2024年9月11日水曜日

虐待を止めて欲しくて立ち向かったあの日

家を出たきっかけは子どものことでの言い争い

私たちが家を出ることになったのは、虐待に関する言い争いがエスカレートした結果でした。

いつも人の意見を全く受け付けない夫。

自分の考えや感情ばかりを大事にして、私たちの気持ちなんて気にも留めません。

でもそう指摘すると、決まって『そんなことはない』と言います。

どうでも良いことなら、こちらも『あらそう』で済ませられますが、どうしても譲れないことに関しては引き下がるわけにはいきません。

そういう時は必死で分かってもらおうと伝えるわけです。

本当は怖くて逃げだしたいのですが・・・。

いつも逃げていたら、いつまで経っても理解してもらえない。

だから、それまでも時々は決死の思いで向き合っては玉砕していました。

あの日もそうでした。

何が問題になっていたのかと言うと、子どもへの接し方です。

夫はとても極端で、可愛がる時には高価なおもちゃを買い与えたり求められてもいないのにせっせと世話を焼きました。

でも、ある時突然スイッチが入ると、些細なことで怒鳴り散らして周りが引くほどの勢いで叱りつけます。

頭や頬、背中、肩、太ももなどを叩くこともありました。

胸倉をつかんで子どもを引き上げた時には、間一髪のところで間に入って止めましたが、力では到底叶いません。

私たちの間には明らかな体格差があり、本気で立ち向かっても軽くひねられて終わりです。

それが分かっていても止めないわけにはいかないので、いつも絶望的な気持ちで立ち向かいました。

怒っている時の夫はストッパーが効かなくなっている状態なのだと思います。

冷静に話そうとするこちらの声は届かなくなり、自分の言い分だけを大声で喚き散らして気が済むまで暴れます。

あの日、もうこれ以上我慢することができなくなって夫に『これは虐待だ』とハッキリと言いました。

でも夫は認めませんでした。

『いちいち大げさなんだよ!』と更に怒りました。

それまでは、『叩いたり蹴ったりするのは止めて』とか『ご飯をあげなかったり寒い中外に放り出すのは酷い』と間接的に訴えていたのですが、一向に効果がありませんでした。

それに夫はズルい人だから、直接言わなければ気づかないフリをします。

いつものように誤魔化されたくないという思いから、『これ以上は我慢ができない』という意思を明確に伝えました。

それが夫を怒らせました。

怒り狂って暴れて、ちょうど来ていた義父が咄嗟に止めに入ってくれました。

でも大きな体の義父でも辛うじて押さえられているような状態で、いつその手が解かれて私たちに飛び掛かってくるか分かりませんでした。


着の身着のまま家を飛び出した私たち

あの時、気が付いたら家の外に飛び出していました。

玄関でもたつく子どもに対して『早く!早く!』と声を掛け続ける私。

心の中は、【もうどうか解放してください】という気持ちでした。

背後からは暴れる夫の叫び声や息遣いが聞こえてきます。

狂気にも似た気配を感じながら、全身が冷たくなっていくのを感じました。

時間にすると恐らく数秒ほどだったと思います。

普段なら一瞬だと感じるような時間ですが、とても長く感じました。

やっと靴を履き終えた子どもの手を引き、急いでドアを開けて階段を駆け下りていく間もガクガクと震える足。

とにかく必死でした。

それなのに、どこか現実味が無くて、慌てて逃げ出す自分たちを遠くから見ているような不思議な感覚。

きっと急なことに心が追いついていなかったのだと思います。

間一髪のところで家を出たのは良いけれど、これからどこに行こうか。

途方に暮れながら駅に向かって歩いていく私たちの心は空っぽでした。

ちょうど休日で道行く人々はとても楽しそうで、まるで私たちとは正反対のように見えました。

賑やかな笑い声や楽しそうな話し声が響き、何故か心がズーンと重くなったのを覚えています。

私たちはどこで間違えてしまったのだろう。

こんなはずではなかったのに。

そう思いながら、あてもなく歩いていました。

ちょうど夕暮れ時で、いつもならお腹が空いてくる頃です。

でもちっともお腹なんて空かなくて、世の中の全てから見捨てられたような気持ちになっていました。

家に戻ってから一年が経過

恐怖と隣り合わせで、生き延びた日常 家に戻ってからの一年は、 あっという間だった。 相変わらず夫の執着は止まず、 干渉もなくならない。 義両親も、 本当の意味で味方にはなってくれなかった。 最後に選ぶのは、やっぱり息子。 それがどれだけ理不尽でも、 叶えるために動く。 常に3対1...