義実家に帰って欲しい
色んな理由があって義実家に帰れなかったんだろうけど。ずっと帰って欲しいと思っていた。
その方が夫のためにもなると思ったし、私も安心できるから。
夫には何度もそう伝えたが、聞く耳を持たなかった。
いつか状況が変わるかも、と結論を先延ばしにしたのかもしれない。
そうこうしているうちに一人でいる寂しさに耐えきれなくなったのか荒れ始めた。
心配した友人たちが入れ替わり立ち替わり様子を見に来ていたことは、このブログにも書いた。
まあ、私たちが戻ることは無いんだし。
その代わりをしてくれていると思えば、我が家がたまり場になっていることも許容できるかな。
そんな風に自分を納得させた。
これで終われば良かったんだけど・・・。
義両親と離れた夫は私や子どもに更に固執し、
「戻ってきてくれなかったら俺はもう終わりだ」
などと悲観的なことを言うようになった。
私は『どうせいつもの手だろう』と呆れていたが、友人たちはひどく心配していたようだ。
確かに『本当に何かしでかすのではないか』という不安もあった。
夫は何かあると極端な行動に走る。
これもパーソナリティ障害の特徴なのだと言う。
家具や物を壊すのもそうだし、すぐに『死ぬ』と言うのもそう。
そうした言動の数々が私を悩ませ、『一緒に居られない』という気持ちも加速した。
一番の問題は虐待だったのだけれど、きっとそれもパーソナリティ障害が関係していたのだと思う。
子どもが自分の理想通りにいかなくても普通はあそこまで怒らない。
夫の場合は周りがドン引きして警察を呼ぼうか迷うくらいに怒った。
そんなことをしておいて『子どもに好かれたい』と言うんだから。
おかしいとしか言いようがない。
そんな人が一人になり、真っ先に考えたのは家族を連れ戻すことだった。
今でもあの時の夫が演技だったのか、それとも本気だったのか分からない。
大量の薬を飲んだ夫
友人たちにも自分の生活がある。
だから、いつも夫と一緒に居たわけではない。
義両親だってなかなか来られないし、私たちも戻ってくる気配はない。
ある日、一人になった夫が極端な行動に出た。
大量の薬を飲んだのである。
幸い大事には至らなかったが、これには私も驚いて駆けつけた。
一報を受けたのは、仕事を終えて帰宅している最中だった。
その日、友人の一人が我が家で一緒に過ごす予定だった。
彼は到着後、いつものようにインターフォンを押した。
だけど返答がなく、最初は『トイレかな』くらいに思ったそうだ。
その後も何度かインターフォンを鳴らしたが返事は無く、いぶかしみながら何の気なしにドアに手をかけた。
そうしたら鍵が開いていたので、声を掛けながら入っていった。
狭い部屋だから、すぐに目に入ったはずだ。
うずくまるように転がっている夫の姿が。
その後のことは書きたくもないので端折るが、義実家、友人、関係者みんなが大騒ぎになった。
かくいう私も久々に緊張感が走り、何も考えずに電車に飛び乗った。
でも、電車に揺られながら考えているうちに段々と落ち着いてきて、沸々と怒りがわいた。
こんなの、『間違った』じゃ済まされないんだよ。
どこまで自分勝手な人なんだ、と責めずにはいられなかった。
みんなの目が自分に向かず孤独を感じた時、夫は騒ぎを起こすことが多い。
この時、夫は
「家族と離れて寂しかった」
と、まるで私たちが出て行ったことが原因のような言い方をした。
そういう執着心から来る様々な言動に散々追い詰められてきた。
苦しくて苦しくて。
たとえ愛情があったとしても一気に冷めていたと思う。
まして、私たちの間にはもう愛情なんて無かったんだから。
ただただ自分のしたことに対するペナルティを受けているような気分だった。