夫と義父は似ている
お義父さんやお義母さんも根は悪い人では無いのだと思う。少なくとも夫と比べたら善人だった。
特にお義母さんは『善い人であろう』としているのを感じた。
涙もろいところもあるし、意外と情にも厚い。
探せば良い所がたくさんあり、本人もそうあろうと努力している風だった。
お義父さんは少々ゴリ押しの強い人。
意見が割れたら何が何でも自分の意見を通そうとする。
特に家族間ではそういった傾向が見られ、相手を雰囲気とか言葉で圧倒することが多かった。
だけど夫にはそんなものは通用しない。
我の強い者同士が衝突すると衝撃的な展開になることもある。
口論がエスカレートしてつかみ合いになったり、お互いが啖呵を切って収拾がつかなくなったり。
そういう時、決まってお義母さんが間に入ってなだめていた。
でも二人とも頑固だから自分の意見が通るまでは納得しない。
それでいざこざが長引いて、最終的には時間が解決してくれる。
こんな風に書くと聞こえは良いが、ただ単に時間が経ちすぎて二人ともその時の熱を失うだけだ。
こんなことに年がら年中付き合わされてる方はたまったもんじゃない。
怒り狂っている時には恐怖を感じるし、とばっちりを受けることもある。
だから、私もお義母さんもなるべく怒らせないようにしていた。
同居を拒む私、強行したい義父母
普段は怒らせないようにしていたので、多くの危険を回避できていたと思う。
万が一選択や対応を間違えればすぐにその影響が表れるから必死だった。
だけど、同居の件だけはいつもとは求められる対応が違っていた。
というのも、お義父さんだけでなくお義母さんまで私たちを義実家に連れていきたがったからだ。
二人が結託してしまうと、途端にこちらの分が悪くなる。
普段はかばってくれることもあるのに、この時だけは口を揃えて
「うちで皆で暮らすのが一番良い選択だ」
と説得してきた。
夫はいわずもがなだ。
働いていない夫など、どこに行ったって大した問題はない。
義両親は既に退職していたので、他に考えることもなくこの件に集中してしまったように思う。
それで三人が束になって『早く決断しろ』と言うものだから困ってしまった。
そうは言っても通勤の問題だってあるし、保育園だって移りたくない。
何より肩身の狭い義実家で、無職の夫を養うために仕事をして家のこともやってって何のために生きてるんだろうと考えてしまった。
こういう風に考える時点で私の夫への思いも終わってたってことだよね。
その時は気づかなかったけど、虐待モラハラによって愛情は失われていたのだと思う。
保育園のことを出したら、彼らは
「そんな数か月のこと、行かなくても問題ない。家で見れば良い」
と言い放った。
家で、と言っても夫は虐待をしてるんだよ。
お義父さんでさえ止められないのに、そんな過酷な状況にわざわざ飛び込む人が居るだろうか。
彼らの言い分だと、保育園は年内いっぱいで早々に退園して、そのまま義実家の方の小学校に入学する手続きを取れば良い、と。
卒園式も無いまま魔境のような夫の実家で小学生になるのを待つような生活。
これって何の罰ゲームなの。
夫はこの時、どんなに反対しても『大丈夫』と言うばかりで、私のことを『心配性』だと笑った。
通勤の問題に至っては、何が問題なのか分からないという感じだった。
3月まで諦めなかった義父母
色んな口実を作って時間稼ぎをした。
このまま言いなりになっていたら子どもも私も終わりだ。
だけど、今頑張れば回避できるかもしれない。
そう思って頭をフル回転させた。
義両親は一緒に住んでいるわけではないので、訪問してきた時だけ必死に抵抗していれば良い。
問題は夫だった。
なかなか首を縦に振らない私にイライラして、いつもよりも不機嫌の度合いが強くなった。
子どもにも怒る頻度が増えて、それに対して非常に申し訳ない気持ちになった。
でも、ここで諦めるわけにはいかない。
諦めたら彼らの思う壺で、今後自由な生活なんてやってこないだろう。
子どもはまだ園児だったからそんな先のことまでは分からなかっただろうけど。
本能からか、とにかく『行きたくない』を連呼していた。
私は大人なので、色んなことを考えた上で絶対に阻止しなければと思っていた。
この頃の夫の不機嫌がとにかく酷くて、毎日が闘いだった。
無視をされるだけならまだ良い。
舌打ちをされたって、反応しなければ実害はない。(胃は痛むけど・・・)
一番困ったのは些細なことで子どもを叩いたり、耳元で怒鳴られて物を壊されることだった。
2月に入るとその虐待モラハラはより酷くなり神経戦に突入した。
3月に入っても諦める様子はなく・・・。
結局入学式の2週間くらい前までは粘っていたので、よほど同居したかったのだろう。
あの時のことを思い出すと、本当に辛かったなぁと思う。
胃痛で息をするのも大変になったこともある。
だけど、そんな様子を見ても夫は知らんぷり。
自分の言うことを聞かない妻など、優しい声を掛けるに値しないということだ。
そんな仕打ちをされてもまだ離婚できなくて、そこから更に数年間は過酷な生活を送ることになる。