2024年9月30日月曜日

無視されるのが辛い

まるでそこに居ないかのように扱われる苦痛

暴言や物を壊されることももちろん嫌だったけど、無視は色んな意味で堪えた。

一緒の空間に居るのに、まるでそこに居ないかのように扱われる苦痛。

それがいつ終わるかなんて分からない。

決めるのは夫なのだから。

永遠に続くと思われるような重苦しい時間は私から思考力を奪っていった。

何か言われても、咄嗟に考えるのは夫が喜びそうな答えを見つけることで。

そこに自分の意思なんて無かった。

上手い答えが見つからない時は、早く何か言わなければと焦った。

そんな私をあざ笑うようにいつも嫌味を言う夫。

とうに限界を迎えていたはずなのに、それに気づくことなく結婚生活は続いていた。

ある時、子どもが保育園でハロウィンの話を聞いてきた。

お友達が家でパーティーをするのだと言う。

子どもは何をするのかも分からずに、『それをやりたい』と言った。

多分、お友達が楽しそうに話すのを見て羨ましくなったのだと思う。

今は百均に行けば色んなグッズが揃う。

我が家だってプチプラで集めたグッズでパーティーをすることもできる。

だから、子どもが望むのならやってあげたい気持ちになっていたのに・・・。

夫は話もよく聞かずに『そんなのやらなくて良い!』と怒った。

いきなりキレられて驚いている子どもに対し、

「お前、その日に何するか知ってるのか?」

と詰め寄り、答えられないでいると『ほらな』という感じで鼻で笑った。

「知りもしねーくせに何でも羨ましがるな!」

と鬱陶しそうに言われた子どもは悲しそうだった。

何をするのか答えてみろと言われたって、その時子どもはまだ3歳。

上手く説明できるはずもない。

その時に私がフォローできれば良かったのだが、あまりの剣幕に驚いて何も言えなかった。

その件を境に、夫はしばらく私たちを無視した。

自分の意見を通したくせに何が不満なのだろう。

話しかけても決して答えようとはしないし、そのくせ傍で話していると大きなため息をつくので本当に息苦しい時間だった。


子どもや私が楽しそうにするのを嫌う夫

無視が始まってしばらく経つと、急に何事も無かったかのように元通りになるのが常だった。

そのギャップには戸惑うばかりだったが、蒸し返したところで良いことなど一つもない。

何に怒って、機嫌が直るきっかけは何だったのか。

それらは全て曖昧なまま、一定期間ごとに無視は繰り返された。

期間はその時によってまちまちだが、短ければ2~3日で終わる。

しかし、長いと2週間を超えるようなこともあるので気を抜けない。

何度もこのようなことがあると精神的にも疲れてくる。

だから、機嫌が悪くなりそうな兆候が見られたらそこで食い止められないかと考えた。

よくよく観察してみると、子どもや私が何かを楽しんでいる時に機嫌を損ねることが多かった。

特に子どもがはしゃいで楽しむことに対し、嫌悪感があるようだった。

私に対しては、実家に帰省する前には決まって機嫌が悪くなった。

これに関して、私が自分の実家にばかり帰っていたのでは?と言われることもあるが。

決してそんなことはない。

帰省は大体年に2回ほど。

1回あたり5日間程度の滞在だった。

実家は遠かったが義実家は近かったので、義両親は週に1~2回ほど我が家に来ていた。

確かに泊まることは無かったけど、頻度としては圧倒的に義両親に会う回数の方が多かった。

それなのに、年に2回の帰省もダメなのかな。

そういう空気を察知してからは、夫の目の前で実家に電話もできなくなった。

それで電話をかけるのは専ら仕事帰りの歩いているタイミングになった。

時々、たった数分間の電話。

それさえも夫からの電話により途中で切らなければならないことも・・・。

出なければ『携帯を持っている意味がない』と怒られ、無能だと責められるから。

もうその頃には自由というものが何だったのかも分からなくなっていた。

2024年9月29日日曜日

虐待のはじまり

モラハラは付き合っている頃から始まっていた

後から考えてみると、モラハラは付き合ってすぐから既に始まっていた。

だけど気づかなかった。

女子大卒で、それまで深く付き合った相手も居なかったから。

夫となる彼が最初にきちんと付き合った相手だった。

経験不足から、親しい間柄ならこれくらいのことを言われるのは当たり前なのかもしれないと思ってしまった。

常に彼のことを優先しても彼は友達を優先してしまうことも仕方がないと思った。

好きの度合いが違うなんていうのは、よくあることなのだと。

多分、そこまでなら確かによくあることで済んでいた。

でも、彼はわざと私を傷つけて楽しんでいるようなところがあった。

付き合い始めて最初に迎えた私の誕生日には、既にその兆候が表れていた。

その1か月くらい前から、当日はどのようなプランになるのだろうかとワクワクしていたけれど。

そんな私が酷く滑稽に映っていたに違いない。

でも、浮かれてしまうのも仕方のないことだった。

彼からも『楽しみにしていて』と言われていたのだから、尚更期待してしまった。

そして数日前になり、

「当日は朝から出かけるよ。お店の予約もしてあるから、少しお洒落して行こう」

と言われた。

この頃多少の違和感を覚えていた私も、この言葉を聞いて勘違いなのだと自分に言い聞かせた。

ほらね。

彼はこんなにも思ってくれている。

ここまでしてもらってるのに疑うなんて酷い彼女じゃない?

そう思い込んで自分を納得させようとした。

もし本当に予定通りの素敵な日を過ごしていたら、勘違いだったと思えたのかもしれない。

だけど、当日彼は友達と出かけて行った。

前日の夜に急に誘われて、そちらを優先させたのだ。

しかも、連絡をくれたのは待ち合わせ時間の少し前だった。

「予約してたお店は?」

と聞いてみたが、悪びれた様子もなく

「もうキャンセルしたわ」

と答えた。

彼は『勿体ないこと』はしない。

前日キャンセルは多分お金がかかるだろうから。

予約なんてしていなかったのだろう。

結局、誕生日当日は一人でポツンと過ごすことになった。


モラハラ夫が虐待する父親に

モラハラだと分かっていたのに、段々と自分に自信が持てなくなった私は彼の言いなりになった。

そして、この人と別れたら誰にも選ばれないんだと思い込んで、捨てられる恐怖と闘った。

いつも機嫌をうかがいながら、彼が喜ぶような環境を整える。

それが私に課された役割。

そうすれば結婚できると本気で考えていた。

今思えばこんな便利な女を彼が手放すはずがない。

何でも言うことを聞いて、自分の居心地が良いようにしてくれるのだから。

数年間の献身の末に私たちは結婚した。

その時二十代半ばになっていた。

これでようやく幸せになれる。

この時、結婚して子どもでもできれば夫が変わってくれると思っていたことも確かだ。

狡猾な夫の手のひらの上で転がされる私はあまりにも無知だった。

子どもが産まれたら、モラハラは虐待へと変わってしまった。

それでも子どもがまだ赤ちゃんの頃は穏やかな日々を過ごせていた。

せっせと世話を焼き、大切にしている様子を見て安堵していたのに。

子どもが2歳を過ぎた頃から段々と虐待の兆候が表れ始めた。

2歳といえば、おしゃべりができるようになり、イヤイヤ期も始まる頃。

自分の意思を持つようになって、これまでと同じ対応では済まなくなる。

色んな要求を拙い言葉で伝えてくる様はとても微笑ましく、愛おしいと思った。

でも夫は違ったようで、思い通りにならないとイライラするようになった。


怒鳴る夫と怯える子ども

子どもが言うことをきかなくてイライラしてしまうのは私にも分かる。

ただ、夫は自分がテレビを見ている時に話しかけられたり、足音がうるさいという理由で怒るので日常生活にも神経を尖らせた。

気に入らないと、いきなり怒鳴りつけて幼い子どもを威嚇する。

最初に怒鳴られた時には少しの間キョトンとした顔をして、数秒後に泣き出した。

数回そのようなことを繰り返しているうちに、子どもは夫が少し大きな声を出すと恐怖の表情を見せるようになった。

このままでは大変なことになる。

間に入る私が何とかしなければと思ったのだが、夫は私の言うことなど聞かない。

それでも、エスカレートする前に『これは誤りなのだ』ということを分かって欲しくて何度も話し合おうとした。

だけど、話し合おうにもその話題を出すといつも不機嫌になり、必死で話しているのを見て鼻で笑われた。

笑われるのは一向に構わないのだけれど子どもを傷つけることだけは許せない。

それからは、ドアの開け閉めがうるさいとか義母が作ってきたものを食べなかったとか、ご飯を食べるのに時間がかかったとか、些細なことで怒鳴られるようになった。

そして段々と夫の機嫌が悪い時には何もしなくても当たられるようになった。

私たちの長い長い虐待との闘いの始まりだった。

2024年9月28日土曜日

家出から戻って受けた仕打ち

予想外の不機嫌な夫に戸惑い

家に着いて玄関のドアを開けるまでは、いつも通りの日常が戻るのだと思っていた。

いや、むしろ先ほどの声を聞けばいつもよりも上機嫌なのではとさえ感じた。

だから、ドアを開ける時にも躊躇はなかったのだが・・・。

その希望的観測は見事に裏切られた。

開いたドアの真ん前に夫は立っていた。

腕組みをして仁王立ちの夫は、これまでに見た中でトップファイブに入るくらいの怖い表情だった。

私はその顔を見て一瞬怯んでしまった。

でも、それを悟られてはいけない。

あえて平然とした様子で更に大きくドアを開けて、

「ただいま~」

と中に入ろうとした。

その時、夫が顔を近づけてきてドスのきいた声で、

「家に入る前に何か言うことがあるんじゃねーのか?!」

と囁いた。

情けないことに、その声を聞いただけで私は固まってしまった。

足元には私のスカートの裾を握りしめている子どもがいる。

ここはとりあえず夫の機嫌を何とかしなければ。

咄嗟に手に提げていたスーパーの袋を目の前に見せて、

「連絡入れられなくてゴメン。今日はシチューにしようね」

と言った。

これで収まってくれれば良かったのに、更に夫は睨みを利かせて、今度は私の手首を握ってきた。

怖かった。

怖くて震えあがって何もできなかった。

今度こそ暴力を振るわれるかもしれないという恐怖が私を覆った。


お隣さんの偶然の帰宅に助けられる?

納得のいかない様子の夫が何をしてくるかが分からず、玄関から入れない。

まだドアは開けっ放しで、子どもは足の後ろからちょこんと顔を出して様子をうかがっていた。

このままでは家に入ることもできないし、入れたとしても何をされるか分からない。

怯えながら辺りをキョロキョロしていたら、偶然お隣さんがどこかから帰ってきた。

どうしよう。

助けを求めようか。

でも、そうしたら大事になってしまうかもしれない。

それに、事態が収束した後に禍根が残っていつまでも機嫌が直らないのも困るなぁ。

そんなことを考えながらおとなりさんの方をチラっと見たら、なんとむこうから声をかけてきてくれた。

「今日って旦那さんいらっしゃいますか?」

唐突に夫のことを聞かれて戸惑いながらふと目をやると、先ほどとは別人のような笑みを浮かべた顔で自ら玄関の外に顔を出した。

「こんにちは~」

と自分から挨拶する夫。

そのままお隣さんの近くまで歩いて行き、何やら話し込んでいた。

少しして戻ってきて、手には紙袋を抱えていた。

大して離れていないのでチラっと聞こえたのだが、中身は夫の趣味関連の物だった。

『いただき物だが、自分は使わないので』ということらしかった。

目の前まで戻ってきた夫は私の方には目もくれず、無言で部屋の中に入っていった。


数十分後にやっと家に入ることができ安堵

私たちはしばらく玄関に立っていた。

なぜなら夫の許しが得られなかったからだ。

夫が『もう良いよ』と言うまでは、中に入って休むこともできない。

それは本当にオカシイことだと思うのだけれど、当時はとにかく早く機嫌を直して欲しいという気持ちでいっぱいだった。

ただ立っているだけなので段々と足も疲れてくるし、何もすることがないので時間が長く感じる。

しかも、家の中の空気が重くて居づらい。

こんなことなら、やっぱり戻ってくるんじゃなかった。

そんな後悔の気持ちで呆然と立ち尽くしていた。

こんな時間、子どもはもっと辛かったはずだ。

早々に飽きてしまい、足にかじりつきながら抱っこをせがんできた。

もちろんすぐに抱っこをしたが、ご機嫌斜めで少し騒いでしまった。

そりゃー、子どもにはこの状況は退屈だろう。

それなのに、夫はこちらに向かって『うるせー!』と怒鳴った。

それが私に対してだったのか。

それとも子どもに対してなのか。

いずれにしても、この状況で怒鳴りつけるなんて本当に大切にはされていないのだと痛感した。

いきなり怒鳴られた子どもが大人しくなるはずもなく。

驚いて泣き出してしまった。

私はこれ以上怒らせないようにと慌ててあやしたが、その間も夫のイライラした様子が伝わってきた。

優しい声を掛けて欲しいとは言わないが、自分で泣かせたくせに腹を立てるってどうなんだろうとも思った。

可哀そうに、子どもはそのうちウトウトし始めて寝てしまった。

そのまま抱っこをしつつ10分ほどだったかな?立っていて。

ようやく中に入ることを許された。

その時の言葉も、『もう良いよ』とか『疲れたでしょ』という優しい感じではない。

ただ一言、『そこに立ってると邪魔』と言われて、中に入ることを許されたのだと悟った。

2024年9月27日金曜日

初めての家出(2)

電車に乗る勇気が無い

家を出たのは良いけれど、電車に乗る勇気が無かった。

悶々と考えている間、目の前を何本もの電車が通り過ぎてゆく。

私は一体何をしに来たのだろう。

ちょうど休日だったので、周りはお出かけをする人々で賑わっていた。

そんな中、深刻な表情を浮かべて電車を見つめる私と何も分からずにはしゃぐ子ども。

電車に乗って遠くに行く勇気も無いのに。

それでも家を出たいと思ってしまった。

家に居たら心の休まる時間など無かった。

毎日嫌味を言われて細かなことで叱られるし、子どもだって理不尽なことで怒鳴られる。

機嫌が悪いとご飯も生ごみ行きで、物に当たることもある。

そう言うと、直接的な暴力が無い分マシでは?と思われるかもしれない。

だけど、目の前で大きな音を立ててコップや家具が壊れる様を見るのは本当に心が縮み上がる思いだ。

私たちを狙ってはいないとしても、万が一手元が狂ったら?

誤って子どもや私に当たったら?

もしそうなったら、『間違った』では済まされない。

それでもまだ自分のことだけなら良い。

だけど子どもに何かあったら後悔してもしきれない。

本来なら早いうちに何とかすべきだったのだが、穏やかで優しい時間もあったので、そこに希望を見出してしまった。


仕事のない休日に家出した理由

この時は初めての家出ということもあり、色んなことが怖かった。

何より、今後のことを考えすぎてしまった。

そもそも、仕事がお休みの休日をわざわざ選んだという時点でまだまだ決断できていないのだと思う。

何もかも振り切って家出するくらいの覚悟と決意があれば、きっとあそこまで事態は悪化しなかった。

それができなかったのは私の弱さであり、夫の狡猾さによるコントロールの賜物でもある。

私たちはしばらく駅前をウロウロしてお店に入ったりして時間をつぶした。

その間、子どもが何度か

「でんしゃにのりたい!」

と言ったのだが、

「また今度ね」

となだめた。

家を出てから1時間くらいが経過した頃だろうか。

突然携帯が鳴ったので、私はドキッとして足を止めた。

夫が帰ってきたのかもしれない。

ここで電話に出ないと、また後々酷いことになる。

理由を問い詰められて、その理由が何であれ責め立てられる。

数日間は針のむしろだろうし、しばらくは更に自由が無くなるのも明白だ。

それが分かっているのに、なかなか電話に出れないでいた。

しばらく鳴った後ようやく静かになった携帯を恐る恐る確認したら、やはり夫だった。

この時の私の心境は【やってしまった・・・】だった。

夫の連絡を無視してしまったから恐ろしいことが起きる。

そんな心境だった。

どうしよう・・・。

自分で招いたことなのに後悔に苛まれていると、再び電話が鳴った。


電話口の夫は予想外に優しい声だった

二回目の夫からの電話。

私は咄嗟に出てしまった。

恐怖心に勝てなかったというのもあるが、『今ならまだ間に合う』と考えていたことも事実だ。

恐る恐る電話に出て、

「もしもし。・・・あの・・・ごめん」

と咄嗟に謝った。

夫がどんな反応をするかが怖くて様子を窺がった。

すると、予想外に優しい声で、

「どこに行ってるの~?家に居なくて心配したよ」

と言われた。

あれ?怒ってないの?

戸惑いながらも、

「うん、買い物に来ててさ。今から帰るね」

と告げると、

「分かった。待ってる~」

と言った。

買い物に出ていたと伝えた手前、手ぶらで帰るわけにもいかない。

私たちは急いでスーパーで買い物をして足早に帰宅した。

ちなみに、こんなに少しの時間でも居ないことを不審がられるのは、外出時には逐一報告をしなければならないためだ。

報告をし忘れることはこれまで無かったし、予定より長引けば連絡を入れていた。

何も言わずに家を出たのは、この時が初めてだった。

そしてこの後、夫のあの優しい声は私たちを家に戻すための演技だったのだと知ることになる。

2024年9月26日木曜日

初めての家出

夫が出かけた隙を見計らって決行した家出

私が初めて家出をしたのは子どもがまだ2歳くらいの頃。

夫が出かけた隙に家を出た。

前日、一方的に怒鳴られてなじられて心はズタズタだった。

でも、夫はそれを『夫婦間の言い合い』だと言う。

普通の喧嘩だととらえている時点で大きな認識の相違があると思う。

だが、夫はそれに気づかない。

なぜなら、誰もが自分と同じように言いたいことを全部言えると信じているからだ。

そんな夫の言い分はこうだ。

『一方的だと言うのなら、お前も言い返したら良いだろう』

人の心が分からない人だとは思っていたけれど、これほどまでとは。

そもそも、目の前であんなに怒り狂って怒鳴り散らしている相手に言い返せる人がいるだろうか。

もしそんな強心臓の人がいたとしても私には無理だ。

一緒に暮らしていたら段々と通じ合えるものだと思っていたのに。

時間が経てば経つほど心の距離は広がるばかり。

ただ、この時は本気で家に帰らないという覚悟があったわけではない。

息抜きをしたかっただけ。

外に出て夫の居ない場所でリフレッシュして。

また違った視点で物事を見られるようになれば良いな。

そんな風に思って家を出た。

とは言っても、何も言わずに出るわけだから少し緊張はしていた。

これでまたなじられるだろうな。

何日無視されることになるのかな。

その後の仕打ちが怖かったけれど、このままでは爆発してしまいそうで決行した。


子どもの小さな手を引いて家を出たあの日

わが子の小さな手を引いて、玄関のドアを開けた瞬間のこと。

あの時の気持ちは今でも鮮明に覚えている。

小さな冒険が始まるようなワクワク感と、その後のことを想像して憂鬱な気持ちと。

息苦しい空間から抜け出したという解放感もあった。

さて、どこに行こうか。

ふと見ると、子どもはお出かけだと思っているらしくはしゃいでいた。

そりゃーそうだ。

私に連れ出されただけなのだから。

しかも、お出かけ用の上着も着せてちっちゃなリュックも背負わせた。

この一連の流れからは、完全にお出かけに出かけるようにしか思えない。

不安な気持ちでカギを閉めていたら、子どもが元気良く

「いこっか!」

と言った。

その言葉でハッと我に返り、急いで階段を下りた。

ここで見つかってしまったら連れ戻されてしまう。

自分で納得して戻るのと、無理やり連れ戻されるのとでは全く違う。

それに、万が一ここで見つかったらどんなモラハラが待っているかも怖かった。

怒鳴られるだけじゃ済まないな。

物が飛んで来たら危ないから、そうなったらひたすら謝るしかないのかな。

とにかく子どもだけは守らなくちゃ。

そんなことをグルグルと考えながら駅へと向かった。

2024年9月25日水曜日

怒りのハードルが低すぎる夫

夫が怒りっぽいのは前頭葉のせい?

あんなにも夫が怒ってばかりいるのは、前頭葉がどうにかなっちゃってるからなのかもしれないと本気で思っていた。

普通の人ならスルーするようなことでも烈火のごとく怒る、怒る・・・。

どうしてそうなった?と驚きと恐怖の眼差しで見つめていても。

その様子にさえ気づかない。

そういう時は怒りでいっぱいになり、周りを観察する余裕も無いようだった。

やっぱり、あれを見てしまうと他の人と同じ『普通』の状態だよ、と言われても信じられない。

目つきも瞬時に変わって据わっちゃってるのよ。

しかも、周りが優しく諭してもなだめても逆効果で。

触れるもの全てを燃やしてしまうくらいの怒りに包まれていた。

一番最初にその怒りっぷりを見た時には本当に衝撃だった。

「一体どうしちゃったんだ・・・」

と呆然としながら声もかけられなかった。

普段から怒りっぽいところはあったが、通常モードの時はまだ普通の範囲内。

だけど、ああいう時の夫はレベルが違うというか。

誰も抑えることができない。

親でさえ止められないんだから、私なんかが止められるはずもなく・・・。

いつも理不尽に怒鳴り散らされたり物を壊されたりしながらも身も守ることに集中していた。


自分の機嫌は自分で取ってね

自分の機嫌は自分で取るべき。

こんなこと、子どもにだって分かる。

でも夫にはそれができなかったようで、周りに当たり散らすのが常だった。

『こんなのおかしいでしょ!子どもにまで当たるなんて!』

そう思っているのに、怖くて直接言えない私もどうしようもないヘタレな人間。

その犠牲になるのが私だけならまだ良かったのだが。

子どもにまで当たるとなると話は別だ。

いつも防御の姿勢を取っているばかりでは一向に解決できないと思って、色々な可能性を模索した。

それで見つけたのが前頭葉の話だった。

前頭前野は感情の抑制において重要な働きをしている。

思考力や判断力なんかもこの部分が関係していて、働きが悪くなると怒りっぽくなったり集中力が続かなかったりするそうだ。

認知症でもそのような症状が出るそうだが・・・。

30代の夫に限ってはそれはあり得ないと思った。

ということで、根っからの前頭葉の働きが鈍いタイプなのだと結論付けた。

生まれつき怒りっぽいという点では、実は心当たりがあった。

義父も結構怒りっぽくて、時折キレているのを見かけたことがある。

家族に対してはキレないんだけど、外部の人に対してキレる。

義母は一見すると優しい。

実際に優しくて涙もろい面もあるのだが。

昔は些細なことでキレて理不尽な怒られ方をしたと夫が語っていた。

つまり・・・。

そういう傾向を受け継いでしまったという可能性は十分にあるということだ。


夫に内緒でこっそり対策したこと

本来なら自分でアンガーコントロールの方法を学んでもらうのが良いのだが・・・。

それは無理な話だった。

だって夫は自分が悪いことをしているなんてこれっぽっちも思っていないのだから。

ここは私が動くしかないと思ってコッソリ調べてみた。

こういう時に注意したいのが気づかれずに対策を行うということ。

大々的に動いて知られてしまうと、またへそを曲げられてしまう。

気づいた時点で怒り狂って叫び、きっと最後にこう言うだろう。

「俺が全部悪いのかよ!」

そんなこと、誰も望んでいない。

当時は一事が万事こんな調子だったので。

荒れ狂う海の中、小さなボートに乗って必死に岸を目指しているような。

そんな感じだったな。

我が家がやったことは次のようなもの。

1.朝日を浴びる

2.シャワーで済まさず湯船につかる

3.脳を活性化させる食べ物を取り入れる

そして結果をお知らせすると。

朝日を浴びさせようとカーテンを開けた時点で怒られました、ハイ。

良かれと思ってやっていることでも、ご本人がお気に召さないと即却下なんだよなー。

湯船につかるというのも実践してみたところ、

「毎日湯船にしたら光熱費が勿体ない!」

と怒られた。

光熱費だけは夫が払っていたから勿体ないと思ったのかも。

これはもう食べ物で何とかするしかないと思い、脳に良いものを色々と調べてみた。

青魚、ナッツ、緑黄色野菜、大豆、チョコレート、亜麻仁油、バナナ

この中で、取り入れられそうなものは?

青魚、緑黄色野菜、大豆、チョコレート、バナナ

最終的にお値段も考えて、継続的に取り入れられるもの。

バナナ

そう。

我が家はバナナに希望を託すことにした。

当時は2日に1回ぐらい買い物に行っていて、そのたびにバナナを買った。

何なら前のが食べ終わる前にせっせと買い、部屋のあちらこちらにスタンバイしている状態。

そして、

「私が仕事に行っている間も食べてね💓💓」

と目立つところに置いて行った。

最初は言われるがまま食べていたみたいなのだが、ある日突然夫がキレた。

「サルでもないのに毎日こんなにバナナばっか食えるか!」

その時の夫は顔を真っ赤にして怒っていて、5段階で言ったらレベル4くらい。

私は焦って、

「栄養バランスが良いって聞いたからさー」

と言いながらそそくさと目立たない場所にバナナをしまった。

なんだ、全然効いてないじゃないか。

普段の食生活が乱れすぎているのか。

もしくは、夫の前頭葉が既に素人では対処できないくらいに委縮しているのかも。

この結果にガッカリした私は、食事療法をすぐに止めた。

2024年9月24日火曜日

ドラマ「海のはじまり」の海ちゃんの姿が我が子と重なった

小学生が誰も居ない家に帰るということ

今クールのドラマ、「海のはじまり」。

何となく見始めて、いつのまにかハマってしまいました。

我が子を残して旅立たなければならなかった水季さんのことを思うと胸が詰まります。

だけど、何も知らされてなかった夏君が責められるのも違うと思ってしまう。

こういうドラマはリアルタイムで見てこそ面白いと思うのですが。

私はリアルタイムでなかなか見れないので、録画してお休みの日に見ています。

昨日私が見たお話では、海ちゃんがパパである夏君のお家で暮らし始めました。

ママの実家から夏君の家にお引越しをし、学校も転校。

パパは海ちゃんが帰る頃はまだ仕事なので、小学校から帰宅すると自分で鍵を開けて入るシーンが映されていました。

それを見て、ふと『うちの子もこんな風に鍵を開けて入ってたんだな』と思いました。

重いランドセルを肩から下ろし、鍵を出して自分で開けて部屋に入って行く。

誰も居ない部屋はシーンとしていて。

海ちゃんはほんの少しの間、部屋を見つめていました。

多分、心細いのもありますよね。

その姿が我が子と重なって見えました。

きっとこんな風に毎日一人でシーンと静まり返った部屋に帰っていたんだな。

「帰ったらちゃんと手洗いして宿題もやってね」

なんて注文を付けていたけど。

帰宅後に一人で過ごすだけでも偉かったんだな。

そんな風に思いました。

小学生なんて、まだまだ甘えたい盛りです。

生意気なことを言っていても、ふとした瞬間に可愛らしい姿を見せてくれる。

そんな時期に寂しい時間を過ごさせてしまって可哀そうなことをしたと思います。


お友達の存在が寂しさを埋めてくれた

子どものことが心配で、たびたび『大丈夫?』と聞いていました。

でもそういう時、必ず『大丈夫だよ』と言うんです。

たとえ大丈夫じゃない時でも、子どもなりに心配をかけまいとして言ってしまう。

だから、もう『大丈夫?』とは聞かないことにしました。

その代わりに、『今日は何が楽しかった?』と聞きました。

そうすると、その日楽しかったことなどを教えてくれるんです。

はしゃいだ様子で話す姿を見ると本当に安心します。

うちの子は強がっているけど、本当は寂しがり屋。

一人で過ごすのはあまり得意ではないと思います。

でも、私はフルタイムで働かなければならないし、実家も遠い。

我が家のどうしても埋められない部分を埋めてくれたのはお友達たちでした。

夫と離れてからはお友達と積極的に遊ぶようになり、放課後に一人で過ごすことは減りました。

そして気持ちが段々と落ち着いてきたら、一人時間も楽しむことができるようになりました。

これまでは父親からの虐待によって心が不安定だったから。

そういう環境的な要因が大きく影響していたのでしょう。

心が安定してくると、不安な気持ちになることが減っているように見えました。

そうは言ってもまだまだママが傍に居ることで安心できる時期だから。

私も精一杯時間を作って寄り添いました。

その間、夫は時々自分の要求を押し付けてくるだけで子どものことを心配したり思いやる様子も無し・・・。

やっぱりどこまで行っても自分中心なんですね。


三人の時より今の方が幸せ

夫と一緒に居た頃は家族三人で、傍から見れば普通の家族でした。

だけど、内情はモラハラ虐待を受けていて、常に顔色を伺ってビクビクするような生活。

心が休まる日はありませんでした。

かといって里帰りも制限されていたので息抜きもできません。

外出できる日はありましたが、外出中も幾度となく携帯が鳴って、一度でも取り損ねたら猛烈に怒るので気が気ではありませんでした。

せっかく外出していても、そんな環境では楽しめるはずがない。

子どももビクビクしている私を見ているせいか神経質になりました。

家の中に居る時も普通に会話を楽しむことなどなくて、夫の機嫌を伺うのが日常で。

そんなシンドイ生活を思えば今の方がうんと幸せです。

たとえ、母子家庭であることで変な目で見てくる人が居ても。

前の生活と比較したら雲泥の差です。

穏やかで幸せで、こんな満ち足りた生活を送れるなんて・・・。

今でも夢のよう。

前が地獄過ぎたっていうのもあるんですけどね。

2024年9月23日月曜日

拒み続けたモラハラ夫との夫婦生活

モラハラ夫との夫婦生活は苦痛以外の何物でも無かった

日中、どんなに私たちのことを苛め抜いていても。

夜になったらすり寄ってきた。

そういう時の独特の雰囲気はすぐに分かる。

あぁ、今日『その日』なんだ、と。

先程までは怒鳴り散らしていたくせに。

急に猫なで声になって甘えてくる。

気持ち悪い。

本当に気持ち悪くて、心の底から『居なくなって欲しい』と思った。

そんな私の気も知らず、自分の気持ちだけを優先させる夫。

本当は私だって拒絶したい。

だけど、そうしたらイライラの矛先が子どもに向かってしまうから。

子どもが虐待されるのを恐れて、我慢しながら応じた。

早く終わって欲しいのに、そういう時だけ長くて。

何とか意識をそちらに向けないようにした。

触れられるところが。

夫の唇が当たるところが。

全てが不快だった。

こちらの反応を見ながらしてくるのも、本当に嫌だった。

だって、苦痛で苦痛で仕方が無くて。

その表情を悟られないようにと必死だったから。

一体こんなことをいつまで我慢すれば良いんだろう。

そう思っているのに、拒むことのできない苦しみ。

私にできるのは、せいぜいその間目を瞑って夫を見ないようにすることだけだった。


とうとう耐えきれなくなり、色んな理由をつけて断った結果

懸命に応じていたけれど、とうとう我慢ができなくなってしまった。

夫に触れられるたびに心が死んでいくような感覚。

子どもを殴ったその手で私に触らないで!

心はずっと叫び声をあげていた。

そんな自分の心の叫びを無視し続けた結果、吐き気を催すようになった。

その雰囲気を感じ取るだけで吐きそうになり、トイレに駆け込む日々。

そして段々と『具合が悪いから』とか『疲れてるから』という理由で断るようになった。

もしこれで子どもが虐待を受けたらどうしよう。

そう思っているのに受け入れられなかった。

このままずっと避け続けていれば、そのうち夫もその気にならなくなるんじゃないのかな?

そんなことも考えた。

拒み続けていたある日、夫が耳元で呟いた。

「ねえ、知ってる?夫婦生活を拒むことも離婚の理由になるんだよ」

私はゾッとして後ずさりした。

ずっと夫に近づかないようにしていたから、少しはそんな気持ちも薄れていると思っていたのに。

まさかそんなことを考えていたなんて。

夫は私に応えて欲しそうにしていたけれど、結局何も言えなかった。

そんなこと知ってる。

離婚の理由になることは百も承知だ。

もしそれを理由に離婚を申し立ててくるのなら、こちらは喜んで受け入れる。

むしろそうして欲しいくらいだ。

でも本当はそんな気は一ミリたりとも無いくせに・・・。

こうやって、こちらを揺さぶろうとして駆け引きをしてくる夫が本当に嫌だった。

余計に夫のことが受け入れられなくなっていった。

2024年9月22日日曜日

モラハラ夫が相手をコントロールする恐怖の手段

モラハラ被害者は自分を責める

一緒に居てはいけないような相手だと分かっているのに、なぜ長年逃げなかったのか。

これはよく質問されることである。

傍から見ればそう思うだろう。

私だって身近な人が同じような被害を受けていたら、間違いなく忠告するはずだ。

だけど、当事者になってみるとよく分かることがある。

モラハラ夫がどうしようもない人間だとしても。

一緒に過ごしていると、夫だけが悪いのではないと思わされてしまうのだ。

私にも良くないところがあった。

だから夫が怒るのも無理はない。

次はもっと上手くやらなければ。

私さえちゃんとやっていれば夫も機嫌良く過ごせるはず。

そんな思考になっていくのである。

そして、しまいには『私のせいで上手くいかない』と思い込む。

本当に恐ろしいことなのだけど、どんどん自分を責めるようになって何とか上手くやることだけを考えるようになってしまう。

ここまで来るともう重症なので、指摘を受けたところで考えを改めるのは容易ではないはずだ。

どうしてそんな思考になってしまうのかを考えてみたのだが。

その理由として一つのことが思い当たった。


モラハラ夫は飴と鞭を使い分ける

モラハラ夫と言えど、常に怒っているわけではない。

時には優しい言葉をかけ、妻や子をいたわる素振りも見せる。

かと思えば些細なことで激怒して家の中で怒鳴り散らしたり、機嫌を損ねて長い間無視をされることもある。

また、そのどちらにも属さないごく普通の期間もあった。

そんな風にコロコロと変わるのを見て、一体どれが本当の彼なのだろうと思っていた。

それぞれの期間は異なれど、普通のモードから徐々に怒りっぽくなって大爆発の時期に入り、その後急に優しくなるというパターンが多かったように思う。

それに気づいてからは、徐々に切れやすくなってくると警戒した。

怒り狂っている大爆発時には、本当に何をしても癪に障るみたいで大変だった。

だけど、一定期間を経ると本当に優しくなって私たちを気遣った。

子どものことも、その時期になると大切にしていたし、おもちゃを買い与えるのもそのタイミングだった。

そんな風に優しい姿を見てしまうと、ついつい許してしまう。

『根は悪い人ではないんだ』と思ってしまう。

そう思いたかっただけなのかもしれないけど。

これが怒鳴り散らすだけだったら、もっと早く抜け出そうとしたに違いない。

でも夫から優しくされるたびに、そんな風に思っちゃダメなんだと自分を戒めた。

これがもし彼らのコントロールの手法だとしたら・・・。

とても恐ろしいと思う。

だって、一度でも好きになった相手なら、優しさを見せられると切り離せなくなるから。

相手もまだ自分たちを想ってくれていると錯覚してしまうでしょう?


モラハラ夫には泣き落としパターンもある

モラハラ夫はよく『俺が全部悪いんだ』と泣いた。

泣かれると、何だか可哀そうになってなぐさめた。

そんな時に毎回感じていた罪悪感。

私、何も悪いことはしていないのに。・・・

罪悪感は人の判断力や思考を鈍らせると思う。

現に私はモラハラ虐待の被害を受けても自分を責めていた。

夫にも悪いところがあるかもしれないけど、それは私も同じ。

お互いに悪いところがあるのだから、夫にだけ改善を求めるのは違う。

そんなバカな考えで、常に夫を気遣った。

たぶん、夫と二人だけだったらそのままズルズルと行ってしまったと思う。

でも我が家には子どもが居たので、最悪の事態になる前に目を覚ますことができた。

子どものお陰でモラハラ虐待家庭から脱出できたと、今でも思っている。

2024年9月21日土曜日

パワハラ同僚の末路

どこにでもいるパワハラ社員

昔はパワハラという言葉自体になじみがなくて。

どこか自分とは関係ない遠い世界のお話だった。

でも、最近ではこの言葉も段々と浸透してきて、『あれはパワハラだったんだ!』と後から気づいた人も少なくないはずだ。

実は私の勤めている会社にもパワハラ社員がいた。

いた、というのは既に辞めているからだ。

今、パワハラに悩んでいる人が居たら、どうか諦めずに戦って欲しい。

相手は狡猾かもしれない。

あなたにだけ攻撃をしかけてくるのかもしれない。

だけど、悪いことをしている人たちって必ずどこかでボロを出す。

それまで待っていられない、という人はぜひ証拠をつかんで欲しいと思う。

物的証拠があれば、相手も言い逃れすることができなくなる。

口では負けても証拠があれば戦える。

もしそれも難しくて、今の状況に耐えられないと思ったら・・・。

どうか逃げて欲しい。

逃げることは決して悪いことではない。

負けることでもない。

最後は自分を守る選択をして欲しいと切に願う。


追いつめられて退職も考え始めたが・・・

パワハラをする人というのは、何故言い返せないような人をターゲットにするのだろうか。

もし本当に論戦上等!と思っているのなら、もっと手ごたえを感じられるような人を相手にすれば良いのに。

私なんて言われたらすぐにガーンとなって、落ち込んでしまう。

だから、きっと手ごたえなんてこれっぽっちも無かったはずだ。

それなに、相手は私に狙いを定めた。

実はその前にターゲットにされた人がいて。

その人は会社を辞めてしまっていた。

被害を受けていることが分かっていたのに、情けないことに私は何もできなかった。

次のターゲットが自分だと気づいた時も、『きっと誰も助けてくれないんだろうな』と思った。

それからは、些細なミスもしないように神経を尖らせて業務に集中した。

以前から気を付けてはいたけれど、これからは一切の隙を与えてはいけないと思った。

それなのに、相手は関係ないことで難癖をつけてきて、大勢の前で私を非難するようになった。

大声で怒鳴られたり、ありもしないことを密告されたりするようになった。

耐えきれずに上司に相談したのだが、この状況に気づいていないはずもないのに、

「僕は性善説を信じてるから」

「君も悪いところばかりでなく良いところも見るようにしたら」

と言われた。

絶望した。

もうダメだと思って、転職も考え始めた。

だけど、私はシングルマザーで転職なんて簡単にはできない。

もし私が失職したら、子どもを育てていけなくなる。

生活のことも不安だったし、それを夫に知られたら子どもを奪われてしまうのではと考えて怖くなった。

私さえ我慢すれば。

このまま耐えているうちに状況が変わるのでは。

どんなに辛くても現実的に身動きのとれない私は、結局しばらくは胃の痛くなるような生活を送り続けた。


私がパワハラ被害から救われた転機とは

社内に居る人たちだけでは、到底解決できる問題ではない。

だって上司や社長は見てみぬふりをしているのだから。

社長なんてひどいものだった。

耐えるだけで精一杯の状況なのに、私が変わるように求めてきたのだ。

『あの人もきっとこんな気持ちだったんだな』

同じような被害にあって辞めてしまった社員のことを思い出し、胸がギュッとなった。

元気が無くなり、電話の声も小さくなり、些細な仕事でもミスをするようになり。

自分でも普通じゃないと思っていたけれど、どうにもならない。

その異変に気付いたのは、普段は外で仕事をしている先輩社員達だった。

明らかにおかしい私を心配し、数名の人が声をかけてくれた。

もう自分の中で消化することができなくなっていたので、事情を聞かれた時には洗いざらい話してしまった。

そうすることで心が少し軽くなったのだが。

どうせ話したところで何も変わらないだろう、と諦めていたのも事実。

これまでにもっと上の人たちに相談しても変わらなかったのだから。

だけど、その人たちは動いてくれた。

私が安心して仕事ができるように、と。

まずは状況を整理するように指示されて、これまでにパワハラ社員にされてきたことをきちんとメモに残すように言われた。

指示に従って整理をしつつ、新たに受けたパワハラもこまめに記録に残す私。

段々と自分の置かれた状況も客観的に見れるようになった。

その証拠とも言えるものを持って、再び上司と話をした。

先輩社員からも事前に色々と伝えてもらっていたので、その時はスムーズだった。

やっと重い腰を上げた上司は、社長とも相談してパワハラ社員と話をしてくれることになった。

それでしばらくはおとなしくなったのだが、喉元過ぎるとまたパワハラをし始める社員。

自分たちが対峙してみて、初めてその社員の異常さに気づいたのだろう。

社長や上司は話している最中も時々声を荒げ、明らかに言い合いになっているのが聞こえてきた。

結局いつまで経っても直らないので、待遇面等でペナルティが与えられることになった。

それでも直らないので更に思いペナルティが与えられることになり。

最後は自分から辞めて行った。

まさか退職願を持ってくるとは思っていなかったので、本当に驚いた。

その瞬間、長く辛い生活から解放された。


パワハラやモラハラをする人に目を付けられないために

パワハラやモラハラをする人って、やっぱり大人しい人に目を付けると思う。

現に私がそう。

強く言えないし、言ったらどうなるだろうかと後々のことばかり考えてしまう。

だからパワハラ社員のターゲットになったのだと思うし、元夫からも好かれてしまった。

これからは目をつけられないように、嫌な時にははっきり『No』と言える人になろうと思う。

断りにくいことでも安易にOKはしない。

それと同時に、『この人もしかして・・・』と感じるような人が居たら近寄らないようにすることも大切だと思う。

気づかずに近づいてしまったら引き込まれてしまう恐れもある。

人の直感て意外とあてになるものなんです。

もし違和感を感じるような人に出会ってしまったら、すぐに気を許さずに少しの間観察して欲しいと思う。

2024年9月20日金曜日

「何があっても仕事は続けるように」と言っていた夫が辞めた

フルタイムで働き続けることを迷った出産期

大学を卒業してからずっと正社員で働いてきた。

途中で結婚する時に転職はしたが。

それは元々の仕事が時間的に不規則で、家のことと両立するのが難しいと感じたからだ。

夫は同棲時代も全く家事をやらないタイプ。

彼の中に協力という文字が無いのでは、と思ったほどだ。

どんなに私が疲れていても、『じゃあ今日は俺がやるわ』とはならないので。

忙しい仕事と家事のどちらもこなすのは不可能なように感じた。

それで、結婚を機に思い切って転職した。

それまでとは畑違いの仕事。

ゼロから覚えなければならないことばかり。

でも、環境が変化するのだから、それに合わせて働き方を変えるのは当たり前のことだと考えて懸命に覚えた。

その甲斐あって、新しい仕事でも難なくこなせるようになった。

そこでは妊娠出産後もお世話になった。

環境にも慣れて社長を含め社内も良い人ばかりで。

こんな穏やかな環境で働けることを嬉しく思っていた。

だが、入社してから4~5年くらい経った頃だろうか。

段々と会社の状況が思わしくなくなってきた。

仕事が欲しくてもなかなか受注できない。

営業をかけても、それまで付き合いのあったところからでさえ良い返事をもらえない。

零細企業だったので、その影響はすぐに表れた。

ボーナスはカットされ、給与も少しずつ減らされて・・・。

それでも、社長にとってはこの対応が苦渋の決断だと分かっていたので皆頑張れた。

一番影響を受けたのは社長で、自分のお給料を大きく減らしていたのも知っていたから。

社員は文句一つ言わずに、『何とかなるよ』と声を掛け合った。

だけど、どんなに前向きに努力しても上手く行かないこともある。

とうとう会社を閉めることになった。


難航する転職活動と夫の心無い言葉

転職活動は難航した。

一番最初の職種なら専門職だったし引く手あまただったろうに。

次の仕事は事務職だったのでかなりの激戦で、書類審査の段階で落とされることも多かった。

それなら最初の職種に戻れば良いんじゃないの?と思われるかもしれないが。

ブランクが空いてしまって自信が無かった。

技術は日進月歩だから、私の知識はもう古くて使いものにならないはず。

そんな不安から、前の職種に戻ろうとは思わなかった。

書類を送っても送っても面接試験に呼ばれない日々。

焦りを感じつつ黙々と活動を続ける私を見て、夫は

「仕事は絶対に続けた方が良いよ」

と言い続けた。

そりゃー私だって続けられるものなら続けたい。

でも、『雇いたい』と言ってくれる会社が無ければどうにもならない。

しつこく早く探すように言ってくる夫にイライラしながらも、聞こえないフリをして転職活動に集中した。

1か月、2か月と経過してくると、元々はポジティブ思考であっても段々とマイナスの考えが浮かんでくるものである。

もう、このまま決まらないんじゃないの?

などとネガティブな気持ちに支配され、不安に押しつぶされそうになった。

そんな時でも、夫は

「ブランクが空いたら余計に雇ってもらえないから」

とか

「うちは共働きじゃないと無理だよ」

と言い続けた。

『あー。こんな時でも私の気持ちに寄り添ってはくれないんだな』という絶望感。

ただ、この絶望感が実は私の原動力にもなった。

おかしいでしょ?

おかしいよね。

夫婦なのに、こんな嫌なことを言われているのに、それが原動力になるなんて。

でも私の中で『見返してやる!』という気持ちがあったことは確か。

その怒りにも似た気持ちが私を突き動かし、よりアグレッシブに転職活動を行うことができた。

そして、とうとう内定を勝ち取った。


「何があっても辞めるな」と言っていた夫があっさりと退職

私が窮地に追い込まれても一切助けようとしなかった夫。

仕事が決まらないかも?と不安になっても、プレッシャーをかけることしかしなかった夫。

この人は何があっても辞めないんだろう。

漠然とそう思っていたのに。

夫はあっさりと仕事を辞めた。

えっ?!辞めたら暮らしていけないんじゃなかったの?

なんで私はあんな風に言われなければならなかったの?

驚いている私に向かって夫が言い放った言葉が今でも忘れられない。

「こういう時は助け合うもんだろ」

こういう時も何も、我が家には片方が無職になる選択肢も余力も無かったはずだよね。

それなのに、自分だけは例外なんて許されるの?

この頃、既に夫に対して不信感もあったし、今後に不安もあった。

しかも、仕事を辞めただけでなく、家庭内での振舞いも更に悪化していくという地獄。

普通は暇になって優しくなったりするでしょう?

夫の場合は逆で、モラハラ虐待がエスカレートしていった。

本当に人として終わってる。

私たちは奴隷ではない。

サンドバッグでもない。

直接伝えたら格好のエサになってしまいそうな言葉たちが、喉の奥まで出かかった。

2024年9月19日木曜日

ゾッとする話-お風呂で誰かが呼んでいる?!

我が家のお風呂は音声つき

うちのマンションは築35年を優に超えていると思う。

でも、意外と綺麗に見える。

水回りを除いては・・・。

水回りというのは年代がよく分かる部分なので、やはりよく見るとくたびれている。

カビた跡なんかもあるし、ゴシゴシとこすっても落ちない汚れもある。

そんな我が家のお風呂も、一応音声つきになっていて便利ではある。

お風呂が溜まったら教えてくれて、お湯も勝手に止まるので溢れる心配もない。

実家で使っていた前のお風呂なんかを思い出すと『便利になったなー』と思う。

あっ、お知らせしてくれるとは言っても、ついているのはごくシンプルな機能だけね。

・電源を入れた時に音楽が鳴る

・お風呂が溜まったら音声で教えてくれる

・溜まっているのに蛇口を開けっぱなしにしていると、音声で警告してくれる

ざっくり言うとその程度なので、複雑なことなど何もない。

お風呂場の中にはボタンなどは無く、これまた非常にシンプル。

逆に言うとお風呂場で何か操作するようなことはできず、操作ができるのはキッチンに備え付けてあるパネルのみとなっている。

まぁ十分だよ。

実際にそれ以上の機能を欲するようなシーンもないし。

このシンプルで便利なお風呂で事件は起きた。


誰も居ないはずのお風呂で誰かが呼んでいる・・・

その日は子どもも帰りが遅くて一人だった。

そろそろお風呂にお湯を溜めようかなーなんて思ってチラっと時計を見た。

今からいれれば8時くらいには入れるか。

そう思いながらキッチンに向かった。

だけど、途中で用事を思い出してリビングに戻り、そのままテレビが気になってついつい見てしまっていた。

その時だった。

お風呂のシステム音声が鳴ったのは。

『お風呂で呼んでいます』

そう聞こえたので、咄嗟にお風呂場に飛んで行った。

だけど、何もない。

そりゃそうか。

今からいれようとしてたんだから。

そう思いながら戻ろうとした時、ふとこの音声自体がオカシイことに気づいてしまった。

えっ、ちょっと待って。

誰が呼んでるって?

今一人なのに?

そもそも我が家のお風呂にはそんな機能は無いけど?

そうなのだ。

お風呂場にボタンは無いから、そんな音声が鳴るはずは無いのだ。

そもそも家には私以外に誰も居ないし。

気づいてしまったら何だかとても怖くなって、ゾゾゾ~っと鳥肌が立ってしまった。

しかも、お風呂のシステムは電源さえ入っていなかった。

つまり、電源オフの状態では音声も音楽も鳴るはずがないのである。

それからしばらくは、一人の時にお風呂に行くと思い出してしまい、ゆっくり湯船につかることができなくなった。

あれ以来一度も呼ばれてはいないけれど、今でも時々思い出す。

一体何だったんだろう。

2024年9月18日水曜日

『エアコンをつけてはいけない』という無言の圧

どんなに暑い日でも『うちわ』で乗り切っていた我が家

近年は身の危険を感じるほど暑い日が増えましたね。

昔のように日陰で涼んでいれば問題ないというレベルではありません。

猛暑日予想が連発し、風通しの良い場所でも汗が噴き出てきます。

実は、我が家ではそんな日でも『エアコンをつけるな』という無言の圧がありました。

夫は働いておらず、日中に家にいるのは夫だけです。

体調が悪くなると大変だから、『暑い日にはエアコンをつけた方が良いよ』と言っているのに頑なにつけませんでした。

これは、もしかしたら私への当てつけの意味もあったかもしれません。

というのも、私のお給料は事務職ということもあって決して高くはないんです。

そのお給料で家族三人都市部で暮らさなければならない。

『お前の稼ぎが悪いから』という意味も込められていたとしたら、どうしようもないですね。

私の方は心配して言っているのに、二度三度と言うと機嫌が悪くなるので、そこにも気を使いました。

機嫌が良い時にはマシなのですが、少しでも機嫌が悪い時には対応が難しいんです。

ニュースなどで、部屋の中で熱中症になった話などを耳にするたびに、こうやって頑なに拒んでいるうちに体調を崩すのではないかと思っていましたが。

案外大丈夫でした。

土日などで一緒にいる時も、エアコンはつけずにうちわで風を送り続けます。

子どもも暑いから『扇いで~』と言い、扇いでいるうちにシャワーを浴びたくなるくらいの汗をかいていました。

なんでこんなに我慢しなければならないの。

そう何度思ったか分かりません。

だけど、それを言ったら夫がへそを曲げるのでじっと我慢しました。

うちわで扇いだところで常温が高いのですから送られてくる風も熱風です。

こんな生暖かい風を送ったところで、ちっとも涼しくはなりません。

というよりも、うちわで扇ぐという無駄な労力のためにかえって暑くなっているくらいです。


扇風機も無い暑さ地獄の我が家

『エアコンをつけてはいけない』と直接言われたわけではありません。

だから、この件を元夫に話したら『私の思い込み』にされるかもしれません。

でも、つけようとすると「まだそんなに暑くないだろ」と言われ。

こっそりつけると、「えっ?!エアコンつけてるの?!」と言われ。

「お風呂から出たらエアコンで涼もう」とポツリと呟いた時には、「夕方になれば、もう日中みたいに暑くないだろ」と言われました。

じゃあ、一体いつならつけていいのよ。

うちには扇風機も無かったので、どうしても耐えられない時にはうちわでパタパタと仰ぎましたが。

それで耐えられるものじゃない。

最近は寝る頃もかなり暑いことが多いので、夜だからと言って気を抜けません。

布団に背中が密着していると寝苦しいので、私は常に横向きで寝ていました。

そんな苦労をしていましたが、元夫自身がエアコンをつけたいと思った時だけは別でした。

誰も聞いてないのに「今日はもうエアコンつけないと限界だな」とか言いつつ、そそくさとつけていました。

気まぐれなんです。

呆れちゃうくらい気まぐれで、自分の思い通りにしないと気が済まないんです。

結局最後までエアコンをつけて良い時とダメな時の差が分からず、夫の言うがままにしていました。

そのせいなのか、今でもエアコンを使う時には罪悪感があります。

『贅沢しちゃうな』みたいな。

でも、子どもが暑い思いをするのは可哀そうだから、ちゃんと適温にしつつ使用しています。

だから、猛暑日が過去最高に多かった今年の夏でも、夫と一緒に居た頃よりは快適でした。

2024年9月17日火曜日

女友達と比べて『だからお前はダメなんだ』と怒る夫

妻よりも女友達を優先?!

結婚していた頃、元夫の行動には理解できないことが多々ありました。

その一つが、妻よりも女友達を優先することでした。

別に、いつも私たちのことに全力を注いで欲しいと言っているわけではないんです。

要所要所で大事にしてもらえれば、それで良いんです。

それなのに、元夫の中で私たちの優先順位はとても低いらしくて、いつも後回しにされました。

何ならその辺の知り合いよりも下で、最下位だったかもしれません。

私も本当は段々と元夫の言動にはウンザリしてきていたんですけどね。

最後の方は『離れたい』ということばかり考えていました。

それでも一緒に暮らしていたら家族を優先すべきだったと思うんです。

でも、元夫は違いました。

この原因が私にあると言われたら、『まあ、そうかもね』とも言えます。

人の気持ちって態度に出るものですから。

だけど、それってお互い様。

元夫も私や子どもをないがしろにしていて、余裕があれば相手をするという感じでしたから。

その相手の仕方も優しくては無くて、不機嫌で脅すような口調でした。

そんな態度なら一緒に過ごしてもらわなくて結構!と思ってしまいます。

こんなことを繰り返しているうちに段々と愛情は無くなっていきました。

最後は空っぽ。

コップから水が一滴ずつ零れ落ちるように少しずつ無くなっていき・・・。

最後は空っぽになって何も残りませんでした。

元夫に対しての愛情が枯渇した私。

万が一彼女たちと何かあっても焼きもちを焼くことも無かったでしょう。


不出来な嫁でごめんなさいね

元夫からすれば、女友達の方がどの点においても素晴らしい存在だったみたいです。

事あるごとに比べられて、『○○(友達)はもっとこうだった』みたいな話をたびたびされました。

あなたの大好きなお友達と比較されてもなぁ~。

そもそも色眼鏡入ってるでしょう。

元々そちらの方が大事で、全てにおいて優れていると思っているのだから、私に不満を持つのは当たり前です。

そもそも基準が、夫が勝手に決めた基準なんです。

それをあたかも世界標準みたいに話されたって、こちらも素直に聞くことはできません。

そんなに彼女たちがお気に入りで素晴らしいと思っているのなら、もう私たちを手放してそのコミュニティで過ごしたら幸せなんじゃないですか?

いつも、そう思っていました。

でも口には出していません。

反抗的な態度を取ったら、それこそ攻撃材料を与えてしまうことになります。

その鉾先が自分に向くのならまだ良いんです。

子どもに向かってしまった時などはとても後悔します。

だから何か言葉を発する時には、【夫を怒らせないか】を常に考えました。

その結果、元夫にとっては快適な環境が出来上がりました。

何を言っても反論されない。

指摘をすれば従ってくれる。

まさに王様のようです。

「そんなこともできねーのかよ!」

蔑むような目で私を見る夫。

機嫌が悪いと、そのまま物を投げたり捨てたりすることも・・・。

怒鳴られると耳の奥がジーンとして、それから恐怖で胸がドキドキしました。

こんな仕打ちを受けて悔しくて泣き出したい時でも、じっと耐えました。

大抵は家族三人でいる時に起きることです。

でも、義両親がその場にいたこともありました。

執拗に責められる私を見て、義母は

「ごめんなさいね」

と謝ってくれました。

謝ってくれましたけれど、暗に【我慢してやってくれ】という空気を匂わせていました。

SOSを出しても助けてはもらえない。

そう確信しましたが、心配をかけたくなくて両親にも相談できませんでした。

2024年9月16日月曜日

元夫の『○○買っちゃった~』という話を聞いて思うこと

買い物自慢をするモラハラ夫

元夫は、必要がないのにたびたび電話をかけてきました。

最近ではもう連絡も途絶えがちですが・・・。

かけてきて必ず、

「○○(子ども)の将来のことだけは心配だわ~」

と言います。

だけど、これは本当にそう思っているわけではありません。

きっと【そういう発言をする俺ってエライ】と自分に酔っているだけです。

もし本当に心配しているのなら養育費を払うはずです。

百歩譲ってお金が無いから送りたくても送れないというのなら、そういう気持ちって態度に出ますよね。

でも、元夫は違うんです。

頻繁に何を買ったとかどうでも良い話をしてきて、それに付き合わされます。

「パソコン買っちゃった」

(そんな高いものをポンと買えるんだね)

「この間、良いスニーカーを見つけちゃって衝動買いしちゃったよ」

(子どもや私なんて大分くたびれた靴を履いているけど、なかなか買えないよ)

「バッグが欲しいんだけど、どういうのが良いかな」

(知らんがな。好きにしたら良いよ)

こんな具合で、もしかしてこれは自慢しているの?という話をしてきます。

そんなに余裕があるのなら少しは子どものために遣いたいとは思わないのかな。

まぁ、思わないからあんな酷いこともできたと思うんですけど。

結局、電話でそんなことばかり話してきて、何をしたいのかが謎です。


モラハラ夫は自分だけが大事な可哀そうな人

元夫のことを、【自分だけが大事な可哀そうな人】と思うことにしています。

そう思わないと、あんな電話を受け流すことができません。

実際、離婚した後は客観的に見ることができるようになったので、元夫の独りよがりな行動や自分勝手な言動が目につくようになりました。

今までは近くに居すぎて気づかなかった。

そうかと思えば、涙声で電話してきて『元に戻りたい』と言うことも。

本当に謎です。

私と子ども、二人の家族であって、そこに夫の居場所は無いのに。

時には、このままでは自分の居場所が無くなってしまう、と言うこともありますが。

これに関してはもう謎過ぎて・・・。

離婚したのにココに自分の居場所を見つけたいなんて、発想がもうぶっ飛びすぎている。

こういう一つ一つの事柄を見ても、やはり分かり合うのは無理なんだと悟りました。

元夫に共感してもらおうなどと考えてはいけないみたいです。

だって、相手はあのモラハラ夫なのだから。

これからは元夫を一切当てにせずに生きていきたいと思っています。

どうせ期待してもがっかりするだけですからね。

2024年9月15日日曜日

年に数回、離婚した元夫から届く荷物

4~5カ月おきに離婚した元夫から届く荷物

離婚してからは、元夫にはほとんど会っていません。

会いたいという気持ちもありませんし、子どもも父親の存在を忘れたいようです。

そう思ってしまうのも仕方のないことだと思うんです。

だって、一緒に居る頃はあんなに虐げられていたんですから。

それを、離れた後に『反省している』『あなたたちのことを大事に思っている』なんて言われても・・・。

その言葉を信じることはできません。

子どもからも元妻からも、居なくて寂しいと思ってもらえない人。

そんな元夫が、離婚して離れてから年に数回ほど荷物を送ってきます。

間隔にすると4~5カ月おきといったところでしょうか。

最初に届いた時にはビクッとして送り主の名前をまじまじと見つめてしまいました。

名前を見るだけでも鼓動が早くなるくらいの恐怖。

もらって嬉しいわ~。

ありがとう。

ではなく、何もしてくれない方が良かったのにと思ってしまうんです。

恐る恐る中身を確認してみると、ほとんどがお菓子でした。

なんでやねん。

そりゃー頻繁にお菓子を食べる子どものことを考えたら有難いのかもしれませんが。

大半はスナック菓子でそこらへんで買えるものばかりだったのです。

ああいうお菓子はかさばるからね。

小さな箱に詰められたお菓子たちを見た時、『一体何がしたいんだろう』と思ってしまいました。


箱の中で見つけた封筒の中身

まさかお菓子だけ?!

そんなはずはないと思って、箱の中身を隅々まで確認しました。

離婚する前、元夫は『養育費という形にはしたくないが、できる支援はする』と言っていたんです。

だから、その【支援】が入っているはずだと思って探しました。

そうして箱の底に入っていた封筒を発見しました。

やっぱり少しは考えてくれたのかな。

ちょっとだけ見直して封筒を開けようとしましたが・・・。

開ける前に気づきました。

表面に【○○(子どもの名前)へのこづかい】と記載されてありました。

へっ?どういうこと?

訝しみながら確認してみると、中身は5千円でした。

これはどういう風に受け取ったら良いんだろう。

お前への養育費は渡したくないけど、子どもには良い恰好をしたいということ?

困惑しながらそのお金の対処を考えあぐねていると、子どもが近寄ってきて、

「あの人からのおこづかいは要らない!」

と言いました。

そりゃーそうだよね。

あれだけ虐められたんだもの。

こんなお小遣いくらいで騙されるはずがないよね。

普通はそう考えると思うのですが、元夫にはそれが理解できません。

離れた後でも、こういう風にちょっと良いことをすれば子どもがなびくと勘違いしているんです。

結局このお金は、養育費として有難く受け取りました。

受け取りましたけど。。。

年に1万円ちょっとの養育費かー。

母子家庭って色んな支援がもらえるから普通よりも恵まれているよね、と思われるかもしれませんが。

実際は結構キツイんです。

だから実家に戻られる方も多いんでしょうね。

でも私たちはこの土地で頑張ることに決めました。

元夫の支援が無くても子どもを立派に育て上げたいと思い、毎日仕事も頑張ってます。

2024年9月14日土曜日

剛毛・くせ毛・量が多いの三重苦

扱いにくい髪の毛だからお手入れも大変

少し前にコンディショナーを先に付けて流してからシャンプーをするという方法をご紹介しましたが・・・。

あれは早々に断念しています。

手間がかかる上に効果もそれほど実感できません。

だから、やるだけ無駄なような気がして止めてしまいました。

それで使い始めたのがヘアオイルなのですが、こちらはすこぶる良好です。

扱いにくいじゃじゃ馬のような私の髪の毛にもオイルは合っていたみたいです。

ただし、憧れの艶々サラサラ髪を手に入れたわけではないんですけどね~。

今までがひど過ぎたので、多少でも落ち着けばOKです。

というか、落ち着いてくれなきゃ困ります!

道ですれ違う人や電車の中で向かい合って座っている人。

そんな見知らぬ人たちが私の髪の毛を見て、『もうちょっと何とかすれば良いのに』なんて思っているんだろうなと気にしていました。

(自意識過剰?!)

いやいや、それほどまでに酷いんです。

サラサラの人たちには分かるまい。

毎日毎日鏡に映る姿を見てため息をつく私の気持ちなんて。

でも、諦めきれず色々な方法にチャレンジしています。

子どもは、そんな私をシラーっとした目で見ています。

「またやってるの?」

「今度は三日坊主にならないようにね」

なんて温かい激励の言葉までかけてくれます。

湿気の多い夏もそろそろ終わり。

そうすれば、少しはマシになるのかな。


未だに試せていないノンシリコンシャンプー

美容室でも勧められたノンシリコンシャンプー。

知れば知るほど興味がわいて、絶対に試したいと思っています。

それなのに未だに購入できていないのは、これまでに使っていた物が無くならないからです。

私、貧乏性なのでしょうか。

安くなっているとまとめ買いしてしまう癖があるんです。

これはすごい!っていう位安くなっていると、一つや二つではなく、ちょっとまとまった数を買ってしまいます。

それで在庫がドーンと増えるわけですが。

それが使っても使っても無くなりません。

今までなら、『こんなに使ってもまだ在庫があるなんて。嬉しい!』という気持ちだったのに。

今回ばかりは、『なんであんなに大量に買ってしまったんだろう』と過去の自分を呪います。

こうして前のシャンプーで洗っている間にも、どんどん髪の毛がプラスティック化(?)していって硬くなるんだろうな。

だから一刻も早く止めたいのに止められません。

勿体なくて、使い切るまでは身動きが取れない状態です。

それまでどうか私の髪の毛よ、少しでも健やかな状態を保っておくれ。

ノンシリコンシャンプーが手に入ったら、しっかりとケアするからね~。

友人から離婚の相談

よその家庭の内情なんて表面だけ見ても分からない

その人が幸せかどうかだなんて、表面だけを見ても分からないもんなんだね・・・。

昨日、突然友人から『相談がある』と言われました。

それで、帰宅後に時間を作って話を聞くことに。

「別に暇な時でも良いよ」と言われたのですが、何だか様子が気になって。

電話なら平日でも大丈夫だからと伝えて、電話で聞きました。

そこで初めて知ったのが家庭内の問題。

彼女の中では離婚も視野に入っているとのことでした。

とても仲の良いご家族だと思っていたのに、私は一体何を見ていたの?

傍から見ると何不自由なく暮らしているように見えます。

どちらか一方に大きな問題があるというわけでも無さそう。

それなのに、これ以上一緒に居ることが辛くなったのだそうです。

子どもも同級生で、幼い頃は一緒に遊んだりしました。

その後は母親同士のお付き合いがメインになり。

時々は連絡を取り合って近況を報告し合う仲に。

彼女が言うには、旦那さんの共感性が乏しくて会話もかみ合わない所に耐えられないようです。

穏やかでいつもニコニコとしている感じの人でした。

実際に見かけたのは数年前ですが、その程度の年数では人はそんなに変わらないはず。

もしかして一時的に嫌な面が気になってそんな気持ちになっているだけでは?

そんな風に考えていたのですが、話を聞いているうちに印象が変わりました。

例えば、一緒に出掛けても一人で好きな所に行ってしまい、結局は別行動になる所とか。

子どもの中学受験のことで話し合おうとしたら、『その件は任せる』と言って丸投げしようとしたこととか。

何か相談をすると、返事がないか、あるいは『まあ、仕方がないんじゃない?』と言うところとか。

お休みの日に知らないうちに既に出かけていて、一日中連絡も着かず夜遅くまで帰ってこないところとか。

一つ一つは小さなことでも、見過ごせない問題がたくさんありました。


夫婦も元は他人

夫婦と言っても元は他人ですから、やはり理解し合おうという気持ちが無ければ上手く行きません。

でも、友人の旦那さんにはそれがありません。

というか、全てがマイペースで自分の思う通りに行動しているように感じました。

この先お互いに年を取って一緒に過ごす時間が長くなった時、耐えられそうにないと彼女は言いました。

一緒の空間に居ても心が寂しいんだ、と。

我が家はモラハラ虐待夫でしたので、彼女のところよりも悲惨でした。

だから、その程度なら我慢しても良いのではないかと思ってしまいましたが。

一生寂しさを抱えて生きて行くのは辛いことですよね。

子どもも居るので簡単に離婚という選択はできませんけど。

これからも夫婦でいるためには、気持ちを切り替えるか、将来的にいつまでに離婚するという目標が欲しいそうです。

私はこの話を聞いて、今の気持ちを正直に旦那さんに話したら良いんじゃないかと思いました。

だって、そこまで共感性に乏しい人なんだから。

彼女が悩んでいるなんて、これっぽっちも気づいていない可能性が高いじゃないですか。

これを放置すると、勝手に悩んで勝手に離婚を決めてしまった人、となってしまうわけです。

どう動くか分からないけれど、とりあえず話し合うことを提案しました。

さて、どうなることやら。

2024年9月13日金曜日

鳴りやまない電話-モラハラ夫の恐怖

長年家を出られなかった理由

咄嗟に家を飛び出した日のことは、今でも鮮明に覚えています。

『これからどうしよう』という心細さ。

それと同時に『もう夫の顔色をうかがわなくても良いんだ』という喜び。

自由が目の前にあるのに何とも複雑な心境でした。

思えば長かった。

家を出たいと思い始めてから既に5年以上が経過していました。

もっと早く何とかすべきだったのに、ズルズルと過ごしてしまいました。

その間、子どもは毎日怖い思いをしていたので本当に申し訳ないことをしました。

勇気が無かったんです。

自分に自信が持てず、出て行くのが怖いという気持ちを取り除くのは簡単ではありませんでした。

それ以外にも色んな理由がありますが、やはり夫のモラハラ気質絡みのことが大きかったように思います。

ちょっとでも選択を間違えれば、今よりももっと苦しい状況になってしまう。

そんな恐怖がいつもつきまといました。

家を出たいと考えた時、いつも頭に浮かんでくるのは失敗した時のことです。

万が一家を出ることに失敗したら、夫は警戒して更に私たちを締め付けたでしょう。

自由は一切与えられなくなるはずです。

それまでよりも些細なことで怒られて、何をするにも夫のご機嫌を伺い、買い物の時間さえ監視の対象になる。

そんな生活です。

不安は他にもありました。

子どもへの虐待がエスカレートすることが怖かった。

夫が、出て行こうとした私たちを許すはずがありません。

それを計画したのは私でも、夫は子どものことも責め立てるでしょう。

虐待がエスカレートして、自由にご飯を食べられなくなるかもしれない。

子どもの身にこれまで以上に危険が及ぶかもしれない。

家に二人だけの時間が多いのに、それを防ぐことができるのだろうか。

考えれば考えるほど恐ろしくなりました。

もし失敗したら無事で居られる保証がありません。

自分に危害が及ぶだけならまだ良いのですが、ターゲットになるのは子どもなので、万が一にもリスクを冒すこどなどできませんでした。

家を出たいと思ってもいつも躊躇してしまったのには、このような理由がありました。

恐らく一度でもモラハラを受けたことがある人は似たような経験をされているのではないでしょうか。


ゾッとした数十回の着信

家を出ることができたのは、いくつもの偶然が重なったからです。

あとは勢いです。

あの場においてもなんやかんやと理由探しをしていたら、一生出らなかったと思います。

普段の私ならそうでした。

でも、あの時は違ったんです。

『今しかない!』という心の声が聞こえました。

弱虫な私が産まれて初めてといっても過言ではないくらい勇気を出した瞬間です。

もしかしたら、天国のおじいちゃんやおばあちゃんが背中を押してくれたのかも。

夫からの酷い仕打ちで辛くなった時は、いつも布団の中で涙を流しながらおじいちゃんやおばあちゃんに『助けて』と祈りました。

そして幸運にも、私たちは家を出ることができました。

ようやく・・・と安堵しましたが、そのまま引き下がるような人ではありません。

だから、駅の近くで今後のことを考えながらウロウロしている時には、絶えず周りを気にしていました。

もしかしたら夫が追いかけてくるかもしれませんので、いつでも逃げられるように準備をしなければなりません。

遠くの方ばかり気にしていた私。

その直後に目に飛び込んできたのは、手元で着信を知らせる携帯のランプでした。

見た瞬間、血の気が引くのを感じました。

先程までは幸せな気持ちを感じていたのに、一気に現実に引き戻されて絶望にも似た感覚が襲います。

放置することもできずに恐る恐る携帯を確認すると、案の定夫でした。

出ないと怒ることは分かっているけれど出られない。

ドキドキしながら迷っているうちに着信を知らせる音は鳴り止みました。

けれど、安心するにはまだ早かった。

ホッとしたのも束の間、握りしめていた携帯に再び着信がありました。

幾度となくディスプレイに表示される夫の名前。

結局それから何十回もかかってきて、その間ずっと固まったまま身動きが取れないでいました。


モラハラ被害者は着信拒否できない心理状態

この話をすると、着信拒否にすれば良かったんじゃないの?と言われることがあります。

でも無理なんです。

私たちのようにモラハラや虐待を受けていると、着信拒否にすること自体に物凄く大きな決断が必要なんです。

相手と全面対決する覚悟があり、何があっても立ち向かえるという位にならないとできない行為です。

着信があって電話を取らなかったことだけでも強い恐怖を感じています。

そして、その後にどんな仕打ちが待っているかは脳が覚えています。

例え今は離れたと言っても、安全だとは感じられません。

言いようのない恐怖や不安が襲い掛かり、息をするのもやっとという状態でした。

このようにモラハラによる影響はとても深刻で、家を出てからしばらくは『とんでもないことをしてしまった!』という思いに苦しめられることになりました。

2024年9月12日木曜日

虐待した側は【子どものため】と言うが・・・

叩くことも子どものためだと言う夫

カッとなると夫はすぐに手が出ました。

暴力は止めてください、と何度言ったことか・・・。

そのたびに、「俺だって好きで叩いてるんじゃない。子どものためだ」と反論されました。

夫のマイルールはどれも独特で、理解に苦しみます。

受け入れがたいものも多いのですが、それに対して意見を言うことは許されません。

私たちはただ言われたことに対して『はい』と返事をして従うだけ。

夫の言うことを聞いていれば間違いないのだから。

そんな風に言われ続けました。

おかしなもので、最初は『こんなのオカシイ!』と感じていたのに、段々と『そうなのかもしれない』という気持ちになってくるのです。

どうせ意見を言っても受け入れてもらえないから諦めてしまったというのもあります。

否定され続けることに疲れ果て、いつしか考えることを止めてしまいました。

考えられなくなったというのが正解なのかな。

想像できますか?

一番安心して過ごせるはずの我が家がもっとも緊張する場所だなんて。

ピンと張り詰めた糸のように、家の中は常に息の詰まるような空間でした。

それでも不満そうに見えたり文句を言えば怒鳴られます。

どのような状況でも機嫌良く過ごすことを求められ、私たちはいつも張り付いたような笑顔で夫と接していました。

偽りの笑顔なのに、本当は全く楽しくなんかないのに、夫は満足そうでした。

たくさんのルールがあると、時には意図せず守れないこともあります。

『破ってしまった!』と気づいた時の焦りは言葉では上手く言い表すことができません。

全身から汗が噴き出て、思わず身構えました。

私に対しては直接的な暴力というのはほとんどなくて、当たらないように物を投げるという程度だったんですけどね。

問題は子どもに対してでした。


目の据わった夫が怖かった

守れなければ罰を与える。

それが夫の考え方です。

決して脅しなどではなく、本当に心がズシーンと重くなるような罰を与えます。

特に子どもには酷かった。

鬼なんじゃないかと本気で思いました。

だから、私がかばうと更に怒ることが分かっていても、かばわずにはいられませんでした。

ある日、子どもが学校に忘れ物をしました。

ちょうど宿題が出ていたドリルを机の中に忘れてしまったのです。

帰宅後のそういうチェックをするのは夫の役目です。

私の方はフルタイムで仕事をしていて、子どもが帰る時間にはまだ家には居ません。

一日中家に居る夫が子どもが帰ってくるのを待ち、宿題や次の日の持ち物を確認してくれます。

それ自体はとても助かっていました。

でも、何かミスをすると信じられない位に怒って罰を与えるのがとても嫌でした。

その日、ドリルを忘れてしまったことに本人がすぐに気づき、青ざめました。

絶対に怒られることが分かっています。

だから、それよりも早く『ごめんなさい。ごめんなさい』と謝りました。

謝るだけでは夫は納得しません。

それまでにも同じようなことを経験していた子どもは、咄嗟に『学校に取りに行ってくる』と言いました。

それ以上怒られる前に家を飛び出していき、夫も渋々それを見送ったのですが・・・。

数十分後に戻ってきた子どもは手ぶらでした。

あいにく、その時に学校で何か集まりがあって入れなくなっていた、とのことでした。

だけどドリルを持ち帰らないわけにはいかず、しばらく校内を行ったり来たりしてウロウロしていたようです。

まだ低学年の子どもがいつまでも帰らないのを見た教員は、たぶん心配して『早く帰りな』と言ったんです。

そう言われた子どもは泣きそうになりながら家へと向かいました。

インターホンを鳴らし、玄関を開けた時の夫の表情は容易に想像できます。

目が据わって、大人の私でも身のすくむような形相になっていたことでしょう。


ご飯も与えずひたすら子どもを無視する夫

罰にも色々あります。

その時はご飯を与えず、ひたすら無視をしていました。

子どもが話しかけても、全く反応しません。

そうかと思えば、急に自宅用に購入したドリルを出してやるように促します。

こういう時は言葉で指示するのではなく、座っている子どもの目の前に置いて圧をかけるんです。

そんなことをされたら、子どもだってやらざるを得ないですよね。

強制的に勉強をやらせて、自分はさっさと就寝。

そういうところも信じられませんでした。

だけど、『飯はやるな』と言われてしまった時にはかえって好都合です。

目の前でご飯を与えると更に怒るので、夫が寝てからこっそりあげていましたから。

それでも、いつものようなご飯を食べさせてあげることはできません。

せいぜい小さなお握りやパンなどを用意するくらい。

それでも食べないよりはマシです。

夫がいつまでも起きている日などは、早く子どもに何か食べさせたいのにそれができない。

これは非常に大きなストレスになっていました。

育ち盛りの子どもにご飯も与えず、話しかけても無視をすることのどこが【子どものため】なのでしょうか。

何時間もお説教されて泣きつかれて眠ってしまった時には、暗がりの中で私の手を探しギュッと握っていた子ども。

その小さな手を握り返しながら、【夫がここに居なければ良いのに】と思いました。

2024年9月11日水曜日

虐待を止めて欲しくて立ち向かったあの日

家を出たきっかけは子どものことでの言い争い

私たちが家を出ることになったのは、虐待に関する言い争いがエスカレートした結果でした。

いつも人の意見を全く受け付けない夫。

自分の考えや感情ばかりを大事にして、私たちの気持ちなんて気にも留めません。

でもそう指摘すると、決まって『そんなことはない』と言います。

どうでも良いことなら、こちらも『あらそう』で済ませられますが、どうしても譲れないことに関しては引き下がるわけにはいきません。

そういう時は必死で分かってもらおうと伝えるわけです。

本当は怖くて逃げだしたいのですが・・・。

いつも逃げていたら、いつまで経っても理解してもらえない。

だから、それまでも時々は決死の思いで向き合っては玉砕していました。

あの日もそうでした。

何が問題になっていたのかと言うと、子どもへの接し方です。

夫はとても極端で、可愛がる時には高価なおもちゃを買い与えたり求められてもいないのにせっせと世話を焼きました。

でも、ある時突然スイッチが入ると、些細なことで怒鳴り散らして周りが引くほどの勢いで叱りつけます。

頭や頬、背中、肩、太ももなどを叩くこともありました。

胸倉をつかんで子どもを引き上げた時には、間一髪のところで間に入って止めましたが、力では到底叶いません。

私たちの間には明らかな体格差があり、本気で立ち向かっても軽くひねられて終わりです。

それが分かっていても止めないわけにはいかないので、いつも絶望的な気持ちで立ち向かいました。

怒っている時の夫はストッパーが効かなくなっている状態なのだと思います。

冷静に話そうとするこちらの声は届かなくなり、自分の言い分だけを大声で喚き散らして気が済むまで暴れます。

あの日、もうこれ以上我慢することができなくなって夫に『これは虐待だ』とハッキリと言いました。

でも夫は認めませんでした。

『いちいち大げさなんだよ!』と更に怒りました。

それまでは、『叩いたり蹴ったりするのは止めて』とか『ご飯をあげなかったり寒い中外に放り出すのは酷い』と間接的に訴えていたのですが、一向に効果がありませんでした。

それに夫はズルい人だから、直接言わなければ気づかないフリをします。

いつものように誤魔化されたくないという思いから、『これ以上は我慢ができない』という意思を明確に伝えました。

それが夫を怒らせました。

怒り狂って暴れて、ちょうど来ていた義父が咄嗟に止めに入ってくれました。

でも大きな体の義父でも辛うじて押さえられているような状態で、いつその手が解かれて私たちに飛び掛かってくるか分かりませんでした。


着の身着のまま家を飛び出した私たち

あの時、気が付いたら家の外に飛び出していました。

玄関でもたつく子どもに対して『早く!早く!』と声を掛け続ける私。

心の中は、【もうどうか解放してください】という気持ちでした。

背後からは暴れる夫の叫び声や息遣いが聞こえてきます。

狂気にも似た気配を感じながら、全身が冷たくなっていくのを感じました。

時間にすると恐らく数秒ほどだったと思います。

普段なら一瞬だと感じるような時間ですが、とても長く感じました。

やっと靴を履き終えた子どもの手を引き、急いでドアを開けて階段を駆け下りていく間もガクガクと震える足。

とにかく必死でした。

それなのに、どこか現実味が無くて、慌てて逃げ出す自分たちを遠くから見ているような不思議な感覚。

きっと急なことに心が追いついていなかったのだと思います。

間一髪のところで家を出たのは良いけれど、これからどこに行こうか。

途方に暮れながら駅に向かって歩いていく私たちの心は空っぽでした。

ちょうど休日で道行く人々はとても楽しそうで、まるで私たちとは正反対のように見えました。

賑やかな笑い声や楽しそうな話し声が響き、何故か心がズーンと重くなったのを覚えています。

私たちはどこで間違えてしまったのだろう。

こんなはずではなかったのに。

そう思いながら、あてもなく歩いていました。

ちょうど夕暮れ時で、いつもならお腹が空いてくる頃です。

でもちっともお腹なんて空かなくて、世の中の全てから見捨てられたような気持ちになっていました。

2024年9月10日火曜日

悲しい😢 バッグの前ポケットファスナーが破損

お気に入りのバッグが壊れて悲しい

約2年前、このバッグに出会いました。

私は結構楽天ユーザーで頻繁にチェックしているのですが、それまでは全然検索には引っかからず、ある日急に目に入ってきたのがこのバッグでした。

一見するとレザーのように見えますが、実はレザーではありません。

フェイクレザーなので、その分安価です。。。

本物志向の人たちには物足りないかな?

でも私にはこちらの方が好都合でした。

というのも、日頃からよく歩く方で突然の雨に濡れてしまうこともあります。

また、丁寧に使おうと思っていても活動時間が長いのでそこまで綺麗に保てません。

レザーは使えば使うほど味が出てきて馴染んでくるとも言われますが、私からするととにかく丈夫で雨に濡れても大丈夫なものの方が良い。

それを考えたら、このバッグは大正解でした。

実際に購入して手元に届いた時、『これだ!』と思いました。

大きさもちょうど良く、しかも、斜め掛けできます。

よく使う用のお財布は前ポケットに入れて、お財布に入りきらないポイントカード類も全て前ポケットに収納しました。

実はこの前ポケットが少し変わっていて、内部が細かく仕切られています。

用途や使い勝手を考えながら収納場所を決めることができ、裏側にもファスナー付き収納が備わっています。

質感は非常に柔らかくて適度な艶があり、真ん中の収納にはB5サイズのノートや500mlのペットボトルが入るのも大きな特徴です。

デザインもとても可愛くて、もし壊れたらもう一度買いたいと思うほど気に入っていました。

それなのに・・・。

先日気づいたら、前ポケットのファスナーが少し壊れていました。


前ポケットには無理やり詰め込まない方が良い

何故前ポケットが壊れてしまったのか。

原因は大体分かっています。

携帯をしまいたい時、ちょっと窮屈な感じなのに無理やり入れていたんです。

ファスナーを閉めようとしてもなかなか閉まらず、片方の手でギュッと押し込みつつ閉めていたのが良くなかったのだと思います。

冬場には飴とかハンドクリームとかその季節特有のグッズを入れていた時も無理やり押し込んでいました。

これはもう、明らかに自分のせいですね。

せっかく気に入っていたのにとショックでしたが、あまりにも使い勝手が良かったのでまた同じものを購入しようかな~と検討中です。

ちなみに、今度はカラーを変えてみようかなとも思っています。

キャメルは無難な色ですが、ずっと見ていたらピンクも可愛いなぁと思い始めました。

服装によっては合わないかもしれないので、どちらが良いのかまだ悩んでいます。


憧れのDakotaでいつかは購入したいバッグ

 このバッグに出会うより前から気になっていた物があります。

 それが左のDakotaです。

 やや小ぶりで丸いフォルムがとても可愛いです。

 ただ、私としてはもう少し大きい物でないと。

 荷物が入り切らないんですよね・・・。

 幅も高さもあと5cmずつ欲しいところです。

それさえクリアできていれば、一目ぼれした時に買ってしまったかもしれません。

この商品は牛革で作られていて、前方の飾りのベルト部分もとても気に入っています。

色の展開も豊富で、普段は手を出さないようなエメラルドグリーンなんかも素敵ですし、ピンクも淡い色なので私の年代でも違和感なく持てそうです。

ただ、牛革なのでガシガシ使うというよりは丁寧に取り扱わなければなりませんよね。

雨に濡れたらすぐに拭かなければなりませんし、汚れないようにと頻繁に乾いた布で拭いたりしたくなりそうな気もします。

そんな諸々のことを考えても、やはりデザインも材質もカラー展開も惹かれるものがあります。

ただし、お値段が可愛くないんです(笑)

1万5千円近くします。

こういうのを即決で購入できるのはどんな人たちなのでしょう。

少なくとも私にはとてもハードルが高くて、何か月も悩んでから決められるような物です。

以前からずっと見続けているのでそのうち買ってしまうかもしれませんが。。。

それまではショッピングサイトに載っている画像を見て楽しみます。

2024年9月9日月曜日

お米、やっと買えました!

近場のスーパーは全滅

巷で言われている米不足は、ただの噂などではありませんでした。

本当に近くのスーパーでは買うことができず、我が家も最近ではほとんどお米を食べていませんでした。

このままではマズいと思い、子どもと手分けして行けそうな範囲のお店をチェックすることに・・・。

でも、どこにも見当たりません。

店頭には相も変わらず【1家族1点まで】などと書かれています。

しかし、その1点さえ購入できない状況です。

もしかして新米が本格的に流通するまではパックのご飯で過ごさなければならないの?

そんな不安も頭をよぎりました。

そりゃーあれば便利だけど、パックのご飯では割高で我が家の家計を圧迫してしまいます。

結局は安く買えるうどんやパスタで代用することに。

色んなことを考えているうちに、やはりどこかでお米を調達するしかないという考えに思い至りました。

そこでネット上で検索を掛けたところ、高い!!!

今購入できるものは軒並み高騰化していて購入することを躊躇してしまいます。

これは良いのでは?と思う物は、【入荷し次第発送】などと書かれていてすぐには手に入らない模様。

諸々の事情からネットで購入するのは得策ではないと判断し、やはり実店舗で探すことに決めました。

しかし、まさか主食のお米を買うのにこんな苦労をする日が来るとは・・・。


いつもは行かないスーパーまで足を伸ばし・・・

金曜日、私はいつもとは異なる駅で降りました。

自宅の最寄りよりも1駅手前ですが、何度も歩いたことのある場所です。

そこから更に徒歩で5分ほどの大きなスーパーを目指しました。

店舗が大きいから入荷量も多いだろうという希望的観測の元向かったわけですが、そうは言っても時間は午後の6時過ぎです。

仕事が終わってからしか行くことができないので、どうしてもこの時間になってしまいます。

これは仕方がありません。

午前中や早い時間に入荷したとして、午後の6時過ぎまで残っているのか?

それも不安ではありましたが、行くしかないと思ってとりあえず行ってみました。

お店に入り、足早にお米の売り場へと急ぐ私。

ところが、ここであることに気づきました。

何度か来たことのあるスーパーでもお米を買ったことがないので売り場が分かりません。

夕方は人も多く、うかうかしていたらまた買いそびれてしまう・・・。

焦って店内をぐるぐると回り、ようやく見つけました。

(残り一つだ!)

とうとう発見したお米を私は慌てて手に取りました。

もう銘柄なんて気にしていられません。

見たことのないお米ではありますが、あるだけ有難いです。

最後の一つ(5kg)を手に取ったのと同時に、2人の方が売り場に来られました。

同じようにお米を探していたようで、空になった棚を見てガッカリされていました。

お気持ち、分かります・・・。

私が手にしたことで他の方が買えなかったわけですから。

何だか申し訳ない気持ちになりました。

本当にどうにかならないものですかね。

何もたくさん欲しいと言っているわけではないのです。

今すぐ食べるためのお米を用意したいだけなのです。

こうして我が家の米不足はとりあえず解消されました。


手に入らない状況になって初めて感じるお米の有難さ

今回いつでも買えると思っていたお米が手に入らなくなり、普通に購入できることがどれほど有難いことなのかを実感しました。

米不足は結局何が原因だったのでしょう。

減反政策?

天候による不作?

インバウンド?

業者によるコントロール?

消費者の買い占め?

もしかしたら複数の要因が重なってしまったのかもしれません。

普段は私も安いものを求めていて、少しでも値上がりすると不満を持ってしまいます。

お米なんて主食なのだから、値上げをするなんて酷い!とまで思っていました。

だけど、今回のことで少し違った見方をするようになりました。

もし米作農家さんが作っても作っても赤字になっているとしたら、それはもう現状に見合った価格設定にはなっていないということです。

今は情勢の影響もあって肥料も高くなっているでしょう。

かかった費用を商品に転嫁できなければ、米作農家を止める人たちも出てくると思います。

そうならないためにも、私たちは適正価格というのをきちんと考えるべきなのだと思います。

安ければそりゃー助かります。

特にお米は毎日食べるものですから、値上げは正直なところ家計にダイレクトに響くんです。

だけど、それで農家の方々が厳しくなって続けられなくなったら本末転倒です。

今回のことで、そんな風に考えるようになりました。

2024年9月7日土曜日

母子家庭のリアル

素敵生活なんて漫画の中の世界

よく【素敵な生活】とか【丁寧な暮らし】とか言うじゃないですか。

その中には母子家庭なのに充実した暮らしぶりを公開している人たちもいます。

あのような情報を見るたびに、私驚愕しております。

本当に我が家と同じ母子家庭ですか?

そもそも生活レベルが違っているという話もあるかもしれませんが・・・。

それにしたって、なかなかに精神が鍛えられるような生活ですよ。

我が家は子どもがとても素直で基本的に何でも相談したり報告してくれます。

だから、そういう面では楽です。

でも、家庭内に大人が一人ということで、全てのことが私の肩にかかってくるわけです。

これって物凄いプレッシャーです。

人一人を立派に育てなければならない。

それには私がきちんとしていなければ。

そういう気持ちが自然と湧き出てくるのです。

誰かとこのような重圧をシェアできるって何て素晴らしいことなんだろうとも思います。

でも、私たちはそれができませんでした。

どうせ夫と一緒に居ても何も背負ってはくれません。

それどころか一生懸命に動き回っている私たちを痛めつけてくるので、居ない方がマシというのが本音です。

今は二人で伸び伸びと自由に生活しているから幸せでしょう?と聞かれることもあります。

はい。確かに幸せです。

ただ、労力的な面ではやはり一人では足りないなーと思うこともあります。

今更それを言っても始まらないので、私はできるだけ手抜きできることは手を抜くようにしました。

それで子どもとの時間を持てるようになれば一石二鳥ですよね。


小学生の頃は常に子どものことを気にかけながら仕事

子どもが小学生の頃、いつも『今なにやってるんだろう』と気になっていました。

良い子だし素直なのですが、がんじがらめの生活から解放された反動なのか、とにかく無鉄砲に遊びまわっていました。

夕方暗くなるまで帰って来なかったり、高い所から落ちてケガをしたり・・・。

こんな字面だけを見ると、虐待によってグレたんじゃないの?と思われてしまうかもしれません。

でも違うんです。

子どもはめいっぱい楽しんでいて、楽し過ぎてセーブできなかったんです。

「なるべく早く帰ってきてよ。せめて日が落ちるまでには」

そう何度言ったことか。

そのたびに

「うん、分かった~」

と良いお返事をしてくれます。

だけど、いざその時になったら楽しい方を選んでしまう感じです。

これはもうある程度は仕方がない。

事前にどこで遊ぶかだけは聞いておき、仕事帰りに迎えに行こう。

その場所が危ないと感じたら、別の場所にしてもらうように提案しよう。

私の中でこんな風にルールを作りました。

ほんの少しルールを作ることで、私たちの生活はとても楽になりました。

今思うと、あの時間は子どもにとって必要なものだったのだと感じています。


仕事帰りに待ち合わせして買い物-こんな日常が幸せ

子どもには携帯を持たせました。

だから、時々は仕事帰りに連絡を入れて駅で待ち合わせをしました。

合流してから一緒にスーパーに行き、その日の夕飯を見繕う。

そんな日常がとても幸せで、私たちにとってはかけがえのない時間でした。

大きくなった今でも一緒に買い物に行ってくれます。

昔のような心許ない感じではなく、反対に私が注意されることもありますが、それもまた楽しみではあります。

大きくなったなぁ~と後ろ姿を見るたびに、あの時決断したことは間違っていなかったのだと感じられます。

そして、この幸せに心の底から感謝する日々です。

「今日は何食べる?」

などと言いながらスーパーで食材を見て、一緒に食べるおやつを購入するのも楽しい。

5年後、10年後にはどんな未来が待っているのかな。

今からワクワクしています。

2024年9月6日金曜日

お米が無い

今話題の米不足は本当だった

今米不足が話題になっています。

ニュースでもたびたび取り上げられていて、それが更なる買い占めを助長するのではという指摘もあるようです。

そうは言っても、最近は不作だったという話も聞かないのでそろそろ出てくるだろうなんて安易に考えていました。

でも、無い!!!!!

どこを探しても無いのです。

横浜でお米を売っている場所はあるのでしょうか。

売り場に出向くと、パックで売られているご飯を見かけます。

それもたくさん。

今までお米の袋が置かれていた場所が今ではパックのご飯のスペースになっています。

これほどまでにパックのご飯が存在感を発揮していることがあったでしょうか。

ちょっとした驚きと共に『これは売ってなさそうだな』と思いながらお店を一周しました。

やはり売り場を変えたわけではなく、品切れのようです。

そろそろ出てくるという話もチラホラ耳にします。

だけど一向にその気配がありません。

一体いつ出てくるのでしょうか。

ちなみに、お店をくまなく探して別のスーパーにまで足を伸ばしたのは昨日のことです。


今日もお米を探して三千里

2週間くらい前から探していますが、未だにお米を購入できていません。

そのため、仕事帰りにスーパーのはしごをする予定です。

本当にそろそろ入手したい。

今手元にあるのは2合くらいとわずかな量です。

子どもと二人で2回食べたら終わりです。

我が家は本当に必要最低限のお米も手に入らない状況なので、軽い感じて書いていますが結構切羽詰まってます。

どうかどうか今日は入手できますように。

お弁当も高いんですよ。

母子家庭にとって毎日お弁当を買うのは大変です。

先週の後半あたりからずっと麺生活に入っていて、麺もそろそろ飽きてきているし・・・。

新米が売り出されるのが9月中旬ごろだとか言われてますが、それまで待てないよ~。

そこかしこにあったモラハラの予兆

結婚前には気づけなかったモラハラの兆候

私の結婚生活の話になると、必ずと言っていいほど言われることがあります。

それは、『結婚する前に気づけなかったの?』ということ。

私だってそりゃーあんな人だと分かっていれば結婚を考え直しましたよ。

でも、本当に気づかなかったんです。

確かにちょっとしたことで激高することはありました。

私からしたら『えっ、そんなことで?!』というようなことで怒ったりもしていました。

だけど、それがまさかモラハラに直結するなんて思わないじゃないですか。

ただ単に短気な人なのね・・・というくらいで。

特に深くは考えなかったというのが正直なところです。

相手も上手く取り繕っていた面もあると思います。

それまでの人生の中で、一方的な思い込みから攻撃して人間関係を破綻させたことは一度や二度ではないはずです。

そんな面を見せたら関係が上手く行かないことは明らかですから、当然隠したのではないでしょうか。

それがたとえ意図的にではなくても。

悪い部分は見せたくない、というのは人の本能のようなものです。

結果的に私はそれを見抜くことができず、【気の強い人】という程度の認識で結婚してしまっています。

全て自分のせいではありますが、そこから長く続く苦しい結婚生活のことを思うと後悔せずにはいられません。

いつも思い出す時には暗澹たる気持ちになるので、思い出すことも躊躇している状態です。


今思い返してみるとモラハラの予兆は現れていた

当時の私は、夫に関する全てのことを良い方に捉えていました。

何か気になることがあっても飲み込みました。

そうでないと上手く行かない気がして。

でも、その対応が間違っていたみたいです。

周りの人たちも大なり小なり問題を抱えていて、それでも我慢してやっている。

そういう思い込みも勘違いです。

上手くいっている人たちはたくさんいるし、問題を抱えた時にみんなが我慢するわけではありません。

そんな思い込みもあり、一見すると順調に見える私たちの関係は段々と歪なものになっていきました。

当時のことを思い返してみると、あれはモラハラの予兆だったのでは?というものがいくつかあります。

当時は全く気づきませんでしたが・・・。

例えば、意見が食い違った時の対応がそうでした。

普通はお互いの意見を言い合って妥協点を探ると思いますが、夫は理論でねじ伏せようとしました。

それでも上手くいかないと目が据わり、声が大きくなり、口調が乱暴になります。

暴力はなくても、それだけで十分に恐怖です。

気に入らないことがあると、ずっと無視される。

ご飯を作っても手をつけず、廃棄されてしまう。

大きな物音を立てる。

ため息をつき、攻撃的な意味の独り言をつぶやく。

これらの行動はやはり当てはまりそうですね。

ここまでされても、それを上手くなだめるのが私の役目だと思い込んでいました。

つくづくめでたいですね、私って。


モラハラ夫の行動パターンとは

モラハラ夫だって、いつも怒っているわけではありません。

優しくてユーモアにあふれ、家族思いの一面を見せることもありました。

相手の良い面を見ようとすると、こういう面に騙されてしまうんですよ。

行動を観察すると、ある一定のパターンがあります。

攻撃的になった後には、きまって優しくしてくれる期間が訪れました。

それがまた通常モードへと変わり、段々と攻撃的になっていく。

つまり、通常モード → モラハラモード → 優しさ全開モードの繰り返しなんです。

これに気づくまでに何年もかかってしまいました。

気づいてからは、『そろそろ来るか?』とモラハラ攻撃に備えることができましたが・・・。

分かっていてもダメージは避けられません。

優しい時もあるからうちは違う、と思ってしまう方も多いようです。

現に私がそうでした。

相手を赦すというのはとても寛大で素敵なことです。

だけど、相手がモラハラをするような人物の場合にはエスカレートさせてしまう危険があります。

傷つけられ続けると思考も低下して反論できなくなりますので、その前に何とかしなければなりません。

2024年9月5日木曜日

養育費の支払いを拒んだ夫の言い分

虐待をしていても親権が欲しい夫

離婚することが決まった時、色々話し合わなければならないことが残っていました。

例えば親権のこともそう。

どちらも『自分が育てたい』と主張して譲りませんでした。

子どもを押し付け合うよりは遥かに良いことだと思います。

でも、そうは言っても夫は虐待していたのです。

どう考えても、そんなことを言える立場にないのでは?と白けた気持ちで見ていました。

正論を伝えても自分にとって不都合なことは認めない夫。

結婚生活もそうでした。

自分に都合が悪いことには目をつぶり、全てスルーしていました。

そのくせ、私たちの些細な失敗には激怒してなじります。

こんな自分勝手な父親に育てられたら子どもは一体どんな風に育つでしょうか。

きっと真っすぐになんて育たない。

少なくとも幸せにはなれないことだけは確かだと思い、親権は譲れないことを根気良く伝えました。

これが共同親権が始まる前で本当に良かったと心底思います。

そんな制度が出来てしまったら、きっと上手く利用してきたことでしょう。

そういう所に抜かりのない人でもありました。

口も上手く、議論では絶対に負けないと自負する人であり、議論する必要のない私たちにまでその調子で責め立ててくる夫。

私たちにとって愛すべき家族ではなく恐怖の対象でしかありません。

子どもから見たら、一緒に居るだけで息の詰まる父親と二人きりの生活なんて耐えられるはずもなく、これだけは譲れないと最後まで主張しました。

なぜあれほどまでに親権を欲しがったのかは分かりません。

攻撃的で人を傷つけるような性格ではありましたが寂しがり屋という一面も持っていたので、もしかしたら一人になることに耐えられなかったのかも、とも考えています。

だけど、私たちは道具ではない。

血の通った人間で、色んな感情を持っています。

だから、どうか寂しさを埋めるためだけに私たちを利用しないで欲しい。

そんな気持ちで夫との交渉に臨みました。


形式に囚われたくない夫

親権以外にも決めなければならないことがありました。

養育費のことです。

この件に取り掛かる前に先に親権を決めなければならなかったので、話し合いは離婚する直前になってしまいました。

養育費のことでは忘れられない言葉があります。

「毎月決まった額を払うとか、ああいう形式的な物に囚われたくない」

これ、もちろん夫の発言です。

元々仕事をしていなかったので、

「収入もないから毎月払うとかは厳しいけど・・・」

と言うだろうと思っていました。

あるいは、

「申し訳ないけど、仕事を再開するまで待ってくれる?」

なんて言われるのではと想像していました。

でも、実際の夫の発言は私の想像の遥か斜め上を行っていました。

改めておかしな人なんだな・・・というのが正直な感想です。

これで『子どものことが大事だ』なんて力説するんですから笑っちゃう。

本当は大切でも何でもなかったのでしょう。

ただ単に執着していただけ。

もしかしたら、そんな簡単なことに本人が気づけていなかったのかもしれません。

元々期待はしてなかったんですけどね。

夫からお金をもらってしまったら、子どもに会わせろと言われた時に断りにくくなるのも嫌でした。

だから養育費は払わない、というスタンスが分かった時にはガッカリするのと同時に心のどこかで安堵していました。

それほどまでに縁を切りたかったのです。

物理的にも精神的にも、もう二度と私たちを傷つけないくらいのところに行って欲しい。

夫に期待したことは、ただそれだけです。

2024年9月4日水曜日

モラハラによる心の傷はいつ癒える?

数年経ってもモラハラによる心の傷は100%は消えない

家庭内でモラハラを受けていた頃の記憶は未だに消えることはありません。

さすがに以前と比べれば鮮明な記憶ではなくなってきてはいます。

でも、忘れたわけではありませんので、ふとした瞬間によみがえってきます。

これは私に限った話ではなく、子どもも同じです。

子どもの場合は叩かれたり蹴られたりしたので更に深刻です。

家を出たばかりの頃は、『あの時は辛かったね~』という話ばかりしていました。

話すことで今まで吐き出せなかった気持ちを消化しようと試みました。

だけど、あの頃のことを話し続けるのは辛いことでもあります。

もう忘れたいのに、話題を掘り返すことでまた記憶が蘇って忘れられなくなる。

そんなことの繰り返しでした。

段々とそれに疲れてきて、気づいたら二人とも以前のことを話さなくなりました。

こんな話をすると『過去と向き合えていない』と思う人もいるかもしれません。

確かに逃げているように見えますが、この話題を出す時には途轍もないパワーが必要で、そのパワーを捻出するにはよほど幸せだと思えるような生活を送っていなければ不可能です。

私たちが日々見つけているような小さな幸せでは追い付かないんです。

心が疲弊してきた時、【もう忘れてしまおう】といつも思います。

向き合えなくても記憶から消えてくれれば良いや。

忘れてしまえば無かったことにできる。

そう考えていたのですが、数年経っても記憶が消えることはありませんでした。

人は上手に忘れることで幸せになれることもあります。

でも、それが難しい時には状況をリセットできるようなボタンが欲しいなぁと思うことがあります。

記憶を強制的に消すことができれば、もうあのことを振り返らずに済むのに。

そう思っても、現実的にはやっぱり難しいんですよね。

せめて子どもの辛い記憶が少しでも薄まるように、毎日をうんと楽しくしようと奮闘しています。


感受性豊かに育った子どもが興味を持ったこと

夫と一緒に居た頃は、自由に何かを楽しむことができませんでした。

そもそも【選択する】という権利を与えられていませんでしたので、気になったからやってみようということは皆無です。

それでも私は大人だから夫と出会う前には自由に選択してそれなりに楽しい日々を過ごしてきて、どれだけ夫との生活が窮屈で不自由かも分かっていました。

でも、子どもは違います。

産まれた時からそんな環境です。

まだ夫と一緒に暮らしている頃、息子は常に無表情でした。

感情が失われているように見えました。

時折見せるのは、夫に虐められた時の辛く悲しい表情だけです。

子どもですから笑顔の時もあるのですが、それは屈託ない笑顔とは程遠くてどこか陰のある笑顔でした。

きっと押さえつけられて締め付けられて感情の起伏が小さくなってしまったんだろう。

そんな風に思いました。

だけど、離れてみて分かりました。

子どもは決して感情を失ってなど居なかった。

自由な生活を手に入れた後、これまでの様子が嘘のように色んなことに興味を持ちました。

好きな動画を見つけて笑ったり、悲しい映画を観て泣いたり、お出かけをした時には新しい場所に興味を持ってどんどん進んでいきます。

美味しい物を食べてはしゃぎ、時には私や祖父母に甘える。

ごくごく普通の子どもです。

そんな子どもが今興味を持っているのが音楽を作ること。

結構凝るタイプのようで、たくさんの音楽に触れながら理論的な面についてもマスターしようとしているようです。

私たちのように過去に何かあると【可哀そうな人たち】というレッテルを貼られることも少なくありません。

けれど、そういう色眼鏡で見ることがモンスターを作り上げ、ごく普通の生活を送っていても不憫な人に映ってしまうのです。

もし周りに【自分たちとは違う】と思えるような人が居たとしても、その人たちなりの幸せがあることを知って欲しいな、と思います。

幸せの形は人それぞれなのですから。

2024年9月3日火曜日

ダイエットには緑茶が効く?!

緑茶の様々な健康効果

ご飯のお供にしたりホッと一息つきたい時。

緑茶を愛飲している方も多いのではないでしょうか。

私たちの生活に緑茶は大変馴染み深いものになっていて、夏場には冷たく冷やして楽しむこともできます。

そんな日常的に飲まれている緑茶には、実は様々な健康効果があります。

高血圧の予防・認知症予防・抗がん作用は結構有名ですね。

それ以外にも、実はダイエットにも優れた効果を発揮します。

では、今回何故、緑茶にダイエット効果があることを知ったのかというと、父が糖尿病予備軍になってしまったからです。

糖尿病は放置していたら様々な合併症を引き起こします。

その合併症が生活の質にも多大な影響を与えますので、その前に何とかしなければなりません。

そこで対策になるような飲み物はないかと探していたところ、緑茶の記事に目が留まりました。

血糖値が上がりにくくなるのにはちゃんとした理由があります。

主に肝臓で合成されるセレノプロテインPは体にとって必要なたんぱく質ですが、増えすぎるとインスリンの分泌を抑制して効果を弱めてしまいます。

糖尿病患者の場合、このセレノプロテインPが増加して病態を悪化させていることが分かっています。

緑茶を飲むとセレノプロテインPを下げることができますので、その結果、血糖値の上昇が抑えられるという仕組みです。

血糖値が上昇するのは何か食べた時なので、ご飯の時に一緒に飲むのが効果的です。

他にも渋み成分であるポリフェノールには抗酸化作用がありますし、コレステロールを低下させる働きもあります。


高血圧対策にも緑茶がおススメ

緑茶ポリフェノールには、血管収縮物質を調節したり血管の内皮機能を強化する働きがあります。

ですから、高血圧に悩んでいる時にもおススメです。

といっても緑茶は決して特別な物ではありませんので、普段飲むものをお茶に変えるだけで済みます。

もちろん好きなタイミングで飲むのでも構いませんが、より効果を高めたい時には定期的に摂取することが大切です。

時々飲む場合よりも、安定した効果を実感できます。

飲み始めるといつ変化が現れるのだろうかとついつい気になってしまいますが、こういった対策は月単位で変化を見る必要があります。

飲み始めたらまずは3カ月続けてみて、体の変化を記録しておくと良いかもしれません。

血圧が高いことを指摘されると、それ自体がストレスになって余計に高血圧の症状が強く出てしまう人もいます。

ストレスは大敵だと言われても、気になってしまうのは仕方のないことですよね。

でも、何らかの対策をすることで『自分は健康な状態に向かっている』と考えることができますので、メンタルの面でも良い作用を期待できます。

個人的にはお茶の味も大好きなので、飽きずに続けられるのが嬉しいところです。


ティーパックなら手軽に摂取できる

緑茶が糖尿病対策に効果がありそうだということが分かり、さっそく実家の両親に伝えました。

普段から飲んでいるのだから、『それならすぐに実践できるわ!』と喜ばれると思ったのですが・・・。

「緑茶ねぇ~。朝は飲んでるけど」

と予想外に母のつれない返事。

よくよく聞いてみると、『毎食後に飲みなさい』と言われてもいちいち急須で淹れるのが面倒なのだそうです。

確かに食事のたびに急須を用意して茶葉を入れ、湯飲みに注ぐという作業は結構面倒な感じがします。

そもそも私もそれが面倒なので、我が家では滅多に急須を出しません。

実家の両親も同じ気持ちらしく、毎食後は難しいという反応でした。

そこで考えたのが、わざわざ急須で淹れなくても良いんじゃないの?ということです。

今はティーバッグの緑茶も数えきれないくらい売られていて、スーパーでも購入できます。

だから、両親には1回ずつ淹れる普通のティーバッグと1リットルの作り置きができるティーバッグをプレゼントしました。

私も同じセットを買おうかな。

2024年9月1日日曜日

30代以降のダイエット法とは?!

代謝が落ちる30代以降の体

私、調子に乗っておりました。

太りにくい体質だから、ちょっとくらい不摂生しても大丈夫だろうと。

思い込みだけでそう思っていたわけではありません。

これには理由があります。

幼い頃から人よりも少しお腹が弱くて、何でもない時でも壊してしまうことがありました。

この傾向は大人になってからも変わらず、定期的にお腹を壊しては『食べた物が無駄になったね』なんて言われる始末・・・。

特に食べ過ぎた後はほぼ確実にお腹を壊し、大量に食べたことも帳消しになっていました。

実際に本当に帳消しになっていたかは不明ですが、羽目を外しても太らなかったのには、きっとこのお腹の弱さが関係していたと思います。

そんなこんなですっかり安心しきっていた私ですが、30代も後半に差し掛かった頃から以前と体のシルエットが違っていることに気づきました。

体重としては2キロ程度の差しかないのに、全身のシルエットが変わっているのです。

まじまじと鏡に映った自分を見て、軽くため息。

このため息は、もちろん『あぁ~、とうとう今までのツケを払う時が来たか』という気持ちから出たものです。

思えば調子に乗り過ぎました。

深夜になってもスイーツを食べていましたし、子どもと一緒になってアイスやお菓子も食べました。

もうこれは確実に自分のせいですね。

ここで諦められれば良いのでしょうが、諦めが悪いのが私。

元の体型に近づけるべく、私はダイエットに励むことにしました。

といっても、今までにダイエットなどしたことがなかったので何をしたら良いかが分かりません。

とりあえず巷でダイエットを成功させた人たちの体験談を読み漁り、色んな方法がある中で手っ取り早そうな筋トレを選びました。


筋トレってこんなにキツイの?!

動画などを観ても、皆さん、スイスイ筋トレしていらっしゃる。

私も後に続けといわんばかりに、寝る前のちょっとした時間を使って筋トレをしようと意気込んでおりました。

実際にやる前までは・・・。

やってみて実感したのは、『筋トレは想像以上にキツイ』ということ。

腹筋の一回でも、私にとってはかなりなハードトレーニングです。

今までどれだけ自分の体を甘やかしてきたんだか。

そんな後悔をしてももう遅いですよね。

【最初は10回くらいからで構いません】なんて言われたって、そもそも1回目で苦しんでいます。

正しい形での腹筋が苦しかったら、あらかじめ上半身を高めにしておいて試すのもOKという記事を見つけて、これもやってみました。

しかし、多少上半身を上げておいたところで、私の重い体は持ち上がりません。

明らかに体と筋力が見合っていない状態です。

結局、どこまで上げたら腹筋ができるのかを試したところ、45度の角度でした。

えっ?!これって腹筋になってる?!

こういうのって、やはり才能が必要なんですかね。

あと最低限の筋力も。

その必要条件が今の私には揃っていないみたいです。

最初は誰でもこれくらいだって!と自分を励ましつつ頑張ってみましたが・・・。

2日目、3日目と過ぎていき、5日ほど経過しても状態は変わりません。

それもそのはずです。

だって、45度の角度で5回くらい腹筋すると疲れてしまうんですから。

何もしないわけにはいきませんので気休め程度には続けていますが、どうやら別の方法を考えなければならなそうです。

シャンプー難民だった我が家

ノンシリコンだからって万能なわけじゃない 最近私は年配の美容師さんのいる美容室に通っている。 煌びやかさは無いが、とても居心地が良い。 お洒落な美容室なんかは美を競うように綺麗な人たちが来店する。 そういう所は人目も気になるし、自分が場違いなような気がしてしまって苦手だ。 まあ、...