喜怒哀楽のはっきりした子だったのに・・・
小さい頃は喜怒哀楽のはっきりしている子だった。特にポジティブな方の感情が大きくて、些細なことにも喜ぶような子だった。
そして毎日コロコロとよく笑った。
いつも機嫌が良いので、『育てるの楽でしょ~』とよく言われたものだ。
実際、対応に困ったことがほとんどない。
保育士さんからも『いつもニコニコしてますよね』と言われていて、周りからの評判もほぼ同じようなものだった。
だけど、そんな子どもが大きくなるにつれて変わっていった。
きっかけは虐待だ。
日々家の中で起きることなので、この日を境に急に~ということは無い。
少しずつ少しずつ徐々に変わっていった。
だから、毎日一緒に過ごしていてもなかなか変化に気づくことができなかった。
だけど、ある日ふと『あれっ?感情の起伏があまり無いな』ということに気づいた。
それから用心深く見るようになり、ほとんど喜怒哀楽を出さないようになっていることが分かった。
大きくなって変わったんじゃないの?
普通ならそう考えるかもしれない。
だけど、その時まだ小学校の低学年だ。
ちょっとしたことで泣いてしまう子もいるし、まだまだ甘えたい年ごろ。
そんな年齢の子どもが喜びや悲しみを表さないようになっていたのだ。
私はとても驚き、ショックを受けた。
そして、こんな大事な変化を見落としてしまったことを悔やんだ。
だけど、すぐに現状を変えることは不可能な状況で・・・。
それならば今できることをしようと思い立ち、なるべく楽しい気持ちになれるようにと頑張った。
夫とは極力引き離して、仕事以外の時間は一緒に過ごすようにする、とか。
本当に些細なこと。
それでも足りなかった。
そりゃー家に中に鬼のような人が居るんだから気なんて休まるはずがない。
一番の解決策は二人で家を出ることであり、それ以外に方法はないのだと後に痛感させられることになる。
怒られても無表情
もっと小さい時には夫から怒られたら泣いたり狼狽えたりしていた。
それなのに、気づいたらもう表情には出さなくなっていた。
鬼のような顔で罵詈雑言を浴びせる夫と、それを無表情で聞く子ども。
その様子はあまりにも対照的で、誰もが違和感を感じるような光景だった。
その時、子どもの意識はどこか違うところにあるように感じた。
後から聞いたことなのだが、ああいう場面では『怒られているのは自分ではない』と思い込もうとしていたそうだ。
本当に危なかった。
あの状態がずっと続いていたら、本格的に子どもが駄目になっていただろう。
そうならなかったのはギリギリのところで抜け出すことができたからだと思う。
親ばかだけど、笑顔が本当にかわいくて、本来とても人懐こい。
それが、まさかこんな風に変わってしまうなんて・・・。
その頃から、子どもは笑うことも怒ることも悲しむこともしなくなった。
時々は少しだけ笑ったりするんだけど。
それは周りに合わせていただけ。
皆が笑っていたら合わせなければと笑ってしまうような子だもの。
そんな状況でも周りに気を遣っていたんだよね。
それで疲れちゃって、本当の笑顔を失ってしまった。
やっと取り戻すことができたのは、家を出てからだった。
それもすぐにではなく、自由を手に入れて数か月が経過する頃からちょっとずつ変化がみられるようになった。