2025年12月22日月曜日

壊れた結婚と、それでも守りたかったもの

恐怖の中で、第一歩を踏み出す勇気

居場所が知られてしまった以上、そのままにしておくわけにはいかない。

気は重いけれど、本格的に離婚に向けた交渉を始めなければならない。

そう思っても、なかなか返事をすることができなかった。

結婚生活の中で徹底的に恐怖を植え付けられていたため、その時のインパクトがあまりにも強すぎて、恐れるあまり思考が停止してしまったようだ。

震える手で再び手紙を開き、今度はゆっくりと読んだ。

中には「自分の非を認め、家族としてやり直したい」と書かれていた。

これを読んだだけなら、きっと反省しているのだろうと勘違いしてしまうかもしれない。

でも、基本的に夫が反省することはない。

彼は常に自分が正しいと思っているから、これは嘘だろうとすぐに分かった。

とはいえ、それが分かったところでどうすることもできない。

夫と対峙しなければ、離婚に向かうことはできないからだ。

私は考えた。

そのうち、ふとその前にやるべきことに気づいた。

『先輩の家に乗り込まれないよう、先手を打たなければならない』と。

そのためには、話し合う意思があることを伝えなければならない。

正直、話し合うこと自体が怖いけれど、逃げていては何も進まない。

勇気を振り絞ってメッセージを送った時、すでに子どもと先輩は食事を終えていた頃だった。

その日、二人は映画に行っていて、その後、食事のときに待ち合わせをしていた。

でも現れないので心配した先輩が連絡をくれた。

楽しみにしていたけれど、もう行けるような精神状態でもなく・・・。

「帰ってきたら詳しく説明するから」

と伝え、一人悶々とどうすべきかを考えていた。


話し合う覚悟と、母としての弱さ

精神的に追い詰められていた。

逃げ続けることができれば楽だけど、そうも言っていられない。

夫による包囲網は着々と狭まり、私たちは向き合わざるを得ない状況へと追い込まれていた。

その日、私は話し合う決意を固めた。

家を出てから、何とか勇気を振り絞って向き合ってきた。

けれど、ある時を境に、私は夫と会うことを避けるようになった。

怠慢だと言われれば、それまでだ。

本当に離婚を進めたいのなら、交渉を続けなければならなかったのに。

そうしなかったのには理由がある。

長く一緒にいると、相手のペースに引きずり込まれそうになる瞬間が分かるようになった。

別居が長引くほど、その傾向は強まり、気づけばまた夫のペースに飲み込まれてしまう。

これ以上交渉を重ねたら、相手の思うつぼだ。

そう思うと、どうしても動けなかった。

だけど、もう直接話し合わなければならないところまで来ていた。

きっと腹を割って話そうとしたところで、訳の分からない理論を押し通されるだけだろう。

それでも、話し合わなければならなかった。

覚悟を決めてメッセージを送り、ほっと一息ついたところで先輩と子どもが帰ってきた。

この子にはずいぶん辛い思いをさせてきた。

まだ赤ちゃんだった頃、夫から激しく責められ、涙がこぼれそうになったことがある。

慌てて子どもを膝の上に乗せた。

向かい合っていたら、泣いているところを見られてしまうと思ったからだ

咄嗟の行動だった。

けれど、柔らかくて温かな子どもを抱きしめているうちに、堰を切ったように涙があふれ、顔はぐちゃぐちゃになった。

嗚咽混じりの声に驚いたのか、子どもが振り返って私を見た。

慌てて涙を拭いた。

泣いているところなんて、見せてはいけない。

そう思うのに、涙は止まらなかった。

そのまま子どもをぎゅっと抱きしめたまま、私はしばらく動くことができなかった。

壊れた結婚と、それでも守りたかったもの

恐怖の中で、第一歩を踏み出す勇気 居場所が知られてしまった以上、そのままにしておくわけにはいかない。 気は重いけれど、本格的に離婚に向けた交渉を始めなければならない。 そう思っても、なかなか返事をすることができなかった。 結婚生活の中で徹底的に恐怖を植え付けられていたため、その時...