2025年10月28日火曜日

子どもの誕生日に大きな大きなぬいぐるみ

ネットで見て一目ぼれしたものをお迎え

子どもとネットを見ていた時、ある物に目が釘付けになった。

それは大きな大きなぬいぐるみだった。

人と一緒に映っていたので、それがどれほどの大きさなのか一目で分かった。

『これすごい!可愛い!』と思ったのは私だけでは無かったみたい。

子どももジーっと見て、

「良いな」

とポツリと呟いた。

その表情から『欲しいんだな』と感じたけどお値段が・・・。

後から一人でこっそり見返してみて、まずは大きさをチェックした。

クーポンなどが無いかも確認。

残念ながらクーポンは見当たらなかった。

その値段で買うしかなかったのだが、如何せん高い!

ぬいぐるみといっても非常に大きな物なので、お値段も驚くほどお高かった。

こっそり夜遅くにチェックして、『買ってあげたいけど、どうしよう』と迷いながらサイトを閉じた翌日。

私は再びそのサイトを眺めていた。

断っておくが、普段は子どもが欲しがったからと言って買ってあげることはほとんどない。

我が家の家計状況を考えれば仕方のないことで、今後のためにも無駄遣いは出来なかった。

それでも何とかして買ってあげられないだろうかと考えたのには理由があった。

誕生日が近かったからだ。

欲しいものをリクエストしてもらおうと考えていた矢先のことだった。

それまでずっと我慢させてきたから何とかしてあげたいが。

ちょうど色んな出費がかさんで残金も心許ない状態で・・・。

積み立てていたものを使うのも、やはり躊躇してしまった。

今は本当に欲しがってるけど、数か月先には見向きもしなくなるんじゃないの?

置き場所はどうするの?

私は買えない理由を探した。

今までもそうやって自分たちを納得させて来たのだ。

一方ではせっかく夫と離れたのだから買ってあげたいなとも思った。


モラハラ虐待の後遺症

子どもも私も自分たちのために何かすることを極端に嫌った。

楽しいことがあった後には悪いことが起こる気がして。

誕生日という特別なイベントでも、私が子どものために精一杯お祝いしようと計画を立てても子どもの気が乗らなかった。

逆も同じだ。

子どもが私のために何かをしてくれると妙な罪悪感が残り、モヤモヤした。

あの誕生日の頃も例のごとくウダウダしながら結局何もせずに過ごすんだろうなと思っていた。

それくらい諦める癖がついてしまっていた私たち。

そんな状況を変えてくれたのは、またしても先輩だった。

ぬいぐるみも

「半分ずつ出そうよ」

と言ってくれて、置き場所の問題も

「万が一ここから引っ越しても、置く所が無ければ預かっておくよ」

と言ってくれた。

今度こそ理想通りの誕生日になるのではないかと期待が膨らんだ。

それまでは、こっそり期待しては裏切られる日々だったから。

何事も無くその日を迎えられるのだろうかという不安もあった。

でも、ちゃんと計画した通りになった。

子どもにとっては忘れられない誕生日になったことだろう。

大きなぬいぐるみにすっぽりと抱えられるように座った子どもは本当に幸せそうで、頬を赤くしながらはしゃいでいた。

就寝の時間になり「一緒に寝る」と言いながらそのまま抱えて寝室へ。

並んで寝ている姿を見たらぬいぐるみの方が大きかった!

しかも布団が浮いてしまって、風邪を引くのではないかと冷や冷やした。

夜中に何度か布団をかけ直してあげた時、ふと『幸せだなぁ』と思いながら子どもの頭を撫でた。

ピッタリとくっついて眠る子どもを見ているだけで心が満たされた。

授業中、いつも外を眺めていた子ども

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