泣き出した子どもを連れて、私は逃げた
夫の提案は、いつも唐突だ。あの日も、そうだった。
いきなり、子どもに携帯をプレゼントすると言い出した。
「要らないよ」と止めても、まったく聞かない。
どうして、こうなるのか。
義両親だって、分かっていたはずだ。
私たちが困っていることくらい。
それなのに。
助けるどころか、
「携帯があれば助かる」
なんて言い出した。
――違う。そうじゃない。
もう、限界だった。
追いつめられた私は、
その場から逃げた。
子どもの手を引いて、
ただ必死に離れようとした。
「ちょっと用事が…」
自分でも分かる。
そんな嘘、通じるわけがない。
それでも、そう言うしかなかった。
夫が、逃がすはずがない。
すぐに追いかけてきて、
肩を強くつかまれた。
痛い。怖い。離して。
振りほどいて前に進もうとした瞬間、
「ちょっと待てよ!」と怒鳴られた。
後ろからは、義両親。
逃げ場が、完全に塞がれる。
「お母さんは足が痛いんだから」
責めるような声。
でも、そんなこと今どうでもいい。
もう、何も考えられなかった。
こういう時、私は言葉が出なくなる。
頭の中はフル回転なのに、何も言えない。
すると夫が、吐き捨てるように言った。
「都合の悪い時はダンマリかよ!」
その声で、子どもが泣き出した。
やめて。
もうやめて。
周りの視線が突き刺さる。
逃げられない。終わらない。
地獄みたいな時間だった。
何を言っても、届かない人だった
夫婦は、もともと他人だ。
だから話し合いが必要なはずだ。
でも、私たちにはそれができない。
その場を取り繕っても、意味がないから。
問題は、ずっとそこに残ったまま。
本当は分かっていた。
「もう少し大きくなってからね」
そう言えばよかったのだ。
でも、言えなかった。
代わりに出た言葉は、
「こうやって話し合いもできないんだから、
もう終わってるよ」
だった。
これが、私の本音。
夫は一瞬、言葉を失った。
「なんだと?!」と返したきり、黙り込んだ。
言葉で支配できないと、次は力。
それが、この人だ。
手首を強くつかまれる。
そのまま引きずるように、店に戻ろうとする。
怖い。悔しい。情けない。
子どもは泣き続けている。
義両親は「大丈夫」と繰り返すだけ。
違う。
助けてほしいのは、そこじゃない。
限界だった。
私は携帯を手に取った。
「警察を呼ぶね」
自分でも震えているのが分かった。
「頭おかしいんじゃねーか」
そう言いながらも、夫の力が少し緩んだ。
――効いてる。
「これ、記録に残るよ。
後で困るのはそっちだと思うけど」
そう言うと、ようやく手を離した。
渋々、引き下がる夫。
義両親は「悪かったね」と言った。
でも、信じられない。
本当に悪いと思っているなら、
あの時、止めていたはずだ。
私たちは帰れなかった。
そのまま、人ごみの中をさまよった。
知らない人たちの中の方が、安心できた。
家族なのに。
どうして、こんなことになったんだろう。
全部、投げ出してしまいたかった。
