自分の気持ちだけが大事な夫
自己愛性人格障害であろう夫は、人を愛せない。
大事なのは、いつだって自分だけ。
それに気づいたのは、
結婚してからだった。
けれど、
まさか血のつながった我が子でさえ、
愛せないとは。
そんなこと、
想像したこともなかった。
口では、何とでも言える。
実際、夫はよく子どもに向かって、
「お前が大事だ」
そう言っていた。
この言葉だけを切り取れば、
誰もが「良い父親」だと思うだろう。
でも、
そこに本当の愛情はなかった。
あるのは、
自分の理想を押しつけ、
思い通りにならなければ罰を与えることだけ。
叩く。
蹴る。
食事を与えない。
それでも、
子どもは父親を慕っていた。
――親子というだけで、
無条件に愛してしまうものなのだろうか。
電話を切ったあとの子どもの様子を見て、
そんな疑問が胸に浮かんだ。
きっと、
夫はまた余計なことを言ったのだ。
子どもの心を、
土足で踏みにじるような言葉を。
最初は、
「嫌いな相手からなら、そこまで傷つかないのでは」
そんな考えもよぎった。
けれど、
すぐに分かった。
どんなに嫌いでも、
どんなに怖くても。
相手は、
“父親”なのだ。
割り切れるはずがない。
平気でいられるはずがない。
その日の夜、
私は何度も、何度も声をかけた。
どうしたの?
何を言われたの?
けれど、
子どもは頑なに口を閉ざし、
何も語ろうとしなかった。
その沈黙が、
何よりも重く、
胸にのしかかっていた。
「引っ越し、いつが良いかな」
少しして、夫から連絡が来た。
「引っ越しなんだけど、
いつが良いかな」
正直、
自分の都合で決めればいい話だ。
なぜ、わざわざ私に聞くのか。
そう思った。
けれど夫は、
いくつも候補日を挙げてきて、
「その中から選んで」
と言う。
どうにも、話が噛み合わない。
「(夫)の都合で決めたらいいんじゃない?」
そう返すと、
「それだと、あとから合わないって言われても困るし……」
と、歯切れの悪い返事が返ってきた。
このままでは、
“決まらない”ことを理由に、
いつまでも居座られかねない。
そう思って、
私は仕方なく折れた。
「じゃあ、1か月後くらいの
土日のどちらかは?」
すると夫は、
待っていましたと言わんばかりに、
「よし、じゃあ〇月〇日の10時頃な」
と、一方的に決めた。
これで、
やっと家を明け渡してもらえる。
そう思って、
一瞬だけ、肩の力が抜けた。
――けれど。
「時間に遅れるなよ」
その一言で、
すべてが凍りついた。
どういう意味なのか、
考えるまでもなかった。
引っ越し作業に私も参加する前提で
話が進んでいたのだ。
自分が出ていくのに、
私が手伝う。
それを、
何の違和感もなく当然だと思っている。
けれど、
それ以上に私を震えさせたのは、
別の理由だった。
――また、顔を合わせなければならない。
あの人と、
同じ空間にいなければならない。
声を聞くだけで、
体がこわばる。
姿を想像しただけで、
呼吸が浅くなる。
どんな言葉を投げられるか分からない。
どんな態度を取られるか分からない。
子どもを傷つけた直後の、
あの無神経な人と。
私はもう、
向き合える自信なんてなかった。
手伝いたくないのではない。
――怖かったのだ。
関わることで、
また心を踏みにじられるのが。
それでも、
この気持ちをどう伝えればいいのか分からず、
私は言葉を飲み込んだ。
一難去って、また一難。
夫が家を出るその日が、
「解放」ではなく、
新たな恐怖として迫ってきていた。
この引っ越し作業を、
どうやって断るか。
それが、
私の頭の中を支配していた。
