動きそうにない義兄
夫があんなことをしたのは自分を憐れんだからだと思う。理想とはあまりにもかけ離れていて・・・。
それでもまだ義両親がそばに居る間は落ち着いていた。
それが、お義父さんも再び家族を養うために働かなければならなくなって。
部屋に一人取り残された夫は寂しさを募らせていった。
元々は自分で蒔いた種なんだけど、やっぱりお義父さんたちは心配するよね。
だって自分の子どもだもん。
それで、何とか義実家に戻せないかと考えたようだが無理だった。
お義兄さんの強い抵抗にあったためだ。
不憫な弟に同情して何らかの譲歩をするかと思われたが、お義兄さんも頑なだった。
不要な物を片付けてスペースを作るとか。
援助を受けながら近くのアパートに住むとか。
色々方法はあっただろうに、検討することさえしなかった。
それどころか、敵対心むき出しで聞く耳を持たなかった。
困ったお義父さんは私たちに、
「一時的で良いから戻ってきてくれないか」
と言ってきたんだけど。
そんなに簡単に戻れるくらいなら、初めから家を出るなどという選択はしない。
戻ったらどんなことが待っているか十分分かっているはずなのに、
「今度は上手くいくから」
と自信たっぷりに言った。
全く根拠の無い自信だ。
その頃、お義兄さんが仕事をしていたのかどうか思い出せない。
休職中だった気もするし、辞めていた気もする。
とにかく元気いっぱいという感じでもなくて、それも悩みの種だった。
元気だったら、『こういう時くらい協力してよ』と言えるのに。
そのタイミングでは酷なような気がして。
誰も強く言うことができず、身動きが取れなくなった。
『義実家に帰れない問題』がこちらにも飛び火
嫌な予感はしていたのだ。
皆はっきりとは言わないけど、『元々は離婚問題からこうなったんでしょ?』みたいな空気が流れていたから。
直接的な原因になったとは思わないが、多少なりとも影響したことは否めない。
だから私も強くは言えなくて、
「何とか方法を見つけるしかありませんね」
と言うのが精一杯だった。
協力します、なんて口が裂けても言えない。
全くその気がないのだから。
困っていたら、夫の友人たちが見るに見かねてせっせと世話をし始めた。
結果的に一人時間はほとんど無かったように思う。
それで安心していたのだが、問題もあった。
元々私のことを快く思っていなかった人たちの間で更に印象が悪くなってしまった。
そして、離婚問題にも口を出し始めた。
たびたび話し合いに同席していたNが何か言ってくれるかと期待したが・・・。
あの強い面々の中では空気だった(笑)
いつしか彼らの中での私は『ヤバい奴』になり、モンスターのような扱いに。
一方的に子どもを奪われた体の夫は『可哀そうな俺』ポジションをゲットした。