電車に乗る勇気が無い
家を出たのは良いけれど、電車に乗る勇気が無かった。悶々と考えている間、目の前を何本もの電車が通り過ぎてゆく。
私は一体何をしに来たのだろう。
ちょうど休日だったので、周りはお出かけをする人々で賑わっていた。
そんな中、深刻な表情を浮かべて電車を見つめる私と何も分からずにはしゃぐ子ども。
電車に乗って遠くに行く勇気も無いのに。
それでも家を出たいと思ってしまった。
家に居たら心の休まる時間など無かった。
毎日嫌味を言われて細かなことで叱られるし、子どもだって理不尽なことで怒鳴られる。
機嫌が悪いとご飯も生ごみ行きで、物に当たることもある。
そう言うと、直接的な暴力が無い分マシでは?と思われるかもしれない。
だけど、目の前で大きな音を立ててコップや家具が壊れる様を見るのは本当に心が縮み上がる思いだ。
私たちを狙ってはいないとしても、万が一手元が狂ったら?
誤って子どもや私に当たったら?
もしそうなったら、『間違った』では済まされない。
それでもまだ自分のことだけなら良い。
だけど子どもに何かあったら後悔してもしきれない。
本来なら早いうちに何とかすべきだったのだが、穏やかで優しい時間もあったので、そこに希望を見出してしまった。
仕事のない休日に家出した理由
この時は初めての家出ということもあり、色んなことが怖かった。
何より、今後のことを考えすぎてしまった。
そもそも、仕事がお休みの休日をわざわざ選んだという時点でまだまだ決断できていないのだと思う。
何もかも振り切って家出するくらいの覚悟と決意があれば、きっとあそこまで事態は悪化しなかった。
それができなかったのは私の弱さであり、夫の狡猾さによるコントロールの賜物でもある。
私たちはしばらく駅前をウロウロしてお店に入ったりして時間をつぶした。
その間、子どもが何度か
「でんしゃにのりたい!」
と言ったのだが、
「また今度ね」
となだめた。
家を出てから1時間くらいが経過した頃だろうか。
突然携帯が鳴ったので、私はドキッとして足を止めた。
夫が帰ってきたのかもしれない。
ここで電話に出ないと、また後々酷いことになる。
理由を問い詰められて、その理由が何であれ責め立てられる。
数日間は針のむしろだろうし、しばらくは更に自由が無くなるのも明白だ。
それが分かっているのに、なかなか電話に出れないでいた。
しばらく鳴った後ようやく静かになった携帯を恐る恐る確認したら、やはり夫だった。
この時の私の心境は【やってしまった・・・】だった。
夫の連絡を無視してしまったから恐ろしいことが起きる。
そんな心境だった。
どうしよう・・・。
自分で招いたことなのに後悔に苛まれていると、再び電話が鳴った。
電話口の夫は予想外に優しい声だった
二回目の夫からの電話。
私は咄嗟に出てしまった。
恐怖心に勝てなかったというのもあるが、『今ならまだ間に合う』と考えていたことも事実だ。
恐る恐る電話に出て、
「もしもし。・・・あの・・・ごめん」
と咄嗟に謝った。
夫がどんな反応をするかが怖くて様子を窺がった。
すると、予想外に優しい声で、
「どこに行ってるの~?家に居なくて心配したよ」
と言われた。
あれ?怒ってないの?
戸惑いながらも、
「うん、買い物に来ててさ。今から帰るね」
と告げると、
「分かった。待ってる~」
と言った。
買い物に出ていたと伝えた手前、手ぶらで帰るわけにもいかない。
私たちは急いでスーパーで買い物をして足早に帰宅した。
ちなみに、こんなに少しの時間でも居ないことを不審がられるのは、外出時には逐一報告をしなければならないためだ。
報告をし忘れることはこれまで無かったし、予定より長引けば連絡を入れていた。
何も言わずに家を出たのは、この時が初めてだった。
そしてこの後、夫のあの優しい声は私たちを家に戻すための演技だったのだと知ることになる。