仕事の話は厳禁
私が再就職した頃、夫は既に無職だったので非常に気を使った。あまり仕事の話をしても嫌な思いをさせてしまうかもしれない。
そう思って、できるだけ仕事の話は避けた。
でも、私から話題を振らなくても何故か夫が聞いてくる。
聞いてくる割には『ふ~ん』という薄い反応で。
だったら聞かなければ良いのに、と思いながらも内心ヒヤヒヤした。
薄い反応なら、まだ機嫌が良い。
これが舌打ちをしたり嫌味を言い出したら要注意だ。
間もなく爆発する合図なので、私たちは警戒しなければならなかった。
いつ怒り出すか分からないから、基本的には絶えず注意しながら暮らしていた。
でも、たまには気を抜いてしまうこともある。
そういう時に限って夫が爆発するから、気を抜く=危険みたいな意識が未だに消えない。
無事に再就職した後、夫はいつも以上に職場のことを聞いて来た。
聞かれたら答えなければならないから、当たり障りのない回答に徹した。
答えながら『早くこの話題を切り上げなくちゃ』と思っていたのだが。
その答えに対する質問をされたりして、結局何度かの会話のラリーが続くことが多かった。
当時は『少しは興味があるのかな』なんて思ったりしたんだけど。
違ったようだ。
その会話の内容によって夫の機嫌が変わることに気づき、ある法則を見つけた。
それは、仕事が順調だと不機嫌になり、何かトラブルがあるとご機嫌だということ。
これってただ単に性格が悪いだけ?
それとも私のことが気に入らないの?
気づいてからは『どうしてなんだろう』と悩んだ。
悩んだって仕方が無いんだけどね。
これは夫のサイコパス味のある性格のほんの一部。
何ならまだ穏やかなエピソードだと言える。
足を引っ張りたいとかそういうんでも無く、ただ単に上手くいかない私を見ることに喜びを感じていただけ。
そんな本性が分かった時、それまで以上に夫のことが恐ろしくなった。
人の失敗は蜜の味?
ある時、仕事で失敗してしまった。
その話を家でしたのだが、夫の嬉しそうなことと言ったら。
あの人がこんなにもご機嫌に人の話を聞くなんて非常にレアだった。
新鮮な体験ではあったが、一方で心はドヨンとした。
妻が失敗したことを喜ぶなんて、人としてどうかしてる。
それを、夫の機嫌が良くなるかもしれないからと話す私の方もおかしい。
どっちもどっちの夫婦だったのだと思う。
それでも家庭内の平和を保つためなら自分の失敗談を話すくらいわけないと思った。
夫が不機嫌な時はとにかく怖くて息苦しくて。
それを回避するためなら手段を選んでいられなかったことも事実。
機嫌が悪くなると虐待される子どもが可哀そうで、何とかしなければと思った。
私が仕事に行っている間が一番の問題だった。
その間に何かされたら助けられないから。
対策を講じたくて、せっせと夫の機嫌を取り始めた。
でも、一度始めたら雁字搦めになってしまい、どんどん失われて行く自由。
いつしか子どもにまで影響が出始めて、まだ小さいのに
「パパが怒るからやめようよ」
と言うようになった。
夫が少しでも大きな声を出したり手を振り上げたりすると、ビクッとしていることにも気づいた。
多分、叩かれているうちに反射的に身構えるようになってしまったのだ。
心にも体にも虐待の記憶が刻まれ、気づかないうちに深い傷を負っていた。
