自分を正当化し、何かあれば全部周りのせい
長いブランクを経てようやく就職した夫が職を手放したのは体調が悪化したからではない。周囲のせいで辞めざるを得なくなったのだそうだ。
「周りに足を引っ張られる」
この時も自分に非はないことを強調していた。
夫の頭の中では、自分は常に優秀で周りに一目置かれる存在だ。
それに酔っているところがあった。
最初は『そうなんだ~、すごいんだな』なんて思ってたんだけど。
それならば何故仕事が続かないのかと不思議だった。
夫の言い分を信じてしまった私も馬鹿だが、それには理由がある。
友人たちも同じように評価していたからだ。
表現方法は違っても、『能力が高いから人の何倍も仕事をこなす』という点に変わりは無かった。
それを聞いたら、よほど優秀な人なのだと勘違いしてしまった。
別居後、再就職した時にも勘違いが更に加速してしまった。
仕事ができるからブランクがあっても受け入れてもらえたのだと。
頑張って変わろうとしてくれていることは私も内心は嬉しかったし、正直期待した。
段々と雲行きが怪しくなってきたのは仕事にも少し慣れてきた頃だ。
自分で思っているのと周りからの評価があまりにも乖離していて、どうしても受け入れられなかった。
周りは見る目が無い。
正当な評価を受けられないのが許せない、と。
自分よりも年下の人がリーダー的ポジションに居たことも癪に障ったみたい。
俺様が年下に使われるなんて。
そんなことあっていいはずがない。
そう思った夫は、何を勘違いしたのかその人につらく当たった。
そして社内でも問題になり居辛くなってしまった、というのが真相のようだった。
他人に厳しく、自分に甘い
私が仕事を探している時、夫から投げかけられた言葉は
「本気で探してるの?」とか「生活どうするの?」
だった。
何もさぼっていたわけではない。
一日おきにハローワークに通い、ネットの情報も漁った。
少しでも可能性があれば応募し、声がかかればすぐに対応した。
それでも足りなかったみたい。
決まらないということは本気で動いていないということ。
そんな風に厳しく詰め寄られ、再就職が決まるまでは針のむしろだった。
一緒だと嫌味を言われるから家に居るのも苦痛で。
能力がないと責められたってどうしようもなくて。
義両親が来る時だけはほんの少しホッとできたなぁ。
今でいうフキハラというやつなんだと思う。
あまりにも辛くて涙をこぼしたら、更に機嫌が悪くなって
「いい加減にしろよ!こっちの方がストレスだわ!」
と吐き捨てるように言われた。
本当にトラウマになるくらいの日々だったが、決まった途端にコロッと態度が変わり、
「いや~、良かったな。一時はどうなるかと思ったけど、頑張ったもんな」
などとねぎらいの言葉をかけられ、その豹変ぶりにも困惑した。
結局、自分に火の粉が掛かるのが嫌なだけなのだ。
私の仕事が決まらなければ、自分の生活にも影響が出るから。
結婚する時、
「一人の稼ぎじゃ不安だから、絶対に仕事を辞めないように」
という約束をしたのを覚えているのだろうか。
それを守らされたのは私だけで、夫は気にもしていなかった。
それを出したところで、機嫌が悪くなればこちらが窮屈になるだけだから。
私は気づかないフリをして淡々とやり過ごした。