2025年2月8日土曜日

「虐待されても父親」という呪縛

正論だけど正しくない

ある人が言った。

『子どもを虐待していたとしても血のつながった父親なんだから』と。

確かに元夫は子どもの父親だ。

それは紛れもない事実だし、今後も変わることはない。

だけど、もう一方から見れば他人よりも疎遠にしたい人という事実がある。

その人は夫のことをよく知らないからか、

「誰にでも悪いところはある。でも良いところもあるのよ」

とも言った。

確かに結婚までしたのだから良いところがあったというのは否定しない。

ただ、今となってはどんなところが良かったのかを思い出すことができない。

それほど結婚生活でのモラハラ虐待が強烈過ぎて、良かった思い出なんか全て綺麗サッパリ消え去ってしまった。

残ったのは苦々しい記憶と辛い思い出だけ。

虐待のことも、その場に居ないと分からないことってあるのだと思う。

私だってニュースで見た時に言葉からだけだとそれほど重い事象に思えないことがある。

当事者だった私でさえそうなんだから、そんなことを経験したことのない人なら尚更軽く受け止めてしまうだろう。

大抵は、こういう話になった時に私は大人しく聞いている。

相手だって良かれと思って助言してくれているのかもしれないから。

でも、会話の中で

「虐待と言っても、それは強い愛情から出てしまった行為かもしれないわよ」

と言われた時には反論した。

黙っていようかとも思ったのだが、これだけは否定しなければと思ってしまった。

あれを『教育だったのよ』と言う彼女の言葉は子どもの辛い思いを否定することにもなると思う。

だから、どうしても伝えたかった。

そうしたら、

「色んな受け止め方があるわよね」

と返された。

そう、色んな受け止め方がある。

あれを強い愛情の裏返しという人がいても驚かない。

だけど当事者が辛くて我慢できなかったと言うのなら、それに寄り添って欲しいと思ってしまった。

まあ、それもこちらの勝手な願望なんだけどね。


他人の言葉に惑わされずに生きていく

私たちに大事なのは、他人の言葉に一喜一憂するのではなくて自分たちの気持ちを大事にすることだ。

世の中には様々な考えの人が居て、意見が合わないこともある。

それは自然なことだし、それで良いのだと思う。

わざわざ一つの意見に合わせようとする必要はない。

一人一人の気持ちを大事にできればそれで良い。

幸いこの人はそれ以上何かを言ってくることはなかった。

中には自分の意見は正論だと言わんばかりに説き伏せようとしてくる人もいる。

そんな時には反論するのも面倒だし内心はとても傷ついてしまう。

それで、この件に関して話すことも聞かれることも億劫になった。

私たちもそのたびに傷ついていたら身が持たないんだよね。

気持ちが落ちている時には防御力も下がって普段のような対応ができなくなるから、それも怖い。

そのタイミングで元夫からの攻撃にあったら致命的な失敗を犯してしまうかもしれない。

だから、できるだけ平常心でいるように心がけている。

攻撃してくるのは元夫との交流が多少なりともあった人たちばかりで。

あの見せかけの『良い人』に騙されてしまったんだと思う。

恐ろしいことに、そういう人たちは夫のことを信じて疑わない。

何を言っても、嘘をついているのは私だということになってしまう。

これはね、元夫がどれだけ上手く人を欺いていたかということになるんだけど。

一度そういう印象ができてしまったらどうにもならないのよ。

状況を改善しようと動けば動くほど悪化していくという悪循環・・・。

そんなことを考えたら、私たちにできることは多くは無いのかもしれないと感じた。

色んなしがらみもあるけれど、せめて他人の言葉に惑わされないように生きていきたい。

胃痛で苦しむ私にイライラする夫

夕食時に異変は起きた 平日だったかな。 それとも休日のことだったのかな。 とにかくあまりにも痛みが強くて、その印象しか残っていない。 ある日、夕飯を食べていたら胃の辺りに強烈な痛みを感じた。 その前から少しおかしかったんだけど、そのうち治ると思って気にしていなかった。 でも、ご飯...