2025年8月27日水曜日

別居後、へそくりを貯めた

節約ばかりの結婚生活

一緒に居た頃も無駄遣いはしていなかった。

むしろ倹約倹約で、現代人の生活からはかけ離れていた。

それでもお金は貯まらず。

急な出費にも苦労するような生活だった。

このままでは子どもが大きくなってから更に厳しくなるのではないか。

そんな将来への不安に怯えることも・・・。

夫の方は何故か妙な自信を持っていて、

「そんなに不安なら俺が全部管理してやる」

と私から家計管理を取り上げた。

ちなみに、共働きの頃も夫のお金は管理していない。

私たちは別財布で、必要経費を折半していた。

夫が無職になった後は一人で生活を支えることに。

必要経費を出すと残りは僅かで、お小遣いという概念も無くなった。

与えられたお金をどうやり繰りするかで頭を悩ませたあの頃。

仕事帰りにスーパーに立ち寄ると、どうしても割引シールのあるものに目がいった。

本当は別の物が食べたくても、贅沢してしまうと帰ってから叱られるから。

もっともコスパの良いものを選ぶようになった。

ただ、たとえ安売りされていても、それが夫の好物でなければ機嫌を損ねた。

一番難しいのが、好物を買ったはずなのに『そういう気分じゃない』と言われた時だ。

そんなの、私からすれば分からないのだから防ぎようがない。

でも、怒られるのも嫌なので、買い物前に確認するようになった。

「今日は○○にしようと思うんだけど、どうかな」

いつしかそれが義務になり、報告を忘れた時にはなじられた。

買うものを決める時、そこに子どもや私の意思は反映されない。

私たちが何を食べたいかなんて、夫にはどうでも良い話だったのだ。

パーソナリティ障害の夫の扱いはとても難しい。

正しいと思ってやったことでも怒らせてしまうことがある。

怒らせると長引くし、虐待も酷くなるから。

気を使って何でも先回りして、夫から許可を得たものしか買わなくなった。

行動も夫の機嫌により制限され、私たちは意思を持たない人形のような日々を送った。


監視されない生活は快適

別居後、監視されない生活はこれほどまでに快適なのかと感激した。

お金の面は不安だったけど。

お金か自由かの選択を迫られたら、間違いなく自由を選ぶと思う。

それくらい、監視されないというだけで私たちの心は解放され満たされた。

ただ、将来のことを考えるとそんなことばかり言っていられない。

現実を見据えると、どうしてもお金が必要になってくる。

監視の目が無くなった時点で貯金をチェックしてくる人も居なくなったわけで。

私はせっせとへそくりを貯め始めた。

これは全て子どものためだ。

将来子どもがやりたいことを我慢しなくて済むように。

その一心でちょっとずつ貯めた。

一緒に居る頃も小銭を貯めていたが、夫に見つかりそうになったりして心臓が凍り付くような思いをした。

それと比べれば節約なんて苦ではない。

むしろ、未来に向かって進んでいる気がして嬉しかった。

夫と関わらない時の私はすこぶる元気でパワフルだ。

驚いたのは、離れてから急に子どもの背が伸びたこと。

それまでは非常に小さくて弱々しかったのに。

別居後はぐんぐん伸びて少しだけしっかりしたように見えた。

やっぱり虐待って子どもの成長に影響を及ぼすのだと思う。

うちの子なんて、数か月後の体重が前より減っていたなんてこともあったくらいだから。

成長期の子どもにはあるまじきことで、それはそれは心配した。

でも、夫は全く気にも留めず、

「俺も先月より減ったわ~」

と言った。

あなたの話なんて聞いて無いんだよ(怒)

大人が減るのと子どもが減るのとでは訳が違う。

そう伝えたら、『ないがしろにされた』と勘違いした夫はヘソを曲げた。

そして、1週間以上口をきかなくなり、物を壊したり大きな音を立てたり。

ご飯にも手をつけず毎回捨てられて、義両親にも告げ口された。

更に、私が居ない間に子どもを虐めていたことも分かった。

ああいうことが積み重なって、私は夫のことを受け入れられなくなった。

夫のおばあちゃんが亡くなった

突然の知らせ 夫の母方のおばあちゃんが亡くなった。 遠方に住んでいて、大人になってからはほとんど会うことは無かった。 それでも、やはり堪えたようで。 いつもは絶対にしないのに珍しくお義兄さんに連絡したり、過去のエピソードを話してくれた。 寂しそうに、 「もう一度会いたかった」 と...