恐怖の中で、第一歩を踏み出す勇気
居場所が知られてしまった以上、そのままにしておくわけにはいかない。気は重いけれど、本格的に離婚に向けた交渉を始めなければならない。
そう思っても、なかなか返事をすることができなかった。
結婚生活の中で徹底的に恐怖を植え付けられていたため、その時のインパクトがあまりにも強すぎて、恐れるあまり思考が停止してしまったようだ。
震える手で再び手紙を開き、今度はゆっくりと読んだ。
中には「自分の非を認め、家族としてやり直したい」と書かれていた。
これを読んだだけなら、きっと反省しているのだろうと勘違いしてしまうかもしれない。
でも、基本的に夫が反省することはない。
彼は常に自分が正しいと思っているから、これは嘘だろうとすぐに分かった。
とはいえ、それが分かったところでどうすることもできない。
夫と対峙しなければ、離婚に向かうことはできないからだ。
私は考えた。
そのうち、ふとその前にやるべきことに気づいた。
『先輩の家に乗り込まれないよう、先手を打たなければならない』と。
そのためには、話し合う意思があることを伝えなければならない。
正直、話し合うこと自体が怖いけれど、逃げていては何も進まない。
勇気を振り絞ってメッセージを送った時、すでに子どもと先輩は食事を終えていた頃だった。
その日、二人は映画に行っていて、その後、食事のときに待ち合わせをしていた。
でも現れないので心配した先輩が連絡をくれた。
楽しみにしていたけれど、もう行けるような精神状態でもなく・・・。
「帰ってきたら詳しく説明するから」
と伝え、一人悶々とどうすべきかを考えていた。
話し合う覚悟と、母としての弱さ
精神的に追い詰められていた。
逃げ続けることができれば楽だけど、そうも言っていられない。
夫による包囲網は着々と狭まり、私たちは向き合わざるを得ない状況へと追い込まれていた。
その日、私は話し合う決意を固めた。
家を出てから、何とか勇気を振り絞って向き合ってきた。
けれど、ある時を境に、私は夫と会うことを避けるようになった。
怠慢だと言われれば、それまでだ。
本当に離婚を進めたいのなら、交渉を続けなければならなかったのに。
そうしなかったのには理由がある。
長く一緒にいると、相手のペースに引きずり込まれそうになる瞬間が分かるようになった。
別居が長引くほど、その傾向は強まり、気づけばまた夫のペースに飲み込まれてしまう。
これ以上交渉を重ねたら、相手の思うつぼだ。
そう思うと、どうしても動けなかった。
だけど、もう直接話し合わなければならないところまで来ていた。
きっと腹を割って話そうとしたところで、訳の分からない理論を押し通されるだけだろう。
それでも、話し合わなければならなかった。
覚悟を決めてメッセージを送り、ほっと一息ついたところで先輩と子どもが帰ってきた。
この子にはずいぶん辛い思いをさせてきた。
まだ赤ちゃんだった頃、夫から激しく責められ、涙がこぼれそうになったことがある。
慌てて子どもを膝の上に乗せた。
向かい合っていたら、泣いているところを見られてしまうと思ったからだ
咄嗟の行動だった。
けれど、柔らかくて温かな子どもを抱きしめているうちに、堰を切ったように涙があふれ、顔はぐちゃぐちゃになった。
嗚咽混じりの声に驚いたのか、子どもが振り返って私を見た。
慌てて涙を拭いた。
泣いているところなんて、見せてはいけない。
そう思うのに、涙は止まらなかった。
そのまま子どもをぎゅっと抱きしめたまま、私はしばらく動くことができなかった。
