ずっと待ち望んだ言葉
その日、私は夫から、やっと聞くことができた。
ずっと待ち望んでいた言葉を。
「実家に戻る」
そう告げると、
夫は大きく深呼吸をした。
何でも自分の思い通りにする人だけれど、
もしかしたらこの時は、
あの人なりに考えたのかもしれない。
考えて、考えて。
考え抜いた末の決断だったのだとしたら、
――よくぞ決断してくれた。
思わず、
お礼を言いたくなるほどだった。
別居をする前も、別居をしてからも。
いや、付き合い始めた頃から、
もうおかしくなっていたのかもしれない。
とにかく、
心がすれ違い、
分かり合えないことばかりだった。
だから、
未練はこれっぽっちもなかった。
清々しい気持ちで、
「分かった」
と答えながら、
私は必死に嬉しさを噛み殺した。
気持ちのままに動いたら、
叫び出してしまいそうだった。
落ち着いた口調で返事をしなければ、
こちらの本心を悟られてしまう。
もし、
「もう気持ちがない」
と分かれば、
夫はまたへそを曲げるだろう。
へそを曲げるだけなら、まだいい。
私の思い通りにしたくなくて、
「実家に戻る話」そのものを、
なかったことにされるかもしれない。
だから、
この喜びは絶対に隠さなければならなかった。
幸いなことに、
その日の夫は、いつもより寛大だった。
途中で失言があったかもしれないが、
些細なことは気にしない様子で、
私が残念そうに
「分かった」
と答えると、
申し訳なさそうな表情を見せた。
その姿からは、
モラハラをしていた人だとは、
とても想像できなかった。
外側に向けた
「いい人」の部分だけが、
そこにあった。
その日は、
とりあえず報告だけ、という形で、
十分ほどで通話は終わった。
電話を切ったあと、
私はようやく、
――ああ、私はもう
“外の人”になれたんだ。
そう、しみじみ感じていた。
恋の行方は・・・
あの会話で、
ひとつだけ肝心なことを聞き忘れていた。
相手の人とは、
上手くいっているのかどうか。
夫やNから聞いたのは、
ただ
「好きな人ができた」
という話だけだった。
となると、
相手の気持ちはどうなのか。
上手くいってほしい、
それしか思っていなかった。
けれど、
いかんせん、あの夫のことだ。
正直、少し心配でもあった。
親しいわけではないが、
話したことのあるその女性は、
とても快活な人だった。
コミュニケーション能力が高く、
人前にどんどん出ていくタイプ。
私とは正反対で、
いつも
「すごいなぁ」
と思って見ていた。
上手くいってもらわないと困る。
そう思って、
探りを入れるために、
何度かNに連絡をした。
そのたびに返ってきたのは、
「詳しくは分からないけど、仲良くはしてるよ
さすがに、まだ付き合ってはいないんじゃないかな」
という返事だった。
「さすがに」と付けたのは、
まだ離婚前だからだろう。
私としては、
何の問題もなかったのだけれど。
結局、
本当のところは分からないまま。
私は大人しく、
夫が家を明け渡すのを待つことにした。
