長年家を出られなかった理由
咄嗟に家を飛び出した日のことは、今でも鮮明に覚えています。『これからどうしよう』という心細さ。
それと同時に『もう夫の顔色をうかがわなくても良いんだ』という喜び。
自由が目の前にあるのに何とも複雑な心境でした。
思えば長かった。
家を出たいと思い始めてから既に5年以上が経過していました。
もっと早く何とかすべきだったのに、ズルズルと過ごしてしまいました。
その間、子どもは毎日怖い思いをしていたので本当に申し訳ないことをしました。
勇気が無かったんです。
自分に自信が持てず、出て行くのが怖いという気持ちを取り除くのは簡単ではありませんでした。
それ以外にも色んな理由がありますが、やはり夫のモラハラ気質絡みのことが大きかったように思います。
ちょっとでも選択を間違えれば、今よりももっと苦しい状況になってしまう。
そんな恐怖がいつもつきまといました。
家を出たいと考えた時、いつも頭に浮かんでくるのは失敗した時のことです。
万が一家を出ることに失敗したら、夫は警戒して更に私たちを締め付けたでしょう。
自由は一切与えられなくなるはずです。
それまでよりも些細なことで怒られて、何をするにも夫のご機嫌を伺い、買い物の時間さえ監視の対象になる。
そんな生活です。
不安は他にもありました。
子どもへの虐待がエスカレートすることが怖かった。
夫が、出て行こうとした私たちを許すはずがありません。
それを計画したのは私でも、夫は子どものことも責め立てるでしょう。
虐待がエスカレートして、自由にご飯を食べられなくなるかもしれない。
子どもの身にこれまで以上に危険が及ぶかもしれない。
家に二人だけの時間が多いのに、それを防ぐことができるのだろうか。
考えれば考えるほど恐ろしくなりました。
もし失敗したら無事で居られる保証がありません。
自分に危害が及ぶだけならまだ良いのですが、ターゲットになるのは子どもなので、万が一にもリスクを冒すこどなどできませんでした。
家を出たいと思ってもいつも躊躇してしまったのには、このような理由がありました。
恐らく一度でもモラハラを受けたことがある人は似たような経験をされているのではないでしょうか。
ゾッとした数十回の着信
家を出ることができたのは、いくつもの偶然が重なったからです。
あとは勢いです。
あの場においてもなんやかんやと理由探しをしていたら、一生出らなかったと思います。
普段の私ならそうでした。
でも、あの時は違ったんです。
『今しかない!』という心の声が聞こえました。
弱虫な私が産まれて初めてといっても過言ではないくらい勇気を出した瞬間です。
もしかしたら、天国のおじいちゃんやおばあちゃんが背中を押してくれたのかも。
夫からの酷い仕打ちで辛くなった時は、いつも布団の中で涙を流しながらおじいちゃんやおばあちゃんに『助けて』と祈りました。
そして幸運にも、私たちは家を出ることができました。
ようやく・・・と安堵しましたが、そのまま引き下がるような人ではありません。
だから、駅の近くで今後のことを考えながらウロウロしている時には、絶えず周りを気にしていました。
もしかしたら夫が追いかけてくるかもしれませんので、いつでも逃げられるように準備をしなければなりません。
遠くの方ばかり気にしていた私。
その直後に目に飛び込んできたのは、手元で着信を知らせる携帯のランプでした。
見た瞬間、血の気が引くのを感じました。
先程までは幸せな気持ちを感じていたのに、一気に現実に引き戻されて絶望にも似た感覚が襲います。
放置することもできずに恐る恐る携帯を確認すると、案の定夫でした。
出ないと怒ることは分かっているけれど出られない。
ドキドキしながら迷っているうちに着信を知らせる音は鳴り止みました。
けれど、安心するにはまだ早かった。
ホッとしたのも束の間、握りしめていた携帯に再び着信がありました。
幾度となくディスプレイに表示される夫の名前。
結局それから何十回もかかってきて、その間ずっと固まったまま身動きが取れないでいました。
モラハラ被害者は着信拒否できない心理状態
この話をすると、着信拒否にすれば良かったんじゃないの?と言われることがあります。
でも無理なんです。
私たちのようにモラハラや虐待を受けていると、着信拒否にすること自体に物凄く大きな決断が必要なんです。
相手と全面対決する覚悟があり、何があっても立ち向かえるという位にならないとできない行為です。
着信があって電話を取らなかったことだけでも強い恐怖を感じています。
そして、その後にどんな仕打ちが待っているかは脳が覚えています。
例え今は離れたと言っても、安全だとは感じられません。
言いようのない恐怖や不安が襲い掛かり、息をするのもやっとという状態でした。
このようにモラハラによる影響はとても深刻で、家を出てからしばらくは『とんでもないことをしてしまった!』という思いに苦しめられることになりました。