過去の自分たちと重なるテレビなどのシーン
テレビや映画などで、虐待やモラハラDVを受けている人たちが出てくることがある。そういう時、平常心では居られない。
表面上は平静を装っているけど、内心は心がざわざわして落ち着かなくなる。
これがよく言われる『心がチクリと痛む』程度ならまだ良い。
でも、現状としてはそんなレベルじゃあない。
天気で言うならザーザー降りで、何なら雷まで鳴っている。
そういう状況でも周りからどう見られるかなんて考えてしまうから。
いつも何でもないように振舞ってしまう。
これが案外辛いんだ。
『もう大丈夫なんだよね』という感じになると、それに応えたくなる自分が悪いのだとは思う。
だけど、大丈夫な私が求められていると応えずにはいられない。
そういう所がダメなんだね~なんて思わないでね。
サービス精神が旺盛なんだね、と褒めて(笑)
この変なサービス精神のお陰で自分自身を窮地に追い込むこともある。
そんな苦労をよそに、私は周りの人たちからは【能天気な人】と評されている。
能天気ってなんじゃい。
本当は色んなことを考えてるのよ。
考えて考えて思考が迷路になってしまうこともあるのよ。
でも、それを口には出さないから皆知らない。
身内でさえ私を能天気だと思っているんだから。
よほど上手く誤魔化せているんだと思う。
ただ、腫物に触れるような扱いはされたくないので、都合の良い部分もある。
こうやって人は強くなっていくんだな。
苦しいシーンを目撃してしまった時の対処法
生活していれば、どうしたってそういうシーンを目撃してしまうこともある。
全てを避けるなんて不可能だ。
だから、目撃してしまった時の対処法を考えてみた。
それで思いついたのが、
「この俳優さんは役を与えられてこなしているだけ」
と自分に言い聞かせることだった。
有名な俳優さんなんかだと、『この人、この間は○○の役やってたなー』なんて思えるから切り替えやすい。
よく知らない俳優さんの場合でも、『一生懸命やってるな』とか何目線なのか分からないスタンスで感想を絞り出すようにしている。
そうすることで、そのドラマに没頭することがない。
適度に集中しすぎなければ、あの実体験を思い出すこともあまりない。
これが家を出たばかりの頃はもっと大変だった。
些細なことでフラッシュバック → 薄れかけた記憶が鮮明にというのを繰り返した。
その結果、一向に記憶から消えてくれなかった。
このままではイカンということで率先して意識を外に向けて外出をするようになった。
なぜか罪悪感を持っていた外食にも果敢にチャレンジした。
以前は少しでも贅沢をすると夫からなじられていたので、贅沢は敵だと思っていた。
だけど、適度な息抜きって大事なんだよね。
子どもも近頃では外食にすっかり慣れてしまい、楽しく食べられるようになった。
以前、家を出て間もなくの頃、二人で外食したことがあった。
まだ重い気持ちを抱えていて、二人とも浮かない表情で。
そんな中でもせっかくの外食だから楽しもうと思ったんだけど・・・。
変なおじさんに難癖をつけられて、何故か子どもが謝る羽目になった。
あの時は本当に悲しかった。
やっと夫から虐められなくて済むようになったのに。
今度は見知らぬ人から嫌がらせをされるの?って。
子どものことが可哀そうで、そんな環境で我慢させてきたことを申し訳なく思った。
それからも度々外出時に変な人に絡まれることがあり、そこでふと気づいた。
そうか、私たちがオドオドしてるから、そういう人に狙われるんだ。
あの人たちは夫と同じ。
弱い人間を探して嫌がらせをしてくる。
もっと明るく堂々としていれば付け入られることもないのでは、と思った。
それを実践してみたら、面白いくらい周りの対応が変わった。
言霊があるように、人の雰囲気も引き寄せるものを左右するのかもしれない。