2025年4月8日火曜日

あの日、突然家を出ることに(続き)

家を出て駅に向かった

夫の怒鳴り声を背に受けながら家を出た私と子ども。

義父が止めてくれているとは言え、いつ飛び掛かってくるか分からない状況だった。

だから非常に焦っていたのだけれど。

こういう時に限って靴を履くのもスムーズにいかない。

いつも以上に時間が掛かってしまった。

やっと履き終えてすぐに玄関のドアを開け、勢い良く階段を下りて行った。

子どもの後から下りたのは、夫が追いかけてきた時のことを考えたからだ。

もし私が捕まってしまっても、子どもには逃げて欲しかった。

だから駆け下りながら子どもに

「もしママが捕まっちゃっても一人で駅の方に行って」

と伝えた。

駅の方に行けば交番もある。

大勢の人が居て、人目もある。

最悪の状況は免れると思った。

夫が本気で走ってきたら追い付かれてしまう可能性もあったため、駅までのルートも考えた。

ちょっと遠回りになるけど、いつもは使わない道の方が良い。

怯えながらも、とにかく走り続けた。

体力の落ちている私よりも子どもの方が早くて、途中で何度も

「ママ早く!」

と言われたんだけど、なかなか足が前に出なくて・・・。

やっとの思いで駅に着いた頃には足が鉛のように重かった。

遠回りをしたとは言え、結構な勢いで走ってきたのだから運動不足の夫はまだ来ないはず。

そこでようやく少しだけ安心して、子どもとこの後のことを話そうとした。

その時、ふと遠くの方を見たら夫によく似た人の姿が目に入った。

「(子ども)ちゃん、こっちに来て!」

咄嗟に子どもの手を引き、建物の脇に隠れた。

子どももハッとした顔でそちらに目を向けたが、よくよく見たら別人だった。

今はまだ大丈夫だと言っても、いつ夫が来るか分からない。

早くこの場を離れなければと思った。


行き先を決められず途方に暮れて

いつかは家を出ると決めていた。

準備もしていたし、気持ちも固まっているつもりだった。

だけど、いざ出てみるとまだまだ腹が決まっていなかったのだと痛感した。

この期に及んで、心のどこかでまだ『元に戻る』ことを想像するなんて。

その方が私にとっては楽だったのだ。

何でも夫の指示通りに動き、決定権も無い。

それはとても窮屈だったけど、考える必要も無かった。

長い間そんな環境に居たら自分の考えに自信が持てなくなったというのもある。

誰かに『それは合ってるよ』とか『間違ってるよ』と言って欲しい。

判断を仰いでから動きたいと思うようになってしまった。

家を出る準備自体は何か月も進めていた。

それでも、心が悲鳴をあげているような状況なのに『戻れるかもしれない』と考えてしまう矛盾。

そんな矛盾だらけの私についてくることになった子どもは大変だったと思う。

「この後どこに行こうか」

と小学生の子どもに聞いてしまうあたりが終わってる。

普通は親が率先して決めるものだろうに、私は子どもにまで意見を求めた。

だけど、まだ小学生の子がそこまで考えられるはずもなく。

私の方も滞在先に関しては検討中だったので、行く当てが無かった。

途方に暮れて早くも弱気になったが、ここで諦めてしまったら終わりだ。

だから、当ては無くてもとにかく動こうと思った。

とりあえず電車に乗ってしまおうか。

夫や義父が来ないうちに。

そう思っていたら、携帯が鳴って画面には『お義父さん』と表示された。

見ただけで嫌な気持ちになったが、同時に心配もした。

何かあったのかな。

本当は状況を聞きたくても連れ戻されるのが怖くて出られない。

そうこうしているうちに電話は鳴り止んだ。

実はこの後何度もかかってきて、そのたびに心が揺れた。

一度出て状況を確認できればスッキリするのかもしれない。

だけど、情に訴えてくるだろうからそれに耐えられる自信が無かった。

そんな風に葛藤しながら何とかやり過ごし、電話に出ること無くその場を後にした。

私たちが向かったのは駅のホームだった。

別居中、義両親からの呼び出し

「直接会いたい」と言ってきたお義父さん お義父さんは家を出てから何度も電話してきた。 ずっと無視し続けていたので、こちらの気持ちは分かっていたはずだ。 それにも関わらず、毎日定期的に電話してきては留守電を残した。 そのうち留守電もいっぱいになるだろう。 一体いつまでかけ続けるつも...