2025年9月14日日曜日

警戒しながら子どものお迎えに

学校が終わった後の約束事

朝は校門まで送っていたので心配は無かった。

問題は帰りだ。

私が着く前に子どもが外に出てしまい、夫に連れ去られたことがあった。

あの時はもう子どもに会えないんじゃないかと絶望した。

何とか取り戻すことができたけど、同じ失敗は二度としたくないと思った。

夫からのメッセージを見て再び警戒心を強めた私は、子どもに

「ママが迎えに来るまで校門の外に出ちゃだめだよ」

と伝えた。

夫がいつ来るか分からないのだから、用心するに越したことは無い。

子どもは、

「うん、分かった」

と言ってから少し不安そうな表情になり、

「またパパが来るの?」

と聞いてきた。

本当は安心させてあげたいが、子ども自身も警戒しないと身を守れないかもしれない。

あまり深刻な感じにならないように気を付けながら、

「もしかしたら来るかもしれないけど、中に居たら大丈夫だよ」

と答えた。

あの人は、校門の中にまでは入れない。

多分自分のやっていたことを分かっているのだ。

あれは虐待だったという認識があり、後ろめたい気持ちがあるのを感じていた。

でも、私たちの手前それを表に出すことはできないから、

「虐待なんかじゃない。お前は大げさだ」

と言っているのだと思った。

それからしばらくは、毎日同じ時間にお迎えに行けるように仕事を調整してもらった。

毎日不安になりながら小学校に向かい、子どもの顔を見るとホッとした。


帰り道も周りを警戒しながら歩いた

迎えに行って子どもと合流した後は二人で駅まで歩いた。

いつもなら一緒に歩く時にはたくさん話をして楽しい時間だ。

でも、この時は警戒して夫が居ないことを確認しながらだった。

人通りの少ない道はできるだけ避け、普段通らない道をあえて歩いたりもした。

それでも100%安全ということはない。

人が背後から近づく気配を感じるとビクッとして振り向いたり、道の向こう側によく似た人を見つけて咄嗟に隠れようとしたこともあった。

そんな風にビクビクしながらの生活だったわけだが。

隣を歩く子どもの笑顔を見るたびに、『あ~幸せだな~』なんて思ったりもした。

かなり追いつめられた状況であるにもかかわらず『幸せ』だなんて。

ずい分呑気な人だと思われるかもしれない。

でも、厳しい状況だからこそ日常の些細なことで幸せを実感できた。

ただ、不安で気が張っていたことも確かで、やがてそれは子どもにも伝染して段々と不安がるようになった。

外に出たら周りをキョロキョロと見回し、パパが居ないことを確認してホッとする。

そんな毎日だった。

ところで、この頃子どもたちのやり取りを聞いていて驚いたことがあった。

まだまだ幼いと思っていたのに、一緒に校門から出てきたお友だちが子どもに向かって

「先に周りを見てから出た方が良いよ。ヤバくなったら交番に行きな」

と言っていた。

その口調があまりにも大人っぽくて、思わず感心して

「すごいね!」

と言ってしまった。

そうしたら、その子は少しはにかんだ笑顔になり、軽く会釈した後小走りで去って行った。

警戒しながら子どものお迎えに

学校が終わった後の約束事 朝は校門まで送っていたので心配は無かった。 問題は帰りだ。 私が着く前に子どもが外に出てしまい、夫に連れ去られたことがあった。 あの時はもう子どもに会えないんじゃないかと絶望した。 何とか取り戻すことができたけど、同じ失敗は二度としたくないと思った。 夫...