2025年5月31日土曜日

夫の再就職宣言から、何だか話がおかしな方向へ・・・

義両親からのメッセージに戸惑い

夫が再就職宣言をした数日後。

職場のお昼休みに突然携帯が鳴った。

お義父さんからだった。

どうせろくな用事ではないだろう。

そう思って出るのを躊躇ったが、後々面倒なことになるのも嫌なのでやっぱり出ることにした。

普段、勤務中は夫関連のことを極力考えないようにしている。

思い出してしまうと心がかき乱されるからだ。

出てみると、案の定どうでも良い話だった。

「(夫)が仕事するって言うんだけど、聞いてる?」

例の話か・・・と思いながら時々相槌を打ちつつ聞き流した。

「あいつなりに色々考えてるみたいだから。その辺汲んでやってよ」

と言うので、

「そうですね・・・」

と曖昧に返事。

休憩モードで思考もすっかりオフになっているのだから、こんなどうでも良いことを聞きたくないと思ってしまった。

私が適当に返事をしているのが声やトーンから分かったのか、お義父さんはやや語気を強めながら、

「何で仕事をするって言い始めたか分かってるの?」

と急に詰め寄ってきた。

そんなこと言われたって困ってしまう。

そんなの、本当のところは本人しか分からないだろうに。

返事できないでいると、更にヒートアップしたお義父さんが、

「元に戻りたいって気持ちがあるんでしょーよ!」

と言った。

その言葉に驚き、思わず、

「それはないと思います」

と反論した。

そこでふと、義両親は夫からどこまで聞いているんだろうという疑問がわいた。

既に話し合いはかなり進んでいて、詳細を詰める段階まで来ている。

それを全く知らないということはない、と思う。

だとすれば、私に揺さぶりをかけにきている?

話しているうちに段々と疑心暗鬼になってしまい、頭の中でグルグルと良くない妄想が広がった。

早く電話を切りたい。

このまま話していたら圧に気おされて言いくるめられてしまう。

その時のお義父さんの勢いはそんな怖さを感じさせるものであり、お昼休みが終わることを理由に慌てて電話を切った。


応援=よりを戻す、ではない

その後も義両親からの連絡は来続けた。

業務中も掛けてきて、私がなかなか出ないものだから途中でメッセージに変わった。

そこでどうやら私の予期せぬ方向に話がいってしまっていることが分かった。

夫が再就職すると言った時、深く考えずに『応援するよ』と声を掛けた。

それが良く無かったみたい。

以下夫視点の流れなのだが。

応援するということは、今後の自分を思っての言動だ。

前進しようと奮闘している自分をこれからも支えてくれるということ。

これにより関係が改善して離婚の申し出も取りやめるはずだ。

仕事が決まったら更に万々歳で、目下の問題は取り除かれて上手くいく。

そう考えたようだった。

この思い込みがあたかも真実のように語られ、義両親もその気になっていた。

聞かされた時、私は恐ろし過ぎて思考が停止した。

たった一言で、ここまで発想が飛躍するとは誰も思うまい。

こちらにはやり直す気なんてこれっぽっちも無いのに夫の中ではもう既定路線になっていて、私が否定しても『気が変わったのか!』と騒ぐことは明らかだった。

だからと言ってこのまま放っておくわけにもいかず。

困り果ててNに連絡をした。

まずは再就職の件を聞いているかということと、夫がどう考えているのかを確かめるために。

やはり密に連絡を取り合っているNは知っていて、義両親と同じように聞かされていた。

夫のような人たちの思い込みの強さは半端ではない。

気づいたら思いもよらぬ方向に進んでいた、ということも珍しくない。

だから気を付けていたのに。

一瞬の気の緩みから面倒なことになってしまったのだった。

2025年5月30日金曜日

夫が「そろそろ仕事を再開する」と言い始めて

離婚を回避したい夫

既に離婚に向けて動き出していたのに。

夫はまだ回避できる道があると思っているようだった。

親権や財産について話し合ったのは何だったのか。

これでうやむやにされたらいけないので、私の方はこのまま推し進めるつもりでいた。

正式な文書にして、次に話し合う時に押印してもらって。

2部作ってお互いが持っているようにしよう。

そんな感じで着々と準備をした。

あの話し合いの日。

あれが私の運命の分岐点だったように思う。

あのタイミングで子どもを取り戻せなければ一緒に暮らせる日はやってこなかったかもしれない。

実は私の中ではその日に勝負をかけることは決めていた。

でも、当時お世話になっていた先輩にもその話はしなかった。

いつも話を聞いてくれて、かなり心配もかけてしまったから。

まだ確定事項でもない話をすることはできないと思った。

それに、上手くいかなかったらがっかりさせるだろう。

そういう思いもあって言えなかった。

あの日は、子どもを連れて帰ることが決まった直後に連絡を入れた。

すぐに反応があり、まるで自分のことのようにとても喜んでくれた。

そこからまたしばらく3人での生活が始まったのだけれど。

再び連れ去られることを恐れて、文書にその旨も記した。

押印する時もかなり渋ってたなぁ~。

きちんと話し合って決めたことでも、後で反故にする気満々だったということだ。

向こうがその調子なので、色んなパターンを想定しなければならなかった。

予想外のことが起きたからと言って、【想定外】では済まされないのだ。


無職が直接の原因ではないのに

離婚の話が持ち上がったのは無職だからだ、と思い込んでいた夫。

「そろそろ仕事を再開するから」

と突然言ってきた。

【次回はいよいよ、より詳細な離婚の条件を詰めよう】というタイミングだった。

働くかどうかは本人が決めれば良い。

正直、どちらでも良いと思っていた。

夫は宣言することでこの流れを変えたかったのかもしれないが。

私の方は、このまま進めたかった。

それに、何年も働けなかった人が急に働けるようになるというのも腑に落ちなかった。

どういうこと?と引っ掛かっていて、夫の本心をはかりかねた。

ただ、よくよく考えてみると仕事を再開してもらうのは悪い話ではない。

離婚後に養育費を貰うためにはその方が良い。

そんな考えが浮かんできて、

「良いんじゃない?応援するよ」

と伝えた。

ああいうタイプの人に、これは禁句だった。

もっと慎重に考えて伝えなければならなかったのだ、ということを後から思い知ることになった。

【応援】という言葉から勝手に色んなことを連想した夫。

その頭の中ではある答えができ上ってしまった。

仕事再開 → 応援を受ける → 関係改善 → 離婚取り止め → 元通り

普通はそんな風に考えないでしょう?という常識は通用しない。

彼らは自分に都合の良いストーリーに仕立て上げるのが得意なのだから。

夫がそんなことを計画しているとは露知らず。

『早く決まれば良いなぁ』なんて呑気に考えていた。

2025年5月29日木曜日

断っても断っても「駅まで送る」という夫

何か企んでいるの?

自宅の玄関を開け、外に出ながら

「それでは~」

と行こうとしたら、夫から引き留められた。

「ちょっと待ってて!」

と慌てていて、何事かと思ったら、

「駅まで送るよ」

と言うので、

「それは大変だから良いよ」

と断った。

それなのに、断っても断っても『行く』と言って聞かないものだから・・・。

ほとほと困ってどうしたものかと考えていた。

その様子を見ていたNが横から

「今日は俺も居るし、送って行くからお前は休んどけよ」

と言ってくれて、夫はようやく諦めたようだった。

一緒に暮らしている頃に少しでも優しくしてくれていたら。

そうしたら私たちも夫への愛情を失うことは無かったと思う。

それなのに、夫からは罰ばかり与えられた。

もう手放さなければならないと分かった途端、惜しくでもなったか?

私は表情を崩さず、

「また連絡します」

とだけ伝えた。

あーこれでやっと解放される!

そう思いながら歩きだした私たちを、今度は義両親が追ってきた。

「間に合って良かった」

とぜーぜーしながらお義母さんが近づいてきて、子どもに何やら話しかけていた。

だが、子どもの表情は硬く、ほとんど声を発しなかった。

お義父さんは最初私と話していたが、途中で子どもの隣に行き、

「急に行っちゃうんだもんな~。おじいちゃん、寂しいよ」

としきりに『寂しい』とアピールしていた。

こういう罪悪感を煽るような言い方はして欲しく無かった。

子どもに何の罪があると言うの?と思ったが、もしかしたら私への当てつけだったのかもしれない。

Nはその様子を苦笑いで見ていた。


「次、いつ会える?」というプレッシャー

義両親の攻撃(?)を何とかかわしながら歩き、やっと駅に到着した。

まさか電車に乗ってまで追いかけてくることはないだろうと、足早に改札へと向かった。

改札を通り、振り向くと笑顔で手を振る二人の姿が。

その時ふと考えてしまった。

どんな気持ちで見送っているのかな、と。

虐待やモラハラを繰り返した息子が妻子に見捨てられたのだ。

何も思わない親は居ないだろう。

改札を入った後はNとも別れ、子どもと二人電車に乗り込んだ。

やっと二人きりになれた。

ホッとして、思わずお腹が鳴った。

その音を聞いた子どもが途端に笑顔になり、

「ママのお腹の音聞こえた!すごい音!」

と笑った。

話し合いをした飲食店でも一応食事したのだが、どこに入って行ってるのか分からなかった。

それくらい緊張していたということだ。

二人になり安心してやっと空腹に気づいた。

次の乗り換えの駅でとりあえず何か食べようということになり、その後は色んな話をした。

その時に私が一番気になっていたのは、パパとの生活のことだ。

親権争いをしている最中に虐待なんてしていないと信じたかったが、夫ならやりかねないとも思った。

それで詳しく話を聞こうとしていたら、突然メッセージが入った。

『次はいつ会える?』

という義両親からのメッセージだった。

子ども宛のメッセージなのだが、子どもは携帯を持っていなかったので私に送ってきた。

それを見た瞬間、まだまだやるべきことがたくさんあるのだと思い知らされた。

それからは、頻繁に『次はいつ会えるの?』というメッセージが届くように・・・。

気持ちは分かるけど、やはりしんどかった。

何かに追われているような気持ちになった。

2025年5月28日水曜日

話し合いの後、自宅へ

まるでよその家のよう

話し合いの後、私たちは自宅へと向かった。

家を出てから少し時間が経過していたからなのか・・・。

ちょっと前までそこで暮らしていたはずなのに自分の家という感じがしなかった。

多少の懐かしさはあっても、それ以上の感情がわかず。

むしろ、そこで行われていたことを思い出すと嫌悪感が強くて早く立ち去りたいと思った。

最初は家の外で荷物だけ受け取って帰るつもりだったのに、お義父さんが

「少し上がっていけ」

と言うので中に入ることになってしまった。

まあ、自分で持って行くものを選ぶことができたのだから良かったのかも。

入ってみたらお義母さんまで居たので驚いた。

後で知ったのだが、話し合いの後すぐに夫が連絡を入れたようだった。

『私が子どもを連れて行くことになったから、今から荷物を取りに行く』と。

その一報を受けたお義父さんは慌ててお義母さんに電話をかけ、お義母さんが義実家から飛んできたというわけだ。

「次にいつ会えるか分からないから」

と直接言われた。

会えない辛さは痛いほど分かる。

子どもと離れている間、本当に心が張り裂けそうだった。

なかなか会えず、声を聴くこともできない。

そんな時間が長くなってくると、段々と気持ちも後ろ向きになった。

それでも何とかなると信じて頑張って来れたのは、子どもとの生活を絶対に取り戻したいと思ったから。

一緒に暮らす日を夢見て、目の前のことに取り組んだ。

家の中に入った後、子どもは一度も座らなかった。

お義父さんが、

「こっちに来て座れ」

と言ったけど、聞こえないフリをしていた。

そして、自分のリュックに荷物をせっせと詰めて大事な物をまとめていた。

ランドセルの中にも入りそうなものを詰めて、学用品が揃っているかをチェック。

用意万端の状態になっても、頑なに座ろうとしなかった。

「他に何か持って行きたいものはない?」

と聞いたら、ハッとした顔で棚を開けた。

取り出したのはクマのぬいぐるみだった。

いつも寝る時に傍に置いているので、忘れないで良かった。

それを小脇に抱えて

「もう忘れ物は無いよ」

と言うので、今度こそ出発しようと玄関の方に一歩踏み出した。

その時、ずっと黙って見ていたお義母さんが突然

「少し話しましょう」

と言った。


泣かれると弱い・・・

お義母さんは既に涙ぐんでいた。

「私たちも悪かった・・・」

と目元を押さえながら子どもの手を握った。

一体何に対して謝ってるのか。

子どもを助けられなかったこと?

暴れる息子を抑えられなかったこと?

もしそうなら、その責任の一端は私にもある。

でも、子どもには無いから。

これ以上この過酷な環境で過ごさせるのは酷なことなのだと分かって欲しかった。

お義母さんも辛かったとは思う。

私がお義母さんの立場でも、夫を止めることはできなかっただろう。

まるでモンスターのような夫は、恐ろしいほど周りを上手く操っていた。

相手によって態度を変えるのは当たり前。

虐げられているのは私たちなのに、まるで自分が被害者のように振舞った。

鬼嫁のような扱いを受け、白い目で見られるなんてことは日常茶飯事で。

夫の友人たちは、恐らく私を酷い人間だと思っていた。

Nもその一人だったはずだ。

話し合いに参加して見方が変わったようだが。

この一連のことは内密に、ということになっていたので。

本性が知られることは無かった。

これが口の軽い人だったらすぐに知れ渡っていただろうに、Nは口が堅かった。

目の前で泣いているお義母さんを置いて、

「もう行きますね」

と言うこともできず、ただ背中をさすって謝ることしかできなかった。

私はとても泣き虫なので、思わずもらい泣きをしそうになった。

これじゃあ、まるで悲しい別れみたい。

惜別の思いよりも解放されることへの安堵でいっぱいなのに。

やっと自由な未来が見えてきたのに。

何となく心が晴れなくて、モヤモヤを抱えたまま自宅を後にした。

2025年5月27日火曜日

財産分与を拒否する夫が「親権を譲る」と言い始めて

財産を分けたくない夫

結婚後に貯まった分を半分ずつにする。

ごく普通の提案だと思うのだが。

夫は何やかやと理由をつけて拒んだ。

実は、私の方はこれを期待していた。

むしろ『スムーズにこの条件をのまれてしまったらどうしよう・・・』というのが不安だった。

ある意味予想通り夫がゴネてくれたので助かった。

それにしても、一体どれほど貯め込んでいたのだろうか。

共働き時代にほぼ折半というのが腑に落ちなかった。

おかしいと思っても言える環境では無かったのだけれど。

私の何倍ももらっていた夫は、家計費に関して同じくらいの負担を要求した。

そうするとこちらは自由になるお金があまりない。

「残った分で、それぞれ貯金していこう」

と言われたって、なかなか貯められなかった。

夫が無職になった時、そのお金を少しでも出してくれればまだ納得できたのに。

ずっと私一人で家計をまかなってきた。

同じくらいの負担だから家事も折半に…ということも無い。

「俺は料理もできないし、掃除も得意じゃない」

といけしゃーしゃーと言っていた。

家事をほぼ100%私がやり、家計費も折半。

全然フェアじゃないよね。

夫が無職になってからは更に悪化し、全ての家計費を負担して家事も全部やった。

『甘やかしすぎたんだよ』という人も居るけど。

私に拒否権は無かったのだ。

そうやって貯めてきたお金を『さあ、出せ』と言われたって出すはずがない。

この話に入った後、夫は段々とイライラし始めた。

よほど出したくなかったんだと思う。

これで準備は整った。

ゴネる夫を前に、私は思い切って

「条件次第では調査をせず、お金も要求しない」

と告げた。

その瞬間の夫の嬉しそうな顔を今でも忘れられない。

平静を装っていたが、明らかに表情が緩んでいた。


子どもよりも財産が大事?

私が出した条件は、

「財産分与を一切求めない代わりに親権が欲しい」

というものだった。

恐らくこの時、夫は頭の中で財産と親権を天秤にかけていたに違いない。

そして、財産を選んだ。

「分かった。親権は譲るよ」

と言われた時、私は心の中でガッツポーズした。

欲張りな夫は本当はどちらも手に入れようとしたのだと思う。

子どもを虐める割には執着していたし、義両親のこともあるから。

だけど、調査をされるとマズイと思ったのか。

あっさりと親権を譲ってくれた。

実はお金の話が出始めた時に、『あなたの財産のだいたいの額は把握しているよ』という匂わせをした。

本当は全く知らないんだけどね。

「あんなに持ってるなら少し助けてもらえば良かった」

と言っただけ。

そうしたら、既に情報が握られていると勘違いしたのか夫が慌て始めた。

ただ、夫はずるいから、その場では譲って後で取り戻そうとすることも分かっていた。

手を緩めずに一気に決めてしまわなければと思い、

「今日このまま(子ども)を引き取らせて」

とお願いした。

後々になったら、また何だかんだ言って反故にされるかもしれない。

相手が表面上だけでも納得している間に方を付けようと思った。

その日のうちに引き渡すなんて想像もしていなかったのだろう。

最初は難色を示し、

「子どもの衣類や学用品のこともあるから急には無理」

と言われたのだけれど。

「今日、一緒に帰って必要な物を受け取ります」

と伝えて渋々だが了承させた。

その日に決まったことは書面にし、正式な文書として残すことにした。

荷物の引き取りはNにも同行してもらい、身の安全を確保することも忘れなかった。

家に行った途端、『やっぱり無理』と気が変わったらたまったもんじゃない。

夫は譲歩するということを知らない人だ。

全てを思い通りにしなければ気が済まない。

だから私も慎重に慎重に、一つずつ事を進めた。

2025年5月26日月曜日

【子どもを取り戻す!】強い覚悟を持って臨んだ話し合い

久々の子どもとの再会に涙

やっとその日がやってきた。

指折り数えていたのだが、そういう時に限って時間の経過が遅い。

あまりにも待ち遠しくて、当日は1時間前に待ち合わせ場所に到着した。

早すぎて、お店さえ開いてなかった。

それでも【あと1時間待てば会えるんだ】と思ったら、はやる気持ちを抑えることができず・・・。

ソワソワしながら待つこと数十分。

約束の10分前には夫たちも到着した。

お店の外で軽く手を振ると、私を見つけた子どもがにこっと笑った。

それだけで涙が出そうになった。

合流後はすぐに店内へ。

この時もNが来てくれて、

「今日もとことん付き合うよ」

と言ってくれた。

席の並びは、夫と子どもが隣同士で座り、夫の前に私、子どもの前にNだった。

つまり、私と子どもは対角線上になるので何だか遠い。

いや、目の前に居るんだけど話しづらい位置になってしまったな、というのが正直な感想だった。

気を取り直して話し合いを始め、まず夫が

「今日は来てくれてありがとう」

と言った。

はっきり言ってこれは子どもやNへのポーズだと思った。

本当は感謝の気持ちなんて無いくせに、まるで善い人のように振舞った。

夫は主導権を握りたかったのか、

「最初に親権について話し合いたい」

と言ってきたのだが、私はそれを拒んだ。

まずは夫に譲歩させるために、財産の話から始めたいと考えていたから。

予想通り、これには夫が拒否反応を示して、

「一応持ってきたけど分けるものなんてねーぞ」

と言った。

テーブルの上にお互いの財産情報を記した用紙を並べ、それをお互いがチェック。

私の方は正真正銘持っている財産の全てを開示した。

こちらの情報を出さなければ相手にも求めることができないと思ったのだ。

夫の方は明らかに出していない情報があると感じた。

以前に見せびらかしてきた銀行の通帳も含まれていない。

そうなることは見越していたので、

「念のため、この情報が正しいかをお互いに調べましょう」

と提案した。


財産調査の提案に慌てる夫

夫はやたらと慌てていた。

本当に調査するなんて思っていなかったみたい。

「きちんとした理由があれば調べられるから」

と伝えたら、

『そこまでする必要はない』とか『信用できないのか!』とか怒っていた。

信用なんてできるはずないのに。

現に私の記憶している物が出されていないではないか。

多分夫は高をくくっていたのだと思う。

以前見せたものでも私が覚えているはずがないと。

だけど、何故かその時のことをはっきりと記憶していて、【隠してるんだ】と分かった。

「全ての情報が確定してから財産分与の話し合いになるね」

と言うと、夫は観念したように

「今日持って来てないのもあるかも」

と言い始めた。

「分与の対象になるのは結婚後のものだけだぞ」

と言うので、

「そんなの分かってるよ。結婚後に貯まった分はきっちり半分ずつにしよう」

と提案した。

この提案がよほど嫌だったに違いない。

すぐに返事をせずに黙り込んだ夫。

お得意の計算をしていたのかもね。

その間、子どもは黙ってジュースを飲んでいた。

多分、『何でママはお金の話をしてるのかな?』と思っていただろうな。

実際にはこれが目的ではなく、親権で譲歩させるための布石だった。

夫のだんまりにも負けず、こちらも言葉を発しないで居たら、

「半分ずつにするというのは現実的じゃない」

と突然言い始めた。

ここでNが、

「半分ずつが普通じゃないの?」

と言ってくれたのだが、

「それはあまりにもフェアじゃない」

と頑なだった。

どういうことかと確認したら、ある意味予想通りの答えが返ってきた。

どうやら私と夫の貯金額にあまりにも大きな差があるため、自分が多額の財産を分け与えることになってしまう、ということのようだった。

とうとうカミングアウトした夫は少し開き直っていた。

そんなに持っていたのに生活費の全てを私に払わせていたのか・・・。

予想していたとは言え、ちょっとショックを受けた。

2025年5月25日日曜日

夏休み中の子どもが心配で探りを入れる日々

普段はしない連絡を頻繁に入れていたら・・・

いつもは自分から夫に連絡などしない。

本当に必要な時にだけ『嫌だなあ』と思いながら何とか連絡している感じだった。

でも、7月の終わり頃からは頻繁にメッセージを送った。

子どものことが心配だったのだ。

小学校は夏休みに入っていた。

これまで長期休みの時には虐待が酷くなっていたので、心配で仕方がなかった。

送ったメッセージに対する返事は来たり来なかったり。

返事がなかなか来ない時には何かあったんじゃないかと不安になり電話をかけた。

そんな変化を夫は好意的に捉えたようだ。

私の気持ちに少し変化が出てきたのだと喜んでいた。

これは全くの誤解だった。

でも、そのままの方が都合が良かったのであえて訂正せずにやり取りを続けた。

もしかしたら、それが結果的に功を奏したのかもしれない。

夏休みに入ってから2回目の話し合いの時、やっと子どもと会う約束を取り付けることができた。

嬉しかった。

その予兆はあったのだが、変化を目の当たりにしても半信半疑だった。

夫はいつも期待させてから大どんでん返しをするから、あまり期待しないでいよう。

そんな風に自分を戒めた。

次の話し合いまでの日数を指折り数え過ごした8月の上旬。

暑い中子どもがどんな風に過ごしているのかな?と毎日想像しながら過ごした。

いつもと違って常にお義父さんやお義母さんがいるから。

夫と子どもが二人きりになることはない。

それだけは安心材料だった。

二人きりよりは遥かに良いだろうし、私が居る時と比較しても義両親の方がストッパーになるだろうと思った。


「こうやって、もっと連絡してよ」と言われても・・・

夫は連絡が来ることが嬉しそうだった。

「もっとこうやって連絡してよ」

と言われた。

これには戸惑ってしまい、

「なるべくそうする」

としか言えなかった。

気持ち的には夫となんて連絡を取り合いたくないのに。

できるだけ疎遠にして遠くに行きたかったのに。

それでは子どもを取り戻すことができないから。

取り戻すまではつながっていなければならなかった。

ただそれだけのことなのに、勘違いした夫は

「やっぱり夫婦は会話しなくちゃダメなんだよ」

と言っていた。

夫婦として終わっていることに本当に気づいていないのだろうか。

最初はそう思っていたが、とっくに気づいていたのだと思う。

気付かないフリをして引き留めようとしただけ。

だけど、どんなに言葉を交わしても反省したような素振りを見せられても心は動かなかった。

もう夫の言葉自体を受け付けなくなっていて、どこか冷めた気持ちで聞いている自分が居た。

そんな状況でも本心を言えなかったのは、やはり子どものことがあったからだ。

子どもを危険にさらすわけにはいかないと思い、機嫌を取った。

夫のパーソナリティ障害の気質が出て、怖い目に遭うのではないかという不安もあった。

事件になるようなことが起こらないとも限らない。

私だけでなく子どもや家族にまでその危害が及んだら?

万が一私に何かあったら誰が育てて行くの?

私はこれらの問題にずっと悩まされ続けた。

ああいう人達と一度つながりができてしまったら、逃げたくても逃げられない環境が出来上がってしまう。

身動きが取れなくて、不安な中で離婚交渉を進めた。

2025年5月23日金曜日

やっと子どもに会える・・・

2週間に1度の話し合い

私たちは2週間に1度のペースで会い、話し合った。

繰り返し繰り返し、もう戻れないことを伝えた。

宇宙人のような夫には何を言っても伝わらないのかもしれない。

そんな不安を感じつつも、伝え続けるしかないと思って根気良く伝えた。

あれは何度目の話し合いだっただろうか。

明らかに前回よりも夫の反応が良いことに気づいた。

これまでは自分が強く言えば私が言うことを聞いたのに。

何を言っても気持ちが変わらないから打つ手が無いと感じたのではないだろうか。

離婚に対して少しだけ前向きに考えるようになっていて、

「もしそうなったら住む所はどうするの?」

と具体的なことにまで言及し始めた。

どちらかと言えば、それまでは逃げ腰だったのに・・・。

実はその直前に部屋の更新を済ませたばかりだった。

その報告もするつもりだったので、ちょうど良いと思い、

「部屋の更新手続きは終わったよ。だからまた2年間はそこに住むよ」

と伝えた。

私がそこに住むということは、夫は出ていかなければならない。

そろそろ引っ越しを考えて欲しくて、

「いつ頃移動できそうかな?」

と聞いた。

キレられるかな、とも一瞬思ったが、その日は大丈夫な気がした。

予想通り、表情をあまり変えることなく、

「いつかなー。色々準備もあるし」

と答え、

「(子ども)の転校のこともあるし」

と子どもの話題にまで及んだ。

やっぱり連れていくつもりなんだ・・・。

予想はしていたけれどショックだった。

考え直して欲しくて、

「(子ども)は納得してるの?まだ親権だって決まってないのに」

と言ったがその話はスルーされた。

『もう小学生なのだから、勝手に決めないで子どもの話も聞いてあげて欲しい』とも伝えた。

自分の意思を持っているのに、何も聞かずに決めてしまうなんて。

そんなの親のエゴだ。

夫はその場では、

「わかった」

と答えたけれど、聞かずに決めてしまうことは明らかだった。

だから、第三者も交えて夫と私のどちらも居る前で気持ちを聞きたいとお願いした。

これには最初難色を示したが、Nが助け舟を出してくれて、

「うん、それが良いよ。きちんと気持ちを聞いてあげなくちゃ」

と言ってくれた。

夫も分かっていたのだと思う。

自分が選ばれないということを。

だから子どもに選択させることを拒んだのだ。

それでもNのフォローによって渋々だが了承してもらい、次回いよいよ子どもに会えることになった。


話し合いを終えた後

その日は、いつもとは違って達成感があった。

話し合いを終えるとどっと疲れが出て寝てしまうことが多いのだが。

とても興奮していて、そのまま遠くまで走っていけそうな位に元気だった。

やっと子どもに会えるのだと思ったら嬉しくて。

じっとしてなど居られなかった。

今度こそプレゼントを渡せるだろうか。

ああいう場でプレゼントなんてしたら点数稼ぎだと非難されるだろうか。

色んな想像をしては、また嬉しさがこみあげてきて、ハイテンションのまま翌日を迎えた。

「久々にめっちゃ元気だね~」

と指摘する先輩も笑顔だった。

多分、ずっと心配してくれていたのだと思う。

そして見守っていてくれた。

本当にありがたくて、この恩を決して忘れてはいけないと思った。

それにしても長かった。

夫に子どもを連れ去られてからだいぶ経ってしまった。

強気で交渉しようとしたが、夫から

「お前だって何の相談も無く連れて出て行ったままだっただろ」

と言われ反論できなかった。

それから思うように進展しないまま、焦って空回りばかりの日々。

それが、とうとう2週間後に子どもに会えるなんて!

そう思ったら色んな欲が出てきてしまった。

人間て欲深いのね。

でも、よくよく考えてみたら私の望んでいることは一つだけだった。

子どもと一緒に暮らしたい。

ただ、それだけ。

今すぐにそれを叶えることはできないから。

ただ『ママ』と呼んでもらえたらそれで良い。

そうしたら、もう少し頑張れるから。

2025年5月22日木曜日

夫の本心を知り、絶句

いつか戻れる場所を

話し合いの最後の方で、夫がポツリを本音を漏らした。

「全部終わって落ち着いたら、また一緒に暮らしたい」

と。

これから離婚しようとしている夫婦なのに未だにそんなことを考えていたなんて。

本心を知った私は絶句した。

だから、あんなにも抵抗して受け入れようとしなかったのか。

ずい分虐めぬかれたから、離れてせいせいするのだと思っていたのに。

まさかそんな風に考えていたなんて。

驚いて言葉が出なかった。

でも、私の方はそんな気持ちは微塵も無くて。

『戻りたい』と思い続けている夫を受け入れることはできなかった。

あの日、家を出た時から別々の道を行くことは決まっていたのだ。

思い返してみると、いつも何を考えているのか分からない人だった。

きっとこの先何十年と一緒に過ごしても、夫のことを理解するのは難しいだろう。

私がいつまでも返事をしなかったからか、夫は

「俺の戻れる場所を残しておいて」

と念を押すように言った。

こちらをじっと見据えながら、どこか懇願するような表情だった。

今さら私たちのことを手放すのが惜しくなったのか?

もう何を言われても遅いのだけれど・・・。

本心を言えば、夫との関係は綺麗さっぱり断ち切りたかった。

でも、逆上するだろうから言えなかった。

夫が虐待をするような人でなければ良かったのに。

私たちに優しくしてくれれば良かったのに。

そうしたら、ずっと一緒に居られたのに。

一緒に居る頃は、これ以上ないくらいに痛めつけられた。

だから、もう何を言われても心が動かなかった。

最後くらいお互いのことをほんの少しでも思いやりながら別れたかった。

そんな願いは叶いそうにないな、と思った。


連絡を取り続けたい夫の思惑

自分の戻れる場所を残しておいて。

その言葉を聞いた時、これまでの発言の意味がやっと分かった。

いつか戻るために連絡を取り合おうとしていたのだ。

距離を取らなければ、またいつの間にか支配されてしまう。

そんな思いが脳裏をよぎった。

これだけの状況になっているのにも関わらず、まだ戻れると思っていることにも驚いた。

私が何て返せば良いのかを考えていたら、夫の隣に座って居たNが、

「で、どうなの?戻る可能性は1%も無いの?」

と聞いてきた。

はっきり言って、その可能性はゼロだった。

これから先もその気持ちが変わることはないと断言できた。

だからと言って、そのまま言うのも躊躇われた。

夫は自分が傷つけられると攻撃的になる。

そうなれば、その後の交渉がやりにくくなるかもしれない、と思った。

私がもっとも気にしていたのは、やはり子どものことだった。

ここで交渉決裂になって取り戻すことができなかったら・・・。

それだけは避けなければと思い、

「その後のことは、またゆっくり考えたい。今はまだ何も考えられないから」

と答えた。

夫の意思を受け入れるような匂わせをしてしまったら危険だ。

懸命に考えて、どちらにも受け取られない言葉を選んだ。

その返事を聞いた時、夫はショックを受けたような顔をした。

2025年5月21日水曜日

分与するような財産はない、と言い切る夫

隠し通そうとするのは想定内

夫は深い深いため息をついた。

財産分与に言及したことを明らかに怒っていた。

「お前さぁ、それって俺に対する嫌味だよ?」

と不満げに言い、

「分け与えるような財産なんてあるわけないでしょ」

と言い切った。

「数年前までは仕事してたじゃない。生活費だって折半だったし」

と言ってみても、

「毎月結構使ってたから残ってないよ」

と、この話題を切ろうとした。

調査する方法がある、というのを伝えることもできる。

ただ、奥の手をこんなに早々に出しても良いものか迷った。

調査のことを追及された時、弁護士さんの話は絶対にできないから。

『お前ごときが調べることなんてできるの?』という感じになると思う。

それに、水面下であっても弁護士さんに相談していることを悟られてはいけなかった。

変に警戒されてしまうとやりにくくなってしまう。

夫がこれまで通り自信いっぱいで私のことをバカにしてくれた方がやりやすいと感じていた。

「そんなことを言うなら、まずはお前の方の情報を出せよ」

と言われ、危うくこちらの情報だけを出させられそうになった時には、

「同時じゃないとだめでしょ」

と断った。

いつもと違い、私がこの件に対してあまりにも食い下がるものだから不審に思ったのかもしれない。

夫が疑うような目つきで、

「お前、何なの?結局金?」

と言い始めた。

この時の心境は、本当に綱渡りをしているような感じだった。

やり過ぎてもリスクがあるし、追及が足りなければ夫のペースを崩せない。

その匙加減が難しくて、反応を見ながら対応を考えた。

最終的には、

「分かったよ。次回通帳類を持ってくるから」

と言ってくれたのだが、本当に長く感じた。

まあ、夫のことだからきっと見せても良い物だけを持ってくるんだろうな。

それも織り込み済みだ。

その出方を見て、いざとなったら調査することを伝えるつもりだった。


「お前がお金に困ってるのは自業自得」

財産分与についてしつこく追及したからか。

夫はちょっと呆れたように、

「お金に困ってるの?自業自得だよね」

と言った。

私はこの言葉を受け止めることができなかった。

どのあたりが自業自得になるのだろうか。

モラハラや虐待に耐えかねて家を出たが、家賃などの生活費を払っているので自由になるお金が無い。

それのどのあたりが?

夫とは本当に分かり合えないと思うことが多くて、いつも孤独だった。

家の中のことをまわすのも子育ても。

全部一人でやっていると感じていた。

むしろ邪魔ばかりされて、暴言や暴力にさらされていた。

助けて欲しいとは言わないが、せめて傷つけないで欲しかった。

最低限の思いやりも持てないのなら、家族でいる意味なんて無いのに。

この時、引っ越しはどちらでも良いと言われた。

今の部屋を引き払って新しいところを借りても良いし。

そのまま住み続けても良い、と。

だけど、夫が居座り続けたらそれもままならない。

そこでふと将来のことを考えた時、夫に子どもを奪われたままだったら・・・と想像してゾッとしてしまった。

もしそんなことになったらお先真っ暗だ。

子どもだって鬱屈した環境の中で本来の優しさや穏やかな気持ちを失うだろう。

私にとって子どもは希望だった。

文字通り『命』であり、ただただ幸せにしてあげたかった。

2025年5月20日火曜日

夫の出した離婚の条件に困惑

急に具体的な条件をあげ始めたが・・・

常に冷静だった夫が狼狽えているのが分かった。

それほどあの証拠が強烈だったということだ。

私たちは専門家では無いので、何が有力な証拠になるのかは分からない。

実際には文章でまとめた物の方が重要なのかもしれない。

だけど、その時は画像の方が強烈なインパクトを与えたようだった。

「お前、あんな写真いつ・・・」

と言いかけて、夫は途中で止めた。

最後まで言ってしまったら自分がやったことを認めたことになってしまうからだ。

詰め寄りたくても詰め寄れなかったんだと思う。

他にも写真が残っているのではないかと疑心暗鬼になっていた。

ここで、『この一枚しか無いんだけど・・・』なんて言ってしまったらまた強気に出たかもしれない。

でも、私もそれを分かっていたので含みを持たせた。

そうしたら急にしおらしくなって、具体的な条件を出し始めた。

「俺だって色々考えてはいるんだよ」

から始まり、

「だけど、一度は家族になったんだからこのまま縁が切れるのは嫌だったんだ」

と続けた。

もしかして、これは離婚を前向きに考えているという意味では?

私は急な変化に戸惑いながらも、チャンスを逃してはいけないと思った。

その間Nが何をしていたのかというと、ずっと資料を読んでいた。

ここで夫が、ある条件を出してきた。

それは、【今後ずっと連絡を取り続けたいから連絡先は残して欲しい】ということだった。

よくよく話を聞いてみると、携帯を変えたり引っ越したりした時にすぐに知らせて欲しいらしかった。

それじゃあ、離れても監視されるみたいで嫌だな、というのが率直な感想。

これまでの抑圧された日々が私たちから希望を奪ったのに。

これからもそれが続くなんて。

もう押さえつけられるような生活は続けたくなかった。

夫の提示した条件をすぐに受け入れることはできず、

「でもそれって私たちを監視するということだよね」

と言ったら、顔を真っ赤にして怒って、

「お前らのために譲歩しようとしてるんだろ!」

と怒鳴り、

「それならもう離婚の話はナシだ」

と態度を硬化させた。


もう『家族』には戻れない

夫が話の中で何度も『家族』と言うたびに、心が拒絶した。

まだ戸籍の上では家族だけど、実際には違う。

夫がいくら望んでも、もう戻ることはできないのだ。

それに対して必死で抗っている夫が少し滑稽に思えた。

と同時に、あれほど虐げていた私たちに見捨てられたくないなんて可哀そうな人だと思った。

このままではまた同じことの繰り返しになってしまう。

ほんの少しでも話を進めたかった私は、

「財産のこともきちんとしたい」

と切り出した。

さあ、これで夫がどう出るか。

こんなの、ハッキリ言って捨て身の戦法だ。

夫が激高して暴れ出したら元も子もない。

それでも言わざるを得なかった。

きっとこれも夫のいつもの手なのだ。

譲歩しているように見せて、その後揺さぶりをかけて。

最終的に元の位置まで戻す。

堂々巡りになっている原因を排除すべく、私は賭けに出た。

2025年5月19日月曜日

疲れ切った状態で話し合いへ・・・

前日の騒動で精神的に疲弊

子どもが居なくなったと連絡を受けて自宅に向かった翌日。

予定通り、夫との話し合いが行われた。

かなり心配したし不安にもなったので、精神的にとても疲弊していた。

でも、予定されていたものをこちらからキャンセルすることもできず。

何とか気力を振り絞って待ち合わせ場所へと向かった。

その頃からかな。

【何度目の話し合い】などと数えなくなったのは。

回数なんて数えたって何の意味も無い。

何も決まらないのでは、話し合っていないのと同じだと思った。

それよりも、わざわざ会うのだからもっと実のある内容にしたかった。

当日は、あらかじめ作成した書類を持参していたのだが・・・。

なかなか出せるタイミングが無かった。

持っていたのは、虐待やモラハラの証拠を客観的に示すことができる書類だった。

相変わらず夫の友人のNも出席していて、もうそこに居るのが当たり前のような感じになっていた。

でもよく考えたらずっと一対二で闘っているようなものだからフェアじゃない。

ただ、その時は証拠を第三者に見てもらいたかったので居てくれて助かった。

その日の夫は上機嫌でペラペラと関係のないことを話し続けた。

それが途切れた一瞬の隙を見計らって、私は持ってきた書類を開いた。

あえて二人の間に置いたのは、夫に邪魔されないようにするため。

真っ先に反応したのはNだった。

「これは・・・?」

と聞かれたのでチャンスだと思って、

「これまでの虐待やモラハラの証拠です」

と伝えた。

何の書類か分かった夫は途端に機嫌が悪くなって、

「こんなの、いくらでも後から作れるだろ」

と怒り出し、

「いい加減なことばっかり言ってんじゃねーぞ」

と怒鳴った。

想像通りの反応だった。

耳が痛いくらいの声だったが、私もここで引き下がるつもりはなくて、

「全部、本当にあったことです。(夫)も分かってるよね」

と言った。


夫の友人Nの見方を変えた資料の内容

最初はNも半信半疑だったと思う。

虐待は私の狂言だと、夫の友人たちは思っているようだった。

だから、その時もペラペラとめくりながら、

「ふーん」

という感じだったのだが。

数分後、Nの手が止まった。

じっと見つめていたのは、一枚の画像だった。

明瞭に映ってはおらず、暗めの色でかなり見にくかった。

それでも私は少しでも証拠になればと資料に入れた。

しばらくそれを眺めていたNは、何か考えているようだった。

私はそれを黙って見守り、夫はイライラしていた。

「お前、これ実際にやってるよね?」

そう聞いた時のNの目は確信に満ちていた。

この言葉を聞いた瞬間、やっと分かってくれる人が現れたのだと安堵した。

実はこの画像を出す時も、無反応だったらどうしようと不安だった。

Nだって自分のことではないから、どれくらい興味を持ってくれるか分からないし。

そう思っていたのに、見た瞬間目の色が変わった。

夫もさすがにマズいと思ったのだろう。

少し焦った様子で、

「これが(子ども)だって証拠はあるのかよ!」

と難癖をつけてきた。

それに対して私が反論しようとしたら、Nが隣に座る夫を静止して

「これ、(子ども)ちゃんだよ。この服見たことあるよ」

と言った。

2025年5月18日日曜日

話し合いの前日、子どもが居なくなった

夫から突然の電話

翌日が夫と話し合う日だった。

私は入念に準備をして備えた。

今度こそ何とか離婚の話を進めたい。

子どもを取り戻したい。

それだけを考えながら過ごしていた。

あの日は通常通り仕事をしていて、定時過ぎてそろそろ帰ろうとしていた時に突然携帯が鳴った。

確認すると夫だった。

最初は出るのをためらったが、何故だか出た方が良い気がして電話を取った。

声を聞いた瞬間に何だか嫌な予感が・・・。

出てみると夫はいつもよりも緊張している様子で、何かあったのだとすぐに分かった。

急いでロビーに移動した後、

「どうしたの?」

と聞いたら、

「(子ども)が帰って来ない」

と言われた。

間もなく7時になる頃だった。

「出かける時、どこに行くか聞いた?」

と質問しても夫は答えず、今度は電話の相手がお義父さんに変った。

そのお義父さんが何の説明もなく、いきなり

「(私)さんの所に来てないかな」

と言うものだから、

「来てるわけないじゃないですか!」

と声を荒げてしまった。

こんなに遠くまで一人で電車に乗って来るとでも言うのだろうか。

そもそも、子どもはどこに行くと伝えて出かけたのか。

私は一報を受けた瞬間からとてもモヤモヤしていて、質問してくる割には詳しいことを教えてくれない二人の態度に腹を立てていた。

子どもが居なくなったなんて大事じゃないの!

私は慌ててすぐに探さなければと思った。

夫や義両親も近場を探したのだろうと思っていたのだが、

「帰ってくるかもしれないから家で待ってるんだけど」

と言われ、更に怒りが・・・。

何故すぐに動かないのだろうかと憤ったが、ここで喧嘩していても意味が無いので、

「今からそちらに向かいます」

と伝えて電話を切った。

思い返してみると、一緒に居る頃も全て私がやっていた。

何か動かなければならないことが出てきた時には、『お前に任せた』という感じだったから。

離婚話が持ち上がっているこの状況でも、夫は変わらなかった。

会社を出た後、私は急いで電車に飛び乗った。


最寄り駅に到着する直前、『見つかった』と報告が

次に我が家に行くのは正式に離婚が決まった後だと思っていた。

それが、こんなタイミングで行くことになるなんて。

少し緊張していたし、予想外のタイミングで夫と顔を合わせるのも気が進まなかった。

だけど、子どものことが心配だったから。

何を言われても、子どもを探すことだけに集中しようと思いながら向かった。

電車に揺られていると、何故だか結婚したばかりの頃のことが思い出された。

まだ子どもも居ない頃、夫と二人でよく出かけた。

モラハラはされていたけれど幸せな時間もあり、ごく普通の家庭だった。

それがこんなことになるなんて。

人生って分からないものだね。

一人感慨にふけっていたら間もなく最寄り駅に到着するというアナウンスが流れた。

私は降りようと準備をしていたのだが、そのタイミングで夫から連絡が入った。

『見つかった』という一言だけ。

状況も分からなければ、居なくなった理由も分からない。

ちょうど最寄り駅に着いたので、ベンチに座って電話をかけた。

夫の話によると、子どもは駅に居たようだった。

まさかいないと思うけど、と軽い気持ちでのぞいたら券売機の周りをウロウロしていたらしい。

「どうして駅に行っていたの?」

と聞いたのだが、夫は

「電車に乗りたかったんだろ」

としか言わなかった。

せっかくここまで来たのに顔も見られないなんて。

せめて声だけでも聴かせて欲しいと夫にお願いしたが、

「余計なことを言われると困るから」

と断られてしまった。

夫はいつもそうだ。

困った時だけこちらに話を持って来て、解決したら用済み扱い。

こんな人と一緒に居る子どもが心配でしかたがなかった。

一度改札を出た後、少しだけ駅前を歩いた。

少し前までここに子どもが居たんだな・・・と思ったら胸が張り裂けそうだった。

電車に乗って帰ればまた子どもと離れ離れになる。

帰りの車内でどんどん遠くなっていく駅を見つめながら、不安で押しつぶされそうになった。

2025年5月17日土曜日

もう期待して裏切られるのはうんざり

ショックを引きずる中、夫からの連絡

子どもに会えると期待して行ったのに。

その期待は見事に裏切られた。

それなのに夫からは、

「久しぶりに(子ども)に会えて良かったね」

という恩着せがましいメッセージを受け取った。

あれを『会った』とは言わない。

遠くから『見た』だけだ。

夫に対して腹立たしい気持ちでいっぱいになり、

「会えると期待して行ったのに残念です」

と返した。

義両親が全てを知らされていたかは分からない。

でも万が一知らされていたのだとしたら、私と子どもが話せるように動いて欲しかった。

次にそんな機会がいつ巡ってくるか分からないから、とても貴重なチャンスだった。

だけど、お義母さんも私に気づく様子もなく歩いて行った。

もしかしたら、その前の時に

「私たちから孫を奪わないで」

というようなことを言われていたので、私に対して思うところがあったのかもしれない。

それで気づかないフリをしたのかも・・・。

色んなことを考えていたら頭がぐるぐるしてしまって、余計に何が何だか分からなくなった。

ただ一つはっきりとしていることは、子どもが交渉の道具にされているということだった。

そんな夫が許せなかった。

これを機に、『早く子どもを取り戻さなければ』という気持ちがより強くなった。


財産分与から攻めていくことに

別に夫のお金を当てにしていたわけではない。

でも、どこから切り崩していけば良いのか分からなくて、手っ取り早く夫が隠したがっている財産について協議することにした。

実は配偶者の財産は調べることができるらしく、弁護士さんに依頼することもできる。

いざという時にはそれを活用しようと考えた。

銀行と支店をはっきりさせておく必要があったが。

これは問題無かった。

夫は自分の実家の方で口座を揃えていて、取引している銀行も把握していた。

中身は見せてくれないが、通帳を見せびらかされたこともある。

その時は冷めた目で夫を見ていた。

この記憶が意外な所で役に立った。

私は早速夫に連絡を入れて、

「次に会う日を決めましょう」

と送ったらすぐに返事が来た。

「今週の土曜日で良いかな」

と、まるで離婚を話し合っている夫婦には思えないようなやり取りだ。

その後の交渉では、もう『子どもを連れて来て欲しい』というお願いはしなかった。

お願いしたところで聞いてくれることは無いのだから。

それよりも、この状況を打開したくて藻掻いた。

それが子どもを取り戻すことにつながると信じて。

モラハラや虐待に関する記録も、推敲に推敲を重ねた。

できるだけ自分の感情を入れず、ただ淡々と事実を記した。

まとめてみると結構なボリュームになり、ああ、こんなにも色んなことがあったんだな、と思った。

ずっと我慢するしか無いと思い込んでいたのに、その結果がこれだ。

自分が滑稽で憐れで、思わず笑ってしまった。

我慢し続けることには何の意味も無かった。

ただ単に私が弱かっただけ。

子どもまで巻き込んでその弱さを正当化しようとした私はとても罪深い人間だ。

あの頃必死に前を向き続けることができたのは、そういった懺悔の気持ちもあったから。

勝手だけど、ただ赦されたいと思った。

2025年5月16日金曜日

夫から【子どもを遠くから見ること】を許された日

やっと子どもに会える!

ある時、夫から連絡が来た。

「俺はお前と違って寛大だから、子どもに会わせてやる」

と言い、日時を指定してきた。

こっそり見に行ってもその姿を確認できず。

前回の話し合いにも連れて来てはもらえなかった。

それが急に会わせてくれるなんて。

一体何を企んでいるのだろうか、と少し不安になった。

夫のような人が相手のことを想って何かをすることはない。

だから裏があるんだろうと思った。

でも、私はその提案に飛びついた。

会いたくて会いたくて夢にまで見た再会なのだから。

断る理由は無かった。

会った瞬間、子どもはどんな顔をするだろうか。

それを想像しただけで胸が躍った。

こういう時、ちょっと気に入らないことがあって夫が臍を曲げてしまうと無かったことにされてしまう。

だから慎重に慎重に会話して怒らせないように気を付けた。

電話を切った後も、ずっと子どものことを考えていた。

持って行くプレゼントや一緒に行く所を考えたりもした。

離れていたのはほんの少しの間だから。

大丈夫、きっと元に戻れる。

そう思いながらその日を心待ちにしていた。


すぐ傍に居るのに・・・

7月某日。

その日が本当に待ち遠しくて、当日はかなり早く着いてしまった。

あまり早すぎると迷惑かな?と思い、そのまま待った。

待っている間、道行く人を見るのも楽しかった。

多分、その日は私の心がウキウキしていたからだろう。

皆が幸せそうに見えて、それを見ている私も穏やかな気持ちになった。

5分前になり、用意したプレゼントを握りしめながら電話をかけた。

だけどなかなか繋がらなくて。

何度か掛けたら、やっと夫が出た。

「約束した場所に着いてるよ」

と伝えると、

「じゃあ今から(子ども)とうちの親が通るから。あっ、遠くから見るだけにしてね」

と言われ、すぐに状況が飲み込めなかった。

すると夫が強い口調で、

「絶対に近寄ったり声を掛けたりするなよ!」

と言った。

その直後、少し離れた場所を子どもと義両親が歩いて行った。

ああ、そうか。

そういうことか。

私はてっきり会えるものだと思っていたのに。

遠くから見せてくれるだけだったんだ。

お義母さんと手をつないでどこかに向かう子どもがすぐそこに居た。

それなのに話すこともできなかった。

せめて手を振って私のことに気づいてもらいたかったけど、夫から

「絶対に見つからないようにしろよ!」

と言われてしまい、ただじっと見つめるしか無かった。

時間にしたら恐らく1分足らずのことだった。

夫はどこかでその様子を見ていたのだろうか。

苦しむ私を見てあざ笑っていたのだろうか。

顔を見ることができたのは嬉しかったけど、やっぱり話したかった。

力いっぱい抱きしめたかった。

期待してしまった分その落差が大きくて、しばらく動くことができなかった。

2025年5月15日木曜日

交渉のため、モラハラや虐待の記録をまとめ始めた

何気ないメモがこんな形で役立つ日が来るとは・・・

その日にあったことなどを、実はこっそり記録していた。

といってもそんな大げさなものではなく、メモ程度のもので。

何かあった時だけ書いていた。

あまり意味が無いかな?と思ったりもしたんだけど・・・。

何かしなければという気持ちから続けていた。

まさかそのメモが、こんな形で役に立つ日が来るなんて。

バラバラに記録されていたものをまずはまとめ、時系列で並べ直すことにした。

メモを読み返してみると自分の置かれていた状況をよく理解できた。

夫がどれほど酷いことをしてきたのか。

自分勝手な都合を押し付けていたのか。

全部分かった。

やはり離婚を選択したことは間違ってはいなかった。

そう思うのと同時に、当時の光景が浮かんできて恐怖も感じた。

大分前のことでもはっきりと思い出せてしまうのは、それだけ強烈な印象を残した出来事だったからかもしれない。

記録を読み返すことで、そういった記憶が掘り起こされることが怖かった。

でも、逃げていても何も始まらない。

私はその頃の記憶と向き合うように一つ一つのメモを丁寧に記した。

まとめた物を弁護士さんに送信。

夫が条件を変えて来ないので、水面下でしか協力してもらえないのだけれど・・・。

数時間後、弁護士さんから連絡があった。

やはりそのメモが交渉の時に使えるらしく、次回までにもう少し手を入れて効果的なものにすることになった。

虐待やモラハラの証拠も残しておければ良かったんだけど。

夫に壊された学用品やコップなどは全部捨ててしまった。

写真を撮ったこともあったが、気づかれて消去させられた。

そういうものがあれば、もっと私たちのペースで進めることができたと思う。

その後も記録として残した物を色々チェックしていて、一枚の画像が見つかった。

すっかり忘れていたのだけれど、子どもが虐待された時のものだった。

不鮮明で、少し暗めの色味で。

こんな物、役に立たないかもしれない。

だけど、少しでも可能性があるならと思い、そちらも弁護士さんに送った。

夫のような人は議論になると負けない自信があるようで、とてもじゃないが太刀打ちできない。

だけど、反論できない証拠があれば別だ。

その画像を証拠として出すことができれば一気に形勢逆転できるのではないかと、久々に気分が高揚した。


焦り・後悔、そして暴走

その頃の私は常に焦っていた。

早く何とかしなければ。

子どもを取り戻さなければ。

眠っている時以外はずっとそんなことを考えていた。

寝ている時でも夢に見るほどで、それくらい切羽詰まっていた。

焦り過ぎて日常生活にまで気が回らず、数々の失敗をやらかした。

例えば溶き卵を作ろうとお皿を用意したのにフライパンに割り入れてしまったり。

洗濯機のボタンを押したつもりが押されてなくて延々と待っていたこともあった。

居ても立っても居られず、連日のように部屋を見に行ったり。

夫に子どもの様子を教えてもらうために連絡を入れたことも。

それで返事がなければ夫の友人Nにもメッセージを送った。

とにかく何かしなければと思っていて、全てが空回りしている感じだった。

そんな私に活を入れてくれたのは先輩だった。

「(子ども)ちゃんのことはきっと大丈夫だから。

 もっと冷静に上手く立ち回らなくちゃだめだよ」

と声を掛けてくれた。

忙しなく過ごすことで気持ちを落ち着かせていたというのもあると思う。

あんな夫に子どもを連れて行かれるなんて。

そんな事態になることなど想像もしていなかったから。

想定外の事態に慌て過ぎてしまった。

ただ、モラハラの記録を書きおこすのもそれが原動力になっていて。

『うぉ~!!!』と物凄い勢いで書き上げた。

この行動が幸せな未来につながっていれば良いな。

その一心で書いた。

2025年5月14日水曜日

4回目の話し合いで『子どもに会わせて』と懇願

こっそり見に行ったあの日

事前に夫にお願いしてみたが、やはり子どもを連れて来てはくれなかった。

どうしても会いたくて、席に着くなり

「子どもに会わせてください」

と頭を下げた私を夫はせせら笑った

「俺もお前に同じことをお願いしたよね」

と言われ、何も言えなくなった。

実はこの時も夫の友人Nが同席していた。

この人は前回夫が虐待していたことを知ったはずなのに。

そんな人が子どもと一緒に居ることを何とも思わないのだろうか。

子どもはあの部屋に居て、小学校にも通っているはずだった。

だからこっそりその姿を見に行った。

でも、確認できなかった。

もう夜に近い夕方だったからタイミングが悪かったのかも。

せめて声だけでも聴きたいとすぐ傍まで行き、部屋の灯りがついていることだけは確認した。

あまり長居もできないから、結局何も分からないままその場を離れた。

駅までの道のりは何だかいつもよりも遠くて。

自然とあの日のことが思い出された。

二人で逃げたあの日のことを。

立ち止まってふと後ろを振り返ったら、

「ママ~」

と言いながら子どもが駆け寄ってくるような気がして。

ふと足を止めた。

だけど、聞こえてきたのは大通りを走る車の音だけ。

不安で悔しくて悲しくて、私は声を上げて泣いた。


夫はやり直すことを要求

思いのほか早く話し合うことになったのには理由があった。

離婚前提なら、もっと時間を置いていただろう。

でもそうならなかったのは、夫側がやり直すことを望んでいたからだ。

子どもも自分の所に居るから有利に進められると考えたに違いない

この提案は想定内で、事前に弁護士さんからも助言をもらっていた。

夫のような人は色んな揺さぶりをかけてくるから。

惑わされることもあるかもしれないが、絶対に乗ってはいけない。

ましてや家に戻るなどという選択をしてはいけない、と言われていた。

それなのに、私はぐらんぐらんと揺れていた。

戻りさえすれば子どもに会えるんだ・・・。

一緒に居られるのなら、もう何も要らないと思った。

この性格も見抜かれていたのか、『迷ったら返事をせずに持ち帰って』とも言われていた。

だから、この時夫の提案に乗らずに済んだ。

「ちょっと考えさせて・・・」

そう答えたら、夫は分があると思ったのか、

「よく考えたら良いよ。何が一番良いのかを」

と言った。

その言い方には含みがあり、まるで結末が分かっているとでも言いたげだった。

モラハラと闘うのは、とても大変なことだ。

まるで途轍もない巨大な迷路に迷い込んだよう。

大切な人たちを守ろうとすれば自分たちの自由を諦めなければならない。

自由を求めれば、周りにも危害が及ぶ可能性がある。

堂々巡りでいくら考えても答えが出なくて。

私はいつも途方に暮れていた。

夫が気軽な感じで、

「こうやって定期的に会おうよ」

と言ったが、その時もどこかぼんやりとしていた。

会いたくないけど、会った方が良いかな。

そのうち子どもに会わせてもらえるかな。

思考が定まらないまま夫のペースで話し合いが進み、最後に夫が

「部屋の更新よろしくね」

と言った。

・・・そうだった。

もうすぐ更新だから出て行ってもらおうとしていたのに。

子どもを取り戻すまでは、そんな場合ではなくなってしまった。

2025年5月13日火曜日

子どもに会いたい、ただそれだけだった

夫との交渉を急いだ

このまま子どもと離れて暮らすのは大きなリスクになると感じていた。

もっとも懸念されたのが子どもの精神状態だ。

虐待する父親と一緒に居たら心が休まる時間も無いだろう。

恐らく親権を取るまでは夫も大人しくしているはずなので。

それまでに何とかしなければと思った。

この件に関しては義両親も絡んでいるような気がしてならなかった。

現状を知るためにも、再び夫側と話し合わなければと動き始めた。

翌日には早速連絡を入れて、

「早急に話し合いたいので連絡ください」

というメッセージを残した。

こういう時、夫はすぐに返信を寄こさない。

自分の方にボールがある時にはなかなか動かないのだ。

それも分かっていたので、しつこいくらい連絡を入れた。

もう怖いなんて言っていられる状況では無かった。

ただひたすら、反応してもらうために連絡し続けた。

しつこくすれば怒って反応してくるだろう。

それで構わなかった。

案の定、しつこいメッセージに腹を立てた夫が、

「一体何の用ですか。いい加減にしてください」

と返信してきた。

これを逃すまい、と私は上手く次の話し合いに誘導しようと試みた。

ただ、夫はかなりの曲者なので、なかなか乗ってこなくて・・・。

焦って何か夫側にメリットになるようなことを用意しなければと考えた。

だけど、その考えはすぐに捨てた。

恐らく一度良い思いをしたら次から次へと要求してくるだろう。

そうなったら、更に交渉は難しくなる。

『とにかく夫と話したいんだ』というのを前面に出してアピールした。

そのアピールが功を奏したのか夫も乗り気になってきて。

その日のうちに次回の話し合いの日時と場所が決まった。


水面下で弁護士に相談

3回目の話し合いの中で、お互いに弁護士に依頼しないということになっていた。

だけど、このままでは相手の言いなりになってしまう。

そんな危機感を持っていた。

それで、こっそり弁護士さんに相談することに決めた。

この時も相談に乗ってくれたのは先輩だった。

何度か実家の両親や姉から『大丈夫なの?』と連絡を貰ったのだけれど。

心配かけたくなくて『大丈夫だよ』で通した。

子どもと話したがっていたが、『今ちょっと手が離せなくて』と言い訳をした。

なぜそんな状況になっても真実を伝えられなかったのか。

あの頃の自分の心理状態を思い返してみると、やはり冷静では無かったと思う。

先輩が紹介してくれた弁護士さんに会いに行く日。

私はとても緊張していた。

こういうのって運もあるから、良い巡り合わせがあればスムーズに決まる。

だけど、期待しているような結果が得られないこともあるから。

もしダメだったとしても気持ちを切り替えて頑張ろう。

そんな風に心の準備をしていたのだが・・・。

お会いしてみると、非常に良い方だった。

信頼できると感じたので、そのまま相談することを即決した。

若いけれど熱意があり、私の気持ちにも寄り添ってくれて。

何だかとても強力な助っ人と知り合えたようで嬉しかった。

一つ問題があるとすれば、夫と決めた条件だった。

あの約束が生きている限り、弁護士さんに交渉してもらうことは不可能だ。

それに、こちらが弁護士さんを出したら相手もそうするだろうから。

弁護士さん VS 弁護士さんになった場合、どうなるかも分からなかった。

だから、とりあえず現状を伝えてどのように動くべきなのかを相談することにした。

2025年5月12日月曜日

夫に子どもを連れ去られた日のこと

ある日突然、連れ去られた

家を出てから目まぐるしく状況が変化していった。

最初は『これからどうしよう・・・』と絶望の日々だったが・・・。

子どもを何とか小学校に通わせて、私も仕事を再開した。

いつも通りとまではいかないけれど、それに近い状態まで戻っていたのに。

ある日突然、状況が一変した。

その日から、辛くて苦しい日々が始まった。

あの日。

いつも通りに小学校に迎えに行った。

時短勤務の許可をもらい、まだ明るいうちに会社を出る日々。

お給料は減ってしまうけれど、それで子どもの笑顔を守れるなら。

そう考えて、必死に毎日やるべきことをこなした。

学校につき、いつものように校門の傍で子どもを待っていた。

その横を元気に通り過ぎる児童たち。

もうすぐ来るかな?

平日は毎日迎えに来てるのに、いつも顔を見るのが待ち遠しくて。

声がする方を確認してはソワソワしていた。

だけど、いつまで経っても来なくて。

段々と不安になった。

嫌な予感がする。

胸騒ぎがして居ても経っても居られなくなり、その周りをウロウロと探した。

だけど居なくて。

数十分後、私は確信した。

夫が連れて行ったのだと。

ずっと警戒していた。

夫ならやりかねないから、迎えに来るまで校門の外には出ちゃダメだよって言ったのに。

全身の力が抜けて、その場にへたりこんだ。


遠くから見守る日々

すぐに夫に電話をかけた。

待ち構えていたかのように、すぐに出た夫は、

「お前だって勝手に連れ去っただろ。こっちがやったら非難されるの?」

と言った。

「お願いだから(子ども)に会わせて」

とお願いしても、

「俺だってずっと会わせてもらえなかったよ」

と冷たく言い放ち、通話は切られた。

それまで『子どもと一緒に居られればそれだけで幸せ』だと思っていた。

そのたった一つの願いさえも奪った夫。

その時、心の底から憎しみを感じた。

子どもが虐待されていないかも心配した。

これからどうしようか・・・。

途方に暮れた私は呆然とし、どうやって帰ったのかも覚えていない。

家に着いて電気もつける気力もなく、ただ涙を流した。

夫からは、ある条件を出されていた。

勝手に会いに行くようなことはしないで、と。

その条件を守れば、離婚の交渉が順調に進んできたら会わせると言われた。

それさえ守れば会えるんだ。

そう思って必死に守ろうとしたけれど。

どうしても顔を見たくて、こっそり小学校まで通った。

夫が送り迎えしているようだったので、気づかれないように気を付けながら。

声を掛けることもできない。

ただ遠くから見つめるだけの日々。

顔を見られた時には嬉しくてホッとして安心できたのだけれど。

このまま会えなかったらどうしようと考えたら泣けてきて泣けてきて。

その後会社に向かう電車の中でこっそり涙を流した。

2025年5月11日日曜日

離婚の条件が想像の斜め上を行っていた

夫が財産分与を要求

やはりお金の話になった。

そうなるかな?とは思っていたが。

その内容が、ちょっと耳を疑うようなものだった。

夫は私の預貯金の詳細を求めてきて、そのうち結婚後の部分について

「財産分与の対象になる」

と言った。

その程度の知識なら私にもあった。

でも、夫の方の預貯金を全く知らされていなかったから。

この部分はお互いに目をつぶって話題に上らないのかなと思った。

それなのに私の方だけ分けろと言うなんて。

そんなのフェアじゃない!と思って、

「あなたの分も詳細を出してください」

と伝えてみたが、

「結婚後に貯めたものは無い」

と言われてしまった。

そんなはずはない。

最初の数年は共働きで、結構なお給料をもらっていたのだから。

生活費は折半だったし、散財していた様子もない。

収入に合わせて負担比率を変える、というようなこともしなかった。

本当にほぼ折半。

だから、相当貯まっているはずなのに・・・。

このままでは不利な状況になってしまうと思い、

「ここ数年はずっと私のお給料だけでやってきたから貯金なんて雀の涙だよ」

と伝えた。

大変な思いをしながらも少しずつ貯めたお金。

大きな額ではないけれど、私たちにとっては本当に大事だった。

そのお金まで取り上げられたら引っ越しや新生活の準備もままならなくなる。

この提案を到底受け入れることはできなくて、私も必死で抵抗した。

そんな様子を見て、卑屈な笑みを浮かべる夫。

その顔を見たらゾッとして背筋が寒くなった。

結局、そのままどちらも譲らず次の話題へと移った。


夫に都合の良い条件ばかり

『引っ越し先は必ず教えて欲しい』と言われた。

万が一連絡を取らなければならなくなった時に困るから、という理由で。

『弁護士はつけずに直接話し合おう』とも言われた。

これにはすぐに同意した。

夫の方は良い弁護士をつけられるだろう。

でも、私の方は資金的に十分な準備ができないかもしれない。

今住んでいる家を出るのは夫のタイミングに委ねることや、慰謝料を支払うことも求められた。

ん?慰謝料??

この時、話し合った内容を正確に記録するためにせっせとメモを取っていた。

言われるがまま書き綴っていて、最初『慰謝料ってどんな字だっけ』なんて考えていた。

その直後にえっ?!と気づき、メモを取る手を止めた。

この人は一体何を言っているのだろうか。

それが正直な感想だった。

何で私が慰謝料を払わなければならないの?

この時の私の表情にはそんな思いがにじみ出ていたのかもしれない。

不満気な様子を感じとった夫は

「精神的に傷つけられたから当然だ」

と正当化してきた。

この人はいつも自分だけが傷ついてると思っているのだ。

私たちだってずっと傷つけられてきたのに。

夫の挙げる条件は他にもあった。

離婚したら再婚は絶対にしない、とか。

普通こんな条件つけるの?ということばかりが並んだ。

どれもこれも意地悪をしているようにしか思えない内容で・・・。

きっと私に幸せになって欲しくないんだろうなと感じた。

それまでも十分に傷つけあってきた私たち。

最後くらい優しい気持ちでお別れしたかった。

だけど、夫にはそんなつもりはないようだった。

離婚することにはなったけど、全部が全部、辛かったわけじゃない。

探せば楽しい思い出もあったはずなのに。

それさえも奪っていくつもりなのだろうと思った。

2025年5月10日土曜日

『どこからが虐待なのか』で意見が対立

久々に夫との対峙

3回目の話し合いは、夫と夫の友人、私の3人で行われた。

前回と違って待ち合わせ場所はすぐに分かったんだけど。

とにかく周りが煩かった。

こんな場所で本当に話し合えるのだろうか、と最初から不安になった。

席に着くなり鋭い目つきで睨みつけてきた夫が、

「何か言うことは無いの?」

といきなり言ってきた。

最初の一言がこれだったので、もうビビっちゃって心臓がキューっとなった。

これは謝れということなのだと思い、

「ずっと連絡できず、すいません」

と謝ったのだが、

「そういう話じゃないでしょ!」

とまだ怒りが収まらない様子で。

このままではマズいな・・・と焦った。

でも焦れば焦るほど思考が停止してしまい、身動きが取れずにいた。

いつもは賑やかな夫の友人も、肝心なところで役立たずだった。

その間、夫は大きなため息を繰り返しながら圧を掛けてきて、開始早々険悪な空気に包まれた。

私が何のことだか分からなくて答えられずにいると、

「あのさぁ、子どもを勝手に連れて出ていくなんて、はっきり言って犯罪だよ」

と夫がイライラした口調で言った。

「今日だって連れて来ねーし。自分のやってること分かってないの?!」

と責められて、思わず謝ってしまった。

だけど、よく考えたら謝る必要なんてなかった。

だって私の判断は間違っていないんだから。

夫が虐待していたことは、ここにも何度も書いてきた。

本人だけがそれを認めていない状況で、義両親だって本当は気にしていたと思う。

離婚という大事な決断をするための話し合いなので、私も言いたいことを言わなければと思い、

「あなたは子どもに虐待していたでしょ。置いていけるわけないよ」

と言った。

隣で聞いていた夫の友人(以下N)がここで急に参戦してきて、

「ちょっと待って。虐待って何?」

と聞いてきたので、それまでのことをかいつまんで説明した。

話の途中で夫が、

「あんなの虐待じゃねーよ。都合の良い話ばっかりするな!」

と怒鳴ったのだが。

この声が結構大きかった。

あんなに賑やかなお店でなければ、きっと悪目立ちしていたに違いない。

だけど、周りもワイワイガヤガヤと話していたので、気づいたのは近くのテーブルのお客さんだけだった。

こういう時、意外とNは周りを気にするタイプなのかもしれない。

「もう少し落ち着けって」

と夫を宥めてくれた。

一言注意されただけでいくらかトーンダウンした夫。

私が同じことを言ったら激高するくせに。

こんな些細なことからも自分の立ち位置が分かってしまい、ちょっと悲しくなった。


どこからが虐待なのかという不毛な言い争い

その後の数十分ははっきり言って不毛な時間だった。

Nが詳細を聞きたがったので少し細かく説明したのだが、それを聞いていた夫が

「しつけと虐待の区別もつかないなんて。母親失格だな」

と言い放った。

子どもが言うことを聞かないから叩いたのはしつけだ。

お説教しているうちにヒートアップすることもあったが、それも愛情からだった。

蹴ったと言うけれど、自分には覚えがない。

ケガをするような叩き方はしていない。

この他にも色んなことを言っていたが、途中から頭に入って来なくなった。

だって、あれが虐待じゃないと本気で思っていたなんて・・・。

蹴ったことも覚えていなければ、ケガもさせていないという認識だった。

「ケガをさせたこともあったでしょ?」

と反論したら、

「いつの話?」

と具体的な日付を言うように迫られて言葉に詰まってしまった。

そんなの覚えてないよ。

いつ頃というざっくりとした記憶ならあるけど。

「日付までは覚えてないけど」

と言ったら今度は

「病院に行った訳でもないし。あなたはかすり傷でもケガと呼ぶんですか?」

と嫌味ったらしく言われた。

衝撃だった。

病院にかからなければケガじゃないと思ってるんだ。

アザになったり赤く腫れたこともあったのに。

私はこの瞬間、物凄いモンスターと対峙しているのだと自覚した。

2025年5月9日金曜日

仕事再開、離婚に向けた話し合いで夫からの要求

子どもを連れて来い

3回目の話し合いに関し、夫から

「子どもを連れて来い」

との要求があった。

1回目、2回目は義両親しか来なかったのだが。

夫は精神的に参っていて来られなかった、と聞いた。

だから、よほど堪えているのだろうと思っていたが・・・。

やり取りをした感じでは、そんな様子は全く無かった。

むしろ戦闘態勢に入っているな、と感じることの方が多くて恐怖を感じた。

3回目の話し合いが決まった後。

夫の友人も来ることを渋々了承していた。

それだけでもかなりの譲歩なのに、夫は急に

「一方的に子どもを連れ出して一度も会わせないのはどういうことか」

「次回連れて来なかったら、相応の対応をさせてもらう」

と言い始めた。

これには本当に困ってしまい、

「それは、もう少し落ち着いてから・・・」

とお茶を濁そうとしたのだが、かなり強い言葉で非難されて断れなかった。

ただ、夫へのトラウマがあるうちは会わせたくないという思いも強く・・・。

『パパに会いに行こう』とも言えないまま刻々と時間だけが過ぎて行った。

子どもだって、顔を合わせたら色んなシーンがフラッシュバックしてしまうだろう。

虐待というのは本当に罪なことだ。

家の中で傍若無人に振舞う人が一人でも居れば、そこは地獄と化してしまう。

悶々とそんなことを考えながら過ごしつつ、仕事も再開させた。

日々やるべきことが増えてかなり忙しくなった。

仕事していても、子どものお迎えは必須だ。

あれほどまでに執着しているということは、小学校に会いに行かないとも限らない。

万が一のことを考えて、どんなに忙しくても送り迎えをした。


話し合いの参加者が決まった

指定された日の直前、話し合いに参加する人が決まった。

結局夫と夫の友人、私の3人になった。

子どもの件は、

「あなたのことをトラウマレベルで怖いと思っているから無理」

と正直に伝えた。

身に覚えがあるからか、それ以上追求されることは無かった。

来てもらえないと思いつつ、ダメ元で言ったのかもね。

それと、当日急に予定されていない人が来るのはNGというのも徹底してもらった。

何も言わないと友人たちが加勢してきそうな気がした。

実は連れてくる友人も候補が2人居た。

1人は物静かで何を考えているのか分からない人。

もう1人は夫とワイワイ騒いで、色んな集まりにも率先して出る人。

どちらも居ると厄介だけど、より厄介なのは賑やかな方の人かな?と思った。

だから、物静かな方の人になれば良いと思ってたんだけど。

残念ながら後者で決まってしまった。

正直なところ、その人がとても苦手だ。

普通なら言うのを躊躇うようなことを平気で言ってくるからだ。

離婚の話し合いはデリケートな話題も多い。

精神的にも疲弊していて無用なストレスは避けたいところ。

それなのに、彼は平気でズケズケと無神経な発言をしてきそうな気がした。

内心は物凄くガッカリしたんだけど、『違う人にしてよ』とも言えず・・・。

ブルーな気持ちのまま、当日の朝を迎えた。

ちなみに、この時も子どもには『休日出勤』ということに。

不安や心配はストレスになるから。

少しでもそういう要素を取り除いてあげたかった。

2025年5月8日木曜日

部屋の更新時期であることを夫に伝えたが・・・

解約を受け入れない夫

ようやく話し合いを始めた私たち。

でも、早く離婚したい私に対し、夫はとても慎重に見えた。

ちょっとしたやり取りでも粗探しをしている気がして、私も神経質になった。

そもそも、夫は元に戻ることしか考えておらず。

離婚という基本的な部分でも意見の相違があった。

円満に元に戻れるくらいなら初めからこんな事態に陥っていないのに。

それが分からない位だから話し合いが難しかったのだけれど・・・。

一日でも早く離婚したい私に、夫は

「自分の都合ばっかり」

と言った。

始めの頃は、『段々と夫の気持ちも変わってくるだろう』なんて呑気に構えていたのだが。

時間の経過と共に少しずつ焦り始めた。

時折同意しているように見えることもあれば、頑なに拒否することもあり。

その時々で対応が異なるのも混乱した要因の一つだった。

きっと夫の中でも気持ちが定まって居なかったのだろう。

もうこんな奴、俺の方から願い下げだわ!と思ったり。

家族が居なければやっていない・・・と思ったりしたのかも。

揺れ動くのは仕方の無いことだと思う。

ただ、当初の予定よりも大分ゆっくり進んでいたので、それで困ることもあった。

それは家の問題だ。

更新の時期が迫り、解約に関しても焦りが生じ始めて、とうとう

「部屋の更新があるんだけど、解約しても良いですか」

と聞くことになった。

本当はスムーズに離婚が成立すれば、わざわざ言わなくても良かったのに。

その気配が全くなかったので、言わざるを得なくなった。

私としてみれば、本当に勇気を振り絞って『解約したい』と打ち明けたんだけど。

夫は鼻で笑って、

「はっ?この状況で?すぐには無理でしょ」

と言い放った。


更新しなければ今後の話し合いにも応じないと言われ・・・

切羽詰まった状態で部屋の解約を打診してしまったのは失敗だった。

夫は足元を見てきて、

「部屋の更新は、話し合いに応じるための最低条件だ」

などと言ってきた。

つまり、更新しなければ離婚の話し合いもできないということだ。

これには大変焦り、勿体ないけど更新するしかないかも、と弱気になった。

夫がこういう風に言い始めたら、その時点で絶対条件だ。

決して妥協などしないし、無理やり解約したらそれこそ攻撃材料にされてしまう。

このお金があれば・・・と考えると口惜しかったが、納得するしか無かった。

これに味を占めた夫は、次々と要求を突き付けてきた。

例えば、次回は私も知っている夫の友人を交えて3人で話し合いたい、とか。

私が弁護士をつけたら、夫側は離婚に強い知り合い弁護士を立てて全てにおいて妥協しない、とか。

聞けば聞くほど恐ろしいと感じてしまった。

攻撃的な状態の夫は、正直手に負えない。

普段から対処が難しいのに、こういう時は更に難しくなった。

それで、この状況はマズイと感じて穏便に済ませようとした。

結局、次回の話し合いは『夫の友人を交えて3人で』ということが決まった。

はっきり言って不利だ。

だって私の友人では無いんだもの。

夫はどちらのことも知っていて公平に見てもらえると言うが。

そんなはずはない。

その人の奥さんなんかも仲間内の人で、皆が夫を擁護していた。

鬼嫁に勝手に子どもを連れ去られて、一人寂しく家で耐えている。

そんな構図が出来上がっていることを知っていた。

だから、きっと当たりも強いだろうなと思った。

それにしても、友だちの離婚話なんかによく首を突っ込もうとするな~と感心してしまう。

私だったら、今後の諍いの原因になりそうだから絶対に嫌だ。

それに、友だちの前で堂々と、

「あなたの子どもへの虐待と二人へのモラハラが嫌でした」

って言っても良いのだろうか、と考えてしまった。

結局、弱気な私と全て思い通りにしたい夫という状況は変わらず。

終始相手のペースで決められ、2対1で話し合うことになった。

泣き言なんて言っていられる状況ではなくなった。

2025年5月7日水曜日

2回目の話し合い後、夫からの揺さぶり

同情心を煽ろうとする夫

2回目の話し合いの後。

案の定、夫から連絡があった。

義両親から『精神的に参っている』という話をされた私が同情して態度を軟化させると思ったのだろう。

だが、そんなに簡単に決心は揺らがなかった。

むしろ、情に訴えるという卑怯な手を使ってくることに、より嫌悪感をおぼえた。

これまでだったら、多分『可哀そう』と多少は譲歩したかもしれない。

でも、離れてみて夫がどれほど酷いことをしてきたのかが分かったのだ。

見えなかった物が見えてきた、という感じなのかな。

これ以上、一緒には居られない。

その気持ちが変わることは未来永劫無いだろうと思った。

夫は、

「俺ってこんなに弱い人間だったかな」

と弱々しい声で言った。

これも全部アピールなのだと思ったら、真剣に聞くのが馬鹿らしくなった。

「私たちが居なくても大丈夫だよ」

と伝えても、

「俺はもうだめだ」

と繰り返すばかり。

「もう終わりだ」

と何度も言うものだから、心の中で『大袈裟なんだよ』と毒づいた。

いつも、そうだった。

自分が少しでも傷つけられると、まるでこの世の終わりようなテンションで接してくる。

そのくせ、私たちを傷つけることには鈍感だった。

何をされてもお前らは耐えろ、と言わんばかりに傷つけてきた。

『自分のしてきたことが跳ね返ってきたんだね』としか思えなかった私は、

「戻っても同じことの繰り返しだよ」

と告げた。

すると、電話口の夫は急に静かになって、何も言葉を発しなくなった。

その後は嗚咽ようなものが聞こえ、時々鼻をすすって泣いているのが分かった。

本当に泣いているのかな。

それとも、私へのポーズなのだろうか。

演技派の夫の本心がどこにあるのか分からなくて戸惑った。


泣くばかりの夫を擁護するかのようにお義父さん登場

ずっと泣いていて、全く話さなくなった夫。

しばらく様子を窺がっていたのだが、一向に話し始める気配が無かった。

本当は電話を切ってしまいたかったんだけど。

きっと『俺の気持ちをないがしろにされた』と怒るだろうから切れなくて。

どうしたら良いのかと考えあぐねていた。

5分位そんな状態が続いた。

もういい加減時間の無駄だと思って、

「また落ち着いたら話し合いましょう」

と伝えたのに返事が無く、電話口からはガサゴソと何やら音が聞こえた。

これが逆の立場だったら有無を言わさず切られていたことだろう。

普段の電話だって、機嫌を損ねたらガチャ切りされていたんだから。

それでも私は怒らせるのは得策ではないと思って、辛抱強く待った。

そうしたら急にお義父さんの声が聞こえて、

「こんなにお願いしてもダメか」

と言われた。

お願いされたって、到底受け入れられるものではない。

もし夫を許してしまったら、ずっと苦しめられることになる。

ここで負けてはいけないと、

「何度もお話しましたが、もう無理なんです」

と伝えた。

スピーカーになっていたのか、一緒に聞いていたと思われる夫が再び大袈裟に泣き始め、お義父さんは怒り口調で、

「何でも自分の思い通りになるなんて思ったらだめだ」

と怒っていた。

最初、この言葉は夫に対してだろうと思っていたのだが違った。

何の返事もしない私に向かって、

「ちゃんと聞いてる?少しはこっちの気持ちを汲む姿勢を見せても良いんじゃないの?」

と言った。

この言葉で、私に言っているのだとようやく理解できた。

私にも言いたいことはたくさんあったのに。

この時も我慢してしまった。

これまでずっと我慢して来たせいで、こういう時に黙り込む癖がついてしまった。

「とにかく、このままでは何も決まらないよ。こっちも時間をかけてやるつもりだから」

と言われ、電話は切れた。

一方的に言いたいことを言い、切れた電話。

モラハラ夫と離婚するのは大変だと聞いていたが・・・。

本当にここからが非常に困難で、長い長い闘いになった。

私も段々と冷静さを失っていった。

2025年5月3日土曜日

夫が私への慰謝料請求を考えていた

なぜ夫は来なかったのか

義両親に『良い報告を』などと言うくらいなら、なぜ夫本人が来なかったのか。

それを単刀直入に二人に聞いた。

そうしたら、『出て行かれたことで精神的に参ってしまい、来られなかった』と言われた。

夫ほどではないが、お義父さんもこちらの罪悪感を煽るようなことを言ってくる。

そのくせ、『でも(夫)が悪いんだから気にすることはない』と言う。

どっちなの。

気にする必要はないと本気でそう思っているのなら気にしないようにするが。

本心では『お前らのせいだ』と思っているのが分かった。

だからと言って責め立てるようなことも無く、あくまでお願いベースだった。

本当は第三者とだけ話しても埒が明かないのだが、仕方がないので、

「それで、(夫)さんは今の状況をどのように考えているんですか」

と聞いた。

その答えが想像の斜め上をいっていたので、思わず聞き返してしまった。

「本当は慰謝料を請求したいくらいだが、まだ愛情が残っているのでできない」

「二人のことは大事に思っているから、できればやり直したい」

「夫も私に対して思うところがあったが、お互い様だと思って言わなかった」

「子どもの教育を私が全く考えていないと思った」

「再就職に向けて頑張ろうと思っていたのでサポートして欲しかった」

まとめるとこんな感じ。

どれもこれも信じられないのだが、特に慰謝料の話が出た時には驚いてしまった。

私が有責になるってどういうこと?

もしモラハラや虐待の件が認められなかった場合でも、どちらも有責にならないと思っていた。

「どうして私が慰謝料を払うことになるんですか?」

と言ってみたら、お義父さんから

「話し合いもせず子どもを連れ去ったからだよ」

と言われた。

それからは、有責になるならないで揉めた。

だって、家を出たのが悪いと言ってもあの状況では出る以外の選択肢が無かったではないか。

戻っていたらどうなっていたかなんて簡単に想像できた。

その場にお義父さんも居たのに、夫の言い分を肯定することも信じられなかった。

色んな疑問が後から後から出てきて。

一つ一つ確認せずにはいられなかった。

最初は公平な立ち位置で話そうとしていたお義父さんだったが。

次第に夫寄りの意見に変わっていった。


あの日のことを『大げさ』だと言われて

家を出た日は本当に修羅場だった。

あのまま留まればケガをすると思った。

だから慌てて子どもを連れて逃げ出したのだ。

それなのに、『家を出たまま帰らないなんて大げさだ』と言われて愕然とした。

「危険を感じたと言うのなら、その通りなんだろう」

と言いつつも、

「その後(夫)が冷静になった時点で帰ってやれば良かったんだ」

とはっきり言われた。

「(子ども)ちゃんの件も、正直大げさだと思うよ」

などと信じられない発言もあった。

それだけは許せないと思って反論したが、

「教育に対する考え方は人それぞれだから」

と一蹴された。

私も、薄々は分かっていたのだ。

あんなにも目の前で虐待されているのに、その後何事も無かったかのように振舞えるなんて。

夫と似たところがあるに違いない、と。

結局最後は言い合いのような感じになり、収拾がつかなくなってしまった。

お義母さんも時々は発言するのだが。

ほとんど私とお義父さんで言い合っていた。

と言っても、強い言葉で圧をかけてくるお義父さんに対して私は防戦一方だった。

夫が再就職に向けて努力をしているなんて話も聞いたことが無かった。

常日頃から、私の給料が安いことをなじってばかりだったのに。

三人での話し合いは結局平行線を辿り、気づいたら夜の9時をまわっていた。

もう帰らなければと思い、立ち上がったのだが、

「このままではお互い納得できないだろうから、一度家に戻るということで良いかな」

と唐突に言われ、私は慌てて否定した。

「無理です!帰れません!」

とはっきりと拒絶することができたが。

一度や二度で諦めるような人たちではない。

何度も揺さぶりをかけられているうちに、相手のペースに乗せられてしまったらどうしよう。

一人で闘うってそういうことなのかな。

帰り道、今後のことが不安で泣きそうになった。

2025年5月2日金曜日

土下座しそうな勢いの義両親に困惑

『良い報告を持って帰りたい』という義両親

夫と義両親、私の4人で話し合うことになっていたのに。

待ち合わせ場所で待っていたのは義両親だけだった。

夫が居ないのなら話し合いもできないと、私は早々に帰ることにした。

10分くらい世間話をして、

「間もなく暑くなるので体に気を付けてくださいね」

なんて言いながら立ち上がろうとしたのだが、急にお義母さんから

「ちょっと待って!」

と引き留められた。

いきなり大きめの声で止められたので、驚いて振り返った。

そうしたら、お義母さんは自分の口からは言いにくいのか、

「ねえ、お父さん」

とお義父さんに何かを言わせようとしていた。

話をふられたお義父さんが

「私たちも今日ここまで来て何も良い報告を持たずに帰れないんだよ」

と言った。

この言葉でピンときてしまった。

恐らく夫から頼まれたのだろう。

少しでも良い報告を持ってきて、と。

だけど、肝心の夫が居ないのだから話し合いなんてできるはずがない。

こういうのは当事者同士が腹を割って話すものだと思っていた。

それを代理で済ませるということ?

困惑しながら黙って二人を見つめていたら、

「今回だけは許してやってくれないか」

と頭を下げてきた。

「いやいや・・・、そんなことされても困ります」

と慌てて止めてもらおうとしたのだが、

「本当に申し訳ない」

「次が無いように私たちも見張るつもりだから」

などと言って姿勢を戻そうとはしなかった。

私が『分かりました』と言うまでそうしているつもりだったのだと思う。

だけど、そんなバカな話を了承できるはずもなく。

「無理です」

と言い続けた。

そんなやり取りが数分ほど続いた後、突然お義父さんが

「こんなにお願いしてもダメなのか」

とやや強い口調に変わり、お義母さんはそれをサポートするかのように、

「本当にお願いします。あの子も反省してるみたいだから」

と言った。

私は心底呆れてしまった。

あの人の反省なんて口だけだと分かっている。

義両親だって、あの人を三十数年も見てきたんだから分かっているはずなのに。

なぜそれを信じろと言うのだろうか。

このままでは自分の意思とは無関係に了承させられてしまうという危機感を抱き、無理やりにでも帰ってしまおうと思った。


涙をぬぐうお義母さんを放って帰れなくて

せっかく立っているのだから、そのまま入口に向かって歩くだけだ。

私は再び頭を下げた義両親に、

「今日は失礼します」

と声を掛けて、歩き出した。

本当は走って逃げたかったけど、飲食店内だったから周りに注意しながら歩いた。

そこでふと気づいた。

周りのお客さんがチラチラと私たちを見ていることを。

気づかないうちに、皆がただ事ではない雰囲気を察知して注目していたのだ。

私は気が小さいので周りの目はとても気になる。

でも、その時はそんなこと構って居られなかった。

とにかくお店の外に出なければと歩いていたら、後ろからお義父さんが追いかけてきた。

もう少しでドアだったのに・・・。

肩を掴まれて仕方なく振り返った私の目に飛び込んできたのは、ハンカチで目元を押さえるお義母さんの姿だった。

その様子を好奇の目で見る周りの席の人たち。

お義母さんが泣いている姿を見たら胸がチクリと痛んだ。

私だって悲しませたいわけじゃない。

戸惑って足を止めた私を、お義父さんが『戻ろう』と促した。

きっと、それでも帰れば良かったのだ。

でも、お義母さんに声を掛けなければ、と思ってしまった。

再び席に戻り、二人と向かい合う形で座った頃には入店から30分以上が経過していた。

2025年5月1日木曜日

2回目の話し合い、夫の企み

夫からの提案で2回目の話し合いをすることに

6月某日。

私は翌週から職場復帰することになっていた。

子どもの送り迎えがあるから勤務時間は短くなるが。

やっと仕事を再開できることにホッとしていた。

それまでは夫の出方を窺がっていた。

でも、あまり動いている感じは無さそうなので仕事を再開することに決めた。

同じ頃、夫からの提案で2回目の話し合いをすることに。

1回目は義両親と私の3人で話した。

この時は子どもに会いたいと言う義両親の要望に応じた形だ。

2回目は夫が来ると言うのでかなり緊張していた。

顔を合わせるのはやっぱり怖い。

とても怖くて、数日前から胃が痛くなるほどだった。

だけど、ずっと逃げ回っている訳にもいかないと思った。

段取りに関しては全部夫がやって、その連絡を義両親がしてくるという感じだった。

私は指定された場所に行くだけ。

夫が来ることは明らかなのだから、今回は子どもを連れて行けない。

そのことを最初に伝えた。

そうしたら、夫はとても不満そうで、

「お前は一緒に居るから良いだろうけど、こっちはずっと会えてねーんだぞ!」

と怒鳴った。

怒鳴られただけで手に汗がじわーっと浮かんだ。

目の前に居なくても、声を聴くだけで物凄いストレスになるのだ。

電話口でまくし立てる夫の声を聞いていたら頭がぼんやりしてきて。

気づいたら過呼吸になりかけていた。

私は慌てて息を浅く吸って呼吸を整えた。

話すだけでも全身が震えてしまうのに、目の前に居る夫に自分の気持ちを伝えられるだろうか。

はっきり言って自信などなく、とても不安だった。

もしかしたら、離れたことで私のメンタルも急激に回復しているかも。

そんな甘い期待は、この電話で一気に吹き飛んだ。

激しい感情をむき出しにして不満をぶちまけてくる夫。

それに怯える私という構図は、以前と何ら変わってはいかなった。

まだ支配が続いていることを思い知らされた。

この人は私たちを逃がすつもりはないのだろうと感じた。


当日は休日出勤のフリをして出かけた

夫や義両親と会う約束をした日。

私は休日出勤のフリをして出かけた。

子どもには前の日に、

「しばらく休んでたからお仕事が溜まっちゃって。明日ちょっと行ってくるね」

と伝えた。

なぜ本当のことを言わなかったのか。

それは、前回義両親と会う時に子どもに泣かれたからだ。

その時は義両親だけで夫は来ないと伝えたのだが、不安からか号泣していた。

『パパは嘘をつくから来るに違いない』と。

そんな姿を見て、正直に伝えてしまったことを後悔した。

だから、仕事に行くフリをすることに決めた。

私だって気軽な感じで会いに行く訳ではない。

できることなら、そのまま会わずに離婚したかった。

だけど、そんなこと夫が納得するはずもなく。

最低限の話し合いはしなければならないだろうと考えていた。

当日は、携帯を見ながら待ち合わせ場所へと向かった。

余談だが私は酷い方向音痴でナビを見ながらでも迷ってしまう。

その時も、グーグル先生にお任せしてたのに何故だかちっともたどり着かなかった。

このままでは遅れてしまう・・・。

焦って義両親に連絡を入れようとしたら、向こうから掛かってきた。

私がすぐ近くまで来ていることを伝えると、そこからお義母さんがナビをしてくれた。

教えてもらいながら歩いたら、本当にすぐ傍だった。

お店に到着して入っていくと、またしても壁際の席に座っていた。

ただ、そこに夫は居なくて。

あれっ?トイレかな?

と思ったのだが、近寄って行った私にお義父さんが

「今日は(夫)は来ないから」

と告げた。

え~~~、じゃあ何のために来たのよ。

これには本当にガッカリしたが、心のどこかでホッとしていたことも事実だ。

顔を合わせなくて良いんだ。

それだけで一気に安堵してしまった。

ただ、夫が来ないのなら話し合いもできないから今日は早々に退散かな。

私は席に着くなり早くも帰りの時間を気にし始めたのだが・・・。

この日は私の想像をはるかに超える時間、滞在することになった。

もしかしたら、それが夫の策略だったのかもしれない。

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