2025年1月19日日曜日

モラハラや虐待の被害者は意外と近くに居るのかも

もしかして、あの人も・・・

自分たちがモラハラや虐待を受けている時には気づきもしなかった。

私たちの周りにも同じような被害に遭っている人がいるということを。

保育園時代にも、今考えるとそれらしき人がいた。

でも、その時は外にまで目を向ける余裕が無かった。

彼女と出会ったのは子どもがまだ赤ちゃんの頃。

ただ、送り迎えの時に挨拶を交わす程度だったので、どんな人なのかも分からなかった。

子どもが少し大きくなったある日、近所の公園で偶然会った。

子どもを遊ばせている最中、世間話のような感じで少し話をしたのだが・・・

『あぁ、この人はゆっくりと静かに話す人なんだな』

これが彼女の最初の印象だった。

声のトーンとか話し方とか、そういう小っちゃなことなんだけど。

何だかすごく心地の良い人だと思った。

気が付いたらずっと話してしまい、夕方になって慌てて帰った。

夫に伝えた時刻をとうに過ぎていた。

怒られる、どうしよう!

焦って帰ったのだが、夫は昼寝というか夕寝をしていて、玄関を開ける音で目を覚ました。

ホッとしつつ急いで晩御飯の準備。

その時、直前まで楽しかったのが急にいつもの生活に戻り、心がサーっと冷たくなっていくのを感じた。

その日から、土曜日になると公園に通うようになった。

夫は面白くなさそうだったけど、子どもが『行きたい』と言うので仕方なく許してくれた。

自分が連れて行くよりは良いと思ったのだろう。

毎週その人も公園に通ってくるようになり、色んな話をした私たち。

その中で旦那さんのことも出てきたのだが、彼女が

「うちの夫は凄く細かいの。お掃除の時も私がやった所を後からやり直して文句を言うの」

と言った。

それを聞いた時、『きっと神経質な人なんだな』と思った。

それからポツポツと家の事情を話してくれるようになった。

仕事で遅くなると家の中に入れてもらえないことがあること。

子どもが『ママが良い』と言うと怒って口をきかなくなること。

自分で稼いだお給料を旦那さんに管理してもらっていること。

一日の行動を全て伝えておかないと後から叱られること。

連絡がつかないと激怒すること。

覚えてることはこれくらいなのだが、もっとたくさん言っていた気がする。

聞いているだけで息の詰まりそうな生活だと思った。

でも、よく考えたら我が家とも共通している部分がある。

当時の私はその異常さに気付かず、

「それじゃ毎日大変だね」

なんて呑気な返事をしていた。

なぜ今になってあの人も被害者なのかな?と考えたのかと言うと。

急に彼女の怯えた表情が思い出されたからだ。

話す時は顔が強張って声が少しだけ震えているように感じた。

あれは彼女なりのSOSだったのかもしれない。


数年後に引っ越していった

せっかく仲良くなったのに。

それから数年後に彼女たちは引っ越していった。

もし引っ越すなら連絡をくれると思っていたけど。

そこまで仲良くは無かったのかも。

少なくとも彼女は私に伝えなければと思わなかったということだ。

当時はそんな風に感じ、とても残念な気持ちになった。

だけど今なら分かる。

もしモラハラを受けていたのなら、夫から逃れるために引っ越したのかもしれないから。

誰にも告げずにそっと離れるのが正解だと思う。

シェルターに入ったのかもしれないし、親戚にかくまわれているのかもしれない。

そういう危険な人が居るということを知らない人たちは『そんな大げさな』と言う。

だけど、決して大げさでは無い。

当事者の中ではもう生きるか死ぬかという問題になっているのだから。

自分だけならまだ良い。

だけど、子どもを巻き込むことになる。

命よりも大事な子どもにもしものことがあったら、私ならきっと生きていけなかった。

だから、子どもと一緒に安全な所へ逃げようとした。

きっと彼女もそうだった。

ただ安全な場所で笑って暮らしたいだけ。

それ以上は望まないから。

どうかお願いします。

そう祈りながら私たちは家を出た。

あの時の彼女もそう祈りながらひっそりと街を出たのだとしたら。

どうか元気でやっていて欲しいと思う。

そしていつか再会できたら良いな。

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