2025年8月31日日曜日

「仕事辞めようかな」という夫からの相談

こういう時だけ私に言われても・・・

薄々気づいてはいたが。

夫が早々に仕事を辞めたくなっていた。

ゲーミング女子とのやり取りが忙しいようで、しばらく音沙汰が無かったのに。

「ちょっと相談したいことがあるんだ」

と急に言ってきた。

嫌な予感がした。

夫がこういう切り出し方をする時って、大抵良い話ではない。

むしろその逆で、問題が起こりそうだった。

どうせ悪いことが起こるのなら、せめて結果だけ知らせて欲しい。

そう思っても、いつも私を巻き込もうとした。

本当は関わりたくなかったけど聞かざる得ないような雰囲気もあり、仕方なく

「どうしたの?」

と聞いたら、

「俺さ、今の仕事辞めようと思うんだけど、どう思う?」

と質問された。

どう思うも何も・・・。

自分で辞めると決めたら誰に何を言われようがその意見を変えることは無いではないか。

それなら、わざわざ周りに意見を仰ぐようなことをするべきではない。

自分の意思だけで辞めれば良いのだ。

咄嗟にそう思い、

「もう決めてるんでしょ?」

と言った。

そうしたら、

「まだ迷ってるんだよ。お前の意見を聞いてから決めようと思ってさ」

と言うので、私は言葉に詰まった。

これはトラップだ。

どちらに転んでも私に非があるように言われてしまう。

例えば、『もう少し続けたら?』と助言した場合。

そう言われた夫が耐えきれなくなって辞めた時に、『あいつのせいで無理をした。そのせいで体調が悪くなった』となってしまう。

『辛いなら辞めても良いんじゃないの?』と助言した場合。

次の仕事がなかなか決まらなければ、きっと私のせいになるだろう。

お金が無いことも私のせいにされてしまうかもしれない。

更に無職を正当化されるリスクもある。

結局のところ、どちらの意見を伝えたとしても良い結末など迎えない。

それが分かっているのに意見なんて言いたくなかった。

でも夫は曖昧な態度を許さず、答えを求めてきた。

こうなると面倒くさい。

非常に面倒くさくて、聞かなかったことにしたいくらい。

何ならその部分の記憶を消してくれて構わないよ?とも思ったが。

私に話した時点で、既に夫の決断に対する責任の一端を背負わされることが決定してしまった。


「夫は辞めたいのだな」と分かった

その先のことを考えると、良い言葉が思い浮かばなかった。

それでどっちつかずの態度を取り続け、最後まで明確な答えを避けた。

夫にしてみたら、これは予想外だったのだろう。

「真剣に考えてくれないんだな!」

とすっかりへそを曲げてしまった。

自分の行動に対し、誰かに責任を負って欲しいというのがそもそもおかしな話だ。

それを平然とやってのける夫の思考が歪んでいるのだと思う。

怖くてそんなこと言えないけど・・・。

この件以来、私は夫から『仕事辞めたよ』という連絡がいつ来るかと身構えた。

すぐかもしれないし、数か月後かもしれない。

少なくとも年単位の話ではないことは分かった。

夫がああいう風に言い始めたら、たぶんもう辞めることは決まっている。

あとは状況が許すのを待つだけ、といったところか。

普段よりも探るように聞いてきたのは、恐らくだが親権を考慮したのだと推察した。

というのも、一度は諦めたはずの親権を再度要求してきて困った状況に陥っていたからだ。

義両親からの要望だということも分かっていた。

不利な状況を作らないように、辞める前に先まわりして私に連絡してきたわけだ。

そういう点は本当に抜かりが無くて、だからこそ怖いと思った。

ぼんやりと対応していたら、簡単に形勢が逆転してしまう。

この頃、別れた元夫から危害を加えられた方のニュースを頻繁に耳にするようになった。

それだけは避けなければならない。

だから居場所も明かせないし、住所を知られてしまっている家族のことを案じた。

夫を追いつめないように慎重に事を運ばなければならなかった。

2025年8月30日土曜日

子どもに服を買ってあげたい、と連絡してきた義両親

孫に何かしてあげたいお義母さん

別居を始めてから数か月が経過した頃、お義母さんから

「(子ども)」に服を買ってあげたい」

という連絡がきた。

家を出てさぞかし厳しい生活を送っているに違いない、と思われたようだ。

実際、家を出たばかりの頃はお金も無い、将来への展望もない、部屋も借りられないのナイナイ尽くしで途方にくれた。

でも、それから少しずつ整えて何とか落ち着く環境を作ることができた。

だから、私的には以前よりも充実していたのだが。

どんなに説明しても無理をしているのに隠していると勘違いされた。

それで不憫に思ったのか、色んな提案をしてくれた。

そのうちの一つが子どもの服。

子どもってどんどん大きくなるから、確かに頻繁に新調しなければならなくて大変だ。

ただ、それも楽しみではある。

どれくらい大きくなったのかな。

こんな服をもう着られるのかーみたいな。

だから、私は子どもの服を買いに行くのがとても楽しみだ。

申し訳ないのもあり、声を掛けられてもずっと断っていたのだが、

「遠慮ばっかりして。せめて私たちのことは頼ってくれて良いのよ」

と言われ、ずっと断り続けるのも良くないのかな~と思い始めた。

夫の家はお義兄さんのところに子どもが居なくて、孫はうちの子一人だ。

何かしてあげたい、という気持ちも分かる。

だけど、義実家も大変な状況にあり、お金の面でも苦労していることを知っていた。

お義兄さんの事とか諸々考えたらやはり買ってもらうべきではないと考え、最終的に断った。

断った時、とてもがっかりしたように、

「あなたも頑固ねぇ」

と言われ苦笑い。

だって色々考えちゃうんだもの。

それに、うちの子は義両親のことも警戒しているから『一緒に買いに行こう』と誘ったって喜ばない。

むしろ、『え~行かなきゃだめ?』という雰囲気になると思う。

これまでの事があるから、ある意味仕方がないのだけれど。

拒否反応を示されていることが分かったら、きっと義両親もショックを受けるだろう。

だったら最初からコンタクトを取らずに時間が過ぎるのを待つ方が良いのだ。


「子どもの服くらい、自分で何とかしろ!」

義両親が良かれと思って声を掛けてくれても、夫がそれを快く思わない。

そんなやり取りがあったことを知ると途端に機嫌が悪くなって、

「子どもの服くらい、自分で何とかしろ!」

とキレた。

ちゃんと断っているのにキレられるんだから。

本当に話にならない。

それで、

「買ってもらおうとは思ってないよ」

と伝えると、

「当たり前だ!お前の意思で勝手に出て行ったんだからな!」

と返される。

もうお決まりのパターンだ。

色んな場面で同じようなやり取りが繰り返され、私も悟った。

この人は私たちのためにお金を使うのが嫌なのだ、と。

義両親が孫のために何かを買うのも許せないらしい。

このような面だけを見ても、やはり私たちへの愛情は無いのだと思わずにはいられなかった。

それに加え、モラハラ虐待という事実があり・・・。

きっと夫は都合の良いサンドバッグが欲しいのだと感じた。

あとは世間体。

家族を持って幸せに暮らし、誰からも尊敬される自分。

そんな自分を引き立てる役目として私や子どもがいて。

理想を叶えるための道具でしか無かった。

2025年8月29日金曜日

息子のゲーム密会を知った義両親

親って、子どもがいくつになっても親なんだな

夜な夜なゲームを楽しんでいた夫。

そこにはいつもあの女性が居て。

オンライン上でつながっているだけの相手だけど、二人はとても仲が良さそうだった。

私は夫から聞いた話しか分からないけど。

義両親の場合にはそれを間近で見ていた。

最初は話しながらゲームをしたりするというのがイマイチ理解できなかったようで・・・。

「今の若い人はああいうのが楽しいの?」

なんて、お義母さんが怪訝そうに言っていた。

この時はまだ純粋にゲームをしているだけだと思っていたみたい。

仕事を再開してストレスもあるだろう、という気遣いもあったのかもしれない。

それが段々と不快感を示すようになった。

こちらに連絡が来るのはごく稀だったが、その時にいつも、

「私たちはああいうのを良く思ってないのよ」

と言っていた。

ちゃんと息子を監視している。

間違いが起こらないように気を配っている。

そんなアピールをしている感じがした。

次第に二人の仲の良さにヤキモキし始めた義両親。

夫に苦言を呈することも増え、義家族内の関係もぎくしゃくした。

夫がお義父さんやお義母さんのことを、

「最近、口うるさいんだよ」

と愚痴ることがあったのだが、煩わしく思っているだけで改める様子は無かった。

そんな息子に更にイライラする二人。

夫の話からは、その様子が手に取るように分かった。

親って本当に大変だ。

子どもがいくつになっても心配したり怒ったり。

きっと私もそうなるんだろう。

当の本人は人の言うことを聞くようなタイプではないので、『俺に指図するな!』という態度を貫いていた。


義両親の邪魔の仕方が面白い

夫がゲームを始めると、義両親があの手この手で邪魔するようになった。

その方法が面白くて・・・。

例えば、わざわざそばまで行って急に咳き込んだり。

ゲームしているのを知っているのに、気づかないフリをして少し離れた場所から

「(夫の名)~!ちょっとこっち来て!」

と呼んだり。

唐突に瓶詰めなどを渡して、

「悪いけど、これ開けて」

と言ってみたり。

あまりにも頻繁にそういうことがあるものだから、夫が通話を切って怒ったら

「えっ、今誰かと話してたの?」

とすっとぼけた。

この話を聞いた時、声を上げて笑ってしまった。

もっと良い方法は無かったんかい。

これじゃあ怒らせるだけだよ。

なんて思ったけど、必死な様子が目に浮かび、何とも言えない気持ちになった。

ここまでするのは、やはり私たちに戻って欲しいからだ。

でも、もうその可能性は無い。

そんなことをしても無駄かもしれないと思いつつ、義両親は事態を悪化させないために動いているように見えた。

そう考えたら、私自身も義両親を傷つけている一人なのかもしれないと思った。

彼らの願いを阻んでいるのは、他ならぬ私の離婚への決意なのだから。

2025年8月28日木曜日

夫のゲーミング女子との蜜月は続く・・・

直接会うようになるのも時間の問題か・・・?

飽き性の私とは違い、夫は一つのことにかなり執着する。

はっきり言って、しつこい性格だ。

その執着心が離婚を面倒にしたのだけれど。

あの独特の性格は別のことに生かされていた。

ネット上で出会ったゲーミング女子とのやり取りだ。

当初の予想を覆し、結構長く続いた。

ゲームだけでつながってる相手だから、すぐに切れるんだろうと思っていた。

それが、案外密な関係を築いているようだった。

私は感心しつつも警戒を強めた。

上手くやっている時は良い。

でも、何か問題が発生したらとばっちりを受けるのはこっちだ。

楽しくやっていたのが急にダメになった時、夫の暴れっぷりは半端無かった。

そういう前例があるから気を抜くことはできなかった。

思い出せば出すほど、その落差が恐ろしくて。

戦々恐々としながら事の成り行きを見守った。

相手は夫のことを独身だと思っていた節がある。

「こんなに遅くまでゲームしてて、家の人に何か言われたりしないの?」

と聞かれた時、

「年寄りは早く寝るから大丈夫」

と答えたらしい。

これって多分お義父さんかお義母さんのことだと思うんだけど。

暗に一緒に居るのは高齢者だけだよというのを匂わせている。

こう言われたら、多くの人は両親と一緒に暮らしている独身者だと思うだろう。

夫はこういう巧妙な嘘をつくことがある。

会話を続けるうちに、その女性も自分のことを話すようになった。

年齢は夫と変わらず、実家暮らし。

偶然にも住んでいる所が近かったようで、何となく『近いうちに会おうか?』という雰囲気になっていた。

夫がそれを自慢げに話してきた時、正直どうでも良いと思った。

でも、相手があの人の表の顔に騙されているとしたら不憫でならなかった。

『いっそのこと浮気をしてくれ』と思いつつも、『いや、やっぱりダメでしょ』と思ったのにはそういう事情がある。


離婚の話し合いも後回しにされ、内心イライラ

機嫌の良いタイミングを見計らって離婚の話を進めたい。

モラハラ夫を持つ人なら、この気持ちが痛いほど分かると思う。

我が家は夫の機嫌が全てだった。

機嫌次第でスムーズにいくこともあれば上手くいかないこともあった。

そんなことに振り回されるなんて、本当に馬鹿々々しいかぎり。

でも、それを無視して動けば大きな失敗を犯す可能性があるから私も慎重になった。

万が一機嫌の悪い時に動いてしまったら、きっと取り返しにつかないことになっていたはずだ。

あの頃の私は常に動く準備をしていた。

夫がその気になってくれたらすぐに進められるように。

怒らせないように言葉を選ぶことにも気を使った。

本当のところ、夫の心理状態なんて分からないけど。

離婚届に判を押してもらえさえすれば、それで良かった。

ゲーミング女子との交流に夢中になる夫と、それを好機と喜ぶ私。

終わってるね。

本当に終わってる。

そんな二人が夫婦で居続ける意味なんてないのに。

夫にはそんな簡単な事が分からないようだった。

2025年8月27日水曜日

別居後、へそくりを貯めた

節約ばかりの結婚生活

一緒に居た頃も無駄遣いはしていなかった。

むしろ倹約倹約で、現代人の生活からはかけ離れていた。

それでもお金は貯まらず。

急な出費にも苦労するような生活だった。

このままでは子どもが大きくなってから更に厳しくなるのではないか。

そんな将来への不安に怯えることも・・・。

夫の方は何故か妙な自信を持っていて、

「そんなに不安なら俺が全部管理してやる」

と私から家計管理を取り上げた。

ちなみに、共働きの頃も夫のお金は管理していない。

私たちは別財布で、必要経費を折半していた。

夫が無職になった後は一人で生活を支えることに。

必要経費を出すと残りは僅かで、お小遣いという概念も無くなった。

与えられたお金をどうやり繰りするかで頭を悩ませたあの頃。

仕事帰りにスーパーに立ち寄ると、どうしても割引シールのあるものに目がいった。

本当は別の物が食べたくても、贅沢してしまうと帰ってから叱られるから。

もっともコスパの良いものを選ぶようになった。

ただ、たとえ安売りされていても、それが夫の好物でなければ機嫌を損ねた。

一番難しいのが、好物を買ったはずなのに『そういう気分じゃない』と言われた時だ。

そんなの、私からすれば分からないのだから防ぎようがない。

でも、怒られるのも嫌なので、買い物前に確認するようになった。

「今日は○○にしようと思うんだけど、どうかな」

いつしかそれが義務になり、報告を忘れた時にはなじられた。

買うものを決める時、そこに子どもや私の意思は反映されない。

私たちが何を食べたいかなんて、夫にはどうでも良い話だったのだ。

パーソナリティ障害の夫の扱いはとても難しい。

正しいと思ってやったことでも怒らせてしまうことがある。

怒らせると長引くし、虐待も酷くなるから。

気を使って何でも先回りして、夫から許可を得たものしか買わなくなった。

行動も夫の機嫌により制限され、私たちは意思を持たない人形のような日々を送った。


監視されない生活は快適

別居後、監視されない生活はこれほどまでに快適なのかと感激した。

お金の面は不安だったけど。

お金か自由かの選択を迫られたら、間違いなく自由を選ぶと思う。

それくらい、監視されないというだけで私たちの心は解放され満たされた。

ただ、将来のことを考えるとそんなことばかり言っていられない。

現実を見据えると、どうしてもお金が必要になってくる。

監視の目が無くなった時点で貯金をチェックしてくる人も居なくなったわけで。

私はせっせとへそくりを貯め始めた。

これは全て子どものためだ。

将来子どもがやりたいことを我慢しなくて済むように。

その一心でちょっとずつ貯めた。

一緒に居る頃も小銭を貯めていたが、夫に見つかりそうになったりして心臓が凍り付くような思いをした。

それと比べれば節約なんて苦ではない。

むしろ、未来に向かって進んでいる気がして嬉しかった。

夫と関わらない時の私はすこぶる元気でパワフルだ。

驚いたのは、離れてから急に子どもの背が伸びたこと。

それまでは非常に小さくて弱々しかったのに。

別居後はぐんぐん伸びて少しだけしっかりしたように見えた。

やっぱり虐待って子どもの成長に影響を及ぼすのだと思う。

うちの子なんて、数か月後の体重が前より減っていたなんてこともあったくらいだから。

成長期の子どもにはあるまじきことで、それはそれは心配した。

でも、夫は全く気にも留めず、

「俺も先月より減ったわ~」

と言った。

あなたの話なんて聞いて無いんだよ(怒)

大人が減るのと子どもが減るのとでは訳が違う。

そう伝えたら、『ないがしろにされた』と勘違いした夫はヘソを曲げた。

そして、1週間以上口をきかなくなり、物を壊したり大きな音を立てたり。

ご飯にも手をつけず毎回捨てられて、義両親にも告げ口された。

更に、私が居ない間に子どもを虐めていたことも分かった。

ああいうことが積み重なって、私は夫のことを受け入れられなくなった。

2025年8月26日火曜日

仕事に不満を持ち始めた夫

ゲームに没頭して現実を忘れる?

元々、仕事で嫌なことがあると愚痴が止まらなくなる人だった。

一緒に居た頃、しょっちゅうそういう話を聞かされた。

夫婦だから話を聞いてあげるのは構わない。

でも、私の方から何か相談した時の対応がかなり酷くて不満を感じていた。

自分は聞いてもらえないと激怒するくせに。

私が話そうとすると面倒くさそうに制止してくる。

「大した仕事してないんだからさ。自分で何とかするようにしろよ」

とも言われた。

そんなの分かってる。

専門職の夫と比べたら、私の業務は楽に見えると思う。

それでも、日々仕事をしていれば悩むこともあった。

相談しようにも、夫はこちらの話を全く聞いてくれないから。

私はいつしか自分の気持ちに蓋をして感情を表に出すことが無くなった。

離れた後も大変だったようだ。

それまでのようにサンドバッグになる相手が居ないんだもの。

当然か。

別居後も時々私に話をふってくることがあったのだが、

「自分のことで手一杯。申し訳ないけど」

と聞かないようにした。

お義父さんやお義母さんに聞いてもらえば良いのに。

そう思って、メッセージにも返信しなかった。

だからてっきり義実家内で発散していると思っていたら・・・。

どうやら上手く発散できなかったようで、ゲームに没頭するようになった。

鬱憤を晴らしたい時の夫のゲーム時間は長い。

普段は、

「長時間ゲームやってる奴なんて馬鹿だ。時間を無駄にしている」

と言っているくせに、そういう時は深夜までプレイしていた。

こっそりやれば良いものを、わざわざ私に報告してくる気持ちも分からなかった。

あれは当てつけかな。

そんな報告を受けたって、私は何も思わないし助けようという気持ちも起きない。

逆切れを警戒しつつ無反応を貫いていたら、数日間ぷつっと連絡が途絶えた。


ゲーミング女子と知り合った夫

憂さ晴らしにゲームをしていた夫は一人の女性と出会った。

オンライン上だけでつながっている相手だ。

本人的には、このことが相当嬉しかったようだ。

『お前は何もしてくれなかったのに、彼女は色々話を聞いてくれる』

要約すると、そういう感じ。

それからは夜な夜な彼女とオンラインでつながり、ゲームにいそしむ日々。

相手は何をしている人なのか分からないが、連日夫とゲームをしていた。

話の流れで仕事などを聞かれたらしく、

「俺に興味を持たれても困るよな~」

と鼻の下を伸ばしていた。

顔は見てないけど、雰囲気で分かる(笑)

まんざらでも無いんだなって。

いっそのこと、その人と浮気でもしてくれないかな、と思ってしまった。

そうしたら離婚だってスムーズに進むのに。

こっそりそんな希望を抱く私に対し、

「お前、焼きもち焼くなよ」

と頓珍漢なことを言っていた。

一体どれだけ自信家なの?

焼きもちを焼くくらい気持ちが残っていたら家を出るなんて選択はしていない。

この件に関しては静観を決め込むつもりだったが、相手が学生さんとかだとトラブルになる可能性もあるので。

そのあたりはきちんとくぎを刺しておいた。

それにしても・・・。

同じ発散目的なのに扱いが全然違う・・・。

私はサンドバッグのように攻撃され、その人は楽しくゲームをするだけ。

少しの間、私も心穏やかに過ごせたから良いけど。

モヤモヤした気持ちになったことも確かだ。

2025年8月25日月曜日

別居中、家族団らんを目にすると辛い気持ちに

別居中の休日は、楽しくもあり寂しくもあり

夫と別居している間、私たちはそれまでの時間を取り戻すかのように自由を満喫した。

休日になるとショッピングを楽しみ、外食にも出かけた。

といっても、お財布の中身を気にしつつだけど。

『あ~、少し節約してあのお店にしようかな』なんて考えるのも楽しかった。

それまでは夫の顔色を窺うばかりの生活。

それが急に自由を手に入れたのだから、浮かれないはずがない。

最初は『これからどうしよう』という気持ちでドーンと沈み・・・。

少し経ったら浮上してきて『私たちは自由だ!』と実感した。

そして、もう戻らないという覚悟を決めてからは『自由って最高!!!』と思えることが増えた。

でも、時々夫から連絡が入った時だけは現実に引き戻された。

まだ離婚できていないという事実が心に重くのしかかり、『こんなことをしている場合じゃないのでは?』と焦りも感じた。

日々アップダウンする気持ちを持て余すことも。

そんな時には外に出て発散し、自由を満喫することでまたフラットな状態に戻した。

そうやってちょっとずつ、ちょっとずつ。

まるで亀の歩みのようにゆっくりと自分の置かれた状況と気持ちに折り合いをつけながらやってきた。

外出はそういった気持ちの切り替えにも必要だったわけだが・・・。

外に出たことでかえって沈んでしまうシーンもあった。

それは家族連れを見た時だ。

仲の良さそうな家族が、目の前で楽しそうにショッピングをしていたり。

レストランで食事をしていたり。

そんなシーンに出くわすと、思わず目を背けたくなった。

まだ夫と暮らしている時にもそういった感情は持っていたが、中身はまるで別物。

以前は、あんな状況に陥ったのも自分が悪いのではないかという気持ちがあった。

もっと上手く立ち回れていたら少しは幸せに暮らせたのに、と。

でも、家を出てからはただひたすら幸せな家族が羨ましかっただけだ。

私には頑張っても手に入れられなかった物。

子どもに与えてあげられなかった物だから。

羨ましくて、でも意識せずには居られなかった。

そんな私の横で、子どもはどんな気持ちでそれを見ていたのだろうか。

案外、子どもの方が割り切っていたのかもしれない。


寂しくても、夫からの誘いはお断り

どんなに寂しくても、夫からの誘いは全力で拒否した。

だって、受け入れる理由が無いもの。

二人とも夫のことが嫌いで、できれば早く疎遠になりたかった。

だけど、そんな空気も読まずに誘ってくるものだから、私は隙を作らないように気を付けた。

正直言って非常に面倒くさかった。

断ってもめげずにチャレンジしてくるところもそうだけど。

自分が誘えば私たちが喜んで来るはずだと思い込んでいるところに虫唾が走った。

別の観点から見ると、自分の気持ちの方も実は結構面倒くさい。

夫のことは嫌いなのに、何度も断っているうちに同情のような気持ちが出てくることが多かった。

拒否し続けているのに言ってくるということは、よほど一緒に過ごしたいんだろうな。

こんな風に話もろくに聞かずに断るのって可哀そうかな、と。

本当はこんな感情を持ってはいけないのだ。

夫のようなタイプは、少しでもそういった素振りを見せると途端に攻勢をかけてくるから。

最終的には断ることができても、そこにたどり着くまでに多くの労力と時間を費やすことになる。

この、どちらにとっても良い結果を生まない私のブレが、時に大きな波紋を招いた。

はっきりと断るのが申し訳なくてやんわりと伝えていたら、夫や義両親を勘違いさせてしまったことがある。

あれは全面的に私が悪い。

相手は、『(私)さんがああ言ったのに、どういうこと?!』と怒り、私の方は『そんなつもりでは無かったのに・・・』となった。

こうやって書いていると分かるのだが、やはり夫と私の相性はとことん悪いのだと思う。

それが無理やりにでも上手くやっていこうとしたら、どちらかが心を押し殺すしか無い。

我が家の場合には夫が我慢することなど無かった。

だから、100%私が我慢することを強いられた。

結婚してからずっと家族団らんに憧れてきた私。

出会った頃はそれを叶えられる相手なのだと思っていた。

でも、違った。

誤算はそれだけじゃない。

まさか離婚があれほどまでに大変だなんて。

結婚どころか出会ったことさえ後悔するくらい、応じてもらえなかった。

もうずっと解放してもらえないのではないかと、しばしば絶望したものだ。

2025年8月24日日曜日

夫からの連絡に神経をとがらせた長期休み

「少しでも良いから子どもと過ごしたい」と言う夫

長期休みになると、子どもはゆっくりと穏やかに過ごしていた。

学校がある時には通うだけでもとても大変だったから。

通学がないと楽だった。

時々はお友達と遊ぶこともあり、可能な限り私が連れて行ったり、相手の子の保護者が連れて来てくれたりした。

そうやって少しずつあの環境に適応していき、そこそこ楽しそうに過ごしていた。

あとは夫と離婚して本当の意味での再出発の日を待つだけ。

そんな気持ちだったのに、夫ののらりくらり作戦により離婚の目処は立たなかった。

長期休みは、良いことばかりではない。

お迎えとか学校の行事などがないからその分楽になるけど。

夫がその時期を心待ちにしていて、いつも『父親の権利』を主張してきた。

あの人は、何度伝えても理解してくれないのだ。

子どもももパパと過ごすことを嫌がっているのだと再三にわたり伝えているのに。

私が意地悪を言っているのだと思い込んだ。

自分に都合の良い受け取り方をするのは前からだ。

別居してから始まったことではないが、それにしても話が通じないのはとても疲れた。

あまりにも通じないのでスルーしようとしても、夫はしつこくコンタクトを取ってきた。

長期休みの間、ずっと逃げ続けるというのも難しい。

相手は大体の期間を把握しているから、その間ずっと諦めずに連絡し続けてくる。

こちらはせっかくゆっくり過ごしているのに、いつ連絡が来るかと気が気でなくて緊張状態が続く。

こうなるともう根競べだ。

そこに義両親が絡んでくると更に複雑になる。

特にお義母さんは泣き落とし作戦に出るので、私は心を抉られるような思いで断り続けた。

どんなに相手を拒絶していても、泣かれてしまうと弱い。

これは私の欠点だ。

だが、いざそういう場面に出くわしてしまうと冷静ではいられなかった。

それでも拒否するなんて、とてつもなく酷いことをしているような・・・。

そういう性格を知っているから、夫もよくお義母さんを使っていた。

言葉は悪いが、夫の場合はまさに使っているという感じだった。

他人を利用することをなんとも思わない人だから、親だっていざとなったら利用する。

具体的にはお義母さんの感情を揺さぶるようなシチュエーションをわざと作り、涙を流させるというやり方で・・・。

最初に気づいた時にはかなりドン引きした。

詳しく書いてしまうと身バレにつながるので書けなくて申し訳ない。

あんなことを思いつくのは夫くらいのもので、そのたびにサイコパスだと思った。


「1日1万円でどう?」

別居中、夫は何度も慰謝料を要求してきた。

私を困らせたかったのだろう。

そう言われた時には非常に困惑し、どうしたら良いのか頭を悩ませた。

子どもを連れて家を出たのは確かだし、体調不良の夫を見捨てたと言われれば否定できない。

ただ、その話には肝心な部分が抜けていて、虐待やモラハラから逃げたという事実があった。

それなのに、その部分は夫の中では私がでっち上げたことになっていた。

これもモラハラ夫らしいと言えばそれまでだが。

そういう人なのに、長期休みになるとにじり寄って来て、

「1日1万円でどう?」

と言ってきた。

この言葉が何を意味するのかと言うと、『1日1万円払うから、子どもと一緒に過ごしたい』ということだ。

1日過ごしたら1万円。

3日過ごしたら3万円。

1週間過ごしたら7万円。

日数分だけお金を払うから、一緒に過ごしたいという提案だった。

もちろんすぐに断った。

お金の問題ではないし、たとえそれが義両親の願いだとしても受け入れられなかった。

それに、預けたら何をされるか分からないのに安心して預けられるはずがない。

虐待をしていたくせに、

「(子ども)のことは本当に可愛いんだ!一緒に居たい」

と言ってきては、私を非難してくるのも煩わしかった。

「一方的に引き離された側の親は、何も要求できないのか?」

と文句を言われても、私だって困ってしまう。

「まず、過去に虐待をしていたことを認めることからだよ」

と勇気を出して言ってみた時には、

「またそれか!あれを虐待なんて言うのはお前くらいのもんだからな!」

と激怒していた。

痣ができるくらい叩いたり、真冬に薄着で閉め出したり。

真夜中まで説教をして寝かせなかったりしたこともたびたびあった。

あれらが虐待でないというのなら、自分も同じことをやられたらいい。

子どもが大事にしていた物を目の前で破壊し、

「お前が悪いんだからな!」

と言った時の夫の意地悪な顔を私は一生忘れない。

あの時確信したのだ。

この人には親としての愛情など無いのだと。

2025年8月23日土曜日

長引く別居生活で失ったもの

やはり金銭面での負担は大きかった

離婚したいと思っても、なかなか応じてもらえず。

別居生活は予想していたよりもはるかに長引いた。

その間、前向きに頑張ろうと思えたり、諦めのような気持ちが出てきたり。

精神状態をフラットに保つのが難しかった。

そんな日々の中で失ったものは数えきれないほどある。

真っ先に思い浮かぶのは、やはり金銭面での負担だ。

普通に暮らすよりもお金がかかり、将来への不安が大きくなった。

その間も子どもはどんどん成長し、備えはどんどん目減りしていった。

本当はもっとお金をかけてあげたい部分があるのに、それもできない。

そういったジレンマを抱えながらも、夫を怒らせないように慎重に交渉を進めた。

時々はプチ爆発を起こして、

「いつになったら家を出て行ってくれるの?」

「そろそろ本格的に離婚の条件を決めたい」

と伝えたこともあった。

結局何も変わらなかったのだけれど・・・。

もういっそのこと、実家の両親に伝えてしまおうか、と考えたこともあった。

でも現状を知ったら心配するだろうなと思うとなかなか言えず。

そういう葛藤は、全てを知っている姉に相談した。

実は、家出別居中に私たちは何度か実家に帰省している。

まるで何事もなかったかのようにシレっと実家に行き、いつも通り過ごした。

ほとんど来なかったのに急に年に何度も帰省するようになったり、滞在日数も延びたから。

もしかしたら、『あれっ?』とは思ったかもしれない。

でも、何も言われなかった。

その代わり、こちらに戻る時には

「また来てね。いつでも待ってるから」

と言ってくれた。

そう言ってもらえる場所があるというのは非常に心強い。

帰れる場所があったから頑張れたのだと思う。


自宅という本来安心できる場所が無い

多くの人は自宅が一番安心する場所なのではないかと思う。

私もそういうタイプの人間だが、別居中は部屋の契約を結べなかった。

家を出て金銭的に厳しい、というのももちろんあった。

でも、それだけでなく、どこに借りるべきなのかも分からなかった。

子どもが『転校したくない』と言うからだいたいのエリアは決まっていたのだが・・・。

あまり元の家の近くには住みたくなくて。

家賃が高すぎるエリアもダメだし、治安が悪い所も避けたい。

色んな条件があり、それを満たすだけでも一苦労だった。

更に、夫に無断で勝手に借りることもできず、そのあたりも悶々とした。

後から部屋を借りたことを知ったら暴れるだろうから事前に知らせておかなければならない。

たったこれだけのことなのに、私にとっては非常に気の重いことだった。

反応を想像しただけで心臓がバクバクした。

それに、知らせたとしても何やかやと難癖をつけてくることは容易に想像できた。

どうせ怒られるのなら本当はこっそり動きたかった。

でも、言わないという選択肢を与えないのが夫なのだ。

そんな感じで、あの当時は現状維持で仕方がないと思っていた部分もある。

安心できる家を借りたいと思って夫を促したり賃貸探しをしたりもしたけど。

ふと『このままで良いかな』と思う瞬間もたびたびあった。

子どもにとっては、家を出るまで自宅が一番危険な場所だった。

恐ろしいパパが居て、いつ虐待されるか分からない。

家という密室で助けてくれる人もいない。

ママが帰るまではどうにかして自分で身を守らなければならなかった子どものことを考えると安心できる場所を用意してあげたかった。

私が部屋探しをした時、そういった思いに突き動かされていた気がする。

ともすれば無気力で何もせずに怯えて暮らすだけの毎日になりそうなところを子どもの存在が救ってくれた。

外に目を向け、未来に向かって動こうという気持ちにさせてくれた。

やっぱり子どもの存在って偉大だな。

2025年8月22日金曜日

不安定な状況に置かれていた子どもの気持ち

父親の影に怯える日々

このブログはどうしても私目線になってしまう。

だが、あのような環境下では、子どもはもっと大きな負担を強いられていた。

離婚問題が持ち上がると、どうしても子どもにしわ寄せがいってしまう。

我が家も例外ではなく、色んなことに巻き込まれて大変な思いをしたと思う。

当事者でありながらも受け身の立場で。

まだ小学生という年齢から、自立して傍観することもできなかった。

ひたすらその状況を受け入れようと藻掻いているようにも見えた。

一番印象に残っているのは、外を警戒しながら歩く姿だ。

「パパに見つからないようにしなくちゃ」

というのが口癖だった。

まるで『おはよう』や『おやすみ』のように日常的に発せられた言葉だ。

それほどまでに父親を警戒していたということだ。

夫からは時々連絡が来て、

「(子ども)、そばに居る?居たら話したいんだけど」

と言われることがあった。

そうすると、いつもは鈍い子どもの勘が急に鋭くなり、ササーっと私から遠ざかった。

何人かに離婚の相談をしたことがあり、その時に

「子どもの気持ちは子どもにしか分からない。押し付けないであげて」

と言われたことも。

私の中では当たり前に自分を選んでくれると思っていたので、この言葉には衝撃を受けた。

でも、言われてみれば『なるほど』と納得した。

我が子だからって一から十まで同じ考えであるはずがない。

反省して、早速子どもに

「パパとママが離婚したら(子ども)ちゃんはどちらと暮らしたい?」

と聞いてみた。

今考えると、この質問自体が間違っていると思う。

うちの子は虐待を受けていたのだから、心情を考えたらパパを選ぶはずがないのに。

そういう事情を知った上で助言してきたその人の話を真に受けて、愚かにも子どもの真意を確かめようとした。

聞かれた子どもはもちろん、

「ママに決まってるじゃん!なんでそんな怖いこと聞くの?!」

と驚いていた。

そりゃーそうだ。

自分に自信が無さ過ぎて、何か言われると『その通りだな』と受け入れてしまう悪い部分が出てしまった。

私は咄嗟に

「ごめん、ごめん。分かってたけど、一応確認しておかなくちゃと思ったんだよ」

と謝った。

子どもはプンプン怒っていたが、

「でもパパには(子どもが嫌ってることを)言わないでね」

とも言っていた。

そんなことを言ったらどうなるかくらい、子どもでも分かるということだ。


買い物は楽しいけど怖い

近所のスーパーに買い物に行く時、子どもは必ずついてくる。

別に何をねだるわけでもないのだが、あの雰囲気が楽しいのだそうだ。

何となくその気持ち、分かるなぁ。

以前は買い物だって自由に行くことができなかった。

分単位で管理されていて、少しでも遅くなれば何十回も電話が掛かってきた。

どうでも良い用事を伝えるために、しつこく電話してくることもあった。

出られないと、また大変で・・・。

たったの数回出られなかっただけで浮気を疑われたこともある。

『買い物に行っているだけなのに電話に出られないなんておかしい!』と。

こういうことが重なり、私は頻繁に携帯をチェックするようになった。

あまりにもちょくちょく確認するから、きっと周りは携帯依存症だと思っただろうな。

自分でもおかしいとは思っていたが、確認せずにはいられなかった。

半ばノイローゼのようだったという自覚がある。

携帯の画面を見て、着信やメッセージが入っていないと分かった時には心の底から安堵した。

怯えるばかりでちっとも楽しいことなんて無かった我が家。

それでも私は家族そろって暮らすことが幸せなんだと思っていた。

子どもは幼いうちからパパの居ない世界を想像するようになったらしく、

「パパ、いないと楽しいね」

と言ったのは、まだ3歳くらいの時だった。

たどたどしい口調でそんなことを言う我が子を見て考えさせられた。

そしてそれは事態の深刻さを物語っていた。

2025年8月21日木曜日

子どもを引き取りたい義両親

話がややこしくなってきた・・・

家を出てからしばらく経つと目立った動きも無くなった。

良くも悪くも現状維持という感じで、閉塞感に悩まされるようになった。

夫は当初ほどの執着心を見せなくなり、その代わりに連絡を取れない時間も増えた。

元々私から連絡を入れることはほとんど無かったのだが。

夫からは頻繁に来ていたので、わざわざ動かなくても連絡がついた。

それが、こちらから動かないといけない状況になっていった。

義両親は色んなことが重なって疲れていたと思う。

日々辛いことが多い中で子どもの存在が救いだったようで、

「(子ども)ちゃんが居なかったら、きっともう何も気力が起きなかった」

とよく言っていた。

孫への執着はこの頃を境に次第に強まっていき、それがまた話をややこしくした。

もっとも困惑したのは、

「離婚するなら(子ども)ちゃんを引き取りたい」

という申し出だった。

夫婦のどちらが親権を持つかで揉めるのならまだ分かる。

だが、義両親がそこに参入してくるってどういうこと?!!

最初は冗談だと思ったのに本気だと分かり、

「親権は私が持つことになると思います。(夫)さんも面会を要求するでしょうけど、虐待のことがあるからどうなるか分かりませんね」

とけん制した。

夫に対してなら、こんなストレートな物言いはできない。

でも、義両親に対しては言えた。

だから、思ったままを伝えた。

これで諦めてくれるかと思いきや、それから何度も

「どうしたら(子ども)ちゃんを引き取らせてくれる?」

と聞かれた。

「一緒に育てましょう」

とも言われた。

夫は自己愛性人格障害で『俺様が一番、その他大勢はどうでも良い』というタイプなので、その時々の心の赴くままに発言した。

子どものことに関心が無いタイミングでは、

「適当にスルーしとけば良いよ」

と言い、関心を向けている時には、

「将来を考えたら、やっぱりうち(義実家)で子どもを育てるのが一番だ」

と言う。

コロコロと変わる意見に戸惑いながらも、私は自分が親権を持つという姿勢を崩さなかった。


金銭で解決しようとする人たち

話し合っても埒が明かないと思ったのだろう。

義両親はお金で解決したいような素振りを見せるようになった。

と言っても、実際にはほとんど残っていないはずだった。

お義兄さん関連で援助してしまったんだから。

なけなしの財産を使ってでも子どもを引き取りたいというその熱意には、正直かなり困惑させられた。

その頃、義両親は別の画策もしていた。

なんと夫に

「お前、いくらなら出せる?」

とお金を出させようとしていたのだ。

あの人がそんな提案に応じるはずもなく、

「そんな金使わなくても親権は取るよ。こっちがもらいたいくらいだわ!」

とキレた。

それを聞いた義両親は、

「なんだ、親権取れるのか。それなら良かった」

とその気になり、それ以降『お金で~』と匂わせてくることは無くなった。

ちなみに、虐待の事実は義実家の面々みんなが知っていた。

それなのに、彼らの中では夫が被害者になっていた。

大したことは無いのに妻が騒ぎ立てて子どもを一方的に連れ去った。

そういうストーリーができ上っていた。

それを作ったというより本気で信じている所が非常に怖かった。

頭の中でどう曲解したらそんな結論になるのかが分からなくて。

口の上手い夫の説明は非常に論理的で説得力があり、調停になったら一人では闘えないだろうという恐ろしさもあった。

2025年8月20日水曜日

再度、夫に部屋を借りるよう催促

夫に出て行ってもらうために

お義兄さんがあーなってしまった以上、夫が義実家で暮らせる可能性はかなり低くなってしまった。

ここはやはり当初の予定通り、自分で部屋を借りてもらうしかない。

そう考えて交渉することにした。

ただ、この頃の夫は常に機嫌が悪くて、なかなか言い出せなかった。

どんな反応が返ってくるのか分からない恐怖。

当事者にとって、あの恐怖は言葉にできない。

それで身動きが取れず、自分から打診することができなかった。

仕方がないので、ちょうど連絡が来たタイミングでそれとなく

「部屋を借りる話はどうなったの?」

と聞いてみることにしたのだが。

返ってきたのは歯切れの悪い返事だった。

私からすれば、これだけでもかなり勇気のいることだったのにガッカリ。

まあ、予想はしていたんだけどね。

自分にとってメリットが無いのに率先して動くはずがない。

それでも他に手が無かった。

頭の中であーでもない、こーでもないと考えているとネガティブな思考に陥ってしまう。

結局、打開策を見いだせないまま、どんよりと暗い気持ちで過ごすことが増えた。

私は焦り始めるとそのことしか考えられなくなる性質なので、仕事中も常に夫のことが頭にあって、それもネガティブになった要因だと思う。

部屋を借りてもらう方法を絞り出そうとしても何も出て来なくて。

一人で勝手にプチパニックに陥ったりした。

当の本人は気楽なものだ。

仕事の文句を言ったり、義両親を小間使いのように使ったり。

一人、生活ペースを崩さない夫に対し、とてもイライラした。


お義父さんから伝えてもらうことに

本人に対して直接伝えるのは無理だ。

早々に断念した私は、お義父さんに伝言をお願いすることにした。

以前、夫から

「何か用事があるのなら俺に直接言って」

と非難がましく言われたことがある。

でも、その約束を反故にしてでも間接的に伝える方を選んだ。

それほどの恐怖を感じていたわけだが、依頼されたお義父さんは

「それじゃあ言っとくわ。どういう返事をするかな」

と軽い感じの受け止め方だった。

伝えてくれるのなら何でも良いけど。

怒らせないように上手く言ってよね。

依頼しておきながら、私はそんな図々しいことを考えていた。

これでボールはお義父さんの手に渡った。

と言っても緊張状態であることに変わりはなく、その後にどのような反応が返ってくるのかも怖かった。

夫が激怒しながら連絡してくる姿を想像しては震え上がる日々。

どういう結果が出るか分からない時間も地獄なのだ。

この時の返事はかなり遅くてヤキモキさせられた。

わざとじらして恐怖を与えているのではないかとさえ思った。

やっと返ってきたと思ったら、

「お前、その話何回すれば気が済むの?」

という逆切れの言葉。

その件については再三話し合って、夫のタイミングで出てもらうということで一度は決着した。

ただ、仕事も順調そうだし、お義兄さんはあんな感じだし。

出てもらうにはそのタイミングしかないと思ったのだ。

困ったなぁ。

夫の怒った顔が目に浮かぶような文面に怯え、途方に暮れていたら、いきなり想定外の条件を突き付けられた。

『引っ越しにかかる費用を負担してくれるのなら考えても良い』と。

その額も提示されていた。

それが、私にとってはあまりにも大きすぎる負担で。

どのような内訳なのかを確認したらなんと慰謝料も含まれていた・・・。

今考えると、あれは私を黙らせるための手だったのかもしれないと思う。

2025年8月19日火曜日

夫の誤算

社内の立ち位置にもこだわる夫

夫は常に自分に自信を持っていた。

人に尊敬され慕われていると信じて疑わなかった。

だから、社会復帰後のポジションに納得がいかなかったのだと思う。

長い間コツコツと働いてきた人と比べ、夫には長いブランクがある。

それでも採用してもらえたのだから感謝しているのかと思ったら・・・。

「待遇が気に入らない」

と不満を漏らし始めた。

そうは言っても、世間の目は夫の自己評価と乖離しているのだから仕方がない。

それをやんわりと伝えてみても、鼻息荒く

「みんな分かってない!人を見る目がない!」

と怒った。

こういう時、高い高い鼻をへし折るくらいズバッと言ってくれる人が居れば良かったのだが。

夫の周りには肯定する人しか居なかった。

だから、客観的な評価を知る機会も無かった。

ある時、夫が物凄く軽い感じで、

「あ~あ、もう仕事辞めようかな」

と言った。

私は耳を疑った。

あの条件で採用してもらえたことが奇跡なのに、こんなにも早く手放そうとするなんて。

呆然としながら話を聞いていたら、どうやら年下の社員に雑な扱いをされていることが不満のようだった。

20代の血気盛んな年頃だからなのか、口調も強いらしく・・・。

「社会に出てからの年数で言ったら俺の方が長いのに、偉そうに指図してくるんだ!」

と、どうにも許せないようだった。

社会に出てからの年数って。

働いた期間はその20代の人と変わらないだろうに。

なぜ常にマウントを取らなければ気が済まないのか。

新しいことに関する知識を持っているという点では、恐らくその20代の社員の方が上だ。

それでも夫は、『年上である俺を敬うべき』という固定概念に囚われていた。

この人は、そんなつまらないことでまたチャンスを手放すのだろうか。

そう考えたら呆れてしまったが、同時に夫と対等にやり合っているその社員のことが羨ましくなった。

私はずっと我慢してきた。

我慢して我慢して、その結果夫がやりたい放題になった。

気付いたらもう遅かったのだ。

言いたいことを言おうとしても恐怖で言葉が出てこない。

それくらい虐げられてきた私からしてみたら、なんと素晴らしいことか!

その場では『大変だね~』なんて言いながら、その20代の社員をこっそり心の中で応援した。


義兄の離婚は夫にとって想定外だった

仕事でのイライラを夫はいつも家庭内で発散していた。

私たちと一緒に居る頃、その役割は私と子ども。

子どもなんて、物心つく前から攻撃されていた。

しかし、別居によってそれができなくなり、代わりにその役割を担ったのが義両親だった。

と言っても、同じレベルでやられていたわけではない。

攻撃レベルで表すと、10対1くらいだったと思う。

それでも慣れてない人にはキツイだろう。

夫はそうすることで自分の精神状態のバランスを取っていた。

そんな中、お義兄さんの離婚話が持ち上がり、最初は夫も

「また口だけだろ。アイツらにそんな決断力はないよ」

と笑っていた。

でも事態がこじれてもうどうにもならなくなってきた時、

「離婚なんて絶対に止めろよ!」

と義両親に命令した。

親に命令っていうのもおかしな話だけど、あの家族の場合はありうる。

夫があんなにも慌てていたのは、もちろん自分の状況にも影響してくるからというのもある。

でも、それ以上に世間体を気にしていた。

更に言えば、自分のステータスが下がるという思い込みも強かった。

脳内で何が起きているのかを解説すると・・・。

非の打ちどころのない俺様 → もちろん家族も羨ましがられるような存在 → その結果、俺様の社会的ステータスが上がる

という本人的には完ぺきな状況から、

お義兄さんの離婚 = 失敗 → 周りからの評価が下がる → 俺様の評価も下がる

と変化してしまった。

夫の場合、家族でさえ自分を輝かせるための存在という位置づけなので、足を引っ張られることが苦痛で仕方が無かったはずだ。

それを分かりつつも、私は

「離婚なんて、今どき珍しくないよ」

と言った。

自分たちも後に続きたいという願いを込めながら・・・。

2025年8月18日月曜日

そして義兄は家も妻も失った

残ったのは借金だけ

お義兄さんたちとの連絡を絶った。

元々直接つながっていたわけではないのだが。

義両親からの連絡も、それ関連の時はだんまりを決め込んだ。

関わってもろくなことが無いというのは既に分かっていたこと。

それでも、夫との未来を考えている時にはできるだけ寄り添おうとした。

その結果がアレだ。

もう呆れるというか何というか。

どんな気持ちで接すれば良いのかが分からなくなった。

ふんわりと流れてきた情報によると・・・。

お義兄さんは結局離婚して、家も失ったそうだ。

いつ離婚したのかは分からないが、最後は奥さんの方がゴネたらしい。

その事自体も『奥さんの方から離婚したいと言ったのに何で???』という感じだけど。

よくよく聞いたらお金が絡んでいた。

少しでも多くお金を受け取ってから別れたい。

そう考えて、金目の物やちょっぴり残っていた財産を整理していたようだ。

と言っても、借金が残るくらいだからほとんど無いのだとは思う。

それで整理してみたら予想以上に少なかったのか、

「こんな額じゃ新生活を始められない!」

と暴れた。

暴れられてもお義兄さんだってない袖は振れず、謝るしかできなかった。

謝っているうちにまた病気が悪化して、それを見た奥さんは更に嫌気が差し・・・。

「やってられない!」

と言って離婚が成立した。

いや~虚しいね。

こういう終わり方って。

うちも人のことを言えるような立場では無いけれど。

彼らが上手くいっているように見えたのはお金があったからなんだな、というのがはっきり分かった。

最後にお義兄さんに残ったのは借金だけ。

それも仕事が思うようにできず払えない状況で、正直言って詰んでいた。

そして、予想通り債務整理をすることになった。

詳しく知らないのでどのような手続きをしたのかも分からないんだけど。

しばらくは義実家の面々みんながズーンと沈んでいた。

いつもの勢いが無い中、夫だけは元気で。

『兄弟だけど他人事なんだな』という感じがした。


夫よ、あなたも他人事じゃないのよ

お義兄さんの一連の出来事を見ても、夫は自分が似たような立場に置かれていることを理解していなかった。

むしろ、

「アイツ、可哀そうだな~」

と上から目線で、高みから見物しているような感じさえした。

間もなく離婚することになるであろう自分のことは顧みず。

いつも通り『俺は誰よりも幸せで尊敬される存在』と本気で思っているようだった。

反省しないという点では、あの兄弟はどちらも同じだ。

ただ、最後まで強気で悪いことなど起きないと思い込めるという点で夫の方が厄介だった。

そういう所にサイコパス味を感じたわけだが。

当人にとってはそれが当たり前なんだから話が通じるはずがなかった。

「お前、あの家本当は欲しかったんじゃないの?」

とか、

「惜しいことしたよな。今頃誰かが買って快適な生活を送ってるよ」

とか。

おかしな絡み方もされた。

買いたいなんて一度も言って無いのに、

「まあ、次があるよ」

という謎の慰めの言葉もかけられた。

ここまで来ると本当に怖い。

私との会話なんて必要なくて。

夫の脳内だけで会話が完結しているんじゃないか、という疑惑さえ出てきた。

これがお義兄さんの家のことなんかの話だとどうでも良いのだが。

離婚の件はそうもいかない。

きちんと会話して、離婚を納得してもらわなければならないから。

でも、それがもっとも難しいことだった。

2025年8月11日月曜日

義兄宅を購入しない?と打診された話

売却後も残る借金

持ち家を売ることは、ほぼ確定していた。

そこで問題になったのが、売ったところで残債が残るということだった。

義両親にそれを払う余力はもう無かった。

そこで声を掛けられたのが夫だ。

この時、夫はまだ再就職したばかり。

少しの期間しか働いておらず、当然社会的信用も足りない。

それに加えて、夫自身の貯金を使うことは考えて無さそうだった。

「兄貴のために、そこまでしたくない」

と言う夫が一肌脱ぐとは思えない状況。

しかも、せっかく見つけた仕事もいつまで続くか分からず、既に嫌気がさしているような素振りも見せていた。

私の中では、そうなるだろうなというある程度の予測はあった。

先行き不透明でこちらも離婚を控えてピリピリしている中、お義兄さんたちはとんでもない話を持ち掛けてきた。

「愛着のある家だからさ。知っている人に買って欲しくて」

とか何とか言っていたけど。

要は借金を全て返済したかっただけだ。

査定をしたら売却後も完済できないという結果ばかりで、内心焦っていたのだろう。

そんなのお見通しなのに、わざわざ資産価値が高いことや、今後もっと上がる可能性があることをアピールしてきた。

それを聞いて、夫は少しだけ乗り気になった。

ただ、自分の懐は痛めたく無いようで、

「お前、買えば?」

と言ってきた。

買える訳がないのに。

一連の話はLINEのグループトーク内で行われていたようだが、それを夫が逐一私に教えてくれた。


みんな非常識

離婚間際の私まで巻き込もうとしたことや、騙して購入させようとしたこと。

査定額を教えてくれたが、その額を偽っていたことなど。

非常識と感じる行為がたくさんあった。

これらだけでも心は疲労困憊なのに、更に驚くようなことを言われた。

「(夫)たちが買ってくれたら(お義兄さん)たちはそのまま住めるんじゃない?」

と言われ、『何を言ってるんだ、この人たちは』と愕然とした。

お金を払わされ、更に家も手に入らないなんて。

そんなバカな話に付き合うほど暇ではない。

夫だってさぞかし怒っているだろうと思っていたら、案の定

「ちょっと言ってる意味分かんねーわ」

と切れ気味に報告してくれて、

「あの人(お義兄さんのこと)たちと関わるとろくなことがないから。関わるのやめるわ」

と彼らとの対話をシャットアウトした。

もし私たちが離婚に向かって動き始めていなければ・・・。

彼らの雰囲気に気圧されて購入させられていたかもしれない。

確かに資産価値はありそうだった。

でも、『義実家の近く』って、誰が離婚後にそんな所に住むというのだ。

義両親にとっては孫が近くに来るということで万々歳だったのかもしれないが、私には検討の余地は無かった。

2025年8月10日日曜日

義両親、退職金を使い果たす

援助し続けるのが愛情か

お義兄さんが休職した後、生活を維持するために周りからのサポートが必要だった。

と言っても我が家は自分たちのことで手いっぱい。

何もできることは無かった。

たとえあったとしてもお義兄さんが受け取らなかったと思う。

あの二人は兄弟という近しい関係でありながら、つまらないことで対立し、いがみ合っていた。

助け合おうという気持ちも皆無だった。

そうなると、実際に手助けできるのは義両親だけということになる。

お義母さんはずっと専業主婦で働いたことはない。

つまり、お義父さんの力を借りなければならない状況であり、お義父さんの方も『仕方がない』と受け入れた。

援助に積極的だったのはお義母さんの方だ。

「私たちのことは良いから。何とかしてあげなくちゃ」

が口癖になった。

一見すると美談のようだが、これはとても危険な事だと思う。

自己犠牲の精神たっぷりのお義母さんは、良かれと思ってせっせとサポートした。

最初はお義兄さん夫婦も有難みを実感しているようだった。

でも、人は慣れてしまうものなのだ。

いつしかお金を受け取るのが当たり前になり、金額に対して文句を言うまでになった。

普通、援助を受ける側が文句なんて言える?

常識的に考えてあり得ないと思うのだが、あの夫婦にはそんな常識は通用しなかった。

補填という名目のお金をもらっても

「これじゃあ足りない」

と平然と文句を言い、それを聞いたお義母さんは慌てて追加のお金を用意した。

多分、そうすることが愛情なんだと勘違いしていたのだと思う。

確かに『助けて欲しい』と求められれば応えたくなるのが親というものだ。

私だって子どもがそのように言って来たらきっと手を貸してしまう。

だけど、あの場合はどう見ても途中で軌道修正が必要だった。

そのままずるずる行ってしまうことが容易に予測できたのだから。


大事な退職金もお義兄さん夫婦への援助に消えた

ある時、自宅の設備が壊れたとかでまとまった金額を要求された義両親。

この時が断る最後のチャンスだったように思う。

月々の生活費をサポートしてあげているのに。

その上更に設備を修繕する費用をよこせだなんて。

流石に金額が大きいのですぐには用意できないと考えて、

「少し待っててくれる?」

と伝えたそうだが、お義兄さんは

「壊れたままにしておけねーだろ」

とキレた。

こういう時にキレるところが夫にそっくりだ。

あまりにキレまくるので、仕方なく義両親はお金を工面して渡した。

もう貯金もかなり減っていて、援助し続けるのは難しいと痛感し始めていた頃だ。

これ以上は出せないことを伝えなければならないが、伝え方も分からなかった。

そこで義両親は、慎重に怒らせないように言葉を選びながら、通帳を見せつつ現状説明をすることにした。

通帳を見せられたお義兄さんは一言、

「なんだ。まだイケるじゃん」

と予想外の言葉を発した。

『お金が無いと言うから心配していたけど安心した』という雰囲気になってしまい、焦る義両親。

退職した後で、まとまったお金が入ることはもう無いのに。

これまでの貯蓄と退職金を崩しながら細々と老後を過ごそう。

そう考えていた二人の計画はもろくも崩れ去った。

その後、伝えることを諦めた二人は変わらず援助し続けた。

そして、気づいたら退職金を使い果たしていた。

2025年8月9日土曜日

頭金ゼロでの住宅購入は怖い

義兄の躓き

お義兄さんは、俗にいう高給取りだった。

新卒で入った会社で経験を積み、それなりのポジションを得て仕事をしていた。

今後への期待値も大きく、それが賞与にも表れていたみたい。

私からすると目の飛び出るような額の賞与をもらい、車のパーツの買い替えや旅行なんかも頻繁だった。

その状況で将来を不安に思う人は居ないのかもしれない。

お義兄さんの生活ぶりはとても派手だった。

あんなに高いものをよく簡単に買えるな、と感心したこともあった。

当の本人は金銭感覚がマヒしているから、それを特別だとも思わないんだけど。

傍から見ていると、その生活ぶりは驚くべきものだった。

そんな調子だったので、仕事が上手くいかなくなった後の落差は大きかった。

人間、成功している時には見直すことなんてできないのかもしれない。

このままずっと行く気がして。

でも、あのような『勝ち組』と呼ばれる人たちだって、いつ何が起こるか分からない。

最初の躓きは、パワハラで有名な上司がお義兄さんの部署に移ってきたことだった。

その前の部署では、一人の社員がメンタルを病んで休職していた。

気の強いお義兄さんのことだ。

何か言われたら言い返せば良い、とそれほど気にしていなかったのではないだろうか。

だけど、思ったより相手も手強かった。

自信満々だったお義兄さんも次第にストレスをため込むようになり、考え込む時間も増えた。

自宅がもう少し安らげる場所だったら、少しは結果も違っていたと思う。

でも、あの夫婦は普段から激しい喧嘩を繰り返していて、癒される環境ではなかった。

そうこうしているうちに明らかに心身に不調が表れ始め、あとはもうご想像の通りだ。

パワハラ上司のその上にかけあったみたいだけど、異動させるのって難しいんだね。

結局『態度を改める』ということで、そのまま同じ部署に居座り続けた。

せっかく上に相談しても、こうなれば針の筵になることは想像に難くない。

表向きは相手も改心したように振舞っていたが、実際はお義兄さんを目の敵にしてじわじわと攻撃した。

そして休職。

こんなことになる前に何か手は無かったのかと考えさせられる。


重くのしかかる住宅ローン

お義兄さん夫婦は、結婚と同時に家を購入した。

あれほど稼いでいたのだから、半分くらいは頭金を貯めたのだと思っていたが・・・。

全てローンだった。

営業マンの人が、

「お客様くらいの収入なら頭金ゼロでも全然いけます」

と言ったとかで。

その言葉を鵜呑みにしてオールローンにしていた。

もう少し貯めてから購入すれば良かったのでは?とも思うが。

少し遅らせたところで、あの人たちは貯金などしないだろう。

稼いだ分は使い切ってしまうような人たちなのだから。

それでも、何事もなくあのまま稼ぎ続けることができれば問題は無かった。

だが、お義兄さんの体調不良による休職という予想外の事態が起きてしまった。

駅近の良い物件なので、資産価値もそれなりに高い。

その分ローンだって高額だ。

頭金無しで購入したので、月々の返済額もかなり大きかった。

だから、傷病手当金で暮らすことになってからすぐに立ち行かなくなった。

そんな状況なのに、二人とも以前のような感覚でお金を使おうとするし・・・。

一度そういう使い方を知ってしまったら、なかなか修正できないものなのかも。

困った二人はすぐに義両親に泣きつき、しばらくの間は生活費を援助してもらっていた。

だけど、ずっと払ってもらうわけにもいかない。

お義兄さんの調子もなかなか思うように快復せず。

前のように働けるようになるかも分からない状態に陥った。

そうなったらもう、家を手放すしか選択肢は無い。

一連の流れを見ていたら、やはり頭金ゼロで家を購入するのは怖いと思った。

営業マンの人は気軽な感じで『大丈夫ですよ』と言ってくるけれど。

決して大丈夫なんかではない。

ずっと同じペースで払い続けられる保証なんてないんだから。

お義兄さんたちは、結局売却した後も負債が残ってしまった。

2025年8月8日金曜日

夫を押し付けたい義両親と拒み続ける私

逃げて逃げて逃げ続けた日々

義両親から『(夫)のこと、よろしくね』と言われた後、私は彼らのことを避け続けた。

そんなに困っている人が居るのに何もしないで逃げ続けるなんて、

「人としてどうなの?!」

と言う人もいるだろう。

だけど、それ以外の方法が思いつかなかったのだ。

少しでも関わってしまったら、恐らくどっぷりと深みにはまってしまう。

こちらにその意思が無くても引きずり込まれてしまうのが怖かった。

相手が何を言っても自分にその気が無ければ逃げられるはずだ。

普通ならそう思うかもしれない。

でも、それは甘い考えだ。

一度でも彼らと関わったことのある人ならきっと分かってくれると思う。

あの押しの強さに太刀打ちできるのは、ごく一部の限られた人たちだけなのだということを。

押しに弱いと自負する私には到底無理な話だった。

真正面から強く言われたら断りきる自信が無い。

だから、押し切られないように逃げ続けた。

逃げている時って、何となく後ろめたさを感じる。

悪いことをしているわけではないのに、夫に対して申し訳ない気持ちも出てきた。

それでも、過去の失敗から学んでいたので心を強く持って拒み続けた。

一定の距離を取るように注意し、密な連絡は取らない。

そう決めた。

多分夫は寂しさを募らせていったのだと思う。

要求は徐々にエスカレートし、義両親からの圧力も強まった。

なかなか受け入れない私にイライラしているのも伝わってきた。


夫が仕事を休みがちに・・・

夫はせっかく再就職できた仕事を休みがちになった。

心が参ってしまったと言われれば、その通りなんだろうけど。

私には厳しいくせに自分には甘いんだな、なんて思った。

本当は続けて欲しい。

だけど、こちらへの要求が強まるよりは良いのかも。

心の中で色んなことを天秤にかけながら、その時々でどちらの方がまだマシなのかを考えた。

私たちにとって、夫と離れて暮らすこと以上に大事なことは無かった。

それだけは死守しなければと心に決めていたので、夫の思惑通りになることは無かった。

夫だって離れてから多少は苦労もしたはずだ。

少しは人の痛みが分かるようになったかもしれない。

もしそうなら、私たちにもほんの少しでも優しくしてくれるかな。

勝手に期待して、想像の中の夫がちょっとだけ良い人になった。

実際は・・・。

拒み続ける私にイライラして、義両親に当たり散らしていた。

自分の思い通りにならないとキレるところも相変わらずだった。

子どもだって知っているのに。

全てが思い通りになるわけじゃない、ということを。

それなのに、そんな簡単なことが夫には分からないようだった。

これが分別のある大人のやってることなんだから、本当に質が悪いとしか言いようが無い。

最後の砦である義両親も、そんな息子を持て余し始めていた。

2025年8月7日木曜日

このタイミングで見捨てるのは鬼なのか

心の拠り所にされても困る

お義兄さんのことで夫も心労を抱えていることは感じていた。

仲の悪い兄弟だって、こういう時はやはり引きずられるものだ。

自分もようやく復調したばかり。

仕事だって再会して順風満帆に見えたのに、こんなことが起きるなんて。

流石にこの状況には私も同情した。

ただし、当事者としてでなく外部の人間として。

私はもう、夫とは離婚する身だ。

まだ戸籍の上では繋がっていても、手続きだけの問題。

こちらはいつ離婚届を出しても良いという感じだったから、この件で夫が動かなくなることを不安に思っていた。

義両親はお義兄さんのことで手いっぱいになり、夫の面倒までは見られなくなった。

それまではうちで一緒に過ごすことの多かったお義父さんもお義兄さんの病院に通うようになり、夫は独りぼっち。

あの人は、あんなに威張って居る癖に独りぼっちに耐えられない。

だから、最初はお義兄さんに対しても噛みついていたみたいだが。

相当具合が悪そうだと分かり、当たることができなくなった。

それで困って思い出したのが私の存在って・・・。

困る、困るのよ。

そういうのが本当に困るのよ。

お義兄さんのことがきっかけとなり、余計に執着されそうな雰囲気があった。

それが怖くて、離婚交渉なんて中断しても良いから連絡を取りたくないと思ったほど。

執着って言っても色んな度合いがあると思うけど、夫のは凄かった。

引いてしまうほどの凄まじさで、離婚した後も完全に解放されないのはそのせい。

離婚前なんてまだ『自分の妻』という意識があるんだから、手放せるはずがなかった。


「見捨てないわよね?」というお義母さん

ゴタゴタした状況だったから、私が夫を気遣ってやり直してくれると思ったらしい。

そんなはずがないのに。

これまでのことを見ていたのに、よくそんなことが言えるなと思ったのだが、お義母さんは何のためらいもなく、

「(夫)のこと、見捨てないわよね」

と言った。

「私たちは今、(お義兄さん)のことでいっぱいいっぱいだから」

とか、

「あの子(夫)もどうにかなっちゃうんじゃないかと心配で」

とか同情心を煽るようなことも言ってきた。

でも、私にはどうにもできなくて困ってしまった。

そもそも、お義兄さんの事と私たちの離婚とは全くの別問題だ。

それをいっしょくたにされても、『はい、そうですか』とはならない。

どさくさに紛れて何を言うつもりなのかと身構えていたら、

「あなたが優しい人だって知ってるわ」

と反応に困るような攻め方をされ、

「まだ、あなたたちは戻れるんだから」

と強引に話をまとめようとした。

お義母さんは涙声だった。

そんな雰囲気に弱いので、今までだったら簡単に絆されていたと思う。

だけど、この時なぜか夫に泣かされた子どもの顔が頭に浮かんできて嫌悪感を覚えた。

私の脳が、記憶が。

騙されてはいけない!と伝えていたのかもしれない。

結局、最後までお義母さんの望んでいるような返事をすることは無かった。

2025年8月6日水曜日

夫の気まぐれに翻弄される私と、義兄の対応に苦慮する義両親

「アパートが決まらないのはお前のせい」

一人暮らしをすると言い始めたのは喜ばしいことだった。

それまでは義実家に戻るの一点張りで、他の選択肢など考えても居なかったのだから。

色んなことを経験して、流石の夫も少し成長したのかと思っていた。

だけど、違った。

いざとなったら文句ばかりで何も決まらない。

せっかく素晴らしい条件の部屋を見つけてきても、『雰囲気が~』などと言って難色を示す。

あの人は、私になら何をしても良いと思っているのだ。

内心は腹が立って仕方がなかった。

でも、少しでも対応が気に入らないとまたへそを曲げてしまうので常に気を使っていた。

そうしたら、その状態が当たり前になり更にエスカレートしていくという悪循環・・・。

挙句の果てには、

「アパートが決まらないのはお前のせいだ」

といけしゃあしゃあとのたまった。

こんな人を相手にしている意味ってあるのかな。

自分の大事な時間を使うことに疑問を感じたことも確かだ。

それでも我慢して我慢して、夫の意に沿うように動いた。

そうしないと、いつ爆発するか分からないから。

爆発した時の恐ろしさは言葉では言い表すことができない。

本当にもうダメだ・・・と何度思ったことか。

その時の記憶が鮮明に残っていて、自由に発言することができなかった。

機嫌良く何かをしている時だけは平和だ。

たとえそれが離婚に直結するようなことでなくても、不機嫌になられるよりはよっぽど良い。

そう思って、夫の気まぐれな主張に付き合いつつ、私たちに危害が及ばないように注意を払った。

アパート探しも、最後の方はもう段々と諦めていて、

「こんな物件があったよ」

という私の報告を楽しんでいるだけのように見えた。

夫のために私が動いている。

そんな状況に安心していたのかもしれない。


お義兄さんの状態がどんどん悪化して・・・

夫が私に無理難題を押し付けている間。

義実家はお義兄さんのことで手いっぱいだった。

元々調子は悪かったのだが、やはり決定打となったのは離婚のことだと思う。

モラハラをするような人なのに蚊の鳴くような声で話すようになった。

自信たっぷりだったのが、いつも不安気に周りの様子を見るようになった。

人ってこんなにも変わるんだ、と驚いたことを覚えている。

滅多に会わない人だから、又聞きで報告を聞いているだけだった。

それが急にお義母さんからテレビ電話がかかってきて、

「ほら、(お義兄さん)。(私)さんと話したら少し元気になるかもよ」

などと言い、無理やり話させようとしてきた。

お義兄さんも困っただろうが、私も困った。

何を話したら良いか分からないし、世間話をするにしても空気が重すぎる。

「体調はどうですか?」

「大変ですね~」

なんていう会話だけしか思い浮かばないものだから、話すこともすぐに尽きた。

どうしたものかと困っていたらいつの間にかお義母さんに代わり、

「いつも同じ人とばかり話すのも良くないかと思って。(私)さんを思い出したのよ」

と言われた。

そんなこと言われても、苦笑いするしかない。

あまりにも話が弾まなかったからか、早々に電話は切られた。

声を聞いた感じでは案外元気なのかな。

お義兄さんの様子は私も気になっていたので、『良かった』と思っていたら・・・。

それから間もなくして、お義兄さんは入院した。

2025年8月5日火曜日

夫のアパート探しのお手伝い

動きの遅い夫をサポート

夫はいつも威張り散らしていた。

自信満々に人の指摘をし、言う通りにしなければ非難した。

そんなんだから自分はさぞかし素晴らしい対応をするのだろうと思いきや、そうでもなかった。

何でも口出しするくせに、動きはとても遅かった。

というか何でもやり始める前から粗探しをするため、スタートを切るまでが長かった。

慎重派と言えば聞こえは良いが、はっきり言って決断力が無いだけだ。

物事を斜めから見る癖がついてしまっているのも問題だった。

周りは非常にやりにくいし、助言なんて聞かないんだから助けを求めてこないで欲しかった。

そう思っても、怒り狂う姿を想像すると恐ろしくなって手を貸してしまうことが少なくなかった。

いつもは、渋々サポートしていた私。

でも、アパート探しだけは自分から動いた。

早く出て行って欲しいという気持ちが強かったので、積極的に声掛けもした。

夫は自分中心のお目出たい人なので、『俺の事、そんなに考えてくれてるんだな』と喜んでいたに違いない。

そういう勘違いが、あの件では役に立ったということだ。

そのタイミングでは、夫は働いてきちんと収入も得ていた。

長年同じ所で働いている私よりも高額な給料をもらい、遊びに趣味にと勤しんでいた。

よほど高い物件でも無ければ、家賃を払うのも全く問題なかった。

一つだけ気になったのが勤続年数。

まだ再就職してから数か月だったから。

ただ、これも条件の厳しい所でなければクリアできそうだから、夫がおかしな注文さえつけなければすぐに決まるのではないかと感じた。


難航する夫の部屋探し

夫の手取り収入の3分の1だと、結構良い物件を借りられることに気づいた。

アパートというか、築浅のマンションでも問題ない感じで。

正直、羨ましくなった。

自分が住むわけではないのに、いつの間にか情報を見るのも楽しみに。

あーでもない、こーでもないと言いながら探していると、時折掘り出し物と思われる物件も出てきた。

それを興奮気味に伝えると、

「結構良いね。あー、でも○○が・・・」

と難癖をつける夫。

本当にそんなところにこだわってるの?と怪しんだりしたが。

こればかりは本人の気持ちなのだから仕方がない。

その後も何度か良い物件を見つけては夫に提案。

そのたびに些細な問題点を指摘され、段々と私もばからしくなってきた。

本気で探す気はあるの?

引っ越したいと言ったのは夫だよ?

結局また振り回されているだけの気もしたが、諦めるわけにはいかなかった。

だって、どうしても家を出て欲しかったから。

そんな中、これは!という物件に出会った。

駅からの距離、築年数、設備、建物の綺麗さ。

どれをとっても申し分無かった。

私だったら即決だろうという部屋だったので、自信満々に夫に伝えた。

そうしたら、数時間後に

「あー、ここは雰囲気的に良くないわ」

という意味不明な返信があった。

どういうことかと聞いてみたら、どんな良い部屋でも本人が直感的に気に入らなければダメらしかった。

しかも、

「家賃が予算オーバーしてる」

と言うので計算してみたけど、手取りの4分の1程度に収まっている。

問題無いのでは?と思ってそう伝えたら、

「他にも生活費がかかるんだから厳しいだろ!」

と怒られた。

そんなことを言ったら、私なんてどうなっちゃうの。

それよりとても厳しい条件でずっと家計を支えてきたのに。

この不満は口には出さなかったが、無反応になったから気づいたのか、

「お前、ある意味すげーわ」

と褒められてるのか貶されてるのか分からないことを言われた。

「あの手取りで家賃払えるって奇跡だわ」

と言われ、あーこれは貶されてるんだとはっきり分かった。

2025年8月4日月曜日

夫に『アパートを借りて欲しい』と直談判

悠長に待ってなどいられない

夫は元に戻りたがっていた。

それなのに、離婚に向けたアクションを自分から起こすはずがない。

そんな風に考えた私は、遠回しに促すことを止めた。

それまでは義両親にも協力して欲しいとか、夫がこの状況に気づいて自分から動いてくれれば良いなとか、どこか他力本願だった。

でも、それでは何も変わらないから。

思い切って自分から動くことに決めた。

恐怖で支配され続けた私にとって、それは簡単なことではない。

お願いという感じで話をするだけでも心臓がバクバクしてしまう。

そんな力関係によって、あのような歪な環境が作り出されてしまったわけだが。

夫はそれを当然だと信じて疑わなかった。

馬鹿な妻を教育してやっている、というくらいにしか思っておらず、『有難く思え』という態度。

どう考えてもおかしいのに、私もそれに従うのが当たり前だと思っていた。

離れて数か月が経過し、少しずつ夫の洗脳が解けてきたのだろうか。

今までの当たり前が当たり前ではなくなり、夫に対して不信感が芽生えた。

家を出たのだって、辛くてたまらなかったからであって。

夫のやることを否定したかったわけではない。

モラハラ被害者の心の内は、結構複雑なのだ。

最終的には、辛いのに止めてくれないから耐え切れなくて家を出ることになった。

あのままずっと一緒に居たら異常な夫との関係に気づけなかったかもしれない、と考えるとゾッとする。

自分の頭で考え、『夫に部屋を借りて欲しい』と伝えることにした私は、早速メッセージを送った。

反応は怖かったけれど、ここから始めなければ何も変わらない気がして・・・。

返事が来るまでの間もずっとドキドキしていて、良い想像をしたりネガティブになったりと私の頭の中は忙しかった。


予想外の反応に戸惑い

決死の覚悟で夫に要望を伝え、返事を待つ間も気が気ではなかった。

これで難癖をつけられて離婚交渉がとん挫してしまったらどうしよう。

そんなことまで考えた。

でも、お義兄さんの状況を考えると義実家の部屋が空くのはいつになるか分からなかった。

もしかしたら年単位の話になるかもしれない。

そんな気の遠くなるような時間を待っていることなどできなくて、

「アパートを借りたらどうか」

という提案をした。

義実家の近くにも単身者用の賃貸がたくさんある。

広さや築年数を妥協すれば、かなり安い物件も見つかる。

夫がどうしても一人暮らしが嫌だというのなら、お義兄さんに出て行ってもらう方法もある。

私は色んな方法を考えた。

返事が来たのはメッセージを送信してから30分後のことだった。

恐る恐る開いてみると、

「それは俺も考えてます。いつまでもこの部屋に居るのは申し訳ないので」

と書かれていた。

読んだ瞬間、拍子抜けした。

もっと罵詈雑言が並んでいるような返事を想像していたのに。

ごく普通の内容で、しかも部屋を明け渡すこと自体を前向きに考えているのが分かった。

これなら、意外と早く解決できるかもしれない。

夫からの返信を見て、目の前の道がパーっと開けたような気がした。

2025年8月3日日曜日

やっと奥さんに会うことができたお義兄さん

久しぶりの対峙

予定通り、義実家にやってきた奥さん。

その表情は、心なしか晴れやかだったそうだ。

吹っ切れたのかもしれない。

ずっと悩んできたことから解放されると、自分でも驚くほどの開放感を味わうことができる。

私の場合もそうだった。

この時点ではまだ夫との離婚交渉が進んでいなかったけれど。

今なら分かる。

決心できた時の気持ちが。

その表情を見て、『もしかしたら、やり直せるかも』と勘違いしてしまった人物が居た。

それは、お義兄さんだった。

彼女がよほど穏やかで良い表情をしていたのだろう。

それを見て、改心して戻って来てくれたのだと勘違いした。

この考え方がそもそも間違っているように思う。

あの頃、義実家に戻ったお義兄さんはずっと『被害者』みたいな振る舞いをしていた。

でも、実際には被害者などではない。

それをどう勘違いしたのか、自分は被害者で、奥さんが加害者という感じだった。

それを咎めるどころか加勢した義両親も悪い。

そりゃー自分の子どもが可愛いのは分かる。

でも、あの場合はどう考えてもお義兄さんに非が無いとは言えない状況だったのに。

そんな針の筵のような場所に、奥さんはやってきた。

決着をつけるために。

その決心を聞き、お義兄さんは明らかに動揺していて、義両親はそんな息子を不憫に思ったようだ。

「あなたの一方的な思いだけでは決められない」

と奥さんを責めた。

責められても、こういう時ってもう気持ちは変わらないんだよね。

奥さんは、

「離婚届けに記入したら、こちらに送ってください」

と住所を渡した。


突然の慰謝料請求

ここからは本格的に身バレにつながりそうであまり詳しく書けないのだが。

実は、この後にまだひと悶着あった。

義実家に来た後、再び連絡がつかなくなった奥さん。

何度も同じようなことがあったので、そのこと自体には誰も動じなかった。

ただ、数か月後にいきなり慰謝料を請求され、度肝を抜かれた。

円満に離婚へと向かっているのだと誰もが思っていたのに。

まさか慰謝料請求をしてくるとは・・・。

以前、

「慰謝料を払って欲しい」

とは確かに言っていた。

でも、本気に受け止める人は居なかった。

いつの間にか弁護士を入れたようで、やり取りは弁護士を通して行うことになった。

もう直接話すこともできない、と落胆するお義兄さん。

この状況では、そんなことに気落ちしている場合ではないのに。

家を売っても残債が残り、更に奥さんから慰謝料を請求されている。

それをどうやって払うのかも考えなければならない状況で、呑気に『奥さんとのやり取りが~』なんて考えていたようだ。

しかも、お兄さんの仕事だって危うい。

はっきり言ってすぐにでも職を失いそうな状況だった。

お義兄さんの方は弁護士を雇う余裕も無かったので相手の言いなりになるしかなかった。

結局、慰謝料を払うことに。

ただ、お金を持っていなかったので、実際には払えていなかったと思う。

その後、仕事も本当に辞めてしまい、奥さんに払うどころでは無くなった。

2025年8月2日土曜日

諦めかけた頃、奥さんから再び連絡

弱気になった義兄さん

やっと話せると思っていたのに。

あの日、奥さんは来なかった。

ドタキャンならまだしも。

何の連絡も無く、お義兄さんや義両親は待ちぼうけをくわされた。

待っている間も色んなことを考えて緊張していたに違いない。

お義母さんの当日の失敗談を聞くと、その日の緊張ぶりがよく分かった。

まあ、奥さんの方にも言い分はあると思うのだが。

それでも、連絡もしないまま約束をすっぽかすのは良くないことだ。

期待していた分酷くがっかりしたお義兄さんは、更に体調が悪化してしまった。

正直言って、奥さんの方も何を考えているのか分からない人だった。

私から見ても一筋縄ではいかないというか。

常識が通じないところも多々あった。

もしかしたらお義兄さんはそんなところに惹かれたのかもしれないが、義両親からはかなり評判が悪かった。

このまま、また何か月も連絡を取れなくなるのではないか。

皆そんな風に考えて、義実家の面々は沈んだ様子だった。

私は自分たちの離婚問題でそれどころでは無かったが、それでも気になっていた。

かと言って何ができる訳でもなく、時々来る連絡からその状況を知るだけ。

再び連絡が来るのを待つ間、お義兄さんにも心境の変化があった。

『もう、離婚でも良いかな』

今までの勢いに任せた離婚宣言とは違い、本当に離婚を覚悟し始めた。

このまま長引かせたとしても、きっと良い結果は得られない。

それならば、早く決着をつけた方が精神的にも楽になるのではないか。

そんな風に考えて、義両親にもその気持ちを伝えた。


再び奥さんからの連絡

『離婚』という結論に向かって動き始めた頃。

再び、奥さんから連絡が入った。

この時は既に何も期待しておらず、お義兄さんはただ離婚届けにサインして渡すつもりで、

「待ってるから、必ず来いよ」

と告げた。

私にはよく分からないのだが、二人がまだ一緒に居る頃はお義兄さんの方からよく『離婚だ!』と宣言していた。

奥さんの方も同じように離婚を口にすることがあったが。

割合としては五分五分か、ややお義兄さんの方が多い印象だった。

だから、最初からそういう気持ちが少なからずあると思っていたのに。

何故本格的に事が進もうとしたら、離婚を拒むのだろうか。

自分が望んでいたことではないの?と不思議に思った。

私たち夫婦も確かに夫の方から、『お前が有責の離婚になるよ』と脅されることがあった。

でも、その時の言い方から脅しをかけるという意図なのは明らかだった。

本当に離婚したくても夫の方が本気では無いから揉めたわけで。

これが本気ならどんなに良かっただろうか、と何度思ったか分からない。

それに比べ、二人の離婚宣言はいつも本気に見えた。

それなのに、結局最後はこんな風に別れが惜しくなるものなのかと考えたら、夫婦って傍から見ても分からないものだな~と思った。

一度すっぽかされていたので、連絡を受けたお義兄さんも疑心暗鬼だったみたい。

奥さんの気持ち一つでまた連絡もなく流されるのではないか。

そんな空気が漂っていた。

期待せずに待っていたお義兄さんや義両親だったが。

その日、奥さんは予定通りやってきた。

やっと会うことができ、お義兄さんは少しホッとした様子だったらしい。

2025年8月1日金曜日

義兄宅から忽然と姿を消した奥さん

連絡もつかず・・・

お義兄さんが生活費を渡すために自宅に戻った日、かなり激しい言い争いがあった。

奥さんはそれまで通りお金を受け取るのが当然だと思っていたようだが。

休職中のお義兄さんの収入はかなり減っていた。

それで、休職に入る前の6割程度を持参したらキレられた。

正直なところ、それでも十分な額だと思う。

だって、我が家の3人分よりも大分多いんだから(笑)。

ローンや光熱費はお義兄さんが別で払っていた。

本当の意味での生活費だけなので、足りないことはないはずなのに。

封筒の中身を見て怒りを爆発させた奥さんが、

「これっぽっちで、どうやって生活すれば良いんだよ!」

などと言い、不穏な空気が流れた。

自炊もせず、毎回外食だったし。

実際にお金が掛かっていたとは思う。

でも、無い袖は振れないのだから、少しくらい協力してあげれば良いのに。

奥さんの態度を見ていると、意固地になっていると感じることも多かった。

その頑な態度に対し、嫌気が差していたのはお義兄さんだけでは無い。

義両親もはっきりと拒絶反応を示していて、

「もう口もききたくない」

と言っていた。

その日、言い争いをした後でもやはり奥さんのことを気に掛けていたお義兄さん。

数時間後に携帯を鳴らしたが出なかった。

怒っている時に出ないのはよくあること。

また後で掛け直そうと、1時間おきに何度か電話。

それでも出なくて、急に不安になり、再度自宅へと向かった。

そうしたら部屋には誰も居なかった。

出かけているだけかもしれないけれど、以前にも喧嘩した後に行方不明になったことがあったので『もしかして・・・』と考えたようだ。

義実家に戻ったお義兄さんは義両親に

「(奥さん)が居なくなったかもしれない」

と伝え、だいぶ良くなっていた体調が再び悪化してしまった。


奥さんはどこに消えたのか

1日、2日と経過し、とうとう一週間が経った。

その頃になると、お義兄さんも出て行ったのだと完全に理解した。

しかも、電話は着信拒否されているらしくつながらない。

その後、またしても離婚届が義実家に送られてきた。

以前と異なるのは、奥さん側の署名がまだされていなかったこと。

しかも、返送先も記されておらず、署名したとしても、その後どうすれば良いのか分からなかった。

「一体何を考えてるんだか・・・」

義両親は呆れ果てて何も言えない様子だった。

だけど、お義兄さんの前ではあまりその話は出さないようにしていた。

一連のゴタゴタにより再び体調を崩してしまったので気遣っていたのだろう。

夫でさえ、普段よりも優しく接していた。

結局、連絡がついたのはそれから数か月後のことだった。

奥さんの方から連絡してきて、急に

「明日、そちらにうかがいます」

と言ってきた。

お義兄さんと義両親はやっと話ができることに安堵した。

音信不通だったのが急に義実家に来るということで、その日は朝から皆ソワソワ。

お義母さんなんて緊張してしまって心ここにあらずといった様子で、たくさんの失敗をしたらしい。

洗濯機が止まって干すだけになっていた物をもう一度回してしまったり。

ドアに激突して肩を傷めたり。

ケーキを用意しようとして、お財布も持たずに出かけてしまったりしたそうだ。

後から笑い話として教えてくれた。

それだけ緊張していたということだが、その日彼女は来なかった。

予定時刻を過ぎても来ないので、お義兄さんが携帯に連絡を入れた。

コール音は鳴れど、応答はなく。

とうとう、その日姿を見せなかった。

家を出る前、義両親に別居の相談

一緒に暮らすのは限界だった 私たちは突発的な出来事により家を出た。 夫との生活は非常に苦しく辛いものだったので、心の中ではある程度の準備はできていた。 ただそれは漠然とした思いであり、具体的なことなど何一つ決まっていなかった。 毎日夫の機嫌を窺がいながらの生活。 心休まる時間も無...