2025年11月29日土曜日

家出を知らない親戚から家に贈り物が届き・・・

親戚には言えない別居のこと

毎年同じ時期に親戚から贈り物が届いていた。

私たちには手が届かないような物も送られてきたりして。

子どもと一緒にとても楽しみにしていた。

あの頃はそれくらいしか楽しみが無かったというのもある。

比較的近くに住んでいる親戚だったので、あんな環境でなければ頻繁に会えたはずだ。

でも、夫の顔色をうかがってばかりで会いに行くこともできなかった。

それなのに、毎年変わらず色んなものをくれた。

子どものことも気にかけてくれて『近くに親戚がいると心強いな』などと思ったものである。

家を出てからは、あまりの激動の日々にそんなことすっかり忘れていた。

夫からのメッセージで『もうそんな時期なのか』と気づいた。

そこにはご丁寧に写真まで添えられていた。

うーん、どうしよう。

取りに行くと言っても、顔を合わせたくない。

住所を教えていないから送ってもらうこともできない。

どこか中間地点で待ち合わせて受け取る?

いやいや、夫がそんなことをしてくれるはずがない。

あーでもない、こーでもないと考えているうちに次のメッセージが届いた。

『早く受け取り方法を提示してください』

文面からでも威圧的な雰囲気が伝わるだろうか?

夫は終始そんな感じだったので、早く決めなければと焦ってしまった。

こういう時、夫の機嫌を一番に考えなければならない。

一方的に決めても難癖をつけてくるに決まっている。

だから、『(夫)の都合はどんな感じですか?』とお伺いを立ててみたら、怒りのメッセージが届いた。

『そちらで考えて指定してください。俺が考えるべき事ですか?』

これを読んだ私は震え上がった。

明らかに怒っている・・・。

この反応を見て、もう受け取るのは難しいと感じたので『開けて中身だけ教えてくれれば、あとはそちらで食べてしまって大丈夫です』と返事をした。

中身はいつも食べ物だった。

だから、『食べてしまって大丈夫』と書いたのだが。

夫はそこにも突っかかってきた。

『中を見たわけでもないのに分かるんですか』とか何とか。

それ以上続けても無駄だと思ったので、『では、考えてからまた連絡します』とだけ伝えた。

本当は家を出たことを周りに伝えられれば良かったのだが。

さすがにそれはできなかった。

親や姉以外は同じ場所に住み続けていると思っていたため、この件以外にも様々な問題が生じた。


御礼の電話もできない

頑なに開けて中身を確認することを拒んでいた夫だったが・・・。

数時間後に中身を写した写真を送ってきた。

コロコロと変わる態度に戸惑いつつも、助かったことは事実なのでお礼の言葉を伝えた。

中身は予想通りお菓子で、しかも子どもの大好物だった。

夫もそのことは知っているので、きっと気を利かせてこちらに渡そうとするのでは?と期待した。

でも、次に届いたのは『これ、うちの親も好きなやつだ』というメッセージだった。

これは義両親にあげるという意味だと受け取った。

だから、残念だけどこのお菓子は諦めて最後にもう一度お礼を伝えてやり取りを終えた。

私が弱気なせいで、本当に子どもには申し訳ないことをした。

たかがお菓子かもしれなが、親戚が私たちのために送ってくれたものだ。

子どもが喜ぶだろうと選んでくれたに違いない。

受け取ることはできなかったけど、その気持ちが有難かった。

その後、気持ちを切り替えて親戚にお礼のメールを書いた。

本来なら電話でやり取りすべき所だと思う。

常識的にも電話した方が良いと分かっているのに、それができなかった。

いつの間にか私は周りの人たちと距離を取るようになってしまった。

近くに誰かが居たら頼りたくなってしまうし、弱音を吐きたくなるから。

周りを遠ざけて何でもないフリをした。

でも、心はいつも理解してくれる誰かを求めていた。

2025年11月28日金曜日

夫が子どもにこっそり渡していた手紙

ランドセルから出てきた絵柄のついた封筒

うちの子はしっかりしているようで抜けている所がある。

翌日の準備をしているはずなのに翌々日の物になっていたりとか。

前々から言われていた持ち物をすっかり忘れてしまうこともある。

だから、次の日の準備は私も手伝っていた。

一度子どもが揃えた後にもう一度チェックして問題がないことを確認するんだけど。

ランドセルの中にはもみくちゃになった紙が底の方で圧し潰されていることも・・・。

ある日、その底に敷き詰められるようにして固まった紙を取り出していた。

そうしたら、見たことのない封筒が含まれていることに気づいた。

手に取ってまじまじと見ると可愛い絵柄がついていて、『(子の名前)ちゃんへ』と書かれていた。

その字を見た瞬間、ピンときた。

夫の字だった。

でも、会わないようにしていたのにどうして?

不思議に思って聞いてみると、

「いきなりパパが来て渡されたんだよ」

と教えてくれた。

学校帰り、待ち伏せしていた夫が話しかけてきて、逃げようとしたら手紙を押し付けるように渡されたのだそうだ。

突き返すこともできず、慌ててその場を後にした子供。

その時は逃げることしか考えられなかったようだ。

時々お迎えが遅れてしまうことがあった。

だから、こういう事態を完全に避けるのは難しくていつも悩んでいた。

手紙を渡されるくらいならまだ実害は少ないけど、連れていかれたらと考えると怖くて。

その時はお友達も一緒で、その子がまるで不審人物を見るような目で夫を見ていたそうだ(笑)。

『一人で出てきてはだめだよ』というお約束は守っていたようだ。

で、もらった手紙をどうしたかというと、開けずにランドセルにしまいこんだ。

その上から教科書などを入れたからだんだんともみくちゃになり、あの状態に。

経緯は分かったが、問題はその中身だった。

一体何が書かれているのか・・・。


『寂しい』というワードが目立つ手紙の内容

子どもに手紙を読んだのか聞いてみたら開けてもいないとのこと。

何が書かれているのか怖かったが、内容が気になるので意を決して読んでみることにした。

開くと、まず目についたのが『寂しい』というワードだった。

一度だけでなく何度も繰り返し色んな所に出てきていた。

子どもを心配するとか思いやる内容でもない。

ただひたすら自分の寂しさを訴えているだけ。

一通り読んで、『あの人は子どもに対しても自分の気持ちを押し付けるだけなんだな』と改めて思った。

それにしても大した内容でもないのに長い、長すぎる。

読んでいてだんだん疲れてきたが、最後まで目を通さなければと淡々と読み進めた。

最後まで読んでも本当に薄い内容で『寂しい』とか『会いたい』ばかり。

それなのに、何と便箋で2枚以上も書かれていた。

それを子どもが読むと思っていることにも驚いたが、さらに驚いたのが『お返事ください』と書かれていたことだった。

そこにはご丁寧に住所まで書かれていた。

(注:元々家族で住んでいた部屋)

もちろん子どもが返事を書くはずもなく。

何なら読まれてもいない。

『パパは(子ども)ちゃんのことをいつでも大事に思っています』とも書かれていて、嘘ばっかり。

もう呆れるしかなかった。

子どもはそういう嘘を簡単に見抜く。

散々傷つけられてきたんだから、こんな事を言われても信じられるわけがないのに。

なぜ夫にはそれが分からないのだろうか。

2025年11月27日木曜日

夫と幼馴染みのスキー旅行

「家族旅行のようなもの」だと言われて・・・

毎年、冬になると夫と幼馴染みはスキー旅行に出かけていた。

大学時代のメンバーで行く時のような大人数ではない。

二人で行くのだ。

それはさすがにおかしいと思い、話をしたことがある。

まだ付き合い始めたばかりの頃だったし、私の気持ちを優先してくれると期待したのだが。

返ってきた答えは予想していたものでは無かった。

「アイツとの付き合いはかれこれ20年になるから、お前より長いんだ」

そう言われ、えっ?!と驚いてしまった。

「まさかと思うけど、焼きもちなんて焼いてないよね?」

とからかうような口調で言われても、そのノリで返す余裕もなくて。

『何てデリカシーの無い人なんだ』と悲しくなった。

夫曰く、長い付き合いの彼女とは家族旅行のようなものなんだそうだ。

『家族旅行に文句をつけるなんて、お前こそどうかしてる』と。

そう言われると、何だか本当に自分の方が非常識に思えてしまった。

結局何事も無くそのまま旅行に行き、彼女からはお土産までもらった。

こういうことが重なると、結構シンドイ。

私の存在って一体何なんだろうと深く考え込んでしまうことも。

ただ、笑顔で送り出していれば相手もご機嫌だから。

そちらの方を優先してしまい、仕方ないのだと納得しようとした。

あんなにも悩んだのは夫への愛情があったからだ。

『この人を失うかもしれない』と不安になり、幼馴染みと適度な距離を保って欲しいと懇願した。

分かって欲しくて幾度となく話をしたことも愛情の裏返し。

どうでも良い相手だったら、きっと見て見ぬふりをしていたと思う。

あの頃は夫のことを本当に大事に思っていた。


浮気してくれないかな、と思うまでに関係が悪化

結婚してからも幼馴染みとは定期的に旅行に行っていた。

最初はヤキモキしていたが、段々と私の気持ちにも変化が・・・。

それには理由があった。

付き合って間もなくモラハラの予兆を示すような言動が見られるようになった夫。

結婚後はそれが加速した。

少しの失敗も許されず、ビクビクしながら過ごす日々。

新婚だから一緒に居たいとかそんな気持ちも皆無だった。

夫の居ない間だけがホッとできる時間。

最初はひたすら夫を怒らせないようにしていたのだが、それにも段々疲弊してきて夫の不在を望むようになった。

だから、旅行に行くと聞かされた時には本当に嬉しかった。

たったの2~3日でも自由に伸び伸びと過ごせる。

そう思うだけで、そこまでの日々も頑張れる気がした。

そんな気持ちの変化にも気づかず、夫や幼馴染みはわざわざ旅行の話題を出してきたりしてこちらの反応をうかがっていた。

恐らく傷つけたかったんだと思う。

あとは自分たちの仲の良さを見せつけたかった?

とにかく私を不快にさせることを目的としている感じがしたので、それに付き合うように残念そうな素振りを見せた。

実際には本当に嬉しくて嬉しくて。

夫のモラハラがいよいよ激しくなってきた頃。

間もなく子どもが産まれるというタイミングで再び旅行に出かけた夫たち。

この時の心境は非常に複雑だった。

子どもも産まれるんだから、少しは変わって欲しい気持ちと。

いっそのこと浮気をしてくれないかな、という気持ちと。

それが100%浮気を望む気持ちへと変化していくのに時間はかからなかった。

2025年11月26日水曜日

夫と幼馴染みの関係

子どもの頃から仲良し

夫と付き合い始めてから、何人かの女性との関係を怪しんだことがある。

と言っても私の立場は弱いので、心の中で『怪しいな・・・』と思うだけなのだが。

例えば幼馴染みとはずっと濃いやり取りを続けていた。

表面上はサッパリとした関係のように見える。

でも、実際はそうでもない。

夫が愚痴ったことを真に受けた彼女から苦言を呈されたり、改善を求められたことも。

どうやら我儘な妻だと思われている節があり、気に食わなかったみたい。

それでも夫の大事にしてる人だからと相手を立ててきた。

まだ夫に愛情がある頃は私も一生懸命だった。

悪い所を直して認めて欲しいという気持ちから、彼女の言葉も真摯に受け止めた。

言われたことに気を付け、今後同じことが無いようにするのだが。

そうすると、また新たなことで指摘を受けた。

好意的な態度や言葉などもらったことがない。

いつも言われっ放しで、どんどん自信が無くなった。

夫だけでなく周りの人たちからも色々言われてしまうなんて。

自分はなんてダメな人間なんだろうと落ち込むようになった。

彼女曰く、私は夫の歴代の彼女たちとタイプが違うんだそうだ。

そんなことを言われても、過去の彼女たちを知らないし知りたいとも思わない。

暗に『あなたは(夫)のタイプではないのよ』と言われているようで当初は少しだけ腹も立ったが、段々と違和感を覚え始めた。

あれっ?もしかしてこの人、夫(当時は彼)のことが好きなのかな。

そう考え始めたら全ての辻褄が合う気がした。

でも、その頃は私も夫との将来を考えていたから、彼女に気に入ってもらいたい一心で調子を合わせた。

結婚が決まった時に言われた言葉は、

「私の事、お姉さんだと思っていつでも頼ってね」

だった。


家族ごっこ

夫が休日に赤ちゃんだった我が子を連れて出かけた日があった。

日ごろ忙しくしている私を休ませようとしてくれているのだと思った。

実際、平日も仕事をしながらほぼワンオペで家の中のことも全てやっていたから。

週末になるとクタクタで一度寝るとなかなか起きられなかった。

そんな中で子どもを連れだしてくれたから、ちょっと感激してしまった。

だけど後で知ったのは、幼馴染みも来ていて三人でお出かけをしたという事実だった。

私たちも時々出かけていたけど、幼馴染みとはいつもは行かないような場所にも行っていた。

しかも、子どもに『ママ』と呼ばせようとしていたらしく・・・。

「まだしゃべれないのに、参っちゃうよな」

なんて言いつつも、夫はデレデレしていた。

夫と彼女の間には切っても切れない縁がある。

同級生で幼い頃から一緒で、家族みたいな間柄だということも分かっている。

ただ、その枠を超えた気持ちがあるように思えて、当時は非常にヤキモキした。

子どもを奪われるんじゃないかと不安にもなった。

それからも事あるごとに『ママ』と呼ばせようとするものだから、私もイライラして

「子どもが混乱するので」

と止めてもらうようにお願いしたら、

「そっちはお母さんと呼ばせたら」

などと、私の方を変えるように促された。

そういう事があったから、私の居ないタイミングで『ママ』と初めて言ってしまったら嫌だなと心配していた。

でも、その心配は杞憂に終わった。

絵本を読み聞かせしながら寝かしつけをしていたある夜。

突然、その瞬間がやってきたのだ。

私の目をじっと見ながら囁くように

「ママ、ママ」

と二回言った子ども。

嬉しくて、思わず名前を呼びながら抱きしめた。

夫は何故か残念そうだった。

2025年11月25日火曜日

気持ちを引きずりながら午後も仕事

離れても夫や義両親が恐い

いったいいつまで怯えていれば良いのか。

夫や義両親のことを恐いと思うたびに未来を憂いた。

数か月が経過しても離婚問題が一向に進展しないことも気になっていた。

『相手のある問題だから』と多くの人は言うけれど。

夫とつながっているというだけで私たちの心は一気に窮屈になった。

たとえ物理的に離れていても安心することはない。

常に見張られているような感覚で過ごさなければならず、いきいきと過ごす周りの人たちが羨ましかった。

午後の仕事は気もそぞろで、はっきり言って集中できていなかったと思う。

それでもしっかりとこなさなければならないから、何度か気合を入れ直しながら業務にあたった。

ちょうど忙しい時期だったのが良かったのかも。

目の前のことに取り組んでいたら、あっという間に時間が過ぎた。

いつの間にかお迎えの時間になっていたのにも気づかず仕事し続けた。

またお義父さんが小学校に顔を出すかもしれないし、夫が来るかもしれない。

だから時間通りに向かわなければならなかったんだけど・・・。

予定の退勤時刻を10分ほど過ぎた頃、一緒に仕事をしていた同僚が急に驚いたような声をあげた。

「もうこんな時間!」

その声につられて時計を見ると、いつもなら電車に乗る時刻だったので私も慌てた。

でも、区切りが悪くてあと数分やっておいた方が次の日もスムーズだと感じて迷っていたら、

「残りはやっておくから、すぐに出た方が良いよ」

と促され、お言葉に甘えることにした。

私の場合、周りの理解があったので何とかやってこれた。

これが厳しく当たられたりしたら、余計に自己嫌悪に陥っていたに違いない。


示し合わせたように夫から連絡

仕事中は気づかなかったのだが、夫からも連絡があった。

お義父さんとの電話を切ったのが午後の仕事が始まってから5分後くらい。

その後のことだったので、明らかに業務時間内だった。

そんな時間に掛けられても困るとあれほど言っておいたのに。

私からのお願いは一切聞いてくれなかった。

内容を確認すると、義両親のことで。

『電話がいったと思うが、(義両親の)気持ちを汲んでやってくれ』とだけ書かれていた。

多分、事前にみんなで話し合って義実家に呼び出そうという流れになったんだと思うんだけど。

それをまるで後から聞いた風に言ってきた。

なぜそんな風にしたいのかは分からないが、どうでも良いような些細なことも隠したがる人だった。

そこでふと、『その日はもしかして夫も来るのだろうか』ということに気づいた。

万が一来るとしたら、更に状況は厳しくなる。

一対三になるし、しかも加勢に加わるのがあの夫なのだ。

弁の立つあの人が一人いるだけで、きっと私の言い分は100%通らなくなる。

子どもを連れて来ておらず一人で留守番させていることも責められるだろうと思った。

『何時間かかるか分からない話し合いを一人で待たせるなんて』と言われるのは目に見えていた。

それも全部あちらの策略で、次回は連れてくるように仕向けたいだけ。

実は、私が独りぼっちで子どもの面倒を見ている訳ではないことも薄々気づいているようだった。

色々と怪しんでいたに違いない。

先輩の存在を夫は全く知らない。

だからとても安全で、気を付けていれば居場所を知られる心配も無かった。

ただ、万が一知られてしまった時のことを想像すると不安しかなくて・・・。

もしそうなった場合に次の居場所を探さなければならないことも頭の痛い問題だった。

2025年11月22日土曜日

義両親からの呼び出し

長過ぎるお義父さんの話

会社のお昼休み。

食事も終わり、まったりとしていたら急に携帯が鳴った。

最近は詐欺電話なども多いから、見知らぬ番号からのものは出ない。

でも、表示されたのが『お義父さん』だったので、ほんの一瞬迷った。

矛盾しているようだが、相手が知ってる人だからと言って全て出るわけではない。

特に話したくない相手の場合には、申し訳ないがかなりの確率で見て見ぬふりをする。

この時も無視して携帯の画面を下にした状態で放置することに決めた。

勤務中のお昼休みと言ったら貴重な休み時間だ。

体を休めるのもあるが、気持ちもリフレッシュさせたいところ。

お義父さんと話したら逆に疲れてしまう。

それで無視することにしたのだが、その後も3~4分おきに掛かってきた。

何度も着信していると、何故だか出なければならなような気持ちになってしまうものみたい。

でも、掛け直すのも嫌で・・・。

もう一度掛かって来なければ放置で良いや、と思っていたら再び着信画面に変わった。

どうせろくな用事では無いだろうけど、一度出ればもう掛かって来なくなるから。

そう自分に言い聞かせて、ロビーに移動しながら応答ボタンを押した。

電話に出てみると、お義父さんは相変わらず一方的に言いたいことを言っていた。

それに相槌を打つこともなく、ただひたすら聞いていた。

全て言い終えたお義父さんは、いきなり私に

「で、どうするつもりなんだ?」

と問いかけてきたのだが、何て答えたら良いのかが分からなくて・・・。

今の状態は非常にだらしなく、世間様に顔向けできない。

子どもの将来を少しでも思っていたら、そんな行動はできないはずだ。

そっちは自分のやりたい事をやってるんだから良いだろうけど、相手の気持ち考えたことはあるのか?

まとめると、そんな感じのことを延々と言っていた。

『あー、今日は長くなりそうだな』と思いながら聞いていたのだが、急に回答を求められてしまい戸惑った。

電話口の口調からは、お義父さんがいきり立っているのが分かった。

だから余計に下手なことは言えなくて、考えているうちに更に数十秒が経過した。

その間もどんどんお義父さんのイライラが加速し、携帯を少し離しても聞こえるくらいの声で、

「まさかこんな仕打ちを受けるとは思わなかったよ!」

と怒鳴られた。


義実家に来るように、と言われて

そうこうしているうちに、もうすぐお昼休みが終わる時間に。

電話を切らなければと思い、そう伝えたのだが、

「まだ終わってない!」

と言われ、切ることができなかった。

そしてとうとう午後の仕事が始まった。

慌てた私は、

「本当にすいません。でも、仕事に戻らなければならないので」

と謝って切り上げようとしたのだが、

「一度、うちに来なさい」

と、まるで決定事項のように言われてしまい、固まった。

数十分前までは、まったりと過ごしていたはずなのに。

一気に重苦しい気持ちへと変わり、そのまま午後の仕事に戻らなければならない憂鬱。

悪い癖で『私が悪いからだ・・・』と考えてしまって更にブルーになった。

お義父さんに責められる時、いつも夫の顔が思い浮かんだ。

鬼のような形相の夫に怒鳴られ、なじられていた日常が思い出され、そのたびに気持ちは急下降。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

あの頃の私は誰にともなく心の中で謝り続け、自分を責めた。

モラハラ被害者の方には分かってもらえるかもしれないが、そういう時には全ての原因が私にあると思い込んでしまう。

『お前のせいだ』と言われているようで、何とかしなければという気持ちが強くなることが多かった。

でも何もできなくて。

指定された日に義実家に向かうことは、もう確定だ。

その日に何と言えばお義父さんの怒りを鎮めることができるのだろうか。

何をすれば許してもらえるのだろうか。

馬鹿な私は延々とそんなことを考えた。

2025年11月21日金曜日

お義兄さんの元奥さんが頻繁に連絡してくる理由

疎遠にしたいはずなのに

お義兄さんが離婚したことは以前このブログでも触れた。

離婚後はもちろん別々の場所で暮らし、持ち家は売却。

そして、お義兄さんは義実家に戻った。

子どもも居なかったので、その後は他人のように疎遠になるものだと思い込んでいたのだが・・・。

どうやら時々連絡が来ているようだった。

元奥さんはモラハラ被害者だ。

勝手にシンパシーを感じていた私は彼女たちの動向が非常に気になっていた。

離婚が成立した時には心の中で万歳したいくらいの気持ちで(笑)。\(^o^)/

私も後に続きたくて、離婚できる日を夢見てその時々でできることをやってきた。

ただ、私たちの組み合わせが悪いのか、お義兄さんたちのようにはいかなかった。

なぜ彼女の話題が出てきたのかは不明だが、夫は

「普通連絡してくるかな」

と怪訝な様子だった。

まあ色々あったからね。

義家族をも巻き込んで。

最終的にお義父さんがお金を出す羽目になったし、話し合いでは条件で散々揉めた。

お義兄さんがいつの間にか被害者ポジションになっていたのには驚いたけど、あの兄弟ならまあ不思議ではない。

ゴタゴタが続く中で彼女の心証はどんどん悪くなっていき、最終的に物凄い悪女のようになっていったのも興味深いところだ。

きっと私もそうなるんだろうな、と思った。


離婚後も都合の良い時だけ連絡してくる元奥さん

もしかして、まだお義兄さんのことが好きなのかな?

勝手にそんな想像をしていたのだが、後日その理由が判明した。

夫経由で聞いた話では、義実家のお金を当てにしているようだった。

義実家も退職当時はそれなりにお金があったかもしれないが、その後使い果たしたと思う。

そのうちもっとも大きかったのがお義兄さんの休職中の援助で、お義兄さんの家を売却した際の残債も面倒見ていた。

それで残ったなけなしのお金を当てにするなんて。

唖然とすると共に『こういう人もいるんだ』と勉強になった。

この話、実は続きがあって、深く聞いたら更に驚くことになった。

今ある手持ちのお金だけでなく、何と遺産のことまで考えていた。

お義兄さんの元妻というポジションでは受け取れるものはないのに。

というか婚姻関係が継続していても受け取れないのに。

何を勘違いしたのか要求できると思っているようだった。

婚姻関係が継続していて、尚且つお義兄さんが相続した分を引き継ぐことならできるかも。

ただ、もう既に離婚しているわけだし。

結局、彼女には無関係の話ということになる。

その話題が出た際、『あっちも離婚協議中だよね』と確認されたのは、恐らくうちの子が唯一の孫という点を考慮した発言だろう。

改めて、夫とは違うタイプの宇宙人だと思った。

お義兄さん夫婦のようにモラハラし合った人たちは、離婚後も色々と揉めるのだろうか。

こういうよく分からない争いが頻繁にあり、そのたびに夫が憤りながら連絡してきた。

そのたびに『あー自分には関係ない話だ』と思う私。

ある意味、お義兄さんの元奥さんは義実家の環境にどっぷりと馴染んでいたのかもしれない。

2025年11月20日木曜日

夫の泣き落とし

「元に戻りたい」と言うけれど

ある夜、夫から急に電話が掛かってきて、深刻な声で

「話がある」

と言われた。

私が電話に出てしまうのは夫が怖いから。

ただそれだけなんだけど、夫は勘違いしていた。

夫への気持ちがほんの少しでも残っているから出るのだと。

そう思わせてしまった私にも責任の一端がある。

怖いからといつまでもズルズルと応じてしまえば、きっと気持ちの切り替えもできない。

そう思っていても、いざ電話が掛かってきてしまうとスルーできなかった。

出なかった時の反応を想像してしまうのだ。

私の心を支配する恐怖心に打ち勝つには時間が必要で、そんな態度が夫から見ると曖昧に映ったのだと思う。

それでいつまでも『元に戻れるのでは?』という気持ちを捨てきれなかったのだろう。

別居後、何度も復縁の話をされた。

いつも威圧的で怖い口調なのに、そういう時だけ優しく穏やかに話す。

その口調に私も少しだけ安心し、落ち着いて会話することができた。

ただ、激しい拒絶はできないから、やんわりと拒否の意思を示すだけ。

それで分かってくれる人なら良かったのに。

夫には全く通じなくて、そのたびに言い方を変えたり口調を少し強めたりして工夫した。


断ったら泣き出した

復縁の話に対する私の答えは『No』一択だ。

そこだけは曖昧にしたらいけないと思って、ハッキリ無理だと伝え続けた。

いつも断っているのだから、この流れは夫も分かっていたはず。

その時も言った瞬間に『やっぱりな~』という雰囲気が漂った。

だが、次の瞬間、突然夫は泣き出した。

鼻をずびずびとすすりながらしゃくりあげるものだから、私も困ってしまい、

「ごめんね」

とひたすら謝った。

しばらくの間、夫はただただ泣くばかり。

その間私はずっと謝り続けながら、いつ電話を切り上げようかと考えていた。

泣き声は途中大きくなったり小さくなったりして、弱まったタイミングで電話を切ろうとしたが、

「どうしても駄目なのか?」

と聞かれ、結局切れなかった。

時間にすると恐らく30分くらいだったと思う。

こういう時、物凄い罪悪感がある。

消そうとしても消えるものではない。

そういう気持ちに付け込むように夫が更に激しく泣き始めるものだから状況は更に悪化した。

結局、延々と夫の泣き声を聞かされる羽目になった。

やっと解放された後は脱力して何も考えられなかったけど。

落ち着いたら、心の中に後味の悪さが残っていることに気づいた。

元々は夫の蒔いた種だ。

でも、あんなにも取り乱しているのに一方的に突っぱねることなんてできなかった。

そういう時はいつも子どもがされてきた事を思い出し、あえて怒りの気持ちを思い出すようにした。

そうしないと夫の涙に引っ張られそうで。

好きじゃないのに、離れたいのに、見放すのは『悪』だと思えてしまう。

辛い虐待の記憶を呼び起こすことはしんどかったけど、それで自分は間違っていないのだと再認識できた。

2025年11月19日水曜日

飴と鞭を使い分ける夫

周りの人々を騙す夫の策略

怒涛の『会わせろ!』攻撃をしかけてくる一方で、優しい言葉を掛けることもあった。

飴と鞭を上手に使い分けているつもりだったのだろう。

でも、夫の性格上それが本心からの言動ではないことは明らかだった。

散々被害を受けてきた私たちならそれが分かるけど、周りはそうは取らない。

「せっかく誠意を見せてくれているのに何故そんなに頑ななの?」

と言われることも多かった。

『会わせて欲しい』攻撃と『困っていることがあったら言って』という優しさは実はセットになっていた。

その両方が揃うことにより、心の底から子どもを愛しているという人物像ができ上ってしまう。

実際は子どもを大事になんて思っていなくて。

ただ単に自分の寂しさを埋めたかったのと、将来を考えて手放したくなかっただけ。

それが分かっているから、優しい言葉を掛けられても心は動かなかった。

多分、家を出た直後なら心が揺れ動いたと思う。

今度こそ夫が変わってくれるのではないか。

こんな私たちでも幸せになれるのではないか。

そんな夢を見てしまったかもしれない。

離れて数か月が経過し、現実をきちんと見ることができるようになった私の反応は違っていた。

あのような夫の言動に嫌悪感を覚えずにはいられなかった。

また騙されることを恐れていたというのもある。

それで、自分でも驚くほどの拒絶反応が出てしまったように思う。

あの頃、【飴】の方の効果で衝撃が多少薄れてはいたが、執拗な『会わせろ』攻撃には非常に困っていた。

居場所は知られていないはずなのに、いつ夫が現れるかとビクビクしていた。


新学期の準備を心配?

「もうすぐ新学期だろ?準備は大丈夫なのか?」

私に腹を立てて攻撃していたはずの夫が突然そう言った。

確かに新学期には色々とお金がかかり、どうしても金銭的に厳しくなってしまう。

ただ、それは家を出てから急にそうなった訳ではなく、私のお給料だけで生活し始めてからずっとだった。

特に大変だったのが小学校に入学する時。

学年が変わる時もいつもより出費が多くて、やり繰りに頭を悩ませていた。

それなのに、そばに居た頃は見て見ぬふりを決め込んでいた夫。

無関心なのか、あるいは自分に火の粉が降りかかるのが嫌なんだと思っていたら、急に自分からその話題を出してきた。

内心は気にしていたのかな?

夫から話題を振られたものだから、私も期待してしまった。

それで、正直に厳しいことを伝えてみたら、

「協力できるところはするよ」

と言ってくれた。

こんなことは初めてだ。

ほんのちょっとだけ感動して、すぐにお礼を伝えた。

支援の内容だが、やはり金銭面で少しだけ負担してくれるとのこと。

直接の受け渡しは避けたかったので、振込でお願いした。

振込なら口座を教えるだけで済む。

助けてもらう分際でこんなことを言うのは何だが、やはり会うのは怖いと思ってしまった。

後日、夫から『いくらぐらい必要なの?』と聞かれ、控えめな額を提示した私。

後から考えてもう少し負担してもらえば良かったかなと思ったけど。

支援したいと言って貰えるだけでまだ幸せだと思った。

・・・とここまでは良い話風に書いてしまったが、これには後日談がある。

振込をしてくれると言っていた日に夫から再び連絡があった。

『今日の振込はできなくなりました』

そこからしばらく音信不通になり、その後、部屋の修繕でお金が掛かったとかで逆に請求された。

2025年11月18日火曜日

「おじいちゃん、前にも来てたよ」

子どもから驚きの報告が・・・

小学校の前でこっそり子どもの様子をうかがっていたお義父さん。

出てきたら話でもしようと待っていたようだが・・・。

私が声を掛けたら、そそくさと帰ってしまった。

やましい気持ちがあったからかもしれない。

夫ほど上手に嘘をつけるタイプでも無いので、退散せざるを得なかったのではと思った。

そんなわけで、子どもと合流した時にはいつも通り。

お義父さんは既に居なくて、子どもも全く気付いていない様子だった。

遠くから見られてたらまた不安にさせちゃうかなと心配もしたが、杞憂に終わって良かった。

帰り道、二人で並んで歩きながらそれとなく

「もうずっとパパやパパの方のおじいちゃん達に会ってないね」

という話題を出してみた。

そうしたら、子どもが

「おじいちゃんには会ったよ。少し前に校門の近くに居たんだよ」

と言うではないか。

「えっ?それっていつ?」

と驚いて聞いてみたら、約1か月前のことだった。

その頃、お義父さんは既に再就職していた。

つまり、時々有給や半休を取って来ていたということだ。

夫のお世話をするためなら分かるけど子どもに会うのはルール違反なのでは?と思ったが、それは子どもに言う話でもないので黙っていた。

実は以前子どもを連れ去られたことがあるので、それが非常に気がかりだった。

子どもには絶対に一人で帰らないようにと伝えて、

「分かってるよ。その時も校門から出なかったもん」

と言っていた。

ずい分しっかりしたような気もするけど、まだまだ甘い所もある。

それは仕方の無いことだ。

でも、以前のようなことが起これば次はもう取り戻すことができないかもしれないから。

怖いけど、夫やお義父さんに抗議することにした。


夫への抗議

夫が弁明のメッセージを送ってきた時に、私からの返信で

『お義父さんが以前にも来ていたようですが、どういうことですか?』

と抗議した。

文面にすると少し強気に見えるかもしれないが、基本弱気だ。

何をするにしても、まず最初に【夫を怒らせないように】という事を考えた。

それで、やんわりとした表現になってしまう。

その程度の抗議では改めてくれることは無いんだけど。

それでも言わないよりはマシだ。

以前知り合いから、

「そういう人は窮地に追い込まれるとなりふり構わず攻撃してくることがあるよ。そうなったら怖いから気を付けて」

と言われたことがある。

あの言葉を時々思い出し、ここまでならセーフかな?と考えながら行動した。

夫からしてみれば心情的には被害者になっていたのだから、私の抗議も横暴に思えたことだろう。

最初は思い通りにするためにそういう風に振舞っているのだと思ったが、どうやら違ったようだ。

そうすると『子どものために会わせられない』というのも私の一方的な妄言になる。

妄言(だと夫は信じている)を言い続ける私に対し、夫は段々とイライラし始めて、

「俺はこんなに譲歩しているのに!」

と怒りの反応を見せるようになった。

怒る=キレるというのが夫の特徴。

キレ方も尋常ではなくて、最初からMAXレベルだ。

その反面、周りには『可哀そうな俺』を演じて同情を買い続けた。

夫の友人から、『アイツの気持ちも少しは汲んでやって』というメッセージが来るたびにため息。

なまじつながってしまっているから、こういった連絡も避けられない。

いや、避ける手段はあるが、心証を悪くしてまで強硬策に出る勇気が無かった。

そうしたら彼らはどんどんエスカレートしていき、とうとう夫の友人3人が直接話をしたいと言ってきた。

2025年11月17日月曜日

久々のお義父さん登場!

義実家から飛んできたお義父さん

夫から事情を聴いたお義父さんが、我が家に飛んできた。

二人で色々と画策したに違いない。

今後どうすべきなのかを。

彼らの中では元さやに収まるのが一番良いという結論に達していたようだ。

万が一離婚になったとしても子どもを引き取りたいというのも一致していた。

だから、しばらく会えてない子どもに再会して関係を再構築することを急いでいた。

私もそれを薄々感じていたから、尚更会わせたくなかった。

ただ、夫からの攻勢が強まり、避け続けるのも難しいのではないかという予感もしていた。

その予感が見事当たってしまうとは・・・。

ある日、いつものように子どもを迎えに行き、見慣れた人物が校庭の方を眺めているのを発見した。

お義父さんだった。

久々に見たその顔は以前よりも元気そうで、少し状況が落ち着いたのかな?と思った。

それなら良かった・・・なんて言っている場合ではなかった。

何故子どもの小学校を偵察しているのか。

焦りながら色んな可能性を考えて、やはりアノ件しかないと思い当たった。

夫はなかなか会わせないことに腹を立て、『小学校に会いに行くしかない』と言っていた。

きっと、それが実行されたのだ。

私は慌てて駆け寄り、お義父さんに声を掛けた。

先に子どもを見つけられたら大変だと思ったのだが、お義父さんの方は私に驚いたようで

「あれ?まだ仕事の時間じゃないの?」

などと言いながら取り繕おうとしているのが分かった。

こっそり会おうとしたのを見られてしまったというところか。

そのまま子どもを連れて帰るにしてもお義父さんを振り切るのは難しいと判断し、

「少し話しましょうか」

と声を掛けた。

でも、何故か断られた。

「今日は時間が無いから」

と言いながらその場をあとにしたお義父さん。

私は呆気にとられながらその後ろ姿を見送った。


夫から弁解のメッセージが届く

夫に問い詰めるべきか、それともスルーするべきか。

まずその点で迷っていた。

下手に詰め寄ったら、逆に責められて苦しい状況に陥る可能性もある。

本来は何も悪いことをしていないのだから、堂々としていればいいのに。

何故かいつも形勢逆転されて窮地に追い込まれるシーンを想像していた。

それで迷った挙句、触れないでおこうと思ったのだが・・・。

夫から弁解のメッセージが続々と届いた。

どうやらお義父さんの仕事は順調のようだった。

夫の用事で仕事の休みを取って我が家に来ていたところ、ふと孫のことを思い出して行ってみた、とのこと。

色々言っていたが、恐らく子どもと話をしに来たのだ。

でも、それを勘づかれたら警戒されると思い、隠そうとしたのだと推察した。

散歩がてら夫も付いていこうとしたが止めたそうだ。

再々就職した会社では頻繁にWeb打合せがあり、ちょうど打合せが入ったらしい。

まったく油断も隙も無い。

打合せが無かったら自分も会いに行こうとしていただなんて。

散々断ったのに、こちらの拒絶に対しては効く耳を持たない。

きっと私の意見や気持ちなんて取るに足らない物なのだろう。

もし私がいつもより少し早く着いていなければ・・・と考えたらゾッとした。

そうやって裏をかくような行動ばかりするから信用なんてできなかった。

2025年11月15日土曜日

十件以上も届いた日程調整のメッセージ

夫は父親としての権利を主張

驚いたことに、いつの間にかまた夫の中でストーリーが変わっていた。

別居を容認してくれた物分かりの良い夫というスタンスに変わり、自分勝手な妻が父親から子どもを引き離したことになっていた。

こうやって、知らない間にどんどんストーリーが変わっていくのが怖い。

本当は戻って来て欲しいけど妻が納得しないので、せめて面会くらいはさせて欲しい。

そうメッセージを送ってきた夫の中では、もうそれが真実になっていた。

よく分からないのが、本当にそれを信じ切っているように見える所だ。

自分に都合の良いストーリーを作って周りに吹聴していたら、それが本当のことのように思えてしまったのか。

あるいは、偽りの内容だと分かった上で周りを騙そうとしているのか。

それが分からなくて、余計に恐ろしさを感じた。

多分、あれを見たら誰でも信じてしまうと思う。

それくらい夫の文章には何故か説得力があった。

仮に私が部外者で、あの文章を見せられたら『奥さん酷いね』となるだろう。

実際、夫の周りの人たちは彼の言うことを信じていた。

夫は『こちらにも我慢の限界があります』などと送ってきて、面会の日程調整をするように促してきた。

これが数件程度なら思い余って連続で送ってしまったのかなと思えなくも無いが。

短時間の間に十件以上のメッセージが届いた。

一度も返信していないのに夫からの一方的なメッセージが連続で並んでいく様は、ハッキリ言ってホラーだ。

私にとっては何よりも怖く、ストレスで食欲も無くなった。

そもそも、父親の権利などと主張しているけれど、それ自体がお門違い。

これまで何か父親らしいことをしてくれたことはあっただろうか。

むしろ他人の方が優しく感じられるくらいに酷いことばかりしたくせに、自分を良い父親だと思っていることに愕然とした。


「子どもはお前に洗脳された」と主張する夫

子どもが夫の元に戻りたがらないのは、私が洗脳したからなんだそうだ。

この主張にも驚いてしまって、私はしばらく携帯の画面を眺めていた。

だけど、呆然と読み返しているうちに、また新たなメッセージが入るから。

ふと我に返って慌てて画面を閉じた。

夫からのメッセージを読んでしまったことは既にバレている状態。

その状況で無視し続けたら更に怒ることは確実だった。

でも、私から出せる返事は『面会は無理』という一言だけ。

それで夫が納得するはずもなく、迷いに迷って結局返事が出来なかった。

窮地に追い込まれた時には、いつも『夫が私たちに関する記憶を全て失ってくれたら良いのに』と思う。

そうしたら今度こそ本当に自由になれるのに、って。

そう思ってしまうほど夫の執着は凄まじくて、その呪縛から逃れたいと強く願った。

無視と言うもっとも避けなければならない戦法でスルーし続けた私。

気にしないようにしていても、ずっと頭の中にはその事があり、気持ちが晴れなかった。

このままで済むはずがない。

そう思っても他に手が無く身動きが取れない。

そうこうしているうちに一週間が経過した。

『もしかして、このまま何事も無く終わるのかな?』と期待したが、そんな時、夫から新たなメッセージが届いた。

学校に出向いて子どもと直接話す、という内容だった。

その時の恐怖は言葉にできないほどで、携帯を持つ手が震えた。

しかもメッセージだけでは終わらず、その後何度も電話が掛かってきた。

必死で逃げても、どこまでも追ってくる夫。

この頃になるともう良い思い出の記憶もなく、逃れるのに必死だった。

2025年11月14日金曜日

『子どもに会いたい』と言う夫の企み

計算高い夫のことが怖い

何でも自分の思い通りにしなければ気が済まない夫は常に狡猾だった。

警戒しなければ、すぐに足元をすくわれてしまう。

だから話す時にはいつも緊張した。

私なりに考えて考えて答えるのだけれど、相手は一枚も二枚も上手。

気付いたら夫のペースになっていたなんてことは日常茶飯事で、そのたびに心臓がドクンとなった。

『ヤバイ!』と焦り、動揺する私。

かたや夫は余裕の表情を浮かべ、そんな様子を楽しむ素振りさえ見せていた。

一度相手のペースになってしまったら状況を変えるのは容易ではない。

そういうのを何度も経験してきて、自分なりに対応も習得してきたつもりだ。

でも、あの日は電話で子どもと話をさせる流れになってしまった。

今思い出しても、どうしてそんな流れになってしまったのか上手く説明できない。

まるでそちらにしか道が無いように、自然に誘導されていた。

夫は早く代わるように促して待っていたが、どうしても子どもに伝えることができずその場に立ちすくんだ。

ほんの少しだが子どもが良い方向に変わってきているのに、また振り出しに戻されてしまう。

代わらずに済む方法は無いのか考えたが、その間も夫の催促は止まず、とうとう圧に負けて子どもに声を掛けた。

申し訳ないと思いつつ、これ以上責められずに済むというホッとした気持ち。

最低の母親だ。

ただ、代わる前には小声で

「嫌だったらハッキリと断って大丈夫だからね」

というのは忘れずに伝えた。

「パパが怒ったらすぐにまたママが代わるから」

と声を掛けると、子どもは力強く頷いた。


優しいパパを演じようとする夫

はっきり言って夫は子どものことをなめている。

少し優しくすれば、これまでのことが帳消しになると思っているようだった。

『幼いうちの体験なんて段々と忘れるだろう』という考えが透けて見えた。

電話で何を伝えたかったのかと言うと、

・遊びに連れて行ってあげたい

・欲しい物を買ってあげたい

・おじいちゃんとおばあちゃんにも会わせてあげたい

というところか。

この『~してあげたい』という部分が実に夫らしい。

それが望まれたことでなくても自分が良かれと思ってやったことは全部『相手のためにわざわざ自分がやってあげた』になってしまう。

迷惑がられていてもお構いなしだ。

そういう所が独りよがりで自分本位だと感じるのだが、本人的には『人に優しい俺』なので、そこに大きな隔たりがある。

その日、夫は猫なで声を出して子どもを誘っていた。

わざと音量を大きくしたので、傍に居た私には会話が全て聞こえていた。

ピンチになったらすぐに代ろうと思ったのだが・・・。

予想以上にキッパリと断った子どもに驚いた。

普段の様子からは想像もできないくらいに、スラスラと無理な理由を並べていた。

いつもならそこで夫が怒りだして、恐怖を感じた私たちが言いなりになってしまう。

でも、子どもが頑張って見えない圧にも屈することなく断り続けたので、夫もそれ以上は何も言えなかった。

その後、夫が

「ママに代わって」

と言うので再び私が出たのだが、

「別居を認める代わりに定期的に(子ども)に会わせろ」

と言ってきたのには驚いた。

また一つ、悩みの種が増えてしまった。

2025年11月13日木曜日

再々就職をしてから頻繁に連絡が来るように・・・

親権が欲しい夫

恐らくだが、夫は自分が再々就職するまではあまり連絡を取らないようにしていたのだと思う。

実際、必要に迫られた時にしか連絡は来なかった。

でも、再々就職をしてからは頻繁に来るようになった。

それもどうでも良い内容で・・・。

対応するのも大変だから無職の方が楽で良かったのに、と思ってしまった。

でも、それは私のエゴだとすぐに思い直した。

義実家も割と大変な状況だったから。

あの状況では夫が働かないという選択肢は無かった。

もし仮に私たちが家を出ておらず一緒に暮らしていればそれも可能だったろうけど。

既に家を出た後だったので、それを言うのは酷だろうと思った。

夫は夫で離婚交渉の際に働いていることが必須だと考えたようだ。

一度は合意した親権の問題で相変わらずゴタゴタしていた私たち。

夫の狙いが子どもであることは明白だった。

諦めきれない夫が条件を整えるために再々就職を急いだのだろうと推測。

これは義両親の意向でもある。

「孫まで取り上げられたら自分たちには何も残らない」

と直接訴えられたこともあった。

気の毒に思ったが、その原因を作ったのは他ならぬ自分たちの息子なのだ。

そこを無視して要求だけ突き付けてくるのはおかしいと思い、何か言われてもスルーし続けた。

結局、自力で状況を打開するしかないことを理解した夫は、渋々再々就職を決めた。

本当は働きたくなかったんだろうな~。

前回の再就職では思い通りにならず、自己評価と周りからの評価に差があることを痛感した。

だがそれも『周りが悪い。見る目が無い』と決めつけ、現実を見ようとはしなかった。

結局は安心できる環境(仲間内)に戻ってしまい、何の成長も無く・・・。

肯定的な意見しか言わない仲間内は、そりゃー居心地が良いだろう。

でも、そんな環境の中だけで生きられるわけではない。

私だって日々色んなものと闘っているし、嫌な思いをすることもある。

それも含めて人生だと思っている。


子どもとの交流を持とうとする夫を阻止したい

頻繁に連絡をしてくるようになったと思ったら、やはり要求は子どものことだった。

親権が欲しいと直接言ってきたのではない。

なんと、私抜きで連れ出そうとしていたのだ。

これには驚き、何としてでも阻止しなければと思った。

以前の連れ去りのこともあるから、私は思わず身構えた。

夫も本当はこっそり進めたかったのだろうけど、無理だったから私経由で話を進めようとしてきた。

「(子ども)ちゃんに会いたいな。日時と場所を決めて連れて来てもらえるかな」

そう言われた時には三人で会いたいのだと勘違いした。

でも違っていて、子どもを渡したら私は帰っても良いとハッキリ言われた。

二人きりになんてできるわけがない。

それを伝えたところでまた『父親の権利が~』とか言ってくるんだろうなと思ったら案の定だった。

子どもはパパが嫌いだ。

『顔も見たくない』という言葉では生ぬるいくらいに。

声を聞いただけで気持ちが落ち込み、吐き気を催すことも。

離れてもなお心の傷は癒えず、体が震えるほどの拒絶反応を示した。

虐待という残酷な経験により恐怖を植え付けられてしまったのだろう。

もう取り返しがつかないくらいに関係は悪化しているのに夫は諦めなかった。

「試してもみないうちに最初から無理だと言うのは卑怯だ」

とか

「いつまで過去を持ち出すつもりだ」

などと言われ、

「とにかく一度、(子ども)に聞いてみてくれ」

とお願いされた。

その際も、私が変に曲げて伝えるかもしれないからと(信用無いんだな・・・)、電話をつないだまま聞くように指示された。

パパの話は極力しないようにしてきたのに・・・。

困った私は一人で遊んでいる子どもの姿を見ながらどうすべきかを考えていた。

2025年11月12日水曜日

「女が外で働くと、ろくなことにならない」

頑張って家計を支えたのに・・・

夫が働けなくなってから、私は懸命に家計を支えた。

家族が安心して暮らしていけるようにと、辛いことがあっても弱音も吐かずにがんばった。

だけど、そんな思いも夫には届かなかった。

外で働いている間、子供を虐待するからいつも気が気では無くて・・・。

仕事中に何度連絡を入れたか分からない。

『今大丈夫かな、やられてないかな』

一度気にし始めたら居ても立っても居られなくなり、そのたびに電話を掛けた。

だけど、都合の悪い時には出てくれず。

何度も掛けていると、そのうち着信と共に切られるようになった。

あの時は本当に生きた心地がしなかったなぁ。

子どもがケガをしてしまうようなシーンばかり想像してしまって・・・。

そんな思いをしながらも、生活しなければならないから仕事を続けていたのだが、夫からは冷たい目を向けられていた。

「そんな仕事、将来につながるの?」

「誰にでもできる仕事をやってて大丈夫なの?」

ネガティブな発言ばかりを耳にしているうちに、いつしか自分自身も不安に思うようになった。

このままではいけない。

スキルアップしなければ、将来困ることになる。

夫に怯え、時間に追われ、家のことを全てやりながら勉強するのって本当に難しい。

やったらやったで、夫からは『今、そんなことやる時間なの?』という目を向けられるし。

本当に針のむしろでどうしたら良いか分からなかった。


仕事を続けていて良かった・・・

夫が自分本位なのは昔からだ。

無職になってから変わったわけではなく共働きの頃からだったので多少は慣れていた。

ただ、夫以外にも私の仕事に関して夫とは全く逆のスタンスで文句を言ってくる人物が居て、ダブルパンチで凹まされた。

その人物というのはお義父さんだ。

「女が外で働くと、ろくなことにならない」

と常々言っていた。

これは、仕事に行く前に夫のお昼を用意できなかった時などに発せられた言葉だ。

忙しくてついつい作らないまま出てしまうこともある。

仕事に遅れるわけにはいかないから、そういう時には申し訳ないが夫に何か自分で食べてもらっていた。

それが気に入らなかったらしい。

まずは家のこと。

それをきちんとこなした上で外での仕事だろう?と。

そう言われて反論したい気持ちももちろんあった。

でも、反論したところで分かってもらえないし、言い負かされるのは目に見えているから言わなかった。

彼らの場合、言わないと受け入れたということになってしまう。

正論なら何を言っても良いという雰囲気もあり、事あるごとに叱られるようになった。

家を出てそういう煩わしさからは解放された。

それは良かったのだが、離婚の話し合いでも同じことを言われた。

「女が外で働くと、ろくなことにならない」

これは、私が働いていなければ出ていくこともできなかっただろうから離婚も考えなかった、という意味だ。

それを聞いた瞬間、本当に心の底から『仕事を続けていて良かった』と思った。

2025年11月11日火曜日

「もっと人を信用した方が良いよ」という苦言

あの辛い日々が私を変えたのか・・・

ある人に言われた。

「もっと人を信用した方が良いよ」と。

自分では夫と出会う前の状態に戻っているつもりでいたのに・・・。

周りから見たら、そうでは無かったみたい。

言われた時はとてもショックだった。

でも、後からよくよく考えてみると思い当たる節がいくつもあった。

その時々で色んなアドバイスを受けたり相談に乗ってもらったりしたけど。

真正面から受け取めることができなかった。

有難いな~と思いつつも、『でも』という言葉が続いた。

昔は人の言うことを何でも信じてしまうタイプだったのに、ずい分変わってしまった。

その人の言葉にハッとしてこれまでのことを振り返ってみたのだが、常に壁を作って接していたように思う。

無自覚なまま人を遠ざけた。

硬い甲羅で覆われた心は衝撃を防ぐのには良かったが、周りの温度が伝わりにくくて鈍感になってしまった。

言われた瞬間、私は咄嗟に

「ごめん」

と謝った。

気まずくて、言い当てられてしまったことが恥ずかしくて、それから自分に対してショックを受けた。

「否定したいわけじゃないよ。そうしなきゃ、やって来れなかったんだろうし」

と、その人は笑った。

『こんなダメなところを笑ってくれる人で良かった』と心から思った。


「パパはどうしたの?」と言わないで

世の中には、シングルマザーを敵対視してくる人も居る。

何故だかは分からないが、そこに存在するだけで目の敵にされる。

私はだいぶ慣れたが、子どもにも攻撃をしかけてくる人はとても厄介だ。

以前、買い物に行ったら知り合いに偶然会った。

「あらお買い物?良いわね~」

と世間話を始めたその人は、急に

「パパはお留守番?」

と言い始めた。

最初は本当に忘れているだけだと思ったので、軽く事情を説明したのだが・・・。

それからも何度も夫の話を出してきて、しかもわざわざ子どもに問いかけるような真似をしてきた。

えっ、待って?

私への攻撃は甘んじて受け入れるけど、流石にそれは無いんじゃないの?

慌てて話を変えようとしたが、一向に止めてくれず。

「そろそろ失礼します」

と無理やり切り上げるまで続いた。

私が代わりに答えようにも、子どもの方しか見ておらず。

明らかに攻撃したいようだった。

終わった後にそれとなく子どもに確認したら、やっぱり『嫌だった!』と。

そりゃあそうだ。

その話題というのが、

「(子ども)ちゃんはパパに会いたくないの?」

「シングル家庭は体験格差で色んな影響があるみたいだけど(←何故か子どもに対して言ってる)」

「厳しいご家庭だと、一緒に遊ばせてもらえないんじゃないの?」

などだった。

最後のは直後は何を言っているのか分からなかったのだが、『ちゃんとした家庭の子としか遊ばせないという人が居る』ということのようだった。

私が人を信じられなくなったのは、夫のモラハラによるところが大きい。

だけどそれ以外にも原因があり、例えばこういう人が私たちの心をえぐってくるから身構えずにはいられないのだ。

それに対して怒らないからだよ、というのも良く言われるが。

どうやら私はそういう場面でもムカッっとなるタイプではないみたい。

あぁ嫌だな、早く立ち去りたいな、という感じ。

人を信用するためには、もっと強くならないと。

2025年11月10日月曜日

夫の二度目の再就職先の話

アットホームが売りの職場

一度目の再就職先は、何が何だか分からないうちに去ることになった。

決断したのは夫で、職場の人たちは引き留めてくれたらしい。

でも、待遇などに納得がいかなくて、恩を仇で返すような形で退職した。

当時は、もうこのままずっと働くことは無いんじゃないかと思っていた。

でも、その予想を覆し、夫は再び就職先を見つけてきた。

正直、この行動力には関心した。

私だったら前の職場に申し訳なく感じるだろうし、次のところで拾ってもらえる自信もない。

それが、あの人は自信たっぷりに決めてきた。

きっと、申し訳ないとか自信が無いとか、そういった感情とは無縁なのだ。

最悪なことに、あっさりと次の仕事が見つかったことで更に自信を深めた様子で・・・。

「お前もいつまでそんな職場にしがみついてるの?」

などと言われた。

私は今の職場に非常に満足している。

大変良くしてもらっているし、事あるごとに親身になって対応してくれるから。

転職なんて考えたことも無いのだが、夫はそれをバカにしていた。

鼻で笑いながら、

「上を目指せない奴はだめなんだよ」

と嫌味を言っていた。

そんな夫が選んだ職場だが、今度は非常にアットホームなところだった。

社員皆の仲が良くて、仕事終わりに和気あいあいと飲みに行くような感じ。

夫は相変わらずのテレワークだったので、それに参加することは稀だったが。

時々誘われて仕事終わりに出かけることもあった。

あの夫のことだ。

恐らく新しい職場の人たちのことも下に見て馬鹿にしていたはずだ。

それなのに、そんなことはおくびにも出さず上手くやっていた。

あれほど上手に演じられる人を、私はこれまで見たことがない。

これからも、その生き方は変わらないのだろう。

はっきり言って信頼してはいけない相手だ。


「職場の人に家族を紹介したい」と言われても

ある時、夫から

「職場の人が家族に会ってみたいって言うんだよ。いつなら都合が良い?」

と聞かれた。

私は驚いて思わず聞き返した。

「会いたいって何で?」

これは当然の疑問だろう。

近い将来離婚しようとしている二人なのだ。

私の方はすぐにでも決着をつけたかったが、夫の方は結論を焦ってはおらず、温度差はあったかもしれない。

でも、『離婚』という問題があったことだけは確かだった。

絶対に家族として紹介されたくなかったので、この時は断固として拒否し続けて、

「行くのは厳しい」

と言い続けた。

本当は夫だって分かっていたはずなのに、

「何が厳しいの?」

などとすっとぼけてしばらく言い続けていたが、いつの間にか止んだ。

ホッとしたのも束の間、今度は会社でリクリエーションがあるとかで。

それには家族も参加するという旨の話をされた。

何としてでも職場の人に会わせたい。

そういう執念を感じてしまい、恐ろしくなった。

夫がここまで執着している時は何か裏がある。

単に会いに行くだけなら、これほどしつこくは言ってこないはずだ。

その目的が分からなくて、怯えながら夫からの連絡をスルーし続けた。

2025年11月8日土曜日

私の仕事が順調だと気に入らない夫

仕事の話は厳禁

私が再就職した頃、夫は既に無職だったので非常に気を使った。

あまり仕事の話をしても嫌な思いをさせてしまうかもしれない。

そう思って、できるだけ仕事の話は避けた。

でも、私から話題を振らなくても何故か夫が聞いてくる。

聞いてくる割には『ふ~ん』という薄い反応で。

だったら聞かなければ良いのに、と思いながらも内心ヒヤヒヤした。

薄い反応なら、まだ機嫌が良い。

これが舌打ちをしたり嫌味を言い出したら要注意だ。

間もなく爆発する合図なので、私たちは警戒しなければならなかった。

いつ怒り出すか分からないから、基本的には絶えず注意しながら暮らしていた。

でも、たまには気を抜いてしまうこともある。

そういう時に限って夫が爆発するから、気を抜く=危険みたいな意識が未だに消えない。

無事に再就職した後、夫はいつも以上に職場のことを聞いて来た。

聞かれたら答えなければならないから、当たり障りのない回答に徹した。

答えながら『早くこの話題を切り上げなくちゃ』と思っていたのだが。

その答えに対する質問をされたりして、結局何度かの会話のラリーが続くことが多かった。

当時は『少しは興味があるのかな』なんて思ったりしたんだけど。

違ったようだ。

その会話の内容によって夫の機嫌が変わることに気づき、ある法則を見つけた。

それは、仕事が順調だと不機嫌になり、何かトラブルがあるとご機嫌だということ。

これってただ単に性格が悪いだけ?

それとも私のことが気に入らないの?

気づいてからは『どうしてなんだろう』と悩んだ。

悩んだって仕方が無いんだけどね。

これは夫のサイコパス味のある性格のほんの一部。

何ならまだ穏やかなエピソードだと言える。

足を引っ張りたいとかそういうんでも無く、ただ単に上手くいかない私を見ることに喜びを感じていただけ。

そんな本性が分かった時、それまで以上に夫のことが恐ろしくなった。


人の失敗は蜜の味?

ある時、仕事で失敗してしまった。

その話を家でしたのだが、夫の嬉しそうなことと言ったら。

あの人がこんなにもご機嫌に人の話を聞くなんて非常にレアだった。

新鮮な体験ではあったが、一方で心はドヨンとした。

妻が失敗したことを喜ぶなんて、人としてどうかしてる。

それを、夫の機嫌が良くなるかもしれないからと話す私の方もおかしい。

どっちもどっちの夫婦だったのだと思う。

それでも家庭内の平和を保つためなら自分の失敗談を話すくらいわけないと思った。

夫が不機嫌な時はとにかく怖くて息苦しくて。

それを回避するためなら手段を選んでいられなかったことも事実。

機嫌が悪くなると虐待される子どもが可哀そうで、何とかしなければと思った。

私が仕事に行っている間が一番の問題だった。

その間に何かされたら助けられないから。

対策を講じたくて、せっせと夫の機嫌を取り始めた。

でも、一度始めたら雁字搦めになってしまい、どんどん失われて行く自由。

いつしか子どもにまで影響が出始めて、まだ小さいのに

「パパが怒るからやめようよ」

と言うようになった。

夫が少しでも大きな声を出したり手を振り上げたりすると、ビクッとしていることにも気づいた。

多分、叩かれているうちに反射的に身構えるようになってしまったのだ。

心にも体にも虐待の記憶が刻まれ、気づかないうちに深い傷を負っていた。

2025年11月7日金曜日

「お前、会社の人に嫌われてるよ」と夫が忠告してくる怪

転職後間もなく言われ始めた言葉

必死の転職活動を経て、ようやく手に入れた仕事だった。

内定をもらうまで何十社受けたか分からない。

履歴書と職務経歴書だけなら腐るほど書いた。

それでもなかなか通過できなくて面接にも呼ばれない日々。

一体いつになったら仕事が決まるのかと絶望したこともある。

そんな中、『是非うちに来てください』と言ってくれたのが今の会社だった。

本当に嬉しくて有難くて、一生懸命恩返ししなければと思った。

そういう思いもあり、少々気負いながら働き始めたのだが・・・。

勤務し始めて早々、夫から嫌なことを言われた。

それは、

「お前、会社の人に嫌われてるよ」

というものだった。

言っておくが、夫は私の会社の人と会ったこともなければ、どういう人たちが働いているのかも知らない。

それなのに、急にこんなことを言い出した。

言われた方はポカーンとして、それからゾッとした。

あの当時はどっぷりと洗脳状態だったので、『夫はそんなことまで分かっちゃうの?!怖っ!』と思ったのだ。

冷静に考えたらそんなはずが無い。

今なら分かるのだが。

洗脳というのは恐ろしいもので夫の言うことは絶対だった。

そこに微塵も疑いが無かったと言えばウソになる。

ただ、疑った後、そんな風に考えてしまう自分をさもしいと思った。

夫は私のことを思って言ってくれているのにって。

それからも事あるごとに言われ続け、どんどん自信がなくなった。

いつしか仕事にも支障をきたすようになり・・・。

ある時、職場の上司から、

「少しお話しましょうか」

と声を掛けられた。


謝ってばかりだったあの頃

上司は怒っている訳では無かった。

会議室に入る前、私は酷く緊張していたのだが、ドアの前で深呼吸していたら誰かに肩を叩かれた。

振り返ると、そこには教育係の先輩が立っていた。

そして、

「何か困ってることがあるんじゃないかって心配してたよ」

と教えてくれた。

そうか。

私、心配されてたのか。

その時初めて『周りの人たちが皆私をダメだと思って怒っているわけではない』という当たり前のことに気づけた。

会議室に入ると上司が柔和な表情で座っていて、向かいの席に座るように促してきた。

「お仕事は大分慣れましたか?何か困っていることはありますか?」

と聞かれた時の安堵は今でも覚えている。

先輩の言うことは本当だったんだ。

ホッとするのと同時に、心配をかけてしまって申し訳ないなという気持ちもあった。

でも、仕事では特に辛いとか困っていることは無かったのでそれを正直に伝えた。

それよりも、迷惑を掛けているんじゃないかと言うことの方が気になっていたので聞いてみた。

そうしたら、上司は

「迷惑なんて誰もかけられてないよ。それに万が一上の人たちに助けてもらうことがあったとしても、それは成長する上で必要なことだから。後ろめたく思わなくて良いんだよ」

と言ってくれた。

その時、上司が神様に見えた(笑)

ただ、こんなに優しくしてもらって良いのだろうかという戸惑いも覚えた。

実はこの件は私にとって非常に大きなことで、夫の発言を疑うきっかけにもなった。

だけど、まだまだ『夫の言うことが一番正しい』という状態で、その気づきに確信もなくて。

そのまましばらくは夫の言いなりだった。

2025年11月6日木曜日

子どもに「ママみたいにはなるなよ」とのたまう夫

自分が特別な存在だと信じて疑わない

夫はよく、『自分はそこら辺の人たちとは違って特別な存在だ』というニュアンスのことを言っていた。

さすがに直接的な表現では無いのだけれど。

言葉の端々から『特別なんだから敬え』という思いが透けて見えた。

はっきり言ってこんな考えを持つ夫は非常に面倒くさい。

普通の対応で納得してくれることは無かった。

対応を間違えると怒られるのだけれど、怒られたって私にはそう見えないんだからしょうがない。

無反応を貫いていればそのうち気も収まるだろうだろうと静観するも・・・。

その予想はだいたい外れていた。

何度も同じことを繰り返して学習したが、私が尊敬の念を表すまで夫の不機嫌は続いた。

余談だが、私は嘘をつけない。

本当は夫のことを尊敬していないのに、表面上だけ取り繕うことがどうしてもできなかった。

だけど、そのままでは事態は悪化の一途を辿る。

だから、何とか上手くやり過ごそうとした。

実際にはそんな夫を冷めた気持ちで見ているんだけど、表向きは持ち上げて褒めるという・・・。

やってる最中『私、何やってるんだろう』と虚しくなったが、家庭の平和を守るためには仕方が無かった。

心にもないことを言っていると、そのうちこちらの気持ちも荒んでくる。

何でこんな風に嘘をつかなければならないのか。

自分がやっていることに対して罪悪感のようなものも生まれた。

それで段々と苦しくなって、こんな不毛な時間が長引かないように話題を変えたりした。


「子どもは自分似」と思い込みたい夫

虐待していた割には、夫はよく子どもを『自分似』だと言っていた。

ただし、それは貶す時以外。

気に入らないことがあって怒った時などは、

「ママにそっくり!」

と言っていた。

子どもも自分に似ていることを喜ぶだろうと夫は思っていたようだが。

そんなわけがない。

内心、夫に似ていると言うのを耳にすると酷く落胆していた。

「えっ、(あんな最低な)パパに似ているの?」

とにわかには信じられない様子だった。

それでよく私に

「ねぇ、どの辺がパパに似てるの?」

と聞いて来た。

もちろん私は全力で否定して、

「似てるところなんて無いよ。ゼロだよ。100%ママ似」

と言っていたけど、これはあながち嘘ではない。

というのも、子どもは良いのか悪いのか衝撃的なことが起きてもしばらく経つとケロッとしていた。

これはまさに私の特徴で、夫と正反対の部分。

その上、のんびりマイペースで可愛い物が大好き。

それに対し、夫はせっかちでいつもイライラしていた。

可愛いものを愛でる私たちを冷ややかな目で見ながら、なぜか不服そうにしていたのも印象深い。

今でもなぜ不服そうにしていたのかは分からない。

怒った時に子どもや私の大事にしていた可愛いものを捨てようとするので、『やっぱり好ましく思ってないんだな』というのは感じた。

夫はよく怒鳴ったり子どもに暴力を振るったり、長期間無視を続けたりした。

私たちの大事なものを捨ててしまったことも。

わざわざそんなことをしてまで悲しませたいんだなと思っていたし、家族からどう思われようが構わないんだと思っていた。

あんなことをしておいて好かれるはずがないから、それも自覚した上でのことだろうと考えていたが・・・。

どうやら何をしても家族にとって特別な存在だと信じていたらしい。

だからあんなにも強気だったのだ。

実際のところは、二人とも好きとか尊敬とは真逆の感情を抱いていた。

生涯覆ることはないだろう、強烈な拒否感と共に。

2025年11月5日水曜日

夫の二度目の再就職

何故、夫は採用されるのか

長い長いブランクを経て再就職先を決めた時、私は正直驚いた。

もう夫は働けないだろうと思っていたからだ。

働きたいと思っていても採用してくれる会社がなければ実現できない。

夫の場合はあまりにもブランクが長すぎたため絶望的に思えた。

だが、そんな予想を覆し、早々に再就職先を決めた。

あの時はもう、あっぱれと言うしか無かった。

私だったら到底無理な話だ。

手に職というほどのスキルもないし、同じような経験を持つ人は大勢居る。

夫だって決してレアなスキルを持っているわけではないが、どういう訳がスムーズに決まった。

ただ、その仕事も数か月であっさり辞めた。

本人にしてみればあっさりでも無かったのかもしれないが。

傍から見ると、ラッキーを使い果たして手に入れた職なのに勿体ない気がした。

その数か月の間にも本当に色んなことがあった。

夫との離婚交渉がとん挫したり具合が悪くなったり。

義実家関連でも相変わらず問題が発生したりして。

とうとう落ち着かないまま職を手放した。

その時、もう夫は働けないのだと思った。

再就職後の夫は自分の待遇とかポジションに固執して会社への不満を募らせていた。

それを爆発させて辞めたわけだが、どこに行ってもそういうことはあると思う。

また同じようなことを繰り返すんだろうな、と思ったら再就職は厳しい感じがした。

そもそも、長いブランク → 再就職後数か月で離脱 という人を雇いたい会社があるだろうか。

私は無理だと思ったので、この件は二度と触れないでおこうと決めた。

それなのに・・・。

義両親が義実家に戻ってから数か月後、いきなり夫が二度目の再就職を果たした。

その時も実にあっさりと内定を勝ち取ったようで、本当に驚いた。


自分の生活費を出して欲しい

二度目の再就職先も一度目と同じような仕事内容だった。

だから決めたんだろうけど、また数か月で辞めたら今度こそ次は無いだろうなと思った。

そんな私の心配をよそに、内定した瞬間から夫は再びマウントを取り始めた。

威張られるのも下に見られるのも慣れているから構わない。

「あんな仕事でよくモチベーション保てるな」

という嫌味もスルーできる。

ただ、稼いでいるのなら自分の生活費くらい出して欲しくて、交渉しようかずっと迷っていた。

このくだり、何度繰り返したか分からない。

収入がある間に話を進めてしまわなければと焦って交渉するのだが。

やはり夫の方が上手なのだ。

口が上手いから、気づいたら言いくるめられていることが多くて、私の思い通りにいった試しが無かった。

それでも諦めたらそこで終わりだと思い、何度も交渉を試みた。

あんまりしつこくすると逆鱗に触れて何をしでかすか分からないから。

そのあたりの匙加減も非常に難しくて・・・。

必要以上に慎重になり過ぎてしまった。

でも、そんな努力が実を結び、二度目の再就職の時には何とガス代だけ払ってもらえることになった!

電気代も払って欲しかったけど、それを言ったらガス代の方まで無かったことにされそうで言うのを止めた。

そこに私たちは住んでおらず、使っているのは夫や夫の関係者だけだ。

義両親だったり、夫の友人だったり。

いずれにしても私には関係が無いのだから、本来は夫が払うべきだと思う。

でも、夫の理論では『部屋の契約をしている人が払うべき』ということになるので。

結局、夫が譲歩して温情で払ってくれている体になった。

納得がいかないけれど、払ってもらわないよりは良い。

こんな感じで、私は色んなことを我慢して妥協して譲歩を引き出してきた。

そうでもしなければ交渉のテーブルにつくこともできなかった。

夫の方は、本当は金銭的にも余裕があって出す気になれば出せるのに。

必死で交渉するこちらの反応を見て楽しんでいるようだった。

2025年11月4日火曜日

風邪を引くのも怖かったあの頃

体調不良は自己責任

普段から些細なことで腹を立て、理不尽な怒りをぶつけてくることの多かった夫。

体調不良にも非常に厳しかった。

どんなに気を付けていても、風邪くらい引く時はある。

だが、夫はそれを許さなかった。

咳が出れば冷たい目で見られ、鼻をかめばため息をつかれた。

わざわざ近くに座ってそういうリアクションを取ってくるんだから。

意味不明としか言いようがない。

うつりたくなければ遠くに居れば良いものを。

あえて近くに座って、後日、

「お前の風邪うつったわ」

と嫌味を言ってきた。

そう言われるのが嫌だから、家の中でもマスクをしていたんだけど。

マスクくらいじゃ防げないというのが夫の持論だった。

そもそも体調不良に陥ることが怠慢だと。

そんな風に責められても引いてしまった風邪が早く治るわけでもなく・・・。

治るまでずっと針のむしろでシンドイ思いをした。

ある時、子どもの保育園のお迎え時間になっても熱が下がらず、夫に

「今日だけお迎えお願いできないかな」

と言ってみたことがあった。

あまり期待はしてなかったけど、行ってくれたらラッキーくらいの気持ちで。

そうしたら、目を吊り上げながら

「何でお前の尻ぬぐいをしなくちゃならねーんだよ!」

と怒鳴り、

「自分のせいなんだから自分で何とかしろよ!」

と却下された。

その後も、『自己管理がなってない』とか散々な言われようで、もう二度と頼むまいと心に誓った。


自分は微熱でも大騒ぎ

仕方なくお迎えに行き、フラフラしながら夕飯を作った。

夜になり、ようやく横になれると思って熱を測ってみたら38度超え。

明日には下がっていると良いなぁと思いながら眠りについた。

そのまま朝まで寝られれば良かったんだけど。

何とその晩、夫に起こされた。

横になって少ししてからのことだったので、多分深夜だと思う。

私を呼ぶ声が聞こえてきて、ふと目を開けると夫が自分の額に手を当てながら、

「俺駄目だわ。熱出てきた。悪いんだけど薬出してくれる?」

と言っていた。

『えっ、そんなの自分で出せばいいじゃん』

と思ったけれど、また不貞腐れそうだから仕方なく起きて薬箱を出してきた。

そうしたら、

「薬を飲むと胃が悪くなるかもしれないから胃薬も必要か」

などと言い出し、いつも飲んでいるのを出してあげたら今度は、

「氷枕ってあったかな」

と催促してきた。

この時、私は恐らくまだ38度超えていて、夫は微熱だった。

37度を少し超えた体温計を見せられながら、

「そっか。うつしちゃったかな。上がったら大変だから気を付けなくちゃね」

と心にもない事を言いつつ、内心は『早く寝かせてくれ』と思っていた。

全ての用事を済ませ、ようやく寝られると思いホッとしていた頃。

夫が子どもにすり寄って

「パパ風邪引いちゃった。(子ども)ちゃんにうつらないと良いな」

と言いながら顔をピトッとくっつけているのを発見。

ゾッとした。

うつらないと良いなと言いながら、うつそうとしているようにしか見えなくて。

しかも普段虐待しているくせに、気弱になった時だけ子どもを求めるという・・・。

夫はそういう人だったので、はっきり言って親身になって世話をしてもらったことはない。

そのくせ、自分は些細なことで重病みたいに振舞ってお世話を強要した。

高熱で横になっている時に、

「ったく!いつまで怠ければ気が済むんだよ」

と言われるのも嫌だった。

そんな時、子どもがそっと傍に寄ってきて小さな声で

「ママ、大丈夫?」

と気遣ってくれることが多かった。

本当は子どもにそういうのを背負わせてはいけないし、モラハラと闘うのだって巻き込んではいけない。

それは分かっているんだけど。

離れた今思うのは、『子どもと一緒に闘ったんだな』ということだ。

2025年11月3日月曜日

子どもの進路-理系以外は認めない!と言うモラハラ夫

文系を見下し、全否定

子どもが元気で楽しく過ごしている姿を見ると、しみじみと幸せだな~と思う。

親だから色々と欲は出てくるが。

結局は元気で居てくれるだけで良い、という所に落ち着く。

それが夫には理解できないようだった。

親なら子どもを『もっと高い所に』と思うのは当たり前だろう?と。

私だって欲が無いわけじゃない。

ただ、その欲は私の理想を押し付けたいのではなくて、ただただ子どもの将来を想ってのことだ。

幸せに過ごして欲しい。

その一心で良い所を伸ばしてあげたいと思った。

それを、よく夫に馬鹿にされた。

「お前は甘いんだよ」

と鼻で笑われ、

「世間の厳しさを分かってない」

と非難された。

夫がヤキモキしていたのは、私の将来への展望に具体性が無いからだそうだ。

ふんわりと『こんな感じになって欲しい』じゃダメなんだそうだ。

親の役目を放棄しているとまで言われ、

「俺は理系しか認めない!」

と断言された。

何故だか夫は理系信奉者だった。

学生時代のハードさが全然違うとかで、よく私にも

「お前は学生時代暇だっただろ?」

と言っていた。

うちは大学時代が夫と被ってないんだけど。

もし同じ時期で偶然すれ違うことがあったとしても、きっと友達にはなれなかった。

それくらい、合わない二人だと思う。


保育園時代から算数ばかり

理系に進んで欲しい夫にとって、日々の勉強は大事だった。

「幼い頃から数字に触れさせて数学的センスを伸ばしたい」

とよく言っていた。

それが無理のない範囲で行われているのなら私も何も言うつもりは無かったのに。

夫の指導はどんどんエスカレートしていった。

スパルタ教育によって疲弊していく子ども。

できないと怒鳴られて叩かれて、ご飯抜きを宣告される。

これが虐待でないと言うのなら一体何なのか。

最悪なことに、子どもを正座させてその横で自分はご飯を食べていた。

「お前も食事しろ」

と言われたって、そんな状況では喉を通らない。

食べなければ食べないで今度は夫から怒られるから少量を口に運んでずっと噛んでいた。

心の中で子どもに謝りながら。

夫が寝静まった後、子どもにこっそりご飯をあげようとするんだけど。

大抵は幼い子どもの方が先に寝てしまう。

つまり、その日は夕飯無しで就寝したということだ。

最初はポツリポツリとそういう日があり。

大きくなるにつれて段々と増えていった。

小学生になると、休日は1食しか食べられないことも。

そういう偏狭な考え方によって子どもが受けた影響は計り知れない。

算数が出来なければ、まるで『出来損ないの無価値な人間』のように扱われ・・・。

段々と自信を失くした子どもは夫の顔色ばかり窺うようになった。

算数以外は成績が悪くても許されていたのか?と言うと、そうでも無い。

他の教科も成績が悪ければ罰を与えられた。

小学生の子どもに理系か文系かだなんて言われても、まだどちらに進むかも分からない。

それを夫は認めず、子どもに選択する自由は一切与えられなかった。

2025年11月1日土曜日

別居して初めて夫の収入を知った私

被害者意識の強い夫

身バレが怖くて色々とボカしているが夫は専門職だ。

本気で仕事をすれば、それなりに稼げる。

だけど働いていない期間が長かったし、これからもあまり働く気はなさそうだった。

だから、

「お前の経済力では子どもを任せられない」

と言われた時には反論した。

「これからもずっと働き続けて一生懸命養っていくつもりだよ」

そう伝えたら夫の顔色がみるみる変わり、声を荒げながら

「お前がどんなに一生懸命働いたって俺と同じレベルで稼げねーだろ!」

と言ってきた。

確かに同じレベルというのは不可能かもしれない。

でも、夫の無職期間を考えたらトータルではそれほど変わらないのではないかと思った。

ただ、そんなことを言えば更に怒らせるだけなので黙っていた。

その時、私は『そー言えば夫のお給料の額を知らないな』なんて考えていた。

結婚してからも財布を任されたことはない。

明細を見せてもらったこともない。

本人の口からざっくりとでも額を教えてもらったこともない。

だから『たくさんもらっている』と言われてもピンと来なかった。

私たちの場合、こういう普通の会話でも怒らせてしまうことがある。

夫の被害者意識が驚くほど強いからだ。

話し合いの中で貶めるようなことは一切言っていないのだが、私の『働き続ける』という言葉に反応し、

「それは俺への嫌味なのか!」

と怒っていた。

暗に無職であることを非難されていると感じたようだ。

そのつもりがなくても、こうやって勝手に『傷ついた!』と騒ぐことが多くて非常に気を使った。

これじゃあ意見を言うことも躊躇ってしまう。

一緒に暮らしていた頃は毎日が夫の機嫌との闘いだったので多少の慣れがあった。

でも、離れてそういった煩わしさから解放されている間に察知する勘のようなものが薄れてしまったようだ。


夫から見せつけられた給与明細

その日、何と夫は給与明細を持参していた。

もちろん私が求めたものではない。

見せつけるために持ってきたのだろう。

あるいは、私との差を分からせるために用意したのか。

どちらにしても、『俺の方が有利だ』というのを示したいんだなと思った。

『見ろ!』と言わんばかりにテーブルの上に無造作に置かれた夫の明細。

思わず二度見してしまった。

上の段の総支給額に目がいったのだが、その額は私の倍以上だった。

あんなにブランクがあり、久々の就職だったのに。

私なんて産休+育休の1か月くらいしか休んでいない。

もう少し自宅で子どもを見たかったけど、夫から

「復帰が遅くなると働くのが嫌になるぞ」

と釘を刺されて、早々に復帰した。

もう既に辞めてしまったとは言え、やっぱり夫の方が稼ぐのだということが明確になった。

思わず、

「凄い・・・」

とポツリと呟いたら、自慢げに

「その前は、もっと貰ってたよ」

と言い、

「これを見たら自分がどれほど無謀なことを言っているのか分かるだろ」

と呆れているようだった。

夫と話していると酷く落ち込むことがある。

『何もできない無能な人間が自分の要望ばかり語るなよ』と言われているようで、途端に自信を失くした。

授業中、いつも外を眺めていた子ども

個人面談で言われたこと 低学年の頃、うちの子の担任は若い女性の先生だった。 物腰が柔らかくて静かに話す人で、子どもたちからも慕われていた。 その先生と初めてゆっくり話したのが個人面談の時。 私の方は勝手が分からずとても緊張してたのだが、時折微笑みながら丁寧に話をしてくれた。 普段...