていたら急に解けて長い状態に戻った。

これが、その瞬間を見ていなければ『段々と緩んできていたんじゃないの?』と思えるけど。

直前にきっちり結んであるのを確認している。

しかも、解ける瞬間まで見てしまった!

その時、紐があり得ない動きをしていて目が釘付けになった。

驚きのあまり声も出ず、ただ息をのんでじっと見ていたら、まるで人が解いているかのような動きを見せて解けてしまった。

あれには本当に驚いたな・・・。

長いと邪魔だからもう一度結びたいのだが。

何となく怖くて今でも結べていない。

いっそのこと違う紐に変えてしまおうか、とも考えている。

あれから洗い物をするたびに気になって、ふと見てしまう。

でも、あんなおかしな動きをしたのは後にも先にもあの時だけだった。


風も無いのにカレンダーが揺れる

他にも不思議なことは多々ある。

例えば、リビングに画びょうでとめてあるカレンダーが風もないのに動くことがある。

軽くならまだ分かるが、ゆさゆさと大きく揺れることがある。

地震も無いし、隙間風も入ってきていない。

試しに顔や手、ティッシュなんかで確認してみたけど無風なんだわ。

このカレンダーは筒状になって売られていた物なので、最初は端の方が少し丸まっていた。

裏側に丸めてみても手で伸ばしても丸まってしまうので、重い本を重しにしてしばらく放置していた。

それでほぼまっすぐの状態になり、やっと壁にかけたのだが。

それから10か月が経過した頃、不思議な現象が起きた。

かけているうちに段々とまっすぐになっていったカレンダー。

秋ごろには筒状に売られていたとは思えないくらいの状態になっていたのに。

ある夜、突然異変が起きた。

テレビを見ていたら聞こえてくるツツツーと壁をなぞるような音。

ふと音の方向に目をやるとカレンダーのかけてある場所だった。

この時、最初の頃のように下の方がまた丸まっていた。

でも、湿度とか室内環境の問題かな?と思って気にも留めなかった。

それから一週間くらい経った頃に再びツツツーという音が鳴った。

前回も聞いているので、『またカレンダーか』と思いながら確認。

やっぱりカレンダーが壁に触っている状態で。

下の方が壁をなぞるように持ち上がっていっていた。

・・・と、それだけなら良かったのだが。

急に手で伸ばしたように真っすぐになった!

いや、これはもう人の手でやらないとこんな動きにはならないでしょ。

驚いて凝視していたら、一度ピンと真っすぐになった後再びクルンと丸まった。

こんな感じで、家の中の物が不思議な動きをすることがある。

世の中には科学では説明のつかないこともあるらしいから。

これらの件も理由なんて見つからないのかもしれない。

ただ、怖がりなので怖いのだけは止めて欲しいなぁ~。

2024年12月12日木曜日

気分次第で言うことがコロコロ変わるモラハラ夫

ある年のクリスマスの話

我が家にはクリスマスネタがたくさんある。

もちろん良い話ではない。

モラハラ夫が無茶を言って迷惑を被った話ばかりだ。

ある年のクリスマス、例のごとくつまらない理由で怒った夫が

「今年のクリスマスはやらないでいい!」

と怒鳴った。

いくら話し合って撤回してもらおうと試みてもどうせ人の話なんてきかないんだから。

子どもには可哀そうだけど今回は諦めようと思った。

こうなったら下手に期待させてはいけない。

そう考えて、だいぶ前から言い聞かせていた。

夫と違って聞き分けの良い子で、

「うん、分かった」

とすんなり納得してくれたのには本当にホッとした。

これで『何で』『どうして』となったら大変。

子どもを納得させるだけの理由も無いので、どう説明したら良いかが分からない。

それに、子どもが拗ねていたら、それを見た夫がまた怒り出すだろう。

自分がそういう状況を作り出しているくせに。

夫のしたことで機嫌が悪くなったり不満を持つことは許さないんだよね。

何をされても機嫌良く明るく過ごさなければならない。

・・・まあ無理な話だよ、実際。

子どもも私も頑張ってそういう風に振舞ってはいたけど。

いつも息苦しくて逃げ出したかった。

だけど夫が怖くて身動きが取れなかった。

あの環境の中では他の人に相談する勇気も出ない。

それは、相談すること=夫の悪口だと認識していたからだ。

相談自体が”悪”だと思っていた。


急にクリスマス中止を撤回

その年は、もうクリスマスはやらないものだと考えていた。

保育園でお友だちが

「今年はね~、サンタさんに○○もらうの」

という話題を出すたびに心が苦しくなった。

普通なら幼い子どもがそういう話を聞いたら『え~良いな~』となるはずなのに。

うちの子は黙って聞いていた。

それで、帰り道に二人で手をつなぎながら歩いている時に、

「ママ、サンタさん来年は来てくれるかな」

と言った。

それを聞いたら涙がじわーっと出てきて止まらなくなり、

「うん、そうだね。きっと来てくれるよ」

とこたえるのが精いっぱいで、子どもの方を見ることができなかった。

家庭内ではクリスマスの話題を極力避けながら過ごし、状況も変わらないままクリスマスイブを迎えた。

もうイブになると街も何だかウキウキと華やいだ感じになっていてイルミネーションが眩しい。

お店の外でもケーキが売られていたり、チキンの販売も見かけた。

そういうのを横目で見ながら保育園にお迎えに行き、その日ばかりは他のお母さん方とは挨拶もそこそこに退散した。

話をしたら絶対にクリスマスのことになってしまうから。

そうしたらまだ子どもが悲しい思いをしてしまうから。

この二日間を乗り切れば、やっとこの息苦しさから解放されると思った。

途中でスーパーに寄り、普段通りのご飯を用意をするために食材を調達。

その日は仕事がちょっと遅くなってしまったので、帰宅は7時近かった。

重い気持ちで玄関のドアを開け、『ただいま~』と声を掛けると夫はいつも通り不機嫌で。

「おせーよ」

とブツブツ言いながら、私の手元を見て何故かキレた。

「はっ?ケーキは?」

えっ、クリスマスケーキのこと?

驚いて

「買ってないよ」

とだけ答えたら、

「気が利かねーな!そういう時は黙って用意するもんだろ!」

と怒られた。

だって夫が今年はクリスマスをやらないと言ったんじゃないの。

それなのに何故用意してないことにキレられないといけないの?

驚くやら呆れるやらで呆然としてしまい、子どもの手を握ったまま玄関に立ち尽くした。


今から買ってこい!

仕事帰りに保育園にお迎えに行き、途中でスーパーに寄ってやっと帰宅したのに。

着いて早々夫が

「今からケーキを買ってこい」

と命令してきた。

もう本当に疲れていた。

子どもも私の服の端をちょいちょいと引っ張って小声で『もういいよ~』と言った。

今更クリスマスなんてやる気分じゃない。

だから、買いに行かなくて良いと二人とも思っていたのに。

何故か夫が急にやる気になっていて『今から買いに行け』と急かすものだから、妥協案として翌日に用意することを提案した。

でも納得してくれない。

クリスマスイブにこだわっているのか『明日では意味がない』と繰り返していた。

それならどうして直前まで反対していたの?

自分の気が変わったからと言って急に一度決めたことを覆すのは止めてよ。

いつもいつも振り回されることに本当にうんざりしていた。

だけど、ここで怒らせたら子どもにもしわ寄せがいく。

ただでさえ悲しい思いをしたのに、夫の気まぐれでまたしても嫌な思いをさせるなんて。

そんなの絶対にダメだと思って、渋々買いに出かけた。

疲れているであろう子どもに「一緒に行こう」と声をかけたらすぐに『うん』と頷いた。

帰宅したばかりなのにすぐにまた出かけることになったが。

子どもと二人でケーキを買いに行く道のりは心穏やかな時間だった。

2024年12月11日水曜日

夫に子どもと会わせないことを責める人

【父親の権利】なんて夫にあるのだろうか

知り合いと話している時。

夫と子どもを会わせているのか、という話になった。

もちろん会わせていない。

だって虐待してたんだから。

私たちが出て行きそうになってから急に『お前らのことが大事』なんて言われたって誰が信じられるだろう。

少なくとも私の心には響かなかった。

子どもだって、そう言われて喜ぶことは無かった。

むしろ嫌悪感をあらわにして父親を徹底的に避けた。

これまでしてきたことがしてきたことだから自業自得だと思う。

もう会えないかもしれないと思い始めてからの夫はよく泣いた。

泣けば私たちの決心が揺らいで離婚を取り下げると考えたのかもしれない。

あの人はいつも自分の思い通りにしてきたんだから。

離婚のことだって何とでもなると考えていたに違ない。

もしそうなら、その目論見はもろくも崩れ去った。

私の意思はとても固く、何を言われても揺らがなかった。

愛情はもう無かったので、その点は良かったのかな。

なまじ愛情があると後ろ髪を引かれる思いでなかなか断ち切れないのだと言う。

その点、私には既に愛情はなく、離れた後の生活には希望しかなかった。

ただ一つだけ。

同情のような感情には常に悩まされていて、あんなことをした夫なのに『一人になるのは可哀そう』と思ってしまった。

子どものことを考えたらこれ以上の選択はないことも分かっていた。

一番守りたいのは子どもだから、同情心を振り切って離婚を選択できた。


正論を振りかざして攻撃する人

夫に子どもを会わせてないと伝えたら、知人は急に怒ったような口調になった。

「それは父親側の権利なんじゃないの?!」

などと正論を振りかざし、まるで物凄く悪いことをしているかのように責められた。

確かに両方の親に子どもと会う権利がある。

でもそれって全てのケースで同じように当てはめるのは危険なのでは?

そう思ったけど反論もできなかった。

まさかよく知りもしない人に『子どもへの虐待があった』なんて言えやしない。

言ってしまったらそれこそ格好のネタを与えてしまうことになる。

だからこの場を収めることだけに徹しようと考えて、

「色々事情があるんだよ」

と終わらせようとした。

だけど相手もなかなかにしつこい。

普通なら『そうなんだ~』という感じで終わらせてくれると思うのだが。

何とかしてそれ以上の情報を引き出そうとしてきた。

それで段々とうんざりしてしまい、とうとう言ってしまった。

「父親に一生会いたくないと思うような子がいるってこと、想像したことある?!」

と。

珍しく(というか初めて?)私が怒ったものだから相手も慌てていた。

だって我慢できなかったんだもの。

子どもは父親と離れてから幸せに暮らしている。

もう怯える必要が無いから、屈託のない笑顔が戻った。

ここまでやっとたどり着いたという感じなのに。

その小さな幸せを否定されたような気持ちになってしまった。

自分でも驚くほどの憤りを感じていたのだが、その怒りはすぐにシューっと消えた。

帰宅後に幸せそうに笑う子どもを見ていたら、よく知りもしない人の意見なんてどうでも良くなった。

私たちはきっと大丈夫。

ここまで来たんだから、これからも乗り越えて行ける。

そう思わせてくれるような笑顔だった。

2024年12月10日火曜日

離婚の話題は噂話の格好の的に

離婚したことを周りに知られた時の思い

世の中には正論を振りかざして言葉の暴力で追いつめてくる人が居る。

そういう人物にまだ出会ったことがないという人はきっと幸せな人なのだと思う。

我が家は離婚していて、私が子どもを引き取った。

そこに至るまでには長い道のりがあり、人知れず苦悩も抱えていた。

だけど、そんな話は周りにはしないから。

気付いたらシングル家庭になっていたという感じなのだろう。

その事実を知った時、一部の人たちは興味津々で聞き出そうとしてきた。

そういう気配を察知して上手くかわしてきたのだけど・・・。

毎度毎度はかわせない。

それで、ある時つかまってしまって『離婚して子どもと二人になった』という事実を話してしまった。

こういう話題は、相手が胸に収めてくれると考えない方が良い。

物凄くできた人で相手の気持ちを労われるような人物なら話は別だが。

大抵は面白半分で聞いてくる。

だから、真実を知られてしまったらその後のことまで覚悟しなければならない。

私も『きっとこの話題がパーッと広がって色んな噂をされるんだろうな』と考えた。

それを良しとしている訳ではないが、仕方のない部分もある。

『内緒ね』なんて言ったって人の口に戸は立てられない。

もう噂になったらその時はその時だ、と腹をくくった。

一度知られてしまえば、もうバレるかもしれないとビクビクすることも無くなる。

そういう部分ではちょっとだけ気持ちが楽になった。

さー、これからどうなるのかな。

ちょっぴり清々しいような気持ちもありつつ。

やっぱり気がかりなのは子どものことだった。

その事でお友達に何か言われたらどうしようという不安が消えなかった。

まさか無いとは思うけど『あそこのお家の子とは遊んじゃだめよ』なんて言われたらどうしよう。

後から後からそんな不安が押し寄せてきて、伝えたことを後悔した。

子どもは既に色んな大変なことを乗り越えているのに、これ以上苦労をさせたくない。

そう思っても、やはり相手のあることだから。

私たちにできることはなくて、ただじっと周りの出方をうかがうだけだった。

その時の気持ちは・・・。

【なるようになれ!】と考えられる時もあれば【やっぱり言うんじゃなかった】と後悔する時もあり。

複雑な心情で数か月を過ごした。


「養育費は貰った方が良い」と言うけれど

これまでろくに話したこともない。

会えば何となく認識できるという程度の知り合い。

そんな人がなぜか離婚のことを詳しく聞きたがった。

本当は嫌だったけど断れない雰囲気に負けてしまった。

最初は心配そうな素振りで聞いてきて同情するような口調だったから少し気を許してしまったのも失敗だった

相手はどんどん深い内容まで踏み込んできて、

「それで養育費は貰ってるの?」

と唐突に聞いてきた。

まー気になるよね。

正直にもらっていないことを告げたら、

「それじゃあ生活が大変でしょう。面倒くさがらずに交渉しないとダメだよ」

とアドバイスされた。

我が家の場合は貰いたくても貰えない事情がある。

そもそも夫がモラハラDV虐待男だったので、離婚を承諾してもらうだけで精一杯だった。

それに加え、親権争いも勃発してしまい、現住所も知られている状態だ。

何が言いたいのかというと、色んな争いがあったが何とかこちらの要望通りに離婚することができた。

ただし、居場所が知られている状況なので下手なことはできない。

いつキレた夫が訪ねてくるかが分からないから。

住む所を変えられないのはもちろんお金の問題もある。

それに加え、子どもが転校したくないと言っていることや私の仕事の関係もあった。

しかも、引っ越す時には夫に伝えるという約束で離婚届に判を押してもらっていた。

だから、約束を反故にすることはできなかった。

身動きが取れないとはまさにこのこと。

あの時は離婚したい一心だったから他のことにまで気が回らなかった。

2024年12月9日月曜日

今月は既に家計がピンチ!

シングルマザーの家計を直撃する物価高

25日のお給料日までまだ半月以上もあるのに・・・。

今月は早くも家計がピンチです。

何でこんなことになったのかと言うと。

子どものお腹の調子が悪くてビオフェルミンを買いました。

小さいやつは割高なので、ちょうど安売りしていた540錠タイプを購入。

それに加え、私の靴が壊れ気味なのでブラックフライデーを利用して調達しました。

はい、必要経費です。

他にもちまちまと必要な物が出てきてしまい、気づいたらたった半月で1か月分の予算を使い切る勢いです。

ただ今非常に焦っております。

いざという時のお金に手を付けることになりそうですが。

こういう時、養育費を貰っていたら少しは楽なんだろうなーと思わずには居られません。

今頃、あの人はのうのうと自分のためだけにお金を使って楽しく暮らしているに違いない。

私だって子どもとの生活は楽しいし、夫と居た頃より何百万倍も幸せですが。

それでも『お金が足りない』という事態に陥るたびに、非協力的なあの人に薄暗い気持ちを抱きます。

と言っても、今さら関わるのも嫌なんですけどね。

同じように離婚していても、

「うちは養育費を結構もらってるんだー」

なんていう話を聞いてしまうと、どうしてこうも違うんだと思ってしまいます。

これはもう、相手の気持ち一つで変わってしまうんですよね。

現行の制度では『払いたくない』と思っている人は払わずに済む。

拒否すればどうにでもなるという状況を変えなければ、きっとこういうケースは減らないのでしょうね。

ただ、制度でがちがちに固めてしまうのも問題だと思っています。

そうすると若い人たちが結婚をリスクだと考えるようになるかもしれない。

ただでさえ低い出生率が更に低くなるかもしれません。

かと言って国に支援してもらうのも違うと思うし。

本当にどうしたら良いんでしょうね。


目下の悩みはクリスマスケース

目下の悩みはクリスマスケースをどう調達するかということです。

前から高かったけど、最近は更に高くなってる・・・。

これだけ高額なものをポンと買える状況には無いので、子どもに

「いくつかの味のカットケーキにしようか」

と提案してみました。

「うーん、分かった。良いよ」

と言っていましたが、内心はきっとホールケーキを楽しみにしていたと思います。

毎年クリスマスケーキのパンフレットをまじまじと眺めている子ども。

「今年はこんなのが良いなぁ」

などと呟いています。

他のことをしながらも『どれどれ?』と一緒に画像を見たりして。

どういうのが良いのかも大体把握しています。

今年はフルーツたっぷりのケーキが良いようで、ネットでも散々眺めてました。

スーパーでもクリスマスケーキのチラシを貰ってたし。

やっぱり欲しいんだよね。

金額にすると大体5千円と考えると、やっぱり高いなー。

いざという時のお金でケーキも買っちゃおうかな。

今この件でとても悩んでいて、できれば買ってあげたいなという方向に気持ちが傾いていますが。

なかなか決められない優柔不断な私です。

でも迷っているうちに予約が終わってしまった、なんてことにならないように早く決めなければなりません。

誰か私の背中を押してください・・・。

2024年12月8日日曜日

クリスマスも中止、子どもの楽しみを奪う夫

ペナルティばかり与える

夫は子どもにペナルティを与えるのが好きだった。

日々の生活には細かなルールがあり、それは全て夫の作ったマイルールだったのだが。

子どもや私にもそれを守るように強要した。

だけど、いつも同じようにいくわけではない。

突発的なことも起こるし、いつも通りにいかないこともある。

何か特別な事情があったら臨機応変に対応すれば良いのに夫は例外を認めなかった。

破ったことに対して【これでもか】という位に責めてきて、それだけでもかなり精神的にくるものがあった。

だが攻撃はそれだけでは終わらず、更にペナルティーが与えられた。

私に対しては、例えば夜PCをいじるのを禁止とかテレビを見てはいけないとか、そういうくだらないことばかり。

元々ほとんど自由のない生活だったので禁止できることも少なかったのだろう。

子どもに対しては、おもちゃで遊んだりDVDを観るのを禁止とかママと買い物に行ってはいけないとか。

こちらも基本的にはくだらないのだが、時には勉強量を増やすこともあった。

元々いっぱいいっぱいなのに、それに加えてペナルティ分が課されるなんて。

これではいくら従順な子どもでも参ってしまう。

小学生にもなっていない頃からそんな感じだったので、夫が怒った時には何を言われるだろうかと二人とも身構えた。

私たちに対して罰を与えるというからには自分にもさぞかし厳しいのだろうと思われるかもしれない。

だが、決してそんなことはない。

周りへのポーズとして自分を責めるような態度を取るが、実際に自身が不利益を被るような状況は作らない。

『俺はこんなに反省しているんだ』というアピールだけで終わっていた。

しかも、そのやり方がずるくて・・・。

わざわざ私の目の前で自分の足とか頭とかを拳で叩きながら

「あー!!!もう俺は本当にダメだ!!!」

と叫んでいた。

恐ろしいやら鬱陶しいやらで固まっているとチラチラこちらを見てきて、私が

「その件はもう良いんじゃない?」

と言うのを待っていた。

これだと夫が反省しているから私が許したような感じになってしまい、それ以上は追求できない。

いつもこの手で自分の件はうやむやに終わらせていた。


クリスマス時期のペナルティは・・・

子どもは保育園時代にはまだサンタさんを信じていた。

だから12月に入ると手紙を書いていた。

と言ってもまだ字が書けなかったので、子どもが言うことを代筆してあげた。

翌日ポストの前まで行き、いっしょに投函(するふり)。

本当に出したら大変だからね。

サンタさんにもお手紙を出したし、あとはケーキの予約をしなくちゃね。

そんな話をしながら帰った日。

夫が晩御飯の後に急にキレ出して、

「もうお前にはウンザリだ!」

と叫び出した。

こうなるともう止められない。

だから、二人ともただただじっとその様子を怯えながら見つめていた。

わざと何も言わないのではなく恐怖で声を発することができないのに。

夫はそれも気に入らない。

「何か言い訳してみろよ!」

と理不尽なことを言い始めて、子どもににじり寄った。

そんなことを言われたって、子どもだってどう答えたら良いか分からない。

普通は怒らないようなことで怒るんだから、実際のところ何がいけないのかも分かってない状況だ。

大人の私がそうなのだから、子どもなんてもっと分からないに違いない。

それなのに夫は

「分からないんなら分からせねーとな!」

とキレまくって、急に

「今年はもうクリスマスも無しだ!」

と宣言した。

「ケーキなんて買うなよ」

と私にも釘を刺し、ツリーを出す準備をしていたのにそのままゴミ袋に詰められた。

何も捨てることは無いだろうに、と思いながら悲しい気持ちでその片づけをしていたら、

「まさか捨てずに隠しておくつもりじゃねーだろーな」

とけん制してくる始末。

勿体ないけど、どうせ残しておこうとしたって見つけられて捨てられるんだから捨てますよ。

そう思いながらふと子どもの方に目をやったら、夫に背中を向けたままポロポロと涙をこぼしていた。

その日、朝起きた時から楽しみにしていたのに、また理不尽にも奪われてしまった。

その辛さが手に取るように分かり、夫への嫌悪感は増すばかりだった。

2024年12月7日土曜日

保育園時代最後の冬休みは算数のスパルタ特訓

朝起きたらまず勉強

保育園時代の最後の冬休みは勉強三昧だった。

朝起きたらまず勉強。

ご飯を食べる前に数十分ほど机に向かうことを夫が強要した。

強要したと言っても、直接そう伝えたわけではない。

これはいつものことなのだが、子どもがそうするように仕向けていた。

普段から、子どもがどれだけ出来損ないなのかというのをしつこく話題に出した。

それを聞いた子どもは『自分てダメなんだ』と思い込んだ。

そこで夫は

「パパがお勉強見てやるから」

と言って、まるで子どものためにわざわざやってくれているような雰囲気を作った。

それと同時に、朝起きたらすぐに

「今何をやるべきか分かる?」

と聞いて、無理やりにでも『勉強する』という言葉を引き出していた。

本人ははっきり言って勉強なんかしたくなかったと思う。

だけど、夫がそう仕向けるので仕方なく机に向かった。

子どもだから毎日同じ時間に起きられるわけではなく、たまには寝坊してしまうこともある。

そんな時は『自発的に勉強する子どもをサポートしている』という設定を忘れたかのように物凄い勢いで責めていた。

結局は自分の思い通りにならないと気が済まなかったのだと思う。

楽しいはずの冬休み。

しかも、まだ保育園児なのに。

毎朝ご飯前の学習を強要され、嫌な思い出がまた一つ増えた。


午後も勉強

朝ご飯を食べてからは自由時間だった。

多分、この時間帯には夫もやりたいことがあったのだと思う。

自由時間はおもちゃを出してきて遊んだり、DVDを観たりしていた。

そうこうしているうちにお昼になり、またご飯を食べる。

午後になり、お受験のない保育園児なら普通はまた遊ぶだろう。

でもうちの子はちょっと休憩したらまた勉強だった。

ちなみに、この時の学習時間はその日の出来に左右される。

夫が出した課題がなかなかできなければ長引くし、すぐにできれば早く終わる。

そうは言っても、小学生が解くような問題を出してくるので早く終わることはほとんど無かった。

長くなってくると子どもも段々と集中力が無くなり、イジイジしてくるのだが。

そうすると『終わらないのだ誰のせいだ?』とネチネチ責めた。

責められたってできないものはできない。

そもそも難しすぎるのだ。

夫は一体子どもに何を求めていたのだろう。

天才でも作り出すつもりだったのだろうか。

これだけはハッキリ言えるということがあり、夫は決して子どものためにやっていたわけではなかった。

優秀なお子さんのお父さんというポジションが欲しかっただけだと確信している。

それなのに、まるで子どものためを思ってやっているという感じだったので余計に質が悪かった。

『お前のためだ』と言われれば、子どもだって頑張らざるを得ない。

よく晴れた日には『暖かいしスーパーへの買い出しに連れて行こうかな』と思っても、やはり夫に阻止された。

「お前は邪魔ばかりする」

と言われた時には夫への嫌悪感が増した。

「こっちは勉強してるんだから一人で行ってこい」

と指示されても、これは絶対に目を離してはいけないと思っているので終わるのを待つしかない。

日によってはかなり遅くなり、買い出しに行けないこともあった。

でも、仕方がない。

二人きりにして子どもが叩かれたり蹴られたりするよりはマシだ。

結局買い物に行けなくて、あり合わせのメニューで済ませた日。

夫が不満を前面に出してきてブツブツと文句を言いながら食べていたが、気づかないフリをした。

夫がどう思おうがどうだって良い。

子どもを守るためには目を離すわけにはいかないのだから。


理系に進ませたい夫

勉強と言っても、やっていたのは算数ばかりだった。

夫は理系信奉者だったので、文系に進んだ時点で子どもは見捨てられるんだろうなと思った。

まあ、その前にこちらから夫を見捨てたわけだが・・・。

毎日毎日算数ばかりやらされて、子どももさぞかし嫌だったことだろう。

「他の教科も教えたら」

と言ってみたこともあるのだが、

「文字も読めねーのに意味が無いだろ!」

と怒られた。

それなら尚更文字くらいは書けるようにしないとマズイと思わないのだろうか。

通っていた保育園では勉強は教えなかったので、それぞれのご家庭で準備を進めていた。

だから、やっていないお家では本当に何の準備もしていない状態だった。

私も忙しくてついつい後回しにしてしまったことを反省している。

子どもは小学校入学直前まで自分の名前も書けなかったので、3月頃は本当に焦っていた。

だけど、この頃の子どもって吸収力も凄いから何とかなるものなんだよね。

入学する頃には平仮名と名前の漢字は何とか書けるようになり、絵本も自分で読めるようになった。

このように国語に関しては一切教えてくれず、ひたすら算数に固執していた夫。

保育園時代に九九をマスターさせ、つるかめ算なんかも教えていた。

ちなみに、子どもはこの頃からどんどん勉強が嫌いになった。

無理強いするとネガティブな印象を持つようになり、身に付かないみたいだ。

入学してから数年は夫と一緒に居たため、その間の成績は惨憺たるものだった。

それを許せない夫は子どもを執拗に責め、教育虐待はエスカレートしていった。

2024年12月6日金曜日

年末のおせち料理も買えなかった我が家

実家に帰れない

何やかやと妨害にあって実家に帰省できなかった時、夫は

「年末年始ぐらい家族で過ごすべきだ」

ともっともらしく言った。

こんな言い方、まるで普段は一緒に居ないみたいじゃないの?

実際は365日ほぼ一緒に居て、常に私たちを監視している。

たまに息抜きできるのは夫が不在の時くらい。

友だちと飲みに行く、ライブに出かける。

そういう時にはやっと羽を伸ばすことができた。

義両親は息子が働けないことを気にしてか、よく顔を出して差し入れもしてくれた。

日々の生活は確かにカツカツだったので本当に有難かった。

週に2回程度の頻度で来ていた義両親。

年の割に元気な方たちで趣味は早朝のジョギングや散歩という若々しさ!

時々体調を崩す息子を見に来ることも大変ではなかったようだ。

こんなに頻繁に義両親には会ってるし、実家には滅多に帰省できないし。

年末年始くらいは実家に帰っても良いと思った。

でも、夫は猛烈な不満をぶつけてきた。

いつ具合が悪くなるか分からない俺を置いて自分たちだけ帰省するのは冷たい、と言われた。

他にも、このタイミングで実家に帰る必要はあるのか、とか。

義両親だって子どもに会いたいんだ、とか。

夫のご飯や洗濯はどうするの、とか。

そんなお金があるなら他のことに使え、とか。

よくもまあ、こんなに出てくるなと呆れてしまった。

そんなに文句を言うのなら自分の実家に帰れば良いじゃないの。

電車に乗れば割とすぐに着くし、アクセスだって悪くない。

もし一人で行くのが億劫だったら義両親が迎えに来てくれるはずだ。

それに、義両親も子どもに会いたいんだと言われても毎週会っているではないか。

難癖としか言えないレベルようなことを延々と言い続ける夫はもう話の通じる相手ではなかった。

ここで強行する勇気があれば違ったのかもしれない。

でも私には、できなかった。

それで結局帰省せずに家に残ることを選択した。


何も分からずお出かけの準備をする子ども

保育園のお友だちから、

「年末は遠くのおじいちゃんやおばあちゃんのお家に行くんだよ」

という話を聞いてきた子ども。

そう言えば前に行ったな、と思い出したようで・・・。

うちもまた会いに行くものだと勝手に思い込んでしまった。

夕食の準備をしていた時、ふと目をやったら居間の片隅でゴソゴソしている姿を発見。

何をしているのかな?と思って名前を呼んだが気づかない。

多分一生懸命用意していて気付かなかったのだと思う。

それで近くに寄っていき、すぐに分かった。

小さなリュックに自分のお着替えを詰めていた。

お気に入りの洋服や下着が無造作に詰め込まれていて中はぐちゃぐちゃ(笑)

おもちゃまで入っていた(笑)

でも本人は自分で用意したという満足感があったみたいで、

「すごいでしょ!」

と満面の笑みだった。

「うん、すごいね」

と言いながら迷った。

だって、おじいちゃん家には行けないことが決定してしまったから。

どう伝えてもガッカリするだろうなーと考えてしまった。

でも、伝えないわけにもいかない。

ぬか喜びさせたままでは余計に可哀そうだとも思った。

それで、きちんと説明して納得してもらおうとしたのだが、夫が急に

「年末はどこにも行かねーぞ?!」

と怒鳴った。

子どもの顔を見ただけで物凄くショックを受けていることが分かった。

何でこんな言い方をするんだろう。

いつも夫から虐げられているから、安全で楽しいおじいちゃん家に行くのを楽しみにしていたのに。

こういう風に一瞬で希望を打ち砕くような言い方をする所が本当に嫌で受け入れられなかった。

この時、自分でも気づかないうちに嫌悪の表情を浮かべていたんだと思う。

夫が今度は私の方を攻撃してきて、

「はぁ?!お前何か不満でもあるの?!」

と詰め寄ってきた。


夫と過ごすブルーな年末年始

夫は自分の希望が叶って万々歳だったかもしれないが。

私たちにはブルーな年末年始になった。

料理を作る気力もわかない。

でも元気なフリをした。

そうしないとまた夫の機嫌が悪くなるし、家の中の空気も重くなるから。

子どもだって本当はショックを受けているのに、いつも通りに振舞っていた。

駄々をこねたって結果は変わらないことを知っていたのだ。

「パパの言うことが聞けないのか!」

と怒られることが分かっているのにわざわざ何か言うようなことはしない。

1週間以上も朝から晩まで夫と一緒に居るなんて、はっきり言って地獄だ。

何も考えたく無くなったが、嫌でも考えなければならないことも出てきた。

それはおせち料理のことだった。

スーパーに行けばお皿に並べるだけの物がたくさん売ってるし、作る場合でも売り場には材料が揃っている。

ただ、年末特別価格(?)とでもいうのか何もかもが高い!

それぞれの好みを考えて全て購入しようとすれば、かなり高額になる。

帰省しなくなったんだから交通費をそれに回せば良いのでは?と思われるかもしれないが。

元々普通電車でゆるりと行くつもりだった。

子どもは幼児なので無料だった。

つまり、想定していたのは大人一人分の電車代だ。

その額でおせち料理を用意することは難しく、お餅と海苔、蒲鉾、三つ葉、大根、鶏肉、焼き豚を買ったらオーバーしてしまった。

これってほとんどがお雑煮の材料だから、実質お雑煮と焼き豚だけのお正月になる。

それでも何も無いよりマシか・・・。

元旦の食卓に並んだ料理を見た時、夫が

「なんか寂しい正月だな」

とため息をついた。

この時にはさすがに沸々と怒りがこみあげてきたけど、無い袖は振れない。

実は義両親が差し入れしてくれようとしたのを知っている。

しかし、夫が断っていた。

「アイツ(私)が実家に帰れないから機嫌悪くてさ。受け取れねーから正月終わったら来てよ」

とまるで私が拒絶しているかのように伝えているのが聞こえた。

だから、多分義両親の中で私はすっかり悪者になっていた。

こういうことが頻繁に起きるので、どんどん肩身が狭くなった。

2024年12月5日木曜日

子どもに会いたいと言ってきても無視

モラハラ夫の執着

一緒に居た頃はあんなに子どもを虐めてたくせに。

離れた途端、『大事だ』と連呼していた。

いや、絶対にそんなはずはない。

大切な人をあれほど傷つけるなんてこと、あるはずがない。

そう伝えても、納得できない様子だった。

そもそも、夫には虐待した自覚が無い。

あれは教育だった、という言葉も本人的には嘘ではないのだと思う。

でも、常識から考えてあれは虐待だった。

日常生活や勉強のことに関して物凄いプレッシャーをかけていた。

元々優しい子なので、プレッシャーをかけられればかけられるほどそれに応えようとしてしまった。

それで追い詰められた。

言われても言われてもできなくて、また怒られる。

永遠にそんなことの繰り返しで、私が口を挟もうとしても一切聞き入れてもらえなかった。

『お前なんかに何が分かる!』

それが夫の口癖だ。

私のことはバカにしても良い。

でも、子どものことは虐めないで欲しかった。

子ども自身も気づかないうちにストレスによって正常な思考が阻害された。

次第に簡単な問題も解けなくなり、テストでは凡ミスが増えた。

書き取りも事前にこれでもかというほど勉強していくのに本番になるとできない。

それで夫が更に怒って

「お前みたいなのは人の何十倍も努力して初めて普通になれるんだ」

と子どもをなじった。

これが一度や二度ではない。

何度も繰り返されたこの言葉は、子どもの自尊心を深く傷つけた。

その結果、自己肯定感も低くなり『自分はダメな人間なんだ』と思い込むように・・・。

一度そう思ってしまうと考えを改めるのはなかなか難しい。

ポジティブな言葉を投げかけても『でも』とか『だって』と答えるばかり。

そんな子どもの意識を変えるために、日々前向きな言葉で接している。


会いたいと言われても

離れてから、夫は頻繁に連絡してきた。

一人離れて暮らすことになって寂しいのだという同情心もあったけど。

あまりにも回数が多い。

こう頻繁に連絡されるとやっぱりストレスになる。

だからやんわりと回数を減らしてもらえるように伝えたが、

「こっちは我慢してるんだ」

といつものごとく正当化された。

一度電話に出てしまうとなかなか切ってくれないこともストレスになった。

こちらが何をしていてもお構いなしで延々と自分の話をし続ける。

やっぱり人ってそう簡単には変わらないんだなぁと思った。

本当は迷惑だと感じていたけど、そんなことを言ったらまた怒るだろう。

怒ったら何をするか分からないから、できるだけ穏便に済ませようとした。

最初は私と普通に電話をしていても、少し経つと

「(子ども)は居る?」

と聞いてくるのもいつものことだ。

それで、

「居るけど?」

と答えると

「ちょっとだけ代って」

と言ってくる。

こんなに普通に電話を代って欲しいと言ってくる神経も理解できない。

子どもだってあなたと話したいはずがないじゃない。

本気でそれが分からないのなら、もう何を言っても無駄だと思った。

夫はしつこいので子どもに聞いてくれと何度も言われたが、確認することさえためらわれた。

だから、いつも色んな理由をつけて断った。

実際に子どもに聞いてみたこともあるが、その拒絶反応は凄かった。

直前までは穏やかな顔で楽しそうに遊んでいたのに、途端に顔が強張って無口になった。

ほらね。

こんなに嫌われてるんだよ。

私だって夫からの着信があると緊張から鼓動が早くなって手が震えてしまう。

呼吸が浅くなっているのが自分でも分かるし、声は震えていると思う。

子どもも同じみたいで、電話があるとおかしな呼吸になって肩で息をしていた。

異変に気付き、慌てて背中をさすったのだが、手の平に子どものドキドキが伝わってきた。

怖いんだよね。分かるよ。

ママだって怖くて本当は逃げ出したいんだ。

電話が来ると子どもがおかしくなることが多いので、『代って』と言われても確認するのは止めようと思った。

なるべく一人の時に出るようにして、目の前でのやり取りも控えた。

本当は私も出たくなかったのだが、全く出ないわけにもいかない。

連絡がつかないと実家にまで電話をするので、迷惑をかけないように時々は対応した。

2024年12月4日水曜日

真冬に裸足で放り出された子ども

帰ったら寒くて凍えていた

ある時、帰宅したら子どもが玄関の前でブルブル震えていた。

その姿を見た瞬間、『夫がやったんだな』と分かった。

怒った時に説教をする程度ならまだ良い。

酷い時には叩いたり蹴ったり、外に放り出すこともあった。

真冬の日も暮れる頃の外はかなり寒い。

上着を着ていてもなかなか温まらないくらいなのに、子どもはTシャツで出されていた。

思わず駆け寄って、自分の上着で包み込みながら

「大丈夫?!」

と声を掛けたら、玄関の方をチラチラ見ながら小声で

「大丈夫だよ」

と言った。

本当は大丈夫なんかじゃないはずだ。

でも、ここで騒ぐとまた夫が激怒するから大ごとにしたくなかったに違いない。

夫は自分が悪くても認めることのできない人だった。

常に『俺は悪くない』という体で通そうとするので、こういう時でも反省することはない。

どうせ聞いたって『アイツが悪い』の一点張りで、話をすることも拒絶するだろう。

肝心なことを話し合えないという致命的な問題を抱えていた我が家は、問題が起こった時も成す術が無かった。

この時もただ黙って子どもを玄関の中に入れて、夫の様子を用心深く確認しながらお風呂にいれるだけで精一杯だった。

もっと強気に出ることができれば良かったのだが。

もしそんなことをしたら、二人ともどうなるか分からない。

お風呂に入り温まって出てきた子どもは、いつも通り静かに遊び始めた。

煩くしたら怒られるから。

音を立てたら怒鳴られるから。

隅っこの方で静かに静かに囁くような声で遊んでいた。

それを見た夫は先ほどのことなど忘れたかのように

「おっ、この間買ったおもちゃで遊んでるのか」

と声をかけた。

こういうところが本当に理解できない。

自分が散々傷つけておいて、何も無かったように振舞える神経が分からない。

気分のアップダウンが激し過ぎるのも嫌だったが、急に態度が変わることにも驚かされることが多かった。

笑っていたと思ったら急に激怒したり、その逆もある。

山の天気のように急変する夫の機嫌を読むことは難しかったので、たびたび失敗していた。


落ち着いたタイミングを見計らって話をするも・・・

怒っている時には話しかけることができない。

カッカしている夫に話しかけたら訳の分からない攻撃を受けてしまうから。

タイミングを誤ってしまった時には、お仕置きのような辛い時間が待っていた。

何をしても無視される。

聞こえるように暴言を吐く。

ご飯を捨てられる。

わざと邪魔なところに寝そべって私たちの行動を制限する。

大きな物音を立てて脅す。

これらは目の前でされたら嫌だけど、最悪少し離れることができればある程度は回避できる。

でも、こういう鬱憤の晴らし方ではない時もあった。

よくあったのが説教だ。

『お前らが悪い』というのを分からせるためなのか延々と説教を続けた。

これがもう長くて、永遠に続くのではないかと思うくらいだった。

子どもも一緒に詰め寄られている時、正座しているので足がしびれてしまう。

それで途中で崩そうとして怒られたことも一度や二度ではない。

私は大人だから我慢できるし、上手く調節しながらしびれを少しでも和らげることができるけど、子どもはそんなことできない。

だから、もぞもぞと動き出して怒られることが多かった。

夜中まで説教が続いた時には私も疲れてしまい、もう話に集中できなかった。

朦朧としてきて『早く終われば良いのに』ということばかり考えた。

だが、夫が納得するまでは終わらない。

翌日に仕事があってもお構いなし。

翌朝、寝不足でふらふらしながら仕事に出かけようとしたら、夫が

「お前のせいで具合悪いわ」

と悪態をついていた。

でも、日中にたっぷりと昼寝していたことを私は知っている。

お前のせい、お前が悪いからだよというのを言いたかったんだと思う。

そうやって責めることでどんどん私の自由を奪っていった。

2024年12月3日火曜日

夫のことをサイコパスだと感じた瞬間

人への共感0

夫は人に共感することが無かった。

無かったというよりもできなかったというべきか。

例えば私が何かショックなことがあって近くでさめざめと泣いていたとする。

普通なら気になって『大丈夫?』などと声をかけると思う。

声をかけるのがためらわれる場合でも、気にして様子を見守るくらいはするはずだ。

中には誰かが泣いていたりするとどうしたら良いのかが分からず不機嫌になってしまう人もいるらしいが。

それはまあ、対応が分からないだけでちゃんと気にしている。

でも、夫の場合はまるでそんな人は居ないかのように振舞った。

付き合い始めの頃は、もっと同調したり慰めて欲しくて文句を言ったこともあったけど、無理なんだと悟った。

夫にしてみたら何故そんな必要があるのかが分からないんだから責めたって意味が無い。

平気で

「そんなことをして何になるの?僕にメリットはあるの?」

という人だ。

自分にメリットが無ければ、人に優しくすることもない。

心からの親切心というものは皆無で、それは妻や子どもに対しても同じだった。

一緒に暮らしているのに心が通じ合うなんてこともなくいつも一方通行だった我が家。

夫の中で私たちが家族という括りだったのかも分からない。

こんな人だけど、職場や友人内では恐ろしいほどのコミュニケーション能力を発揮した。

みんなが良い人だと思っていて『良い旦那さんで羨ましい』と言われたこともある。

言われた方は何の冗談かと思うけど、相手はそう信じて疑わないのだから驚いてしまう。

これは普段どれほど上手く騙しているのかの良い例だと思う。

ある意味家庭内では素を見せていたとも言える。

だから、サイコパスな夫の本性に気づいていたのも私たちだけ。

周りの人に見せる優しい顔の1万分の1でも良いから家族にも向けて欲しかった。


怒りをコントロールできない

夫の特徴として忘れてはならないのが【怒りをコントロールできない】ことだ。

義実家の壁には穴が開いているところがあったし、リビングテーブルの椅子は一脚壊れていた。

以前怒った時に蹴り壊してしまったらしい。

カーっとなると平気でそういうことができてしまう人なのだ。

その力が人に向かったらと考えると恐ろしい。

子どもが虐待されていた時、守るために私も必死だった。

あの力で殴られたら子どもはケガをしてしまう。

「これは教育だ」

なんて馬鹿なことを言うので呆れて

「そんな力で叩いたらケガをするよ!」

と言ったら不貞腐れてしまった。

怒りたいのはこっちだよ、と思いつつもちゃんと話し合おうと会話を試みたのだが、

「ケガしないように加減している」

という訳の分からない理由で正当化された。

あー言えばこう言うで本当に色んな言い訳を思いつく人だった。

しかも、頭の回転は速かったので言い争っても勝ち目が無かった。

それも夫がエスカレートした要因だと思っている。

怒っている時には、何を言っても聞き入れない頑固さもあった。

たとえ義両親が説得を試みても全く耳を貸さない。

俺が正しくて、お前らみんなが間違っている。

そう思っているから誰かの意見に耳を傾けることはないのだと思う。

だけど、対等な関係を構築することができず見下すことしかしないのに、なぜか人が集まってくる・・・。

何も知らなければ優秀で人好きのする人物に見えてしまうから不思議だ。

関係の浅い人たちにはこの良い印象を維持できても、深く付き合っていくうちに離れていく人もいた。

そんな中で、結構深い付き合いをしていた友人たちが何故長く続いていたのか。

それは今でも謎だ。


家族も友人も道具でしかない

一つだけ言えるのは、私や子ども、義両親は道具でしかなかったということだ。

友人もそうだった。

みんな夫に利用されていた。

所詮は目的を達成するための道具に過ぎないのだが、好意的に振舞うから誰も気づかない。

いつも自然に夫の望む状況が整えられていくだけだった。

利用価値が無くなったら容赦なく切り捨てるのもいつものことだ。

たとえそれが”親友”と呼ばれるような相手でも。

一瞬で評価が変わる夫は、直前まで褒めたたえていた相手を些細なことから嫌うこともあった。

一度嫌いになったら徹底的に痛めつけなければ気が済まないので、とことん追い詰めた。

ああいう人を敵に回したら精神的に深いダメージを負ってしまう。

だから、その兆候があれば距離を取って近づかないのが良いのだと思う。

結婚までしてしまった私は逃げるのが大変だった。

相手がどこまでも追ってくるような気がして常に怯えていた。

2024年12月2日月曜日

夫の面倒を見ている義両親が弱ったら・・・

近くに居る義両親が夫の支え

夫は私のことを信頼していなかった。

口では一番大事だと言っていたが、それは嘘だと思う。

もし本当に少しでもそういう気持ちがあったとしたら、言ってることとやっていることがまるでかみ合っていなかった。

義両親のことが大事だというのはまだ分かる。

私だって両親が大切だし、ずっと元気で居て欲しい。

だけど、夫の場合にはたまに会う友人の方が大事だったのだから、そもそも私は家のことを上手くまわすという目的以外では不要だったのかもしれない。

最初はショックも受けた。

でも、途中からはもう『そういうものなんだ』と悟った。

ずっと悩んでいるうちに諦めもついた。

そういう人を選んだのは私だ。

だから最後まで自分で責任を負わなければならないと覚悟した。

傍から見ても義両親に依存していることは明らかだったけど、それは環境的に許されたからという部分もある。

お義父さんもお義母さんも求められるままに色んなことをしてくれていた。

それは本当に有難いと思った。

私にはできないことばかりで、二人が居なかったらどうなっていたか分からない。

だけど、そんな様子を見ていてふと『二人が弱ってしまって頼めなくなったら・・・』と不安になることもあった。

どっぷり依存している夫が、これからは頼れないと急に言われてもどうしたら良いかが分からなくなるだろう。

私だって、その分を全てふられるのは困る。

同じようにはできないし、きっと私のやることには夫が納得しない。

そもそも金銭的な面では同じようにすることは到底不可能だ。

夫が欲しいものとか必要な物を購入する時、貯金を下ろすようなことはしなかった。

軽~い感じで義両親に言っておくと用意してくれることが多かった。

代わりに購入することができない場合にはお金をこっそり手渡していたのを知っている。

精神的な支えでもあった。

私のことを頼りないと感じていた夫は、重要な相談を義両親にしていた。

だから、不安なことや心配なことが出てきた時の対応にもすぐに困るようになる。

そういう色んなことを考えたら、義両親の存在はとても大きかった。

居なければこの絶妙なバランスが崩れて一気に家族が崩壊するかもしれないと思った。

それを二人も分かっていて、健康にはとても気を使っていたのを知っている。

何も無い時でも数日おきに連絡を取り、息子中心の生活を続けていた義両親。

それなのに最後は恩を仇で返すようなことになってしまい、本当に申し訳ないことをしてしまった。


不安が現実になった時に見えてきた問題

ずっと義両親が弱ってしまったらどうしようという不安を抱えていた。

だけど元気だったし、内心は大丈夫だろうとも思っていた。

しかし、ある日突然お義父さんの具合が悪くなった。

誰も代わりになる人が居なくてただワタワタと慌てるお義母さんやお義兄さん。

夫も例外では無かった。

いつもはあんなに親に対して文句を言っているのに、急に弱気になって『どうしよう』と言うばかりだった。

そんなにショックを受けるくらいなら、いつもちゃんと大事にしてあげてよ!

そんな気持ちで夫を見ていたのだが、この時ばかりは私の冷たい視線にも気づかず義実家のことで頭がいっぱいだったようだ。

とりあえずこれからのことを話し合おう、と言うことですぐにお義兄さんが号令をかけた。

連絡を受けた皆が義実家へ。

入院したら着替えなどを持っていかなければならないし、サインが必要な書類もあるだろう。

そういうのが無くても頻繁に様子を見に行って容態を確認する必要がある。

毎日のように代わる代わる病院に足を運ばなければならなかったので、交代制にしようということになった。

問題は私が仕事をしていて時間的に自由がきかないことだった。

有給は使えるけど、頻繁には無理だ。

お義兄さんはポジション的に自由がきくため何とでもなるという話だったので、私もできるだけ協力しなければと思った。

子どもは保育園に預ければ夕方までは見てもらえる。

だから、上手く仕事を調整しながら4日おきくらいに通えるようにしたいと考えた。

しかし、ここで問題が発生した。

お義兄さんや奥さんが急に自分たちの頻度は減らして欲しいと言い出した。

それで揉めてしまい、兄弟げんかに発展した。

それをぼんやりと眺めていてつくづくお義父さんが居ないとまとまらないんだなと実感した。

結局揉めに揉めてお義母さんも気を悪くしてしまい、

「もう私が毎日行くから良いわ!」

と怒ってしまった。

そりゃーそうだ。

こんな時に病院に通う頻度で言い争いをするなんて本当に情けない。

義実家から帰る時、お義母さんがこっそり私に

「今日はごめんなさいね。こんなゴタゴタに巻き込んでしまって」

と言ってきたのだが、一番傷ついてるのはお義母さんだと思って

「気にしないでください。できるだけ私も行きますから」

と答えた。

帰りの電車の中で、夫はとても不機嫌だった。

「お前がもっと上手く立ち回らないから」

となじられた時には本当にはらわたが煮えくり返るような思いだった。

どうしてこの人は相手のことを思いやれないのだろうか。

涙を流したりショックを受けたりするのは、いつも自分が傷ついた時だけだ。

改めて自分のことばかりなんだなぁと思ったら酷く落胆した。

もう夫には何も期待できないのだと再認識した出来事だった。

2024年12月1日日曜日

保育園時代の最後の冬休みは最悪だった

家に居場所が無い

保育園時代の最後の冬休みのことを今だに思い出すことがある。

本当に最悪の日々だった。

夫から理不尽に怒鳴られたり嫌がらせをされるのはいつものことだけど。

あの冬休みはいつも以上に追いつめられた。

私たちと四六時中一緒に居ることがストレスになったのかもしれないが悲しかった。

居るだけで嫌がらせをされるという現実。

これが家族に対してすることなのだろうかと夫のことがますます分からなくなった。

お休みの日でも、まずは朝起きてご飯の支度をする。

音を立てると夫が怒ることは分かっているから、できるだけ静かに準備した。

だけど、音なんて立てて無いのに夫は誰にともなく『うるせー!』と怒鳴っていた。

その声にビクつきながらも何とか支度を終えてテーブルに並べて、あとは皆がそろうのを待つだけになった。

「朝ごはんできたよ」

そう声を掛けると子どもはすぐに飛んでくる。

夫はのっそりと起き上がり、面倒くさそうに座ることが多かった。

その時の不機嫌オーラが物凄くて、むやみに話しかけてはいけないと思った。

これが一日だけ、たまたま機嫌が悪かったというのならまだ良い。

でも、そうではないから質が悪い。

冬休みの間中、ほぼ毎日こんな感じで心がすり減った。

『そんなに嫌なら食べなければ良いのに』とも思うのだが。

声を掛けないと余計に機嫌が悪くなるので本当に対応が難しかった。

お昼も同じような感じで、子どもの用事とか家のこととかやっていて少しでも遅れるとキレた。

いつでも自分中心だから、他の人のせいで予定通りに行かないことが許せなかったのだろう。

こんな息の詰まるような家で過ごすのは可哀そうだから、子どもを外に連れ出すこともあった。

公園とか買い物とか、時々は駅ビルにも行った。

家族だから顔を合わせるのは当然なのに、それすらも許されない生活を想像できるだろうか。

一番安心できるはずの家で寝るまで気を張って過ごさなければならなくて。

しかも、いつ怒られるかと常にビクビクしているのが当たり前の生活。

気の休まる時なんて一切無い。

いつも朝起きた瞬間から『早く寝る時間にならないかな』なんて考えた。

子どもも同じだったようで『はやく夜になって寝たい』と言っていた。

少しでも夫がそれに気づいてくれれば良いのだが、それも期待できない。

自分に対して他の人が気を遣うのが当たり前だと思っているのだから。

私や子どもが怒られて気落ちしていると『怒らせるお前らが悪い』と嫌味っぽく言うような人だった。

そんな人に起きている間中ずっと見張られていたのだから、心穏やかに過ごせるわけがない。

寝る時間だけが安らぎを感じられた。

布団を敷いて横になって目をつぶってからがやっと安心できる時間だ。

布団の中で子どもと手をつないで寝ることも多かった。

心が傷ついてもう何も考えれないところまで追い詰められている時。

子どもの手が命綱のように思えた。


保育園児に勉強を強要

冬休みはたっぷり時間がある。

朝ごはんを食べたらお昼までにまだ時間があるから、子どもはおもちゃを取り出して遊ぼうとした。

普段は保育園に通っていて土日しか日中に遊べないもんね。

こういうお休みの時くらい自由に遊びたいよね。

そう思いながら子どもの様子を見守っていたのだが、夫が急に

「それ、しまえ!」

と切れた。

その声に驚き、おもちゃを持ったまま固まる子ども。

「ちょっと!なんで急に怒るのよ!」

咄嗟に間に入ろうとしたら、夫が乱暴な感じで手でシッシッと私を追い払うようにしてきて

「お前は邪魔すんな!」

と威嚇した。

そして、

「ここに座れ!」

と子どもに命令して、目の前にドリルを出した。

子どもはまだ勉強になんて興味はない。

保育園のうちはそれで良いと思っていたので、夫が勉強を強制的にやらせることに反対していた。

でも私の言うことなんか一切聞いてくれなかった。

やってもいないうちから『出来損ない』のレッテルを貼って子どもの心を傷つけることも嫌だった。

「ちょっとくらいの努力じゃ使い物にならない」

という言葉の意味は子どもだって理解できる。

どうしてこの人は相手の心を抉るようなことばかり言うのだろうかと腹が立った。

そういう時の夫の顔はいつも以上に冷酷だ。

でも、反抗したら今にも手が出そうな雰囲気だから下手に動けない。

下手に動いて更に怒らせてしまい、手が付けられなくなることは避けたかった。

だから常に頭の中で色んなシミュレーションをして、どうしたら一番被害を少なくできるかを考えた。

正論では太刀打ちできない相手だから被害を減らすための方法を模索するしかなかったのだ。

お昼を食べた後も、夫の機嫌次第でまた勉強になる。

子どもに自由な時間は無いし、私が一緒に見ようとすると『邪魔だ』と言われた。

勉強中は思う存分スパルタするために私が居ない方が都合が良かったのかもしれない。

頻繁に「買い物に行けよ。足りない物あるんじゃないか?」

と出かけさせようともしていた。

でも、私が居なくなったらどんなことが起こるかは大体想像できるから意地でも行かなかった。

「勉強が終わったら子どもと一緒に行く」

と言って、その後夫が何を言ってきても反応せずに家のことをしながら様子を見守った。

虐待は二人きりになるとよりエスカレートする。

それをこの頃に段々分かってきたので、常に子どもの傍にいるようにしていた。

私たちが家を出た夜に夫が向かった場所

義父からの連絡を無視し続けた私たち あの日、私たちが家を出た後に真っ先に連絡をしてきたのはお義父さんだった。 お義父さんはいつも言う。 『帰ってきてくれないと、こっちも困っちゃうよ』と。 そう言いながら、私たちの苦しみからは目を反らし続けた。 どうにもできなかったのかもしれない。...